第128話 球界の未来

 直史は今年、1600万円のNPB一軍最低年俸でプレイしていた。

 様々なオプションを何もつけず、ただ復帰だけを考えていたのだ。

 この直史に加えて、社会人から入った新人二人が、今年のレックスの躍進を助けたと言っていいだろう。

 レックスのフロントは、直史の事情について聞いていない。

 だが最低限の年俸で使えるなら、試してみてもいいとは思った。


 そして結果がこれである。

 当然ながらフロントは、来年も契約を結ぶことを考える。

 むしろ一般的に考えれば、年俸を上げさえすれば、普通に契約出来るだろうと考えていたりする。

 ただ今年の活躍を考えれば、どれぐらいの年俸が適正であるのか。

 10億出しても安い、という計算は出ている。

 そもそもMLBでは、5000万ドルとインセンティブの条件でやっていたのだ。


 この比較対象が大介となる。

 大介は今年、10億でやっていた。

 NPBとしては破格であるが、MLBだったとしても逆の意味で破格である。

 こんなバッターを、たったの10億で働かせたのであるから。

 MLBであれば最低でも4000万ドルは用意したであろう。

 ならば直史はどうすればいいのか。


 またレックスはファンからの采配批判が凄い。

 レギュラーシーズンもそうであったが、ポストシーズンでは大介を敬遠しなかったことによって、敗北した試合というのが多い。

 そもそもフロントとしては、今年はまだ育成の段階の年と思っていたのだ。

 そのための契約であり、その次の監督についてもプランは作ってあったのだ。

 そんな前提が全て、直史の他に新人の活躍もあって、崩れてしまったのである。




 直史はレックスが優勝できなかったことは、ただの結果論だと思っている。

 高校時代から大学時代まで、無能な指導者も有能な指導者も見てきた。

 指揮官としての無能は、指導者としての無能とは違う。

(貞本監督はそもそも、コーチ間の調整が仕事だったんだろうしな)

 おそらくは豊田を次の監督にでも、と考えていたのではなかろうか。

 豊田は樋口や武史、そして直史がチームにいた黄金時代を知っている。

 だが樋口が入るまでの、暗黒一歩手前の時代も知っているのだ。


 チーム全体への貢献ということでは、直史はあれ以上のことは出来なかった。

 またもう一年やったとしても、今年ほどの数字はもう残せないと思う。

 年齢的な回復力の限界、というものは確かにある。

 だがもう家族へ時間を使うため、千葉のマンションに戻るのだ。

 もしもNPBに残るとしても、今年ほどに全てを野球に賭けることなど出来ない。


 なお地元企業や農家の連携では、直史は広告塔になってくれた方がありがたい、などと言われてしまった。

「そりゃ~、世界で一人しか出来ないようなことをやってたら、そうも言われますよ」

 後輩で農業法人の代表である百間町は、身も蓋もないことを言った。

 しかし直史は、プロの世界にはもう未練がないわけである。


 ただ思うところがないわけではない。

 直史が自分の力を最大に活かせる世界は、プロ野球の世界だ。  

 少なくとも選手としては、多くの人々から必要とされている。

 人間がどう生きるか、という問題ではある。

 己の道を貫き通すというのは、一つの生き方ではある。

 しかし期待されて生きていくというのも、それはそれで価値のあることである。

 とりあえず直史は、引退するかどうかは周囲の声に任せてみることにした。




 とりあえず、一番身近にいる家族に対して。

「え、お父さん現役続けるの?」

 一緒に夕食のテーブルを囲みながら話してみると、真琴はそういう反応をした。

「迷っている」

「お父さんが迷うのって、けっこう珍しくない?」

「そうか? いつも迷ってばかりだけど」

「おとーさんがまたテレビに出るならうれしいな」

 そんな弟の言葉を聞きながらも、真琴は色々と考えていた。

「引退したならまた、野球のこと教えてもらおうと思ったのに……」

「それは、そうだな」

 現役であると、肉親であってもコーチをするのが問題になったりする。

 一度は取得したアマチュア指導資格を、またも取得する必要がある。


 子供たちに野球を教えるのも、悪い道ではない。

 白富東には来年から、鬼塚が監督として着任するとも言われている。

 バッテリーのあたりは全般的に、直史が教えられるだろう。

 ただ直史が教えても、それを再現出来るかは疑問だが。


 真琴は夏にもちょっとした事件に遭って、その時は昇馬が全て解決した。

 正確には解決したのは瑞希や義父なのであるが。

 これから高校生になる真琴たちには、学生野球憲章の決定などにより、直接教えることは難しくなる。

 もっともいくらでも、それをかいくぐる手段はあるが。

 弁護士のくせに、ルールを守る気のない直史である。


 母校を強くしてやりたい、というのは直史の郷愁である。

 あの昇馬が入るのだから、ある程度までは強くなるのは当たり前だ。

 真琴が投げることも考えれば、上手くすれば一年目から甲子園が狙える。

「でも、投げてるお父さんの方がいいかな」

 ちょっと表情を隠して、娘は父にそう言った。




 上杉は直史に、自分が引退した後の、日本プロ野球界を大介と二人で引っ張っていけと言った。

 一人では無理である。

 二人であるからこそ、お互いにやり合って対決が盛り上がる。

 またセ・リーグ人気が高まるのか、とパはがっくりするかもしれないが、結局今年の日本一はパ・リーグとなった。

 ライガースにデバフをかけまくった、直史の力によるものである。

 ただそこまでやっても、レックスは勝てなかった。


 実家に戻ってきた直史は、大介とキャッチボールなどをしていた。

「そんで、契約更改どうすんだ?」

「そっちこそどうなんだ?」

「俺はもう、こっちで終わろうかなって思ってる」

 甲子園球場で、自分のプロ野球人生を終わらせる。

 大介は以前から、そう言っていたのだ。

 もっともまだMLBでは通用しそうな気もしているが。


 ただ子供たちのことを考えると、やはり日本にいたいと考える。

 もしも昇馬が高卒でプロ入りでもしたら、親子対決が実現するかもしれない。

 ここからまだ四年、現役でいるのは確かに辛いだろうが。

 技巧派である直史の方が、まだしもその可能性はある。

 今年の夏の甲子園で大活躍した、司朗が高卒で入ってくれば、三年後には対決が実現するかもしれない。


 もっとも直史は、司朗は自分に対しては、天敵になりうると考えている。

 司朗は読みと、そこから狙い球を絞って打つことについて、完全に天才的なものを持っている。

 直史であってもコンビネーションの構築に失敗すれば、打たれてしまうだろう。

 さすがに直史の球種を考えれば、簡単に打てるということはないだろうが。

 しかし、上杉の言っていた球界の牽引。

 それは41歳になるロートルではなく、若い力に任せるべきではなかろうか。




 今から直史や大介のするべきこととは、圧倒的な力で蹂躙し続けることではない。

 衰えた結果とはいえ、新たなスターを輝かせるかませ犬になることではないか。

 もっとも直史も大介も、そんなにあっさりとその役目を享受するつもりはないが。

 結局上杉は、美しく散ることが出来た。

 そんなところまで、完全にヒロイックである。

 勝利にこだわり続けた直史には、ちょっと出来ないことである。


 大介は逆に、必要とされなくなるまで、野球にはこだわり続けるだろう。

 ずっとただの野球小僧であるという点では、全く何も変わっていない。

 どうせ引退した後も、野球に関わり続けて生きていくのだろう。

 ただ指導者としてよりは、自分がプレイすることをずっと、続けていくのだろうが。

 そういった生き方も、直史は否定するわけではない。

 それが大介らしさと言えるであろうからだ。


 直史は遠い日に夢見た、立派な社会人としての自分の理想がある。

 おおよそは定時退社で、盆と正月には休みがあり、ゴールデンウィークは家族で旅行。

 これは弁護士になった時点で、おおよそ達成していたのだ。

 それがこうまで混沌とした人生に変わっていくとは。

 ただオフシーズンに時間を作れるところは、悪いことではない。


 大介は、もう一度MLBに行くという選択をしなかった。

 このままNPBの選手として、甲子園でそのプロ野球生活を終えると決めたのだ。

 おそらくそれは、遠い未来のことではない。

 長くても五年もすれば、目が必ず衰える。

 もしも平均程度のピッチャーでいいなら、直史はもっと長く投げられるだろう。

 果たして、この読みはどうなるのか。




 そしてまた、一人のピッチャーが帰還する。

『俺も日本に戻る!』

 そう強く宣言したのは、妻から単身赴任を命じられている武史であった。

「いやお前……」

『レックスに入るかは分からないけど』

 それはそうであろう。年俸総額がいくらになるか分からない。

 ただレックスは、オースティンとの再契約に失敗したらしい。

 今年の実績でもって、MLBに移籍するのだそうな。


 どっかりと年俸の総額が下がったという点では、それよりもスターズが大きい。

 上杉の抜けた後、絶対的なエースを必要としているのだ。

 武史は今年こそやや小さな故障があったものの、それでも14勝7敗。

 去年は九度目のサイ・ヤング賞を取っているのだ。

 日米通算の勝利数は、現時点で366勝。

 MLBだけでも244勝していて、引退後は野球殿堂が確実視されている。


 本人としては、さすがにもうMLBの移動が多いシーズンが体に辛いらしい。

 それは口実で、アメリカ社会が嫌になってきたというのは数年前からずっと言っていることだ。

 そもそも恵美理の強い後押しがなければ、とっくに日本に戻ってきていたはずなのだ。

「確かにスターズは上杉さんが抜けた分の金があるのか」

 レックスはオースティンの代わりを探すのが大変だろうが。


 外国人選手の帰国というのは、球団にとって頭の痛い問題であろう。

 ただ大型契約などをしても、全盛期はMLBで送りたいという選手が、日本で長く活躍することは少ない。

 来年のNPBは、外国人補強あたりが、チームの一年を決めるのかもしれない。

 それにドラフトで、どういう新人が入ってくるか。

 ピッチャー豊作と言われた、今年のドラフトで、レックスもピッチャーを指名している。




 今年の夏、甲子園に出場したピッチャーは何人か、その評価を落とした。

 もっとも大会が終わってみれば、やはり妥当であったか、というように評価を戻したりした。

 150km/hオーバーのピッチャーなどから、ポンポンと打点を増やしていった司朗の影響である。

 思えば大介も、数々のピッチャーを打撃で粉砕し、およそ一年上から一年下のピッチャーの評価は微妙になったものだ。

 もちろんその中でも、評価を保った者はいたが。


 ほぼ同時代に怪物が数人いたのと、怪我でやや選手生命が短かったとはいえ、その短いキャリアで200勝を達成した真田や、大卒ながらホームランが500本までいった西郷などは、その代表的な例であろう。

 いまだに準主力級の扱いでMLBにいる織田もそうである。

 むしろ長い目で見れば、上杉やSSコンビと高校時代のキャリアが重なった者は、プロでは成功しているとも言える。


 怪物たちのせいで評価を落としても、逆にその怪物たちを目標とすることで、長期的には成功する。

 その流れを経験していなかった選手は、壁に当たった時に弱かったのかもしれない。

 なにしろ圧倒的な壁にぶち当たっても、そこを乗り越えてきた選手に比べれば、覚悟と執念が違うのだ。

 もっとも大学野球まではいって、そこで活躍もしたが、結局はプロに行かなかったという選手もいる。


 直接体験しなかった世代にとっては、上杉やその一つ下の黄金世代、SS世代にその一つ下ぐらいまでは、素直に憧れとなったのだろう。

 圧倒的な数人のスーパースターが、その競技に才能を集めて、競技全体のレベルアップとなる。

 それがこの20年の流れであったと言える。

 上杉はこの流れを止めては、野球界の未来が暗いと考えた。

 少なくとも新たなスターが出てくるまでは、牽引する者が必要であると。




 直史は別に、野球界全体のことなど考えていない。

 そもそも今年の復帰自体が、完全に自分の都合であったのだ。

 ただ上杉の提案は、将来的に考えれば魅力的だ。

 さらに言えば地元の千葉にでも移籍したら、より地元への貢献ということにはなるだろう。

 ただそうすると、世間が期待するような、大介との対決の機会は減ってしまうが。

 日本シリーズで大介と対決するなら、リーグを変更するしかない。


 もっとも直史の場合は、プロ野球選手を続けていられるのは、在京圏で活動しているから、とも言える。

 セ・リーグは東京周辺に3チームがあるため、移動などの必要があまりない。

 だからこそやってこれた、というのはあるのだ。

 これがパ・リーグであると千葉と埼玉が比較的近いにしろ、あとは北海道、宮城、大阪に福岡と、移動時間が長くなる。


 人生は限られている。

 ただの移動時間にかけるぐらいなら、他にもやらなければいけないことは、たくさんある。

 直史はもう、日本人男性の平均寿命の半分を過ぎてしまった。

 人生がもう半分もないということだ。

 そう考えると、なんだか不思議な気もする。

 自分が送ってきた人生を、子供たちが送っていくのか。


 追体験することで、心配になることもある。

 特に真琴などは女で、妹たちほど人間離れはしていない。

(先発ローテに入るなら、それなりに一緒にいてやれるか)

 真琴は今のところ、受験の準備も問題ない。

 そもそも部活やクラブチームに入っていても、成績はかなり上位であったのだ。




 昇馬と一緒に、白富東に入るという。

 あの頃が一番楽しかったというか、未来への選択肢が一番多かった。

 直史にとって大学は、瑞希といちゃいちゃすることと、将来への勉強のための時間であった。

 野球はあくまでもその次であったが、周囲が求めていたのは野球での活躍であった。

 家族までもが、直史が野球をすることを望んでいる。


 次の時代のスーパースター。

 直史はそれに、大きな心当たりがある。

 今年、一年生ながら甲子園で大活躍した司朗、来年から高校生になる昇馬。

 この二人は身内の贔屓を別にしても、別格の才能があると思う。

 もっとも昇馬の方は、それほど野球にこだわりがあるようでもないらしい。


 アメリカを経験してきた直史は、日米の野球に対する取り組みが、かなり違うことを知っている。

 ヨーロッパなどのサッカーとも違う、アメリカのスポーツ事情。

 昇馬はオフシーズンでは、野球ではなくバスケットボールをやっていた。

 そしてそちらの方でも、相当に上手かったのだ。

 アメリカでは選択肢が多いなら、すぐに決めてしまうということがない。


 そもそも昇馬は野球より、山に入ることなどが好きだったりする。

 野球強豪校では絶対に合わないだろうと思った、大介やツインズの判断は間違いではない。

 また将来的に、プロを目指しているのかも定かではない。 

 一般的な日本の中学生とは、全く意識が違うのだ。

 それでも甲子園に対する興味は、さすがに少しあるらしいが。

 一人の天才が、果たしてどこまでチームを持っていけるのか。

 そもそも昇馬のボールを捕れるキャチャーが、一般的な学校にはいない。

 その点は真琴が、またキャッチャーをするらしいが。




 結局スポーツが流行するかどうかというのは、スーパースターの活躍以外にも、競技人口などが関係する。

 スターがいなければ、なかなか競技人口も増えないが。

 日本の場合はいまだに、野球が大きな土台を持っている。

 それに直史は、アレクから聞いたサッカーの話などで、かなり引いているところがある。

 欧州のサッカークラブチームなどは、子供の頃から既に、エージェントが付いていたりする。

 それは日本ではやりすぎかな、とは思うのだ。


 直史は弁護士としては珍しい、保守的な人間である。

 しかし資本主義国家の中にいる人間としては、そのあたりがリベラルの傾向にある。

 行き過ぎた商業主義に対する批判。

 そのあたりは直史が、昭和的な思考をしていると言うべきなのだろうか。

 無駄に頭のいい直史は、野球以外のことも考えすぎている。

 アメリカの年俸に関するロックアウトなどは、結局ファンを減らしただけで終わっていた。

 楽しんでくれる観客がいてこそ、野球をやっている意味があるのだ。


 自分で起業でもしない限り、人間が社会の中で大きな役割を果たすことになるのは、およそ40歳以上になってからであろうか。

 政治の世界などは50歳になってもまだ若造であると言われる。

 直史はそのあたり、複雑な感覚がある。

 スポーツはおおよそが、30代前半にピークを迎えるものだ。


 今は40歳となった直史が、果たして新しい力の前に壁になれるのか。

 自分が投げるということが、社会的にどういう影響を持つのか。

 そういったことを考えるのだが、結局最後は直史のやる気次第であるのだ。

 去年のポストシーズンは、完全に壊れる覚悟で投げていた。

 壊れるのと引き換えに、有終の美を飾るつもりであったのだ。

 実際に一度は、ワールドチャンピオンになって、そして引退という花道を飾ったものだ。

 プロへの未練は、あの時点で既になかった。




 周囲の人間の多くが、直史が現役を続けることを期待している。

 それはもう、去年の圧倒的なピッチングを見ていれば、そう思うのも当たり前だろう。

 直史のピッチングはバッターの心を折り、そのためライガースは日本シリーズで敗北したという見方は、今や定説となっている。

 そしてこの時期になって、レックスのフロントから話し合う機会がほしいと言われてしまった。


 今年の復帰については、とりあえず一年間を見てみよう、という話になっていた。

 一度はFAで移籍した直史に、新たな契約金もなしの最低年俸。

 それでも直史は問題なかったのだ。

 目的は金ではなかった。

 よく金の問題じゃない、などと言う人間はいるが、だいたいは金で納得する。

 生活を保障するものは、やはり金であるからだ。


 ただ直史は、もう一生を生きていくだけなら、充分な財産を持っている。

 相当の無駄遣いをしないなら、孫の代まで食っていける財産だ。

 なので生きていく理由は、他のところに見つけなければいけない。

 働く必要はないのだから、なんのために働くのかが重要だ。

 誰がために働くか。


 そういうことを考えれば、やはり郷土のためとなってくる。

 また自分の影響力を、どれだけ使っていくかが重要となる。

 NPBで残りの数年を活躍することは、自分の知名度をさらに上げることにつながる。

 直史は一度MLBで引退しているので、若い人間への知名度はやや低いのだ。




 現役続行か、それとも引退か。

 直史のやりたいことは、引退してからの仕事となる。

 だがその仕事の内容をよりスムーズに分かりやすくするためには、もう数年自分の知名度を、さらに高めることが重要になってくる。

 あとは完全に私怨だが、最後に負けたまま引退するというのは、どうにも胸の中にもやもやが残る。

 基本的に直史は、負けず嫌いであるのだ。


 直史が負けたのではなく、レックスが負けたのだ。

 直史は一度も負けていないと、多くの人間が言うであろう。

 まさに神話的な、レギュラーシーズン無敗の記録。

 これがどこまで続くかなど、他の誰にも想像することは出来ない。

 そしてこの不敗神話を、打ち破るのは誰か。

 おそらく多くの人間は、まだ直史と大介の対決を見たいと思っている。


 もちろん既にここまでに、多くの伝説を残してきた。

 しかし今を生きる人間にとっては、過去の伝説よりも、未来の物語の方に興味がある。

 直史にしてもそれは分かる。

 どれだけの名勝負であろうと、既に過去は確定している。

 ファンが求めるのは、未来の対決だ。

 今年のような熱量のある勝負を、来年も求めている。

 直史の成し遂げた、圧倒的な実績。

 これがどこまで続くのか、誰だって興味はあるだろう。


 球界の未来を背負っていく。

 これがMLBであれば、そんな面倒は負いたくないと、直史はあっさりと捨ててしまっただろう。

 だが日本のプロ野球は、直史の愛するこの国に、強い影響を与えることになる。

 またこれから真琴たちは、高校生として甲子園を目指していくのだ。

 プロであるということは、その背中を子供たちに見せることとなる。

 そこに対する誘惑は、感じてしまう直史なのであった。




 スポーツ選手の多くは、その子供に自分の全盛期を見せることが出来ない。

 見せたとしても、ごく幼少期に限ってしまう。

 そんな中で例外的な存在は、少数ながら存在する。

(同じ特殊な職業でも、マンガ家とかミュージシャンの方が、ずっと寿命は長いよな)

 直史が考えるに、やはり自分は野球に関しては幸運なのだろう。

 野球だけをやって、大学までの学費を稼ぐことに成功した。

 そしてその後も野球によって、普通の人間なら出来ないことが、出来るようになっている。


 おおよその政治家などよりも有名。

 さすがにシーズン中は毎日のように名前を呼ばれていた大介に比べれば、その知名度は劣るであろうが。

 しかし歴史的に見て最強のピッチャーとは呼ばれるだろう。

 最高のピッチャーと言うには、活躍期間の長かった上杉の方が、上であるとされると思う。

 日本球界に対する貢献度では、間違いなく上杉の方が高い。

 上杉がいることで、野球というスポーツのファンは確実に多くなった。

 以前のような国民的なスポーツ、にまではさすがにもう戻らなかったが。


 そもそも日本人が、アメリカに行くことは前提であるが、とんでもない金額を稼げる競技など、もうそうそうはない。

 上杉のいる間にMLBで成功した選手は、その前に比べて飛躍的に増加した。

 また国際大会の成績も圧倒的であり、何度となく日本の優勝に貢献した。

 そんな上杉の代わりなど、直史は出来はしない。


 ただ直史には、ストーリーがある。

 大介のライバルは、そのプロ生活の初期から中期までは、上杉であった。

 五年連続でレギュラーシーズンの覇権を競い、名勝負を多く演出した。

 対して直史は、大介の中期から後期までのライバルで、しかしながら元は同じチームで義兄弟という関係である。

 日本ではなくアメリカに行ってしまったが、直史が引退するまでの五年間で、四回は二人の所属チームでワールドシリーズを戦っている。




 直史の選手生活は、比較的短かった。

 日本で二年、アメリカで五年という、かなりの短さである。

 しかしその期間で、成しえた記録は上杉をも上回っている。

 特にアメリカに行ってからの記録を見れば、少なくともこの半世紀の間は、シーズン記録で破れる者は出てこないだろうとも言われる。

 もっとも欧米というのは、アジアンが活躍したりすると、ルールを変えるという行為を何度も行っていたりするが。


 そんな直史が日本球界に復帰して、大介との再戦が実現した。

 五年以上のブランクがあるピッチャーが、前年もMLBでMVPを取ったバッター相手に、さすがに勝つことはないだろう。

 そう思われていたのだが、直史はほぼ全盛期と同じ成績を残した。 

 特にレギュラーシーズン終盤から、ポストシーズンにかけての試合は、四試合で一本のヒットも打たせていないという徹底振り。

 大介を相手にしても、完全に封じたのだ。」

 

 ネットなどでは直史のことを、大サトーとか大魔王とか、そんな呼び方をしていたりする。

 その直史は他のチームに対しても、完全に打てないピッチャーと思われている傾向がある。

 26勝0敗という記録を上回るのは、自身の27勝0敗というものしかない。

 直史と大介の対戦も楽しみだが、果たして直史を打つバッターが現れるのか、またどこまでこの記録が伸びるのか。

 楽しみ方は色々とある。




 直史はなんだかんだと色々な人間と話をしたが、最も重要な相談相手は、当然ながら妻の瑞希である。

 そして瑞希は、人間である直史の一部として、ピッチャー直史を高く評価している。

 もちろんあれだけ頑張って勉強をして、弁護士になったことも確かである。

 しかし復帰してみてここまでの数字を残せたのなら、本当に投げられなくなるまで投げてもいいのではないか。


 敗北を知らずに、美しい成績のままで、引退してしまいたい。

 いや、既にもう伝説であって、40歳を過ぎたピッチャーがここまでの数字を残したこと自体が、奇跡としか言えないのだが。

「結局、クライマックスシリーズで負けたのが悔しいの?」

「それも、ないではない」

 直史も瑞希に対しては、さすがに正直になるところがある。


 あれだけ苦労して勝ち続けたのに、結局はあんな形で最後の勝負が、機会さえも失われてしまった。

 その不条理さに、怒りがないわけではない。

 大介相手にあと一打席投げていれば、丁度いい感じに壊れていたと思うのだ。

 限界の先にあったのは、巨大な断崖絶壁で、その寸前までは進んだのだ。

 それが不完全燃焼に終わった。

 直史はまだ、燃え尽きていない。


 ならばまだ、やるべきであろう。

 瑞希も色々と書くことが増えて嬉しい。

 なんだかんだ言って、直史は投げている時が、一番かっこいいのであるから。

「けれどこんな特殊な職業、子供たちに悪い影響を与えないかな?」

「むしろ真琴なんかは、今年の試合を見ていて、色々と思うところがあったみたいだけれど」

 それはこの間、直接話した時に直史も感じた。

「続けていいのかな……」

「少なくとも、私は止めないから」

 家族の理解があって、ありがたいことである。



×××



 次話「契約」

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