第132話 新星

「なんだか面白いことがあったみたいね」

 佐藤家の実家に戻ったところ、何人かがそんなことを言ってきた。

 受験生である真琴も、少し一休み。

 一応は合格圏内に入っているので、それほど心配してはいない。

 問題なのは本番でちゃんと平常心を保てるかどうかということだ。

 そういう場合はスポーツをやっていたことが役に立ってくる。

「まあ勝負らしい勝負は、実戦じゃないとないしな」

 直史としてはわざと打たせて自信を付けさせる、ということをよくやっていたため、この状況では勝負にならないと思っている。


 三打席目の勝負は、昇馬が三振を奪って勝った。

 つまり二つの三振を奪われたが、一打席はヒットを打っただろう、という具合になる。

 これで得をしたのは、圧倒的に司朗である。

 昇馬は既に、甲子園で活躍した司朗のことを調べることが出来る。

 だがシニアではほぼ確認できない昇馬のピッチングを、こうやって実際に体験したのであるから。


 春の関東大会は、夏のシードにつながってはいる。

 だがそれほど重要な試合ではない、と言ってしまってもいいだろう。

 とりあえずベスト4ぐらいに入って、シード権を取るのは必須であるが。

 夏は消耗戦だ。

 少しでも体力を温存するため、試合は一つでも少ない方がいい。

 東京はそれなりに、強いチームが多いのだから。


 このあたりの事情を、昇馬は知らない。

 アメリカにいたから知らないと言うよりは、純粋に興味がないのだ。

 アメリカの中学や高校では、全国規模の試合はあまり行われない。

 大学に行って初めて、全国の強豪と対戦することになる。

 なのでドラフトも、高卒選手も指名するが、大学のアーリーエントリーの選手が目玉になったりするのだ。




 直史は今日の、対戦と言うよりは練習で、二人の甥の力を見た。

 どちらも世代を代表するような選手になれる資質は、充分にあると思う。

 あとは下手に怪我をせず、上手く育成されていくかだ。

 司朗の方はジンに任せておけば問題ないだろう。

 そして昇馬の方は、鬼塚に任せることになる。

 あれもああみえて実は理論派なので、問題ないとは思う。

 ただ真琴がどう関連していくかは、かなり心配ではある。


 女子離れした能力、というのはよく言われる。

 だがそれも同年代から成人女性の能力より高いというだけで、男のアスリートにはさすがに及ばない身体能力だ。

 それでも一年目の夏、甲子園に出場するためには、真琴の力は必要になる。

 キャッチャーとしてだけではなく、ピッチャーとして。

 130km/hを出せる左のサイドスローというのは、それだけの価値がある。


 受験が終われば、わずかな時間がある。

 しかしその時期、直史はレックスのキャンプにいるため、教えることが出来ない。

(今しかないか)

 真琴ならば習得できると思う。

 柔軟性が極めて高くなければ投げられない、魔球と呼ばれる存在。

 即ち、スルーの完全な伝授である。

 これにスルーチェンジを加えれば、MAX130km/hのピッチャーなら高校野球で立派に通用する。


 あとは昇馬であろう。

 スライダーの習得と、カーブの習得。

 しかし右腕でもストレートの制圧力は絶大だ。

(大砲になる右、鋭く切り込む左)

 右でも一つぐらいは、変化球を使えればいいが。

(カットボールか、チェンジアップでいいかな)

 こちらは入学試験が、簡単なものと面接なので、ある程度は時間が取れる。

 真琴にも勉強の息抜きに、ある程度は教えていこう。




 高校生になってしまうと、教えるのに支障が出る。

 もっともSBCを使って秘密裏に教えることは出来るのだが、それは危険性が高い。

 昇馬に対しては、まず右でチェンジアップを投げられるように教える。

 スプリットでもいいのだが、肘への負担などを考えると、抜けて落ちる緩急というのが、やはり右にはほしいのだ。

 それにしても156km/hを投げる中学生というのは、直史をして意味が分からない。

 直史がプロで出した最高速が、156km/hであったのだが。


 左ではスライダーを二種類、つまりカッターと一緒に教える。

 そして二種類のカーブ。

 抜いて回転をかけるタイプと、完全に縫い目に手をかけて回転をかけるタイプ。

 これまで昇馬はアメリカにおいては、負荷があまりかからないよう、握り方だけで変化するツーシームと、上手く力を逃せるチェンジアップだけを学んできた。

 ただ昇馬の肉体は、身長だけではなく体重もある。

 まだ伸びが止まっていないので、190cmまで届くかもしれない。


 司朗は下手に筋肉を付けず、全身のバネを使って打つタイプである。

 これはむしろ野球以外の瞬発系スポーツに向いている。

 こちらも身長の伸びは止まっていないので、下手なトレーニングをさせていない。

 ジンらしい指導である。

 司朗は武史一家と共に、年末年始をこちらで過ごせば、あとは東京の恵美理の実家に戻る。

 そんな司朗に対しては、大介がほんの少しだけ教えた。

 もっとも大介の場合、他人に教えられることは少ないのだが。

 それでも基礎となる部分は、やはりコツがあるのであろう。




 年末、佐藤家では紅白歌合戦を見る。

 裏番組を見たい人間は、普段直史の両親がいる家のテレビに向かうことになる。

「紅白を普通に楽しめるようになると、年を取ったって気がするな」

 直史がそんなことを言うと、周囲からは苦笑が洩れる。

「最近の本物の売れてるミュージシャンは、年末に自分たちでライブしてたりするからね」

 こういうことに詳しいのは、武史の次女である玲である。

「まあ、あと四年もすればあたしたちが紅白に出場するし」

 無言でコクコクと頷いているのは、一応は大介の養子であるのだが、実際は恵美理の弟子となっている花音である。


 正直なところ、玲の方はまだ未知数。

 だが花音はおかしいぐらいにピアノが上手い。

 直史も子供の頃は習っていたが、そういうレベルではない。

 コンテストなどに出ればいいと恵美理は思うのだが、どうも花音はクラシックにはあまり興味がなさそうなのだ。

 そのあたりは実母と似ている。


 芸術的な才能というのは、遺伝するのか。

 それはサンプルの数が少ないため、安易に結論を出すことは出来ないだろう。

 だが少なくとも花音は、イリヤの才能を受け継いでいる。

 一度だけ聴いた曲を、そのまま耳コピしてピアノで演奏する。

 そしてそのまま、ここはこの方がいいと、新しい曲にしてしまうのだ。


 彼女に残された、イリヤの遺産。

 それは金銭的なものも大きいが、それよりもっと大きいのは、未発表曲の数々である。

 イリヤは27歳の若さで死んでいるが、その短い生涯で二万曲ほどの楽曲を作成した。

 もちろんその全てが傑作というわけではないが、今でも通用しそうな未発表曲が大量にあるのだ。

 花音がどうにかしないと、これらの楽曲は埋もれていく。

 恵美理としては花音には、この文化的な遺産をどうにかしてほしい、とかなり切実に思っている。




 ぼんやりと聞いているが、プロである恵美理の耳からすると、下手くそな歌手というのが多いらしい。

 武史などはそこまで、繊細な耳を持っていないのだが。

「あ、この子は上手いわね。デビューして連続で紅白出てるんだっけ?」

「あ~、でも来年ぐらいからは、もう出ないんじゃないかな。紅白って出演料は安いから、顔を売るための場所って言われてるし」

「でもこの人なら、イリヤの曲を提供してもいいと思う」

 花音は自分の実母のことを知っているが、名前で呼ぶ。

 彼女にとっての母親とはツインズであり、あるいは恵美理であるのだ。


 花音は将来、どうするつもりなのだろう。

 おそらくこの才能は、世間が放っておかないだろうが。

 少し問題はあるが、演奏も歌唱も両方が出来る。

 しかし花音は、母親の件で日本の音楽業界からは、かなり敬遠される可能性がある。

 なにしろイリヤの登場によって、あのわずか数年間で、日本のアーティストの権力構造は一気に変化したのだから。


 彼女がアメリカに戻って、ほっとした業界人は多かった。

 まさかそれから間もなく、暗殺されるなどとは、さすがに誰も思わなかったろうが。

 その喪失は、世界的な音楽業界の損失と言われたものだ。

 彼女の提供した楽曲が、ビルボードの上位に復帰し、蹂躙したのは一つの伝説である。

「花音は弾き語り出来ないからね」

 恵美理がそう言うが、花音の重大な欠点である。


 だがそれには、明史が提案する。

「じゃあネット配信だけすればいいんじゃない? 全部自分で弾いて、最後に歌を乗せるっての。多分出来るはず」

 とりあえず生命の危機の去った明史は、色々とやりたいことがある。

 もっとも激しい運動などは、まだまだ止められているが。

 子供たちの未来の話を聞いて、大人たちは微笑ましく思っていた。




 日本の深夜、つまりアメリカであれば昼間。

 日本からの連絡を、彼女は懐かしい思いと共に通話を開始する。

「久しぶりじゃない。そちらは深夜でしょ」

『ええ、少し話がしたくて。いいかしら』

「友人としての話なら、随分久しぶりすぎるわね」

『そうね。そろそろ貴女の力が必要になってくるかもしれない。来年か再来年あたり、日本に来る予定はない?』

 その言葉の選択に、世界の歌姫の一人、ケイトリー・コートナーはわずかに考え込んだ。

「確かに来年は、日本ツアーの予定は入っているけど」

『彼女が、つまりイリヤの子が、本気で音楽を始めるかもしれない』

 それは、ずっとケイティが待っていたことだ。


 イリヤは生前、自分に何かがあった時に、その子供を誰に託すかということを、文書に残していた。

 養育に関してはツインズ、そして音楽の道に進むなら、恵美理かケイティのどちらかに頼む、という感じに。

 恵美理はPTSDでアメリカに来ることは出来なくなっている。

 だが世界の最大の音楽市場はアメリカなのだ。


 日本に収まっているなら、ケイティの力は必要ない。

 だがアメリカに進出するなら、絶対に必要だ。

「どんな感じで育ってるの?」

『健康に育っているけど、前に言った欠点は直ってないわね』

「おかしなものね」

 楽器の演奏をしながら、歌うことが出来ない。

 無理に歌おうとすれば両方が止まってしまう。

 それでも、認められる才能。

『まだ、時間はあるけど』

「わかったわ」

 彼女の血を受け継いでいるから、優秀というわけではない。

 それでもケイティは、その才能を信じている。




 年が変わった。

 一族総出で、近所の神社にお参りに行く。

 そして正月だけは、この母屋で過ごす。

 近所から挨拶などがあったりもする。

 二日目ともなると、武史たちは東京に戻る。

 もっとも恵美理の両親が日本にいない場合などは、もう少し長くこちらにいたりもするのだが。

 佐藤四兄弟の母とは、恵美理はやや相性が悪い。

 嫁姑問題が発生するため、ある程度の距離を取って付き合っているのだ。


 しかしこの少子化の時代、佐藤兄弟はどこもがよく産んでいるものだ。

 直史の家は三人、武史も三人、そして大介のところは二人で六人。

 花音も育てていたことを考えると、七人としてもいいだろう。

 だがまさか、ここからまださらに増えるとは、ちょっと予想していなかったかもしれない。

 高齢出産も珍しくない現代では、特に驚くべきことではなかったのかもしれないが。


 それはもうちょっと先の話で、直史と大介は自主トレを開始する。

 千葉SBCの施設を使ったもので、武史は神奈川SBCに向かった。

 武史の性格を考えると、二人と一緒にやった方がよかったのであろうが。

「あと何年、これが続くのかな」

「俺の場合は、目がついていかなくなったら、そこで終わりだろうな」

 バッターにとっては、確かにそれが重要である。

 他の筋肉の衰えよりも、ずっとそれだけが重要なのだ。


 どれだけの優れたバッターであっても、まず45歳になれば戦力として機能しなくなる。

 高齢まで活躍した強打者としては、門田博光などが代表だろうか。

 それでも45歳ぐらいである。

「昇馬が高卒でプロ入りすれば、親子対決が実現するかもな」

「それは厳しいな」

 さすがの大介もそこは強気になれない。




 大介のバッティングは、日本シリーズの中盤あたりからは戻ってきていた。

 それでも以前のような当て勘は戻りきっていない。

 ライガースの選手たちが、果たしてキャンプまでのどこまで戻してくるか。

 それはプロであるのだから、ある程度は期待している。

 だがそれより深刻なのは、直史の方であった。

 先日司朗を相手に投げた時も、まだ復調には遠い状態にあった。

 そしてそれは今も同じである。


 元々キャンプの中でゆっくりと仕上げていくタイプではある。 

 だがオフの間もそれなりに体を動かして、鈍らないようにしていたのがこれまでの直史だ。

 ただ去年のシーズンは、レギュラーシーズン終盤からのスケジュールがひどかった。

 なので今年はかなりオフは休んだ。

 アメリカに行っていたというのも、大きな理由であるが。


 キャンプの始めには、既にかなり仕上がっている。

 それが例年の直史であった。

 もっとも去年の場合、キャンプではまだ感覚が取り戻せていなかったが。

 完全ではない状態でも、試合には勝ってしまう。

 それは直史の支配力が、フィジカルにばかり頼ってものではないからだ。


 ただ現在の直史は、メンタル的にもまだ回復していない。

 あるいはあの領域にまで行ってしまえば、致命的なダメージとなっている可能性すらある。

 オーバークロックというのは、やはり正常な使い方ではないのだ。

 人体は高熱を発すれば、蛋白質が変異して、後遺症が残ったりする。

 靭帯や軟骨なども、回復しない部分はあるのだ。




 直史はもう毎日、柔軟とストレッチに時間をかけて、パワーを使うメニューは最低限にしている。

 球速は計測してもらうと、145km/h程度しか出ない。

 もちろんたっぷり休んだ後で、そんなにすぐにスピードが出るわけはない。

 ただそもそもの上限が、もうかなり落ちてしまっているという気はするのだ。

 去年の終盤、150km/hオーバーが投げられた理由。

 リミッターを切ったからであろうが、その安全リミッターがかけられている状態では、このスピードが限界なのだろう。


 変化球に関しても、指先の感覚が微妙である。

 しっかりと変化はするのだが、変化させた上でコースまでコントロールするのは難しい。

 衰えと言うよりは、肉体の老いを感じる。

 まだ40代だと言うが、野球選手の40代が他にどれだけいることか。

 他の職では40代の肉体労働はいくらでもいる。

 だがアスリートというのは、肉体の限界に挑む人種であるのだ。


 耐久力と回復力、特に回復力の衰えを感じる。

 直史一人が頑張っても、チームが勝てないのは確かである。

 今年のドラフトでも、社会人から高校生まで、バランスよく指名していた。

 去年はいきなり二人が即戦力であったが、果たして今年はどうなることか。

 直史の知っている名前も、その中にはあったりする。


 新しい世代への継承。

 どうも司朗は野球を人生の中心に据えようとしているらしいが、昇馬はそういうタイプではない。

 白富東にしても、スポーツ推薦ではなく帰国子女枠。

 アメリカではやっていたバスケットボールを、日本でもやろうとしているらしい。

 ただ日本は野球に関しては、感覚こそ違えど高レベル。

 しかしバスケットボールの頂点は、まだまだ遠いところにある。

(結局、野球をやるしかないのかな)

 チームスポーツをやるには、かなり性格が向いていないのでは、と思った。




 昇馬は言うほどの個人主義者ではない。

 だがそれはアメリカ基準の話だ。

 日本基準で言うならば、間違いなく個人主義者である。

 この冬も最低限の勉強をすると、山の中へ踏み入っていく。

 現在は猟期であるため、他の猟師の罠を見回っていたりする。

 アメリカでは普通にライフルも撃っていた昇馬であるが、アメリカでも立派に違法である。

 ただアメリカは、自衛のために銃を持つというのが、人々の意識に含まれている。


 アメリカではアジア人差別というのが大きいのだ。

 そのための自衛意識を、昇馬はずっと持っていた。

 実際に実母である椿は、かつて銃で撃たれたことがある。

 それは大きな事件となり、犠牲者となったのがイリヤであった。

 昇馬はあまりはっきりとは憶えていないが、それでもこの件は普通に、ネットを探せばいくらでも詳細を知ることが出来る。

 正当防衛で椿が犯人を殺したというのも。


 ナイフだけではなく鉈をも装備し、雪が積もっているわけでもない山を見回る。

 このあたりで危険な獣は、猪である。

 熊がいないというのは助かる。アメリカではグリズリーなどという巨大な熊がいたものだ。

 母は武術の達人であるが、それでも野生の獣とは対決してはいけないと言っていた。

 人間が武器とするものを、獣は最初から持っている。

 草食動物でさえ、危険な代物なのだ。


 ちなみに世界では、人間を殺している大型獣の上位に、カバがいたりする。

 見た目は愛嬌がある生き物だが、その重さはそのまま戦闘力になる。

 水の中ならライオンでさえ、戦闘を避ける生物だ。

 他には野生馬なども、基本的には好戦的でないが、戦ったら負ける生き物である。

(やっぱり銃がないとなあ)

 猟銃免許だけではまだ不足で、そこからライフルを使いたい。

 日本の法律では、10年以上も先の話になるだろう。




 まだ高校生になっていない昇馬には、指導が可能であるのだから、なんとも不思議な話だ。

 そして大介にとっても、バッティングピッチャーがいるのはありがたい。

「あいつ、左で投げるとタケ、右で投げると上杉さんに似てるな」

「ああ、それは確かに」

 投げる手を変えただけで、そういう変化もあるのだ。

 ストレートを投げたとしても、その質が違うのであれば、それぞれの打席で相手をするピッチャーが違うように感じる。

 これが一打席の間で、左右の投げる手を変えられれば、とんでもない武器になったのだろうが。


 現在のルールでは、一つの打席において、投げる手は片方だけになっている。

 速球に弱いバッターに対しては、コマンドがやや低いが球速のある右。

 そしてコンビネーションを使うならば、左で投げればいい。

 最高球速は右で出しているが、おそらくコントロールをアバウトにすれば、左でもそこまでは出る。

 あまり大介が育てたわけではないが、とんでもないピッチャーに育ったものだ。


 日頃は母親の影響。

 そしてテレビの向こうで活躍する父。

 ボーイスカウトで培ったサバイバル技術。

 なんでもアメリカでは、父親は息子にキャッチボール、火おこし、釣りの方法を教えるのが義務であるらしい。

 もっとも火おこしや釣りなど、大介も出来ないのだが。

 ちなみに直史であれば、全て出来たりする。

 田舎で育った人間を甘く見てはいけない。

 ただ火おこしなどというのは、今はもう必要でない技術だと思うのだが。

 ファイアスターターで充分だろう。




 昇馬へのツーシームにチェンジアップの指導。

 そのあたりは直史も、教えるのが難しい。

 なにしろ直史の変化球は、腕の撓りによって変化につながっているからだ。

 昇馬の場合は腕は長いが、撓りはそこまででもない。

「とりあえずカーブを教えるか」

 あとはチェンジアップでも、その落ちる方向を左右する方法など。


 ただそういった球種などよりも、昇馬が気にかけなければいけないことはある。

 それは球数制限である。

 県大会レベルであれば、真琴も充分に戦力になるだろう。

 だが甲子園にまで勝ち残れば、通用しない相手も多くなる。

 ツーシームなどで相手の打ち損じを狙うこと。

 トーナメントを勝ち進んでいくためには、必ず必要なことだ。

 パワーだけではルールによって敗北する。


 直史の場合、同学年に岩崎がいた。

 そして一つ下には武史とアレクがいた。

 おかげで一人で投げきる試合というのは、極めて限られていた。

 真田相手に投げ合ってしまったのは、今から思うとやりすぎである。

 もっともあれをしなければ、おそらく試合には勝てなかったろうが。

 こう言ってはなんだが、新潟県勢の初優勝を演出したのは、良かったのだと思う。

 そしてその年、スターズは日本一になっているのだから。


 実際のところ、甲子園の優勝までを考えるなら、どうすればいいのか。

 昇馬はおそらく、体力的な問題もある。

 純粋な体力で言えば、昇馬は相当にタフである。

 だが夏の甲子園の暑さは、そういうものではない。

 マウンドに立っているだけで、そのスタミナを削っていく。

 あの極限の暑さへの対策は、経験してみないと分からないであろう。




 二月のキャンプインに向けて、直史は体作りをしている。

 だがそれに付き合っている大介は、直史の体力の限界を感じていた。

 去年の試合でも、それは感じていたのだ。

 もう直史は本格的に衰えている。

 言うなれば気合によって、去年は力を引き出したのだ。

 それこそ肉体と生命を削りだすような覚悟で。

 運動をしても、休養と食事がなければ、肉体は強化されない。

 直史はもう、サプリなどで栄養素を補給している。


 一般的な食事であれば、もう肉体の修復には間に合わない。

 おそらくシーズンの中盤まで、全力で投げるのは難しいのではないか。

 そしてそこまで、力を使わずに投げることが出来るだろうか。

 完投を直史は求められるだろう。

 だがそれが難しいのは、本人が一番良く分かっている。

 単純に球数を減らせばいいというわけではないのだ。


 来年のレックスの戦力は、オースティンが抜けるのが一番痛い。

 不動のクローザーが抜けて、そこに誰を入れるというのか。

 直史は無理である。クローザーのような休みの少ない起用法はされたくない。

 そもそも先発の看板の一人を、クローザーにするわけにはいかない。

 これはフロントとの契約でもはっきりと定めたことであるのだ。

 ただ首脳陣からすれば、それも一つの選択肢になってしまうのだろう。


 昨年のレックスの最終的な敗因は、ピッチャーであろうか。

 確かに直史以外で勝てなかったのだから、そう思ってもおかしくはない。

 だが冷静に考えてみれば、得点力が相当に低かった。

 直史は援護が少ないピッチャーだが、直史以外のピッチャーの試合でも、レックス打線は沈黙してしまったのだ。

 つまり圧倒的に、打撃力不足なのである。

 セットプレイでの得点だけでは足りないのだ。




 レックスは育成の首脳陣というだけあって、去年は迫水と左右田の二人が、ドラフト下位指名から主力となった。

 左右田は怪我も癒えて、今年もショートとして期待されている。

 あとのポジションも、それほどの変化はない。

 比較的若い選手が多いのが、レックスの特徴であるのだ。

 その若さのせいで、勝負どころに勝てなかったとも言えるのかもしれないが。


 二軍の方でもかなり、使えそうな人材は出てきたのだ。

 チームが優勝争いなどをしていなければ、一軍の試合で使われていただろう。

 本来ならばそのための首脳陣であったのだから。

(今から考えれば、首脳陣の間違いってよりはフロントの間違いだったんだな)

 去年のイースタンリーグ、レックスは優勝しているのだ。

 つまりそれだけ、一軍に上げてもいい選手はいたはず。

 そしてそれを試合の中で上手く育てる。


 長期的に見れば、そういう計画があったはずなのだ。

 だが直史が頑張ってしまったため、レギュラーシーズンの終盤まで、試すということが出来なかった。

 そう考えると多くの采配ミスらしきものがある貞本たちは、むしろ被害者なのか。

 百目鬼がローテに定着したことなど、現場判断の正解だと思う。


 後から思えば、という意見はある。

 ただ最初から、レックス首脳陣は、勝つための布陣ではなかったと言える。

(今年はどこか、替えてくるところはあるだろうな)

 それにしても、オースティンのいなくなった後をどうするのか。

 クローザーの代わりなど、そう簡単に見つかるものではない。




 寮開きの日がやってきて、レックスに新たな人材がやってくる。

 即戦力を期待される選手も多いが、去年は高校から社会人まで、人材は豊富と言われていた。

 その中でもレックスは、ピッチャーを多く取っている。

 去年の打撃成績を見れば、むしろバッティングを考えるべきではとも思うのだが、どうやらフロントはそう考えなかったらしい。

 直史がプロでいられるのも、あと数年であろうに。


 だからこそピッチャーを、今のうちに育てようというのか。

 イースタンの試合では、レックスの打線は守備こそ微妙だが点は取れるバッターがいたという。

 貞本たちの傾向は、采配においては無難。

 勝負師になれるコーチが、一人は増えないといけないだろう、と直史は思っている。

 それにしても今年のレックスは、去年よりも戦力が落ちるはずだ。

 誰よりもまず、直史のパフォーマンスが落ちるからだ。


 不敗神話は今年で終わる。

 誰よりもまず、直史自身がそれを確信している。

 そして一緒に自主トレをしている大介も、それを感じているのだ。

(とかいってなんだかんだ、完封してしまうのがナオなんだけどな)

 大介もライガースの新人については、やはりチェックしていた。

 ライガースは選手の流出などもなく、戦力の低下はない。

 だが普通に大介自身が、衰えを感じかけている。


 大原がまだ現役というのも、戦力の更新が出来ていないと言えるだろうか。

 確かにイニングイーターとしての役割は、まだまだこれから果たしていける。

 ライガースには勝利までは届かなくても、試合を作れるピッチャーが必要なのだ。

 ただ去年のことを考えれば、シーズン終盤までは投手陣が薄いと言われていた。

 ほんとうにポストシーズンに入ってからは、むしろ打線が止まってしまっていたが。



×××



 次話「限界と無限」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る