考えた一手
王国の革新的な農業政策の数々。私は父のお仕事見学が終わった後も、熱を帯びた感情を持ち続けていた。
午後に母が催した家族のお茶会も、夕食前の自習時間も、夕食時も。夕食が終わり、湯浴みをするときも、そして今、手元明かりのみが部屋を照らす就寝時間になってもだ。
この国は農業の革新によって、大きく変貌していく。その流れを断ち切るようなことがあってはならない。そこで、私が持てる物を提供して、この大波をさらに大きなうねりにしていくことをずっと考えていたのだ。
数時間程度物思いに耽っていたので、ようやく考えがまとまった。
「…やっぱり、肥料の革新が必要か。」
そう。肥料である。前世の現代的農業に至るには、この肥料の存在がかかせない。
一応、王国でも肥料の重要性は認識されている。農法の研究により、放牧で家畜の糞尿が散らされた土地は地力が回復することを経験則としてまとめていた。そこから発展して厩肥の製法を編み出し、肥料生産が事業化されているのだ。
ただ、あくまでも生産されているのは自然の力に頼った有機肥料だ。農作物のさらなる増産には、植物の生育に必要な元素を直接的に土に送り込む必要がある。つまり、化学肥料だ。
「さて、まずはまとめるか…窒素、リン、カリウム…」
私は紙に走り書きを始めた。植物が生育するのに必要な元素3つ、窒素、リン、カリウム。これらを用意する必要がある。
これらの3元素の主な出所。それは採掘だ。鉱床があれば、掘ればいい。
「王国内には鉱山がいくつかあったなぁ…岩塩も産出しているらしいから、まずカリウムは用意出来そう?」
カリウムは塩化カリウムとして採取される。塩鉱脈が存在すると言われる王国の鉱山地帯なら、産出が期待できそうだ。
「あとは…リン。これも採掘だけど…グアノとか都合よくあるかなぁ?」
リンも鉱石として取れるが、その鉱脈はちょっと異なる。海鳥などの糞や死骸が堆積した化石層がそれだ。グアノと呼ばれる。採掘地を探す必要がある。
程よい方法を探すため、アカシックレコードを使いながら脳内に知識を展開していく。すると…
「…あ、リンは骨粉でいいじゃん。それに硫酸を加えて過リン酸石灰を生成すると…骨は屠畜で多分出てるよね。廃品再生にもなって丁度いい。」
私はアイデアを紙に書き記していく。必要な三元素のうち2つは当てが付いた。あとは…
「窒素だよなあ。グアノがあればいいけど…」
最後に残った窒素。これが難題だ。一番簡単な方法は、窒素質のグアノが存在して、それを採取する方法。ただ、グアノ鉱床が存在しなければ詰む。そしてあったとしても、埋蔵量以上は採取できない。枯渇すれば問題となる。
そこで、窒素を肥料に利用できる形で生成する方法となるが…
「やっぱりハーバーボッシュ法に行き着くんだよな…」
空気中に大量に存在する窒素を、肥料に利用できる形に固定する方法。ハーバーボッシュ法。これが発明されたことで、前世の世界は人口爆発を起こすことになった。
ただ、この方法には問題がある。
「産業革命も起こしてないこの世界でハーバーボッシュ法…うーん…」
ハーバーボッシュ法は、超高温高圧で気体を臨界状態にして、触媒と反応させることで窒素を含んだアンモニアを生成する。これを肥料に使う事で窒素を豊富に含ませることができるのだが…この技術は、産業革命が発生していることが前提と言っても過言ではない。
高温と高圧を発生させるエネルギー動力機関、それに耐えうる容器、そして設計を行う工学的見識…
今の世界にはその基礎さえも無いのだ。
「…でもなぁ。ハーバーボッシュ法できるだけで今後が大きく変わるんだよな。」
基礎的で必要な科学力と工業力は、今はない。だが、どうだろう?
ハーバーボッシュ法を作り出すために、逆にその基礎を形作ってしまえば?
発想の転換だ。鶏が先か、卵が先かという問答で、卵が先でなければいけないという問題ではないのだ。
そして私は決心した。肥料改革を行うことで、この国に産業革命を起こすことを。
方針が決まればあとは計画を練るだけ。紙にペンを走らせる。
リン生産のために廃棄される家畜の骨を収集する仕組み。それに利用する硫酸は…あるのかな?冶金を扱う職人は存在を知っているかもしれない。要調査だ。
次にカリウム。これは岩塩の生産地を中心に調査採掘を行わせる。あとは、現物を持ってきてもらえれば、神の眼で判断できる。
そして窒素。これはグアノの調査を行うのが最初。それと並行して、ハーバーボッシュ法の実現に向けた計画を立てる。職人探しに実験場建設、生成機械の設計に…
書きだしたメモ書きを床に並べていき、その実効性や必要性を吟味しながら前後を並べ替えたり、加筆したりする。
時間が進むにつれ、大まかな計画の骨子が出来上がってきた。新事業に、採掘に、職人集団の形成にと…とんでもない大事業になりそうだ。
これはさらに計画を洗練化していく必要がある。そして表に出せるようになったら父に…父に…
「…5歳児が突然こんなこと言ってまともに取り合ってくれるわけないだろ!!!!!!!」
失念。完全に忘却していた要素。それは今の私だった。
私は5歳のか弱い幼女。早熟な面を発揮しているとはいえ、大人が対応してくれる限度と言うものがあるのだ。
私はその事実に気付いた途端、緊張の糸が切れたように床に大の字に身を放り出した。その拍子に床に並べていた紙が何枚か舞うが…ちょっと気にしていられない。
天井を見ながらさらに冷静な思考を続けると、この提案が受け入れられる要素が薄いことがはっきりしてきた。
例えば、数学や魔法はある前提があった。それは、最初の教育を受けているという点。体系化された知識に触れた結果、新しい見識を思いついたという体を取れたのだ。だからこそ、関わる大人たちは驚きながらも、理解は示してくれた。
だが農業に関してはどうだろう?専門の教育を施されたわけでもなければ、実際に従事しているわけでもない。そんな人間が、すでに原始的な形とはいえ事業化している物事に突然口を出して受け入れられるか?そんなわけがない。さらにそれが5歳の幼女?回れ右して帰れと言われる可能性さえある。例え王族だとしても。
「…せっかくいい計画だと思ったのにな…」
引き続き天井を見上げながら、呟く。
我ながら良い事業計画が練れたと思っている。それも、数十年単位を見越した大事業だ。これが実行に移され成功すれば、王国は発展の道を数百年ほど独走することになる。
だがしかし。その計画の発案者がど素人の5歳児となると、ただでさえ実現困難な計画がさらに暗礁に乗り上げる。
そこで私は、計画を実行するのに必要な要素だけを考えてみることにした。これはアカシックレコードに頼っても仕方ないので、現在の脳みそを活用するしかない。
こういった意見や提案を受け入れてもらうには何が必要だろうか?
年齢、階級、肩書、実績…色々思い浮かぶ。だが、どれも今の私にはないものだ。
ここで思考の方向をちょっと変えてみる。それらの必要な事柄は、意見や提案に対して何を付与しているのか…それはすぐに思いついた。権威だ。
権威がある人が白を黒と言えば黒になってしまう程度には、権威とは大きい代物なのだ。だからこそ使い方を気を付けなければいけないという注意点はあるが。
5歳の幼女が提案する、数十年単位で動く大事業の計画案。それに必要な権威…
無いよ。そんなの。
「国王でも家臣や諸侯から突き上げ食らうヤツだな…」
冷静な思考とは時として残酷である。悲観的な方向に引きずられ、否定的意見しか思いつかないときは特にそうだ。
そもそも、このレベルの大事業を鶴の一声でできるような権威を持った権力者、この世に存在するのか?国王でも教皇でも皇帝でも無理だろう。
それこそ…それこそ…それ…こそ…
「…いるじゃない、最強の権威。」
私はある事に気付き、天井を見上げたまま体を起こす。そして顔を綻ばせた。
もっとも、それは悪戯心に満ち溢れた邪悪なものだったかもしれないが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます