第9話 嫉妬

 同日夕方、ルータスフラワーにイアンが訪れた。


「おや、また来たのかい。いらっしゃい。聞くまでもないけど、一応聞いておくよ。今日は誰を指名するんだい??」

 やる気なさげに尋ねるマダムに『シーヴァ』と答える寸前、客引きに出向こうと玄関までやってきたフェイが嬉しそうに声を掛けてきた。

「あらーー、イアンってば、久しぶりーー」

「おぉ、フェイか。久しぶりだなぁ」

「相変わらず、冴えない感じの割に元気そうねぇ」

「まぁな」

「ちょっと、フェイ。油売ってないで、さっさと客引きに行きな」

 マダムが厳しい口調でフェイを叱りつける。

「えぇーー、マダムってば、ちょっとくらいいいじゃないのーー。あ、何なら、たまには私を買ってくれてもいいのよ、イアン」


 フェイはイアンの腕に自らの腕を絡ませ、自慢の大きな胸を彼の身体に押し付ける。イアンは一瞬迷う素振りを見せたが、すぐにフェイの身体をさりげなく引き離した。


「せっかくだけど……、ここに来るのは三日ぶりでその間にシーヴァがどうしているのか気になっててな。だから、お前を買うことは出来ない」

 申し訳なさそうにしつつも、イアンはきっぱりとフェイの誘いを断った。

「イアンさん、今日もシーヴァをご指名だね」

 マダムは、やっぱり、といった顔でイアンにシーヴァの部屋へ行くよう促す。

「フェイ、ごめんなぁ」

「まぁ、そう言うとは思っていたわ。だから、気にしないで!」


 フェイはいつものように明るい笑顔を見せると、「じゃっ、客引きに行ってきまーす」と軽い口調でマダムに告げて、街へと繰り出した。







 部屋の中央に作られた簡素で敷居の低い闘技場、その中を小肥りの体格、細く吊り上がった目の白い犬が鼠の群れに襲い掛かった。犬は群れの中から一匹咥え上げると、その喉笛を噛み切る。鼠は断末魔の悲鳴を上げて小さな身体を数秒痙攣させたのち、ピクリと動かなくなった。観客達は一斉に犬達をけしかける歓声を送る。


「いいぞーー!!もっとやれ!!殺せ、殺せ!!」


 フェイは鼠殺しの見物が好きだった。

 賭けの勝ち負けは二の次。犬が鼠を次々と噛み殺していく様子を見物していると、己の中にある、吹き溜まりのようなどす黒い感情がスゥーッと楽になる気がするから。


「あぁ、クソッ!あのワン公、もっとたくさん殺さねぇかな。賭けに負けちまう!!」


 隣にいた男の悪態により、フェイは一気に現実に引き戻された。


(この男……、何処かで見たような……、って!)


 フェイは思わず、声を上げそうになった。

 この肥え太った醜い男は、昨夜ミランダをいたぶっていた変態男だ。


「ねぇ、お兄さん。あんた、昨日の夜、うちの店に来てたでしょ??」

「あぁ??お前、あそこの娼婦か??」

 男はいきなりフェイに話しかけられて、やや戸惑っていた。だが、人見知りしない質なのか、すぐに聞いてもいないことまでもをペラペラと喋り出した。

「あの金髪女には随分楽しませてもらったぜ。中々いないんだよなぁ、ああいう童顔で幼い雰囲気の娼婦って。まぁ、本当はベビーブライドがいいんだけどよ」


 どうやらこの男、幼女趣味の気もあるらしい。

 救いようがないヤツ、と内心の嘲笑を押し隠し、努めて何でもないことのように、軽くこう告げてやる。


「うちにもいるわよ、ベビーブライド」

「だけど、ベビーブライドはちょっと痛めつけるだけで、すぐ喧しく泣き喚くしなぁ」

「大丈夫」


 口調とは裏腹に、いつもの明るい笑顔とはまるで違う、ニヤッとした怪しくも厭な笑みを浮かべ、更にフェイは続けた。


「うちのベビーブライドはオシだから。何をどうしたところで静かだし、騒いだりできやしないんだから」









 (3)


『ねぇ、イアン』

「んーー、どうした??」

 この前と同じく共にベッドに寝そべり、一緒に本を読んでいたシーヴァが神妙な顔をしている。

『何で、この本に出てきた娼婦は仲間に殺されなきゃいけなかったの??悪いことをしているのは、こいつらなのに』

「うーーん、それは主人公を助けようとしたことがこいつらにとっては裏切りだと思ったからじゃないか??」

『そんなの納得いかないよ。ナンシーは良い人だったのに……、可哀想だよ……』


(この本はちょっと失敗だったな……。よりによって、娼婦が仲間に撲殺されるんだから……)


 これのどこが子供向けの内容なんだ。イアンは、この本を薦めてきた貸本屋をほんの少しだけ恨む。


「じゃあ、もうこの本を読むのはやめるかぁ。代わりに今度は違う本を借りてくるよ」

 するとシーヴァは首を大きく横に振った。

『いいの、私、最後まで読みたい』


 シーヴァはイアンから本を奪い取ると読書を再開した。

 自分が思う以上にシーヴァは芯の強い娘なのでは、と、しばしば感じることがある。ひょっとするとシーヴァを守っているつもりで、イアンの方が彼女に支えられているのかもしれない。

 何にせよ、イアンにとってシーヴァは最早なくてはならない程、かけがえのない存在になっていた。彼女に今以上に辛い思いをさせたくないし、彼女の笑顔だけは何としても守りたかった。


 それだけが、今のイアンにとって唯一の生きる希望だった。

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