第2夜_妖怪ノ話


眩しいほどの青い空と白い雲、風に吹かれて木々がささめき合う。

その声につられて、夜之助の頭上で ちりん と小さく風鈴が鳴った。

「涼しいうちに外の仕事を片づけてくる」

そう言って祖父は朝早くから裏山へ出掛けたまま戻っていない。

そして今日も今日とてお店にお客が来る気配はない。いつも通りの日常である。


でもそれは、たった一つの存在を除いての話。


「夜之助、今日も元気に良い子で店番してるか?」

眠そうな顔をした小鬼の様なそいつは、伸びをしながらお店に入ってくると椅子に飛び上がり腰を下ろした。

「見ての通りだよ」

小さく微笑み返すと紐解(ひもほどき)は満足そうにうなずいた。

その光景に、僕にもこの存在が見えるようになったのか……と嬉しいような、でもまだ信じられないような、どうにもまとまらない気持ちになる。

「今日はなんの団子を食べるかなぁ」

 夜之助の心境にはお構いなしで、紐解きは楽しそうにお品書きを覗き込んだ。

「そうだな、今日はきなこを食べたい! あ、お茶はぬるま湯で頼むぞ!」

 紐解は食べる団子を決めると、待ちきれない様子で伸ばした足を左右に揺らした。

 夜之助は商品棚からきなこのかかった団子を2本お皿に乗せて紐解のそばに置いた。

「一番好きな味はどれなの?」

 そう聞きながらお茶をつぎはじめる。

 紐解は腕組みしながら少し悩んだが、お茶を渡すと嬉しそうに夜之介を見上げた。

「やはり一つには選べないな。この店のものは全部うまい! では、いただきます」

 紐解きは抱えるようにして団子を食べはじめた。

「そういえば、前におじいちゃんが言ってたんだけど、家には妖怪の主がいるとか、招き猫が実は猫又だとか、あれってもしかして本当の話なの? 家にも外にも色んな見えない存在がいるんだって言ってたけど」

「ああ、いるぞ。この家は特にな。ああ、いや、悪い意味じゃない。お前を見守ってくれてる良い奴らばかりだ」

「へぇ。なら、他にはどんな妖怪がこの家にいるの?」

「うーん、誰から紹介するべきか……あ、前に夜之介と話せるようになったと言ったら、便所爺も会いたがっていたなぁ。もう会ったか?」

「便所爺? 厠にお爺さんがいるの?」

「便所の神様さ。その様子だとまだ会ってないのか。あの爺さんは恥ずかしがりやだからなぁ。もし便所で気配がしたら話しかけてやってくれ」

「……会うのは厠の外じゃ駄目なのかな」

 苦笑いの夜之介を気にする様子もなく、紐解は団子を頬張った。


「そうだ、今日は風見野(かざみの)神社に前供えをしに行かねばならんのだった。夜之助も一緒に来るか?」

「前供え? なにかお供えに行くの?」

「おう、お盆が始まる前に山神さまにお供えに行くんだ。まあ、人間には馴染みのない習わしだがな。どうする?」

「どうしようかな、勝手に決めるのも悪いし、爺ちゃん帰ってくるの待ってみるよ」

「そうだな、そうするといい」

 うんうん、とうなずきながら紐解は二本目の団子をもちもちとたいらげた。

 その後、紐解は用事を片付けてくると言ってすぐにどこかへ行ってしまった。


 夜之介は先ほどの話もあったので、少しばかり気配を気にしながら家を歩いてみることにした。

祖父の家は山道に対して手前に離れの店があり、並びに広めの庭がある。その庭に面して奥に母屋があり、そこが基本的に夜之介が行き来する場所だった。

 しかし、祖父の土地には店の奥に酒蔵と月見堂があった。どちらも大きいものではないが、立派なものだった。

 酒蔵は仕事場だからと入ったことはなかったが、月見堂には何度か入ったことがあったので、久々に行ってみることにした。


 ジワジワと蝉のなく木々を抜けて月見堂の戸に手をかける。

軋む戸を開くと懐かしさに包まれた。独特な木とお香の香り。その香りを味わってから中に入り、向かいの戸に近づく。

月見堂というだけあって、奥の戸を開くと周りの山や空が一望できる。夜之介はここから見る景色が好きだった。

 この時期なら深い緑の山間と真っ白な入道雲、そして鮮やかな青い空が見えるだろう。

 そう期待して戸に力を込めた。

「うわあっ」

 予想していた景色の前に、予想外な姿が目に入り夜之介は飛び上がった。

 それに驚いたのか、相手も目を真ん丸くして固まっている。

「あ、すみません。人がいるとは思っていなくて。あれ、でも人? お客さんは来てないし、この家の妖怪? はて?」

 夜之介の戸惑っている様子を見て、相手の女性は上品に笑った。

「ごめんなさいね、私もあなたが私に気が付くとは思ってもいなかったから。驚いちゃった」

「ここで、何をしていたんですか?」

 夜之介は女性の隣に腰を下ろすと、女性は遠くの景色に視線を移した。

「何もせず、いえ、なにもできずにただ景色を見ていたの」

「何もできず?」

「ええ、大切な人とはぐれてしまって。どうにも、私からは会いに行けないようなので、ここで待たせてもらっているの」

「ずっと待っているの?」

「ええ、ずっと待っているつもりよ。あの人が私に気づいてくれるまで」

「ずっとは大変じゃない? そうだ、おじいちゃんに何か聞いてみようか? その相手がみつかるかも」

女性は悲しげな表情で優しく微笑んだ。


「ありがとう。でもね、いいの。大丈夫よ。あの人の居場所はわかっているから。そうだ、私と出会ったことは皆に内緒にしておいてくれるかしら? 私と、あなただけの秘密にしておいてほしいの」

「、、、うん。わかった」

 他にも聞きたいこともあったのだが、夜之介は否定することができず、ただそれだけを答えた。

「優しい子ね」

 女性は夜之介の頭を撫でた。その表情が優しくも切なく、儚さを感じる。

「僕、もう戻るね。友達が戻ってくるかもしれないから。またここへ来てもいい?」

 気恥ずかしさを隠すように夜之介は立ち上がると、女性はやわらかく微笑み頷いた。


 昼過ぎになると祖父が帰ってきた。

「藍蔵さま! 今日の風見野神社への前供えに夜之助を連れて行こうかと思うのだが」

「ああ、ちょうどわしもどうしようかと考えておったのだ。そうだな、一緒に行くといい」

「まかされました! では夜之助、さっそく出掛けるぞ」


 祖父が団子を笹の葉で包み紐で縛ると、夜之介に持たせた。

「さぁ、出発だ! 藍蔵さま、行って参ります。夕刻までには戻りますので、ご心配なく」

 元気に紐解が声を上げると、すたこらと駆け出して行ったので、慌てて夜之助も飛び出していった。

「道中気をつけてな」

 後ろから祖父の声が聞こえたので、二人は反身を返して手を振った。



 昼下がりの蒸し暑い山道を紐解の後について歩いていると、小さな丘にたどり着いた。

「手向けの花を摘んでいくぞ」

 そういうと紐解きは小さな手で花を摘み始めた。

 夜之助は待宵草を少し摘んでから、真っ白なヤマユリを見つけ2本手折った。

 紐解の様子を伺うと、小さな手でセリやカタバミ、ハゼランなどの小さな花を花束のように器用にまとめている。


「なんだ? いろいろと聞きたそうな顔をしているな?」

夜之助が見つめてしまっていたからか、紐解は心を読んだかのように問いかけてきた。


「いや、そうなんだけど、なにを聞いたら、なにから聞いたらいいかわからないんだ」

 少しばかり考えてから夜之助から口を開いた。

「前供えって妖怪達が毎年やってるの?」

「ああ、人間でもお盆というのがあるだろ? その盆のある月のはじめの日に"かまぶたち"ってな感じの名前の習わしがあって、その日から地獄の釜が開くんだそうだ。お盆の時期はむやみに川や池に近寄っちゃいかんと言われてきたろうが、それは釜から出てきた奴等に黄泉へと呼ばれるからだな。こちらへ来る魂のため、こちらにいる魂のため、無事に過ごせるよう、山神さまに見守ってて下さいと願いを込めて、おいら達は前供えってのをしているんだ」

「そうなんだ、妖怪でも黄泉は怖いの?」

「怖い? いや、おいらには死んだら黄泉に行くという概念はないからな。んー、まぁ毎年の習わしだ」

 けらけらと笑いながら紐解が説明した。

「さて、そろそろ風見野神社に向かうとするか」

 紐解が立ち上がると夜之助は自分の手に持った花の色どりが物足りないような気がした。

「なんかぱっとしないんだけど、手向けの花ってこんなもんで大丈夫かな」

「大丈夫、大丈夫。こういうものは気持ちだからな」

 なんだかもやもやしながらも、二人は来た道を少し戻った。



 ふと、山の細道を歩いていると桃色のサルスベリの花がたくさん咲いているのをみつけた。

「夜之助、これを一房手折らせてもらってはどうだ? きれいな桃色だぞ」

「そうだね、これで色合いも華やかになる。ありがとう」

 少し手折るのに手間取ったが、摘んだ花と合わせると黄色・白色・桃色と華やかになり、もやもやしていた気持がなくなった。

 紐解は満足そうに笑うと足を速めた。


 神社へと向かう参道に入ると、前方から怪しげな綿ぼこりのようなものが、三つ四つふわふわと飛んできた。かと思えば、紐解の周りをぐるっと囲み、からかうようにつついてから、夜之助の横を通り過ぎて行った。

 なにか植物の綿毛の様だったが、細くて長い尾がついていた。不思議に思い、通り過ぎて行った後を夜之助は足を止めて見つめていた。

「さとり達だな。まったく、いつもいらんことを言って去って行くのだから」

「なにか言われてたの?」

「悪いやつではないのだが、人をからかうのが好きな奴等で人の心を読むんだ。なにが"浮かれすぎには注意するのですぞ"ってんだ」

 怒っているのかと思えば、けらけら笑いながら紐解はまた歩きだした。

「ちょうど前供えを終わらせてきたところなのだろう、この時期は必要以上に顔を出さないで、ひっそり住みかに潜んでる奴等だからな。今もいそいそと帰って行くところだと思うぞ」

「さとり、か。紐解の友達なの? なんだか素敵な雰囲気の妖怪だね」

「いんや、友達と言うより顔なじみってやつかな。見てる分には確かに和む奴等だが、心を読まれるのは良くも悪くも緊張するもんだ。ま、おいらはもう緊張なんざしないけどな」

「心をかぁ、ちょっと怖い気もするね」

「まぁ、だからこの時期は人の思念が強いから彼らなりにも嫌気がさすらしいぞ。喜びや悲しみ、憎しみや恨みとな」

「考えたことないけど、あまり知りたくないものだね。そっかぁ、黄泉から……うーん」

「心の読めないおいら達が、あんまり気にすることでもないさ」


話しているうちに鳥居の前までたどり着き、一礼をしてから境内へと足を進める。


 風見野神社の境内には、すでに来ていた奇怪な者たちが、あちらこちらで参拝をしたり話し込んだりしている。

 その中の半数の者たちが夜之助に気がついては、ひそひそと何かをささやくのであった。

 自分のことだと思うのは自意識過剰な気もしたが、居心地が悪くなってしまった夜之助は視線を落とした。

「何も気にすることはないぞ。新米の人間は珍しいものだ」

「本当にたくさんの妖怪がいるんだね。やっぱり人間が来るのは珍しいのかな、爺ちゃんも心配していたし」

「そうだな、昔馴染みの年寄りは何人かいるがな。若い参拝者ってのはなかなか見ないな」

「人間もいるんだ、ちょっと意外かも」

「普段、妖怪が見えるわけではないけど、何かの拍子にこの習わしを知ってなぜか毎年律儀に来る年寄りは多いかな。詳しい理由はおいらにもよくわからん」

 お手水で清めてから拝殿へ向かい参列していると、後ろに並んできた二足立ちでミソハギの花束を抱えた狸が声をかけてきた。


「おやおや、人の童とは。珍しいのう。さては藍蔵のところの若造かのう?」

「藍蔵と来てないところを見るなり訳ありかの」

「まぁええ、ええ。奴のことじゃ。そうかい、そうかい」

「あんちゃん、ねえちゃん、お腹すいた」

 兄狸の背後に隠れていた姉弟と思われる二匹の子狸もひょっこり姿を表した。

 何を言われたのかわからずに戸惑っていると、紐解がぴょこんと夜之助の肩に乗った。

「ひさしいな、元気でやってるか」

「おや、紐解殿もご一緒で。こりゃ失礼仕った(つかまつった)。なんとか達者でやらせてもらってますわい」

「でもまだおっかちゃん見つからないの。探しに行ったおとっちゃんも帰って来ん」

「お腹すいた」

 話の見えない夜之介は兄狸と紐解を交互に見つめてから、弟の子狸に視線を落とした。

「おいらもその後、情報は聞いてないな。もし本当に困った時は藍蔵さまの元に尋ねることだな」

「ええです、ええです。私らも薄々は気づいておりますわい。私らのように、この山の加護を受けているモノは、この鎮守の山から出てしまったら長くはないと。藍蔵様に訪ねたら、きっとすぐに真実がわかるでしょう。でも私らはそれが怖い。このまま両親に会えずとも希望を持っていたいのですわい」

「うむ、それならそうするといい。いつか、どこかで会えるといいな。夜之介オイラにも一本くれ」

 夜之助がお供え用にと持っていた団子の包みを解いていると、すかさず紐解が反応してきた。

「駄目だよ、朝も食べたんだから。お供えの分がなくなっちゃう」

 そう言いながらしゃがみこむと、夜之助は子狸に一本ずつ団子を差し出した。

「どうぞ食べて」

「こりゃ、すみませんですわい。このご恩はいつか必ず」

「いえ、気にしないでください。でもあの、ここの加護を受けているモノは、この山から出ると長くないってどういう事ですか?」

 子狸達は嬉しそうに団子を頬張りはじめていた。

「そのままの意味ですわい。私らのように力の弱いモノはこの山の加護を受けながら生活しております。基本的には一生をこの山で全うしますから、本当にありがたいものなんですわい。色々な危険から守られ、いざという時には助けに来て下さるとか。しかし、ちょいと噂がありましてな。この山の守護神、若菜様はとある山神様に妬まれておられるようで、何の執念か若菜様の守護範囲から出てしまった守護配下の者たちが狙われるんだそうでして。傷だらけで帰ってきた者もおりますわい。おや、もうすぐ順番が参りますぞ」

 前を向くと参拝の順番が近づいていた。

「ほれ、ちゃんとお礼をしぃ」

「あの、ありがとう。ごちそうさまでした」

「おいしかった。ごちそうさま」

 子狸が嬉しそうな顔でお礼を言うので、夜之介も嬉しくなった。

 参拝を終えて狸の兄妹ともお別れすると、まっすぐ家に向かった。

 その道中、色々考え事をして口数の減った夜之介に紐解が声をかけた。

「また何かを聞きたそうな顔もしてるな。溜め込むことはないぞ。溜めたって、なんもいい事なんてないからな。おいらにゃ言葉を選ぶ必要もない。なんでも聞いてくれ。ただし、説明は下手だがな」

 そう言ってけらけら笑った。夜之介は自分でも考えを整理をするようにゆっくりと話始めた。


「さっきの狸のお兄さんの話なんだけど、なんか他人事に聞こえなくて。狙われて、何者かに襲われる。……でも僕はこの山の人間じゃないから、関係ないと思うんだけど。それと、あの兄妹は両親に会いたがっていた。僕も両親と別れたのに、会いたいのか自分でもよく、わからないんだ」


夜之助が言葉を止めても、すぐに返事は帰ってこなかった。さすがに変な事を話したかと思い、紐解を呼びかけようと口を開いた時だった。

「うん、そうだな。夜之介のためにも言っておくべきだろう」

 そこで紐解は立ち止まり、夜之介に向かい合った。

「夜之介、お前はこの山の加護を受けている。今日の前供えはお前の挨拶も兼ねていた。だからこれからは決して、一人で山を降りたりするんじゃないぞ、危険だからな。あと……両親の事だが、気にすることはない。育つ環境も違えば感じる気持ちも違うものさ。そう思えない自分を卑下することはない。いずれ、わかる日が来るかもしれないしな。さ、帰るぞ」

 にっ、と不器用に笑うと紐解はすぐに歩き出した。

「え、ちょっと待ってよ。なんで僕もこの山の加護を受けているの? いつから?どうして」

「……夜之介はこの山の川で溺れた記憶はあるか?」

 紐解はこちらを見ようとせず、背を向けたまま答えた。

「あんまり覚えてないけど、溺れて死にかけた話はお母さんから聞いたよ」

「その時だ。お前が、この山の加護を受けたのは」

 珍しく紐解は口ごもりながら、なんとか笑うような表情でこちらを向いた。

「おいらはその現場にいた。でも見ての通り、おいらは体が小さいから。あの時、それ以外の方法でお前を助ける術がなかったんだ。その時はまだ、山の加護を受けた者が襲われるなんてことも知らなくて、若菜さまに助けを求めたんだ。その後、お前が襲われてるかもしれないという事を知ったが、怖くてすぐに藍蔵さまへ打ち明けられなかった。……悪かったな」

 寂しげな表情で微笑むと、紐解はまた前へ歩き出した。

 夜之介は言われた言葉を飲み込めず、立ち尽くしていた。


いつの間にか、僕は山の加護を受けていた。

紐解が溺れた所を助けてくれていた。

でも、今まで何かに襲われていた原因はそれだった。


ぐるぐると色々な可能性を巡らせる。

もしも、あの時、そうでなかったのなら。


ふと、紐解が少し離れた位置で待っていてくれている事に気づき、夜之助はまたゆっくりと歩き出した。


二人の間から会話は途切れた。


 遠くで蛙の声が聞こえる。

 彼らも誰かを待って鳴いているのだろうか。


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