第121話 最終戦

 八回の表、レックスはまだ追加点がない。

 ここで二点ぐらい取ってくれれば、首脳陣も迷いなく、直史を交代させたのだろうが。

 四番から始まるこの八回の裏、直史はマウンドへ向かう。

 ここで三人で終わらせれば、あとはもうリリーフ陣に任せる。

 二点差であれば、たとえ一人ランナーが出て大介に回っても、敬遠して失点を最小限にすることが出来る。

 そうなればチームは勝利し、明日の最終戦で全てが決まる。

 レックスもライガースも、完全に全てを投入する最終決戦。

 中四日で日本シリーズがあるのだが、それを意識しているようでは、目の前の試合に勝つことが出来ないであろう。


 八回の裏に、直史はマウンドに向かう。

 その足取りに怪しいところはなく、真っ直ぐに向かっている。

 だが先ほどまでのベンチでの様子を見れば、限界が近いのは間違いない。

 一人のランナーも出さずにここまできて、限界が近いというのもおかしな話だが。

 しかし直史の、限界まで完璧に投げて、そして倒れるという過去を知っている者は、やや年配の者ではかなり多い。


 倒れるまで全力を出し切る。

 それを合理主義の塊のような直史がするのは、不思議に思う人間もいるだろう。

 だがそこが直史の矛盾しているようでいて、実は一貫している部分なのだ。

 勝つために、自分が倒れるまで投げることが一番確率が高いなら、当然のように倒れるまで投げる。

 そういうものなのだ。


 四番から始まる、このイニング。

 ここで一点も取られないことが重要なのではない。

 一人もランナーを出さないことが重要なのだ。

 そうすれば九回の裏、ライガースは強力な代打を使った後の七番からの打線。

 ランナーが出てしまえば、大介は敬遠する。

 そこで一点取られても、まだ2-1でレックスが勝利する。

 九回まで直史は、投げられなくはない。

 ただ試合は、明日もあるのだ。




 軽々と投げられるストレートに、バットが当たらない。

 そして緩急で巧みに打たされてしまう。

 変化球が複雑であるからこそ、ストレートの力が活きる。

 直史のストレートは、スピード自体はそれほどではない。

 だがホップ成分という点では、明らかに他のピッチャーと比べてもトップレベルだ。

 しかもそのストレートの色を、軽々と変えることが出来る。


 アウトローへの地を這うようなストレート。

 また高めへのホップ成分の強烈なストレート。

 どちらも強力なものであるが、これを自由自在に使い分ける。

 そしてストレートとほぼ同じ球速で、鋭く下に伸びるジャイロボール。

 このあたりでおおよそのバッターは、打つことの困難さを知る。

 とにかく直史は、異形であるのだ。


 ピッチャーであることの究極の姿を追及していった。

 その結果がこの、他のピッチャーとは全く違う、という形になったわけだ。

 正統なピッチャーの進化の道筋は、上杉や武史といったあたり、あるいは真田のようなピッチャーなのであろう。

 直史は時代に咲いた、一輪のあだ花である。

 これより前になく、これより後にない。

 誰も継承することは出来ない。


 その直史が、ランナーを出すことなく、スリーアウトでベンチに戻ってくる。

 八回の終えてパーフェクト。

 第一戦に続いて、またもやパーフェクト達成か、という期待も出てきているだろう。

 だが既にやっていることを、もう一度やってどうするのか。

 重要なのはもう、個人の記録ではない。

 直史がそれを求めていたのは、最初のパーフェクトまでである。




 ベンチに戻ってきた直史が、どっかりと座る。

「佐藤、いいんだな?」

「チームの勝利を最優先に」

 ここでパーフェクトをしているピッチャーを、交代させることに批判は集まるかもしれない。

 ただこれまでずっと直史は、ポストシーズンに入ってから一度も、ヒットを許していない。

 それを考えればこの一試合のパーフェクトなど、固執すべきことではない。


 明日のために、今日の栄光は捨てる。

 直史は本当に、そのあたりは割り切っている。

 もっとも八回まで投げて、まだ88球。

 普通ならばあと1イニング、投げられることは間違いないはずだ。

 直史はやはり普通ではない。

 パーフェクトに全く執着を見せない、その精神性がである。


 九回の表のレックスの攻撃が終わる。

 既にブルペンでは、オースティンが準備をしている。

 今年のセーブ王でもあったオースティン。

 第三戦では、回またぎで投げている。

 今日は普段の彼と同じく、1イニングだけである。

 ならば問題はなかろう。三人で終わらせる。


 表の攻撃が終わって、そしてライガースの最後の攻撃。

 ここでピッチャーの交代が告げられる。

 直史はやっと立つ気力が湧いてきたので、ベンチ裏に引っ込む。

 明日のためにも、少しでも回復しておかないといけない。

 先発で投げることはないだろうが、セットアッパーかクローザー。

 短いイニングであるなら、投げることは覚悟しておく。

(最悪の場合は、同点の場面で出番がやってくるかもな)

 その場合も、他にピッチャーがいなくなっていれば、投げるしかない。

 自分の限界との戦いは、まだ終わっていない。




 1イニングを投げて、一点まではOK。

 ただし大介まで回れば、そこは敬遠される。

 そういう状況の中で、オースティンはまさにパーフェクトなリリーフとして試合を終わらせた。

 直史からオースティンへ、継投パーフェクトの達成。

 一応これも、パーフェクトではある。

 ただしアメリカの記録では、という注釈がつくが。


 直史はホテルに戻る前に、別行動を取った。

 栄養剤を注射してもらったり、酸素カプセルに入ったりと、少しでも明日の試合までに回復しておくためにである。

(結局最終戦にまでもつれこんだか)

 最終戦までにもつれこませた、と言った方がいいかもしれない。

 直史が投げていないと、勝てていないのであるから。

 かといって自分一人で勝っているなどと、調子には乗らない直史である。


 確かに勝利への貢献度は、直史が一番高いのであろう。

 だがそれは絶対に、半分は超えないはずだ。

 なぜなら直史は、守備の方でしか活躍していないのだから。

 得点は完全に、他の選手頼み。

 自分は確かに相手を抑えてはいるが、それもある程度は守備力によるものだ。

 もっともそんなことを言えば、首を傾げる人間が多いのも、確かではある。


 明日の試合の展開は、果たしてどうなるのであろう。

 先発に関しては、レックスは中三日の三島に、ライガースは中四日の畑となっている。

 どちらのチームもエースクラスのピッチャーをも酷使する、完全スクランブル体制だ。

 おそらくロースコアにはなっていくのだろうが、その中で直史の出番はどうなるのか。

 厳しい場面で投入されることは間違いないだろう。

 個人的にはイニングの頭から投げさせてもらう方が、本来のスタイルとしてはありがたい。

 ランナーのたまった状態で投げるというのは、普通に投げるのとは違う、プレッシャーがかかるものであるのだ。




 処置を終えて、ホテルに戻る。

 シャワーは浴びていたが、もう一度湯船に浸かって、体の血流をよくしていく。

 その間もスマートフォンは手元から離さない。

(予定ならそろそろだが)

 そう思っているところに、着信音が鳴った。

 濡れた髪からバスタオルを落として、通話状態にする。

「もしもし」

『手術、無事に終わったわ。まだ麻酔が効いてて眠ってるけど、問題は何も起こらなかったって』

「そうか……そうか……」

 向こうの瑞希は、言葉に詰まったような声になっていた。

『そちらも、お疲れ様』

「いやあ、俺なんかは、別に死ぬわけじゃないし……」

 これでもう、懸念などはない。


 別に本気ではなかったはずだが、自分が投げるということと、明史の運命はつながっているような気がしていた。

 そして直史はライガースを封じて、明史の手術も成功した。

 明日の試合はもう、何者とも関連していないはずだ。

 だからこそ全力を出すつもりであるが。

『明日も、たぶん投げるんでしょう? 無理しないで』

「ああ、さすがにもうフルイニング投げる元気はない」

 そしておそらく、勝てたとしても日本シリーズまでには回復していない。


 いい試合を期待するなら、もう怪我人もいるレックスは、ライガースに日本シリーズ進出を譲った方がいい。

 だが全ての因縁から解放されたと思う直史は、ただもう勝ちたいとしか思っていない。

 全てを燃焼しつくして、勝って終わるのだ。

 厳密には完全無敗ではないが、これはもうほぼ神話のレベルの記録だ。


 別に日本シリーズにはいけなくてもいいのだ。

 最初からずっと、エゴによって投げていたこのシーズン。

 最後までエゴを通すというのも、直史らしくていいではないか。

 周囲がどう見ているのかは、それは関係のないことだ。




 直史はその夜、ささくれだった心を柔らかなもので包み、ゆったりとした気持ちで眠ることが出来た。

 朝に起きてみれば、体のあちこちが重かったり痛かったりしたが。

(回復してないな)

 やはり今日、先発というのは無理があった。もっとも既に予告先発はされているので、そこを変えるのは無理があるのだが。


 朝食にしても、もうどかどかと食うことはない。

 今は消化に回すエネルギーを、肉体を治癒するエネルギーに回すのだ。

 もちろん最低限、体を動かすエネルギーは補給しなければいけない。

 だが投げるイニングは短くなる。

 朝と昼とに分けて、少しずつ補給していけばいい。


 問題なのは試合までに、本当に投げられるほど回復するのか、ということ。

 一応体の各所には、変な感じの痛みはない。

 平均的な筋肉痛は、普通に発生しているが。

(とにかく回復しないとな)

 サプリやプロテインなどといった、吸収のスムーズなものも口にしていく。

 試合の展開がどうなるかは分からないが、おそらくハイスコアゲームにはならない。

 そして大介がいる限り、必ず自分の出番はやってくる。


 長かったシーズンが、やっと終わろうとしている。

 いや、シーズンではなかったのか。

 直史にとってこの一年間は、野球を通して何かと戦うというものであった。

 自分の運命とでも言うべき、その何か。

 さて、自分は果たして、それに勝てたのであろうか。




【最終決戦!】 神聖! 佐藤直史総合スレ part592 【第六戦】


321 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 あと一時間……そろそろ全裸待機


322 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 もう寒い季節なのに乙


323 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 この一戦でいよいよ決着か


324 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 日本シリーズの影がここまで薄くなった年があったろうか

 いやない!!


325 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 パは福岡が順当に勝ったからな

 でも大サトー酷使されすぎやで


326 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 ここまでの三勝全てが大サトーっていうのがね

 もうレックス首脳陣は全員切腹して詫びるレベル


327 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 勝てばよかろうなのだー!

 いやでも、これで大サトーが故障引退とかになったら進退問題やろ


328 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 どのみち情けない判断ミス多すぎの首脳陣

 大サトーは復帰してわずか一年で、また伝説を残して去るのか


329 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 そういうのも大サトーらしいかもしれんが

 来年もいたら年俸爆上がりやろ

 そのへんどうするんや


330 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 んなもん観客動員一気に増えたしどうとでもなる


331 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 年俸は迫水は三倍、左右田は二倍ってとこかな


332 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 いや元が安いからもっといくだろ

 大サトーに比べれば誤差の範囲と思うぞ


333 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 実況スレ行く準備はOK?


334 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 あっち既に加速しすぎ


335 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 絶叫だけでスレ一つ埋めるなというか

 予備三つあっても足らんからな


336 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 大サトーが映っただけで30ぐらいは軽くスレつくからな


337 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 白石から三振奪ったときとか300ぐらい平気で進むしな


338 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 外部のBSS使った方がまったりとしていていい

 ここは試合中以外に使うところ


339 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 試合中は確かに抑えてはいるよな

 あのアホみたいな連続投下はなんなんだろ


340 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 どうでもいいけど今日は大サトー投げるんか?


341 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 ベンチには入ってるぞい

 クローザーぐらいはするんでないのか


342 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 国際大会だとクローザーばっかやってるイメージ

 いつか決勝で投げたこともあったか


343 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 昨日の調子からいってまだ投げられるか?


344 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 ランナー一人も出してないけど余裕があるのか限界なのか分からん


345 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 最後まで投げて倒れて医務室行きが何度かあるからな

 でも特に再起不能になったりはしてない


346 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 スタミナがあるってよりは純粋に球数が少ないしな

 小サトーは球数多くても平然と投げてたけど


347 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 小サトーは明らかに衰えてきてるな

 つっても今年14勝してるし

 なんとか日米通算400勝には到達してほしい


348 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 大サトーのキャリアがもっと長かったらどういう結果になったんだろな


349 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 休み休みだからここまで投げられた、とは言えんのよな

 せめて大卒時点でプロになっていれば


350 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 野球自体はクラブチームでやってたけどな


351 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 趣味でやってる野球で思わず熱くなる

 そしてパーフェクトに至るwww


352 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 案外そのあたりの思想がピッチングに出たのかもな

 似てるピッチャーいねえだろ


353 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 う~ん、球速以外は全て兼ね備えてるとか言ってもな

 スピードの出てないストレートでも三振奪ってるし


354 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 昨日も八回投げて16奪三振って頭おかしいw


355 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 三振取るのにスピードは不要

 ……でも明らかにあれ伸びてるよな


356 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 伸びてるっていうか他のピッチャーに比べると明らかに落ちてない


357 名前:代打名無し@実況は野球ch板で 

 スピン量が多いってことか


358 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 そう単純な問題でもなかったはず


359 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 そういやここって試合が始まっても大サトーが出てくるまではいてもいい?


360 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 まあ他のピッチャーの投げてる試合では普通に書き込みあるしね




 クライマックスシリーズファイナルステージ最終戦が始まる。

 既にピッチャーは予告先発されており、これを変更するようなことはないだろう。

 レックスはさすがに、直史を連投させようなどとはしなかった。

 ただその上で首脳陣は、直史の力を計算に入れて考えている。

 1イニングか、多くても1イニング半ほど。

 セットアッパーかクローザーとして、その力を使ってもらう。

 昨日は8イニングも投げていて、しかもその消耗度合いは普通ではない。

 それを承知の上で、意志は確認してあるのだ。


 ここでライガースに勝ったとしても、直史が日本シリーズまでに回復してくるかどうか。

 それはちょっと難しいのではないかと思っている。

 少なくとも中四日で、第一戦に投げてもらおうとは思っていない。

 またレックスは左右田が抜けていて、まだ復帰できる状態でもない。

 こんな状況でもありながら、勝利のために考えていかなければいけないというのは、レックス首脳陣もまさか思っていなかった展開である。


 今年のレックスは、慢性的な正捕手が未決定なことに加えて、ショートを大ベテランの緒方に頼るという、ポジションが若返っていない状況でシーズンは開始した。

 先発ローテにしても、確実に勝ち星を拾っていけるようなピッチャーは、それほど多くなかったのだ。

 そういったポジションが、全て復帰したロートルと新人で埋まってしまった。

 どう考えてもAクラス入りがやっとというはずの戦力を、一年かけてまた育てていく予定であったのだ。


 だが二つの重要なポジションが埋まってしまい、先発ピッチャーは一人で26勝も勝ちを稼いでくれた。

 これはもちろん、嬉しい誤算ではあったのだ。

 ただ誤算は誤算であり、育成用に用意された首脳陣は、試合の勘所が分かっていない。

 それでもリリーフ経験の豊富な豊田の意見で、上手くリリーフは回した。

 おかげでオースティンがセーブ王まで取ってしまったのも、本当に嬉しい誤算ではあったのだ。

 正直に言えば首脳陣は、自分の能力を超えたものを感じて、震えたりもしたのだが。




 上手く直史を使えば、日本一にまで手が届くのではないか。

 そうは思ったのだが、スターズ相手にはいきなりの延長戦。

 全く休ませることなどできず、中三日でファイナルステージへ。

 そこで直史は、自分の登板間隔について、非常識な進言をしてきた。

 ただここまでは、完全にその進言の通りに展開している。

 怖いぐらいに、直史の想定した、直史便りの試合展開になってしまっている。


 こんなことではいけないはずだ。

 分かってはいるが、ではどうすればいいのか。

 ライガースが持ち前の得点力を発揮できていないのは、確かなことだ。

 しかしレックスもリードオフマンの左右田が脱落し、セットプレイから点を取るパターンが、大きく失われてしまっている。

 それだけでなくライガースの打線も、極端に打てなくなってきている。


 直史の影響力は、自分の投げる試合だけではなく、クライマックスシリーズに入ってからの全ての試合に及んでいると言ってもいい。

 スターズは上杉が敗北した後、その次の試合にもあっさりと負けた。

 精神的な支柱がなくなれば、それも当然のことであったのだろう。

 そしてこのライガースとの対決。

 ライガースは五試合で、わずか七点しか取れていない。

 レギュラーシーズンであれば、普通に五点以上は取っているライガースが、だ。


 一人のピッチャーの影響力が、ここまで大きいのか。

 近年は上杉ですらも、ここまでの支配力は失っていた。

 いや、全盛の上杉であっても、ここまで圧倒的なものではなかった。

 果たして人間の力とは、どこまで及ぶものなのか。




 試合を前にして、直史はぎりぎりまで休んでいた。

 これは消耗ではなく、もう損傷というレベルである。

 肩や肘ではなく、どこか一箇所が最初に壊れるだろう。

 足首、膝、腰、背中、あるいは肩や肘が最初であるのかもしれない。

 とにかくどこかが、最初に壊れる。

 それが致命的なところでなければそれでいい。


 甲子園球場に到着しても、直史はずっと横になっていた。

 それを咎めるような者は誰もいない。

 もうほんのわずかな時間でさえも、回復に回したいのだ。

 試合前の取材を受けることもない。

 そもそも今日の試合、大勝か大敗すれば、そもそも出番すらなくなる。


 ただ、出番はどこかであるのだろうな、とも思っている。

 それは予測や予感ではなく、確信であった。

 なぜならこのステージは、直史の考える中で、一番きつい展開が続いているからだ。

(いや、そうでもないか?)

 三試合を完投するのか、という予想は外れてくれていた。

 さすがにこれぐらいは、外れてくれないと洒落にならない。


 五試合で24イニングも投げている。

 五日間の間に、これだけを投げているのだ。

 しかもその前の、スターズ戦などの疲労も完全には抜けていない。

 それでもここまで、どうにか投げることが出来ていた。

(昔に比べれば、ライガースもスーパーエースはいないからな)

 これで真田クラスがいれば、果たしてどれぐらい疲弊させられたことだろう。




 甲子園がかすかに揺れている。

 これが今年の、最後の試合になる可能性もある。

 レックスは圧倒的に不利な条件から、ついにここまで勝負を持ち込んできた。

 ただ満身創痍と言ってもいいのだろうか。

 ショートのポジションが抜けて、直史はもうボロボロである。

 昨日の試合についても、インタビューに呼ばれる前に既に、球場を後にしていた。

 ただ本当にボロボロなのか、ライガース側は怪しんでいる。

 昔の無茶が、まだ多くの人間に知られている。


 それを逆手に取って、直史は今日は最初から、ブルペンに引っ込んでいた。

 リリーフする準備をしているぞ、というプレッシャーである。

 もちろんハッタリであるのだが、それを見抜けるものがどれだけいるのか。

 直史はまだ準備をすることもなく、サプリなどを飲んだらゆっくりと体を動かしている。

 さすがに完全に休んでいては、体が固まってしまうのだ。


 いつでも行ける、とまではさすがに思わない。

 出番があるとすれば、それは終盤である。

 序盤から中盤に直史に出番があってしまえば、それはもう負け試合である。

(八回か九回ってところか)

 状況としては、ランナーがいることさえ想定している。

 もっともそんな状況で投げなければいけないとすれば、それもやはり負け試合であろうか。


 どういった試合の流れになっていくのか、それはもう分からない。

 ベンチにいればまだしも、ここはブルペンである。

 試合の様子は見られるが、空気を感じるのは難しい。

 もっとも甲子園の球場全体の持っている熱気が、ここまで伝わってくる感じはする。

 今日の試合は直史だけに頼った試合にはならない。

 双方の力と知恵を絞った、間違いのない決戦になるのだ。

 後ろにはもう日本シリーズしか残っていない。




 この試合で終わる。

 それが分かっている双方の先発は、初球から完全に全開である。

 3イニングも投げれば、それで充分。

 それぐらいの覚悟で、双方の先発は投げている。

(ピッチャーの条件は、わずかにこちらが有利)

 ベンチの中では貞本がそう考えている。

(佐藤が長いイニングを、短い登板間隔で投げてくれたおかげで、主力のピッチャー二枚はそれほど疲労していない)

 対するライガースは、畑と津傘以外は、それなりに消耗しているはずだ。


 ピッチャー事情はこちらの方が有利。

 だが打線はどうであろうか。

 ここまで完全に直史に抑えられてきたため、ライガースの打線は自信を失っている。

 ただレックスも半年近くかけて作った、上位打線で得点するパターンが使えない。

 緒方は粘り強く打っていくが、それでも一撃で試合を決めるのは中軸だ。


 ライガースは勝っている試合で、必ず大介が決定的な仕事をしている。

 それを直史ならば、抑えることが出来たのだ。

 しかし今はもう、そんな期待は持てない。

 たとえ終盤に対戦するとしても、状況次第では申告敬遠をする。

 直史ならば大介が塁に出ても、点にはつなげないことが出来る。


 ロマンティックなエースと主砲の勝負、というのをレックスの首脳陣はもう考えない。

 それが直史にどれだけ、負担をかけているか分かっているのだ。

 直史を投入する時は、それは大介を打ち取るためではない。

 大介にチャンスの場面で回さないためだ。

 この試合はなんなら、全打席敬遠してでも、勝負を決める。

 それで批難されようと、それは構わない。




 今日も一番バッターに大介がいる。

 ただこれで良かったのか、という感じがしている。

 今日もライガースは、比較的継投を多くしていくだろう。

 なのでピッチャーの打順に、代打を出すことが多くなるはずだ。

 代走もしっかりと使っていって、下手に大介を歩かせることが出来ないように考えている。

 だがそれだけでは、まだ足りないとも思うのだ。


 レックスは、ベンチに直史がいない。既にブルペンに行っている。

 ライガースの山田は、それなりに勝負強さを発揮する監督になっている。

 もっともこういった判断というのは、本当にそれが正しかったのかどうかなど、そう簡単に分かることではない。

 名将などと言われる人間が、本当にそれに相応しい結果を出しているか。

 チーム力のおかげで優勝できたチームの監督などが、勘違いしてしまったら最悪である。


 まずは一回の表、ここでの先取点を取られることを避けなければいけない。

 そうすれば一回の裏、ライガースは大介の第一打席という、極めて先取点を取りやすい状況が自然とやってくる。

 なんとかここで先取点を取るのだ。

 それに成功するかどうかが、この試合の最終結果に関わってくるかもしれない。

 関わってこないかもしれないが。


 ライガースの打線の不調は、もう一晩でどうにかなるようなものではない。

 今日はお互いが、ロースコアになることを覚悟している。

 しかしその中で大介だけは、一発で点を取ることが出来る状態を維持している。

 いくら負けたとしても、勝つまでやり続ける。

 そういった精神性がなければ、頂点をつかむことは出来ない。

 頂点をつかんだことがあるかどうか。

 それがこの試合においては、お互いに重要な意識となるであろう。



×××



 次話「開戦」

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