第3話 蒸気機関車と飛行船

 夢を見ていた。

 蒸気機関車の夢だ。

 耳元で蒸気の音と、汽笛の音が聞こえて耳障りだ。その音を聞きながら、段々体が熱くなってゆく。

 これは、風邪を引いたな、とシブは思う。風邪でなければ、もっと厄介なものか。  どちらにしても、熱を冷まさなければ。

 でも、誰かがこの部屋にいるわけはないし、むしろ居ると怖いし。だから自分で冷水を取ってこなければ。扉を開けた時、足を滑らせて派手に転んだ。

 思わず呻き声が漏れる。起き上がって夜着を羽織り直すと、階段を下ろうと、覗き込んだ。階段はまるで、谷底に覗き込むようで酷く、傾斜が強く、段数は長く見えた。

 シブが階段の上で躊躇っていると、お向かいに住んでいる、シノさんが顔をのぞかせた。

「大きな音がしたけど、どうしました」

と尋ねられた。

「井戸から水を汲んでこようと思ったのですが、足がもつれて転んでしまって」

とちょっと恥いる。

「あら……あら、真っ赤なお顔!熱があるのですか」

「はぁ、そのようです」

「水は私が汲んできますから、シブさんはお部屋の中で暖かくしてください」

「え、でも……」

いいから待ってろ、というシノの気迫に負けて、部屋の中に戻った。

 なんだか、手間をかけたな、シノさんにあとでお礼をしなきゃ。とツラツラ考えているうちに寝入った。

 ドアが開く音がしたのでそちらを見ると、シノさんがやってきて、水タオルを額に乗せて、体温計を口に刺した。

「危ないから、噛まないでくださいね、体温計」

シブも体温計が水銀を含んでいることは知っていたから、意識があるうちは、多分噛まないと思う。

 やがてシノの

「八度六分かぁ」

との声を聞き八度六分だと何が悪いんだったっけな、と考えているうちに再び眠りに入った。

 次の夢は空に浮かんでいる夢だった。多分乗り物に乗っている。空を飛ぶ乗り物だったら気球か飛行船。

 でも、展望席にいるらしいから多分飛行船。シブは、飛行船などという高価な乗船券が必要な乗り物など乗った事がないから、飛行船の作りがどうなっているのかよく判らない。

 それに、この飛行船は蒸気機関を動力に使っているらしく、びっくりするほど煤煙を撒き散らしている。変な飛行船だな、と思っていると、飛行船の徐々に動力が止まり飛行船が小さくなってゆく。

 それは気球だった。シブは誰かと一緒に気球に乗っていた。気球には動力がないから、上下に上り下りするだけ、シブは舵取りもせずに風まかせ雲任せに飛んだ。

 明くる日目を覚ますと、熱が嘘みたいに退いていた。額に手をやると、緩くなった水タオル。なんだか変な匂いがするな、とおもったら焼いたネギが首に巻かれていた。このネギと言うのは、あまり食べないのだけど……そういえば、ママの手料理のボルシチにはポロ葱が入っていたな、と思い出した。

 台所からいい匂いがしてきた。鼻もだいぶマシになったようだ。足はちょっとぐらつくかな。家具に捉まりながら台所まで行くと、シノさんが何かを作っていた。

「おはようございます」

とシノさんが朝の挨拶をしてくれた。

 慌てて、

「おはようございます」

と返した。

「今、稗と粟があったのでおじやを作りました。シブさんのバター、ちょっと使ったけど、良いよね?」

といたずらがバレた子供のようにシノさんは言った。

皿に持ってもらうと稗と粟のおじやにネギが入っている。

 ネギは香りが苦手だと言った方が良いだろうか?しかし、おじやの方の香りに負けて食べてしまった。うまい。

あまりに美味しいので二杯もおかわりしてしまった。ネギは不味くはなかったな、そうか、今までネギを敬遠していたのは、ネギを不味く調理していたからなのか。

「シブさん。時間はいいの?」

「え?」

「ほら、出勤時間」

そうだった。会社があるんだった。時計は、と壁時計をみると後二十分で朝礼の時間だ。今から急いでも間に合わないな、と思ったので、

「ちょっと会社に電話してきます」

「いってらっしゃい」

階下の大家の店に顔を出すと、「電話貸してください」と言って五銭払った。

「三清工業の守衛室へ」と電話を繋げてもらって、守衛に一時間遅れることを伝えた。

それから自室に戻り、裾も丈もつんつるてんになった背広に着替え、会社に向かった。

 会社に着くと、課長のところに挨拶に行った。

「申し訳ありまえん。風邪を引いてしまいまして」

「いいよいいよ。こうしてきたんだし」

「すいません」

「朝礼でもすでに言ってあるんだけどね。辞令が出ているよ」

「はい……はい」

「おめでとう、設計部に転属だ」

シブはなんと言ったらわからず、ただ立っていた。

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