第12話 少年
(1)
――二年後ーー
「シーヴァ、重たくないか??」
イアンはシーヴァが腕に抱えた手桶を代わりに持とうとしたが、『このくらい平気だよ』と、シーヴァはイアンの手から手桶を奪い返す。
一年ほど前から、イアンは棺桶以外にも手桶や風呂桶も作るようになり、収入が少しだけ上がった。
桶を作り始めた理由を聞かれると、「うちにはよく食う奴がいるからなぁ。食い扶持が掛かるんだよ」と言って、イアンは笑い、シーヴァが無言で睨みつける。その様子は、どこから見ても仲の良い父娘の姿だった。
今日は歓楽街にある酒場の店主から、手桶を一つ作って欲しいと依頼を受け、完成したものをシーヴァと共に受け渡しに行く予定だ。
歓楽街はシーヴァにとって余り関わりたくない場所だろうと思い、イアンは最初、一人で行こうとしていた。だが、『別にルータスフラワー以外の場所なら大丈夫だよ』と押し切られ、一緒に出向くことに。
件の酒場へ無事に手桶を届けた頃にはとっぷりと日は暮れ、夜が稼ぎ時の歓楽街に活気が溢れ出す。
「シーヴァ、とっとと家に帰るぞ」
シーヴァに歩みを速めるよう促す。しかし、シーヴァは後ろに何か気になることがあるのか、何度もしきりに振り返る。
「シーヴァ。一体、何やってるん……」
シーヴァの視線の先に何があるのか。確認した途端にイアンは言葉を詰まらせた。
「あれは……」
鶏ガラのように痩せ細り、バサバサに痛み切った髪にくすんだ顔色。一人の街娼が必死に客を引こうとしている。だが、見るからに病気持ちといった体の女を誰も買おうとはしない。以前の闊達さは見る影もないけれど、見間違えるはずがない。
「フェイ……。お前、フェイだろ?!」
女ーー、フェイはイアンに呼びかけられると、あっ!と声を上げ、何か叫ぼうとしたが代わりに激しい咳が飛び出してしまう。苦しげに道端に座り込んだ彼女を、道行く人々はあからさまに眉を顰め、邪魔くさそうに横を通り過ぎていく。
「おい、大丈夫か!!」
イアンは、フェイの肩を抱きかかえて人気のない路地へと連れ出す。
「イ……アン。久しぶりねぇ……」
フェイは再び激しく咳き込む。よく見ると、筋ばった掌には血がこびりついていた。
「お前……、労咳に掛かっているのか……??」
フェイはこくりと頷く。
「あんたがシーヴァを引き取って……、ぱったりと歓楽街に姿を現さなくなった直後に労咳だって分かってね……。当然、店からは追い出されて……、こうして街娼として生きてきたの……」
フェイはまたひとつ、咳をこぼす。
「フェイ、もういい。喋るな……。シーヴァ、シーヴァ!!そこにいるんだろ?!」
イアンは、自分とフェイの後を追って路地に入り込んで来たシーヴァに言い放つ。
「フェイを今から病院に連れて行くぞ。いいな??」
シーヴァは、イアンの有無を言わせぬ強い口調に少し怯えつつもコクコクと首を縦に振った。
「ねぇ、イアン……」
イアンの背中に担がれながら、フェイがか細い声で話し始める。
「私ね、あんたみたいな父親が欲しかったの……」
「何言ってんだ、俺とは一回り近くしか違わないだろ。お前の親父にしちゃ若すぎるだろうよ」
フェイは黙り込む。が、またしばらくして、喋り出す。
「ねぇ、イアン……。私が死んだら……、あんたに棺桶を作って欲しいな……」
「馬鹿言うな。ほら、病院に着いたぞ」
イアンは病院の扉を叩き、医師にフェイを引き渡したが、数日後、フェイは治療のかいなく静かに息を引き取った。まだ二十一歳だった。
イアンは頼まれた通り、自ら棺桶を作って彼女を手厚く葬ることにした。フェイの葬儀はイアンとシーヴァの二人だけでひっそりと執り行われたのだった。
(2)
葬儀からの帰り道、イアンとシーヴァは一言も言葉を交わすことなく、とぼとぼと帰路を辿っていた。
「おっと、ごめんなさい!!」
一人の少年が、イアンとシーヴァの間に割り入りながら慌てて駆け去っていく。その際、少年はイアンに軽くぶつかっていた。
(……ん??)
喪服の内ポケットを探る。財布が、ない。少年はすでに、イアン達の随分先を走っている。
「あのガキ……、スリか!!」
イアンが叫ぶよりも早く、シーヴァが子供のものとは思えぬ恐ろしい形相で少年を追っ掛けていた。
「シーヴァ!!」
シーヴァは瞬く間に少年に追いつくと彼に飛び掛かり、馬乗りになっていた。
「あいつ……、あんなに足早かったのか……。にしても、ちょっとやりすぎじゃねぇ??」
少年は毛を逆立てる猫みたいなシーヴァの勢いに押され、すっかり怯えて泣きべそまで掻き始めている。何だか可哀想に思えてきたイアンは、二人の傍まで駆け寄っていった。
「シーヴァ、もうその辺にしておけ。やりすぎだ。財布さえ返してもらえれば俺はそれでいい」
少年はシーヴァに捕まった時点ですぐに財布を返したようで、彼女の左手には財布がしっかり握られている。
『イアン、甘い。こいつは警察に突き出した方がいいよ』
「まぁ、そりゃそうだが……。この坊主、思ったより幼いし、そこまでやらなくてもいいんじゃ……」
少年はシーヴァより明らかに年下に見えるし、銀髪とコバルトブルーの瞳が印象的な、女の子と見紛うくらい可愛らしい顔立ちをしている。
「ごめんなさい、ごめんなさい……。住む場所もないし行く当てもなくて、とりあえずお金が欲しかったんです……。もうしません、許してください……」
『ごめんで済んだら警察なんていらないのよ!!』
「シーヴァ……、お前はもう喋るな。そして、いい加減、どいてやれよ」
シーヴァは思い切り不服そうに唇を尖らせたが、イアンに言われるまま少年の身体から渋々降りる。
少年は怯えながらも、先程からシーヴァの唇の動きを見て会話するイアンを不思議そうな顔で眺めていた。
「あぁ、こいつ、シーヴァって言うんだけど、訳有って口が利けないんだ」
『ちょっとイアン!余計な事ばらさなくていい!!』
「ちなみに、俺はイアンって言うんだ」
イアンは少年に手を差し伸べ、助け起こす。
「あ、あの、イアンさん、シーヴァさん……。本当にすみませんでした……」
少年は見るからに申し訳なさそうに、二人に向かって深々と頭を下げる。
「まぁ、反省してくれりゃ、別に良いさぁ。それより、坊主。お前さん、住む場所も行く当てもないってことは……、孤児なのか??」
少年は無言で頭を項垂れる。
「……だったら、家来るか??」
『はぁっ!?』
「えぇっ!?」
シーヴァと少年は同時に驚きの声を上げる。(と言っても、シーヴァは声が出ていないが)
『ちょっとイアン!もしかして、こんな奴を引き取って育てようとかじゃないわよね!?』
シーヴァは激怒し、あからさまにイアンに猛反発する。
「駄目かぁ??」
『犬や猫じゃないのよ?!』
「だけど、このまま放っておけるか??お前だって、一歩間違ったらこの坊主みたいになっていたんだぞ??」
『うっ……』
痛いところを突かれ、シーヴァは返す言葉を失ってしまった。
「まぁ、四の五の言わず、皆で仲良くしようぜ??」
そう言うと、イアンはシーヴァと少年の頭を同時に撫でる。
「そうだ、坊主。お前さんの名前は??」
「僕の名前は、マリオンです」
少年は丁寧且つハキハキした口調で答える。
「マリオンかぁ。これからよろしくな」
少年ーー、マリオンは、恐る恐る顔色を伺うようにシーヴァの方に目線を移す。マリオンのおどおどした態度に苛立ったのか、シーヴァはギロリと睨み返した。
「シーヴァ、睨むなよ……。マリオンが怖がっている」
『私は元からこういう目なの!!』
「あぁ、はいはい……」
しょうがない奴だな……、と呆れるイアンを無視し、シーヴァはムスッとしつつもマリオンに向かって『ついていこい』と彼の手を引っ張った。
こうして、イアンの元にもう一人、家族が増えたのだった。
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