第132話 新星
「なんだか面白いことがあったみたいね」
佐藤家の実家に戻ったところ、何人かがそんなことを言ってきた。
受験生である真琴も、少し一休み。
一応は合格圏内に入っているので、それほど心配してはいない。
問題なのは本番でちゃんと平常心を保てるかどうかということだ。
そういう場合はスポーツをやっていたことが役に立ってくる。
「まあ勝負らしい勝負は、実戦じゃないとないしな」
直史としてはわざと打たせて自信を付けさせる、ということをよくやっていたため、この状況では勝負にならないと思っている。
三打席目の勝負は、昇馬が三振を奪って勝った。
つまり二つの三振を奪われたが、一打席はヒットを打っただろう、という具合になる。
これで得をしたのは、圧倒的に司朗である。
昇馬は既に、甲子園で活躍した司朗のことを調べることが出来る。
だがシニアではほぼ確認できない昇馬のピッチングを、こうやって実際に体験したのであるから。
春の関東大会は、夏のシードにつながってはいる。
だがそれほど重要な試合ではない、と言ってしまってもいいだろう。
とりあえずベスト4ぐらいに入って、シード権を取るのは必須であるが。
夏は消耗戦だ。
少しでも体力を温存するため、試合は一つでも少ない方がいい。
東京はそれなりに、強いチームが多いのだから。
このあたりの事情を、昇馬は知らない。
アメリカにいたから知らないと言うよりは、純粋に興味がないのだ。
アメリカの中学や高校では、全国規模の試合はあまり行われない。
大学に行って初めて、全国の強豪と対戦することになる。
なのでドラフトも、高卒選手も指名するが、大学のアーリーエントリーの選手が目玉になったりするのだ。
直史は今日の、対戦と言うよりは練習で、二人の甥の力を見た。
どちらも世代を代表するような選手になれる資質は、充分にあると思う。
あとは下手に怪我をせず、上手く育成されていくかだ。
司朗の方はジンに任せておけば問題ないだろう。
そして昇馬の方は、鬼塚に任せることになる。
あれもああみえて実は理論派なので、問題ないとは思う。
ただ真琴がどう関連していくかは、かなり心配ではある。
女子離れした能力、というのはよく言われる。
だがそれも同年代から成人女性の能力より高いというだけで、男のアスリートにはさすがに及ばない身体能力だ。
それでも一年目の夏、甲子園に出場するためには、真琴の力は必要になる。
キャッチャーとしてだけではなく、ピッチャーとして。
130km/hを出せる左のサイドスローというのは、それだけの価値がある。
受験が終われば、わずかな時間がある。
しかしその時期、直史はレックスのキャンプにいるため、教えることが出来ない。
(今しかないか)
真琴ならば習得できると思う。
柔軟性が極めて高くなければ投げられない、魔球と呼ばれる存在。
即ち、スルーの完全な伝授である。
これにスルーチェンジを加えれば、MAX130km/hのピッチャーなら高校野球で立派に通用する。
あとは昇馬であろう。
スライダーの習得と、カーブの習得。
しかし右腕でもストレートの制圧力は絶大だ。
(大砲になる右、鋭く切り込む左)
右でも一つぐらいは、変化球を使えればいいが。
(カットボールか、チェンジアップでいいかな)
こちらは入学試験が、簡単なものと面接なので、ある程度は時間が取れる。
真琴にも勉強の息抜きに、ある程度は教えていこう。
高校生になってしまうと、教えるのに支障が出る。
もっともSBCを使って秘密裏に教えることは出来るのだが、それは危険性が高い。
昇馬に対しては、まず右でチェンジアップを投げられるように教える。
スプリットでもいいのだが、肘への負担などを考えると、抜けて落ちる緩急というのが、やはり右にはほしいのだ。
それにしても156km/hを投げる中学生というのは、直史をして意味が分からない。
直史がプロで出した最高速が、156km/hであったのだが。
左ではスライダーを二種類、つまりカッターと一緒に教える。
そして二種類のカーブ。
抜いて回転をかけるタイプと、完全に縫い目に手をかけて回転をかけるタイプ。
これまで昇馬はアメリカにおいては、負荷があまりかからないよう、握り方だけで変化するツーシームと、上手く力を逃せるチェンジアップだけを学んできた。
ただ昇馬の肉体は、身長だけではなく体重もある。
まだ伸びが止まっていないので、190cmまで届くかもしれない。
司朗は下手に筋肉を付けず、全身のバネを使って打つタイプである。
これはむしろ野球以外の瞬発系スポーツに向いている。
こちらも身長の伸びは止まっていないので、下手なトレーニングをさせていない。
ジンらしい指導である。
司朗は武史一家と共に、年末年始をこちらで過ごせば、あとは東京の恵美理の実家に戻る。
そんな司朗に対しては、大介がほんの少しだけ教えた。
もっとも大介の場合、他人に教えられることは少ないのだが。
それでも基礎となる部分は、やはりコツがあるのであろう。
年末、佐藤家では紅白歌合戦を見る。
裏番組を見たい人間は、普段直史の両親がいる家のテレビに向かうことになる。
「紅白を普通に楽しめるようになると、年を取ったって気がするな」
直史がそんなことを言うと、周囲からは苦笑が洩れる。
「最近の本物の売れてるミュージシャンは、年末に自分たちでライブしてたりするからね」
こういうことに詳しいのは、武史の次女である玲である。
「まあ、あと四年もすればあたしたちが紅白に出場するし」
無言でコクコクと頷いているのは、一応は大介の養子であるのだが、実際は恵美理の弟子となっている花音である。
正直なところ、玲の方はまだ未知数。
だが花音はおかしいぐらいにピアノが上手い。
直史も子供の頃は習っていたが、そういうレベルではない。
コンテストなどに出ればいいと恵美理は思うのだが、どうも花音はクラシックにはあまり興味がなさそうなのだ。
そのあたりは実母と似ている。
芸術的な才能というのは、遺伝するのか。
それはサンプルの数が少ないため、安易に結論を出すことは出来ないだろう。
だが少なくとも花音は、イリヤの才能を受け継いでいる。
一度だけ聴いた曲を、そのまま耳コピしてピアノで演奏する。
そしてそのまま、ここはこの方がいいと、新しい曲にしてしまうのだ。
彼女に残された、イリヤの遺産。
それは金銭的なものも大きいが、それよりもっと大きいのは、未発表曲の数々である。
イリヤは27歳の若さで死んでいるが、その短い生涯で二万曲ほどの楽曲を作成した。
もちろんその全てが傑作というわけではないが、今でも通用しそうな未発表曲が大量にあるのだ。
花音がどうにかしないと、これらの楽曲は埋もれていく。
恵美理としては花音には、この文化的な遺産をどうにかしてほしい、とかなり切実に思っている。
ぼんやりと聞いているが、プロである恵美理の耳からすると、下手くそな歌手というのが多いらしい。
武史などはそこまで、繊細な耳を持っていないのだが。
「あ、この子は上手いわね。デビューして連続で紅白出てるんだっけ?」
「あ~、でも来年ぐらいからは、もう出ないんじゃないかな。紅白って出演料は安いから、顔を売るための場所って言われてるし」
「でもこの人なら、イリヤの曲を提供してもいいと思う」
花音は自分の実母のことを知っているが、名前で呼ぶ。
彼女にとっての母親とはツインズであり、あるいは恵美理であるのだ。
花音は将来、どうするつもりなのだろう。
おそらくこの才能は、世間が放っておかないだろうが。
少し問題はあるが、演奏も歌唱も両方が出来る。
しかし花音は、母親の件で日本の音楽業界からは、かなり敬遠される可能性がある。
なにしろイリヤの登場によって、あのわずか数年間で、日本のアーティストの権力構造は一気に変化したのだから。
彼女がアメリカに戻って、ほっとした業界人は多かった。
まさかそれから間もなく、暗殺されるなどとは、さすがに誰も思わなかったろうが。
その喪失は、世界的な音楽業界の損失と言われたものだ。
彼女の提供した楽曲が、ビルボードの上位に復帰し、蹂躙したのは一つの伝説である。
「花音は弾き語り出来ないからね」
恵美理がそう言うが、花音の重大な欠点である。
だがそれには、明史が提案する。
「じゃあネット配信だけすればいいんじゃない? 全部自分で弾いて、最後に歌を乗せるっての。多分出来るはず」
とりあえず生命の危機の去った明史は、色々とやりたいことがある。
もっとも激しい運動などは、まだまだ止められているが。
子供たちの未来の話を聞いて、大人たちは微笑ましく思っていた。
日本の深夜、つまりアメリカであれば昼間。
日本からの連絡を、彼女は懐かしい思いと共に通話を開始する。
「久しぶりじゃない。そちらは深夜でしょ」
『ええ、少し話がしたくて。いいかしら』
「友人としての話なら、随分久しぶりすぎるわね」
『そうね。そろそろ貴女の力が必要になってくるかもしれない。来年か再来年あたり、日本に来る予定はない?』
その言葉の選択に、世界の歌姫の一人、ケイトリー・コートナーはわずかに考え込んだ。
「確かに来年は、日本ツアーの予定は入っているけど」
『彼女が、つまりイリヤの子が、本気で音楽を始めるかもしれない』
それは、ずっとケイティが待っていたことだ。
イリヤは生前、自分に何かがあった時に、その子供を誰に託すかということを、文書に残していた。
養育に関してはツインズ、そして音楽の道に進むなら、恵美理かケイティのどちらかに頼む、という感じに。
恵美理はPTSDでアメリカに来ることは出来なくなっている。
だが世界の最大の音楽市場はアメリカなのだ。
日本に収まっているなら、ケイティの力は必要ない。
だがアメリカに進出するなら、絶対に必要だ。
「どんな感じで育ってるの?」
『健康に育っているけど、前に言った欠点は直ってないわね』
「おかしなものね」
楽器の演奏をしながら、歌うことが出来ない。
無理に歌おうとすれば両方が止まってしまう。
それでも、認められる才能。
『まだ、時間はあるけど』
「わかったわ」
彼女の血を受け継いでいるから、優秀というわけではない。
それでもケイティは、その才能を信じている。
年が変わった。
一族総出で、近所の神社にお参りに行く。
そして正月だけは、この母屋で過ごす。
近所から挨拶などがあったりもする。
二日目ともなると、武史たちは東京に戻る。
もっとも恵美理の両親が日本にいない場合などは、もう少し長くこちらにいたりもするのだが。
佐藤四兄弟の母とは、恵美理はやや相性が悪い。
嫁姑問題が発生するため、ある程度の距離を取って付き合っているのだ。
しかしこの少子化の時代、佐藤兄弟はどこもがよく産んでいるものだ。
直史の家は三人、武史も三人、そして大介のところは二人で六人。
花音も育てていたことを考えると、七人としてもいいだろう。
だがまさか、ここからまださらに増えるとは、ちょっと予想していなかったかもしれない。
高齢出産も珍しくない現代では、特に驚くべきことではなかったのかもしれないが。
それはもうちょっと先の話で、直史と大介は自主トレを開始する。
千葉SBCの施設を使ったもので、武史は神奈川SBCに向かった。
武史の性格を考えると、二人と一緒にやった方がよかったのであろうが。
「あと何年、これが続くのかな」
「俺の場合は、目がついていかなくなったら、そこで終わりだろうな」
バッターにとっては、確かにそれが重要である。
他の筋肉の衰えよりも、ずっとそれだけが重要なのだ。
どれだけの優れたバッターであっても、まず45歳になれば戦力として機能しなくなる。
高齢まで活躍した強打者としては、門田博光などが代表だろうか。
それでも45歳ぐらいである。
「昇馬が高卒でプロ入りすれば、親子対決が実現するかもな」
「それは厳しいな」
さすがの大介もそこは強気になれない。
大介のバッティングは、日本シリーズの中盤あたりからは戻ってきていた。
それでも以前のような当て勘は戻りきっていない。
ライガースの選手たちが、果たしてキャンプまでのどこまで戻してくるか。
それはプロであるのだから、ある程度は期待している。
だがそれより深刻なのは、直史の方であった。
先日司朗を相手に投げた時も、まだ復調には遠い状態にあった。
そしてそれは今も同じである。
元々キャンプの中でゆっくりと仕上げていくタイプではある。
だがオフの間もそれなりに体を動かして、鈍らないようにしていたのがこれまでの直史だ。
ただ去年のシーズンは、レギュラーシーズン終盤からのスケジュールがひどかった。
なので今年はかなりオフは休んだ。
アメリカに行っていたというのも、大きな理由であるが。
キャンプの始めには、既にかなり仕上がっている。
それが例年の直史であった。
もっとも去年の場合、キャンプではまだ感覚が取り戻せていなかったが。
完全ではない状態でも、試合には勝ってしまう。
それは直史の支配力が、フィジカルにばかり頼ってものではないからだ。
ただ現在の直史は、メンタル的にもまだ回復していない。
あるいはあの領域にまで行ってしまえば、致命的なダメージとなっている可能性すらある。
オーバークロックというのは、やはり正常な使い方ではないのだ。
人体は高熱を発すれば、蛋白質が変異して、後遺症が残ったりする。
靭帯や軟骨なども、回復しない部分はあるのだ。
直史はもう毎日、柔軟とストレッチに時間をかけて、パワーを使うメニューは最低限にしている。
球速は計測してもらうと、145km/h程度しか出ない。
もちろんたっぷり休んだ後で、そんなにすぐにスピードが出るわけはない。
ただそもそもの上限が、もうかなり落ちてしまっているという気はするのだ。
去年の終盤、150km/hオーバーが投げられた理由。
リミッターを切ったからであろうが、その安全リミッターがかけられている状態では、このスピードが限界なのだろう。
変化球に関しても、指先の感覚が微妙である。
しっかりと変化はするのだが、変化させた上でコースまでコントロールするのは難しい。
衰えと言うよりは、肉体の老いを感じる。
まだ40代だと言うが、野球選手の40代が他にどれだけいることか。
他の職では40代の肉体労働はいくらでもいる。
だがアスリートというのは、肉体の限界に挑む人種であるのだ。
耐久力と回復力、特に回復力の衰えを感じる。
直史一人が頑張っても、チームが勝てないのは確かである。
今年のドラフトでも、社会人から高校生まで、バランスよく指名していた。
去年はいきなり二人が即戦力であったが、果たして今年はどうなることか。
直史の知っている名前も、その中にはあったりする。
新しい世代への継承。
どうも司朗は野球を人生の中心に据えようとしているらしいが、昇馬はそういうタイプではない。
白富東にしても、スポーツ推薦ではなく帰国子女枠。
アメリカではやっていたバスケットボールを、日本でもやろうとしているらしい。
ただ日本は野球に関しては、感覚こそ違えど高レベル。
しかしバスケットボールの頂点は、まだまだ遠いところにある。
(結局、野球をやるしかないのかな)
チームスポーツをやるには、かなり性格が向いていないのでは、と思った。
昇馬は言うほどの個人主義者ではない。
だがそれはアメリカ基準の話だ。
日本基準で言うならば、間違いなく個人主義者である。
この冬も最低限の勉強をすると、山の中へ踏み入っていく。
現在は猟期であるため、他の猟師の罠を見回っていたりする。
アメリカでは普通にライフルも撃っていた昇馬であるが、アメリカでも立派に違法である。
ただアメリカは、自衛のために銃を持つというのが、人々の意識に含まれている。
アメリカではアジア人差別というのが大きいのだ。
そのための自衛意識を、昇馬はずっと持っていた。
実際に実母である椿は、かつて銃で撃たれたことがある。
それは大きな事件となり、犠牲者となったのがイリヤであった。
昇馬はあまりはっきりとは憶えていないが、それでもこの件は普通に、ネットを探せばいくらでも詳細を知ることが出来る。
正当防衛で椿が犯人を殺したというのも。
ナイフだけではなく鉈をも装備し、雪が積もっているわけでもない山を見回る。
このあたりで危険な獣は、猪である。
熊がいないというのは助かる。アメリカではグリズリーなどという巨大な熊がいたものだ。
母は武術の達人であるが、それでも野生の獣とは対決してはいけないと言っていた。
人間が武器とするものを、獣は最初から持っている。
草食動物でさえ、危険な代物なのだ。
ちなみに世界では、人間を殺している大型獣の上位に、カバがいたりする。
見た目は愛嬌がある生き物だが、その重さはそのまま戦闘力になる。
水の中ならライオンでさえ、戦闘を避ける生物だ。
他には野生馬なども、基本的には好戦的でないが、戦ったら負ける生き物である。
(やっぱり銃がないとなあ)
猟銃免許だけではまだ不足で、そこからライフルを使いたい。
日本の法律では、10年以上も先の話になるだろう。
まだ高校生になっていない昇馬には、指導が可能であるのだから、なんとも不思議な話だ。
そして大介にとっても、バッティングピッチャーがいるのはありがたい。
「あいつ、左で投げるとタケ、右で投げると上杉さんに似てるな」
「ああ、それは確かに」
投げる手を変えただけで、そういう変化もあるのだ。
ストレートを投げたとしても、その質が違うのであれば、それぞれの打席で相手をするピッチャーが違うように感じる。
これが一打席の間で、左右の投げる手を変えられれば、とんでもない武器になったのだろうが。
現在のルールでは、一つの打席において、投げる手は片方だけになっている。
速球に弱いバッターに対しては、コマンドがやや低いが球速のある右。
そしてコンビネーションを使うならば、左で投げればいい。
最高球速は右で出しているが、おそらくコントロールをアバウトにすれば、左でもそこまでは出る。
あまり大介が育てたわけではないが、とんでもないピッチャーに育ったものだ。
日頃は母親の影響。
そしてテレビの向こうで活躍する父。
ボーイスカウトで培ったサバイバル技術。
なんでもアメリカでは、父親は息子にキャッチボール、火おこし、釣りの方法を教えるのが義務であるらしい。
もっとも火おこしや釣りなど、大介も出来ないのだが。
ちなみに直史であれば、全て出来たりする。
田舎で育った人間を甘く見てはいけない。
ただ火おこしなどというのは、今はもう必要でない技術だと思うのだが。
ファイアスターターで充分だろう。
昇馬へのツーシームにチェンジアップの指導。
そのあたりは直史も、教えるのが難しい。
なにしろ直史の変化球は、腕の撓りによって変化につながっているからだ。
昇馬の場合は腕は長いが、撓りはそこまででもない。
「とりあえずカーブを教えるか」
あとはチェンジアップでも、その落ちる方向を左右する方法など。
ただそういった球種などよりも、昇馬が気にかけなければいけないことはある。
それは球数制限である。
県大会レベルであれば、真琴も充分に戦力になるだろう。
だが甲子園にまで勝ち残れば、通用しない相手も多くなる。
ツーシームなどで相手の打ち損じを狙うこと。
トーナメントを勝ち進んでいくためには、必ず必要なことだ。
パワーだけではルールによって敗北する。
直史の場合、同学年に岩崎がいた。
そして一つ下には武史とアレクがいた。
おかげで一人で投げきる試合というのは、極めて限られていた。
真田相手に投げ合ってしまったのは、今から思うとやりすぎである。
もっともあれをしなければ、おそらく試合には勝てなかったろうが。
こう言ってはなんだが、新潟県勢の初優勝を演出したのは、良かったのだと思う。
そしてその年、スターズは日本一になっているのだから。
実際のところ、甲子園の優勝までを考えるなら、どうすればいいのか。
昇馬はおそらく、体力的な問題もある。
純粋な体力で言えば、昇馬は相当にタフである。
だが夏の甲子園の暑さは、そういうものではない。
マウンドに立っているだけで、そのスタミナを削っていく。
あの極限の暑さへの対策は、経験してみないと分からないであろう。
二月のキャンプインに向けて、直史は体作りをしている。
だがそれに付き合っている大介は、直史の体力の限界を感じていた。
去年の試合でも、それは感じていたのだ。
もう直史は本格的に衰えている。
言うなれば気合によって、去年は力を引き出したのだ。
それこそ肉体と生命を削りだすような覚悟で。
運動をしても、休養と食事がなければ、肉体は強化されない。
直史はもう、サプリなどで栄養素を補給している。
一般的な食事であれば、もう肉体の修復には間に合わない。
おそらくシーズンの中盤まで、全力で投げるのは難しいのではないか。
そしてそこまで、力を使わずに投げることが出来るだろうか。
完投を直史は求められるだろう。
だがそれが難しいのは、本人が一番良く分かっている。
単純に球数を減らせばいいというわけではないのだ。
来年のレックスの戦力は、オースティンが抜けるのが一番痛い。
不動のクローザーが抜けて、そこに誰を入れるというのか。
直史は無理である。クローザーのような休みの少ない起用法はされたくない。
そもそも先発の看板の一人を、クローザーにするわけにはいかない。
これはフロントとの契約でもはっきりと定めたことであるのだ。
ただ首脳陣からすれば、それも一つの選択肢になってしまうのだろう。
昨年のレックスの最終的な敗因は、ピッチャーであろうか。
確かに直史以外で勝てなかったのだから、そう思ってもおかしくはない。
だが冷静に考えてみれば、得点力が相当に低かった。
直史は援護が少ないピッチャーだが、直史以外のピッチャーの試合でも、レックス打線は沈黙してしまったのだ。
つまり圧倒的に、打撃力不足なのである。
セットプレイでの得点だけでは足りないのだ。
レックスは育成の首脳陣というだけあって、去年は迫水と左右田の二人が、ドラフト下位指名から主力となった。
左右田は怪我も癒えて、今年もショートとして期待されている。
あとのポジションも、それほどの変化はない。
比較的若い選手が多いのが、レックスの特徴であるのだ。
その若さのせいで、勝負どころに勝てなかったとも言えるのかもしれないが。
二軍の方でもかなり、使えそうな人材は出てきたのだ。
チームが優勝争いなどをしていなければ、一軍の試合で使われていただろう。
本来ならばそのための首脳陣であったのだから。
(今から考えれば、首脳陣の間違いってよりはフロントの間違いだったんだな)
去年のイースタンリーグ、レックスは優勝しているのだ。
つまりそれだけ、一軍に上げてもいい選手はいたはず。
そしてそれを試合の中で上手く育てる。
長期的に見れば、そういう計画があったはずなのだ。
だが直史が頑張ってしまったため、レギュラーシーズンの終盤まで、試すということが出来なかった。
そう考えると多くの采配ミスらしきものがある貞本たちは、むしろ被害者なのか。
百目鬼がローテに定着したことなど、現場判断の正解だと思う。
後から思えば、という意見はある。
ただ最初から、レックス首脳陣は、勝つための布陣ではなかったと言える。
(今年はどこか、替えてくるところはあるだろうな)
それにしても、オースティンのいなくなった後をどうするのか。
クローザーの代わりなど、そう簡単に見つかるものではない。
寮開きの日がやってきて、レックスに新たな人材がやってくる。
即戦力を期待される選手も多いが、去年は高校から社会人まで、人材は豊富と言われていた。
その中でもレックスは、ピッチャーを多く取っている。
去年の打撃成績を見れば、むしろバッティングを考えるべきではとも思うのだが、どうやらフロントはそう考えなかったらしい。
直史がプロでいられるのも、あと数年であろうに。
だからこそピッチャーを、今のうちに育てようというのか。
イースタンの試合では、レックスの打線は守備こそ微妙だが点は取れるバッターがいたという。
貞本たちの傾向は、采配においては無難。
勝負師になれるコーチが、一人は増えないといけないだろう、と直史は思っている。
それにしても今年のレックスは、去年よりも戦力が落ちるはずだ。
誰よりもまず、直史のパフォーマンスが落ちるからだ。
不敗神話は今年で終わる。
誰よりもまず、直史自身がそれを確信している。
そして一緒に自主トレをしている大介も、それを感じているのだ。
(とかいってなんだかんだ、完封してしまうのがナオなんだけどな)
大介もライガースの新人については、やはりチェックしていた。
ライガースは選手の流出などもなく、戦力の低下はない。
だが普通に大介自身が、衰えを感じかけている。
大原がまだ現役というのも、戦力の更新が出来ていないと言えるだろうか。
確かにイニングイーターとしての役割は、まだまだこれから果たしていける。
ライガースには勝利までは届かなくても、試合を作れるピッチャーが必要なのだ。
ただ去年のことを考えれば、シーズン終盤までは投手陣が薄いと言われていた。
ほんとうにポストシーズンに入ってからは、むしろ打線が止まってしまっていたが。
×××
次話「限界と無限」
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