第11話 幸せになるべき人

(1)


 一階、二階と場所は問わず店に残っていた娼婦達、マダム、イアンを追い出そうとしていた用心棒の動きが止まり、音の正体を探ろうと皆が一斉に周囲を見回していた。


「ミランダ!!お前、何をやっているんだいっ!!」


 階段の一番下には大きな黒いトランクが落ちていた。その傍にはミランダが。

 ミランダは店中の人々からの奇異の視線を一切ものともせず、トランクの蓋を開けようとしているところだった。


「マダム、イアンさんにシーヴァを渡せないなら、私にシーヴァを頂戴」

「お前、何を言い出すかと思ったら……。娼婦が娼婦を身請けするなんて、そんな馬鹿な話があるかい!!」

「この金額を目にしても、同じセリフが言えるかしら」


 『1、2、2、5』とダイヤルを回して蓋を開けると、ミランダは立ち上がって皆を振り返った。ニヤリと妖しくも不敵な笑顔を浮かべて。


「ね、いくら払えばいい??」


 不敵な笑顔を瞬時に引っ込め、ミランダは真顔でトランクに収まった札束を雑な動きで床へ、次々と放り出していく。一つ、二つ、五つ、八つ……、床に投げ捨てられた札束はどんどん数を増やし、一つの山を形作っていく。集まった周りの人々は、どんどん頂が高くなっていく様子を呆然と眺めていた。


 そして、最終的に山となった札束の数は五十をゆうに超えていた。


「これでも、私にシーヴァを売ってくれないって言うの??」

 札束の山に腰を抜かすマダムに歩み寄り、見下ろす形でミランダが問いかける。

「……そ、それは……」

「これ以上の金額を払ってくれる人なんて後にも先にも現れないと思うけど」

 マダムは、札束の山を見てごくりと唾を飲み込む。

「わ、わかったよ……。ミランダ、お前さんにシーヴァを売るよ!!売ってやるともさ!!」


  娼婦が娼婦を身請けするーー、前代未聞の事態に人々は呆気に取られ、混乱に陥った。

 騒然とする周囲にもどこ吹く風、と言わんばかりに、ミランダは特に表情を変えることなくその場から離れ、颯爽と階段を上がっていく。


「ま、待ってくれ!ミランダ!!」

「イアンさん」

 混乱に乗じて用心棒の手から逃れたイアンがミランダの後を追って二階にやってきた。

「ミランダ……」


 次の瞬間、イアンが出た行動にミランダは琥珀色の猫目を大きく見開くこととなった。イアンがミランダに跪き、床に額をくっつけるかの勢いで頭を垂れ、深々と土下座してきたからだ。


「俺の一生の頼みだ!!シーヴァを、俺に引き取らせてほしい!!金は、一生掛けてでも払い続ける!!だから……」

「やめてよ!」


 ミランダは珍しく語気を荒げた。


「お願いだから顔を上げて」


 イアンはまだ頭を垂れている。

 ミランダは小さく溜め息を吐くと床に膝をつき、イアンの細い顎を掴んで強引に上向かせた。


「言われなくても、私は貴方にシーヴァを引き渡すつもりだから安心して」

「……!!……」

「シーヴァを幸せに出来るのはイアンさんしかいないもの」

 イアンはホッとして気が抜けたのか、両手を床についてはァ――――と、長い長い息を吐きだした。

「その代わり、ただでは渡せないわ」

「な、何か条件でもあるのか……」

「そんな身構えないで。大したことじゃないわ」

「??」

「私を一晩買ってくれない??」





 ⑵


 イアンはベッドの上で情けないくらいに放心していた。


「満足していただけたかしら??」

 下着だけのあられもない姿のミランダが、髪を梳かしながらイアンに微笑みかけた。

「えぇ、そりゃ、もう……」

 伊達にファインズ男爵を虜にしていただけのことはあるーー、と言い掛けたものの、彼女の気分を害すと思い慌てて飲み込んだ。イアンの内心を知ってか知らずか、ミランダは腰のないダークブラウンの髪を撫で上げる。

「イアンさんってよく見ると結構男前よね」

「そりゃどうも。お世辞とはいえ、嬉しいね」

「あら、お世辞じゃないわよ。今更貴方にお世辞言う必要なんかないもの」

「あのなぁ……」


 何で俺が関わる女は揃いも揃って歯に衣を着せない奴ばっかなんだ。イアンの気を知ってか知らずか、相変わらずミランダは彼の髪を弄り続けている。


「イアンさんって、少しだけリカルドに似ているのよね……」

「リカルド??あぁ、もしかして、お前さんの恋人だったっていう男の事か??」

「えぇ、そうよ」

「どんな奴だったんだ??」

 ミランダは一瞬押し黙ったが、すぐに口を開いた。

「歳は私より六歳上だから、イアンさんと同じくらいね。背格好は中肉中背で、少し猫背気味だったわ。とても綺麗なグリーンの瞳をしていて、ギターがとても上手な、穏やかで優しい人だった」

「俺とは全然違うじゃないか」

「外見はね。でも、とても純粋で真っ直ぐな心を持っているところがすごく似ているのよ」

「俺が純粋で真っ直ぐだって??」


 イアンはフッと噴き出した後、声を立てて派手に笑い出した。


「……ミランダ、俺の事を買いかぶり過ぎだ。俺は自分の家族を、自分の無知や不注意で立て続けに死なせてしまうような、とんでもなく馬鹿で最低な男だぜ??」

「そうかしら??最低な男だったら、一人でそんなに苦しんだりしないんじゃない??」

「…………」

「貴方は苦界に堕ちた一人の女の子を必死で救おうとしていた。私は五歳の時からこの世界で生きてきたけど、貴方程娼婦相手に真剣に向き合おうとした人は見たことがないわ」

「…………」

「だから、貴方にはもっと前を向いて生きて欲しいのよ」

「もしかして、俺にそれを言いたいがために自分を一晩買ってくれと言ったのか??」

「そうよ」

「……そうか。それはありがとう。ただ、俺からも一つ言わせてくれ」

「何??」


 イアンはベッドから起き上がると、ミランダの癖のないプラチナブロンドの髪に触れながら、告げる。


「お前さんが俺に言いたかった言葉を、そっくりそのまま返す。ミランダも、もっと前を向いて生きてくれよ。お前さん自身は感情を捨て去ったつもりかもしれないが、自分には何の見返りがないのに他人の為にあんな大金を惜しげもなく差し出すなんて……、誰でも出来る事じゃない。真に優しい人間だから出来るんだ。だから、そんな優しいお前さんは幸せになるべき……、なんだ。少なくとも、俺とシーヴァはミランダの幸せを望んでるよ」


 無言で話に耳を傾けていたミランダは、返事代わりに弱々しい笑みを浮かべたのみだった。

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