第109話 甲子園決戦

 決戦が甲子園となった。

 かつての大介との対決では、神宮で行われた。

 翌年には大介がMLBに移籍していたため、これが初めてのポストシーズンでの甲子園決戦である。

 酒なども飲まず、ゆったりと風呂に入ってから就寝した直史である。

 その朝も、普段どおりに起床した。


 ここで終わってもいい。

 勝ち上がれば日本シリーズで、するとまた神宮でもプレイする。

 しかしやはり終わるなら、ここでもいいのだ。

(感傷的になってるな)

 考えてみれば甲子園は、ピッチャー有利の球場だ。

 そうは言っても大介の打球は、あまり関係なくスタンドまで飛んでいくが。

 ホテルの朝食の量から、もう直史は調整に入っている。

 肉体に悪い部分は何も感じられない。

 もっとも本気で、そういった部分を無視してまで、脳が投げようとしているのかもしれないが。


 自分で自分のことがコントロール出来ない。

 正確にはリミッターが外れたままだ。

 この三日間、キャッチボールより負荷のかかるピッチングをしていない。

 ただ痛みや違和感などは感じていない。

 いつ壊れるか分からない、とは思っている。

 しかし壊れるほどの無理は、やろうとしてもそうそう出来ない。


 このリミッターを外す感覚は、誰かに伝えるべきであろうか。

 だが完全に会得するまでに、故障する者は続出するだろう。

 それに甲子園などの大舞台では、普通にこういったことは起こる。

 自分の本来の限界より、大きな力を出してしまうこと。

 人間の肉体は限界よりもだいぶ手前で、その力が出ないようにしているのだが。

(誰かに伝えるようなものでもないか)

 そう自分で納得し、この境地は伝えないことにした。

 やがてまたどこかの誰かが、この力を使って投げることはあるだろう。




 チェックアウトまでのわずかな時間で、もう一度柔軟体操などをしておく。

 右腕の調子は何もおかしなことはない。

 いつ壊れてもいいと、最近は思っていた。

 だが実際に壊れた、上杉を見てしまった。

 もう彼のピッチングが見られない。

 それが悲しいことだとは、やはり感じている事実なのだ。

 今日からのライガースとの試合。

 直史が投げても、他の試合で負ければ敗退する。

 これがWBCであれば、球数制限までは一人で投げられるのだが。


 結局球数制限がある以上、結局は一人で投げきることは難しい。

 やはり少しでも公平に近くするなら、日本シリーズで投げるべきなのだろう。

 あの一年目にやった、一人で四勝という昭和的なピッチング。

 ファイナルステージでやるのは、日本シリーズでやるよりも難しい。

(第一戦から中一日で投げて第五戦まで、それで最後に連投か)

 六日間で四試合に投げる。

 もちろん大量リードでもつけることが出来たら、リリーフ陣に頼ることが出来る。

 また他の先発で勝っても、そこで休むことが出来る。


 直史は別に、燃え尽きなければいけない、とまでは思っていない。

 ただ全力を尽くすなら、勝利のために全てを捧げるなら、燃え尽きてしまうかもしれないとは思っている。

 ファイナルステージまで勝てば、第六戦までかかったとしても、日本シリーズ第四戦までに中四日ある。

 それだけの時間があれば、充分に回復すると思う。


 ただこの覚悟を、首脳陣はどう思うだろうか。

 今年の直史を見て、どう思うのだろうか。

 壊してもいいとは思わないだろうし、壊すような覚悟もないだろう。

 プロであっても、壊れて当然などという使い方は、今ではもうされないものだ。

 本来ならそれは、正しいことなのだが。




 クラブハウスで首脳陣の集まっている中、直史は一人で訪れる。

 そして率直に告げる。

「もし二戦目、三島が負けたら三戦目に投げさせてほしい」

「いや、それは……」

 直史はプレイ以外では、あまり自己主張は激しくないはずだった。

 しかしその提案は、つまり中一日で投げるということだ。


 常識的に考えて、第一戦で投げたなら、中三日はほしい。

 それでも前に中三日であるのだから、負担が大きすぎる。

 確かに以前の直史は、無茶な日程をこなしたことがある。

 だがそれは20代半ばの、最も肉体的には充実している時だ。

 アドバンテージがあれば、と今さらながら首脳陣は思う。


 それに彼らが考えているのは、純粋な直史に対する心配ではない。

 もしも直史までが壊れてしまえば、どのような声が上がるか、という己の保身である。

 上杉が壊れたことは、明言はされていないが、ほぼ把握されている。

 その責任を取って、おそらく首脳陣は辞任するだろう。

 新しいチーム作りは、一から始まる。


 直史を壊してしまったら、レックスもそれと同じようになると思っている。

 いや、自ら壊れてでも投げる上杉と違い、直史の場合はより、その責任が首脳陣に向けられるだろう。

 今後はコーチや監督といった声が、かからなくなってしまうかもしれない。

 冗談ではなく、そんな認識をしているのだ。

「ライガースは三勝すれば勝ち抜きになってしまう。つまり二勝した時点でリーチがかかるから、そこから覆すのは難しい」

 直史はごく、当たり前のことを言っているつもりだった。




 直史の主張は自己中心的なもの、とは言えない。

 だがチームメイトに対する信頼は全く感じられないものではあった。

 ただこの第一戦は、確実に勝つつもりなのだろう。

 ちょっと理解しがたい非常識な思考であるが、それでも本気で言っているのは分かる。

 それに疲労した直史と、他のピッチャーを比べた場合、それでも直史の方が勝率は高そうだと思えてしまうのだ。


 果たして選手の故障を覚悟してまで、プレイさせることは正解であるのだろうか。

 首脳陣の現役の頃でさえ、さすがにそれはもう無茶だろう、というのが主流であった。

 ファンは選手が美しく散ることよりも、ずっと長くプレイしてくれることを望む。

 それこそ上杉ほどやりきったなら、それもありなのだろうが。

 ただ直史も今年で40歳で、普通なら散り様を考えるのかもしれない。

 日本シリーズの方が、むしろ日程的には楽。

 直史にとっては、という枕詞が必要かもしれないが。


 直史は勝つために、当然の提案をしている。

 ライガースに二勝される前に、レックスが二勝する。

 それでもアドバンテージを考えれば、まだライガースが有利ではあるのだ。

「第二戦を落とし、第三戦に勝ったとする。そして第四戦に負けたとしたら、第五戦に投げるつもりか?」

「もしその展開になるなら」

 ありえない。


 中一日を二連続で投げる。

「そこまでやって第六戦にまで続いたら、連投するつもりか?」

「必要なことは全部する」

 直史の言葉に、首脳陣は絶句する。

 それは元はチームメイトであった豊田でさえ同じことであった。

「なあ、お前さ、上杉さんを意識しすぎてないか? いや、上杉さんでさえそんな無茶はしなかった……と思うぞ?」

 無茶な日程でクローザーをやっていたことはあったはずだが。

「全ては勝つためだ」

 直史の目的はぶれていない。




 直史という人間の精神性は異常である。

 もちろん能力やパフォーマンスに成績と、異常なところばかりが目立つ。

 ただ思考は論理的であると思っていた。いや、今の段階でも、論理的ではあるのだ。

 その論理が普通のものではないだけであって。

 確かに勝つためには、無茶もしなければいけないだろう。

 だがそれにしても、中一日を続けた後に連投?


 豊田はリリーフ陣であったので、あまり直史の先発としての思考は知らなかった。

 だがこんなことを堂々と言えるというのは、あまりにもおかしすぎる。

 自信だとか、傲慢だとか、過信だとかは感じない。

 純粋に自分の実力を基準に、勝利のための最善手を考えている。

 ただそこに、自分の肉体の限界をいうのは含まれているのか。


 直史一人と、首脳陣。

 数以外にも圧倒的な差があるはずだが、質の話をすれば直史が圧倒する。

 それを豊田も感じていた。

「こうしたらどうでしょう」

 それはある程度、直史寄りの立場になったものだ。

「まずは第一戦、このピッチング内容を見ましょう。そこで負担があまりかからないようであったら、第三戦を考慮に入れる」

 首脳陣の中では、特に若い豊田。

 しかし今年のリリーフ陣の働きは、彼のブルペン管理の貢献が大きい。


 そのあたりが落としどころか。

 それに直史も、パーフェクトを連続してその後にノーヒットノーラン。

 実質的にはパーフェクトを三連続で達成しているので、相当の疲労がたまっていてもおかしくないのだ。

 ここで自らのピッチングで、現在のコンディションを証明出来なければ、確かに首脳陣も使うわけにはいかない。

 豊田は直史を見て、能面のような顔で頷くのを確認した。

「それならば」

 首脳陣の中からは、ため息が洩れた。




 直史が少ない球数で完封すれば、中一日で使うのも仕方がないか。

 それがレックス首脳陣の意見であった。

 ただ直史が退室した後には、どうしても確認しておきたかった。

「佐藤は甲子園でもあんな感じだったのか?」

 そう問われた豊田であるが、むしろ逆である。

「あの決勝の再試合の印象が強いでしょうけど、実際は岩崎とかタケと登板機会は分け合ってましたね。他にも中村アレックスも投げてましたし」

「そういえばそうだったよな……」

 春夏連覇に、準優勝やベスト8進出などをしていたが、直史が甲子園で投げた試合は意外なほど少ない。


 甲子園デビューで、ノーヒットノーランを達成した鮮烈さは忘れていない。

 ただ二年の夏などは、他のピッチャーに多くの試合を譲っていたはずだ。

 そもそも背番号1をつけたのは、最後の夏だけではなかったか。

 もっとも大阪光陰戦においては、豊田も二度の強烈な敗北を経験している。

 あんな試合はあれから、もう一度も発生していない。


 MLB移籍後も、直史の成績はある程度追っていた。

 それ以前のたった二年のNPBでも、強烈な印象を残していった直史であるが、MLBの過酷な環境でこそ、その節制の姿勢は役に立ったと言えるのだろうか。

 中五日で投げても、球数が100球に至ってなければ大丈夫。

 それが直史というピッチャーであった。

 単純に球数を節約するのではなく、抜いたボールでしっかりとカウントを取る。

 悪魔のようなピッチャーだ。




 直史を限界まで使うとする。

 それでもさすがに、誰か一人は勝ってもらわないといけない。

 ライガース戦というか、大介との対戦を考えれば、中二日、中一日の三戦先発が限界であると思うのだ。

 連投をした結果は、たった一度の、しかし致命的な敗北につながっている。

 今さら言っても仕方がないが、最終戦で勝てていれば。

 そうしたらアドバンテージを持って、比較的余裕のある投手運用が出来たはずだ。


 まだこの先、勝ったとしても日本シリーズが待っている。

 パのファイナルステージは、福岡と北海道の対決となっている。

 どちらが勝つかというのは、もちろんまだ分かっていない。

 ただ選手層の厚さを考えるな、福岡有利とは確かに言えるだろう。

 アドバンテージがあるということも、やはり大きいのだ。


 豊田は一人になったところで、直史に声をかける。

「本気であんな無茶なローテを回せるのか?」

「やってみないと分からないが、やらなければ負けるなら、やるしかないだろ」

「上杉さんの真似か?」

 そう豊田は言うが、上杉の球数や投球間隔は、それほど無茶というものでもなかった。少なくとも直史に比べれば。


 重要なのはレックスの、他のピッチャーで勝つということ。

 そもそもレギュラーシーズンでは、ちゃんと勝っているのだ。

 二勝、他のピッチャーで勝つならば、直史は第一戦と第六戦にだけ投げればいい。

 予告先発のクライマックスシリーズの制度を考えても、直前に先発を変更するのは無理ではない。

「俺はもう、今年で燃え尽きてしまってもいいと思ってた」

 直史のピッチングを見ていれば、そうなのかなとは確かに思えてしまう豊田だ。

「ただ上杉さんの終わり方を見てると、ちょっとな」

 他にも色々と、豊田には知らせていないことがあるのだが。

 衰えて引退した豊田には分からない。

 直史は今がほぼ全盛期に見えるのだから。




 グラウンドでの練習時間も終わり、いよいよ試合の開始を待つことになる。

 直史が意識するのは、全身のコントロール。

 呼吸の速度と心臓の拍動。

 神経を流れる電気信号に、バランスを維持する三半規管。

 思考の速度と質も、決戦用に調整されている。

 ただまだ、最終決戦モードにはしていない。

 あれはあまりに脳を酷使しすぎる。

 ゾーンと言われ、ゼロの世界とも言われるあれとは、トランスの直史が名付けている状態は違うと思う。


 どこまでも深く潜っていく感覚。

 同時にどこまでも高く飛んでいく感覚。

 おそらく薬物的なものを、脳内物質として作り出しているのだ。

 これは普通に、危機状態になった肉体が、それを回避するために生み出すものだ。

 限界以上のパワーをリミッターを切ってだしたり、また思考の速度を速くして相手の動きまでも読んでしまう。

 森羅万象を知ることである。


 なんだか必殺技のような感じであるが、結局人間は、何かの極みに達するとしたら、誰もがここに至るのではないか。

 ここにいたる素養が多いものを天才、少ないものを凡人と言うのでは。

 この考えが正しいとすれば、武史などは素質は超一流であるが凡人である。

 超凡人という言葉を作るなら、それは正しいであろう。


 決戦の時間が迫る。

 ただこの決戦は、最大で六試合。

 一度勝ってそれで終わり、というものではないのだ。

 それだけピッチャーも、一人ではなく総動員体制となる。

 本来なら直史も、試合の状況次第では、リリーフにつなげてもいいのだ。

 しかしライガースの得点力を考えると、多少のリードでそうするのは難しい。




 レックスの首脳陣には、決断力が欠けている。

 もちろん結果論で責められることは、どんな場合でもある。

 直史の起用法についても、どちらにしろ結果でしかその判断の正しさは分からない。

 今考えれば、シーズン最終戦に向けて、あと少し勝っていれば、といったところもあるだろう。

 育成型の首脳陣の弊害と言えるだろうか。


 直史がプレイングマネージャーであったらどうだったろうか。

 あまり役に立たないだろうな、とは思う。

 直史に出来るのは、ひたすら相手を完封するピッチング。

 攻撃における代打や代走、そもそもバッティングの指示なども、責任を持って行うことは出来ない。

 樋口だったらある程度、キャッチャーとしてしていたが、攻撃面ではさほどすることなどはなかった。


 出来ないのではなくやらない。さらに正確に言えばやりたくない。

 それが樋口ではあったと思うのだが、今の状況では何も役に立たない。

 自軍の打席にいてくれたら、もちろん心強かっただろう。

 だがそれはもう過去のことである。

 未来は、今から始まるのだ。


 試合開始の時間となる。

 ライガースも今年、18勝5敗と素晴らしい活躍をした畑。

 ただライガースの場合、まず打線の援護が強烈であることを、忘れてはいけない。

 それを込みで言っても、素晴らしいピッチングになったのだが。

 これもまた例年であれば、沢村賞の候補になっていてもおかしくなかった。

 怪物が同時にいると、被害者の会が絶大に大きくなってしまうものだ。

 しかも複数であったので。




 レックス首脳陣も、もちろん考えてはいるのだ。

 直史に六試合中、三試合までは投げてもらう。

 ただ全て先発で投げてもらうにしても、途中でリリーフにつなぐことを前提としている。

 もちろん90球以内で終わってしまったりしたら、それほどの消耗にはならないのかもしれないが。

 直史のいないところで、豊田や迫水に尋ねてみたが、少なくともスターズ戦においての直史は、まだ余裕を持って投げていた。

 それは確かに、抜いて投げる変化球を使うのだから、上杉よりは消耗は少なかっただろう。

 もっとも生来の体質は、上杉の方がずっと頑丈だったのだろうが。


 人間に限らず動物は、弱いからこそ工夫する。

 弱いからこそ臆病で慎重になる。

 弱いからこそ機会を見失わない。

 直史の場合は高校時代などは、特にそうであったろう。

 甲子園は、特に夏は体力を削られるものだ。

 他のピッチャーのおかげで、大阪光陰戦以外は余裕をもって投げられた。


 六連戦の中で、三試合投げるというのは甲子園でも、経験したことのないものだ。

 国際大会はおおよそ球数制限があった。

(今度は日程や疲労を言い訳にはしたくないな)

 大介相手のピッチングは、当然ながら苦しいものになるだろう。

 出来れば大量得点でリードして、リリーフにつなぎたい。

 実は直史も、考えは首脳陣と同じである。


 ライガースはもちろん、ビッグイニングを作って得点することが出来るチームである。

 しかし同時に、レックスは失点してもビッグイニングは滅多に作らせないチームでもあるのだ。

 直史以外のピッチャーでも、点差次第では使っていく。

 直史以外に任せるという、当たり前の勇気を首脳陣には持ってほしい。

 難しいかもしれないが、余裕のある状態でならば、第六戦に投げてもいい。

 そして勝つのだ。




 直史と上杉の対決は、その結末からして伝説的なものになった。

 神話の英雄の多くが、最後には非業の死を遂げていることは、人間にはどこか悲劇を美化する傾向があるのかもしれない。

 大介としては自分の進行方向にあった、巨大な岩山がなくなってしまった気分だ。

 それで楽になったと言うよりは、困難へ挑戦する機会を奪われてしまったような。


 大介のように極端なまでに前向きな人間は、めったにいない。

 敗北することはあっても、次に勝てばいい。

 それは負けることこそが当たり前のバッターだから持てるメンタルなのかもしれない。

 ピッチャーは、自分が点を取られたら負け。

 もちろん実際は、失点の全てがピッチャーの責任のはずはない。

 だがバッターは、主砲であっても必ず自分が点を取る必要はない。

 期待はされうが義務ではないのだ。


 大介は何度も負けても、そこから立ち上がってきた。

 たとえ負けても再び立ち上がったなら、それは敗北ではない。

 経験の蓄積なのである。

 そうやってポジティブに経験を活かしてきたことこそが、大介のバッターとしての成績につながっているのかもしれない。

 結局は野球は、メンタルスポーツと呼ばれる理由はこういうところにもある。


 直史としてはこの試合、余力を残して投げないといけない。

 だがその内容が悪ければ、首脳陣はそれを理由に登板数を減らすであろう。

 余力を残した上で、圧倒的なピッチングをする。

 ちゃんと計算して行えば、無理なことではない。

 大介の一発は、やはり怖いものであるが。




 スターズ戦で上杉に封じられたレックス打線だが、その次の試合ではしっかりと打っていった。

 この試合は直史が投げるので、そこまでの大量点が必要なわけではない。

 ただ首脳陣は、狙えるなら大量点差で早めに試合を決めてしまいたいと言っていた。

 それがどういう狙いなのかも、しっかりと説明している。

 直史を出来るだけ、必要なところで投げさせたいということだ。


 エースをどれだけ温存し、勝負どころで投入するか。

 それがこのファイナルステージの勝敗の結果、日本シリーズへとつながるものであろう。

 まずはこの序盤で、どうやって点を取っていくか。

 ただライガースはまたも、一番大介をやってきている。

 相手の嫌がることを積極的に行う。

 まさに野球においては、重要なことである。


 先頭バッターの左右田としては、上杉のピッチングはあくまで例外として、これがポストシーズンの二試合目という意識がある。

 前の試合では、戦意が乏しくなっていたスターズを、一方的に相手にしたにすぎない。

 この対戦が重要であり、特に先頭打者の重要性も分かっている。

(まずは相手ピッチャーの調子を見ていく、が)

 先制する必要の重要性も、しっかりと分かっている。


 先頭打者の活躍によって、その試合の流れが決まることはよくある。

 この試合はとにかく、どれだけレックスが早く試合を決めてしまえるか。

 直史は点を取られたとしても、既にレックスが優位な状況でしか点を取られない。

 先に優位に立って、直史のピッチングの幅を広げないといけない。

 このプレッシャーさえも、楽しまなければいけない。

(これがプロの世界なんだな)

 左右田はシーズン終盤になって、ようやくそれを感じ始めていた。




 一回の表、レックスの攻撃。

 今年のレックスは、ロートルの大復活とルーキーの躍進が同時に起こった、と言えるであろう。

 ショートとキャッチャーという、極めて重要度の高いポジション。

 それをいきなり、社会人出身とはいえ、指名下位の新人がスタメンとなったのだ。

 しかもどちらも、それなりに打てるのだ。

 先頭打者をショートが打つというのは、それなりに珍しいことだろう。

 まあ史上最強の打者が、いまだにショートを守っていたりするので、あまり断定も出来ないが。


 その左右田は、この試合はしっかりと粘っていく。

 ともかく先頭打者として、まずは出塁したいというのと、ピッチャーの今日の調子を確認したいためだ。

 ただそのつもりはないのだろうが、ピッチャーの削りあいでも上手くいく。

 直史が削られることを、ほぼ許さないのが現在である。

 お互いに削りあっていけば、リリーフ陣の強いレックスの方が、やや有利と言える。

 もっともそれもまだ、アドバンテージを埋めるほどではない。


 とにかく最初から不利なレックスが、どうやって戦っていくのか。

 それを示すのがこの初戦である。

 もっともおおよそは誰にでも予想は出来る。

 直史が投げる試合は確実に勝って、投げない試合では博打を打つ。

 その博徒としての感覚は、今のレックス首脳陣には弱いだろうが。


 重要なのは投手陣であろう。

 失点するのは仕方がないが、それを最小限に抑える。

 そして打線がそれ以上の点を取る。

 ライガースはロースコアに相手を抑えるチームではない。

 先発には駒がそろっているが、打線の援護あってこそ、というピッチャーが多いのだ。

 そもそも時代が、完全に完投投手の時代からは変化した、と言えなくもない。

 昔に比べてスタミナが、というような話ではない。

 昔よりもより効率的に体を使うようになった結果、それだけ負担も大きくなってきたのだ。




 先頭の左右田は粘ったが、結局は内野ゴロで凡退。

 そしてこの試合もまた、打撃のキーマンとなったのは二番の緒方であった。

 直史が目立っているが、緒方も既に大ベテランの年齢になっている。

 スターズ戦の二戦目以降も、ちゃんとスタメン出場している緒方。

 ここで初球を狙って、ホームランを打ってしまうのだ。


 最強名門のチームの一員ではあったが、緒方もかなりの主人公体質と言えるであろう。

 レックスのショートを20年近く守ってきたのは、伊達ではないのだ。

 そしてこの守備負担の大きなポジションでいながら、打撃にも大きく貢献。

 もっとも緒方は、忘れた頃にホームランを打ってくるという、別方向の厄介さがあるバッターであるが。

 高校時代まではピッチャーもやっていたので、その洞察力も高い。


 甲子園のライガースへの声援も、さほど気にしなかった緒方である。

 高校時代はほぼ地元であった、ということもある。

 メンタルの強さというか、集中力のコントロールは、相当に高いものがある。

 一年の頃から、大阪光陰でスタメンであったというのは、野球IQの高さも示されたものである。

 彼だからこそ、大阪光陰は全国制覇を果たせたとも言える。


 短期決戦での強さ。

 それがはっきり分かっているのは、甲子園を経験し、勝ち上がっているチームの出身者だろう。

 もちろんプロとは大前提が決まっているが、負けてはいけない試合での役割を、しっかりと分かっている。

 ベンチで手荒い歓迎を受けた緒方であるが、直史としてはこれでまだ五分かなと思ったぐらいだ。

 大介には、四回打席が回ってくると考えた方がいいので。




 先制はしたものの、追加点は入らなかったレックス。

 そして甲子園のマウンドに、直史が立つ。

 大歓声によって、びりびりと球場が震えている。

 気の弱い人間であったら、とても立つことさえ出来ないだろう。

 それがこの、ポストシーズンの甲子園のマウンドだ。

(やっぱり、俺がなんとかしないとな)

 直史は自信過剰なわけでもなく、そう思う。


 他のピッチャーを信じていない。

 負けるとは思っていないが、勝てるとも思えない。

 このあたりが上杉と自分の違いなのかな、と思いつつも。

(さて、いきなりクライマックスか)

 一番バッターとして、ライガースは大介を送り込んできている。

 他のピッチャー相手には、ほぼ二番を打たせている。

 しかし直史に対しては、もうずっと一番だ。


 最高のバッターに、一番多くの打席が回るように。

 このあたりの思考のシンプルさは、ライガースがレックスより優れている部分であろう。

 もちろんチーム状態によって、その採用できる手段は変わるのだろうが。

 それでもレックスの首脳陣に比べると、その戦略はシンプルだ。

 もっとも直史がライガースにいれば、それはそれでどうすればいいのか、困っていたことも確かであろう。


 ピッチャーとバッター、共にそれぞれの存在の中で、最高のものとなった。

 なってしまった二人の対決である。

(まったく、楽にさせてくれないもんだな)

 直史はそう思うが、同時にこれを楽しんでしまっている自分を発見する。

 日本シリーズなどどうでもいい。

 ここで全ての力を使い切る。

 その後はもう、他の誰かがどうにかしてくれ。

 リミッターを外して、直史はピッチングを開始する。



×××



 次話「郷愁の舞台」

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