魔法の再研究
1日が終わり、今は自室で一人の時間を過ごしている。そんな私がすることは、学び始めた魔法の復習である。いや、復習と言うより…再研究だ。
数学書のあれこれ以来、私の部屋はメモ書きが散乱している。色々考えるには、実際に書き留めるのが一番いいのだ。
さて。今日のメモ書きは魔法に関してだ。
まず、魔法の行使に信仰が必要と言う話。これは…恐らく間違い。ほぼ関係ないというのが、私の結論だ。それは、魔法の発動に役に立ったのは具体的なイメージだったからだ。それも、神だ仏だという観念的なものではない、科学と言う絶対的なもので。それに、成句も詠唱の必要は…無い。物質の構成を認識すれば、発動は容易になるというのが、私の推論だった。
「てことは、魔法に必要なのは…とりあえずは物理学と化学かな…」
物体物質の構成を論じる物理学、物質を構成するものの性質を掘り下げる化学。魔法に有用なのはこの2つだ。これで世界の理を読み解くことで、魔法はより身近な存在となりえる。
ここまでの考えを紙切れに走り書きして、ふとあることを思った。
「…魔法の発動因子ってなんだ?」
そう。信仰で発動するわけではない魔法は、結局のところどういう原理で成り立っているのか、説明ができないのだ。この説明ができない部分を、今までは信仰という形で補っていたのだろう。
さて、困った。なにせ、前世で全く存在しなかった技術である魔法。その発動原理を解き明かそうにも、手掛かりがなかった。
とりあえず、右手の人差し指を立て、その先に意識を集中させて、ゴルフボール大の水球を作り出す。そしてそれを左手でつつきながら、魔法で作り出された物質を観察してみた。
「うーん…水。まごうことなき、水…」
有意な情報はあまり増えない。水球に指を付ければ、指は濡れる。それくらいだ。
しばらくの間、水球の出し入れと観察に時間を費やす。傍から見れば、初めての魔法に心躍って暇を持て余す幼子そのものだろう。
ただ、こういう頭を働かせていないような行動をしているときこそ、閃きは疼くものである。
少しの時間が経った後、ある事に気付いた。そこで、今度は水球を出すときに、あえて片方の指を近づけた状態で魔法を使ってみた。
「…周りの水分が集まっているわけではない…?」
そう。水球に触れるか触れないかの位置にいた指は、水球が現れる時に何も感じ取れないのだ。最初は気づかない些細なことだったが、よくよく考えればおかしなことだ。なにせ、その一寸先では、相応な量の水が出現しているのである。周りの細かな水分である湿気になにも影響が無いというのは、気味が悪いとさえいえる。
そこである可能性に気付く。
「水を集めてるんじゃなくて、水を生み出してる?…そんな馬鹿な。」
この世界の物理法則が、私が居た前の世界と同じであると仮定する。その場合、もちろんあらゆる理論が適用できるのだが、その例外が魔法となる。
なにせ、魔法は物質が存在しない空間に、物質を作り出しているのだ。0から1を生み出す。質量保存とかエネルギー保存という理論は適用できない。無から有を作り出すのは…宇宙創成?ビックバン?いやいや、そんなエネルギーは発生していない。
科学者でもなかった門外漢が考えるには相当骨が折れるが…やるしかない。
まず…前提をしっかりと保とう。この世の物理法則は前世と同じと仮定。つまり、質量保存の法則だとかは適用されると考える。そこから発展させて、魔法を顕現させるにはという仮説をあれやこれやと考えて…
アカシックレコードや優れた脳みそを駆使して時間をかける。就寝時間はとうに過ぎ、魔石の手元明かりのみが部屋を照らす。
そして私は、ある一つの結論に至った。
「魔法の素となる物が、この世には存在している!」
完全な無から物質が創造されているのではなく、無と認識されているような0と1両方の性質を併せ持つ素が存在し、生命が魔法を行使するときはこの素を変化させて、意識した物質を作り出している。そう推定した。
物質を構成するには分子構造を作らなければいけず、分子構造を取るには原子の形にないといけない。よってこの魔法の素となる物は、原子か粒子レベルの大きさしか持たないとも推定した。でなければ、構造を自在に変えられる自由度がないという仮定からだ。
魔法原子理論とでも名付けたいこの考え。神の御業を信仰によって間借りするという説明になっていない話よりは、よっぽど理にかなっていると思われる。
さて、理論ができたところで、試してみたくなるのは知的生命体の性かもしれない。ただ、今は止めておこう。時刻は丑三つ時に近く、近くには夜番の側仕えくらいしか起きていない。さらに、理論が正しく、魔法を効率的に使用できるとなると、制御が難しいかもしれない。決して安くはないであろう調度品に囲まれた自室を汚しても迷惑がかかる。それに、魔力切れだって…魔力切れ?
「魔力切れって…なんなんだ?」
新たな疑問。人によって違いがある魔力の量。一度に行使できる魔法の限界が定められるものであり、成長によって上限は増える。それを超えた魔法の行使は身体への影響が大きく、失神などの悪影響をもたらす…という話。
魔法原子理論が正しい場合、魔法の素となる原子粒子は、空間中に十分に充足されているはずである。それこそ、酸素や水素や窒素と同じように。体外にあるそれを操作するのに、枯渇するというのは疑問が生じる。まるで酸欠みたいな…
「…そうか。生き物としての構造が違うのか。」
魔法の原理は、物理法則に従って理論を構築した。今度はそれを行使する人体だ。こちらは前提をそっくり変えてみた。そう、魔法を発動させるための器官が備わっている構造であるという理論だ。それなら説明を付けられる。
まず、この世の全てには魔法の素となる原子粒子が満たされている。そして生き物は、それを体内に一定量取り込んでいる。魔法を行使する場合、最初に使われるのは体外に存在する魔法原子ではなく、体内に取り込まれたそれである。基本、使用された魔法原子は、使われた分だけ体外から摂取して充填される。ただ、体内にある魔法
原子を一斉に放出した場合、充填が間に合わない。それが魔力切れ。
「待てよ?ということは、循環呼吸的なものを作れば、魔力切れしなくなるのでは?」
閃いてしまった。管楽器の演奏などに使われる、鼻から空気を吸いながら口から息を吐き続ける技法である循環呼吸。これの魔法版を作ると、魔力切れは理論上起こらない。常に魔法を発動し続けることができる。
いよいよ興に乗ってきた。魔法原子理論と…魔法発動器官理論。この2つを元に新しい魔法の未来を紡ごうじゃないか。
こうして私は夜半を机に噛り付いて夜明けを迎えた。
そして朝、寝不足を理由に授業を休んだ。
後日、両親や教師にお小言を言われるのだった。
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