9 来歴
東宮の寂しい自室で、皇太子はめそめそと泣いていた。曹騰はその背中を優しくさすってあげた。
あの後、一度戻って来た野王君だが、娘に耳打ちされると血相を変えて第から飛び出して行った。第自体も騒然としていた為、曹騰は第の外へ出、そこに待機してた東宮の宦官に繋ぎを取り、何が起こったのかを聞いたのだ。
(王男と邴吉が捕まり、衛所へ連れて行かれた)
皇帝の阿母と皇太子の阿母が対立したのであれば、ここ野王君の第は完全に敵地である。
曹騰は劉保の手を引くと、第を脱出した。野王君が不在であった為、阻止するものもおらず、それ自体は容易だった。
東宮諸官は手を尽くして二人の赦免を働きかけたが、夕方二人は遺体となって衛所から帰って来た。
それ以来、東宮は泣いて暮らしている。
「
曹騰には慰める言葉もなく、寄り添うことしかできなかった。
その頃、野王君の第に一人の訪問者があった。中常侍の樊豐である。
樊豐は建築が趣味で、洛陽の各所にさまざまな邸宅を建てていた。特に観や楼の建設には一家言あり、王聖の野王君第建設時には助言と、偽詔による資材確保などで協力し、たびたび野王君第に出入りする様になっていた。
だが、この日の王聖は不機嫌だった。
「あなたが皇后との仲を取り持つ、なんて言わなかったらこんな事にならなかったのに……」
樊豐の仲介で閻皇后が突然押しかけて来たこと、東宮の連中がそれに過剰反応したこと、あの二人が早々に獄死したこと、全て長秋宮が自分と皇太子の仲を裂く為の企みだったと、王聖は判断していた。
王聖は建築を通して樊豐に親しみと恩義を感じていただけに裏切られた気持ちになっていた。
「いえいえ、実際野王君様と皇后陛下は仲良くおなりになったではないですか」
「殺されに来たの?」
王聖がすごむのも気にせず、樊豐はにこにこと笑って言った。
「長秋宮と野王君が、今こそ心を一つにする時ですのに、そんな野蛮なことは致されますまい」
樊豐は真顔になり、眉を上下させ言った。
「これで貴女も皇后陛下と同じお立場ですな」
王聖はがっくりとうなだれた。
「皇太子殿下は貴女を阿母の仇と見ておりましょう。あの子に即位されたら貴女はおしまいです」
「で、どうさせたいわけ……?」
翌日、野王君から皇帝に、王男と邴吉に対する皇太子の責任を問う弾劾が提出された。
尚書の陳忠は職責上、上表の取捨ができるが、この弾劾を握りつぶしても中常侍から伝わるだろうから無意味と判断し劉祜にこれを読み聞かせた。
「王男と邴吉の二名は呪詛でもって野王君を陥れようとしました。この二人は東宮の属官であり、東宮の指図でこれを行なったのは明らかです」
馬鹿げている。陳忠はそう思い、皇帝の反応を窺った。
「公卿共を呼べ!皇太子の廃嫡を協議する!」
皇帝劉祜の口から出た反応は、陳忠の予想に反し、激烈だった。
(陛下は正気か?一人しか居られない男子だぞ?)
陳忠には皇帝が理解できなかった。
会議では劉祜の義叔父である大将軍耿寶を中心に多くがこの廃嫡に賛成した。
(阿母に味方する側が殆どとは……)
陳忠は絶望した。
わずかに三人。太僕の
「十五才までは過誤をその身に受けず、と言います。男、吉の策謀を皇太子が知っていた筈はありません。忠良の人を選んで傅をさせ、礼儀を学ばせればよろしいではありませんか」
だが皇帝はこれを受け入れなかった。
その日、劉保は皇太子から濟陰王に格下げされる事が決まった。
小黄門の籍建や太子中傅
***
「諦めるわけには行かぬ」
帰宅後、来歴は決意した。
来歴は名家の出である。曽祖父は光武帝に仕えた来歙、母は明帝の娘である武安公主である。来歴自身、自分は王族に準じた存在だと自負していた。むろん自身が皇帝になれたりはしないが、一族内の揉め事として自分がなんとかしなければ、と彼は思っていた。
(乳母の機嫌を取るために古法を枉げるだと?常軌を逸している)
「明日、鴻都門で皇太子の無実を訴える。来てくれような?」
来歴は現状に不満を持つ士太夫に一人一人声を掛け、招集した。
翌日洛陽王宮の鴻都門外に集まったのは錚々たる面子だった。
光禄勲の
「「太子に罪はない!」」
法に明るい龔調が叫んだ。
「男、吉の罪に皇太子が連座するのは不当である!」
もちろん、皇太子に対する不当な扱いを抗議するだけが目的ではない。これは皇帝の側に居る奸臣達が枉げた法を、皇帝自身に正させることこそが目的なのだ。
「帝がこの批判を受け入れれてくれれば我々の勝ち。受け入れられなければ奸臣どもの勝ち。だが勝算はある」
来歴は周囲にそう語った。
封殺されにくい洛陽庶民の目の届く場所で抗議行動を行なう。
皇太子の不当な連座による廃嫡を撤回させる。
皇太子の連座が不法なのは明らかだし、そもそも実子に皇位を継がせたい、というのは当然の情の筈。
奸臣共にひと泡噴かせ、士太夫は健在であるぞと天下に叫びたかった。
もの珍しそうに見守る庶民や士太夫達に囲まれながら彼らは抗議の声を上げ続けた。
無論広い洛陽でこの声が直接皇帝の元に届く筈はない。
だが、こんな事をすれば必ず誰かが忠義面で注進する筈。
これだけの高官が反対していることが伝われば、反応せざるを
得ないだろう。来歴はそう計算していた。
しばらくして、その反応が門の中からやって来た。
中常侍の樊豐が恭しく一尺一寸の竹簡を捧げ、彼らの前に現れたのだ。
(尺一だと?)
一尺一寸の竹を繋いだ竹簡は詔専用である。その為、詔は尺一とも呼ばれる。
この抗議行動が騒動に発展し、自分達の正義が人口に膾炙することを来歴は期待していた。だがその騒動は君側の奸共が忖度して行なうものだろうと考えていた。だが、詔では帝との直接対決になってしまう。
樊豐はまじめくさった顔で来歴らに告げた。
「陛下の御言葉です」
そう言われては抗議を続けることはできない。直立不動の彼らに、詔を読み上げる声が襲って来る。
「父と子はもともと一身にして同体である。だがそれでもこのような処分をせざるをえないのは天下の為。そなたらが君臣の礼を無視しこの決定に従わないのは、外見では忠良を装っているが、内心は後福を希むものであろう。もしこれ以上世迷い事を言うなら、刑も覚悟せよ」
後福とは、文字通り後の福。つまり「自分が死んだ後、息子に恩に着せたくてこんな事をしているのだろう?」という揶揄であった。
一同は顔色を喪った。
義憤による行動だと彼らは自任していた。国のためだと思っていた。しかしごま摺りだとあてこすられた。国の最高権力者がそう認定した。
来歴は自分の顔にべたりと泥が塗り付けられたと感じた。
(これでは世間は我々を阿諛の徒と見るではないか…)
最初に折れたのは薛皓だった。
前へ飛び出すと大地に伏せ、叩頭して叫んだ。
「臣が間違っておりました!詔に従います!」
これを切っ掛けに一同は次々に謝罪し鴻都門を去って行った。そして鴻都門に立っているのは来歴だけとなった。
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