第3話 狭霧の目覚め

「困るよ、お客さん…」

 早朝のツアー客の前で、ガイドは露骨に嫌な顔をして一人の女性を睨んだ。

「あのね、この鍾乳洞のチケットはネット予約でしか買えないの。当日券はないんだよ。そこを無理矢理通してくれとか、非常識にも程があるよ」

 ここはこの辺りでも珍しく観光が出来る鍾乳洞がある事が有名で、これから暑くなる時期には冒険心と共に涼を求める人々で予約がいっぱいになる。

 その大勢の観光客の先頭にいる小柄な女性に向かって、当日のガイドを務める年配の男性がまくし立てていた。


「お客さん、チケットも持ってないし…第一そんな格好で鍾乳洞に入れると思ってるの?中は意外と寒いし滑るんだよ?長袖長ズボンにスニーカーとかが常識でしょ。ライト付きのヘルメットも被って安全ベルトも付けて貰わないと入れさせる訳に行かないんだよ。何その格好。何しに来たの。帰った帰った」

 ツバの大きな帽子を被り、薄手のカーディガンと白いワンピースにパンプスを履いたその女性に向けて、ガイドは追い払う様に手を横に振った。

 二人の様子に、待たされている他の客も良い顔をしていなかった。


「ではどうしてもここからは入らせて貰えないのですね?この時間に来たのは間違いでした。すみません」

 女性は深々と頭を下げた。

「わかりゃ良いんだよ。ちゃんと予約して出直して来な」

 ガイドは胸を張り直して言った。が、

「へ?」

 たった今まで目の前にいた女性が居ない。どこへ行ったのだろう。周りは観光客だらけで引き返す隙間などなかったのに…彼がそう思った瞬間、

「きゃあ!」

と別の場所から悲鳴が聞こえた。

「今、足元を何かが通って!…へ、蛇?」

「え、ヤダ怖い」

「俺も見た。白いヤツ!」

 その場にいる者達がガヤガヤと騒ぐ。

 ガイドは呆気に取られて客達を眺めるばかりだった。


 鍾乳洞の奥の一角に『開扉』の文字を浮かび上がらせ、女性がまた狭霧の元へとやって来た。


 彼女は霊廟の中に横たわっている彼に近付くと、胸の上に掌をかざし『精魂せいこん』の文字を浮かび上がらせた。

 そして手にしていた包みから色とりどりの真珠のような物を取り出し、その文字の上からはらはらと落とした。真珠は文字と共に狭霧の身体に吸い込まれる様に入って行く。

 数十粒の真珠が全て消えた後、彼の身体に生気が戻って来た。


 やがて閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。


 彼は天井を見つめたまま、自分の身に何が起こったのかを確認していた様だった。

 暫くの後、首を動かして近くに女性が佇んでいるのを見付けると半身を起こし、困った様な笑顔を向けた。

「…おはよう、水姫みずき

 そう呼ばれた途端に女性の強張った顔がパッと明るくなった。彼女は屈んで彼の肩に手を置き、顔を覗き込む様にしてこう返した。

「おはよう狭霧。良かった…」

 

 彼は戸惑った様子で言う。

「…俺、まだ生きてるんだな」

「…うん」

 心なしか水姫の瞳に涙が光る。

「そう…か…」

 まだ不思議そうな表情をしている狭霧に向かい、彼女は遠慮がちに言った。

「次の『精魂せいこん』が最後の機会なの。失敗するともう…」

「分かった。耐えてみるよ」

 緊張した面持ちになった彼の顔を見つめ、水姫はふと視線を落とした。

「…本当に長い間ごめんなさい。貴方を傀儡くぐつにしてしまって…」

「そんな事はない、俺だって望んだ事だ。出来れば俺も水姫と共にありたいから」

 狭霧は驚いた顔で返す。


 彼女は頬を染めた。

「ありがとう…」

 狭霧はまた柔らかな笑顔に戻った。そして思い出した様に

「そうだ、これ…」

と言い、目覚める前から握り締めていた右手を開いた。その掌には小さな真珠のカケラがあった。

「多分、これのせいで俺は前回の精魂に失敗したんだと思う。それはともかくとして、これ、本人はどうなっているんだろう…?」

 水姫は繁々とそれを眺める。二人で困惑していると、その真珠は急にスイっと彼の掌に吸い込まれてしまった。

「わ!」

「あ!」

 二人は同時に声を上げた。


「か、身体が戻ったからまた中に…」

「え?大丈夫?」

 お互いに顔を見合わせて一瞬沈黙した。狭霧が自分の身体のあちこちを眺め回してみて言う。

「大丈夫…みたいだ…」

「そう…良かった」

 水姫がほっとして言った。

「精魂の儀が始まったら、取り出せると思う」

「そうだね…頼むよ」

 狭霧は苦笑いをして彼女を見た。

「えっと…外に出ても良いかな」

「うん。行こう」


 彼は差し出された彼女の手を支えにして立ち上がった。

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