ナノ・エリクシルの独白

私はナノ・エリクシルと申します。年齢は21歳。これでもエリクシル男爵家の人間です。


さて、私は王立学園卒業後、色々な職を転々としていましたが、それなりに優秀な成績を修めていたためか、王宮から仕事の依頼が来ました。それは何と、家庭教師。


王家には2人のお子様がおられます。そのうち1人の教師をしてほしいというお話でした。私に断る理由はありません。すぐさまお受けしました。


そして授業初日。私は驚愕します。2人のお子様のうち、長子であられるジーク殿下の教育係かと思いきや、まだ3歳のフラン王女殿下がお相手だったのです。


まだ3歳の幼女にいったい何を教育するのか…それは乳母の役目ではないか…


と、様々な疑問を抱きましたが。初日を終えるとそれらは全て杞憂であることを認識しました。


王女殿下は、3歳になったばかりだというのに、王宮学園初年度程度の教養を保持していたのです。そんな幼女の存在、私は信じません。しかし目の前に存在している…これが神童というものでしょうか?


とりあえず、教師役はこなさなければなりません。復習として王宮学園の学習要綱を辿っていきますが…何も問題が無い。となると、王宮学園の次年度や最終年度も教えてしまいましょう…え、普通に理解した?え?


と言う感じで2か月ほどが経過しました。

国語、歴史、地理、社会、政治…これらの分野では、すでに王女殿下は王宮学園を卒業できるだけの程度に達しています。将来が末恐ろしい。


ですが、そんな王女にも苦手な分野が現れました。それは算術です。

王女殿下は、加算や減算は問題なくこなしているようですが、その計算結果を記すときに、手が止まります。


「…計算は問題ないのですよね…?」

「ええ。やっぱり、数字の記法が性に合わないわ。」


王女殿下はそう言って、少し憮然とした表情を見せます。私は初めて垣間見た、神童の人らしい姿に、少し安堵を覚えます。どんな人にも苦手があるのだと…いえ、口頭で言った計算を即答しているのは見ていますが…ともあれ、人らしい姿です。本当です。


…と言っても、そこはやはり神童。1か月もすると、数字の記法にも慣れてしまいました。学問の分野ではすでに敵なしです。


そろそろ私の存在意義が問われるのでは…と、失職の危機感を抱いていたころ。それは起きました。

その日の授業が一段落したころ、王女殿下は話し始めます。


「…先生。今日は見てもらいたいものがあるの。」

「おや?なんでしょう?」

「やっぱり、今使われている数字は使い勝手が悪いと思ったの。だから、新しい数字を考えてみたわ。」

「…新しい…数字?」


全く理解が及びません。新しい数字を考えたとは、どういうことなのでしょうか?いや、算術の研究家はそれなりに居ます。そんな人間がそれを言えば、新しい研究成果を披露したいのだと認識できます。でも、目の前にいる殿下はまだ3歳です。


「…大丈夫?見せてもいい?」

「え、ええ!拝見いたします!」


思考が停止していて、反応が遅れてしまいました。王女殿下が見せたいと申されているのですから、下級貴族である私に拒否権はありません。


拝見することを返答すると、側仕えが3冊の本を持ってきました。それが卓上に置かれると、王女殿下は指さしながら説明を始めます。


「えっとね。まずこれが、私が考えた数字とその使い方を記した本。ムーグ数字と比べると記法がすっきりしていて、多分使いやすいと思う。あ、本には基本的な計算の他に、実用的な使い方も記してるから。」

「…実用的な使い方、とは…?」

「え?例えば利子の計算とか?あと為替の動きとか?」


実用例が具体的過ぎます。そして何よりも”記した”と王女殿下は申されました。

…3歳が書物を記すという異常性、誰かご理解いただけないでしょうか?


私の巡り次ぐ考えはさておいて、王女殿下に促されるがままに、”新説数学”と題された本を手に取ります。


…一言で言いましょう。本当に分かりやすい。私は算術の専門家ではないため、後段の専門的な分野になると理解が及びませんでしたが、記述と加算や減算の部分だけで、その有用性を認識できる程度には、新しい数字を理解できました。


「…どう?」

「私が専門外であるため、全てを理解はできませんが…記述と計算は、こちらの方が遥かに容易ですね。特に、桁数の多い数字はわかりやすいです。」

「そうでしょう!でも、こっちは少し専門的なのよね。算術をある程度分かる人じゃないと理解できないし…」

「ええ。それでも算術家には非常に有用だと思います。」

「それだけじゃダメなの。だから、幼年向けの算術書も書いたの。それがこっち。」

「は?」


先ほどから想像のはるか上を常に動かれていて困ります。専門的な学術書を記したかと思えば、今度は子供向けの教科書?

王女殿下はもう2冊の本を私の手元に差し出しました。1冊は幼年算術その1、もう1冊は幼年算術その2です。その1を手に取り、黙して読み始めます。


最初は王女殿下の考案された数字とその扱い。後半は簡略化された加算と減算…

その2では、乗算と除算が書かれていて、さらにわかりやすい計算式と練習問題…


「どう?わかりやすいでしょう?」

「え、ええ…これなら、子供でも算術を始められるかもしれません…」


そろそろ私の思考が限界に達してきました。今目の前にいる3歳児は、この国の算術会に革命を興そうとしているのです。屈託のない笑顔で…


何回も言いますが、私は算術はできますが専門外です。この3冊の本が有用かどうかは、専門家の目で判断してもらうしかありません。


「…あの、これを私の兄に見せてもよろしいでしょうか?兄は、王宮で算術家を務めておりますので…」


そう言うと、王女殿下は満面の笑みを浮かべました。先ほどより口角が上がっています。


「ええ!是非!もし気に入れば、積極的に広めてほしいな!」


…もしや、この方向に話を持っていくために、これらを私に見せたのでしょうか?

まさかね?

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