第125話 不完全燃焼

 11回の表が始まる。

「振るなよ」

 バッターボックスに向かう直史に向けて、貞本が一言だけ告げた。

 完全にバッターの直史には、何も期待していない。

 スイングする力さえ、ピッチングに残しておいてほしい。

 まして出塁などして、走る必要が出てきたらどうするのか。

 特別扱いではなく、もっと純粋に役割が違うのだ。

 日本シリーズであれば、向こうの球場で行われる試合では、DHが採用される。

 そこでは直史も、問題なく自分の役割だけに徹することが出来るであろう。


 全てはこの試合に勝ってからだ。

 日本シリーズまでに、とても万全に回復するとは思えない。

 たとえ日本シリーズに勝ち進んだとしても、レックスは直史にほとんど頼ることが出来ないであろう。

 直史はそれぐらいの出力で、この試合を投げている。

(振るつもりもないし、ランナーに出るつもりもないけど)

 ほんのわずかずつであるが、レックスの攻撃が噛み合っていない。

 ライガースが極端に少ないので目立たないが、レックスもここまで五本しかヒットを打っていないのだ。


 ただライガースは、大介の一発しか点を取れていない。

 レックスは一応、チャンスを活かして連打している。

 ライガースの方が、圧倒的に打撃はおかしい。

 おそらく次の大介の打席は、敬遠すれば普通に無失点に抑えることが出来る。

 直史が投げている場合、という注釈はつくが。


 直史はデッドボールにだけは当たらないように気をつけて、あとはもう次のイニングのことを考える。

 11回か12回で、とにかく決めてもらうしかない。

 直史はそこまで、投げたとしても4イニング。

 限界を感じながら投げても、そこまではぎりぎりでもつと思う。

(俺には点は取れないからな)

 だから相手を、無得点で封じることのみを、己に課している。




 どうにかして援護しなければいけない。

 一点目の起点になった緒方でさえ、さらにもう一本打とうと考えている。

 ワンナウトではあるが、自分が出ればそこから打線がつながる可能性はある。

 ライガースのピッチャーは、まだしも打てる。

 もちろんどんどんと、ピッチャーをつぎ込んできてはいるが。

(打つ!)

 緒方の打ったボールは、見事に一二塁間を抜けていった。


 ワンナウトながら、判断力に優れた緒方が出塁。

 ここからはもう、一つのミスさえ許されなくなる。

 ライガースは、ここでピッチャーを交代。

 リリーフを総動員である。

(あちらも必死か)

 対するレックスは、ここはどうにも動けない。

 まさかツーアウトにしてまで、二塁への送りバントなどという選択はないのだ。


 ただ、最低でも進塁打、というのは考えられる。

 ツーアウト二塁となれば、単打一本でも、ホームにまで帰ってこれる可能性は高くなる。

 レックスもここで打てなければ、クリーンナップを名乗るのは恥ずかしくなるだろう。

(頼むぞ)

 そして予定通りとばかりに、右方向にボールは打たれた。

 緒方の好スタートにより、二塁でのフォースアウトは無理。

 ツーアウト二塁という状況である。


 ヒットが出れば、一点取れるかもしれない。

 昔のレックスなら、こういう時に頼れるバッターが何人かいた。

 そもそも試合の流れを、上手く動かすようなバッターがいたのだ。

 貞本としては、そういう選手を育成出来なかったことも、自分の責任だと思うしかないのだが。

 一点がほしい。

 それはどちらのチームも同じことである。




 打球は、三遊間に飛んだ。

 ショートの大介が、普通なら届かない打球に、かろうじて追いつく。

 しかし完全に体勢を崩して、送球すら出来ない状態であった。

 緒方がホームに突入するのを、阻止するのが精一杯。

 ツーアウトながら一三塁となる。

 そしてバッターボックスには、四番の近本。

 なんと劇的な展開であろうか。


 この試合、おそらく最後のチャンスである。

 これを逃して、まさか12回の表にチャンスがあるとは思えない。

 ライガースとしては最大のピンチ。

 しかしここで監督の山田は、近本を敬遠する。

 一点取られたら終わりと考えている。

 なのでランナーが増えてでも、フォースアウトが取れる満塁にしてしまうのだ。


 積極的な動きである。

 そしてピッチャーも交代する。

 ここまで残していたクローザーを投入。

 少なくともピッチャーの運用では、今日のライガースは満点であったと言えるのではないか。

 それでも中盤の先制点だけで、試合が決まっていた可能性は高い。

 つまり、大介のソロホームランがなかったら、という話だ。

 あれがなければそもそも延長には突入していなかった。

 いくら甲子園でブーイングや野次を飛ばされても、あそこは敬遠しておくべきであったのだ。


 勝負師だな、と大介は守備位置で思っていた。

 この回の裏、ライガースは下位打線から始まる。

 その打順で直史から点を取るのは、おそらく相当に難しい。

 なのでこの表には、絶対に点を許してはいけないのだ。

(ん?)

 そこで大介は、ふと気づいた。

(あれ?)

 直史はひょっとしたら気づいていないのか。

 確かに直史であれば、もう全てをライガースを抑えることに、思考までも向けているであろう。




 ライガースベンチは、見事に賭けに勝った。

 打たれた打球は高く飛んだが、センターの守備範囲内でキャッチ。

 スリーアウトチェンジ。

 おそらく今のが、レックスの最後の勝機であったろう。

 次のイニングの攻撃で、レックスは一人でもランナーが出れば、直史に回ってしまう。

 ただ直史は、そういったことは考えない。

 もう目の前のバッターを、どう打ち取るかしか考えていない。


 ある程度この状況を、俯瞰的に見ている人間は、この試合の行く末がもう見えているだろう。

 レックスの攻撃力が、決定的に低かった。

 いや、決定力と言うべきであろうか。

 ヒットを七本も打っていて、一点にしか届かなかったのだから。

 ただその状況だけを見ていけば、どうしようもない選択が多かったのだ。

 もし首脳陣のミスを指摘するとしたら、明確にそれは一つだけ。

 大介を全打席申告敬遠しなかったことだけだ。

 あれがなければ、スコアは1-0のままであったかもしれない。

 確率の話でしかないが。

 それに直史は、大介との勝負を選択し、それに見事勝利した。


 レックスの硬直した打線を動かすには、何か衝撃的なことが必要だと、そう思ったのだ。

 実際にレックスは、緒方から上手くランナーが出て、最大のチャンスを得ることが出来た。

 しかしそれも、結果的には失敗したと言っていいだろうか。

 どれだけ惜しかったと言っても、点が入らなかったのは確かなのだ。

 

 直史は11回の裏のマウンドに向かう。

 これで3イニング目である。

 下位打線とはいえ、一人でも出れば大介に回る。

 もっとも直史は、一人も出すつもりはない。

 あと六つのアウトを取ることを、自分の最優先目的としている。

 昨日は八回まで投げたピッチャーが、リリーフで3イニングめ。

 もっとも六日間の中で27イニング目、と考えたらいいだろうか。




 六日間の間に、27イニング目というのはつまり、六日間の間に丸々三試合を投げたということになる。

 とても現代の野球からすれば、信じられないことであろう。

 もっとも甲子園であれば、これぐらいはあったりする。

 それに球数だけを言うなら、六日間でまだ300球に達していない。

 消耗しているのは、肩肘といった分かりやすい肉体ではないのだ。


 ベンチにいる間には、指先が痺れたり、頭痛がしたりもする。

 だがマウンドに登ると、そういった状態はなくなる。

 本当に限界は近いのだろう。

 しかし直史がやるのは、せめてあと一度は大介を抑えようというささやかな希望である。

 12回の裏まで、どうにか一人のランナーも出さずに終わらせたい。

 直史は本当に、それ以外のことを考えていなかった。


 ライガースはこの下位打線からの11回の裏を、さほど重視していない。

 もちろん12回の表に、点を取られるわけにはいかない、とも考えているが

 ここがライガースにとってのさほどの重要なポイントと考えていないのだ。

 12回の裏になれば、大介の打席が、回の頭から回ってくるのだから。

 そこでホームランが出ても、ランナーとしてホームを踏んでも、試合は終わりである。


 直史から点が取れるとは、とても思えないライガースである。

 ランナーの一人さえ、出るかどうかは怪しい。

 このファイナルステージの26イニング、直史はヒットの一本も許していない。

 大介を相手にしてさえ、ヒットを許していない。

 もちろん限界は近いのだろう、とは思っているが。




 今日はまだ3イニング目。 

 だが前の試合も、その前の試合も、まだ肉体へのダメージが残っている。

 深刻なダメージは、おそらく肉体の神経の働きを異常にしている。

 自分でもどうにも、そういった部分はコントロール出来ない。

 心臓の鼓動が妙に早くなったりと、まるで病人のようである。

 もっともマウンドの上では、相変わらず完璧なピッチングをする。


 下位打線ではあるが、ピッチャーのところには代打を出してくるだろうか。

 先ほどのレックスの絶好の機会を抑えたクローザー。

 回またぎであるが、あれを使わないわけにはいかないだろう。

 変化球を主体に、空振りを取っていく。

 脳がまた高速回転し、狙っていたコースにそのまま、ボールを投げ込む。

 そして三振を奪う。


 ライガースは二者連続で三振を奪われた。

 直史のピッチングに、完全に圧倒されている。

 ピッチャーのところにも、代打を出してくる気配はない。

 12回の裏は、大介の出番がある。

 12回の表のレックスの打順を考えれば、ここで強力なピッチャーを交代させるのはむしろリスクなのだろう。

 12回の表は、確実にアウトにしていきたいのは当然だ。


 直史の頭脳は、確かに高速で回転していた。

 しかしそれは、目の前の懸念を解決するために動いていたのだ。

 せいぜいが自分のピッチングで、味方を鼓舞することが出来ないか、ということぐらいである。

 いつも援護の少ない自分が、そんなことを考えるのもおかしな話だな、などと思ったりもしたが。

 だが、さすがに気づいた。気づいてしまった。

(負ける!)

 今さらである。そしてもう、ここからそれを覆すことは、かなり難しい。




 こんな形で終わるのか。

 いや、可能性は低いが、まだ終わらない可能性が、勝つ可能性は残っている。

 しかし間違いなく、その可能性は低い。

 そのためにライガースは、このピッチャーを残しておいたのだから。

 バットも振らずに、あっけなく三振する九番のピッチャー。

 だがこれでいいのだ。

 ライガースの勝利条件は、レックスとは違ったのだから。

 こんな単純なことに、どうして今まで自分は気づかなかったのか。

 それは、自分が点を取られなければ、少なくとも負けはないと思っていたからだ。


 まだ、投げられる。

 本当に、あと1イニングぐらいは投げられる、命の力は残っている。

 燃やし尽くすものは、まだ残っているのだ。

 だが、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのか。

 それは直史が、完全に過集中で、近視眼的になっていたからだ。


 ベンチに戻ってきた直史に、貞本は声をかける。

「ご苦労だった。ここまでだ」

「まだ分かりません」

「どのみちランナーが出ても、代打を出す」

 それは、当然の判断だろう。

 打率が一割を切っている直史に、バッティングでの貢献を求めるはずもない。


 だが、連打したとしたらどうなるか。

 いや、レックスにはまだ一枚、セットアッパーのリリーフがいる。

 直史を自動でアウトにするよりは、代打のバッティングに期待する方が、勝利へと近くなっているであろう。

 結局ここで、終わるのか。

 そもそもこの場合、試合を最後まで成立させる必要があるのか。

 レックスの代打陣は、いよいよ出番が回ってくる。

 もっとも六番はまだ、打撃の期待できる迫水だ。




 ここで一点取らなければ終わる。

 いや、前の回にあのチャンスを逃してしまった時点で、もう終わっていたのかもしれない。

 迫水としては、なんとしても塁に出なければいけない。

 あのホームランにされたボールを、百目鬼に要求したのは自分なのだ。

 最終的にそれに頷き、投げたのは百目鬼であったとしても。

 しかしこの事態においては、気合だけでどうにかなるものではない。

 そもそもライガース側も、ここに全てを賭けてきている。


 守備固めの選手を、少し出してきていた。

(ホームランが出れば)

 そう、ホームランで一点を取ってくれるなら、まだ直史が投げる必要はある。

 しかしそれ以外の場合は、ほぼ全て直史はここで終わりだ。

(こんな結果になるのか)

 迫水が大きな外野フライに倒れて、勝負の行く末はほぼ見えた。


 レックスのベンチで、それに気づいていなかったのは、直史だけであったのかもしれない。

 いや、もちろん延長に入るぐらいまでは、それを意識もしていなかったのだろう。

 しかしここまで点が取れないまま、延長に入ってしまった。

 そのあたりから、悪い予感がしている人間はいたはずだ。

 俯瞰的に物事を見られる、首脳陣はずっと、この可能性も見ていただろう。


 直史もかつては、これを経験しているのだ。

 あの時とは全く、逆の立場になっているが。

(なるほどな)

 とは言ってもあの時は、まだしもここまで追い詰められてはいなかったのだ。

(真田も、こんな気持ちだったのかな)

 いや、あれは第一戦であるから、そこまでのものではなかったのだろうが。

 誰がこんな結末を予想していたであろう。




 七番に代打が出たが、ここでもランナーは出なかった。

 そして八番にも、同じように代打。

(これで終わるのか)

 一点も取られなければ、負けることはない。

 NPBにおける、数少ない例外が、今のこれである。

 つまり、引き分け。

 三勝三敗一分の場合、レギュラーシーズン優勝のチームが、次のステージへ進む。

 この場合は日本シリーズ進出が、ライガースに決定する。


 この試合は、負けないだけではいけなかったのだ。

 引き分けでもなく、勝たなければいけなかったのだ。

 なんでそんな基本的なことを忘れていたのか。

 それはもちろん、直史が全ての力を、相手のバッターを封じることに使っていたからであろう。

 無駄な思考のノイズとして、それを忘れ去っていた。


 おそらく観客の中にも、気づいていない者がいる。

 だがテレビなどで視聴していれば、解説者が説明しているだろう。

 タイブレークはこの試合には存在しない。

 引き分けというのは、実質的には負けなのである。

 他の試合と違い試合として成立しなくても、この試合の場合は12回の裏が存在しなくなる。

 引き分け以上に終わった時点で、ライガースの裏の攻撃は意味がなくなってそこで終了となるのだ。


 直史は自分の間抜けさに腹が立つ。

 12回の表で勝ち越さなければ今さら、勝敗に関係のない12回の裏をやる必要はなく、試合終了というのが現在のルールである。

 ちなみに勝っていたとしても、12回の裏で追いついた時点で、サヨナラ扱いとなってしまうらしい。

 一応過去には、その事例があったのだと、ベンチの中で直史は確認していた。

 そもそも貞本は、ブルペンに裏のピッチャーを連絡していた。

 大介との勝負は、そもそもやってくることがない。

(ああ、ダメだな)

 レックスが今から一点を取るのはほぼ不可能。

 そう考えるだけで、体からは力が抜けていく。

 もうそれを止めるだけのモチベーションが、どこにもないのだ。

(終わった)

 代打が凡退し、12回の表は無得点。

 かくして、レックスのシーズンは終わった。

 もちろんそのレックスに所属する、直史のシーズンも。

 強がって言うなら、判定負けである。




 まだ引き分けであるのに、終わってしまった。

 本来なら12回の裏は、引き分けでも試合を成立させるためには、必要なものである。

 それがこの試合の場合だけは、必要がなくなる。

 勝っているチームの九回の裏の攻撃がないようなものだ。

 大介も周囲の会話でようやく気づいた。

 ここにも目の前の勝負だけに、全力を捧げていた者がいた。

 しかしもう、裏の攻撃はやる意味がないので、これで試合は成立した。

 もちろん試合だけの記録としては、ライガースの勝利とならないが、ポストシーズンは特別だ。


 力が抜けていく。

 ホームランを打っても、もう意味がないどころかその機会さえ与えられない。

 レックスが直史の打順に代打を用意していたのは、当たり前のことであろう。

 打てない直史なので、回ってこない12回の裏に備えるならば、代打で勝ち越し点を取る必要があったのだ。

 普段はセットアッパーをやっているピッチャーが、用意されていたのであろう。

 それも無駄になった。

(なんの茶番だ、これ)

 レギュラーシーズンの消化試合でも、まだしも自分の成績に関係があるため、本気を出すことが出来た。

 しかしこのポストシーズンの試合では、引き分けている状態で、自分の打席で勝ちこせるのに、そもそも打順が回ってこない。 

 なんの機会も与えられず、引き分けにて日本シリーズ進出決定。

 本当に茶番なのである。


 なぜレックスは、一点を取ってくれていなかったのだ。 

 もしも一点を取ってくれていれば、自分のホームランで同点になったところで、引き分けの試合は成立。

 そこまでは直史も投げてくれていたであろうに。

(いや、そういうことじゃないか)

 第一戦も、第三戦も、第五戦も申告敬遠はあったが何度も、対決の機会はあったのだ。

 この試合にしても、交代直後に一度は対戦の機会があった。


 個人的な決着を、そこでつけることが出来なかった。

 レックスがわざわざ直史に代打を出す準備をしていたのも当たり前だ。

 ただ12回の表に、ホームランなどで点が入っていればどうだったろう。

 限界に近い状態の直史が、壊れる危険性を考えても、投げさせただろうか。

 レックスの首脳陣は、そのあたりの無理をさせないという点では、優れた判断力を持っている。 

 直史自身が、どう思っていたのかは分からないが。

 空白が胸の中を占めている。

 勝ったのに、負けた虚無感がすごい。

 勝ったのではなく、引き分けであったからであろう。




 ライガース打線、特に代打は全ての準備が無駄に終わった。

 表に点を取られなかった時点で、日本シリーズ進出が決まったからだ。

 試合を成立させるために、裏の攻撃も必要ない、数少ない例外。

 もしも無理に裏の攻撃があったとしても、レックスのリリーフも適当に投げて、ライガースのバッターも適当に打っただろう。

 おそらく今年一番の、最もモチベーションのない、ピッチングとバッティングであったろう。

 直史は3イニングをパーフェクトに抑えた。

 27イニング、つまり丸々三試合を、ノーヒットで抑えた。

 それでもチームとしては勝ち進むことが出来なかった。


 終わったが、燃え尽きなかった。

 12回に大介に投げようと思っていた力が、不完全燃焼のまま残っている。

 二度と野球が出来ないぐらいに、壊れてしまうのを覚悟して投げていた。

 むしろそれを望んでさえいた。

 だが結果は、くすぶった力がわずかに体に残っていた。

 直史自身は、一点も与えていない。

 それでも勝てなかったのだ。


 ロースコアゲームであると、レックスのプラン通りの作戦であった。

 一番危険なところは直史に任せて、そして点を取る。

 大介のあの一本で、同点に追いつかれた。

 あの時の判断が間違っていた。

 しかしまさかお互いに、あそこから一点も取れないとは。


 レックスはヒットを七本打って、二本のライガースよりは優位に試合を進めていた。

 それは間違いないのに、それこそライガースはほとんどヒットも打てなかったのに、結果としてはこうなったのだ。

 直史は一点も取られず、試合にも負けていない。

 だがルールによって、これで終わったのだ。

 なんともしまらない終わり方であったが、これもせめてタイブレークがあったら。




 ライガースの選手たちは、それでも喜んではいる。

 微妙な感じだが、日本シリーズ進出は決めたのだ。

 この甲子園で、日本一を争う機会を得た。

 直史を打てなかったが、それでも良かったのだ。

「先に帰ります」

 直史はそう言って、ふらつく体でロッカールームに向かった。

 それを止めようとする者はいない。


 シーズンが終わった。

 あとはライガースがどう日本シリーズを戦うかだが、それはもう直史には関係のないことだ。

 甲子園を出ようとすると、専用入り口でリムジンが待っている。

 その後ろのドアが開くと、セイバーが待っていた。

「パスポートはありますか?」

「はい。最近はもうずっと、バッグに入れてました」

「では行きましょうか。友人からプライベートジェットを借りてますので」

 チームに対する後の説明などは、全てを承知している人間に任せている。


 試合を終えた選手は、真っ白な灰のように、燃え尽きることはなかった。

 これから向かう先は、妻と息子のところ。

 その準備はしっかりと出来ている。

 出来ていなくても、ほとんどのことはどうにでもなる。




 長かったシーズンであった。

 それなのに、最後の決着はこんなものなのか。

 直史は負けなかった。

 それでもチームが負ければ、こういうことになる。

 レギュラーシーズンの勝ち星が、一つでも多かったなら、この結果も違っていただろう。

 だが、これが結果である。

 力の及ばぬところで、レックスというチームは負けてしまったのだった。

 チームスポーツの恐ろしいところであるが、それを理不尽と思うなら、そもそもやらなければいい話なのである。


 空港に向かうリムジンの中で、直史は無言であった。

 なのでセイバーから話を振った。

「全力を出せましたか?」

「まさか」

 いや、全力は出していたのだ。出し尽くすことが出来なかっただけで。

「何か、他に俺が出来ることはあったんでしょうか?」

「どうでしょう?」

 セイバーは考え込む。


 レギュラーシーズンは26勝0敗と、完璧な結果を残した。

 特にシーズン終盤などは、ライガースを相手に二試合連続パーフェクト。

 これによってライガースは、打線に狂いがきたことはあるだろう。

 そしてポストシーズンでも、三試合に先発して全て勝利。

 ライガースには一本のヒットも許さなかった。

 他の誰かの責任であっても、直史の責任では絶対にない。

 むしろ直史は、自分に出来ることは全てやったと言っていいだろう。

 これでバッティングまで出来れば、それこそ話は違ったのかもしれないが。


 セイバーからすると、結局は采配のミスになるのだろう。

 ただレックスは全体から見ると、先にリードを奪った試合では、かなりの確率で勝っている。

 勝利のパターンを、しっかりと作っていたのだ。

 今年のレックスのチーム力で、ライガースのようなスタイルで試合をしても、おそらくはレギュラーシーズンであそこまで勝てなかった。

 セイバーのデータからの分析によると、貞本は全体的な判断では、ミスはそれほど多くない監督であった。




 試合のヒーローは、大介である。

 もちろんこの試合の、ライガースの一点を、自分だけで取ったからである。

 そう、投手陣は完全に短いイニングで責任を果たした。

 レックスを一点だけに抑えたので、そこは文句はないだろう。

 しかし大介以外は、ヒットがわずか一本である。

 直史以外のピッチャーにも、ほぼ完全に抑えられてしまっていた。

 勝敗の差は、やはりあの11回の表を凌いだことにあるのだろう。


 守備においても、大介の貢献は大きかった。

 だがまるで勝った気がしない。

 ピッチャーたちは、本当に頑張ってくれた。

 セットプレイで点を取るレックスに、その機会が何度かあったのに、追加点は一点も許さなかったのだ。

 しかし結果は引き分け。

 12回の裏で勝負を決めると考えていた大介は、引き分けでもライガースの勝利、という条件を勘違いしていた。

 その勘違いしていた人間は、他にもいたようである。


 ヒーローインタビューで質問されても、答えられるようなことがない。

 直史に敗北し続けたクライマックスシリーズであった。

 特に打線は、全体として調子を崩している。

 レックスのピッチャーたちが頑張ったというのもあるが、直史によって徹底的に抑えられてしまった。

 こんなメンタルのまま、日本シリーズを迎えたらどうなるか。

 ある程度は想像がついてしまう。

 

 何度負けても、勝てるまで挑み続ければいい。

 それが大介の考えであるが、他の人間は途中で折れるものだ。

 やがては大介も、衰えによって負ける時がくるだろう。

 負け続けるのに耐え切れなくなった時が、引退の時とも言える。

(これで、終わりなのか)

 大介は敗北感を抱えたまま、まだ進んでいかなければいけない。




 こんな終わり方でいいのか。

 多くの人間が、そう感じたであろう。

 テレビで見ていた人間は、解説者やアナウンサーから、その可能性を聞いていた者も多い。

 単純なクライマックスシリーズの引き分けの試合であれば、直史は二年目に真田との投げ合いで12回を抑えている。

 この試合も最初から直史が投げていれば、1-0で勝てたのではないか。

 だが貞本らの首脳陣は、チームドクターから直史の状態を聞いていた。


 いつ壊れてもおかしくない。

 そもそも体中がボロボロであるのだと。

 体重の減少などは、明らかに異常であった。

 それでも直史は、投げ続けようとしていた。

 九回のあの場面を抑えただけで、もう他のピッチャーに代えても良かったであろうか。


 結局は、ピッチャーが取られる点より多く、点を取らなければいけなかった。

 一点でもリードしている場面で直史を使えれば、それで勝っていたのだ。

 だがどこに限界があるのか、それを判断するのが怖かった。

 直史はなんだかんだ言いながら、本当に限界まで投げてしまうからだ。

 過去にはそうやって、マウンドで倒れたこともある。

 普通の人間には存在する、限界を迎える前にあるブレーカー。

 直史にはそれがないか、あるいは意識的に無視することが出来る。

 そんなことをしていては、どうなるのか首脳陣も想像してしまった。


 レギュラーシーズン終盤から、このポストシーズンへと。

 直史は本当に働きすぎた。

 ホテルに戻るバスに、直史の姿がないのに気づくレックスの選手たち。

 だが貞本は、ちゃんと連絡を受けていた。

 もっともそのホテルにも戻っていないことは、貞本も不思議に思ったが。

 そんな貞本の下へ、セイバーの意を受けた者がやってきて、全てを説明するのを聞いて、貞本もようやく全てを悟ったのであった。




×××



 次話「海の彼方」

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