2 金印無字

 沛国の街道を、品の良い装飾を施された馬車がガラガラと進む。

 馬車は中央に大きな二輪があり、二頭の馬がながえを引く。禦者の席の後ろには屋根と壁のある居心地のよい客室がある、軒車という乗物である。

 禦者がのんびりと手綱を持っているが、なんどもこの道を歩かされているのか馬達は勝手に街道沿いを進んでいた

 後ろの客室の窓から、興味津津で窓に寄りかかっているのは吉利。祖父が座った横に、よそ行き姿で外を見つめている。

 その横顔を眺めながら曹騰は思う。


(服に埋もれてている様ですね……)


 吉利の父曹嵩そうすうは風采の上がらない小男である。むろん宦官である曹騰の実子の筈はなく、一族からもらった養子である。


(あの父親ですから、この子は大きくはならない…でしょうね)


 子を為せない宦官でも養子を貰い、爵位を嗣がせることができる…それは三十年前、曹騰ら宦官が順帝を輔けて勝ち取った権利であった。


 それまで宦官は子を為せないにも関わらず養子も許されず、頂戴した爵位を誰かに継がせる事も許されていなかった。たとえ栄達し蓄財してもそれは自分一代限り。子孫が社稷を祀ってくれることもない。先祖親子の関係を軸とした儒教社会では、宦官は人間とは言えない扱いだった。だからこそ、皇帝達はどんなことでも彼らに命じることができたのだが、順帝がそれを変えてくれたのである。この時、宦官ははじめて人間になったのだ。


 だが、誰もが宦官の養子になりたい、というわけではないらしい。

 沛に住む曹一族の多くが曹騰の出世の余録で豊かになっていた。豊かで自らも爵位をもらっていた一族の者たちは、子を宦官の養子に出すことをのらりくらりと言い訳し、渋った。外聞が悪い、ということらしい。結局、一族でもっとも貧しい曹嵩の父が、息子を養子に出すことに応じたのである。

 曹嵩の父も息子と同じように小男であった。つまりこの家は代々小男の家系であった。

 当世、風貌が立派であるとか、身長が高いとか、風格が感じられる、といった「外見」は、親孝行で知られているとか、学問があるとか、血筋がいいとか、誰それに褒められているといった「評判」とともに、大変に重要視されるものである。

 政治も、商売も、他人と接する場では外見と評判がよろしく無いと相手になめられる。つまりなにもかもがうまくいかないのだ。


 曹嵩の一家に遺伝する「外見」の悪さは、永年彼らを貧しくしていた。嵩の実父が、息子に与えた字は巨高。我が子に「うず高く山のように高く巨大に育て」と願う気持ちの現われであった。そしてその期待は既に裏切られていた。


(そして、この子には自分の……宦官の孫である、ということが一生のしかかるんでしょうね)


 隣できょろきょろと外を眺める少年を見ながら曹騰は思う。


(曹姓といってもうちは容城侯家のような名家ではない)


 この辺り、豫州よしゅう沛国はいこく近辺は、漢王朝はじまりの地である。

 沛に生まれた高祖劉邦りゅうほうは七尺の剣を引っ提げ、始皇帝に叛旗を翻し、項羽を倒し、中華の皇帝と成り上がった。

 その劉邦の旗上げ当時からの臣の一人、曹參そうさんも沛の出であった。

 曹參は相国を務めた後、その一族は爵封され、子孫は幽州の容城侯となって続いていた。

 だが、別に曹參だけが沛の曹姓というわけではない。沛にはいろいろな系統の曹一族が今でも住みついていた。彼らは広い意味では曹參と同族だが、直系でもなんでもない。曹騰は、沛国譙県に本籍を持つ一庶民である、曹萌そうぼうという人物の子としてこの世に生を受けた。

 曹萌はここ譙に住む曹一族の中でも、平民としてはそれなりに豊かな農家の、それなりに温厚な人物として知られていた。

 だが曹騰に父の思い出はほとんどない。少なくとも良い思い出は皆無であった。曹萌の四男として生を受けた曹騰は、まだ物心つかぬ頃に都洛陽に送られ宦官にされたのだ。

 宦官とは、男性器を手術で除去された男性である。彼らは高貴の家で必要とされた召使いであった。主人の妻や妾、そしてその子らが居る「奥」は、男の使用人が入ってはいけない空間だったからである。そんな場所でも安心して家政を任せられる宦官は、高貴の家で重宝されることとなった。

 かつて宦官は刑罰の結果として生みだされていた。死一等を減ずる代わりに宦官になる、というのがそれである。この刑罰を受けた人間は男性器を切断する手術を受け、宦官となる。これを宮刑あるいは腐刑という。史記を著した司馬遷もこの宮刑に処されていた。

 ところがこの頃、宮刑は残酷である、として廃止されていた。その為刑罰としての宦官が供給されなくなった。だが宦官には依然需要があった為、自分自身あるいは我が子を去勢し宦官にするものが現れだした。曹萌が行なったのもそれである。

 つまり曹騰は、ふつうの男性に任せられない奥向きの用をまかなう、皇帝の私臣を作る為に、父に男性としての人生を売りとばされたのである。


(温厚が聞いて呆れる…)


 曹騰は、親の都合で、自分の意志と関係なく去勢された。それにより得たものもあるが、失ったものも多く、それは取り返しが付かない。率直に言って曹騰は父曹萌を怨んでいるし、それは同じような身の上の宦官に共通する思いだった。

 儒の根幹たる親への尊敬を失った宦官たち。

 彼らが権力を握ったのが東漢という時代であった。


「お爺様、前を」


 孫の声が曹騰の思索を破った。

 道の先に人の列が見える。軒車は街道沿いに整然と歩く兵士達の隊列に追い付こうとしていた。装備から見て官兵である。

 指揮官らしき男が道の中央でこちらに向き会釈をする。丁重だが、止まれ、ということだ。曹騰は御者に指図し、軒車を止めさせた。


「…曹費亭様とお見受けします」


 指揮官にも、官兵達に殺気はない。

 曹騰には洛陽の政争で、命が縮むような経験をしたことがある。その経験から、この場の空気は自分達を捕縛しに来たものではない、と判断できた。


「いかにも曹季興です。何か御用でしょうか?」

「失礼ですが、本日はどちらまで?」

雎陽すいようへ。りょう橋公祖きょうこうそ殿へ新年の挨拶に参ります」

「ならば申し訳ありませんが建平けんぺい側を通らず、迂回していただけますでしょうか?」


 雎陽へ行くには渙水かんすいを渡った後、蘄水きすい雎水すいすいの二本の河を渡る必要があるが、蘄水に沿って西進し、建平の横を抜ければ梁国の穀熟こくじゅくにたどり着く。そこは蘄水と雎水の分岐点なので、渡るのが雎水の一回で済み、便利なのだ。

 だが、そうはしないで欲しい、とこの指揮官は言っている。

 建平と聞いた事で曹騰は理由を察していた。


「では太丘たいきゅうへ向かうことにします。…御武運を」


 曹騰は禦者に向かって、兵士達から離れ車を北に向かわせる様に指示を出した。

 官兵達はこちらの車の向きが替わり終るまで礼を続けていた。

 車が場を離れ、兵士達がゆっくりと小さくなって行く。


「お爺さま。今のは?」


 吉利の疑問に曹騰は答える。


「建平に去年から邪教が広まっています。井戸から刻印のない金印を拾った男が、その井戸を祀っているとか。誅しに行くのでしょう」

「井戸なんかがありがたいのですか?」

「無名の金印というのは天命を託された、という意味でしょう。天から、というと大逆罪ですから、天を井戸に置き換えて崇めているのでしょう。ありふれた淫祀邪教ですね」


 金印など洛陽の宦官なら誰でも持っていた。ありがたがる程のものではない。まして自分は「受命于天」を彫り込んだ堂々たる伝国の玉璽を持った事もある。それに比べればなんとも魅力に欠ける御神体だとしか思わない。


「……邪教はなぜいけないのですか?」

「邪教が無害であれば問題はありません。現に黄老道は何もせず無害なので取り締まられていませんからね。ですが、それ以外の邪教は大概、天命を得たとか勝手に言って、教祖が皇帝だとか将軍だとか自称するものです。そうなるともういけません」


 曹騰は吉利の顔を見て、理解が及んでいるか確かめてから続けた。


「天は一つしかありませんから、天命を受けた天子が二人も三人も居る事はできません。漢家の徳が衰えたと言われない様、邪教は叩く必要が有るのです。今朝の日蝕を契機に反乱が起きるかもしれないので、沛の国相が先手を打った、ということでしょうね」


 吉利はしばらく考えこんだ後で言った。


「お爺様、変です。日蝕は今朝遅くのことでした。なのに、兵がこんな所まで来ている。あまりに早すぎませんか?」


 この国の治所は費亭より更に東の相県にある。車より先に徒歩の兵士が来ているのはどうにもおかしな話である。

 祖父は孫に笑顔で応えた。


「いいところに気づきましたね…そう。払暁より前から行軍を始めていないと州治からここまで来れないでしょう」


 そこで曹騰は真顔になり、しばらく考えていたが、


「今から吉利に王朝の秘事を教えて差し上げましょう」


 吉利はびっくりして目を丸くした。祖父がそういった政治の話をするのは珍しい。しかも秘事と来た。

 祖父はあたりをきょろきょろと見回した後、優しげな皺面にいたずらっ子めいた稚気を浮かべて言った。


「……皆に内緒にできますか?」


 吉利の鼓動が高鳴る。祖父のこんな表情を見たのは初めてだった。


「天子様や三公に至らぬ点がある時、天が怒って日蝕が起きる、知っていますね?」


 天子とは洛陽に座する皇帝陛下の事で、天子は天から命を受けて、この世を統べる。三公は太尉、司徒、司空の三職で、それぞれ軍事、行政、司法の最高責任者として天子を補佐する。この四人の行いが悪いと天は天変地異を起こしてそれをとがめる。その一つが日蝕である。


「あれはね、嘘なんです」


 曹騰は声をひそませた。


「本当はね、日蝕なんて予測可能な『現象』に過ぎないのだそうです」


 きょとんと見つめる孫に、祖父は説明を続ける。


「ある時、ある場所に日蝕が起きると、それから五十四年と一月と一日後、同じその場所でまた日蝕が起きるのだといいます」


(こんな事を知っているのも順帝様のおかげです)


 幼少にして宦官にされた曹騰は、洛陽へ送られた。そして皇太子劉保りゅうほと年齢が近かった為、皇太子の学友として育てられた。皇太子劉保に施された教育。曹騰もそれに与ったのである。

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