第15話 すれ違い

 その日は、夕食後の遅い時間までイアンとマリオンは作業部屋で仕事を続けていた。


「イアンさん、この棺は粗方完成したし、残りの面取りや研磨は僕がやっておきますから、先にお風呂に入ってきてください」

「そうか。じゃあ、後は頼むよ」


 いつもならば『いや、俺が最後までやるから』と、マリオンを先に仕事から上がらせるのだが、今日は昼間の件もあり少々気疲れしていた。なので、素直にマリオンの言葉に甘えて、イアンは作業場を後にした。

 風呂で疲れを取り、濡れた髪を拭きながら寝室に戻る。

 亡き妻と自分が使っていたは現在、自分とマリオンと共同で使い、娘の部屋はシーヴァが使っている。三十も後半を過ぎた男と思春期真っ盛りの少年が同室ということで、シーヴァがこの部屋を掃除しに入ると必ず『……男臭い……』と、露骨に嫌な顔をする。確かに、部屋の扉を空けるとむわっとした臭いが籠っているので、イアン自身もげんなりすることがしばしばだ。

 しかし、今日はいつもの臭いに混じってほのかに甘い匂いが鼻をくすぐった。

 不思議に思いながらも、ベッドに近づいたイアンは吃驚して素っ頓狂な声で叫んでしまった。


「うおぁぁああ?!何でお前がここにいるんだよ!!」


 ベッドの中で毛布にくるまって眠っていたシーヴァは、目をこすりながら起き上がり、『イアン、うるさい。ご近所に聞こえるわよ』と睨んできた。


「お前なぁ……、これが俺じゃなくてマリオンだったらどうするんだ?!」

『別に??悪いけど、今日は私の部屋で寝てちょうだい、って言うだけの話よ』

「と言うより、今日に限って、何で俺とマリオンの部屋で寝てるんだよ?!」

『何となくそうしたかっただけよ。文句ある??それとも、私がここで寝てたらまずい訳??』

「そりゃ、色んな意味でまずいだろう……」


 血の繋がりを持つ実の父娘だって、年頃の娘と同じベッドで寝るなんて大っぴらに言えることではない。ましてや、イアンとシーヴァは親子ではないので尚更だ。


『まさか、変な気起こすとか??』

「あのなぁ……。二十も年下の、それも娘同然の小娘に、今更欲情なんかするかよ」

『よ、欲情って……。最低っ!イアンの助平オヤジ!!』

 顔を真っ赤にして怒るシーヴァに構わず、イアンはベッドの中に潜り込む。

「はいはいはい。文句があるなら自分の部屋に戻ればいいだろうぉ??」

『もっ、戻らないわよ!今夜はここで寝るったら寝る!!』

「へぇへ、わかったわかった。どうでもいいけど、ごちゃごちゃ言ってないでさっさと中に入れ」


 毛布を捲り上げて手招きすると、シーヴァは遠慮がちにその中へ身体を滑り込ませ、二人は向かい合った状態でベッドに横たわった。


『懐かしい。昔は、よくこうやって一緒に寝てたよね』

 娼館にいた時だけでなく、この家にやって来た時もしばらくの間、シーヴァとイアンはずっと一緒に寝ていた。だが、マリオンがやって来た頃には彼に遠慮してか、シーヴァは一人で別室で寝るようになった。

 シーヴァは強気な反面、淋しがりやな部分もある。

 ひょっとすると、急に、昔のようにイアンに甘えたくなったのかもしれない。


 (やれやれ……、しょうがない奴だ……)


 イアンはシーヴァの長い黒髪を撫でようとした――、が、久しぶりに間近で見た彼女の寝顔は思いの外、大人びて艶っぽいものだった。思わず手を引っ込めてわざと寝返りを打ち、シーヴァに背を向けた。すると、シーヴァはイアンの背中にギュッと抱きついてきた。

 背中から伝わるシーヴァの温かい体温と甘い香り、そしてまだ未成熟ながらも女としての魅力を持つ身体。イアンが思っているよりもずっと、シーヴァは「少女」から「女性」へと変貌を遂げていた。


「シーヴァ……、これは一体、何の真似だ??」

 動揺を押し隠しつつシーヴァを振り返った時、唇に柔らかいものが押し当てられた。

「……!?……」


 シーヴァがイアンの唇に自身の唇を重ねている。

 子供の頃に『おやすみなさいのキスだよ』と言ってきたような軽いものではなく、狂おしいまでの熱情を込めたものだった。


 シーヴァが自分に対して、肉親以上の気持ちを抱いていることには薄々勘付いてはいた。だが、イアンはそのことにずっと気付かない振りをし続けていた。

 彼女の気持ちに応えることは簡単だ。だが、イアンはそうしなかった。

 イアンは、シーヴァを無理矢理自分の身体から引き離し、ベッドから起き上がる。つられてシーヴァも身を起こす。


「シーヴァ。俺にとってお前は娘のような存在なんだ。だから、女として見ることはどうしてもできない」

 シーヴァは明らかに傷ついた顔をして、目に涙を溜めてイアンを見つめる。

「女としてのお前に恥をかかせたことは悪かった。でも、俺の気持ちも汲んでくれ」

『……ないで……』

「何だ??」

『……嫁に行け、なんて言わないで……。私は……、どんな形でもいいから……、イアンの傍に、ずっと居たいの……』

 遂には、シーヴァは大粒の涙をぽろぽろとこぼしてイアンに懇願し始めた。

『……マリオンのことは、好きだけど……、弟としか思えない。マリオンだって、私のことは姉としか思ってない……』

「俺だって、できればお前をずっとここに置いておきたいさ。でもな、どう考えても、シーヴァよりも俺の方が先に死ぬんだ。マリオンだって、いくら俺の跡を継ぐとはいえ、いずれは自分の所帯を持つだろう。そしたら、お前の傍に誰が残るんだ??ちょっと浅はかだったかもしれんが、一お前とマリオンが所帯を持つことが最善と思ったんだよ」

『…………』

 俯いたまま、涙を流し続けるシーヴァを宥めるようにイアンは何度も肩を撫で擦る。

「悪く思わないでくれ、シーヴァ。俺は、お前になるべく辛い思いをさせたくないだけなんだ」


 いつまでも泣き止まないシーヴァを持て余しつつ、イアンは自分自身に言い聞かせるかのように呟いた。

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