第112話 奇跡の連鎖

 七回の表、レックスはまだ追加点がない。

 そしてその裏、大介の三打席目が回ってくる。

 もちろん先頭打者として。

 ここまでの6イニングを直史はパーフェクトに抑えている。

 球数は55球。

 直史としては平均よりやや少ない程度。

 つまるところ一般のピッチャーとしては、あまりにも少ない。

 そしてもしこの試合までパーフェクトが出来るのであれば、大介との対決はこの試合では最後となる。


 まさかここでもパーフェクトなのか。

 延長戦に達したスターズ戦も、9イニングまでならばパーフェクトであった。

 つまり四試合連続で、実質パーフェクトを達成していることとなる。

 ありえないとは思う。

 だがやってしまうやつだとは、よく知っている人間なら思うのだ。

 正確には、こいつに出来ないなら、他の誰にも出来ないだろうな、と。


『解説の西郷さん、どうでしょうか、ここは』

『どうか、と言うちも、なんとも言えもはん』

 西郷はこの場面にきて、完全に方言が出てきてしまっている。

『西郷さんは大学では佐藤選手、プロでは白石選手とチームメイトで、国際大会でも一緒でしたが』

『大介はァ、成長してもすが、ナオはァ、分からん』

『西郷さん、方言が……』

 なお、この分かりにくい方言が出ると、西郷の人気は高くなったりする。


 テレビの解説者も、直史のピッチングについては説明するのが難しい。

 簡単に言えば意外性のあるピッチングなのだが、そう単純に言い切っていいものでもない。

 時には当たり前のコンビネーションを使って、普通にアウトを積み重ねる。

 自由自在であるがゆえに、定番のコンビネーションを使ったり、それはありえないというコンビネーションも使うのだ。

 つまり思考が極めて柔軟である、ということではあるのだが。




 直史のピッチングに関しては、大介も色々と質問をされたものである。

 その時に答えたのが、ちょっと議論を呼んだことがある。

「ぶっちゃけ単打を打つだけなら、ある程度は打てなくもない」

 ナオフミストには散々叩かれた発言であるが、直史自身が「大介なら確かにそうだ」と認めてしまったのだ。

 大介はその体格からあの飛距離を出すので、パワーヒッターと見られる。

 それも間違いではないのだが、本質的にはボールを細いバットで、確実に捉えるバッターなのである。


 大介の打席では、外野がだいぶ後ろに下がる。

 その手前にぽんと落とすだけなら、反応でどうにかなるのだ。

 だが大介に求められているのは、一発である。

 もっともその回の先頭打者であったりすると、まずランナーとして出ることを優先したりもするのだが。

 ただここ最近の直史を見れば、どうせ大介がランナーとして出ても、後続が帰せないのは分かっているのだ。


 1-0なのだから、まずは一点を返せばいい、と考えるのは常識的すぎる。

 その一点を返すのに、大介がランナーに出たとしてどうする?

 単独スチールというリスクのある選択が、おそらく一番期待値が高くなる。

 そこからは、今時使わないような送りバントも使っていく。

 ワンナウト三塁にすれば、どうなるかは分からない、と普通なら考えてもいい。

 だが相手は直史なのである。


 大介のホームランによる一発。

 あまりにも都合のいいそれを期待するのが、おそらくは一番現実的だ。

 もっともその大介も、ずっと封じられ続けているのだが。

 それでも外野の深くにまでは、飛ばすことが出来ている。

 他のバッターにはせいぜい定位置より少し前、といったところだ。

 そもそも外野フライが少ない。




 ライガースのベンチは、色々な手を使ってはいた。

 だがまるで直史は、こちらの心を読んでいるかのように、その作戦の全てを無駄にしてきたのだ。

 セーフティバントをしようとすれば、フィールディングでアウトにしてしまう。

 バスターなどの奇襲に関しては、全く反応しなかったりする。

 そもそもバットに当てるということが、その時点で大変に難しい。


 ストレートをバントにでもすれば、小フライが上がってしまったりする。

 つまりそれだけストレートの軌道を、見誤っているということなのだ。

 大介にはそんなことはない。

 なので大介ならば、その走力や内野守備の深さを考えれば、セーフティ成功の確率は高い。

(次の試合は第一打席にそうしよう)

 だがこの試合は、もう一発狙いである。


 直史の拡張された感覚に、ほぼ第六感と言ってもいい直感。

 それに高速の思考をもってしても、大介相手に簡単に勝つことは出来ない。

 特にこの場面では、ストレートが使いにくい。

 高めに上手く外せればいいが、少しでも甘ければライナー性の打球でスタンドに放り込まれる。

 分かってはいるのだが、それでもそこに投げるべきだと、直感が囁いている。


 初球はストレート。

 高めいっぱいのゾーン内ストレートに、大介はスイング。

 バックネットに突き刺さるファールとなって、ストライクカウントを増やすことに成功。

 ここからあと一つストライクカウントを増やし、最後にはどうにか打ち取らなければいけない。

 なんとも難題であるが、これがまた楽しいのである。




 直史が楽しそうだ。

 無表情で投げているのだが、それぐらいは分かる程度の深い付き合いである。

 お互いに対する理解は相当に高い。

 だがそれでも、直史から打つのは難しい。

 知れば知るほど、逆に難しくなっていったりもするのだ。

 初対決はピッチャーが有利。

 直史の場合はこれは、かなり微妙なところである。

 最初は有利であるかもしれないが、情報が増えれば増えるほど、打てなくなっていく。

 それが直史というピッチャーである。


 二球目に投げてくるのはなんなのか。

 大介はある程度は読むが、もうここからは読まない。

 直感で打つかどうかは決める。

 この二球目は、ある程度スピードのあるゾーンのボールなら、全て打っていく。

 そう決めているところに、スローカーブが投げられる。

(ヒットになら出来るんだよな)

 スイングせずに見送る。

 直史と同じように、大介も傲慢である。

 自分が打たなければ、ホームランを打たなければ、点を取ることは出来ない。


 救いようのないのは、それが全て事実ということだ。

 直史は投げれば、絶対に勝ってみせる。

 それもただ勝てばいいというだけではなく、圧倒的に。

 対する大介は、まだしも付け込む隙があるように見える。

 だがそれは錯覚であり、大介が本気で、打たなければいけない時に打てないピッチャーは、ほんの少しだけしかいない。


 その中で直史は、おおよそ大介に勝っている。

 もちろん致命的な一打というのを、食らった過去はある。

 しかし今年の直史は、ホームランを打たれても試合には負けていない。

 甲子園で場外弾などを食らっても、試合にはしっかりと勝ってくる。

 あんなホームランを打たれて、どういうメンタルならまだ投げることが出来るのか。

 そのあたりを理解出来るのは、まさにホームランを打った大介ぐらいであるのだろう。

 直史としては、勝つために必要なことをしているだけである。




 ツーナッシングで追い込まれている。

 ここでもう大介は、狙いを変えるか迷う。

 ツーストライクから、直史のボールを絞って打つのはほぼ不可能だ。

 あとは小手先で打って、上手く野手のいないところに落とすか。

 ただ試合も終盤に入っており、直史の支配力は増している。

 球場内のことであれば、おそらくほとんどを理解しているのではないか。

 少なくとも、大介の心臓の鼓動ぐらいは聞こえている。

 大介も同じことが出来るからだ。


 極限までの集中は、別に直史の専売特許というものではない。

 その集中力の強弱はともかく、普通にスポーツのプレイヤーであれば持っているものだ。

 大介もゾーンに入っていく。

 直史の投げるボール、そのリリースの瞬間を見逃さない。

 まだ目は衰えていない大介は、その一瞬に賭ける。


 三球目、直史の足が上がる。

 しなやかな腕はまだ見えてこない。

(握りが見えないんだよな)

 この上半身と右腕の撓りによって、リリースポイントの見極めを難しくさせる。

 だが、ほんの一瞬でいいのだ。

(スルー!)

 あとはこれが、普通のスルーかチェンジアップか。

 スイングを始動するが、ボールが来ない。


 スルーチェンジだ。

 見極めた大介は、手首でバットの動きを遅くさせる。

 そして膝の力を抜き、スイングに力が伝わらないようにする。

 落ちたスルーチェンジに対して、バットを当ててカット。

 どうにか空振り三振は防ぐことに成功した。

(さて、すると最後はストレートで決めるのかな?)

 どんなストレートを投げてくるかで、勝負は決まる。




 スルーチェンジで打ち取れなかった。

 やはり大介は、直史の組み立てを超えた粘りを見せてくる。

 他のバッターであれば、素直に三振してくれるのだ。

(パワーを抜いてまで、カットしてくるんだもんな)

 これが昔のMLBであったら、スイングを崩してまでカットしてくるというバッターは、あまり多くなかったと思う。

 だが大介は平凡な優れたバッターとは違うというわけだ。


 打てないと判断したら、完全にカットをしてくる。

 やはり美学などを持っていないバッターは厄介だ。

 大介には強力な能力だけではなく、泥水をすする精神性まである。

 これだけのスタープレイヤーになっても、結局のところはタダの野球小僧であるのだ。

 だからなんとしてでも、勝ちたいと粘ってくる。

 敗北を引きずることはないが、敗北の美学などはない。

 ひたすら打ちたいと願っているのだ。


 ここで打ち取るのは、やはりストレートというのが定番である。

 しかし直史は、あえてここでカーブを使った。

 ボール球になったカーブを、見送る大介。

 今のを無理に打ちにいった方が、勝算は高くなっていたかもしれない。

 だが大介が狙うのは、ホームランだけであるのだ。


 まったくもって、球数を多くさせてくれる。

 幸いと言うべきか、まだ肉体に疲労はない。

(ペース配分をして投げてるのに、それを台無しにさせてくれるよな、本当に)

 大介一人のために、どれだけ球数が増えていくのか。

 緒方が上杉相手に、本当に頑張ってくれていたのだなとは分かる。

(最後はストレートを使いたいけど)

 それであっさり三振してくれるバッターでもない。




 まだボール球を投げることは出来る。

 ただ無意味にカウントを悪くすることは出来ない。

 単純に四隅を狙うだけならば、大介はカットしてくるだろう。

 こういう時にスピードで勝負が出来ないのは、直史の弱点と言えば弱点であるのか。

 そう当人は考えているが、直史自身は自分の緩急を、自分で体験することが出来ない。

 なのでそれがどれだけ難しいか、実感することは出来ないのだ。


 五球目、スルーをゾーンからゾーンへの小さな範囲で変化させる。

 ぎりぎり低めかどうか、判断しにくい。

 大介は掬い上げて、ファールスタンドにまでは持っていった。

 カウントは変わらないが、球数は増える。

 しかしそれで直史が一方的に不利になるというわけではなく、布石になっていくのだ。

 落ちるボールだけを見せられた。

 これで落ちないストレートに、果たして対応しきれるだろうか。


 ただ直史のこの組み立てを、大介は完全に読んでいる。

 そして読まれていることを、直史も理解している。

(だから想像以上の、読みを超えたボールを投げるしかない)

 足を上げてからの、重心の平行移動。 

 だが最後の一歩は、深く沈んで投げる。

(行け!) 

 高めへのストレート。

(打てる!)

 しかしそのボールは、想像以上にホップした。


 浮き上がったボールは、ゾーンを外れていた。

 そこをさらに修正することは、ホームラン狙いの大介には出来ない。

 バットはボールに当たったが、その打球は高く上がったのみ。ファールゾーンに踏み出したファーストが、フェンス際でキャッチしてアウト。

 三打席目も直史の勝利である。




 球速表示を見る。

 149km/hと極端に速いというわけではない。

 レギュラーシーズン終盤から、直史は150km/hオーバーを投げてきている。

 もちろんただの球速なら、現役の選手の中にはMLBまで行かずとも、NPBの中でいくらでもいる。

(リリースポイントか)

 高めいっぱいのゾーンに入ってくるかと思っていたが、実際はボール一つ分は外れていた。


 フラットストレートを、ボールゾーンに投げてきた。

 確かにまだボール球を投げる余裕はあったのだ。

 しかし直史は、普通にゾーンで勝負するピッチャーだ。

 球数を増やすことはともかく、全力では投げてきたのだ。

 より低い位置から、平行に近い軌道で投げた。

 最初からボール球になると、自分では分かっていたのであろう。

 そして大介ならそれを振ってくると見た。


 これが空振りであれば、直史は満足できた。

 だがやはり大介は、当ててくるのだ。

(どこで見極められるかな?)

 大介がアジャストしてくるたびに、直史もそこから変化していく。

 肉体にかかる負担は大きいものがあるが、組み立てによって大介のアジャストを少しでも乱していく。

 傍から見ているほど、簡単なものではない。


 続く二番と三番は、パワーでもコントロールでもなく、コンビネーションで対応する。

 打たせて取るのが基本ではあるが、上手く組み立てれば三振を奪うことも出来る。

 重要なのは、余力を残しておくこと。

(この試合、大介にもう回らない、なんて考えは捨てた方がいい)

 ほんのちょっとした幸運の偏りによって、野球は結果が変わってしまう。

 三振でさえパスボールはあるのだ。

 ゴロやフライを打たせれば、そこにエラーをする余地がどんどんと生まれてくる。




 七回の裏が終わって、いまだにパーフェクトは継続中。

 バッターボックスに立ったとしても、スイングすらしない。

 そして得点の方は他の味方に任せる。

 役割が違うのだ。

 直史はピッチャーとして、その究極的な目標を達成する。

 つまるところ相手に、自軍の得点よりも多い失点をしない。

 一試合に限って言うならば、そういうことだ。


 ただそれでは、ピッチャーとしては充分であっても、エースとしてはまだ足りていない。

 上杉のやっていたことは、チーム全体の底上げだ。

 他のピッチャーに加えて、打線陣までもが大きく力を上げていた。

 直史には出来ないことだし、やろうとも思わない。

 直史に出来ることは、それとは全く逆のこと。

 相手の打線陣を、とにかく封じまくってそのパフォーマンスを落とすこと。


 同じピッチャーに三度も連続でパーフェクトをされれば、普通のバッターは心が折れる。

 一点ぐらいは取れることも多かった上杉とは、全く違う形のエースだ。

 しかし実力として示すなら、こちらの方が分かりやすい。

 もっとも絶対に折れそうにないバッターが、一人いるのが厄介なのだが。

 グラウンドの中で、対戦しているだけとは限らない、つまるところ二人の持つ、人間としての存在の強さ。


 八回の表にも、レックスの追加点はない。

 あと六人からアウトを取れば、試合は終わる。

 もし大介に回ってしまえば、10人以上のバッターを相手にするより、神経を使って消耗してしまうだろう。

 パーフェクトを狙っていくという無茶より、もう一度大介を抑える無茶の方が、負担としては大きい。

 歩かせれば別なのだろうが、その選択肢はない。

 直史はグラブを取って、八回の裏のマウンドに登るのだ。




 直史は中三日である。

 なのでレックスのベンチとしては、上手く点差がついたところで、リリーフを送るつもりであった。

 だが結局、初回の緒方の一発だけ。

 直史を降ろすことが出来ない。

 ここでライガースの、一番大介というのが効いている。

 直史が下手にいいピッチングをしてしまえば、最終回に大介の打席が回ってくる。

 もちろんレックスの首脳陣としては、そこは申告敬遠の選択がある。

 ただここは甲子園なのだ。

 下手なことをすれば、ライガースの応援団に火がついてしまう。


 直史のやっていることは、氷のようなピッチング。

 全くチャンスさえ発生させないことが、ライガースを爆発させないポイントである。

 それでも一人だけで、点を取ってしまえる大砲がいるのだが。

 大介の今年のホームランは、かなりの割合がソロホームランなのである。

 二塁にランナーがいて一塁が空いていれば、ほぼ100%敬遠される。


 今年の直史の失点は、全てホームランによる一発。

 そんな馬鹿なという記録を、今年も作ってしまっている。

 だがその打たれたホームランは、半分以上が大介によるもの。

 その大介を抑え続けていれば、直史ならば勝ってしまう。

 八回の裏のピッチングも、三振を含む三者凡退に抑えてしまう。

 これで残りは九回の裏だけ。


 ベンチに戻ってきた直史は、周囲の空気を感じる。

 もうここまでくれば、パーフェクトにも慣れてきているだろう。

 上杉との投げ合いにしても、ほとんどパーフェクトのようなものだ。

 つまり実質的には四試合連続パーフェクト。

 それも登板間隔はさほど空いていない。

(これで確か74球……)

 80球以内に抑えるというのは難しそうだが、90球以内に抑えることは可能であろう。

 パーフェクトに抑えてしまえば、首脳陣も文句はないだろう。




 ちょっと上手くいきすぎだな、とは思っている。

 ある程度は打たせていると、どうしても内野の間を抜けていったり、ボテボテのゴロで内野安打になったり、野手の間にポテンと落ちてしまったりする。

 それが今日の場合は、外野に打たれてしまったボールも、野手の守備範囲内であったりする。

 幸運が続いているが、これが最後まで続くのか。

(いや、今日一日だけなら、あとは力で抑えればいいか)

 直史の場合、力というのは技巧である。


 九回の表が始まる。

 レックスとしてもここで、追加点を取ることに意味はあると思っている。

 二点取れれば、ほぼ完全に勝ちは確定。

 一点であってもおそらくは問題はない。

 ここからレックスが負けるというのは、追加点が入らずに1-0というスコアのまま、九回の裏を迎えるという場合だ。

 そして下位打線か代打がなんらかの手段で塁に出て、大介に四打席目が回るという状況。

 ここでホームランが出れば、確かに試合は逆転サヨナラとなる。


 ただライガースも、まだ一点差というこの状況。

 ここで諦めるという選択肢はないので、レックスに追加点は許さない。

 この試合を落としても、単なる勝ち星勘定であれば、ライガースはまだ有利だ。

 しかしそれ以上に、直史を打ったのならば、それは重要な勝利となる。

 このファイナルステージ全体を決定付けるような。


 リリーフ陣も注ぎ込んで、レックスの打線を封じる。

 レックスとしてはここで、代打をぽろぽろと出すのはやや難しい。

 もしそれで裏の守備に影響が出れば、ということになる。

 追加点か、それとも守備の安定か。

 ここで首脳陣は、守備の安定を選択した。

 どのみちチャンスがなければ、代打を送るような意味はない。




 ついに九回の裏がやってくる。

 ライガースとしてはもう、代打攻勢である。

 もし同点にでもなって、守備力が低下したとする。

 それでも重要なのは、まずここで一点を取ることだ。

 それ以降に守備力が下がっても、まずは追いつけなければ何も意味はない。

 目的が完全に一つになっているのだ。


 ライガースのベンチには、充分に成績を収めている代打が存在する。

 もちろんこれを使っていく。

 ピッチャーも当然代えていく。先のことなど考えない。

 ここで得られる一勝が、どれだけ大きいか分かっているのだ。

 当然ながら直史も、それを理解している。

 代打のデータまでしっかり、ベンチメンバーはミーティングで確認済みである。


 七番からいきなり、代打を出してくる。

 正直なところ初対決はピッチャー有利と考えるなら、そう代打を出しすぎるのも考え物なのである。

 ただ直史の場合は、シーズン終盤にかけての方が、ずっと調子を上げてきている。

 だからまだ対戦機会のない、少ないバッターを出した方が、わずかでもチャンスはあるのではないかと考えてしまう。

 もちろんそれは、あまりにも楽観的な考えであろう。


 このイニングで終わらせる。

 三人で終わらせてしまえば、大介には回らない。

 パーフェクト達成となるが、べつにそれはもうどうでもいい。

 どれだけ消耗せずに勝つことが出来るか。

 それが現実的に考えなければいけないことなのである。

(終わらせるぞ)

 残る三人にどう投げていくか。

 直史の頭脳は回転していく。




 シーズン中に一度か二度、直史と対戦しただけのバッター。

 むしろそれは、直史の非常識さに絡め取られていないので、かえって打てたりするかもしれない。

 そんな思考を、一瞬だけしてしまった大介である。

(ないな。それはない)

 直史に限って言うなら、そういう都合のいい展開はありえない。

 もちろん自分自身の打席のために、準備はしておくが。

(相手のピッチャーの方を信頼しちゃうってのがな)

 確かにこれは、敵と味方のいるゲームだ。

 だが厳密に言うならば、敵でさえもが必要となる。


 単に自己記録を残すだけの競技ではないのだ。

 相手がいてこそ、初めて成立する。

 その相手が強ければ強いほど、後に残されるものも大きくなる。

(ひょっとしてお前、上杉さんから受け継いだのか?)

 そう心中で問いかけても、すぐに答えが返ってくる。

 直史はそういう、センチメントな人間ではない。

 極めて散文的な現実主義者。

 いや、そう考えることすら、直史にとっては都合のいいことなのか。


 ツーアウトまでをあっさりと取った直史。

 甲子園球場は、奇跡の出現を待っている。

 途中で神宮を挟んでいるが、それがなければ直史はこれで、甲子園で二試合連続でパーフェクトをすることになる。

(どこまで無茶をしてくる?)

 直史はなんだかんだ言いながら、倒れるまでは平然と投げ続けてしまう人間だ。

 それはチームも分かっているだろうに。


 ラストバッターはファーストフライ。

 これをキャッチしてスリーアウト。

 大介の視線の先で、一気に直史から力が抜けていくのが見えた。

(本当にぎりぎりでやってるのか)

 立ち上がった大介だが、直史と視線が合う。

 その指先がこちらに向けられた。

(どうにかしないと、もうどうにもならないぞ)

 直史が投げられるのは、あと何試合だろう。

 六連戦なのだから、常識的に考えれば、あと一試合がやっとだろう。

 しかし、それはあまりにも常識的すぎる。

 直史は変な盤外パフォーマンスなど必要としない、試合の中でのみ語る人間である。




 実質的な四試合連続パーフェクト。

 さすがの直史も、ここまで無茶なことをしたことはない。

 だが本当の無茶というのは、もっと命に関わることだ。

(大介がどうにかしてこないなら、これで勝てる)

 球数85球、奪三振10。

 それなりに打たせて取って勝てたのは、かなり運がいいということだ。

 

 一試合を最後まで完投して、投げたのは85球。

 これを首脳陣はどう捉えるか。

 ただ投げた直史は、かなり削られているのを感じている。

 明日、他のピッチャーで勝てるのならばそれが一番いい。

 負けたなら、中一日で投げてみる。

 ただそこまでやっても、アドバンテージの分がある。


 ピッチャーのリソースをどう使っていくか。

 直史に分かるのは、自分ならばどうであるかということだけだ。

 他のピッチャーの運用は、確かに首脳陣の判断である。

 少なくとも明日の先発は三島と決まっている。

 ライガースも津傘が投げてくる。

 この時点では直史も、まだ連投などは考えていない。

 勝ってくれたなら、中二日で投げてもいいのだ。


 肩や肘に問題はなく、肉体全体が平均して疲労している。

 酸素カプセルでも使って、少しでも疲労を回復させたい。

 あとは消耗したであろう、蛋白質や脂質といったあたりも重要か。

(思考力が一気に落ちてきたな)

 甲子園から去るレックスのバスに、罵声や野次が飛ぶことはなかった。




 マッサージを受けながら、直史は考える。

 今日の試合の反省点を。

 いや、今日の試合については、もうあれで仕方がないのだ。

 重要なのはこれから先のことである。

(パーフェクトで終わったのはあくまで、結果であって目的ではない)

 目的は少しでも疲労を残さないこと。

 そしてライガースの心を折ることだ。


 疲労に関しては、それほど深刻なものではないと思う。

 ただ今はもう、肉体全体が削れていっている。

 筋肉や骨だけではなく、おそらく脳までもが。

 血液全体が栄養不足とエネルギー不足といったところだろうか。

(明日のうちに栄養剤の点滴は受けておいた方がいいな)

 自分の投げる試合に関しては、直史の責任である。

 しかし他の試合にまでは責任を持てない。


 チームとして勝つためのことを、限界まで直史はやっている。

 だがそれでも自分一人では、日本シリーズに進むことは出来ない。

 別にそれならそれで、構わないとも思うのだが。

(大介はどこまで続けるのかな)

 思えば同時代には、上杉と直史がいて、ついでに武史などもいたし真田もいた。

 だがそれは全てピッチャーである。

 バッターとして大介に並び立つというような選手は、結局現れることがなかった。


 この先に、何が待っているのか。

 ファイナルステージの第一戦を、まだ終了したばかり。

 残り五試合が残っているが、最後まで決着がつかないことがあるのか。

(俺は、明日は完全に休んで……)

 いや、もし最後のイニングに出番が回ってきたらどうだろう。

(オースティンに任せる。俺一人でどうにかなるようなら、それはもう野球の終わりだろ……)

 思考力が順調に落ちていって、意識を失う。

 直史は気絶するように、眠りに落ちていったのであった。




×××



 次話「短い休日」

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