10 南巡(延光四年/125)
劉保は皇太子から任地に赴かない諸侯王として濟陰王に落された。皇太子から諸侯王への格下げで、劉保の待遇も大きく変化した。
皇太子へ行われていた教育は無くなった。世話をする宦官達も減らされた。曹騰が皇太子のそばに残れたのは、そもそも員数外に近く、他の場所で使い途がなかったからである。
住居も南宮にある東宮から、北宮の徳陽殿の西鍾下、という場所に移された。
洛陽の都には、北宮と南宮の南北の宮があり、その南北は復道という渡り廊下でつながっている。
徳陽殿は北宮でもっとも大きな建物ではあるが、濟陰王の居住するのはその西の端にある鐘突堂の小さな一角に過ぎない。
「──、──、──────!」
劉保の嘆きは、溢れる涙で言葉に綴れなかった。
母はものごころ付く前に殺された。阿母の一人は自分の我儘のせいで殺された。そして父からも捨てられた。
劉保にはもう頼れるものが無い。十歳の少年の心は粉々になった。
「大丈夫でございます。私供が居ります」
曹騰はずっと隣に居て劉保を慰めた。曹騰だけではない。他の宦官も。
劉保と、そして曹騰の灰色の日々が始まった。
皇太子から廃された事で劉保ははじめて閻皇后の敵ではなくなった。
だが閻皇后が気まぐれに劉保を殺す可能性は残っていた。
死を賜わる、という形で十歳の少年に自殺を強要することはないかもしれないが、病死として処理される毒殺、という事もありえた。
ピリピリとした空気の中、交替で劉保に出される食事を毒味するお付きの宦官達。もちろん曹騰もその中に加わっていた。
孤独になった劉保と、それを守らんとする宦官達は、結束を強めていった。
劉保には乳母と宦官しか味方が居なかったし、残った宦官達はいまさら劉保以外の選択肢はなかった。
宦官達は劉保の心を拾い集め続けた。
***
年が代わり、翌延光四年の三月一日。大地は暗くなり、昇り行く太陽は炎の輪となった。金環皆既日食である。
洛陽の民は「皇太子へのなさり様を天が怒ったのだ」と噂した。だが皇帝にその言葉は届かなかった。皇帝劉祜と閻皇后はそろって洛陽を離れていたからである。
章陵への南巡。章陵は荊州南陽郡にあって光武帝ゆかりの地であり、歴代の皇帝が皇后を連れ訪れる場所であった。
「のどかですこと」
閻皇后は天空の異変を気にも留めなかった。日食が周期性を持つ天文現象であって天の怒りではない、と彼女も知っていた。よしんば天の怒りだとしてもそれを認めるわけにはいかないではないか。無視する他にない。
洛陽を出た車の列は長大で、蝿のとまる速度でしか進まない。閻皇后がいうのどかさは、この速度のことだろう、車の横を歩く江京は、そう心得えて回答した。
「より長く陛下を独占できましょう」
この旅に、後宮から従って来た女性は閻皇后だけである。皇后になって九年。閻姫はこの旅の間に子を為したいと熱望していた。
自分が皇后になってからは皇帝の愛情は独占していたつもりだ。
皇帝の格式もある為、後宮から全ての貴人を放逐することはできなかったが、稀に皇帝が他の貴人に手をつける気まぐれをおこした時もきちんと対策はしてきた。
皇帝の交媾を準備する宦官達を閻皇后が掌握している以上、いつ誰が抱かれたかは筒抜けである。
皇帝の気まぐれでそういった事態があっても次が無いように、もし孕んでも産ませないように、閻皇后はそう立ち回って来た。
後は自分が子を産むだけのことなのだ。旅先で空気が、水が、変わることでそれが果たされれば、というのが閻姫の切なる願いであった。
「でもあのご様子では……」
皇帝劉祜は腹痛を訴え、臥車、という横たわりながら乗れる車に移乗していた。閻姫にとっては残念でしかない。
「こんなことなら今すぐ洛陽へ戻って太醫寮で見てもらいたいわ」
「それは……」
江京は言い淀んだ。
儒の教えは個人の病より先祖の慰霊が優先される。
親の喪に服している間は薬を飲むことも禁忌となる程だ。
皇帝たるものが、偉大な光武帝を詣でようというのに、病気で中止にしよう、とはとても言えなかった。
光武帝の故郷である新野を過ぎ、南陽郡の治所、宛城を宿所にした一行はさらに南下し、章陵へたどり着いた。
だが皇帝の腹痛はますます酷くなっていた。皇帝の車駕から樊豐が駆けて来る。
「陛下は、とても、とても」
儀式ができる体調ではない、ということだ。
高熱まで発しうめき苦しんでいる。
病が伝染る可能性もある。宦官しか近づけない為、閻姫は直接病状を見ることができず、もどかしい思いだった。
「……どうすればいいかしら?」
「代行をお願いしましょう」
江京が提案した。
劉祜の義叔父である大将軍耿寶に光武帝を祀る儀式を行うよう命じ、章陵での祭祀を行わせた。この際、長沙郡と零陵郡の太守に、長沙定王劉発、舂陵節侯劉買、鬱林府君劉外を祀るよう命じた。いずれも光武帝の先祖にあたる。
翌日車駕が宛城に戻った時、皇帝は体力を使い果たし人事不省に陥っていた。
もはや苦しみの呻き声を上げる力もなくなっていた。二日間、安静にしたが容態は回復しない。
「洛陽へ帰りましょ。太醫寮で診てもらえばきっと良くなるわ」
皇帝の体に障らぬよう、静かに、しかし急いで車は帰路を急いだ。
宛を離れ、車は北上する。昆陽から葉県に入り、もうすぐ荊州を離れるというところで、皇帝の車が止まった。長い隊列が脈動しながらゆっくりと止まる。
劉祜の臥車に同乗する中常侍樊豐が臥車から飛び出し、閻皇后の車に駆け寄る。閻皇后の車には江京が待っていて樊豐を引きずり込む。
「陛下が」
江京が樊豐の口を押える。閻皇后も江京も、この停止で既に状況を悟っていた。皇后の車の狭い密室で、三人が声をひそめ、頭を寄せて話をする。
「喪を発されますか?」
樊豐が言った。江京の声は冷たかった。
「少しは考えろ」
閻皇后が続けた。
「妾達は旅の空にいて、濟陰王は洛陽に残っているわ。そんな事あっちの公卿共に知らせたら、着いた時どんなことになってるか…わかるでしょ?」
樊豐は恐れ縮こまった。
「喪は洛陽で手筈が全部済んでからよ。まずは急いで戻りましょう」
皇帝は死んでいない──ただ、急病の為洛陽に急ぎ戻る必要がある。そういう事とした。
長大な車列から、皇帝と皇后と、とりまきの数台が離れ、先を急いだ。残った車列はゆるゆると洛陽に戻る事が厳命された。
一行は洛陽への道を急ぎに急いだ。
もう皇帝の死を悟った者がいるかもしれない。
それを洛陽の誰かに伝えようとしているかもしれない。
その情報より先に洛陽へ帰りつかねばならない。
その日の夜、休息をとる一行の臥車にうやうやしく食事を捧げ持ち樊豐が入っていった。
皇帝は生きているのだから食事を摂らねばならない。
皇帝の死体の横で、皇帝の為の食事を、皇帝の代わりに樊豐は食べた。
味は全くしない事に気付き、樊豐は人知れず泣いた。声はあげなかった。樊豐には歴史の教養はなかったので自分が趙高の立場になった事は識らずに済んだ。
翌朝、江京がご機嫌伺いに皇帝の臥車へやって来た。
「大丈夫でございます。洛陽へ着けばきっとよくお治りになりますとも」
大きな声が外まで響いて来た。皇帝との会話が洩れてきている。樊豐は臥車の横を歩きなががら、そこまではできぬ、と思った。
行きのもたもたとした行程が嘘の様に、四日、という驚異的な速度で閻皇后と一行は夕闇迫る洛陽まで戻って来た。
吉日を占いもせず、方違えもせず、まっすぐに洛陽の馳道を駆け抜け、南宮に入る。
閻姫はそのまま徹夜で手筈を整えた。
翌朝、司徒の劉熹が郊外の宗廟へ詣でに行った。劉熹はそこで五獄(泰山、華山、衡山、常山、嵩山)と四涜(黄河、長江、淮水、済水)、そして他の神々、に病気の皇帝の延命を願う儀式を行った。無論、これは劉祜が存命で洛陽に帰って来た、ということを印象づける為の欺瞞である。劉熹の帰りを待ち、その日の夕方、皇帝の崩御が告げられ、喪が発せられた。
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