第二週目(前半)

Side:エスト


一週間という時間は飛ぶように過ぎていった。

これまでアルノルド男爵領は代官が治めていたから、その引き継ぎのため、僕は寝る間を惜しんで仕事に精を出した。

嬉しいことに元代官はそのまま領地経営をサポートしてくれるらしい。


そして、ようやく時間に余裕ができて、僕は鈍ってしまった体を動かそうと、街の北側にある練兵場にやって来ていた。


兵士たちの訓練の邪魔にならないよう端の方で静かに剣を振るうつもりだったのに――


「はふぅ〜、お兄様、かっこいいですの〜」


ついてきたメアリの甘い声。

兵士たちがチラチラと彼女の方へ目を向け、集中を乱してしまっている。失敗したな。素直に屋敷の庭にすればよかった。貴族学校では皆で一緒に研鑽していたから、ついここに来てしまった。


どうにかワンセットやり終える。

すると、メアリが近寄ってくる。手にはタオル。それを貰おうとすると、ひょいとかわされた。


「拭いてあげますの」


体を密着させてタオルを僕の額にあてる。

どうやらメアリは距離感というものを失ってしまったらしい。先週、形だけの婚約関係から真の意味で結ばれて以来、この調子だ。


「なら、僕もお返しをしないとね」


彼女の細い顎の裏を指で撫で上げる。


「く、くすぐったいですわ、お兄様」


僕の方も距離感はおかしかったりする。

まあ、付き合いたてのカップルとはこういうものだ。王都でもよく見かけて砂糖を吐いていたが、僕が当事者になるとは思いもしなかった。


他者の目も憚らず、スキンシップしていると、そこへ男が近づいてきた。彼は僕たちの前で――というより、僕の方を見て立ち止まる。


「おい、領主様。俺と勝負しろ」


「リック!お館様に失礼だろうが!――お館様、申し訳ありません」


メアリの専属護衛であるイザベラが割って入る。

そうか、彼がリック・レイヴン氏か。見た目は黒髪のどこにでもいそうな青年だ。ただ、彼の目は最近になって少なからず向けられる嫉妬の炎に揺らめいていた。

メアリはアルノルド男爵領において美しさで有名だったから、その婚約者として嫉妬は甘んじて受けるつもりだが。彼の場合、一段と強いように思う。

さて、どうするか。

そもそも、彼はなぜ、練兵場にいるのだろうか。


「怖気づいたのか?ハン、軟弱なお貴族様だな」


「……そこまで言うなら、やろうか。イザベラ、審判を頼む」


「……ハッ、了解しました」


複雑そうな表情のイザベラには酷かもしれないが。


僕たちは練兵場の備品の木剣を構えて相対する。


「頑張ってください、お兄様!」


メアリの声援にリック氏の顔が歪み、睨みつける目の鋭さが増す。


「始めっ」


「うぉおおおおおお」


合図と同時にリック氏が木剣を大上段に構えて突っ込んでくる。それはさすがにナメ過ぎだろう。貴族学校では剣技が必修科目だと知らないのか。どう決着をつけるか悩んでいたが、この程度の腕に接戦では周囲の兵士に示しがつかない。


振り下ろされた木剣に合わせて剣をぶつけて逸らし、一気に下から切り上げる。喉元へ。寸止めする。


「勝負あり!勝者、エスト・アルノルド様!」


「きゃ〜っ、お兄様〜っ」


彼の元から離れると、メアリが飛びついてくる。

興奮した様子の彼女を宥めていると、


「クソッ」


リック氏は木剣を地面に投げつけ、練兵場から立ち去っていった。

その後ろ姿を、イザベラが悲しげに見送っているのが印象的だった。


Side Out



///



Side:リック


一週間前のあの日から俺の運命は狂ってしまった。

俺が懇意にする四人の女。その中で一番美しいメアリがどこぞの貴族の優男の腕に抱きついた光景が強烈に脳裏に焼きついている。


「リック、お昼持ってきた――って、まだ治ってないわけ?」


「若様、だいぶ入れ込んでたっすからね。ただ、相手が悪いというか。ネルさん、噂の『お兄様』見ました?」


「あー、街中でイチャついてデートしてるって話でしょ?あたしは見てない。エルマは?」


「うちもまだっす。ともあれ、若様、すっぱり諦めて、そろそろ仕事してくれないっすか。もー、大変なんですって、こっちは」


「ま、ガンバって。リックは……ほっとくしかないか」


ネルとエルマに声をかけられても生返事ばっかりだ。俺のことを心配してくれる二人には悪いと思っているが。


あれから公園に行ってメアリと会うことはしていない。

あの優男とはどういう関係なのか、その答え合わせをするのが怖かった。

だが、悶々とした気持ちは店番をやるだけでは晴れやしない。


俺は立ち上がって近くにいたエルマに告げる。


「剣を振ってくる」


「は……?いや、なんで……まあ、いいっすけど」


俺は店を出ると、街の北側の練兵場へ行く。


練兵場は兵士の訓練施設だが、イザベラ師匠に邪魔にならない限りはって使用許可をもらっている。

最初はメアリに少しでも近づこうと彼女と仲がいいイザベラ師匠に剣を習い始めた。剣を振るのはダルいが、まあ役得もあって、剣の握り方とか振り方とかを教えてもらう時に、イザベラ師匠が密着するのだ。背中にあたる乳房の感触とか、鼻をくすぐる匂いとか、悪くない。

そんなご褒美があるからこそ数年で、俺はそこそこ強くなったと思う。


練兵場に来てみると、なんだか雰囲気がおかしいな。


「リックじゃないか!」


「イザベラ師匠……」


「剣の修練か?いいことだ。今少し時間があるから見てやろうか」


金髪碧眼の綺麗系の顔に笑いかけられれば、いつもなら心が浮き立つが、今はメアリのことで頭がいっぱいだ。ってか、イザベラ師匠がここにいるってことは、護衛対象のメアリもいるってことか。


「ッ! あのヤロウがなんで……っ」


見たくなかった光景を見つけてしまった。


兵士が訓練する中、お構いなしにイチャつく男女。

一方はメアリで、もう一方はあの優男だった。

メアリは俺に見せたことがない媚びた表情で優男に擦り寄っている。「お兄様」って甘えた声が風にのってこっちへ届く。

なんだよ、「お兄様」って。


「イザベラ師匠、あのヤロウはメアリの兄なんですか?」


「お館様に失礼な口を聞くな。お館様はメアリ様の兄ではなく、婚約者だ」


「なっ!?婚約者!?」


「リックがメアリ様を憎からず思っているのは知っているが……まあ、そういうことだ。来月には教会で式を挙げることも決まっている」


「メアリに婚約者がいるなんて俺、聞いてませんよ!一体、どうなってるんです!?」


「婚約自体はメアリ様が幼少期の頃からだ。メアリ様は知っての通り、ご両親を早くに亡くされた。セントラル王国は男系継承。つまり、アルノルド男爵家を継ぐ者がいなくなってしまった。そこで縁戚の宮廷貴族であるアルノルド伯爵家、その三男のお館様に白羽の矢が立った。お館様とメアリ様が婚約を結ぶことで、アルノルド男爵家はお館様を当主として迎え入れた」


「なんだよ、それ……」


「リックが知らないのも無理はない。お館様は幼少期はこの地で暮らしていたが、八年前、お前と入れ違うようにして王都の貴族学校に入学されたからな。婚約の話もお館様のお考えがあって、メアリ様もご自分から吹聴することはなさらなかった」


つまり、あれだろ?政略結婚ってことだろ?

ああ、そうか、そういうことか。

メアリの媚びた態度も甘えた声も、実家が伯爵家っていうマウントを取るあの優男のせいなんだろ?

そんな娼婦の真似事をする必要はないんだ、メアリ。

軟派ヤロウよりも俺の方が頼れる男ってことを証明してやるっ!

俺の鍛え上げた剣技でなッ――



「クソ、クソ、クソ、クソ……」


走っていた俺は力なく歩き始める。

優男との勝負に負け、練兵場をみっともなく逃げ出した。

あんな強いなんて反則だろうが。


メアリが婚約、結婚……

俺の女が奪われてしまったと自覚して頭の中がぐちゃぐちゃになる。

負の感情が溢れ出し、いっそあの優男がいなければ、なんて極端な考えが浮かんできてしまう。


俺は頭を振った。

こんな時は何も考えず、遊んだ方がスッキリするかもしれない。

ここからだと――ネルの家が近いな。


通りの向こう、赤色の風船が浮かんでいる。

パン屋「赤い風船」のシンボルマークだ。


「赤い風船」は人気店だ。それも当然だ。うちのレイヴン商会が上質な小麦を卸してやっているからな。だから、パンが売り切れ次第、店を閉めるのでネルも俺と遊ぶ時間くらいあるはず。まだ夕方には少し早い時間だから待たなければならないかもしれないが。


と思っていたら、ちょうどネルが店前に突っ立っている。

近づき店の入口に「Close」のプレートがかかっているのを確認する。


「もう終わったのか。今日は早いな。なあ、遊びに行こうぜ」


「……行かない」


「はぁ?俺がせっかく誘ってんだから、来いよ」


「行かないって言ってるでしょッ!!!!」


それは絶叫だった。通行人がギョッとする程の。

その時になってネルの様子がおかしいことに気づく。

まず顔色が幽鬼のように青白い。こっちを睨みつける赤い瞳は拒絶するようにも、どこか縋りつくようにも見えるが――


+++選択肢+++

▷訳を聞く

▶︎立ち去る

+++++++++


ハァ……。俺が色々悩んでいる時に機嫌が悪い女の相手をするのは面倒だ。明日もおんなじ調子なら、まあ、相談にのってやらないこともない。


「邪魔したな」


「……そ、バイバイ」


結局、俺はどこにも行かず、レイヴン商会に帰ってきた。


店の軒先に荷車が出ている。

エルマが商品を背伸びしながら積んでいる。

前を通りかかると、くりっとした目がこっちを向く。


「あ、若様、丁度いいところに」


「なんだ」


「これから配達に行くっすけど、初めて見る住所があって、ほら、うちってこの街の土地勘に疎いじゃないっすか。だから、ついて来てほしーな、って」


確かにエルマは数ヶ月前にアルノルド男爵領に来た新人店員だ。

普段の働き的にまったくそんな感じはしないが。


俺は荷車をチラリと見やる。まあまあの量があるな――


+++選択肢+++

▷手伝う

▶︎ふて寝する

+++++++++


今日はショックな出来事があったんだ。

遊びでなく仕事の誘いとか……

誰かもっと俺を労ってくれないか?


「悪いな、用があるんだ」


「えー、若様が店番してもしなくても、変わらないじゃないっすかー」


「違う。ふて寝する」


「堂々、サボり宣言、だと――ッ」


愕然とした様子のエルマの脇を通り抜けて、俺は店の中に入っていった。


Side Out


――――――――


長くなりそうなので分割します。


リック君はすでにメアリルートは消滅しているので、エストと勝負しようが、勝とうが負けようが、どんな選択をしても未来は変わりません。


剣術レベル

イザベラ>エスト>>>一般兵士>リック>>チンピラ


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