第129話 契約

 日本シリーズは敗北したものの、レギュラーシーズンの優勝とクライマックスシリーズの突破によって、ライガースの親会社には莫大な経済効果が発生した。

 当然ながらそれは年俸の上昇に反映されるわけであるが、特に野手はあまり上昇しないことになった。

 そもそもシーズン中の成績から、それほど極端に上がる者がいなかったということはある。

 またほとんどのスタメン陣が、あのクライマックスシリーズ以降の体たらくを恥じていたということもある。


 ただその中でも、大介だけはさすがに上げないといけなかった。

 クライマックスシリーズのファイナルステージでは、ほぼ全ての得点に絡んでいた。

 またライガースが日本シリーズで全敗しなかったのも、大介の活躍が大きかったからである。

 それ以上にはっきりしているのは、大介の圧倒的な打撃成績。

 かつてほどの走力はなくなったと言えるが、ショートとしてはゴールデングラブ賞にも選ばれたし、盗塁王も獲得した。

 最多安打以外の全てのタイトルを獲得したというのは、とんでもないことである。

 まあ、今までにもやってきたことではあるが。

 

 とりあえず金額が安くならずプラスであったので、大介は素直に契約更改しておいた。

 とは言っても、エージェントに任せているのだが。

 大介のレベルになるともう、金じゃないんだよ金じゃ、というものになってくる。

 かといって若手が金にがつがつしていないというのは、逆に悪いことであると思っている。

 あとは大介の場合、自分が変に安く契約すると、他の選手の基準になってしまうという考えもある。


 大介や直史の年俸が上がらないと、他の選手の年俸も上がらない。

 この考えは間違いではない。

 トッププレイヤーは、それに相応しい年俸をもらわなければ、他の選手が買い叩かれるのだ。

 今はMLBへの移籍という手段があるので、昔に比べると高くなりやすいのかもしれないが。




 大介が契約更改したということは、そこそこのニュースになった。

 来年もMLBには戻らず、NPBでプレイするということだ。

 引退はライガースがいい、と言っていた大介であるが、今年の成績は引退前の選手のものではなかった。

 もう一度MLBに行っても、充分に通用する。

 そんな話も出ていたのだが、そもそも大介はMLBのピッチャーにも失望している。

 

 ここ最近はWBCにも、アメリカの一流投手が出てきていない。

 それも理由であるだろうが、決勝にまで残ることさえ少なくなってきた。

 対して日本は、ほぼ球団のエースクラスを出してくるのだ。

 もっともNPBとMLBでは、選手の体にかかる負荷が、随分と違うというのも大介は分かっている。

 まだMLBで活躍する自信はあったが、それよりも長く現役でいたい。

 そう思ったからこそ、日本に戻ってきたのだ。


 それにどうやら、直史も決めたらしい。

 これで武史も帰ってくるらしいのだから、大介としてはアメリカに渡る理由がなくなってきているのだ。

 結局去年、大介は直史と対戦して、絶対的な勝利を得ることが出来なかった。

 むしろ圧倒的な敗北感を与えられたものである。


 だが、それがいいのだ。

 まだ自分と戦えるピッチャーが、同じリーグにいる。

 正直なとことMLBでは、東海岸と西海岸で、リーグも違うとなるとろくに対戦する機会もなかった。

 だからこそ逆に、ワールドシリーズでは勝とうとしたのであるが。




 上杉は引退試合はしないが、引退式はスタジアムで行うこととなった。

 そもそも肩を壊したので、一球投げるだけでも大変というものだからだ。

 11月に入ってからのセレモニーで、特別に行われたこの引退式に、神奈川スタジアムは満員になった。

 なんと言っても実働22年間の間に、沢村賞15回をはじめとして、シーズンMVPや各種投手タイトル、それに表彰なども多くされた上杉である。

 何より大きいのは、ほとんどの年においてスターズを、Aクラス入りさせたことであろう。


 入団初年から、シーズンMVPをはじめとする各種表彰と共に、チームに日本一をもたらした。

 その後も何度となく、チームを日本一に導いている。

 上杉の時代というのは、そのままスターズの黄金時代であったと言っていい。

 この後に暗黒時代が来そうで、恐れているファンは大量にいるのだが。

 ただスターズはまだ、それなりに選手の若手が育っている。


 当たり前の話だが、上杉の背番号は永久欠番となった。

 上杉本人はそのつもりはなかったのだが、上杉が永久欠番にならないのなら、今後そういう選手は出てこない、というのが説得の方法であったらしい。

 確かに上杉以上のピッチャーが、今後出てくる可能性は低い。

 もし近しい実力のピッチャーが出ても、MLBに行ってしまう可能性が高い。


 NPB最後の大エース、と言ってもいいかもしれない。

 実際に直史も武史も、まあそれ以降も蓮池や毒島なども、MLBに移籍してしまっているのだから。

 ただ直史は、NPBに復帰している。

 そしてその直史は、実弟に頼られている最中であった。




 直史の実弟である武史は、アメリカのMLBに単身赴任中である。

 シーズンが終われば日本に戻ってきて、家族と過ごす。

 そんな武史も、MLBで11年間を過ごし、サイ・ヤング賞を連続八回を含む九回受賞という、まさに歴代でも最強と呼ばれるピッチャーになった。

 それでも記憶に残るのは、ミスター・パーフェクトと呼ばれる直史の方であるのだが。

 大介もNPBに復帰して、武史はさすがに寂しさの限界にあった。


 そもそも武史は、別にMLBに来たかったわけではない。

 ただMLBの方が年俸が高いという、極めて単純な理由から、ポスティングでやってきたのだ。

 そんなハングリー精神のなさで、ここまでの実績を残した武史は、間違いなくフィジカル的な才能だけを言うなら、直史はもちろん上杉すらも上回っていたのかもしれない。

 寂しがりやの武史が、家族と離れてMLBで働いていたのは、妻である恵美理の意向による。


 恵美理は才能のある人間が、その才能を発揮しないことを許さない人間である。

 なので犯罪に遭ってPTSDで自分は日本にいながらも、武史にはMLBで活躍することを求めた。

 武史としては不本意であったが、それに従って39歳のシーズンまでを終えた。

 今年の成績は、小さな故障もあったため、25先発の14勝7敗。

 充分な数字と思われるかもしれないが、サイ・ヤング賞は逃している。


 さすがに日本に戻りたいという希望を聞いて、直史は恵美理との話し合いのために援護射撃を要請した。

 40歳になるピッチャーが、さすがに日本に戻って来たい。

 それは当たり前の気持ちであるし、武史のパフォーマンスが落ちてきていたのも確かなのだ。

 それでもまだ、NPBでは通用するかな、とは思われている。

 そして丁度セ・リーグに、リーグを代表する大エースを失ったチームがあった。




 武史が来年の契約を結ばず、日本に戻ってきたというのは、大きなニュースとなった。

 そして本人も、日本球界への復帰には前向きである。

 現在武史の妻子は、母方の実家において暮らしている。

 東京の田園調布のあたりである。

 あのあたりからなら、スターズにはそこそこの時間で通勤できる。


 武史もまた、アメリカンドリームで莫大な財産を築いた男である。

 大介ほどではないが、その年俸は総額で5億ドルを超える。

 もちろん税金なども払っているので、それがそのままあるわけではないが。

 アメリカの資産運用を利用することによって、その財産は莫大なものとなった。

 ただアメリカでは、とにかく飾らない人間でもあったのだが。


 武史としては当初、レックスへの復帰を考えていた。

 だが直史の年俸を考えて、そしてMLBでの武史の年俸を考えれば、とても両者を共に在籍させることは出来ない。

 それに直史と違って、武史は間違いなく去年、パフォーマンスは落ちていたのである。

 とは言っても、そのさらに一年前である去年は、サイ・ヤング賞を取っているのだが。


 直史はまず、恵美理の説得のために、武史に召喚された。

 ただ恵美理にしても、そろそろ家族がバラバラで暮らすということの歪さには気づいていたらしい。

 それは長男である司朗が、野球中心の生活になってしまっていることから、何かおかしいなと思ったらしい。

 思春期の息子に関しては、やはり父親がいた方がいいのではないか。

 直史としては、かなり子育ては瑞希に任せてしまっているので、あまり大きなことは言えない。




 現在恵美理の育てているのは、精神的にほぼ独立している司朗を除いても、長女の沙羅、次女の玲、そして弟子として育てている花音と三人になっている。

 司朗はしっかりとした青年に育っているし、沙羅も自分の理解の範囲に育っている。

 しかし次女の玲と、人様から預かっている花音は、色々と可愛らしい問題を起こしてくれたりする。

 この相談には直史も乗っていたのだが、ツインズの幼少期と比べると、普通におとなしいものであった。


 恵美理は基本的にお嬢様育ちである。

 育児に関しても、使用人の力を大いに借りている。

 それをおかしいとも思わない、そういう生まれであるのだ。

 なのでアメリカにいた時も、普通にシッターを雇っていた。

 そのレベルはやはり、日本の方が優れているな、と感じたりもしたものだが。


 武史が日本に戻ってきてくれるのは、それなりにありがたい。

 だが武史は武史で、その年齢に比較して稚気がある人間である。

 もっとも男はだいたい、心の奥にいつまでも、少年の心を宿しているのかもしれない。

 直史にもなんとなく、そういうところはあると自覚している。

 周囲からは完成された大人の人格として見られているのだが。


 直史は最近、上杉とはちょっと連絡を取っている。

 なのでスターズと契約をすればいいのでは、などと思っている。

 上杉の抜けた穴を、武史が埋められるわけではない。

 だが先発ピッチャーとしての能力であれば、武史は上杉に匹敵するか、今ならば上回るかもしれない。

 また、セ・リーグの投手タイトル争いが、ひどいものになりそうな感じである。




 直史はレックスの球団本社ビルにやってきていた。

 来年の契約について、いよいよ交渉が始まるというわけだ。

 直史としては基準が、今年の大介の10億にあると思っている。

 今年の直史は、最低年俸で働きすぎた。

 そもそもMLBにいれば、この成績なら5000万ドルでも高くはない。

 もっとも今の直史の肉体は、MLBのスケジュールには耐えられないだろうが。


 さて、この契約更改の面談においては、査定をデータでする人間が出席していない。

 真面目にその評価を数値化すると、とんでもないことになってしまうからだ。

 MLBで5000万ドル+インセンティブでやっていた選手に、適正な額が払える球団など、日本には存在しない。

 ただ直史が引退するという可能性については、考えていなかった。

 40歳でわざわざ復帰したのだから、出来るならばまだ続けるだろう、という考えであったのだ。

 普通ならその感覚は間違いではない。


 球団社長、GM、監督という普通ならありえない三者そろい踏みの面談では、まずシーズン中の活躍について、お疲れ様でしたという挨拶になる。

 クライマックスシリーズ後、様々なところからの批判に晒されているという貞本は、かなり憔悴しているように見えた。

 どうせプロ野球の采配など、日本で政治家の次に叩かれやすいようなものであるので、もっと図太く生きればいいものを、と直史は思ったりしている。

 一応まだ来年までは、契約の範囲内であるのだ。


 直史の前に提示された条件は、年俸八億、それほど難易度の高くないインセンティブで二億というものであった。

 今年の大介が10億でやっていたので、それに合わせてきたような感じである。

 直史は本当に、金には困っていない人間だ。

 だが金があればそれはそれで、出来ることは増えていくのだ。

 どんな事業も最初は、資金集めが重要だ。

 それを出せる直史は、自然と地元の名士にはなっている。




 さて、金額自体には問題がない。

 直史が問題とするのは、起用の条件である。

 今年は明史の要望に応えるため、全てを野球に注いできたと言っていい。 

 だが実際のところ直史は、いくつかの法人で役職があったり、役員であったりする。

 この名前だけであった状態から、実際の仕事もある程度はしなければいけない。

 在籍しているだけで、充分に意味があるとは言われているのだが。


 ただ直史の条件というのも、本来ならそれほど難しいものではない。

「シーズン終盤の優勝争いなどを除いて、先発起用のみにしてほしいのですが」

 ごく普通のことである。

 去年の最多勝投手を、他にどういう使い方をするというのか。

 ただ貞本には、わずかに分かった。

「オースティンが抜けたからか」

「そうですね」

 昨年のセーブ王であったオースティンは、MLBに移籍すると言われ、ほぼ契約も決まっている。

 

 そもそもNPBとMLBでは、年俸に差がありすぎる。

 また言語の問題もあるため、アメリカ人が日本で長く続けるというのは、相当に難しいのは確かなのだ。

 オースティンは今年、NPBで四億ほどでやっていた。

 これが抜けたから直史にかなりの年俸を提示できた、というのはフロントの共通認識である。


 直史はNPBではともかく、MLBでは無敗のクローザーとしての実績がある。

 また国際大会などでは、クローザーとしての起用が多かった。

 そして数字だけを見れば、クローザーとしての成績の方がいい。

 もっともこれは、100点満点のテストで、120点を取っているか200点を取っているかという、そういった次元の話であるのだが。




 直史とレックスの話は、比較的簡単に決まったと言える。

 41歳のピッチャーが、この金額で契約する。

 実績からすれば、MLB基準なら普通にある。

 今でもMLBならば、倍だろうが三倍だろうが、出してくるだろう。

 そしてここでレックスは、直史にピッチングコーチを兼任しないか、ということまで提案してきた。


 直史は技巧派のピッチャーである、というのは間違いない。

 ただ本格派のようなピッチングも出来て、それでバッターを打ち取っている。

 つまり両方の要素を持っているピッチャーなのだ。

「アマチュアレベルなら指導は出来ますけど、高校生以上のピッチャーに指導をすると、壊すだけになりそうです」

 正直なところである。


 直史のトレーニングも練習も、生来の柔軟性という体質があってこそのものだ。

 実弟である武史にさえ、そこまで詳しくは指導していない。

 もちろん根本的にまずそうなところなどは、指摘することは出来る。

 しかしピッチャーの長所を伸ばすのは苦手だ、と本人は思っている。

 豊田などがいれば、何を言っているんだか、と呆れたかもしれない。

 

 直史はその、根本的な部分への洞察力が、極めて優れているのだ。

 それはピッチングだけではなく、バッティングの面でも明らかである。

 バッターに対する洞察が優れているからこそ、あれだけ簡単にアウトが取れていくのだ。

 直史は野球史に出現した、巨大なバグである。

 無視できないほどの、巨大なバグであるのだ。




 スターズは上杉の引退式を終えて、とりあえず一息をついた。

 だがすぐにやらなければいけないのは、戦力の再編成である。

 今年の上杉は、一人で20勝もして、全盛期の輝きを取り戻したかのようにさえ見えた。

 それが結局は、最後の燃焼になってしまったわけだが。

 一つの伝説の完成としては、まさに相応しいものであった。

 ただ、来年が大変である。


 過去にも上杉が、治療とリハビリで離脱した二年間、スターズはその成績が最下位となっていた。

 上杉は成績が少し落ちようとも、その精神的な支柱であることは間違いなかったのだ。

 その上杉は、引退後は球界からも離れることになる。

 出来ればそのまま現場の指揮を取って、ゆくゆくはフロント入り、などというのが一番スターズとしてはありがたかっただろう。

 しかし上杉が引退後、政界に進出するというのは、ずっと前から、それこそ入団の頃から言われていたことだ。


 当初は新潟の、父親の地盤を引き継いで市議会から県議会あたり、という話であった。

 だがそちらは実弟の正也が、地元の名士の娘と結婚し、既に代議士となっている。

 上杉はこの神奈川では圧倒的な人気を誇るため、こちらで無所属から立候補しても、平気で当選するだろうなどと言われている。

 選挙というのは組織票を除けば、基本的に人気投票であるのだ。

 そして上杉の器の大きさは、日本中が知るところである。


 そんなスターズに持ってこられた話が、佐藤武史の日本球界復帰の話である。

 確かにありがたい戦力補強だが、なぜ最初にスターズに話が持ってこられたのか。

 レックスはおそらく、直史の年俸の問題があって、とても金が用意できなかったということなのだろう。

 しかしそれなら、タイタンズでもいいではないか。

 もっともあそこはあそこで、高年俸選手が多いのだが。




 武史が選んだのは、もっと単純な理由である。

 武史は帰国後、子供たちの学校のこともあり、恵美理の実家にマスオさんすることを決めていた。

 そしてそこから出勤するには、東京ドームか神奈川ドームということになる。

 その中では神奈川ドームの方がやや、交通量などを考えると、スターズの方がいいということになったのである。

 もちろん他にも条件はあるが。


 エージェントは東京の人間を使ったが、基本的にはスターズを第一候補に考えている。

 通勤に便利だから、近いから、というのがその最大の理由。

 おそらくこれを聞いて、球団関係者は顎が外れそうになったことだろう。

 だが武史は昔から、こういう人間であるのだ。

 直史が才能ならば、ずっと自分よりもあると言う、実の弟。

 正確には身体能力、と言うべきなのであろうが。


 武史こそまさに、ライバルのいなかった人間と言えるかもしれない。

 もちろん比較されることは、大変に多かったであろう。

 本格派ということでは上杉と、サウスポーの同年代という点では真田と。

 ただ本人は、あまり気にしていなかったのだ。

 球数をしっかり投げて、点を取られないのがお仕事。

 だがそんなスタイルで、MLBで殿堂入りするであろう成績を達成してしまった。


 直史が長くは活躍しなかったということもあるが、MLBでの総額年俸や、勝利数にサイ・ヤング賞受賞など、多くの点で武史は直史の上をいった。

 もっとも本人は、自分が兄より上だなどと思ったことはない。

 兄より優れた弟などいないのだ。




 いまだに武史は、かなりのイニングを食えるピッチャーである。

 さすがに完投の数は減ったが、それでもMLBではトップ5に毎年入っていたものだ。

 もう40歳になろうというピッチャーがである。

 本当なら今年もラッキーズは、大型契約を用意するつもりであったのだ。

 14勝7敗という、武史にしてはやや低調な成績で契約が切れたのは、いいタイミングだとさえ思ったかもしれない。

 もちろんそれでも、相当の年俸を用意する準備があった。


 しかし武史からすれば、15勝も出来なかったし、サイ・ヤング賞も取れなかったし、もういいか、というのが正直なところであったのだ。

 NPBと違ってMLBは先発で投げた上がりの日などは関係なく、チームに全て帯同するというようなスケジュール。

 NPBではまずないような、10連戦などが普通にあるのだ。

 それまで28試合は先発していたのに、今年は25試合しか先発できず、体力の限界を感じていたということもある。

 そんなわけで日本に戻ってしまったのだ。


 武史はレックスから最初は、メトロズへと移籍した。

 そして途中からは同じニューヨークのラッキーズに移籍している。

 引越しなどが面倒という理由で、そのままラッキーズに所属して、合計で11年間をMLBで過ごした。

 たったの11年間で、244勝。

 平均で毎年20勝以上していたというのは、驚愕である。


 現在のMLBでは、よほど支配的なピッチャーであっても、ここまでの勝利数はなかなかない。

 それに武史の場合は、奪三振王がずっと続いていたというのもある。

 まだまだ投げられるだろう、というのがあちらからの見通しであったのだ。

 しかし問題は武史のモチベーションであったと言えよう。

 



 武史は本質的に寂しがりやなのだ。

 大介と、恐れているとはいえツインズが同じニューヨークにいたことで、メンタルが安定していたと言っていい。

 だが親しい日本人選手がいなくなって、そのためピッチングの内容が狂ったと言ってもいいだろう。

 モチベーションの低下が、パフォーマンスの低下につながる。

 それでもMLBで14勝したので、買い叩くことなどは出来ない。

 結局は大介と同じく、10億という年俸となった。


 どうせ帰ってくるなら、レックスに帰って来いと、ファンなどは思っただろう。

 だがレックスはただでさえ、今年は年俸を上げないといけない選手が多い。

 その中でもトップなのが直史なのであるが。

 ライガースと違ってレックスは、チームの活躍がそのまま、ファンの経済活動に直結しない。

 なので直史に対しても、比較すれば格安の契約となったわけである。

 その点ではスターズは、まだ金銭的な余裕があったと言うべきか。


 結局のところは、上杉のおかげなのである。

 上杉のおかげで、去年はシーズン終盤までクライマックスシリーズ行きが確定せず、多くの試合が満員で埋まった。

 また上杉のために用意していた年俸が、その分を武史に回せた、というものなのである。

 武史としては、久しぶりの日本でのプロ生活に、懐かしい思いを抱く。

 ただ知っている選手はあまり、もうスターズにはいない。


 幸いなことは一つある。

 キャッチャーがベテランの福沢であるということだ。

 打撃の方は衰えが見られるが、インサイドワークなどではまだ一級品。

 武史が知っているキャッチャーの中でも、かなりの上位に位置する。

(俺がプロ入りしたとき、生まれたばかりの子供がもう、プロに入るかって年なんだもんなあ)

 大卒で日米通算300勝を達成している大投手は、そんな感想を抱いた。




 上杉が去ったNPBに、武史が戻ってきた。

 残念なことにレックスではなく、スターズに所属することになったが。

 しかしこれで、今年のセ・リーグ上位3チームに、怪物が所属する、という状況が再現されたわけである。

 またこれで武史は、久しぶりに子供たちと一緒に暮らすこととなる。

「なんだか司朗、うちの兄貴に似てきたなあ」

「長男だから?」

「そういうことだけでもないと思うけど」

 これは、言葉では説明しづらいのだ。


 直史にはどこか、全てを把握しているような達観したところがある。

 本人に言わせれば、ただの勘違いでしかないのだが。

 だが直史は時折、司朗と会うとなんとなく、自分の警戒心が自然と湧き上がるのを感じる。

 大介などに対峙したときに感じる、好打者の気配を既に持っているのだ。


 実際に今年の夏、帝都一が甲子園を制覇したのは、司朗の活躍が大きいであろう。

(今が高校一年か)

 神宮大会も優勝した帝都一は、来年の春のセンバツも確定している。

 このまま高卒でプロに入ってきたとすると、武史が42歳の時に、デビューするということになる。

 もっとも武史は、普通に大学まで行くことを考えた方がいいだろう、などと考えているが。


 プロ野球選手というのは、本当にそのままなら潰しが利かない職業なのだ。 

 特に日本の場合は、野球しかやってこずにプロになるという選手がいる。

 MLBのスターも、引退後の破産ということは多かったが、NPBでも似たような例は珍しくない。

 金はあるのだし、まだまだ自分の可能性を広げておくべきではないか、などと思う。




 司朗としては年末年始には戻ってくるが、一年の半分以上を海外で働く父親が、久しぶりに一緒に暮らすこととなる。

 それはMLB帰りであり、現在の地球上において、おそらくトップ5に入るパワーピッチャーが同居するという生活になる。

 ちなみに司朗はこの時点で、神崎家の養子になっているので、名字は違う。


「父さん、お願いがあるんだけど」

「おう、なんだなんだ」

 いつの間にか大きくなった息子に頼られて、武史は喜んだ。

 ちょっと出来が良すぎて、あまり構うことがないのが寂しかったのだ。

「俺と真剣勝負してほしいんだけど」

「いいけど、場所を選ばないとな」

 学生野球憲章など、歯牙にもかけない武史である。


 おかしな話であるが、現在は父親が息子に対して、高校から大学までは、指導することが出来なくなっていたりする。

 この場合は勝負なので問題ないな、と武史は思っている。

 だが邪推する人間はいるわけで、そのために場所を確保する必要がある。

 また武史は既に、体がオフになってしまっている。

 この間まで神宮大会で、完全に臨戦態勢であった司朗とは状態が違う。


 それでも武史としては、父子の交流を優先した。

 そもそもバレなければいいし、バレない場所も心当たりがあったのである。

 セイバーが作ったSBCは、千葉だけにあるのではない。

 神奈川と埼玉にもあり、その神奈川の方はスターズからも近くにある。

 元々プロ選手の要望にも応えられるぐらいの、設備とはなっているのである。


 現役高校最強打者。

 一年の時点で既にそう言われている司朗。

 どの程度のものなのかな、と楽しみにしている武史には邪気は全くなかった。

 もちろん罪悪感も。



×××



 次話「輝き」

 本日は久しぶりのパラレルも公開しています。

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