第110話 郷愁の舞台

 酷暑と言われるようになってから、もう随分と時代は過ぎたと思う。

 それでもまだ、野球の季節は夏である。

 甲子園が酷暑の中で行われるのは、ぶっちゃけテレビ局や新聞の都合であるのだが、そこに価値がないのかというとそれも違う。

 幼少期からの憧れというのは、もはや洗脳に近い。

 だがどうせ人間など、生まれてすぐの時点から、洗脳されて生きていくのだ。

 ならば美しいものを見た方がいいだろう。

(野球が美しい、か)

 イリヤが言っていたな、と思い出す。


 もっと美しいものを見たかったであろう。

 生きていたら39歳。

 ジョン・レノンと同じ年齢まで生きていたら、この試合を見ることは出来た。

 もっとも今の直史のピッチングが、まだ彼女の鑑賞に耐えるものかどうかは、あまり確信を持てなかったが。

 ただ彼女の音楽は、いまだに聴かれ続けている。

 生涯で作曲したのは、完成したものはおよそ2000曲。

 だが曲の断片を集めれば、その10倍ほどのとなっている。


 音楽もスポーツも、共通したものはある。

 それは同時代性と、後世に残るパフォーマンスだ。

 直史が投げているこの姿は、今も多くの人間に影響を与えているのだろう。

 大介のホームランに、病気の子供が勇気を与えられたように。

 イリヤの音楽が、多くの人々を救っているように。


 イリヤにもまた、皮肉な部分があった。

 彼女は自分が60年代や70年代を経験しなかったことを、とても幸運と感じていた。

 音楽で世界が平和になる、という幻想に浸からずに済んだこと。

 ただ彼女の音楽は、少なくない数の人間を洗脳することには成功したが。

 おかしな話である。

 そもそも彼女の作った音楽は、自分がもう歌えなくなってからのものの方が圧倒的に多い。




 自分と大介の対決は、今、この時、多くの人間に見られている。

 ここからどういうルートを行くにしろ、もう直史や大介に憧れて、プロにまでなった人間が多く出てきているのだ。

 この感動の系譜を、つないでいかなければいけない。上杉はそう言っていた。

 同時に直史自身がどう思おうと、それは自由なのだと。

 そもそもプロの世界など、何か強烈な目的がなければ、とても続けてはいられない。

 賢さだけを言うなら、直史の方がよほど賢い。これは小賢しさとほぼ同義だが。


 直史には、上杉はこの野球の道の継承など、全く期待していなかった。

 野球をそれほど愛してもいないのに、直史はこんな舞台に立ってしまっている。

 それは祝福であり、同時に呪いでもある。

 大介と対峙していると、それが良く分かる。

(どこに投げても打たれる感覚、か)

 今日の大介には、そんな気配がある。

 もちろんその中のどこかに、打ち取れる場所がある。


 直史にはそこが見えた。

 迫水に対するサインは、単純にたった一つ。

 そして足を上げて、体重を平行移動していく。

 最初の一球目だけは、確実に通用する。

 ど真ん中へのストレート。

 リリースされたボールを、大介は瞬間的に見極める。

 だが始動しかけたバットは、その直前で止まった。


 ボールは高めのゾーンに入った。

 当然ながらストライクだが、大介は自分の見極めとの差を考える。

(思ったよりもずっと高めだったんだな)

 浮いた高めの球ではなく、狙ってそこに投げ込んでいた。

(空振りか、いや、フライを打たせたかったのかな)

 ストライクを取ったのに、直史は完全に無表情である。

(俺が追いかけるわけないだろ)

 そう思われていたのなら心外である。




 初球から大介にゾーン内のストレートを投げる。

 なかなか攻めたピッチングだと、投げたピッチャーと投げられたバッター以外は思っただろう。

 一番打ちやすいところのすぐ近くにある、そこだけは打ってはいけないコース。

 大介はそれが分かったから、振らなかったのだ。

 ツーストライクであれば、カットしていったろうが。

 一球目は当てることも無理だ。


 その日の初球でしか使えないボール。

 それを間違いなく選んでくるのが、やはり直史らしい。

 最適を選ぶときもあれば、最悪すぎて逆転する選択を選ぶこともある。

 最悪の逆転というのは、つまり最高である。

 直史のピッチング、正確には直史の野球というのは、とても面白いものなのだ。

 野球というスポーツの中で、ピッチングという技術の中で、どれだけのものが作れるのか。

 それを直史は確かめにいっているような気がする。


 新しい世界を、新しいピッチャーたちのために、作り出していっている気がする。

 そもそも誰も進めていなかった道を、直史は進んでいるのだ。

 それは大介も同じだが、大介はただ真っ直ぐに進んでいるだけ。

 それに対して直史は、ぐるぐると迷いながらも、地図を作っている感じか。


 誰かが必要になるもの。

 もしかしたら、誰も必要とはしないのかもしれない。

 だから誰かのために作っているわけではないのだろう。

 ただひたすら歩き続ける。

 その歩き続けた記録が、やがては地図となって残るのだ。

 誰のための、なんのための地図かは分からないし、それが分かる者が二度と現れなかったとしても。




 初球から無茶なストレートを投げてきた。

 よくもまあ、見逃してくれたものだと、迫水は常識的な感想を抱く。

 バックネット裏の座席からは、ボールの軌道やビジョンが見えたのか、打てよという罵声が飛んでくる。

 だがこれはそんな単純な話ではない。

 直史のストレートは落ちない。

 ホップするように見えて、テレビなどでは高めと見えても、バッターボックスではほぼど真ん中となるのだ。


 スピン量ではない。もちろん平均よりは高いが、そしてスピン軸は普通に真っ直ぐだ。

 リリースのポイントが絶対的に違う。

 低いところから高いところへ、しっかりと投げていくのだ。

 MLB時代に手に入れた、高めへのストレート。

 これがほぼ完成に至ったのは、あの引退試合であった。

 打たれても仕方がないかな、と思って投げたストレートが全く打たれない。

 ストレートの奥深さを知ったものだ。


 ストレートで勝負する。

 ほとんどのピッチャーにとっては、基本である。

 直史はその基本から、外れたところから始まってしまった。

 打たれないための変化球。打たれても飛ばない変化球。

 魔球まで身につけてしまったから、長く必要としなかった。

 本物のストレートと、その先にあるもの。

 それがあって初めて、他の変化球もさらに極まる。


 二球目に投げたのも、ストレートに見えた。

 だがアウトローで、わずかに外に外れる。

 ツーシームを簡単に大介は見送ってくる。

 そして審判も、ちゃんとボールと見極めている。

 もっともこのコース、他のバッターが見送っていたら、ストライクとコールしたかもしれない。

(対等の条件だな)

 今の球は、樋口だったらストライクにしていたであろう。

 下手だとは言わないが、キャッチャーの性能が昔とは違いすぎる。


 


 真ん中高めと、アウトロー。

 鉄板のパターンであれば、次はインハイに投げてきてもおかしくはない。 

 直史がそんな鉄板のパターンを使うだろうか。

 使わないと思っていたら、使ってくるのが直史だ。

(それで、結局はどうするんだ?)

 ここでサインは、直史から出ているはずである。

 さすがにすぐに見極めることは出来ないし、それをするのも興醒めである。


 どんな球を投げてくるのか、大介は楽しみにしている。

 そんな大介に対して、直史をストレートを投げる。

 コースはインハイ、予想の範囲内である。

 だがゾーンからは外れている。

 高めを攻めてきているので、スタンドからはブーイングや野次が飛んだりする。

 直史が当てるようなピッチングをするはずがないし、大介であれば避けられると分かっているのだ。


 大介は一度バッターボックスを外すと、野次の飛ぶスタンドに向かって、掌を向けた。

 勝負の邪魔であると、大介の明確な意思である。

 そして実際にブーイングは止まった。

 応援のための演奏ならばいい。

 だが直史との対決のために、雑音はいらないのだ。

 雑音で集中力が途切れるわけではないが、審判やキャッチャーへの影響があってほしくはない。


 バッターボックスに戻った大介からは、直史の表情が見える。

 冷たい無表情の中に、低音の炎が瞳を輝かせている。

 審判やキャッチャーの上手下手で、この勝負が決まってはいけない。

 大介はふと考える。

(ナオがボール先行は珍しいな)

 というか、今年は一度か二度、そのぐらいしかないのではないか。

 普通ならボール球から入るということも考える。

 だが直史のボール球であると、普通は振ってしまうのだ。

 なんとも不可解なピッチャーである。




 ボール先行になったのは直史も意識している。

 インハイストレート、ほんのわずかに高くなりすぎた。

 どうもコントロール出来ていないのではないか。

 大介相手にそれであると、つまり致命的だと言える。

(ここはカーブなんだろうけど)

 その組み立てでは当たり前すぎる。

 シンカーでは振らないだろうし、スライダーは簡単に打ってくる。

 スルーを使うべきかとも思うが、直感的にそれではいけないと分かる。


 なるほど、と了解した。

 投げるボールは、あそこにこの球種を。

 迫水にはインローとまでしか指定しない。

 どんなインローであっても、それぐらいはキャッチしてもらおう。

 それに直史の予想が正しければ、キャッチングの必要はない。

 大介なら確実に打ってくる。

 だがファールになって、ストライクカウントが増える。


 投げるのはインローへのカットボール。

 よりストレートに近い、スルーの投げそこないのようなカットボール。

 しかしかつてと違い、今回はちゃんと狙ってそれを投げる。

(お前なら打てるよな)

 膝元への、コントロールされたカットボール。

 大介は狙い通りにスイングし、ボールはライト方向へ高く飛んでいく。

 だが完全にポールの向こう側、大きなファールボールである。


 打たされたボールだ。

 大介は確実に分かっていたのだろう。打った瞬間に打球の方向から目を切っていた。

 直史としては思ったよりもポール近くを通過したため、少しだけ冷や汗をかいたのだが。

 ともあれこれで、カウントは平行カウント。

 何を投げるのかは、またピッチャーに委ねられる。

 



 直史は四球投げた。

 その中で大介が振ったのは、わずかに外れているが、それでも充分に打てるインローのボールだけ。

 初球のストレートは、あえて見逃したものであろう。

 見逃した理由も直史は分かっている。

 打てないと、打ってもフライになると、瞬時に判断したのだ。

 直史もそれが分かっていて、初球にあれを投げたのだが。


 カウントが進んで、あと一つのストライクでアウトに出来る。

 ボール球を振らせることも、一応は考えておくべきか。

(外から入ってくるスライダーは、大介のバットなら届くんだろうな)

 投げられるボールは、緩急を使ったものに限られるか。

 スローカーブかスルーチェンジであれば、少なくともホームランにはならないか。

(この程度の読みじゃ駄目だな)

 もっと深く潜って、そこから一気に飛び上がる。


 直史のサインに、迫水は少なからず驚いた。

 シーズン中の直史は、このカウントからはそんなボールは投げなかったはずだ。

 だが直史はそれを必要とした。

 内角へのストレート。

 ボールを内側に外したボールを、投げてきたのだ。


 大介にとっては意外であった。

 避けずにそのまま当たれば、デッドボールで一塁に行ける。

 だが大介は回避しながら、スイングしそうになるバットも止めた。

 フルカウントになった。

 一人のバッターに、ここまで球数を使う。

 本当にこれは、シーズンでも見てこなかったものだ。

(そうか、ポストシーズンの白石選手は、OPSが一気に上がる)

 迫水としてはそのあたりの情報が、やっと実感として伝わってきた。




 フルカウントになってしまえば、少しバッターが有利。

 統計ではそうなっていたと思う。

 だがここは、そういう統計が役に立つ状況ではない。

 直史はこの打席だけに、完全に集中している。

 だからあえて、統計では不利なこともしてみないといけない。

 常識的に考えていては、大介を抑えることなど出来ない。

 そもそも自分も、あまり常識的なピッチングはしていない。


 迫水の気配が変わったのも伝わってきた。

 フルカウントまで追い込んで、ようやく投げられる球というのはあるのだ。

 直史の意図に、迫水はやっとついていく。

 そこに本当に投げていいのかとは思ったが、だからこそそこに投げるべきなのだろうと。

(まだ先頭バッターなのに)

 このままでは直史が消耗する。

 それが分かっていても迫水に出来るのは、フレーミングを意識するぐらいか。


 六球目、直史のボールはアウトロー。

 だがボール一個は外れている。

 少し中に変化してきたら、ストライクに出来る。

 しかし大介は、そのボール球を振ってきたのだ。

 打球は三塁方向、明らかにファールと分かるボールが、フェンスに当たっている。


 ボール球なのに大介が振ってきた。

 カットの変化があると思ったのか、それとも単純にコースを厳しく取ったのかは分からない。

 MLBではゾーンがボール一つ広いから、その時のクセなのかと思わないでもない。

 だが単純に大介は、あのコースなら打てるのだ。

 なので直史が投げる球を消していくために、あえてボール球を振ってきた。

 そして直史も、フルカウントからなのに、ボール球を大介が振ることを確信していた。

(どういう駆け引きなんだ?)

 駆け引きと言うよりは、もっと複雑な心理戦を感じるが。




 フルカウントから、ボール球を打たせることに成功した。

 下手に歩くよりも、自分の打撃に期待した方が、一点の得点期待値は高い。

 そう考えたからこそ、カットしていったのだ。

(外のボールを打たせることには成功したが)

 次に投げるのは、内角のボールである。

 内角であっても、速球ではなくカーブなどを投げてもいい。

 スローカーブはこの状況でならば、充分に通用するはずのボールだ。


 直史の頭の中のシミュレーションでは、大介の次のスイングと、打球がほぼ再現される。

(カーブ……じゃないな)

 それではまだ足りない。

 コースだけなら、まだカットされてしまう。カーブの変化でも同じことだ。

 必要なものは、これである。

 直史がそう判断し、投げたボール。

 それをストレートだと、大介は瞬間的に判断した。

 ムービング系であろうと、パワーで最低でもファールにしてしまう。


 だがスイングが始動してから気づく。

(違う!)

 ストレートではないし、スルーやスルーチェンジでもない。

 ただのチェンジアップだ。

 落差が大きく、スルーチェンジと違いカットすることすら出来ない。

 スイングしたバットの下を通り抜け、バウンドしたボールを迫水は前に落とす。

 ボールを、体勢を崩した大介にタッチして、空振り三振アウト。

 一打席目は、球種を広く使った直史の勝利である。


 ただのチェンジアップなど、直史がどれだけ使ったか。

 大介の知る限りでは、スルーチェンジよりも肘への負担が軽い。

 だから全く使えないボールというわけではないのだが、大介のバッティングは直史のピッチングの幅を狭めることに失敗していたというわけだ。

(まだだ。あと……三回はチャンスを作る)

 ここでパーフェクトなど、許してはいけない。




 七球使った。

 大介相手にこれでアウトが取れたなら、充分な方である。

 しかしそれでも直史としては、球数以上の疲労を感じていた。

(四回抑えるのは辛いな)

 だが一人でも出てしまえば、四打席目が回ってくる。

 味方の援護が大量で、途中で代わることすら出来るようになれば、それはそれでありがたいことだ。

 しかしそれはあまりに都合のいい考えだろう。

 とにかく出来るのは、0に抑え続けること。

 それがエースの役割である。


 直史があそこまで慎重に投げたのは、初めてであるとチームメイトもベンチも見た。

 あのパーフェクトを連続で達成した時も、ここまでではなかっただろう。

 伝説に残る対決が、現在進行形で目の前で行われている。

 それを実感すると、体に震えがくる。

 まだまだここから、直史は投げていく。

 おそらくあと三回、大介との対決はあるのだ。

(どうにかあと二点取れば、リリーフを出せるか?)

 ブルペンでは豊田が、まだ全くリリーフの準備はさせていない。

 直史ならば少なくとも、六回まではリリーフの出番は必要ないのだ。

(けれど球数が……)

 大介以外のバッターをどう抑えるか。

 それが重要なことになるだろう。


 ライガースは強打のチーム。

 それは間違っておらず、チームのホームラン数では、リーグでナンバーワンである。

 ホームランの出にくい甲子園をホームにしながら、そんな結果を出している。

 ただ得点効率という点では、大味なところがある。

 そしてその大味さが、ピッチングや守備にまで伝わってしまっている。

 そこが付け込む隙だ、と思えるのだが。




 この回、直史は結局11球を投げた。

 ライガースの大介に続くバッターが、早めに内野ゴロで倒れてくれたおかげだ。

 おかげで今のところは、100球以内に試合が終わるペースになっている。

 逆に言うと大介には、かなり粘られすぎてしまったと言えなくもない。

(追加点が必要になるな)

 二回の表、ワンナウトから迫水の打席が回ってくる。

 直史はベンチで、早くから糖分を補給していた。


 この回か次の回には、直史にも打順が回ってくる。

(申告敬遠ならぬ申告三振とかはないものかな)

 直史の打撃には、何も期待していない迫水である。

 だが直史はそれでいい。直史に今以上のことを期待するのは、野球人として間違っている。

 ただライガースもどうやら、緒方のホームランあたりから、守備の方まで雰囲気は変わったような気がするのだ。


 元々ライガースは、大介がショートを守っているというだけで、かなり守備力も強くなっているのだ。

 そしてここで、ガバガバだった意識が変わってきている。

 それはやはり、このポストシーズンでも、大介が三振していることと関係しているのだろう。

 いや、そもそもレギュラーシーズンのあの、連続パーフェクト。

 あそこから意識改革がなされたとしても、全くおかしなことではない。


 レギュラーシーズンを通じてやっていた野球を、すぐに変えることが出来るのか。

 プロ一年目の迫水には、それは分からない。 

 だがファーストステージのスターズとの試合は、とりあえず参考にならなかった。

 あれはもう、直史と上杉の対決であったのだ。

 二試合目はもう消化試合。

 その意味ではここからがやっと、まともなポストシーズンの試合になるのか。

 しかしそれも、直史と大介の対決が、いきなり成立してしまっているが。




 迫水は粘ったが、最終的には外野フライで凡退。

 ただこの短期決戦のポストシーズンなら、ピッチャーを削るのは意味があると思っているが。

(そういえば、ライガースはこの試合、捨ててなかったんだな)

 直史が第一戦に投げることは、予想していたはずだ。

 ならばここを捨てて、他の試合を確実に取りにいく。

 アドバンテージがあるライガースなら、それが出来たであろうに。


 そのあたりが、ライガースの隙なのであろうか。

 勝つためには、確率を少しでも高めようという執念。

 だが下手なことをしてしまえば、勢いを失ってしまうというのも分かる。

 一番に大介を持ってきたのは、レギュラーシーズンではなく、このポストシーズンのためのテストであったのかもしれない。

(色々と考えるようになったなあ)

 迫水はそう思う。


 直史はそれほど饒舌な人間ではない。

 だが思考は高速で回転しているらしく、さすがは文化系の人間と思ったものだ。

 この一年でも、多くの質問をしては、学んでくることがあった。

 迫水はおそらく、この一年で過去数年分の成長をしている。

 質問をすれば、おおよそ返答は理論的なものだ。

 だが精神論がないわけではない。

 精神論を無視してしまえば、相手のことを理解できなくなるからだ。


 直史の精神論は、つまり心理学だ。

 自分の精神を、無神経に信じるというものではない。

 相手の精神状態を見極めるのが、直史の精神論。

 あくまでも自分自身は冷徹であるということ。

 そうでなければ相手の考えていることなど読めないが、単純に冷静であればいいだけではない。

 人間というのは常に、最適解を選択するものではないのだから。




 直史の精神状態は、ほとんどの場合がフラットである。

 そして必要な時だけ、パワーを出すための闘志を湧き上がらせる。

 迫水が理解している直史とは、そういう人間である。 

 とにかく驚嘆すべきは、不調なピッチングというものがない。

 本人からしてみれば、おそらくはあるのだろうが。

 たとえばホームランを打たれた試合など。


 この二回の裏も、普段通りのピッチングに近い。

 ストライク先行であるが、単純にアウトローなどを狙うわけではない。

 スローカーブをしっかりと使っているところは、やはり普段どおりであるのか。

(ストレートを使わないのか)

 正確には、カットボールだけは使っている。

 だがあとはカーブとチェンジアップ、そしてシンカーを使っている。

(ジャイロボールもなしか)

 それなのに、打ち取れてしまう。

(白石との対決から、上手く力を抜いたのか)

 それは恐ろしく器用なことである。


 内野ゴロを二つに、内野フライを一つ。

 まるで自軍の守備陣に、練習をさせるような打球を打たせている。

 セカンド、ショート、サードといったところである。

(偶然だよな?)

 そう思うのだが、偶然ではなくてもおかしくはない。

 三人に対して、使った球数は九球。

 全てを三球三振で抑えたのと、同じ球数である。

(抜いた変化球で上手く打たせたのか)

 球数はともかく、負荷はかけないように、という投げ方だ。


 三回の表には、直史の打順が巡ってくる。

 しかしここでは完全に、立っているだけという姿勢。

 それでも畑は投げにくそうで、ボール球を投げてしまっていたが。

(ピッチャーっていうのは繊細なもんだからなあ)

 迫水はそう思う。直史でさえも繊細だ。

 ただ直史は、その繊細さを頑健なもので、完全に守っているのだろうとも思っているが。




 三回の裏となる。

 ライガースは下位打線からの打順である。

 ここで直史がどういうピッチングをするのか。

 迫水はもう、その配球を予想してわくわくしてしまう。

(中軸相手には遅い球を使っていたけど)

 ここでは七番バッター相手に、ストレートから入った。

 そしてそのストレートで、初球から内野フライを打たせる。

 待球策など許さないぞ、と言わんばかりの配球である。


 迫水はキャッチャーなので、直史の無茶な考えを、首脳陣から知らされている。

 中一日で投げていくという、正気ではないピッチングの間隔。

 もちろん直史の伝説の一つに、日本シリーズを一人で四勝したというのは知っている。

 だがしかしファイナルステージで四勝することは、日本シリーズで四勝するよりも、ずっと難しい。

 単純に試合間隔の問題である。

(球数もそうだけど、体力も精神力も、節約できるところでは節約しないといけないのか)

 その分を頭脳で補っている、とでも言えばいいのだろうか。

 確かにその投げている配球には、パターンというものが見られない。

 見られたと思ったら、次の瞬間にはそれを変えているのだ。


 八番バッターに対しては、また変化球から入る。

 そしてそれをファールに打たせて、カウントを稼ぐ。

 抜いたボールを投げて、それでもストライクカウントを増やすのだ。

 このあたりの、自信を持って抜いた球を投げるというのが、迫水にはよく分からない。

 ただそれでツーストライクにまで追い込んで、そこからストレートを投げるのだ。

 空振り三振で、これでツーアウト。

 そしてラストバッターのピッチャーがバッターボックスに立つ。




 ピッチャーに対して、どういうピッチングをしていくか。

 それはそのピッチャーが、どういうスタンスの人間かによる。

 直史などの場合、完全にバッティングを放棄してから、かなりの時間が経過している。

 ただほとんどのピッチャーは、日本の場合一番、そのチームで身体能力が優れた者が高校から大学まではやっているのだ。

 これがMLBであったりすると、高校や大学から、内野や外野からピッチャーへ転向というパターンもそれなりに多いのだが。


 四番でピッチャーというのは、それなりの強豪のチームでも高校なら珍しくはない。

 四番を打っていて二番手ピッチャーというのは、それこそいくらでもいただろう。

 だが高校のレベルでも、選手層が厚ければ、もうピッチャーに専念させるのが当然となってきている。

 ピッチャーの負担が大きすぎるというのは、昔よりも夏の気温が上がっている現在では、確かに言えるのだろう。

 肩や肘は消耗品という考えだ。


 直史は純粋に、バッティングに比重をかけていない。

 打つための努力をしないのではなく、怪我をしないための優先順位を間違えないといったところか。

 とりあえず自分が投げていれば、チームが負けることはない。

 実際に0で封じている間は、投げることに全力を注ぐ。

 それこそフォアボールを選んで塁に出ても、それだけでもある程度の体力は消耗するのだ。


 重要なのは試合に勝つこと。

 直史はその点、全くぶれることがない。

 ここで畑相手には、アウトローのストレートから続いて、スローカーブもゾーンに投げる。

 落差があるので、見逃せばボールにカウントされるのでは、と思ったりもするのだ。

 だがストライクとカウントされて、最後にはストレート。

 まず最初の一巡を、パーフェクトで封じた。



×××



 次話「解放」

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