第4話 三人の娼婦

 ⑴


「その子を放してあげて」


 シーヴァの手を掴むイアンに向かって、ミランダが厳しい口調で言い放った。琥珀色の大きな猫目を怒りでギラつかせていて、小さいけれど獰猛な山猫のようだ。ミランダの様子にイアンは恐れをなしてシーヴァの手を放した。すると、シーヴァはすぐさまミランダの傍に駆け寄っていく。


「シーヴァ、大丈夫??嫌なことは何もされていない??」

 シーヴァはぶるんぶるんと大袈裟なまでに首を横に振る。

「そう。それならいいけど……。えっ、何??」

 シーヴァは、ミランダの掌に指で字を書き綴る。

「分かったわ。そういうことだったのね」

 高級娼婦ならともかくとして、ただの娼婦が識字できることに、イアンはひそかに驚いていた。

「お前さんも……」

「ミランダ」

「ミランダ……も、字が読めるのか??」

 ミランダは眉根をピクリと寄せたものの、すぐに無表情に変わった。質問を無視されるかと思いきや、少し間を空けてから口を開いた。

「……昔、常連だった上客に字の読み書きを教わったのよ」


 ミランダの、吐き捨てるようなぶっきらぼうな物言いにイアンは引っ掛かるものを覚えたが、あえて追及を控えることにした。


「それってもしかして、ダドリー・R・ファインズ男爵のことぉ??」

 いつの間にか、一階のマダムのところから二階に戻って来たフェイが呑気な口調でミランダに問い掛けてきた。

「待たせてごめんねぇ、イアン。でも、いくら待たされていたからって、他の女にちょっかい掛けるのは、ちょっといただけないわねぇ」

 フェイは、ちらりと横目でシーヴァとミランダを一瞥する。

「まっ、いいわ。お説教は後で私の部屋でたっぷりさせてもらうことにして……、二人共、さっさと自分の持ち場に戻ったら??」

「言われなくても戻るわよ。どうせ、あの変態野郎もそろそろ目を覚ます頃だろうし」

「ミランダったら、客に対してそんな事言ったら駄目よ。マダムが聞いたら怒るわよ」

「余計なお世話よ」


 ミランダは、ふん、と鼻を鳴らすと、シーヴァを彼女の部屋まで連れて行き、その後自分の部屋へと戻って行った。


「さっ、私達も戻りましょ」

 フェイがイアンの腕に自分の腕を絡ませて部屋へ連れて行こうとしたが、イアンはその場から動こうとしない。

「ちょっと、イアン。どうしたっていうのよ」

「フェイ、悪いんだが……、先に部屋に戻ってくれ」

「えーー、何でさ??」

「いや……、その……」

「はっきり言いなよ」

 イアンはフェイの強い眼差しから視線を外しつつ、気まずそうに答えた。

「……手洗に行かせて欲しいんだよ……」


 フェイは予想外のイアンの答えに呆気に取られていたが、「そっか。じゃあ、先に部屋に戻るから」と、腕を放すとイアンを置いて先に部屋へ戻った。数分後、フェイの説教覚悟でイアンは部屋に戻ったが、フェイは「あら、おかえり」と笑顔で彼を迎え、いつものように他愛のない世間話で彼を和ませてくれた。


「相変わらずフェイの話は面白いよな。お前さんは娼婦よりも酒場やコーヒーハウスで働く方が性に合うんじゃないか」

「ふふ、ありがと。そんなこと言ってくれるのはイアンだけよ」

 フェイは決して器量は良くないが、彼女の屈託のない明るい笑顔や話し方は充分魅力的だ。美しいけれど愛想のないミランダとは対照的である。

「なぁ、フェイ。あのミランダって女、いつもあんなぶっきらぼうな態度なのか??」

「そうよ」

「確かに器量は良いかもしれんが、あれでよく客がつくな」

「さすがに客の前では猫被ってるでしょ。でも、娼婦仲間には嫌われているわね。男爵様の使い古しって陰口叩くヤツもいるし。彼女、ファインズ男爵様がまだ爵位を引き継ぐ前はあの方のお抱え娼婦だったみたい」


 ファインズ男爵家は昔から代々この街を統治しており、現在の領主は四年前に若干二十八歳で爵位を引き継いだダドリー・R・ファインズのことを指している。

 彼は爵位を引き継ぐ前は希代の道楽息子で名を馳せていた。夜な夜な歓楽街に大勢の取り巻きを従えては娼館や酒場、賭博場などに繰り出し、湯水のように金を使っていた。以前在籍していた娼館の一番人気だったミランダならば、専属娼婦というのも頷ける。

 イアンも以前、何度かファインズ男爵の姿を街で見かけたことがある。

 ブロンドを通り越し、シルバーに近い髪色、彫像のように完璧に整った顔立ちの中でも特に、何を考えているか判り難い、冷酷そうなコバルトブルーの瞳が印象深かった。その美貌は元よりすらりとした長身に高級スーツを身に纏う彼は、どう考えても自分のような、しがない清貧の職人とは全く別世界の人間だとも感じたものだ。


「でも、何でか知らないけど、シーヴァはミランダに懐いているみたいなのよねぇ。ミランダも悪い気がしないのか、あの子にだけは妙に優しいし」

「そうだ、フェイ。情報通のお前に聞きたいことがあるんだ。シーヴァは、何で口が利けなくなったんだ??」

「ねぇ、イアン。何でそんなにシーヴァの事が気になるのよ??」


 フェイは鋭い女だから、これ以上はごまかしが利かないだろう。

 イアンは観念して、フェイにシーヴァとのことを全て打ち明けた。


「ふぅん、だから、あの子に対していちいちムキになる訳ね」

「一か月半前から、突然いつもの場所に姿を現さなくなったんだ。最初の一週間くらいはたまたま他に用事があって都合が悪いのかと思ってたし、左程気にはしていなかった。十日を過ぎた辺りから、もしかしてあの子の身に何かあったんじゃ、と思い始めて……。それから仕事が終わった後は毎日歓楽街であの子を探し回ったが、とうとう見つからなかったんだ……」

「もしかして、この一か月半、ここに来なかったのはあの子を探すことに必死だったから??」

「あぁ、そうだ。少し前に、意を決してシーヴァから聞いた住所を頼りに母親と住んでいたアパートにも行ってみたんだが、その部屋はすでに引き払われてもぬけの空だった。ひょっとしてこの街から母親と出て行ったのかもしれない、と考えることにした矢先……、ここで身を売っていて、おまけにになっちまってたっていう……」


 イアンは肩を落として長い溜め息を吐きだす。


「あくまでマダムから聞いた話だし、どこまで本当か分からないけど……。それに、あの子を大事に思っているあんたが聞くには堪えない話かもしれないわよ??それでもいいの??」

「構わん。話してくれ」


 そして、フェイはシーヴァの口が利けなくなった理由を語りだした。





 ⑵


 シーヴァは自分の部屋に訪れた客の顔を見て、驚きの余り、ハシバミ色の瞳を真ん丸に見開いた。

 シーヴァは、ベビーブライドーー、年端もいかない少女売春婦としてこの娼館で働いている。厳密に言えば働かされている。

 他の大人の娼婦と違い、ベビーブライドは倫理的な問題で本来なら法律で禁じられている。個人で身を売る街娼ならともかく、歴とした娼館では公になってはいけない存在なのだ。

 しかし、小さな子供を性的対象とする者も少なからず世の中にはいて、ベビーブライドはそれなりに需要が高いのでどこの娼館でも秘密裏に置いていた。他の娼婦達のように客引きで街に出ることはないが、ベビーブライドを求めて娼館に訪れる客に指名されれば相手をしなければならない。


「『何しに来たのよ、この変態』って言いたげな顔してるぞ、シーヴァ」

 シーヴァの部屋に訪れたのはイアンだった。

「大丈夫だ、俺は幼女趣味なんかじゃないから、お前に手出したりしないよ」

 するとシーヴァはイアンの掌を掴み、指で文字を綴る。

「『じゃあ、何しに来たの??冷やかし??』おいおい、冷やかしするためだけに他より割高なベビーブライドを一晩も買ったりするもんか。お前が少しでも安心して眠れる夜を過ごせたら、って思ってな。そんだけの話」


 イアンは、シーヴァの頭をくしゃくしゃと撫でる。頭を撫でられたシーヴァは乱れた黒髪を手串で軽く直しながら、イアンに向けてゆっくりと唇を動かす。


「ん??もう一回やってくれ」

 もう一度、シーヴァは唇を動かす。今度はさっきよりも、ゆっくりと。

『イアン、ありがとう』

「どういたしまして」


 ようやく見せてくれたシーヴァの笑顔にフェイから聞かされた話を思い出し、怒りと悲しみと共に、一抹のやるせなさを感じたのだった。




 ⑶


「マダム、この子供、どうしたのよ」


 フェイがその月の部屋代を支払いにマダムの部屋まで訪れると、薄汚れた痩せっぽっちの少女がソファーの端っこに遠慮がちに座っていた。


「あぁ、さっき売られてきた娘だよ」

「へぇ、この子、よく見ると異国の血が入ってそう。混血児かしら。器量もまぁまぁ良いし、あと二、三年したら化けそうね」

「いや、そんなに待たないよ。明日からでも働いてもらうつもりさ」

「何で??うちは、ベビーブライドは置かない主義じゃなかったっけ??」

「しょうがないだろう??この娘、すでに生娘じゃない上に、オシとくるんだから。そんな面倒なのはさっさと働かせた方がいいんだよ」

 マダムは蔑んだ目でシーヴァに冷たく言い放つ。

「嫌だとは言わせないからね。出来ないって言うなら、すぐにでもここから放り出してやるから」


 この少女の名前はシーヴァといい、ジプシーの旅芸人だった父と上・中層階級の子供相手の家庭教師をしていた母と幸せに暮らしていたそうだ。

 だが、母との結婚を機に旅芸人を辞め、大工として働いていた父が事故で亡くなり、家庭教師と掛け持ちで夜は酒場で働いていた母が身体を壊し、職を失ったあげく病気で伏せるようになった。そうなると、アパートの家賃を滞納し始め、家主から強制退去を命じられた矢先、母が亡くなってしまったという。

 一人残されたシーヴァには両親の他には身寄りがなく、彼女を引き取ってくれる者も滞納した家賃を代わりに支払ってくれる者もいない。そこで家主は、シーヴァを人買いに引き渡すことにしたらしい。


「まぁ、このご時世、よくある話よね。でもこの年で生娘じゃないってどういうことよ」

「そんなもん決まってるさ。大方、その家主が無理矢理手籠めにしたんだろう??滞納分の家賃を身体で払えとかで。業突く張りな人買いが商品の価値を自ら下げるような真似なんかする訳ないんだし」

「もしかして、その時のショックと恐怖が原因で口が利けなくなったの??」

「多分そうだろうよ。まぁ、混血児でちょいと変わった毛色だけど器量もそこそこ良いから、口が利けなくても何とかいけるだろうと思って引き取ったのさ」

「ふぅん、成程ね」

 フェイは、座っているシーヴァに声を掛けた。

「お嬢ちゃん、私はフェイって言うの。よろしくね。一つ教えておくわ。娼婦の価値は見た目以上に、ベッドの中で男をいかに悦ばせることが出来るか、よ。子供だからって甘えずに、早く出て行きたければ精進しな」


 いつもの明るい笑顔を浮かべてはいるものの、フェイの薄茶色の瞳の奥には冷たい光が宿っていた――







「私が知っているのはこれくらいね……。って……、イアン??」

 フェイと共にベッドに腰掛けて話を聞いていたイアンは、両手で顔を覆い、上半身を折り曲げて膝の上で突っ伏していた。指の隙間から垣間見える顔色は蒼白だ。指先も微かに震えている。

「イアン、顔色が悪いわ。大丈夫??」

「……ん、何とか……」


 イアンは長い前髪を両手で掻き上げながら顔を上げ、再び長い溜め息を吐き出す。先程よりも疲れの色が増している。フェイはベッドから立ち上がると、イアンの、腰の無いダークブラウンの髪を優しく撫でた。


「また、白髪が増えた??」

「歳だからしょうがない」

「あんた、まだ三十でしょ」

「まぁ、ちょっとばかし気苦労が多くてね。実年齢より老けているとよく言われるよ」

「この前髪と無精髭を何とかすれば、多少は若返るんじゃない??」

「似たようなこと、前も言われた」

「誰に??シーヴァ??」

「…………」

「図星のようね」

 今度はフェイが溜め息をつく番だった。

「さすがに、いくら相手が子供とはいえ、他の娼婦の話ばかりされるのって、ちょっと癪よねぇーー」

「……すまん、つい……」

「なーんてね!そうだ!そんなにシーヴァが気になるなら、今度から彼女を買いなよ!!」

「は??おい、フェイ。俺は幼女趣味じゃないし、あの子相手は尚更……」

「別にヤらなきゃいいだけの話でしょ」

「あ……」


 フェイはイアンの肩をガシッと掴み、彼の身体をベッドに勢い良く押し倒してその上に跨った。


「イアン。あの子が変態に嬲られることが許せないんでしょ??だったら、あんたがあの子を買うことで守ってやりなよ」

「…………」

「私のことなら気にしなくてもいいわよ。実はちょっと前から、豪商の跡取り息子が時々通ってくれるようになってね。上手くいけば愛人くらいにはなれるかもしれないわ」

「……そうか、そりゃ良かったな。この世界から早く足洗いたがっていたもんな。まぁ、冴えない棺桶職人より、豪商の方がお前にはお似合いだろうし」

「あら、やけにあっさりしてるのねぇ」

「何だ??『俺以外の客を優先するなんて許さん!!』とでも言って欲しいのか??」

「わははは!何それ!!冗談きついわぁーー!!」


 ゲラゲラ大笑いするフェイの姿に呆れつつも、彼女の懐の深さに感謝するイアンだった。

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