白蛇神は人間に恋をした

風崎時亜

第1話 鍾乳洞での彼

 兄と姉の罪を共に被るには、彼女は幼過ぎた。

 それでも同じ生まれの為、受け入れざるを得なかった。

 彼女は自分の時を止められ、小さなほこらで千年の時間を過ごす。

 やっと赦されて外に出られた時の喜びは例えようもなく、目に映る物全てが輝いて見えた。


 だからどうしても『祭』という物が見たかった。

 しかし彼女は、祠の外がどんなに恐ろしい物なのかも知らなかった。

 村の広場の近くまで行き、木の影からそっと見ていた時、祭の準備をしている人々が突然現れた乱暴な猪に驚いて逃げ惑うまでは。

 猪は組み掛けのやぐらにぶつかって薙ぎ倒し、何人かを突き倒した後、こちらに気付いてしまった。必死に逃げる彼女を執拗に追い掛けて、その牙で噛み付く事を試み、その蹄で傷付けようとした…。


「ねえ、狭霧さぎり…私は今でもあの日の事を、昨日の事の様に憶えているのよ…?」

 女性の白い肌に生える薄紅色の唇から、ゆっくりと言葉が呟かれた。


 ピチョン…と水の滴る音がする。

 長い年月を掛けて地下水が侵食したその壁には、柱に変化した石灰岩の影がぼんやりと浮かび上がっている。


 薄っすらと灯りが灯る鍾乳洞の奥に、その女性は座り込んでいた。長く柔らかな銀色にも見える白い髪を豊かに讃え、身には白い衣と薄い羽衣を纏っている。

 目の前に、四メートル四方ほどの部屋の形をした霊廟れいびょうがある。そこに備え付けられた観音扉には、細かな彫刻が施されており、左右には人が立つのか台が備わっている。

 女性は立ち上がり、霊廟に近付き扉を開けた。

 中には壇があり、一人の男性が横たわっていた。

 恐らく狭霧というのはその人物の名前であろう。まだ若いが顔にはまるで生気がなく、瞼は堅く閉じられていた。その冷たい姿は、ともすれば石から切り出された彫刻の様にも見えた。


 女性は彼の側まで行き、その頬をそっと撫でた。

「もう、何も見えないの?聞こえないの?私とは違う世界に行ってしまったの…?」

 女性は話し掛けたが、狭霧からは何の反応も無かった。

 彼女は霊廟の天井を仰ぎ、問い掛けた。

「何処ですか?彼は何処にいるんですか?そちらには行き先が出ていますよね?」

 …暫く待ったが返事はない。彼女は項垂うなだれる様にしてまた彼を見つめた。


 その時、狭霧の身体が微かにボウっと光った。彼女はハッとして身をよじる。

 程なく彼の身体から薄い金色の文面がゆらゆらと昇り、消えていった。

「再試行…最終試練?!」

 彼女は文字を読み取った。驚いた表情がみるみる希望に満ちた顔に変わり、嬉しそうにもう一度天井を仰ぎ、また視線を彼に落とした。


 狭霧からはもう何も浮かび上がらず、光も消えて冷たい身体に戻っている。

 女性は先程彼に触れた自分の指先を見つめると、ギュッと握り締めてこう言った。

「…待ってて」


 そうして踵を返すと、霊廟から出て扉を閉め、ある壁面に向かって歩いて行った。

 壁に触れると『開扉』という文字が浮き上がり、岩の扉が二つに割れた。

 女性が吸い込まれる様に外へと出て行った後、巨大な岩は音も無く閉まった。


 鍾乳洞の中はまた水滴が滴り落ちるばかりの空間に戻り、狭霧の身体は誰の目にも触れる事はなかった。



 

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