第16話 再会
⑴
あの夜からしばらく経ったある日――、その日は年末だった。
イアンとシーヴァは、ヨーク河の氷上市で手桶を売っていた。
本当はマリオンとシーヴァで売りに行くはずだったのだが、マリオンが風邪を引いてしまい、若い娘一人だと下心ある客に絡まれないか心配で、イアンが共に行くことになったのだ。
傍目から見る分には相変わらず仲の良い父娘に見えるが、あの夜以来、二人の間にはちょっとした溝が出来てしまっている。
「シーヴァ、お前、まだそのマフラー使っているのか??」
シーヴァが巻いている濃い灰色のマフラーのことだ。
「だいぶ使い古されているから、ボロボロであんまりあったかくないだろう??俺の娘の形見だからって、気を遣っているだけなら気にするなよ……」
『別に、そんなんじゃない』
イアンの言葉を遮るように、つっけんどんにシーヴァは対応する。
最近、シーヴァは以前にも増してイアンにきつく当たってくる。イアンもそうされても仕方ない自覚があるので、努めて気にしないようにしている。
「シーヴァ、家ではどんな顔していてもいいが、今はなるべくにこやかにしていろ……」
『分かってるよ!』
シーヴァは鬱陶しそうにイアンを一喝した後、すぐに可愛らしい笑顔を道行く人々に向ける。人々は美少女の微笑みにつられ、次から次へと手桶を買いにやって来た。
『使えるものは使わなきゃ』と、自らの美しさを上手く利用する術は娼館で働いていた時に学んだもの。
そんな彼女が自分に対しては小賢しい駆け引きを一切せずに真っ直ぐぶつかってきたのだ。きっと相当な覚悟を決めていたに違いない。
それでも、イアンはシーヴァの気持ちに応えることに抵抗を感じていた。
年若い彼女には自分なんかよりも、もっとふさわしい相手が必ずいるはずだと。
「あら??シーヴァじゃない??久しぶりね」
そう言って、シーヴァに声を掛けてきた女性の姿を見たイアンとシーヴァは共に驚く。
箒のようにパサつき、痛み切ったプラチナブロンドの髪に、大きな琥珀色の瞳の下瞼には青い隈が目立つ。かつての美貌はすっかり成りを潜め不健康な印象に変わってしまったが、小柄なその女性は紛れもなくミランダだった。
「おいおい、ミラ。ちょっと待ってくれよーー」
左足を引きずりながら、後を追ってきた男性に向かってミランダは、「ごめんごめん、リカルドはゆっくりでいいからね」と屈託のない笑顔で笑い掛ける。
「イアンさんも久しぶり」
「おっ、おぉ……」
思わぬところでミランダと再会を果たしたイアンとシーヴァは、戸惑いを隠せない。
「シーヴァってば、しばらく会わない内にこんなに綺麗になって……」
美貌こそ衰えてしまったものの、穏やかに微笑むミランダの姿は充分魅力的だった。
「ミランダ、お前さんこそ、あんなに鉄面皮が張り付いていたのが嘘みたいに表情豊かになったなぁ」
「えぇ、だって、私は今すごく幸せだから」
「ミラ、この人達は知り合いなの??」
白髪混じりのアッシュブラウンの髪に痩せこけた頬をしているが、ダークグリーンの目の色だけは美しい男がミランダに話しかける。歳はイアンと同じくらいだろうか。
「えぇ、そうよ。この二人は、辛い思い出しかなかった娼婦生活の中で、数少ない優しい時間をくれた人達なの」
「そうなんだ。僕が君を待たせている間、少しでも心穏やかな時を過ごせていて、ちょっとだけ安心したよ。じゃあ、僕の方からも挨拶しなきゃね……。はじめまして。僕はリカルドと言います。ミラがお世話になったみたいで……、未来の夫として感謝します」
「未来の夫??」
「実は、彼は私を身請けする為に十年間必死に働いて、お金が溜まったことで私を迎えに来てくれたの。それで今からこの街を出て、彼が住む町へ移り住むことになって。最後に私の我が儘で、この氷上市に来たって訳」
「そうかぁ……。良かったな、ミランダ。お前さんにもようやく幸せが訪れて、本当に良かった」
シーヴァは元より、イアンはミランダの身も密かに案じ続けていた。
本当ならば、時々は様子を見に行きがてら娼館に足を運ぼうかと思っていたが、シーヴァやマリオンを引き取って男手一つで育てることに必死だったため、そんな気持ちも金の余裕もなかったのだ。
ふとミランダは、イアンとシーヴァの間に流れる微妙な空気を察してか、「シーヴァ、ごめんね。ちょっとだけイアンさん借りるわね。リカルドも申し訳ないんだけど、そこでシーヴァが絡まれないよう見ていてくれる??」と二人に告げると、半ば強引にイアンを人気のない場所まで連れ出したのだった。
⑵
「ミランダ、いいのか??恋人に妙な疑いを持たれたりしないか??」
「大丈夫。リカルドは心の広い人だし、後でちゃんと説明すれば分かってくれる」
「で、話って一体何なんだよ??」
ミランダは腕を組んで屋台の壁にもたれ掛かる。そう言えば、彼女と初めて出会った時もこのような状況だった。
「シーヴァと何かあったの??」
「……何で分かるんだよ」
「表面的には仲良く見えるけど、何だかギクシャクしているから」
イアンは観念して、事の発端をかいつまんでミランダに説明する。
「やっぱりねぇ……。と、言うより、今更ってところかしら」
「どういうことだよ」
「シーヴァが貴方に肉親以上の想いを抱いていたのは、六年前からよ」
「は??」
「もしかして、気付いていなかったの??」
ミランダは額を手で押さえて溜め息をつく。
「ねぇ、イアンさん。貴方が私に頭を下げながら、シーヴァを引き取らせてほしいと言った時の事覚えている??」
「あ、あぁ……」
「その時、私が言った『シーヴァを幸せに出来るのはイアンさんしかいないもの』って言葉の意味はね……、シーヴァの人生全てを貴方に任せたい、と言うことだったの」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!俺はあいつのことは娘のようにしか思っていな……」
「本当にそれだけなの??」
ミランダが琥珀色の大きな猫目で射るように、鋭い視線で見つめる。その威力に怖気づきつつ、イアンは反論する。
「あのな、仮に俺があいつを嫁に貰ったとしても、確実に俺の方が先に死ぬんだ。その後のあいつの残りの人生がどうなるのか、考えるだけで不安になるんだよ。また苦界に堕ちるような目にだけは絶対遭わせたくないんだ。どうして、どいつもこいつも分かってくれない……」
苛立ちを募らせたイアンは屋台の壁を軽くコンコンと叩く。
「どうして、貴方は悪い方悪い方へ考えるの??シーヴァや貴方自身の気持ちから目を逸らして逃げているだけじゃない。シーヴァを本当に大切に思っているなら、ちゃんと向き合ってよ」
「…………」
「せっかく会えたって言うのに、こんな喧嘩みたいになってしまったけど……。イアンさんがシーヴァと私の幸せを願ってくれたように、私も貴方とシーヴァの幸せを願っているの。ただ、それだけ」
ミランダはイアンに背を向けるとシーヴァとリカルドの待つ場所まで戻っていき、イアンも少し遅れて戻っていった。
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