3 学友(元初七年/120)
「日蝕に関しては、いつ、どこで、どのような蝕であったかが重要でして、各郡にはそれを報告させております」
暦と天文を担当する太史寮で、太史令自らが講義を行っている。
「集まった報告を記録し、次にいつ、どこで日蝕が見えるかを予想するのがここ太史寮の務めの一つでございます」
皇子
陪席しているのは曹騰一人。他の宦官たちは太史寮の外で待たされている。曹騰は他の宦官達と違い劉保の「学友」と指定されている為、同席を許されている。
曹騰は必死で笏に要点を記入する。後日劉保が判らなかった部分を整理して補習を行なえるようにするためである。
「時に天文官は、曇りや雨で日蝕を観測できなくとも、日蝕があったと記録します。これは後世の天文官に対し、手掛かりを残すためでして……」
劉保の目線を追った曹騰は、劉保の興味が太史令の背後に置かれている巨大な金属の玉に注がれていることに気付いた。
これは
曹騰も、その鉄球をしばらく眺めてみたが全く動いているようには見えなかった。諦めて目線を主人に戻すと、劉保が居眠りをはじめていた。所詮は六歳の子どもなのである。そこでその日の講義は終了となった。
宦官たちは眠る劉保を輿に乗せ、洛陽南宮を歩く。主君を起こさぬよう、彼らの足取りは静かで緩やかだった。
南宮の広大な敷地には巨大な建造物が点在していた。彼らが向かう先は、その中でも巨大なものの一つ。皇太后の座す長樂宮である。
「寝所へ運びなさい」
皇太后
彼女は王莽の簒奪から漢を救った光武帝の名臣、雲台二十八将筆頭鄧禹の孫であり、また光武帝の皇后であった、かの陰麗華の遠縁でもある。
鄧綏は六歳にして史書を読み、十二歳にして詩経や論語に通じていた才女であり、長身にして美貌であり、和帝の寵愛を得て皇后となった。
だが、彼女は才には恵まれていたが、子には恵まれなかった。しかも和帝の他の御子は夭折され、長子であった劉勝も病気がちだった。
和帝が崩御された時、鄧綏は病弱な劉勝を廃嫡し平原王に落し、一歳にも満たない劉隆を皇帝の座に付けた。もちろん赤子に政治ができるわけはない。鄧綏が皇太后となって政治を行うこととなった。彼女にはそれだけの能力があったのである。
皇位に就き一年も経たずに劉隆は崩御した。鄧太后は十三歳の
ただ、鄧太后は劉祜を即位させたものの、彼に実権は渡さず、長樂宮に座したまま漢の王朝を親政し続けている。その治政は(どちらかというと)温和であり、士人も、宦官も、彼女には頭が上がらなかった。
劉保は、劉祜の唯一の皇子であるが、この鄧太后に庇護、養育されていた。
宦官たちは劉保を抱きかかえ、乳母たちに引き渡す。
「殿下。御寝所でございます。お着替えをお持ちしましたのでお起きくださいませ」
起こしたのは劉保の二人の乳母の一人、
「ん……」
劉保は起こされてむずがるが、王男はもう一人の乳母である
「太后様が本日の殿下のご様子をお聞きになりたいそうです」
皇太后付の中黄門が曹騰を呼びに来た。
「はい!只今参ります!」
曹騰は叫んで小走りに駆け出した。
鄧太后は時に後宮で自ら教鞭を取る教育者であった。劉保の教育についても並々ならぬ熱意で推し進めており、実の所年少の曹騰がこの長樂宮に「買われた」のも、同年代の学友を作ることで劉保の学問に励みを与えよう、という鄧太后の意図があったからである。
だが、それほどの出来ではない劉保の学問を言葉で飾るのに曹騰は苦労していた。
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