第3話 シーヴァという少女③

  シーヴァと出会ってしばらく経ったある日――、クリスマスイブのことだった。


  イブだというのに、イアンは自宅の離れにある作業場で朝から黙々と棺桶を作っていた。明日はクリスマスなのに葬儀があるそうで、今日の夕方までに棺桶を一つ用意して欲しいと依頼が入ったからだ。

 棺本体は午前中に完成していて残るは最後の仕上げだけ。 棺の表面を丁寧にカンナや鑢を使ってならし、滑らかになるよう仕上げていく。棺の側面に死者へ贈る言葉――、『聖なる哉、聖なる哉、聖なる哉、主サワオフ、其の光榮は全地に満つ』と彫っていき、その文字も鑢で研磨する。これでようやく完成だ。あとは葬儀屋が棺桶を引き取りに来るのを待つのみ。

 作業を終えると、イアンは作業台の傍の丸椅子に腰掛けて、ふぅと息をついた。


「葬儀屋の奴、早く来ねぇかな……」


 葬儀屋に棺を引き渡したら、今日もシーヴァのところへ顔を出しに行こうと思っている。特に今日はシーヴァに歴とした用事があるので、イアンは何としてでも彼女に会いに行きたかった。

 しかし、用事がある時に限って葬儀屋が棺桶を受け取りに来たのは夕方の五時過ぎ。イアンが家を出て、シーヴァの元へ辿り着いた頃にはすっかり日が落ちていた。


「シーヴァ、今日も来たぞ……」

 シーヴァの姿を確認して声を掛けようとしたが、思わず言葉を飲み込む。背広を纏った妙に身なりの良い紳士と、何やら込み入った話をしていたのだ。もしかすると人買いの類かも知れないので、イアンは物陰からそっと様子を伺う。

「お嬢ちゃん、今からおじさんがポケットから出す紙に署名してくれれば、もうこんな寒い中で歌を唄ってお金を稼がなくて済むよ。しかも毎日美味しいものが食べられるし、温かいベッドで眠れる。綺麗なお洋服が毎日着られるんだよ??君も貧乏は嫌だろう??」

 シーヴァは終始無言で、にこやかに微笑む男の顔と契約書を交互に見比べた後、書面をじぃっと眺めていた。

「あぁ、書面にはおじさんが今言ったことと同じ内容が書いてあるだけだからね。ちょっと文章の書き方が難しいから、君には読めないかもしれないけど」


  やはりイアンの予想通り、男は人買いの類のよう。

  シーヴァは賢く用心深い質なので、この程度じゃまず騙されないだろう。だが、万が一、ということも有り得る。止めに入ろうと物陰から出て行こうとした時だった。


「おじさん、『かんしょうどれい』って何??」

 男はシーヴァの言葉に驚き、それまで浮かべていた胡散臭いまでの笑顔を引っ込めた。

「君……、字が読めるのか??」

「お母さんが金持ちの子供相手に家庭教師をしていたから。少しくらいなら字は読めるし書ける」

「…………」

「私が見るからに混血児だから、金持ちに鑑賞用の奴隷として売りたかったんでしょ??」

「うるせぇ!生意気なクソガキが!!」


 見る見る内に醜く歪んでいく男の表情に怖気づくことなく、シーヴァは挑むように睨み上げる。耐えきれなくなった男は逆上し、シーヴァを思い切り突き飛ばした。


「おいおーい、こんな子供相手に逆切れするなんて。みっともないにも程があるぜぇ??」

  これ以上、シーヴァに危害が加えられるのは見過ごせない、そう思ったイアンは物陰から姿を現し、彼女を殴りつけようとした男の腕を掴んで、軽く捻り上げた。

「いででででで!は、放してくれ!悪かった!!俺が悪かったから手を放してくれーー!!」

 大して力を加えたつもりはなかったが男は大袈裟なまでに痛がり、必死で助けを請うてきた。

「んーー、そうだなぁ。もうこの子に何もしないっていうなら、放してやってもいいけど??」

「わわわ、わかった!!この娘にはもう何もしないよ!!」

「本当だな??」

「あぁ!!」

「よし」


 要求通りに手を放すと、すぐさま男はつんのめりながら這う這うの体でその場から逃げ去っていった。


「大丈夫か、シーヴァ」

 男に突き飛ばされた勢いで地面にへたり込んでいたシーヴァを助け起こす。

「やるじゃない、イアン。見直した」

「……それが助けてくれた人に対する言い草かよぉ……」

「嘘だよ。ありがとう」

 生意気な憎まれ口も、無邪気に微笑まれながら言われるとつい可愛く思えてしまう。特にシーヴァは心を開いた人間以外には絶対に笑顔を見せないので尚更だ。

「ねぇ、イアン。さっきから手にぶら下げているその袋は何??」

「あぁ、これか」

 イアンは左手に下げていた茶色い紙袋の中からマフラーを取り出してみせる。

「これを、シーヴァにやろうと思ってさ」


 イアンはシーヴァの身長に合わせるように膝を折り曲げ、マフラーを彼女の首にグルグルと巻きつけやる。イアンがマフラーを巻き終わると「……あったかい……」と、シーヴァはマフラーの端をぎゅっと両手で掴んで軽く笑ってみせた。


「今日はクリスマスイブだし、シーヴァに何か贈れないかな、と思ってね。と言っても、娘のお下がりだし色も地味だけれど」

 確かに、マフラーの色は濃い灰色で年頃の女の子が身に着けるには少々地味である。

「そんなことないよ。すごく嬉しい。でも……、これ、娘さんの形見みたいなものでしょ??いいの??」

「いいんだ。……使ってもらった方が、作った人間も喜ぶだろうし」

「??」


 シーヴァは不思議そうな顔をしたが、イアンの様子から察するものがあったのか、何も聞いてこなかった。


 このマフラーは、イアンの妻が娘へのクリスマスプレゼントとして編み上げたものであった。けれど、娘は色が『可愛くない、こんな地味な色は嫌だ』と泣いて怒り散らし、『こんなのいらない!!』と頑なに受け取ろうとしなかった。 

 夜を徹して娘の為に一生懸命マフラーを編む妻の姿を目にしていたこともあり、娘の我が儘にさすがのイアンも厳しく叱りつけたあげく、『そんなに気に入らないのなら、雪が降るような寒い日でも絶対にこのマフラーを使うんじゃないぞ!!』と、クローゼットの奥にしまい込んでしまったのだった。


 そのせいかどうかは分からないが、その年の冬は例年よりも冷え込みが厳しかったせいで年明け頃に娘は風邪を引き、コンコンと嫌な咳を繰り返していた。

 イアンの家は食うには困らない生活ではあるものの、決して金銭的に余裕がある訳ではない。咳が続くものの、熱は全く出ない喉風邪くらいでは医者になど連れていけない。だから、 咳が止まらず喉や胸が痛いと苦しむ娘に、妻は咳止めや鎮痛剤として阿片チンキを与え続けていた。阿片チンキは、医者の処方箋なしで安価に手に入る薬なので庶民でも手に入りやすかったからだ。

 ところが、ある晩のこと。 いつものように、眠っている娘の様子を見に行った妻が中々自分達の寝床に戻ってこない。何だか嫌な胸騒ぎも感じてきたことも手伝い、イアンも娘の部屋に入るとーー、娘のベッドの前で妻が床に突っ伏して泣き崩れていた。

 

『おい、ジニー。何が起きたっていうんだ??』


 妻はイアンの問い掛けに反応しない。ただただ泣き続けているばかり。

 イアンは心臓をギュッと鷲掴みされているような痛みを胸の奥に感じながら、ベッドで眠る娘の姿を恐る恐る視界の中に入れた。

 娘は、穏やかな顔をして眠っている――、ように見えた。

 しかし、その小さな身体はすでに冷たくなっていて寝息が一切聞こえてこなかった。


『キティ??起きろよ。起きてくれ。寝たふりなんかしてお父さんやお母さんを吃驚させようとしているだけなんだろう??なぁ、お父さん、怒ったりしないからさぁ。キティ……、目を覚ましてくれ……』

 娘の死因は、阿片チンキの過剰摂取による心臓麻痺だと、後に医者から教えられた。更に『阿片チンキの過剰摂取は健康を著しく損ね、時には命を奪うこともある。安く手に入るからと気軽に使う者が多いが、本来なら禁止されてもおかしくない程の危険な薬』と聞かされ、娘が死んだのは自分のせいだと妻は自身をひたすら責め続け、遂には――


 イアンが離れの作業場で仕事する間に妻は首をくくってしまったのだ。


 最も大切にしていた家族を立て続けに、しかもどちらも防ごうと思えば防げたはずの死――、イアンは自分を責めて責めて責め続けたし、何度二人の後を追って自分も……、と思ったことか。

 だが、例え後を追ったところで二人が戻ってくるわけではないし、結局は辛い気持ちから逃げようとしているだけだと気付いたイアンは、それでも生きていくことを選んだ。

 もう三年経ったのだから、新しく所帯を持ってはどうかと話を持ち掛けてくる人もいる。自分を気遣ってくれているのだろうが、イアンは今後の人生で新しく家族を持つ気は露ほどにもなかったし、自分にはそんな資格がない、とすら思っていた。しかし、シーヴァと出会い――、もしも許されるのであれば、父親に近い存在として彼女を見守っていきたいとも思うようになってきたのだ。


 ここで、ふと我に返ってシーヴァに目をやると、困ったような、申し訳なさそうな顔でイアンを見上げていた。


「私、イアンにしてもらってばかりで、何にもお返しできない」

「んーー、別に気にするこっちゃないさぁ」

「イアンが気にしなくても、私が気にする。今日だって、私は何も贈り物持ってないし……」

「そうかぁ、そんなに言うんだったら、一つお願いしてもいいか??」

「何??」

「『お父さん』って呼んでみてくれないか」


 口に出してはみたものの、我ながら馬鹿なことを口走ったものだ。シーヴァも明らかに戸惑っている。


「……私のお父さんは、もっと若かったし、がっしりした身体つきでかっこよかった……」

「……へぇへ、どうせ俺は無駄に背がデカくてガリガリで、くたびれた三十歳ですよっと」

「えっ、イアンって三十歳なの?!」

「あーー、老けてるって言いたいんだろ……」

「うん」

「即答かよっ!」

「イアンの場合、その鬱陶しい前髪と無精髭をなんとかして、もう少し肉つけたら、それなりになると思うけど」

「そりゃご忠告どうも……」

「どういたしまして、お父さん」


 吃驚してシーヴァを凝視すると、シーヴァは悪戯めいた顔でニヤニヤ笑っている。


「お前……!大人をからかうもんじゃないっ」


 急に照れ臭くなったイアンは、シーヴァのニヤけ顔から必死で目を逸らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る