第117話 輝く群星

 セ・リーグクライマックスシリーズ、ファイナルステージ第四戦。

 これに勝利した方が、三勝となって日本シリーズへのリーチをかける。

 試合自体はレックスの二勝一敗であるのだが、アドバンテージが大きい。

 ただレックスファンは、遠い昔のことを思い出している。

 主力ピッチャーの一人が離脱し、不利になったといわれたあの日本シリーズ。

 直史は一人で四勝を果たした。

 そしてここまでの三試合のうち、二試合は直史が勝ち投手となっているのだ。


 あの頃とはもう、年齢が違うとは言われる。

 だが成績だけを見れば、今年も26勝0敗という圧倒的な成績を残している。

 シーズン序盤はそこそこ打たれたが、それでもノーヒットノーランを達成。

 さらに七月以降は普通にノーヒットノーランの量産体制に入っている。

 一人いればほとんど勝てる、と言われる存在。

 実際に直史も、七年間のプロ生活のうち、六度を優勝しているのだ。


 ライガースファンは過激であるが、高校時代に甲子園で活躍した選手には、少し優しいところがある。

 上杉のことなどは皆大好きであったし、大介が特別に人気があったのも、高校時代の活躍が大きい。

 そして直史が相手であれば、負けても仕方がないという空気はある。

 だがそれは正面から対決して、負けても相手を讃えるというものである。

 勝負から逃げられればそれはもう獰猛に吼える。


 ただ申告敬遠というのはいいな、と直史は思っている。

 バッターからすると、暴投の可能性や敬遠球ホームランなどがなくなり、ロマンがなくなったとも言われる。

 だがピッチャーの立場としては、間違いなく危険無く歩かせることが出来る。

 意外と敬遠の球を投げて暴投というのは存在するのだ。

(今日の試合はどうなるかな?)

 大介の打順は一番となっている。




 今日の試合は本格的な乱打戦になるのかな、と直史は考えている。

 レックスはオーガスが投げるため、ある程度は抑えられるはずである。

 しかしライガースの方は、オーガスには及ばない先発しか残っていない。

 レギュラーシーズンであれば、それでも打撃の援護で勝ってきた。

 ライガースは昨日の試合で、かなりファンのフラストレーションがたまっている。

 大介が打ったあの一打が、どういう影響を及ぼすか。

 直史には分からないところだ。


 一回の表から、レックスは一点を先制する。

 左右田の代わりに、今日は一番に入っているのが緒方。

 走力では左右田ほどではないが、なんといっても走塁の判断力には優れている。

 それにやはり、出塁率が高い。

 この出塁した緒方を、送りバントなども駆使しながら、まずは一点を先取したのだ。

 ただこの試合、勝てるピッチャーであるオーガスが投げていても、一点では足りないだろうと思われていたが。


 直史が投げるわけでもないのに、先頭に大介がいる。

 一番に大介を置くという、ライガースの本気を思わせた。

 確かに一番打者には、一番多くの打席が回ってくる。

 ただこの短期決戦で、そんな変更を繰り返すのか。

 もっとも大介は、MLBでも1シーズンほぼ一番を打っていた時代があるが。


 ランナーは一人もいないのに、いきなりライガースは得点のチャンス。

 直史が二試合も投げているので勘違いするが、大介は本来ポストシーズン、レギュラーシーズンよりも圧倒的に高い数字を残してくる。

 そんなバッター相手に、オーガスがどういうピッチングをするのか。

 既に先取点は取っているのだから、真っ向勝負である。




 オーガスの投げた初球、ゾーンのインハイに入ってきた。

 それを大介は打ったのだが、ボールが思ったより上がらなかった。

 ファーストの頭を越えて、ライトフェンスを直撃。

 そこからボールが転がって、大介は二塁にまで余裕で到達。

 スタンディングツーベースで、いきなり得点の機会である。


 やはりライガースを簡単に抑えることなど出来はしない。

 いや、大介をと言うべきか。

 レギュラーシーズン、あの直史から三本もホームランを打った怪物。

 MLBの打撃成績の、半分ぐらいは更新してしまったのでは、などとも言われている。

 

 おそらく永遠に野球の歴史に残る二人が、この全く同じ年代に存在した。

 それだけでも奇跡のようなものだが、それがこうやって優勝を目指して戦っている。

 野球がチームスポーツだということを考えれば、どれだけの奇跡が重なってこうなっているのだろうか。

(ノーアウトランナー二塁)

 いきなり失点のピンチであるが、言ってんなら許容範囲。

 そうは言っても左右田のいないレックスは、攻撃力も落ちているのだが。


 この場面は一点で抑えることを最優先に考える。

 そう考えてバッターに集中するオーガス。

 だがその初球から足を上げた瞬間、大介はスタートを切っていた。

 ノーアウトランナー二塁で、一回の裏なのに、どうしてそんな必要があるのか。

 動揺したオーガスは、少し大きめにボールを外してしまった。

 余裕をもってサードベースに到達。

 ノーアウト三塁である。

 ほぼ確実に一点の入る状況が、わずか二球で作られてしまった。




 よくも走ったものだ、と直史は感心していた。

 甲子園の空気は確かに、最初からライガース向けに偏っていた。

 だが直史としては、偏りすぎて固まっているのでは、という感じもあった。

 逆に選手にはプレッシャーになってしまうのでは、という思いだ。

 しかし大介が動いた。

 いきなりの大チャンスであるツーベースから、さらに三塁への盗塁。

 この場面でやる意味が薄いがゆえに、逆に決定的に簡単であった。


 得点の確率を高める、という意味はもちろんある。

 だがこれで、ゴロを打ってでもホームに帰れる、という状況を作り出したのだ。

 得点効率ではなく、心理的な問題だ。

 プレッシャーを与えていたライガースの応援が、これで一気に燃え上がる。

 バッターとしてもこれで楽に打っていくことが出来る。

 大介の足ならば、定位置の外野フライでも、おおよそ帰ってくることが出来るのだ。


 単純な個人のパフォーマンスではない。

 相手へのプレッシャーをさらに強くし、そして味方に動きを与える。

 積極なライガースの攻撃が、より積極的になる。

 ハイスコアゲーム上等、という流れを作り出しているのだ。

 そして三塁ベースから、プレッシャーをかけ続ける。


 一点を取られるのは、もはや確定的だ。

 だが直史からすると、守備側の判断を複雑にするという点では、二塁にいる方がよかった。

 ただそれは直史の判断であって、大介の攻撃的な直感は、奇襲による反撃を意識したのであろう。

 レックスのベンチも、苦い顔はしているものの、ここから出来ることは限られていることは分かっている。

(思えば今日は、オーダーが発表された時から、向こうのペースなんだな)

 一点を取ったが、すぐにそれを返されるという状況。

 これはライガースのペースであろう。




 直史ならばここからでも、一点も取られないことを考えていく。

 しかし直史でさえも、これは難しい状況だ。

 むしろ満塁にでもした方が、一点を取られない可能性を増やすことが出来る。

 ただそれはさらに大きな得点機会を作り出すということで、一回の裏からやっていい博打ではない。

 そもそも直史なら、こんな状況にはしない。

 もっとも流れ次第では、こういった状況になってしまうこともある。


 野球は偶然性が強いスポーツであるため、一人の力で勝つのは難しい。

 アマチュアぐらいまでは、どうにかピッチャー一人の力で、一気に逆転することは出来る。

 だがプロにまでなると、ある程度戦力は平均化される。

 もっとも一時期は、FAによってやはり戦力不均衡が起こっていたが。

 現在ぐらいの状況が一番いいのであるかもしれない。


 第一戦と第三戦は、直史の力が最大限に発揮された。

 しかし第二戦は、大介の力でライガースが勝ったと言っていい。

 団体競技の中で、圧倒的なパフォーマンスを発揮し、その試合を左右してしまう。

 そんなスーパースターが、今の日本には存在するのだ。


 ライガースは続く二番の和田が、外野フライを打った。

 さほど深くもないフライであるが、左方向へのフライであれば、レックスの守備力と肩の力なら、タッチアップは成立する。

 アウト一つと引き換えに、ライガースは一点を獲得。

 試合をあっさりと始まりに戻したのであった。




 試合の流れはライガースにある。

 やはり初回の先制点の裏に、なんとしてでも同点に追いつかれてはいけなかったのだ。

 だがどうすれば大介をランナーに出さないことに成功したのか。

 アウト一つ取る間に、ライガースは一点を取ったのだ。

 もっともこれで、ランナーがいなくなったことを、レックスは幸いとするべきであった。

 三番からの中軸を前に、ランナーがいないことを。


 しかしライガースはこれで勢いがついてしまったらしい。

 もっともオーガスも、日本流の野球で鍛えられた選手ではない。

 どうにか追加点は一点までにとどめて、初回の攻防を終了した。

 だがせっかくの先取点を、すぐに逆転されてしまったのだ。

 これはロースコアでなど、終わらない試合になりそうだ。


 得点力の落ちたレックスでは不利。

 それは充分に分かっている。

 だからこそこの試合も、ロースコアで抑える必要があったのだ。

 しかし二回の表、レックスは無得点。

 その裏には大介の、二打席目が回ってきた。

 ここでレックスは、前の塁が空いていたため、敬遠をする。

 ツーアウトながら一二塁。

 ここを防げるかどうかが、この試合の勝敗を左右するのか。

 それともまだ、これは序盤に過ぎないのか。

 全ては結果から逆算されてしまうものだ。


 オーガスの投げたボールは、ショート正面に弾き返される。

 緒方の動きは素早く、無難にサードへと送球。

 ここでフォースアウトを取って、リードが大きくされてしまうのを防いだ。

 点差は広がらなかったが、危機の場面であった。

(それでもやっぱり、大介の足を封じるのはあの方法だよな)

 今はたまたまそんな状況になったが、前の塁にランナーを置いておくということ。

 偶然ではなく、連続敬遠は一つの手段として考えておくべきかもしれない。

 もちろん失点の確率は上がるのだが。




 得点圏にまでランナーを進めながらも、失点にまではいたらない。

 これはむしろ守備としては、いい流れだと思う。

 粘り強いピッチングで、バッター一人一人に集中して投げていく。

 だが球数が嵩むため、早めの継投が必須になるだろう。

 ブルペンはどういう動きをしているのか。

 少なくとも一人は、今の時点でも準備はしていると思うのだが。


 継投が勝負を決めるな、と直史は感じている。

 オーガスは立派な先発だが、既にギアをフルに上げて投げている。

 五回まで投げられれば充分、と考えるべきであろう。

 この試合に負ければ、第五戦は直史が先発する。

 色々と言われはしたが、甲子園でも普通にあるペースでは投げているのだ。

 相手は玉石混淆の高校球児ではないが。


 72球に、その前は85球。

 この球数であれば、中一日で投げても大丈夫。

 少なくとも直史はそう言っている。

 直史の肉体は、そうは言っていないのだが。

 やはり問題は第六戦をどうするか、ということだ。

 さすがにこの日程から、連投するのは厳しすぎる。

 中一日が続いているが、その前にも中三日で投げているのだ。 

 上杉との延長戦ノーヒットノーランは、一つの伝説の完成形であった。


 球数だけを見れば、なんとか投げられそうに思える。

 だが直史が本当に消耗しているのは、球数による肉体だけではない。

 高速の思考と集中力によるコントロールで、メンタルも消耗している。

 ここからさらに気合と根性で、どうにか投げていく。

 直史の本質からは外れたピッチングと言えるだろうか。

 肉体が壊れる前に、神経系か精神が壊れてしまう。

 その危険性を本人も理解している。




 終盤にリードした場面であれば、そこから継投する。

 だが肩を作るタイミングというのが、本当に難しい。

 野球は他のスポーツと違って、点数の入り方が複雑である。

 三点まではリードしていても、一つの場面でひっくり返ってしまう場合がある。

 だがレックスが直史を投入するタイミングは、絶対にリードしている場面である。

 ビハインド展開では、絶対に投入することはない。


 負けている試合はピッチャーがどれだけ頑張っても、味方の打線が点を取ってくれなければ、敗北することになる。

 そのために直史を投入することは出来ない。

 また勝っていても残りのイニング数を考える必要がある。

 まだまだ試合が中盤であるならば、他のピッチャーを使っていくべきなのだ。

 最強のピッチャーを上手く運用するためには、それ以外のピッチャーの力も必要である。

 この運用がまさに、試合の勝敗を決めるであろう。


 ただレックスはやはり、得点力が落ちている。

 対するライガースもまた、直史に封じられ続けたせいで、打線がかなり自信を失っている。

 それでも直史以外のピッチャーを打っていけば、チームとしては勝てる。

 レックスはショートのリードオフマンを欠いているので、それだけ戦力は落ちているのだ。

 元はショートを守っていたが、既に現在38歳の緒方をまた、ショートにしなければいけないという状況。

 ライガースが圧勝してもおかしくはないのだ。


 それをほぼ互角か、あるいは優勢にまで持っていってしまっているのが直史である。

 ずば抜けたエースピッチャーだといっても、投げられる試合は限られる。

 それが現代野球の常識であるのだが、まるで100年前のMLBか、戦後の昭和野球のような感覚でピッチングを行う。

 そういった考えとは、最も離れた思考であるはずの直史が。




 勝てばそれでいい、というのが直史の究極の結論なのだ。

 自分が勝ちたがっている、というのが今はそこに加わっている。

 本当になりふり構わず、勝利だけを目指す直史。

 それを相手に勝つということが、どれだけ難しいことか。

 なので簡単なのは、直史が投げていない試合で勝つということ。

 リリーフの機会を与えないよう、先取点を取って常にリードの展開で試合を行う。

 極めたところに、チームとしての勝利がある。


 レックスが博打をするとすれば、ビハインド展開か同点の場面で直史を使うような試合であろう。

 防御率が0.2を切る、実質一点も取られないピッチャー。

 だがそれでも、人間であるからには限界はある。

 大介は実際に、全てを出しつくして倒れる直史を見ている。

 削って削ってなんとか勝つ。

 高校野球などでは、甲子園で見られた姿だ。


 大介としては、そんな直史に勝っても嬉しくはない。

 だが大介がどうこうするのではなく、直史が限界の状態で投げてくるのだ。

 チームを勝たせるために、最も確率の高い選択。

 確かに直史が出てこないまま、それを打って勝つというのもおかしな話だ。

 だがそこまで消耗した直史を打って、また釈然としない気持ちになるのか。


 チームとしても個人としても、目の前にいるピッチャーから打つのは当然である。

 だが本当に個人的な意見としては、万全の状態の直史と対決したい。

 その結果が三連続パーフェクトというなら、もう何も言えないのであるが。

 最終的に勝つ人間は、勝つまでやる人間なのだ。

 試合ではなく個人の勝敗を決めるのは、いったいどうすればいいのだろう。




 今日の試合は出番がないような気がする。

 大介を敬遠したとしても、そこからライガースの得点につながってしまう。

 オーガスも悪いピッチングをしているわけではないのだが、それでも五回までに3-1というスコアになっていた。

 レックスの打線がよくないというのは、確かにその通りではある。

 ただリードオフマンが抜けているというのは、セットプレイで点を取るレックスにとっては、かなりの弱体化となってしまったいる。


 ここからレックスは、ビハインド展開ながら、勝ちパターンの継投を行っていく。

 もしも最終回までに追いつき追い越せれば、そこで直史を投入する。

 1イニングだけであれば、投げてしまっていい。

 三勝したならば、五戦目の先発は回避して、最終戦となる六戦目の先発としてまだしも体力が回復している状態で投げてもらう。

 それがレックスの戦略である。


 直史ならば絶対に負けない、という無茶な前提で成り立っている。

 だが実際に、一度も負けていないのが今年の直史だ。

 パーフェクトまでは求めないが、どうにか完封してくれればいい。

 ただそれでも、いくら非常識に考えても、中一日で三試合までが限界。

 この第四戦に勝てれば、第五戦は丸一日休める。


 いくらポストシーズンだからといって、酷使にも限度があるだろう、という意識は首脳陣にも当然ながらある。

 だが豊田と一緒に直史自身が、それを提案しているのだ。

 第四戦は負けつつある。

 この試合に負けたとして、全く投げなければ完全に一日は休んで、また第五戦には登板する。

 二点ほど取れれば、あとは直史が完封する。

 そして待つのは第六戦である。




 いくら自分一人が働いても、おそらく第五戦の消耗で、第六戦との連投は出来ない。

 出来るとしてもせいぜいが、短いイニングだけである。

 やはり年齢を重ねて顕著になったのは、回復力の低下。

 新陳代謝の低下というのは、生物としては避けられないものだ。

(なんとか一瞬でもリード出来ないか)

 同点の場面では無理だが、一点でもリードがあれば。

 そこまでの考えを、ライガースは持っているだろうか。

 大介は持っているかもしれないが、あえて言わないであろう。

 ライガースとしてはずっと、何も考えずに追加点を狙っていくのが、当たり前のことであるからだ。


 レックスのリリーフ陣は、どうにか大介の打席でも、ホームランだけは防いでいる。

 状況によっては敬遠気味の投球も行って、どうにか追加点を防いでいる。

 それでも3-1の状況を打開することが出来ない。

 リードオフマンの不在というのが、ここまで大きいのかと思わせるものだ。

 また点が取れない原因の一つには、緒方の守備負担というのもあるだろう。

 セカンドからショートへと戻って、ライガースの打線を相手に働いている。

 そのためバッティングに割けるリソースが、減っていると思われるのだ。


 大介に決定的な仕事をさせないことで、レックスはかろうじてこの状態を保っている。

 ただ均衡して試合が進んでいくのは、もちろんライガースの方に都合がいい。

 打線が点を取れなければ、上手くピッチャーを運用していても意味はないのだ。

 レックスがリードしたなら、直史は九回の裏にでも、クローザーとして投げる予定であった。

 なので場所を、ベンチからブルペンへと変えている。

 この移動はライガースベンチからも見えているだろう。




 レックスのリリーフ陣は、全戦力をここに投入する予定である。

 実際にそれには成功し、六回からはライガースを、大介も含めてどうにか抑えている。

 しかし結局野球は、点取りゲームである。

 打線が奮起して点を取ってくれないと、いくらリリーフが相手の打線を抑えても無駄なのだ。

 一点差ではなく二点差というのが、さらに判断の微妙なところなのである。

 一気に点を取っていくか、まずは一点と考えるか。

 このあたりの判断も、首脳陣に任せるしかない。


「まずいな」

 直史の言葉に、隣で豊田も頷く。

「第五戦、投げるのか?」

「少なくとも試合の趨勢が分かるところまでは」

 七回が終わった時点で、三点ほども差があれば、リリーフ陣に任せることが出来るだろう。

 それは第三戦と同じような結果となるのかもしれない。

 勝ったとして最終戦がどうなるのか。


 直史は球数以上に消耗している。

 味方の中でそれが分かっているのは、首脳陣の中では豊田、選手としては緒方に青砥といったところだろうか。

 おそらくバッテリーを組む迫水ですらも気づいていない。

 そして敵の中では、間違いなく大介は気づいている。

 気づいていてもいなくても、大介のやることは変わらないが。


 八回の裏の、ライガースの攻撃もなんとかしのいだ。

 ここまで投手陣、特にリリーフ陣は完璧な仕事をしたと言っていいだろう。

 だがそれでも、状況はもう九回の表の攻撃を待つしかない。

 直史はわずかにキャッチボールを始めた。

 もしも九回の表に、どうにか追いついたとする。

 ならばその裏からは、直史が投げるべきであろう。

 出来ればリードした状態で投げたいのだが。




 九回の表に、二点差を追いつくことが出来るか。

(無理だな)

 ブルペンの豊田は、あくまでも客観的にそう判断した。

 一点なら取れるかもしれない。レックスはそういうパターンの得点の仕方をしている。

 だが二点を取る爆発力が、あるかと言えば難しいと言うしかない。

 レギュラーシーズンならともかく、ポストシーズンの試合なのだ。

 ライガースのリリーフは不安定だが、それでも1イニングだけを一点以内に抑えるなら、それほど難しいことではない。


 それを直史が分かっていないはずもない。

 だがそれでも、たったの二点差。

 ランナーが一人いるところで、ホームランが出たら同点だ。

(それでもまだ、ナオを投入する判断は出来ないだろ)

 同点になっても、そこからさらにレックスが点を取れるのかどうか。

 12回まで点が取れなかったら、4イニングも投げさせることになる。

 そして引き分けは、敗北とほぼ等しいのがアドバンテージのないレックスだ。


 キャッチボールから本格的な投球練習に入る前に、試合ではアウトカウントが増えていく。

 ツーアウトランナーなしとなった段階で、直史も肩を作るのをやめた。

 ここから二点は取れないだろう。

 確かに野球は、ツーアウトからでも何が起こるか分からない。

 しかし実際にはどこかで諦めない限り、無駄にリソースを使っていくのだ。


 この試合は見切りをつけた。

 ただどうしてここまでロースコアゲームになって、それなのにレックスが勝てないのか。

 何か根本的に作戦に間違いがあるのでは、とは思う。

(ライガースがあまり打てないのは、俺が完全に封じているからだとしても)

 セットプレイからの得点が得意なレックスで、首脳陣もそれほど間違った采配を取っているとは思えない。

 左右田が脱落してしまった時点で、かなり得点力が落ちているのは分かるのだが。

 九回の裏を迎えることなく、試合は終了する。

 これで勝ち星は、アドバンテージを含めるとライガースがリードすることとなった。




 勝利の喜びに沸き上がる甲子園。

 だがそこに冷水を浴びせかける、明日の第五戦の先発。

 レックスは直史が、中一日で三度目の先発である。

 前の試合、わずかに点差があったとはいえ、七回で降板していた。

 それだけ消耗しているのだ、というライガースの見立ては正しかったはずだ。

 もっとも、第四戦の終盤前に、ベンチ内からその姿を消していて、嫌な予感がした者は数名いたが。


 中一日の連続で、直史を使ってくる。

 そこまでは大介も予想の範囲内である。

 ただ今の直史が昔に比べて、どうしようもなく回復力を失っているのは、気づいていたのだ。

 勝負している中で、対峙していれば分かる。

 ピッチャーとしての実力自体は、全盛期をも上回るのかもしれない。

 だがその肉体を、若いままで維持することはさすがに不可能であったのだ。


 ただ、その限界はどこにあるのか。

 七回で降板したのは、あの状況であればおかしくない。

 まだ少しでも余裕があるうちに、後の試合に備えての降板。

 確かにそれは間違った選択でなかったと、勝つことによって証明した。

(だけどここまで、ナオ以外で勝てないのは意外だったろうな)

 大介としては、直史が投げると援護が少ない、というのは承知のことではあったのだが、どうやらレックス全体の打線が弱くなっている。


 左右田が離脱したことが、やはり大きかったのだろう。

 だからといって、手加減などはしない。

 同じ状況で、自分が相手でも手加減はしないであろうから。

 勝負を左右する要因は、一つや二つではないのだ。




 レックスはいよいよ後がない。

 次を負けたらもちろん、引き分けでも敗退が決定する。

 そして首脳陣は、事前の決定どおりに、直史を第五戦の先発とした。

 なぜこうも上手くいかないのか。

 正確に言うと、直史ばかりが上手くいっている。

 結果から原因を読み取ろうとしても、全く参考にならない。

 凡人が天才の真似をしても、上手くはいかないのと同じであろうか。

 直史は、自分の天才性を認めないが。


 別に天才でなくてもいいのだ。

 古代の昔から、天才を上回る凡人というのは、様々な分野で多く現れてきた。

 また本当に天才であったのかなど、生きているうちに分かるとも限らない。

 たとえばMLBのスーパースターであったデレク・ジーターなどは特に晩年の守備力には、かなりの過大評価がされていたことが、科学的統計で明らかになっている。


 正しいから勝つのではない。

 天才だから勝つのでもなく、強いから勝つのですらない。

 勝ったからこそ、全ては正当化されるのだ。

 この連戦にしても、結果がどうなるかによって、全ては再評価されるだろう。

 結局直史を負け試合では使わなかったことなども含め。


 レックスの首脳陣にしても、消極的であることと、慎重すぎることが散々に言われている。

 だが結果的に優勝すれば、それらは全て正解であったとなってしまう。

 もちろんそれは世間の見方であって、実際に正しいわけではない。

 正しさというのは、統計ですら確信できるものでもない。

 結局最後は、己の信念に従って、勝った方が偉いのだ。



×××



 次話「彼方と此方」

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