第116話 選択の正誤

 申告敬遠自体は、立派な作戦の一つである。

 その試合の勝敗、また優勝決定の場面などで、これをするのはさすがに無理もない。

 ただタイトル争いなどの中で、試合の勝敗などとは無意味に敬遠をすることは、相当に批判される。

 勝つためではなく、タイトルのために。

 この場合の申告敬遠は、もちろんタイトルや記録などは関係していない。

 勝つための確率を少しでも上げるためのものだ。

 ツーアウトからならば、直史なら大介が塁に出ても必ず無得点に抑えてくれる。


 その考えは分かる。

 確かにここからライガースが点を取るのは、大介の後のバッターの連打を期待するより、大介の一発を期待した方が、現実的と見たであろう。

 ただそれとはまた、別の見方もある。

 いまだに直史はまだ、ノーヒットノーランは継続中であるということだ。

 もっとも直史はこの試合、完投するつもりさえない。

 一応は最後まで投げる必要が出てくることは覚悟していたが、他のピッチャーでも勝てるなら任せる。

 たとえノーヒットノーランではなく、パーフェクトが続いていたとしても。

 それが、最終的に勝つためであれば。


 この試合に勝っても、日本シリーズに進めなければ、最終的には敗北と言える。

 なので直史以外のピッチャーを投入する、勇気が必要になる。

 レックスのリリーフ陣は、リーグでもトップクラス。

 点は取られるかもしれないが、三点差ならおそらく逃げ切れる。

(ここで確実に、0で封じるわけか)

 ただ三点差で、もう一度は大介に回ってくるのだ。

 ならばまだ、安全圏ではない。


 甲子園のスタンドからは凄まじい罵声と野次が飛んでいるが、直史のせいではないので問題はない。

(ただ、これはやっぱり間違いじゃないのか?)

 ライガースの猛烈な応援にも、全く萎縮しないのが直史である。

 だが他のピッチャーが、この加熱した空気の中で、まともに投げることが出来るのか。




 六回の裏も結局、直史は0で封じることに成功した。

 ただ甲子園のスタンドは、異様な空気に満たされている。

 勝つための手段として、確かに申告敬遠は有効であった。

 しかしこの試合だけではなく、その後のことまで考えれば、悪手であった可能性がある。

 ライガースファンの過激さは、大介を敬遠されたことで、かなり高まったと言っていいだろう。

 本場のフーリガンほどではないにしろ、明日の試合などはかなりえげつないことになるのではないか。

 それこそ素直に、ホームランを打たれていた方がいいというぐらいに。


 直史は今日の試合、普通に投げることが出来る。

 しかし三点差のままでは、リリーフに任せることが難しい。

「球数、今でどんだけだっけ」

「62球です」

 六回終了時点で、62球。

 初戦はフルイニング投げて、85球であった。

 やはり少し多くなっているのは、ボールの力が足りていないということであるのか。


 少しでも球数というか、体力の消耗を抑えておきたい。

 だが奪三振を取るために、少し多めの球数になっている。

 やはり大介がランナーにいるだけで、メンタルはどんどんと削られていく。

(あと二点入れば、確実に後ろにつなげられるか)

 そうは思うが、大原の後のライガースピッチャーは、リリーフとしての仕事をしっかりとしていく。

 敗戦処理のリリーフなどは出さないのだ。


 七回の裏も、ライガースの中軸である。

 ここで交代するわけにはいかないか。

「佐藤、ノーヒットノーランでも、タイミングで交代させるぞ」

 そう貞本は言って、確かにそれはミーティングでも伝えられていたことなのだ。

 だがこの空気の中で、交代させていいものなのか。

(八回、下位打線で交代か)

 マウンドに向かう直史は、色々と計算をしていた。




 この試合自体は負けるであろう。

 だがシリーズ全体の流れは、さらにライガースの方に有利になってきている。

 大介はレックスの首脳陣の判断に、疑問ばかりが浮かんでいる。

 レギュラーシーズンの中の一試合ではないし、それに相手は地元甲子園のライガースなのだ。

 大介を敬遠したことで、直史との勝負が一つ潰れた。

 それに怒りを覚えているのは、大介だけではない。


 負け方が重要であるように、勝ち方にも美しさが求められるのがプロなのだ。

 極論してしまえば、勝利ではなく楽しみを与えるのがプロだ。

 もちろん応援しているチームが、勝ったことの楽しみは大きいが。

(これは、俺たちが勝つ流れになってきてるぞ)

 ベンチの中で大介は、直史のピッチングを観察する。

 おそらく直史は、中軸と対決するここまでだろう。


 残り2イニングで、直史以外のピッチャーから三点。

 大介にも回ってくるが、レックスのリリーフ陣を考えれば難しいか。

 ただスタンドからの応援は、ライガースにバフをかけ、レックスにデバフをかける。

 逆転の可能性は0ではない。

 それでも難しい、というのが正直なところではある。


 大介の前に、どうやってランナーをためるか。

 そして大介と勝負してくれるか。

 そのあたりが勝敗を決定付けるだろう。

(何が正解かは、全て結果論)

 七回の裏も得点はなく、大介はグラブを持って守備に向かった。




 三点差で、ライガースの中軸を抑えたところ。 

 レックスはここで、直史を降板させる。

 他のピッチャーでは、打たれる可能性は充分にある。

 だがここで少しでも直史を休ませるための、リスクとして許容する。

 七回を投げて72球9奪三振。エラーとフォアボール扱いが一つずつ。

 ノーヒットであったにも関わらず、ここで交代である。


 このリスクのある交代は、レックスの首脳陣としては思い切ったものである。

 明日の試合に負ければ、直史はまた中一日で投げる覚悟。

 そのためには少しでも、投げさせる球数だけではなく、時間も短くしないといけない。

 集中力の持続時間を減らすことによって、少しでも消耗を抑えないといけない。

 直史のピッチングというのは、他のピッチャーとはやっていることが全く違うのだと、シーズンを通じてやってきて、ようやくそれに気づいてきた。

 もっとも直史も、そこまでやるようになったのは、この一ヵ月半ほどであるが。


 レックス首脳陣は、ライガースの大歓声を聞いても、それでも博打に出た。

 九回にはもう一度大介に回ってくるし、そこから打率のいいバッターが続く。

 しかし今年ずっと、かなり抑えてきたレックスのリリーフは信頼している。

 直史だけでは、試合には勝てても優勝は出来ない。

 それがしっかり分かっているので、逆に直史を活かす方法を考える。


 八回の裏、ライガースはランナーを一人出す。

 ここでピッチャーに、当然ながら代打を出してくる。

 ヒットでもフォアボールでも、塁に出ることが出来たら、二人ランナーがいる状況で大介に打順が回ってくる。

 ここで絶対に切らないといけない場面。

 レックスはここで、オースティンを投入した。

 回またぎになるのは承知のこと。

 だがランナーが二人いる状態では、絶対に大介に打順を回してはいけない。




 やっとそれっぽい判断になってきたな、と直史は感心していた。

 オースティンはとにかくここで一人打ち取ればいい。

 そして九回は、大介から始まるわけだ。

 ホームランを打たれても塁に出ても、三点差ならどうにかなる。

 これは勝負師っぽいリスクの取り方だなと直史も思う。

 レックスのピッチャーで、直史を除けば一番安定しているのは、間違いなくセーブ王のオースティンだからだ。


 回またぎというところだけは気になるが、それでもどうにか四つのアウトを取ればいいだけ。

 もっともここでランナーを出してしまうと、途端に危険になるが。

(ツーアウト一二塁になったら、大介は敬遠だな)

 また甲子園が騒がしくなるかもしれないが、それは許容すべきだ。

 プレッシャーに勝たなければ、結局甲子園で勝つことは出来ない。


 あとは、アメリカ人のオースティンは、もっと過激な観客にも慣れているだろう、という予想をしている。

 いや、試合ではないかもしれないが、日本人は普通は銃を持っていない。

 殺される可能性が低い日本において、彼はかなり図太いピッチングをしている。

(でもまず第一は、ここで相手を抑えられるか)

 オースティンは内野ゴロで、この回を終わらせた。


 これで勝負は最終回を残したのみとなる。

 ライガースは一番の大介からの打順となるが、スコアは3-0のまま。

 常識的に考えれば、これでレックスは勝てるだろう。

 点は取られてもいい。

「敬遠はしない方がいいでしょうね」

「ああ、分かってる」

 ホームランを打たれることも承知の上で、レックスの首脳陣は腹が座ったようである。

 三点取られる前に、スリーアウトを取るのだ。




 九回の表、レックスに点数が入れば、さらに有利になる。

 だが甲子園のスタンドはそれを許さない。

 ピッチャーの方もプレッシャーがかかるのではとも思うのだが、ライガースは不甲斐なければ味方にさえ野次を飛ばす。

 そういった環境なので、ライガースのリリーフは追加点を許さなかった。

 これで九回の裏で全てが決まる。

 いや、延長にでもなれば、もう直史を下げているレックスが圧倒的に不利か。


 ここで終わらせる。

 レックスは当然ながらそう考えている。

 そしてライガースの先頭打者は大介。

 八回ツーアウトから登板のオースティンは、当然ながらここでもマウンドに登る。

 先頭の大介には、もう打たれても構わない。

 下手に塁上で動かれるよりも、ホームランで終わってくれた方がいいとさえ言える。


 こういう割り切りを、今まではどうして出来なかったのだ。

 これをやっていれば勝てただろう、という機会は今までに何度もあった。

 ただそれは結果から逆算してみれば、その選択が間違っていたことが分かるだけ。

 違う選択肢をしていれば、勝てたかというとそれも分からない。


 少なくとも直史は、そういったあたりの首脳陣批判はしない。

 個人的な論理から、決定権を持たない自分がそれを言うのは、単に卑怯であると思うからだ。

 もちろんただの野球ファンが言うならば、それは自由である。

 しかし選手が、それも主力がそれを口にするのは、決定的に間違えていると思う。

 それにいつの世も、未来が見えすぎる予言者は、殺されてしまうものなのだ。




 ライガースとしては、直史以外のピッチャーからなら点は取れる、という思い込みがあっただろう。

 もちろん選手や首脳陣は、そんなに甘くは考えていないだろうが。

 直史の先発でない試合でも、勝率はほぼ五分に近い。

 そしてレックスは、セーブ王のオースティンをはじめとして、リリーフ陣はかなり強い。

 この終盤、最終回で三点差という時点で、ほぼ勝負は決まっていたのだ。


 それでも、大介はすかっと一発を狙っている。

 ただこの場合で理想的なのは、申告敬遠か敬遠と同等のフォアボールだ。

 なぜならそれで、応援団にフラストレーションがたまるからだ。

 大介が下手に解消するより、そちらの方が長期的に見ればいい。

 もっともこの試合で逆転してしまえるのなら、それはそれでいいことだ。


 ライガースはこの試合に勝てば日本シリーズ進出へリーチ。

 逆の立場の時は苦しかったが、アドバンテージがこちらにあると、こうも楽であったのか。

 またアドバンテージで不利であったにも関わらず、あそこまで投げていた上杉のことを思い出す。

 ピッチャーの肩は消耗品と言われるが、確かに上杉は肩を壊した。

 しかし直史は、肩ではなく肘の方が弱い。

 とは言っても投げすぎで肘を痛める、という兆候も高校生の頃しかなかったが。


 目の前で対峙するのはオースティン。

 今年のセーブ王であり、セーブ機会のセーブ成功率はおおよそ95%。

 ここで大介に打たれても、後続を絶って試合には勝つだろう。

 ランナーとして出て、試合を引っ掻き回す?

 そこまでやったとしても、さすがにこの試合は落とすであろう。

 ならばもう、大介の好き放題にさせてもらう。




 オースティンとしては今年ここまでに、レギュラーシーズンでのライガース相手に、セーブ失敗したことはなかった。

 大介に打たれたことはあるが、それでもそれが敗北につながったことはない。

 ホームランを打たれても、まだ二点のリードがある。

 確かにホームランが出れば、それは盛り上がるのかもしれない。

 だがその後でも、二点を取られる前に、ライガースを抑える自信はある。


 ベンチに戻るという、クローザーとしては珍しい経験をした今日、直史からはアドバイスというか心構えについての話があった。

 ライガースファンというのは日本のスポーツの応援団の中で、最も熱烈なものであると。

 もっとも南米のすぐに死人が出るサッカーや、イギリスのフーリガンに比べれば、ずっとマシな存在であるとも。

 比べるのがそれなのか、とは思ったが幸いに日本人は民間人で銃を持っていない。

 あとはライガースファンは、正面から戦った結果なら、それほど狂乱することはないとも。


 日本人の卑怯という感覚は、アメリカ人とは違うと、オースティンはある程度理解している。

 そしてMLBで伝説を残している直史が、そういうアドバイスをした。

 なのでここは、負けてもいいから勝負をする場面。

 高めのストレートでパワー勝負。

 もちろんその前に、低めに目付けをさせておく。


 そして高めのストレート。

 大介はゾーン内のストレートを待っていた。

 ストレートにも伸びやスピンの違いはあるが、それはもう当て勘で微調整するだけである。

 ジャストミートした打球は、そのままライトスタンドへ。

 甲子園が沸き上がるソロホームラン。

 完封を阻止して、反撃の一撃ともなるホームランであった。




 試合自体は、レックスの勝利である。

 大介の後は、上位打線の入っていたライガース。

 ランナーを出しはしたが、そこから得点にまでは結びつかなかった。

 3-1でレックスの勝利。

 これで二勝一敗であるが、アドバンテージを考えれば星は五分。

 そして明日の試合は、直史はとても投げられない。


 勝ったものの、まだまだ厳しい。

 レックスはとにかく、直史以外のピッチャーが投げる試合で、勝っていかなければいけないのだ。

 第四戦は、オーガスが先発となっている。

 スターズ戦の二戦目以来なので、中五日。

 あるいは百目鬼でも良かったのかもしれないが、ポストシーズン初出場で先発を任せるのは危険である。


 果たしてこれからどうなるのか。

 残り三戦のうち、二回を勝たなければ日本シリーズには進めない。

 引き分けが一つあっても、ライガースの勝ちと同じである。

 明日の第四戦に勝てれば、二試合のうち一試合に勝てばいいので、かなり楽にはなるのだが。

 二試合とも引き分ければ、それでもライガースの勝ち上がりとなるが、それはあまり可能性は高くないであろう。


 ホテルに戻って、直史はゆっくりと風呂に入った。

 そこでスマートフォンに連絡がある。

 この時間だと球団関係者かと思ったが、それは地球の反対側からのものであった。

「もしもし」

『あの、伝えるかどうか迷ったんだけど』

 瑞希のそういう声は珍しい。悪いことが起こったのか、と直史は胸が締め付けられる。

『明史の手術を、大幅に前倒しで行わないか、って言われてるの』

 それは少なくとも、悪い知らせではないはずだった。

「詳しく聞かせてくれないか?」

『それはもちろん』

 そして瑞希は語りだした。




 大きな手術というのは、準備に検査に担当のスケジュール調整など、本来はかなり事前準備が必要となる。

 今回の場合はほぼ明史と同じ状態の患者が、大きな発作を起こしてしばらくの経過観察が必要になったからだという。

 なのでほぼ準備していたものが流用できる。

 また他にも、理由はあるのだ。

 手術の成功率は、一日経過するごとに、ほんのわずかずつ低くなっていく。

 まして明史のような場合、確かに発作でも起きたら、やはりわずかずつ成功率は低くなっていくのだ。

 あるいはその発作が致命的になることもある。


 重要な決断をしなくてはいけない。

 瑞希一人で決められず、今の大切な時期の直史に連絡してきたのも、当然と言えることだ。

「明史には?」

『まだ何も。けれど私は、受けた方がいいと思うの』

「そうだな。実際はいつ?」

『明後日』

 さすがに直史も絶句した。


 本来の予定であれば、ポストシーズンも終了してから、直史も立ち会っての手術になったはずだ。

 明後日では今から飛行機の予約をしても、かなり難しいのではないか。

 いや、そこはセイバーのプライベートジェットという、切り札があったりはするのだが。

 直史が近くにいたとしても、手術の成功率が上がるわけではない。

 もしこのまま日本にいたとして、直史が打たれたとするなら、それを明史の手術によるメンタルへの影響、と言われたりするのではないか。

 もちろんこの件に関しては、マスコミなどには伝えていないが。


 また明史も、自分のせいで直史がチームから離脱することは望まないだろう。

 いや、内心ではどうかは分からないが、引きずってしまうのは間違いない。

「俺はそちらに行けない」

『それは明史も分かってくれると思う』

「じゃあ明史に代わって、俺もこちらで頑張るから、明史もそちらで頑張るという話にもっていこう」

 瑞希はしばしの沈黙の後に承諾した。




 ベッドに座って、直史は顔を覆う。

 無力だ。

 世界中を沸かせることが出来る自分でも、息子に対して出来ることは何もない。

 沈んでいる直史に、しばらくしてから着信がある。

『お父さん』

「明史か。話が聞いたか?」

『うん、こういったらなんだけど、ラッキーだね』

 それはまあ、手術を前倒しで受けられるというのは、ある意味では幸運なのか。

「お父さんは、今からだとそちらには間に合わないかもしれない」

『来てもらっても成功の確率は変わらないんだから、お父さんはお父さんの仕事をしてよ』

「いや、それはだな」

 明史は直史よりさらに、現実的なところがあると思う。

『お父さんが頑張ってると思うと、僕も頑張れるから』

 そう言われてしまうと、どうすればいいのだろう。


 傍に行きたいと思うのは、直史のエゴなのだろうか。

 だが直史の存在に、手術の成功への意味がないというのは、確かなことである。

「クライマックスシリーズが終わったら、日本シリーズまで四日間あるから、どうにかそちらへ向かう」

『とんぼ返りじゃん。それに勝ち進めるとも限らないのに』

 まことに明史は現実的であった。


 直史がいても、何も出来ることはない。

 ただの自己満足であることは確かである。

 だが息子の傍にいたいと思うことが、ただの自己満足で片付けていいのか。

 彼は命がけの手術に挑むというのに。

『お父さんは、お父さんの戦いをしてよ』

 強がりなのか、それとも本気でそう思っているのか。

 確実なのは、強いお父さんを望まれているということだ。

「分かった」

 直史は覚悟を決めた。




 第四戦になんとか勝って、第五戦にも勝ってしまえば、レックスが日本シリーズに勝ちあがれる。

 さらに一日空くので、そこでこそアメリカに行くことが出来るのではないか。

 直史はベッドに入ったが、さすがにすぐに眠れるというわけもない。

 どんな試合の前でも、決まって直史が言い聞かせることがある。

 試合に負けても、死ぬわけではないと。


 直史が負けても勝っても、手術の結果にはつながらない。

 だが世の中は、そう割り切れる考えで成り立ってはいないのだ。

 第四戦は、さすがに他のピッチャーが先発する。

 しかし終盤の展開次第では、直史もリリーフする。

 そして勝負は第五戦だ。


 投げた球数が少ないということもあり、今日はまだスタミナの減り方もそれほどでもない。

 だがそれでも、万全の状態にはほど遠い。

 明日一日を完全に休めればいいが、もしもクローザーなどをすることがあれば、回復しきらないかもしれない。

 それでも第五戦には直史が先発する。

 そこで勝てば三勝目になるのだ。


 アドバンテージを含めれば、3勝3敗で第六戦を迎えることになる。

 ここで直史が連投できるか。

 かつての直史であれば、やってしまっていただろう。

 今の直史には、そこまでの耐久力が残っていない。

 それに他のピッチャーが、完全にそこまで頼りないわけでもないのだ。

 出来れば第五戦までに決めてしまいたい。

 だがそれが無理なら、直史は連投なりリリーフなりで、マウンドに立つことを覚悟している。

 そこまでやったならば、全力を尽くしたと言えるだろう。

 その後の反動が、また怖いところはあるが。




 第四戦の朝、また直史は食事を大量に摂取した。

 ここまでやってもエネルギーの回復はともかく、肉体の微細な損傷は治癒されないのだろうが。

 燃え尽きるのか、壊れるのか、それは分からない。

 だが肉体の耐久限界には近づいている。

(この四戦目、どうにか取りたいな)

 ここで勝てば、第六戦まで中一日となる。

 さすがに連投よりは、ずっとマシな状態で投げられるだろう。

 せめてリードして終盤に来れば、大介を回避してでも勝利を目指せる。

 ライガース応援団の巨大な圧力に負けないという覚悟があるのであればだが。


 午前中から体調を確認していく。

 体重の減少は、第一戦よりはマシであった。

 しかし体の中身の方は、前よりもスカスカになっている気がする。

(お互いのピッチャーの力を考えれば、この試合もうちの方が有利のはず)

 直史が無理をして投げているおかげで、レックスは去年までの二枚看板であった三島とオーガスを、楽に回すことが出来ている。

 それに対しライガースは、先発からリリーフまで、ピッチャーは弱いのだ。


 第一戦から第三戦まで、ロースコアゲームが続いている。

 レックスが勝つとしたらロースコア、という予想は当たっていることとなる。

 ただ第二戦は、ロースコアでありながら敗北しているが。

 結局は大介をどうにかしなければ、止めることは出来ないのだ。

 またレックスは左右田が、結局は残り試合絶望、というのも明らかになっている。


 リードオフマンのショートを失い、得点力と守備力が低下。

 それでもライガース相手には、ロースコアゲームでないと勝てない。

 首脳陣としては、ここでどうにか勝ちたい。

 直史が投げる試合でしか勝てないというのならば、六連戦で四勝することは出来ないであろう。

 日本シリーズで四勝するより、ファイナルステージで、アドバンテージのない方が四勝する方がよほど難しい。




 体が硬くならない程度には動かし、他の時間はずっと休養している。

 血液が肉体を巡り、損傷している部分を修復していく。

 だがもちろん、完全な修復には至らない。

 まだ糊でくっつけている程度であり、これが完全な接着剤での修復となると、二週間は必要になる。

 つまり勝ち進んだとしても、日本シリーズもまた不完全な状態で戦うこととなる。


 明史の手術の件は、瑞希からおおよそ伝わっている。

 だがセイバーには、直史から伝えた。

 彼女的にはそんなことがあれば、親として立ち会うべきだ、と思ったらしい。

「日本人とアメリカ人の思考の違いでしょうか」

 セイバーは基本的には日本的価値観を持っている。

 だが幼少期からの周囲からの孤立と、アメリカでの生活から、欧米の感覚も持っている。


 だが再度の文明の比較によって、日本だからとかアメリカだからとかではなく、個人によるのだとしか思わないようになった。

 直史は息子との約束のために、日本に残って投げることを選んだ。

「てっきりセイバーさんが押し込んでくれたのかな、とも思ったんですが」

「専門分野には口出し出来ませんよ。発作の出た患者には悪いですが、それだけ運が良かったのでしょう」

 ホテルのカフェで、二人は普通にそんなことを話していた。


 誰かにとっての幸運は、誰かにとっての不運。

 今回の場合は、明史に幸運があった。

 おそらくこれが、直史のパーフェクトへのご褒美だ。

 あとは今日の試合で勝ち、明日の試合で勝てばいい。

「直史君、無理だけはしないでくださいね」

「大介が相手じゃなかったら、無理はいらなかったんですけどね」

 正直なところである。




 第四戦、試合開始の時間が迫ってくる。

 甲子園に充満する、人々の気配。

 入場は出来なかったものの、ワンセグ機能などのついたスマートフォンを持って、甲子園の周辺に集まっている。

 警備はしっかりと駆り出されて、暴徒化しないように注意は払われている。

 試合の内容によっては、充分にありうることなのだ。


 先に三勝してしまえば、残り二戦のうちのどちらかで、また直史が投げられる。

 フルイニングなどという無茶は言わないが、セットアッパーなりクローザーなりで、危機的な状況をなんとかしてもらう。

 それぐらいのことは出来るだろうと、首脳陣との間でも話はついている。

 しかし昨日、七回まで投げて勝ったピッチャーが、翌日もまた投げる。

 スクランブル体勢にもほどがあるだろう。


 この試合に勝ってしまいたい。

 もし負ければ、あとは二つの試合を両方勝利するしか、日本シリーズに進む道は残されていないのだ。

 直史は今日の試合、投げるタイミングがあれば投げるつもりである。

 連投であっても、20球程度ならば投げられる。

 リミッターが切れてしまっているので、そこは心配であるが。


 壊れるとしたらどこだろうか、と直史は考える。

 肘の靭帯であれば、一番マシだろうなと思う。

 自然治癒もある程度は有効だし、トミージョンという手段もある。

 だが肩や腰、背中に膝といったあたりは、将来的に困りそうだ。

(それでも、今年は必ず勝つぞ)

 約束したのだ。

 頑張るという、命がけの約束。

 直史は限界を突破するつもりである。



×××



 次話「輝く群星」

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