第114話 耐久限界

 流れがとどまった試合であった。

 ただ終盤に、とどめを刺したのはやはり大介であった。

 ランナーのいない場面で、この時点ではまだ一点差。

 しかし第四打席、低く外れたボールを掬い上げた。

 ゴルフスイングに近いものであったが、バックスクリーンを直撃する弾道であった。

 このホームランによって、3-1とスコアは変化。

 九回の表にレックスが一点を取り返したので、これがなければ延長戦に突入していたかもしれない。

 しかし最終的なスコアは3-2と決まった。


 アドバンテージを考えれば、これでライガースの二勝一敗。

 ただ勝利に沸きあがっていたライガースファンは、直後に発表された予告先発に戦慄した。

 佐藤直史、第三戦にて先発。

 予告先発制度は長年変化しているが、現在では翌日に試合がある場合は、その前日の試合終了後に発表されている。

 第一戦で投げた、パーフェクトを達成したピッチャーが、第三戦の先発で投げる。

「昔はやってたけど、ここでもやってくるんだなあ」

 試合終了後、クラブハウスに戻る前に、大介はこれを聞いた。


 レックス首脳陣の正気を疑う起用に、甲子園の観客は驚いている。

 だが直史はプロ一年目、日本シリーズで連投して勝利している。

 武史が離脱していたということもあるが、中三日、中二日、連投という間隔で投げて三試合は完封勝利した。

 直史のキャリアのベストピッチを、あの最終戦という人間もいる。

 日本シリーズの最終戦で、パーフェクトを達成しながらマダックスの球数に抑えたのだから。


 ただ今年、それを超えた成績を既に残している。

 ポストシーズンに限っても、それに匹敵する試合を第一戦でやってしまった。

 今度こそ本当に、打つことが出来るのか。

 直史はライガース戦に限って言えば、この三試合連続でパーフェクトピッチング。

 その前には大介に連続ホームランを打たれたといっても、それをきっかけに覚醒したようにさえ思える。




 ライガースが一点差でレックスを振り切った、というイメージは一瞬で失われてしまった。

 中一日で投げるピッチャーが、まともなピッチングを出来るはずがない。

 そうは思っても、その前の試合というのが球数も少ないパーフェクトなのである。

「ここで来るのかよ」

 第三戦で投げる大原は、思わず顔を覆っていた。

「そろそろ雪辱を晴らしてもいいんじゃないか?」

「無茶言うな。あいつは人間じゃない」

 大介の言葉にも、大原は常識的な返答をするだけである。


 ライガース首脳陣は次のピッチャーを、中四日のオーガスか百目鬼ではないかと思っていたのだ。

 どちらもいいピッチャーだが、なんとか打撃戦に持ち込めば勝てるだろうと。

 ただこの試合もそうだが、ライガースの打線はほぼ沈黙してしまっている。

 大介が一人で点を取って、どうにか勝っている。

 そう見られてもおかしくないし、事実ライガースの打線は調子が悪い。


 打線の不調の原因は、当然ながら直史による影響だ。

 三試合も連続で、パーフェクトに封じられている。

 途中で他のピッチャーの試合が一つは挟まっているが、もう直史に対する苦手意識を払拭することは不可能であろう。

 そのあたりは直史の心理戦に間違いない。

 ただ心理戦であっても、やはりこの登板間隔はおかしい。


 結局はこうなるのか。

 大介が直史を打てば勝つ。

 打てなければ直史が勝つ。

 単純な二人の対決が、そのままチームの勝敗とつながる。

 ただ大原からならば、レックス打線は何点か取れると計算してもいい。




 大介はマンションに戻ると、椿と話し合う。

「お兄ちゃん、さすがに無理してると思う」

「やっぱりそうか」

 大介としても、あの試合ではそう感じていたのだ。

 上杉との投げ合いで、直史は11回まで投げている。

 その後にわずか三日しか空けずに、パーフェクトを達成している。

 もっとも球数は、確かに少ない。

 しかし直史は消耗しているのは、肉体の耐久力や体力といったものではないと、大介は感じている。


 直史の投げている間、全てのバッターに全力であったわけではない。

 しかし大介が一番にいたことで、一人も出さないということの意味が変わった。

 パーフェクトに抑えれば、大介との対決が三度だけで済むし、そもそもあの試合はレックスもほとんど援護が出来ていなかった。

「今さら何を、どうしてこんなに無茶をするんだ?」

「男の意地じゃない?」

 直史らしくないように聞こえるかもしれないが、本質のところで直史は、単なる負けず嫌いであったりする。


 もしも直史が、自分のピッチングの成績が、息子の手術の成功率に関係するとオカルト的に考えていても、大介は普通に対決出来るだろう。

 なぜならそういう場合、手加減などをしても全く意味はないであろうからだ。

 とても直史らしくない、という程度には考えるかもしれないが。

 直史は大介と違い、メンタルの動揺が少ない。

 むしろ普通なら、メンタルを揺るがされることがあっても、それを力に換えてしまう。

 そういう人間なのだ。直史というピッチャーは。

 それを喜ぶ大介も大概ではある。




 自分の肉体の状態が把握出来ていない。

 直史としてはこれまでにない状態である。

 限界だと思われるラインを、超えてしまったことはある。

 だが今はそのラインが見えなくなってしまっている。

 おそらく最大のきっかけは、あの上杉との投げ合いである。

 直史は基本的に、ライバルというものは持たない人間である。

 ピッチャーというのは目の前の状況を、淡々と終わらせていくものであると思っていたからだ。

 しかし上杉との対決、上杉との投げ合いは、さすがに特別であったのだ。


 一度だけ、同じことをやってのけた。

 今度もまた、同じことになるのかと思った。

 そうなることはなく、ついに上杉に限界が訪れてしまったが。

 成績だけを見れば、直史が大きく上回るところもある。

 しかし上杉は、それを20年以上続けたというのが偉大なのだ。

 これまでの半生の半分以上を、NPBに捧げてきた。

 そしてまた、今度は違うもののために働く。


 あの上杉の精神性は真似できない。

 自分にも似たような部分はあるが、あれほど極端ではない。

 その上杉との対話が、直史をここまでさせている理由の一つだ。

(試合まで、あと20時間弱)

 それまでに現在の状態から、投げられる状態まで回復するのか。


 栄養剤の点滴などは、しっかりと打ってもらった。

 酸素カプセルにも入ったし、食事もたくさん摂取した。

(血液ドーピングでもしておけば良かったかな? あれはNPBでは禁止だったっけ?)

 心配しなくても、ちゃんと禁止になっている。

 ただ自分の肉体本来の回復力だけでは、時間が間に合わないかなとも思う。

 ここで勝ったとしても、あともう一試合は投げる可能性が高い。

 もう一度酸素カプセルに入って、少しでも回復しておく。

 さらに栄養剤を点滴しておくべきだろう。




 実際のところ直史を投げさせていいものか、レックスの首脳陣の間では議論がなされていたのだ。

 二戦目に勝っていれば、何の問題もなかった。

 だが結局は負けてしまったため、このようなことになっている。

 首脳陣は集まって、選手たちとは別にまた議論している。

 直史の自己申告どおり、投げさせてしまってもいいのかどうか。

「まあ、明日のライガースは大原ですから、今日のようなロースコアにはならないでしょう」

「ロースコアじゃないと勝てないだろう」

 不思議なもので極端な試合を除くと、こういった対決では一方がロースコアになると、もう一方もロースコアになったりするのだ。


 この中では豊田が、最も直史のことを理解している。

 もっとも理解の範疇にない存在である、と諦めて理解しているわけだが。

 首脳陣としても直史の心配をしているわけではない。

 もしもこれで負けるなら、それはそれでいい。

 だがもしも直史が故障でもしたら、誰が責任を取るのか、というつまらない話だ。


 もちろんつまらないというのは、本当につまらないものというわけではない。

 今年はついに、上杉が壊れてしまった。

 一度は復活したものの、もう一度というのは年齢から考えても、おそらくは不可能であろう。

 それに上杉は他の世界でも、待ち望まれている存在なのだ。

 直史まで故障して引退となれば、という話だ。


 もっとも直史は、何か特別な事情で投げているのでは、と豊田はずっと思っている。

 金で投げなくはない男だが、MLBの高額年俸でさえ、直史を引き止めることは出来なかった。

 故障による引退などと言っていたが、実際は引退試合であのパフォーマンスを発揮していたのだ。

 そして実際、特に手術をしたとも聞かないのに、今年の成績である。




 直史が明日も投げる。

「そんなこと、大丈夫なの?」

「どうかなあ」

 明史の問いにも、さすがに瑞希は断言できない。

 この数日間の間の、直史の登板間隔は異常だ。

 また九月から数えたとしても、投げた試合数は多すぎる。

 それでも絶対に無理と言えないのは、直史が直史だからである。


 瑞希は多くの奇跡を、直史が実現させるところを見てきた。

 たださすがにこれは、とも思うのだ。

 直史からの連絡で、現在の肉体がどういう状態にあるのか、瑞希は聞いている。

 肉体を削りながら投げている。

 肩や肘といった分かりやすい場所ではなく、もっと体の芯の部分。

 筋肉や骨といった部分から、力を引き出している。

 あるいは生命力そのものから。


 直史のあの投げるための力は、どこかで湧きあがるのか。

 瑞希は投げ終えた瞬間に、気絶して倒れる直史を二回ほど見ている。

 体に蓄えている、一時的に消費できる分は全て、出し尽くしていると見るべきであろう。

 そこからさらに多くの力を、それこそ体を絞るようにして、ぎりぎりまで出し切っている。


 火事場の馬鹿力とはまた違う。

 一瞬の力ではなく、一試合を通して使っているあの力。

 ゾーンに入ったことによって、脳の機能が拡張されて使っているのだろうか。

 そのあたりは誰かに教えられていることでもないが、セイバーなどは推測していた。

 直史の力の根源とでもいう部分。

 それを引き出したとして、もう肉体は若くない。

 限界のラインは、手前になってしまっているはずだ。




 本当に投げられるのか、という心配はついに消えることがなかった。

 直史としてはもう、万全の準備をして投げるだけである。

 心配であったのは周囲の人間だ。

 軽く体を動かした直史は、試合の開始時間を計算して、体の疲労をさらに抜こうとする。

 同時に肉体を構成する物質を、主に食事として吸収していく。


 一応医師に確認したところ、すぐに分かる異常などはないと言われた。

 もっとも中一日という日程に、さらに前の日程までも見ていれば、とんでもなくひどい状態であってもおかしくはない。

 分かる範囲では問題なし、ということである。

「権藤権藤雨権藤、雨雨権藤雨権藤」

 当人は暢気な鼻歌を歌っているが、これも今までにはなかったことである。

 本人でさえも、ある程度は不安になっているということであろうか。


 直史は自分が、おそらくもう限界のラインを超えてしまっているのだと思う。

 ただその先には、まだ見ぬ地平が意外と広がっていた。

 人間には限界がある。どれだけ頑張ったところで素質がなければ、10秒を切って走ることが出来ないのが日本人だ。

 黒人の瞬発力は天性のものであるらしい。

 ただ技巧の果てを目指せば、その限界はただ素質だけでは届かない、さらに先の世界を見ることが出来る。


 野球はピッチャーの投球から始まるセットプレイのスポーツだ。

 どのように投げていくかから、打たれた時やランナーが出た時など、対応がどんどんと複雑になっていく。

 選択肢の多いスポーツだ。

 それだけに単純なフィジカルだけではなく、インテリジェンスが必要になる。

 もっともそのインテリジェンスを実現させるためには、やはりテクニックやフィジカルが必要となるわけであるが。




 試合の直前にまでなって、どうにか体の重さが普通になってきた。

 回復しているのか、それとも脳が痛みや重さを無視しているのか。

 前者であればいいが、もしも後者であるなら、かなりの重体と言ってしまってもいいのかもしれない。

 病気ではないが、通常の健康体ではない。

(九月に入ってから無理をしすぎたよな)

 体力などの消耗を考えれば、二位で進出と諦めていた方がよかった。

 ただアドバンテージが魅力過ぎて、ペナントレース制覇にこだわった。


 どの選択が正解であったのかなど、全てが終わってからでも分からない。

 全てが終わった後であっても、その選択肢の結果が分かるだけ。

 他の選択肢が正しかったか、それは分からないのだ。

 分かるのは、正解か間違いかの二つだけ。

 そして他の選択をしたとしても、正解に行き着く場合がある。

 

 正解は選択の結果ではない。

 選択した後の意志の力だ。

 選択自体は単純に、意志の力がどれだけ必要かを変えるのみ。

 結果を見て正解かどちらかを判断するのは誤りである。

 どの選択をしたとしても、結果が選択の正解を決定する。逆ではない。


 ベンチからバックスクリーンを見る。

 ライガースは今日も、大介を一番に持ってきていた。

 一人でもランナーを出すと、四回対戦しなければいけない。

(今日の俺だとちょっと無理かもしれないな)

 一応感覚的には、回復しているとは思う。

 だがもっと重要なのは、回復よりもコントロールだ。

 制球などという単純なものではなく、出力の強弱である。

 ここで勝たなければ、ライガースは王手をかける。

 第四戦から第六戦のどれを勝っても、ライガースが日本シリーズに進む。

 全てに勝つというのは、直史でも無理なことだ。




 一回の表、レックスの攻撃。

 ここでライガースは、大原を持ってきてしまっている。

 いまだにそれなりのイニングを食える、まさに大ベテラン。

 だが今年はそれなりに先発登板しているのに、4勝5敗と勝敗があまりついていない。

(初回にしっかりと点を取れるかどうかだな)

 左右田と緒方の一二番コンビは、レックスの得点にかなり絡んでくる。

 下手をしなくてもチャンスメイクという点では、中軸より重要であろう。


 大原はあまり立ち上がりが良くない。

 ここで先制点が取れないとなると、かなりまずいだろう。

(ライガースも先発の層がそこまでは厚くないからな)

 ローテの中でも大きく勝ち星を積み重ねられるのは、畑と津傘の二人である。

 ピッチャーの力が重要となるポストシーズンでは、レックスの方が先発もリリーフも、一応は強いはずだ。

 確かにその通りで、第二戦も大介を除けばしっかりと抑えている。

 それ以上にレックスが、点を取れていないのが痛い。


 左右田が初回からセーフティなどを狙って、上手く転がした。

 いきなり内野安打という、奇襲が成功である。

 まずはランナーをためていかないといけない。

 送りバントは使わなくなっても、バント自体は攻撃手段の一つである。

 こういった作戦は、大味なライガースにはなかなかない。


 続く緒方は、狙い球を絞っている。

 立ち上がりの悪い大原から、しっかりと点を取っていくつもりなのだ。

 やや甘いコースのボールを、ライト前へのクリーンヒット。

 今日こそはある程度の点が取れそうである。

 これは悪い流れではない。




 初回からレックスは二点を先取することに成功。

 直史相手に二点差というのは、おおよそのチームならかなり諦めモードに突入する。

 しかしライガースには大介がいる。

 大介の前にランナーを置いて、ホームランを打ってもらえば一発で追いつく。

 昨日の試合でも二本を打っているので、これは期待されるだろう。

 大介自身は全く期待していないが。


 野球というスポーツの本質は、相手が取った点以上に、こちらが点を取ることである。

 相手のピッチャーから一点も取れなければ、絶対に勝てない。

 そして既に、レックスは二点を取っている。

 これが直史以外のピッチャーであれば、一点や二点を取られたところで、そこから逆転すればいいだけだと、選手たちも奮起することだろう。

 だが直史はここまで、復帰から28連勝しているのだ。


 大介がホームランを二本打っても、試合の勝敗には届かなかった。

 次は勝てると思わせておいての、二連続パーフェクトである。

 馬鹿にしたような話だ、とライガースからしてみれば思うかもしれない。

 もちろん直史としては、それだけライガースを警戒しているのだが。

 大介以外のバッターも警戒しているからこそ、心を折っておきたかった。

 しかし折れない。


 直史は臆病なぐらいに慎重である。

 だがそれは性格の話であり、ピッチングにおいては大胆なコンビネーションを使う。

 慎重なピッチングというのはつまり、確率のピッチングである。

 それならばむしろ、相手からすれば読みやすい。

 慎重に考えて、相手の思わないピッチングをする。

 ほぼど真ん中にストレートを投げるというのも、その慎重さから導き出された大胆さだ。

 だから直史のピッチングというのは、自由なのである。

 その自由を縛ってしまうのが、大介のバッティングの恐ろしさだ。




 本日最初の大介との対決。

(ストレートを狙われてるな)

 それははっきりと分かる。

 これまでの直史のパターンから、初球ストレートというのはもう、裏をかいたコンビネーションではなくなっているのだ。

(分かっていても、打ち取るのは難しいよな)

 初球は内角へツーシームを。

 他のバッターなら当たると思って、腰が引けてしまっていたかもしれない。

 だが大介はそこから、バットを振ってくるのだ。


 当たりそこないのボールが、一塁線を鋭く割っていく。

 もしヒットになっていても、今のはホームランにならない。

 大介にしても分かっていて、威嚇のつもりであったのかもしれない。

 直史に対してそれは、なんの意味もないと知りつつも。

(いや、意味はあるか)

 大介の気配を探っているように、あちらも直史の状態を把握出来ているのなら。

 それならば打てることを示すことは、わずかに精神を削っていく。


 厳しい戦いだな、と直史は感じている。

 これがこの試合の先頭打者なのだから、一気にギアを上げていかないといけない。

 体力の消耗を抑えるために、肩を温めるのにはあまり球数をかけていない。

 その状態で大介と対決するわけだ。

(こちらの消耗を知られるのもあまりよくないよな)

 あまりスピードのあるボールも使いにくい。


 ストライクカウントを稼がないといけない。

 もちろんそれまでに凡退してくれればいいし、ホームランを打たれてもまだ決定打にはならない。

 しかしわずかな積み重ねが、最終的な勝利につながる。

(日本シリーズまで、体力を残しておく余裕はないかな)

 第六戦までファイナルステージがもつれこんだ場合、日本シリーズとの間隔は四日間。

 その間に回復するほど、この消耗は小さなものではない。




 直史の状態を、大介はわずかに感じている。

 それはこれまでに感じていた、柔らかくも根の深い、安定したものではない。

 ただ安易に打てるような、そんな気配でもない。

 ひたすら希薄になっていって。投げるボールに力を乗せてこない。

 次の球が全く読めない。

(こういう境地に達しているのか、それとも)

 これすらもまた、ただの技術であるのか。


 二球目に投げられたのはカーブ。

 スローカーブを大介は見逃す。

 今のを打っていれば、どうなっていただろうか。

 おそらくスタンドまでには届いていない。

 大介はよく、体格からは信じられないパワーを持つ、と称される。

 だが実際はそうではないのだ。もちろんパワーもあるが、それを伝えるテクニックが重要なのである。

 レベルスイングをしているのも、そのテクニックのうち。

 スローカーブをスタンドにまで持っていくのは、相当の技術が必要になる。


 ただ、これでツーナッシングになってしまった。

 外から見ただけでは、あっさりとツーストライクを取られたように見えるだろう。

 だが実際はお互いに、小さな細かいフェイントを、その筋肉の動きや呼吸に混ぜている。

 そのわずかな部分を、どのようにして感じ取るか。

 お互いの読み合いというよりは、より己の肉体をコントロールし、そして相手の動きを五感で感じ取れる方が、この勝負を制するだろう。

 ほんのわずかな差が、決定的な結果となる。

 ホームランを打てなければ、大介の判定負けだ。




 条件は直史に有利である。

 この場面だけを見れば、ホームランを打たれてもまだ一点のリード。

 ただ一つの流れの中で見れば、大介に打たれてはいけない。 

 初回の先頭打者に打たれるというのは、間違いなくいい流れではないのだから。

 ここからさらに続いていくのは、ファイナルステージの第四戦以降。

 基本的に六試合のうち四試合に勝たなければ、次に進めないというのが現状だ。


 直史一人が頑張っても、どうにもならない。

 若かった頃はまだ、どうにかなっていた。

 だがこの体力や肉体の消耗度合いは、限界をはるかに超えている。

 今日をかったとしても、もしも明日の第四戦も負けたら、第五戦で投げる必要がある。

 さらに第六戦も、オープナーなりクローザーなり、あるいはリリーフ投げる必要が。

 そこまでやったとして、自分は無事でいられるだろうか。


 昭和の野球マンガであると、試合中に死人が出たり、気絶するまで投げるというのがあったりする。

 直史は気絶するまで投げるというのをしているため、精神力は昭和などとも言われたりする。

 もっともそれは多くはない。ほとんどは技術を見てその成績を見るからだ。

 直史がどれだけ消耗しているかなどというのは、一試合を通して全て見なければ、とても分かるものではない。


 たったの二球の間に、脳は多くのエネルギーを消費している。

 統計だけで投げていいなら、ここまで多くの消耗などはない。

 ここで負けたら、今年のレックスは終わる。

 四戦目以降などは、あってもないのと同じである。

 直史で勝てなければ、その時点で終わりなのだ。

(考えすぎじゃないのが嫌なんだよな)

 事実であることは間違いない。




 ツーナッシング。

 ここからボール球を三つ使える。

 ただ安易なボール球は使えないし、ギリギリを攻めてもカットされるだけである。

 全力のストレートすらも、見せ球にしていかなければいけない。

 大介相手であれば、確かにそれは使っていくべきボールになるだろう。

 だが大介もここまでの試合で、その見極めは上手くなっている。

 他のバッターなら空振りするようなコース、つまり高めのボール球を見極めてくる。


 攻めるならインハイ。

 これまでの直史であれば、球数節約のためにも、それを選んでいた。

 だが今はもっと複雑に考えなければいけない。

 大介は読みではなく、直感でそのコースを振ってくるであろう。

 直感を超えるほどのボールは、今はまだ使いたくない。

 そもそも投げられるかが分からない。


 三球目に選んだのはチェンジアップ。

 スルーチェンジではない、普通のチェンジアップだ。

 低いボールゾーンに落ちたので、大介はこれを打たない。

 ちょっとした賭けになるが、ゴルフスイングでスタンドに運べたかもしれないが。

(もっと決定的なボールを打ちたい)

 大介はそう考えているが、直史の考えが読めない。

 思考自体は自分よりも、ずっと高速で回転しているだろう。

 だがそれでも、打っていかなければいけない。


 四球目はシンカー。

 外に外れるボールで、これでツーツーとなった。

(落ちたり沈んだりするボールばかりで、最後はストレートか?)

 それが一般的な組み立てであろうし、実際に効果的でもある。

 ただ大介は、そのストレートなら打つことが出来る。

 もっと遅い、二球目のようなスローカーブを投げてくるだろうか。

 たとえ分かっていても、感覚が狂ってしまうような、そんなボールがまだ幅の中にあったであろうか。




 結局最後に使えるボールというのは、ある程度限られている。

 もしくはここまで、全く使ってこなかったボールか。

 一応それは、あることはある。

 ただあ問題なのは、大介はそれを見ているということだ。

 どんなことをしてでも、とにかくアウトがほしかった高校時代。

 アンダースローからでも投げたものだ。


 五球目、直史のフォームが沈んだ。

 そしてアンダースローから、浮かび上がったカーブが羽のように落ちてくる。

 大介は動揺なく、それをあっさりとカットした。

 スタンドはどよめいているが、直史というのは本来こういうピッチングをしていたのだ。

(俺には通用しないって分かってるだろうにな)

 それでも使ってきたということに、意味はあるはずだ。


 アンダースローからのボールを見て、打ちにくくなるボールは何か。

 それは浮き上がるボールの後であるのだから、当然ながら高速で沈むボールだ。

 つまりスルーを投げてくるのだろうが、それは安易過ぎる組み立てだ。

 スルーチェンジも頭の隅に置いて、本命はスルーとしておく。

 投げてくるのは、果たして何か。


 六球目、直史は歩幅を大きくして踏み込んだ。

 そしてリリースしたボールは、間違いなくストレートだと、一瞬で大介は判断していた。

 スイングしたバットは、ジャストミートとはいかない。

 だが上手くバレルに近い角度でボールは上がっていく。

(届かない、か)

 深く守っていたセンターが、フェンスぎりぎりでキャッチする。

 風向きの加減によっては、ホームランになったかもしれないが。

 しかし結果はあくまで、センターへのフライ。

 第一打席は出塁も出来ず、ただそれなりの苦労をさせて、大介は凡退した。

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