第2話 面接を受ける主婦
ゴールデンウィークにもうすぐ入る時期だった。
春に一斉に咲いた花々はとうに散り、新緑の絨毯が我が先にと山々に敷き直しにかかっている様だ。
日本中の何処にでもいるであろう主婦、
主に育児に専念していたのだが、夫は仕事でほぼ家に居ないので子供の面倒や学校行事の手伝い、家庭や地域の用事等で忙しく、途切れ途切れにアルバイトやパートをこなして暮らしている。
今日は久しぶりにややまともな服を着て家を出た。踵の高い靴だって普段は履かない。いつも動き易い格好をしてファミリータイプの自転車を走らせ、近所のスーパーに買い物に行くばかりの生活だ。それが今日はこんなにお洒落をして出かけるなんて。私だってまだまだいろんな仕事が出来るかも——彼女は緊張しながらもワクワクしながら道を急いだ。
よく晴れた気持ちの良い朝だった。これは幸先が良いのではないか。地下鉄の駅の前で信号を待ちながら、亜由美は弾んだ気持ちを抑え切れなかった。
やがて信号が青に変わったので、彼女は足を踏み出そうとした。
その時、首元をグッと後ろに引かれた様な感覚がした。
「え?何?」
次の瞬間、物凄い勢いで目の前を左折して来た車があった。
「うわ!」
既の所で
「もう…危ないなあ。轢かれたらどうしてくれるの。」
亜由美は不満気に信号の方に向き直った。それにしても今の首根っこを掴まれる感覚は何だったんだろう。もしかしてご先祖様が私の危機を察知して護ってくれたのかな?…彼女はそんな呑気な事を考えながら、元気良く背筋を伸ばし、颯爽と歩き出して駅へと向かった。
地下鉄を乗り継ぎ、時間通りに面接が行われる小さな医院に着いた。こちらの受付アルバイトの面接を受ける予定だった。
昼間の外来受付時間外に行ったので院内に患者はいない。カウンター越しにいる事務の人に取り次いで貰うと、忙しいのか事務的な返事をしてろくにこちらも見ず、奥の診察室で待っている様に言われたので勝手に入って待っていた。
暫くすると、医院長が入室して来た。
「どうも、院長の鈴木で…」
「初めまして。篠塚亜由美と申します。本日は面接に呼んでくださり、有難うございます」
亜由美はそう言ってお辞儀をした。
だが、院長の次の台詞が聞こえない。おかしいな、と思って彼女は顔を上げた。
トサンっと彼は手にしていたファイルを落とした。そこには亜由美の顔写真が貼られた履歴書が挟んである。
「貴女、篠塚さん?え?それ…その…脚!どうなってるの?何、病院に行った方が、あ、うちも病院、いや、外科?心療科?心霊科!ちょっと、誰か!誰か来て!!助けて!!」
鈴木と名乗った彼は完全にパニックになっていた。
脚?亜由美は不思議に思い、ロング丈のマーメイドスカートを履いた自分の足元を見た。
「脚がない⁈う、うわぁ!」
彼女は驚いて声を上げた。
亜由美の両膝から下がない。だがしっかりと浮いた状態を保っているのだ。全く気が付かなかった。
よく考えたら鞄もスマホも持っていない。どうやって改札をすり抜けたのだろうか。いや、ここまでの道のりの事も正直曖昧で憶えていない。緊張をほぐす為に一旦駅のトイレに行っておく、なんて事も今日に限ってしなかったから自分の姿も確認出来ていなかった。
何だ私は。何がどうなっているんだろう。
どうしよう…どうしよう?
ーその日の夕方、病院で亜由美は衝撃的な話を聞く事になった。
「脳波が検出されません」
「…と、言いますと?」
「篠塚亜由美さんのお身体は死亡している事になります…が…。普通に呼吸も出来ていて…ただ目が覚めないと言うか…」
亜由美の身体は交差点で倒れた後に近所の病院に搬送されていた。その診察室での事である。
夫と共に目の前に座っている亜由美に対し、医師は困惑した様子で言葉を続けた。
「前例がないのでこちらも何とも判断しかねているんですよ。貴女何なのですか?幽霊ですか」
「そりゃ意識はここにあるから脳波は出ないんでしょうね。でも幽霊とかではないと思っています」
亜由美は自分の見当たらない足先を見つめて言った。ふざけている訳ではない。事実を伝えただけのつもりだった。
「ただお腹は空かないしトイレも行きたくないんですけど」
「貴女が本当に篠塚亜由美さんの幽…いや、意識体だとすると、そりゃ本体に点滴してますし導尿もしてますからそういう事になります」
「妻の身には一体何が起こったのでしょうか?」
「分かりません」
「…ですよね」
夫の
「一応、今後の事をお話ししたいのですが」
「はい…」
夫婦は緊張しながら返事をした。
「原因不明でこのまま亜由美さんの昏睡状態が続いたとしたら、命にも関わって来ます。当院でもどうなるのか保証出来ませんし…」
『このままだと死ぬ?私が?』
亜由美は考えてもみなかった事にショックを受けて固まった。
死んでしまうなんて今ひとつ実感が湧かない。まだ三十代後半で死ぬなんて。
どうしよう…七海。
まだお母さん、貴女を置いて逝けないなぁ…。
「ねえ、俺。俺の事は?」
何かを察した様に隣で夫が言っていたが、少しムッとしたのでそこは聞こえないふりをした。
病室に戻ると、制服姿の娘の七海がベッドに横たわる亜由美の側に立っていた。泣いていたのだろう、目を真っ赤に腫らしている。
「七海…」
声を掛けると振り向いてじっと見つめて来た。
「お父さんお母さん…先生のお話終わった?」
「うん」
亜由美は七海に近寄り、そっと髪を撫でた。自分では撫でている感覚があるのに、触れられている方には質量が何も伝わらないのか、七海の大きな瞳からまた涙が零れ落ちた。
「…ごめんなさい…」
「え?」
七海が謝ったので亜由美は驚いた。
「何言ってるの?七海は何も悪くないよ?むしろこんな風になっちゃったお母さんの方がごめんなさいなんだけど…」
「でも…でもっ…」
七海はそれ以上の事は言えずにシクシクと泣き出してしまった。道貴と亜由美は困ってしまい、顔を見合わせた。
その日はもう、病院で出来る事は無かったので取り敢えず七海を
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