第104話 両雄

 先頭打者が初回に、ストレート三球で三振。

 これは屈辱的なことだが、重要なのは情報を忘れず、感情を忘れることだ。

 緒方は小柄で、人の良さそうな顔をしていて、実際に性格がいい。

 ただメンタルのコントロールには優れていて、野球IQも高い。

 直史があっさりと三者凡退にしとめたのに、ここで主導権をスターズに与えるわけにはいかない。

(なんとしても出塁しないと)

 理屈では分かっているが、実際にするのは難しいのである。


 緒方はレックス一筋の男で、ある程度は大介と共通したところもある。

 体格はそれほどでもなく、だが打撃で長打もそこそこ打てて、守備が堅い。

 総合的に見れば、劣化大介と呼ばれる悟の、さらに劣化したものか。

 ただ悟は歴代で見ても屈指の選手なので、ずっとスタメンを守ってきた緒方も充分にレジェンドクラスではある。

 特に上手いのは、ワンヒットがほしい時にしっかり打つこと。

 上杉を相手に、バットをわずかに余してバッターボックスに入る。


 フルスイングで長打狙い、が現在の常識である。

 だが短期決戦に限って言えば、そんな常識を守っている場合ではない。

 まず必要なのは、上杉がまとっている神話をはがすこと。

 そのために出塁、出来ればヒットがほしい。

 もちろんそんなことを考えても、都合よくいかないのが野球である。


 上杉は緒方のことを、実は高く評価している。

 レックスのショートを15年以上も守り、大きな怪我もなく長い不調もない。

 本当に強いチームというのは、こういう選手がいなくてはいけない。

 対戦相手への敬意。

 相手によっては抜いて投げる上杉だが、それでも相手の実力は評価している。

 緒方は危険と言うよりは、自分の役割を知っている選手だ。

 力は抜くが、気を抜いていい相手ではない。




 ギリギリでカットする、というボールが続いた。

 上杉のボールはよほど甘いところに来ないと、ゾーン内でもまともに飛ばない。

 特に危険なのは内角で、よくバットを折ってしまう。

 緒方はなんとか、ボール球を見極めて、七球上杉に投げさせる。

 カットにも成功したが、前にはまともに飛びそうにない。

 そもそもストレートの球速が、160km/hしか出ていない。


 大介などとの対決を見る限り、165km/hぐらいまでは普通に出せるはずなのだ。

 それ以上となると、おそらく脳内麻薬でリミッターを外す必要がある。

 そういったボールを投げていると、さすがの上杉でもスタミナを削れると思うのだ。

(ナオさんはなんとか、球数を使わずに投げると思う)

 だからこちらは、とにかく粘っていくのだ。


 そんな緒方の考えを、上杉は分かっているのだろう。

 高速チェンジアップを一つ挟んだ後、投げられたストレート。

 それは緒方のバットをへし折り、ボールはファースト方向へ転がる。

 緒方は走りだしかけたが、さすがにここでエラーなどはない。

 手に痺れを残したまま、ベンチに戻る。


 八球投げさせることに成功した。

 最後のボールは164km/h出ていた。

「お疲れ」

「これで勝てますかね」

「やらないと勝てないだろうな」

 直史が相手のピッチャーを意識するということは、ほとんどないことである。 

 しかし上杉はやはり、それだけ特別ということだろう。

 思えば二人は、プロでこそ違うチームであるが、日本代表ではどちらかが怪我でもしていない限り、何度も選ばれているのだ。

 日本のエースと守護神。

 直史の言葉を信じて、ここは粘るしかない。




 結局レックスも、初回にはランナーを出すことは出来なかった。

 しかし少しでも長く攻撃時間を取ることは、ほんのわずかな差で後に重要なこととなる。

 上杉は最後まで投げきる覚悟だろう。

 ただ今年もさほど、完投の数は多くない。

 直史は逆に、完投の数が圧倒的に多い。

 もちろん最終戦で、上杉は最後まで投げてきていた。

 だが普段からずっと完投の直史と、時々にしか完投をしない上杉では、その完投能力の差は明らか……だと思いたい。


 直史は10球を投げて、三人で終わらせた。

 上杉は14球を投げている。

 このまま九回まで進めば確かに上杉の方は120球を超えてくる。

 全盛期の上杉であれば、150球を投げても全く問題などなかった。

 だが今の上杉は、そのあたりでさすがに球威が落ちてくる。

 もっともそこまで投げなければいけない試合など、まずなかったが。


 直史は肉体の耐久力はそこまでのものではない。

 ただとにかく、球数を減らすピッチングは出来るのだ。

 真田と投げ合った時など、15回まで投げれば30球以上の差があった。

 真田もそれなりに、球数は少なくなるピッチャーであったのに。

 球数制限については、特に国際大会では重要なポイントであった。


 制限をかけられた時でも、自分の中にそれに合わせて投げることが出来る。

 それが直史の長所である。

 もっとも上杉なども、制限があっても問題ないほどの、圧倒的なピッチングをしていたが。

(限界まで、どれぐらいの余裕があるのか)

 スターズが勝っても、おそらくファイナルステージでライガースに勝つことは出来ない。

 なのでここは、素直に譲ってほしいものだ。




 エンジンは暖まっていて、すぐにでもアクセルを踏み込める。

 だが今はフィジカルではなく、インテリジェンスを使う。 

 シャーマンじみた相手への理解で、狙いを外すように投げていく。

 中途半端にフライなどを打ってくれれば、一番ありがたい。

 しかし今日の直史のピッチングは、三振を取っていくパターンになっている。

 その中にわずかなゴロを打たせるボールを混ぜていく。

 当たるボールを投げれば、上手く野手の前に飛んでくれることを祈る。


 速球二つで、まずはワンナウト。

 ショートの左右田の前に、上手く飛んでくれた。

(このあたりはただの運だな)

 なんとなく、未来を見るような感じで、イメージが脳裏に浮かんでくる。

 その通りに投げたら、確かに上手く打ち取れている。

 もちろんこれはただの錯覚の可能性もある。


 直史はひたすら、自分の経験とデータの蓄積、そして直感を信じて投げている。 

 直感と言ってもそれは、無数の可能性の中から、直史の頭脳と経験が選んだものだ。

 かつてイリヤは、創作の根源にあるものは、直感だと言っていた。

 しかし彼女ほどの才能をもってさえ、その直感がどこから来るのかは分かっていなかった。

 おそらくは莫大な蓄積の中から、何かのきっかけでそれが生まれてくる。


 直史のピッチングも、おおよそ似たようなものなのであろう。

 ただその最後のきっかけを、一球ごとに導き出さなければいけないが。

 長く残るイリヤの楽曲。

 それに対して直史のピッチングは、即時性が極めて高い。

 しかしずっと残るというものでもない。その場で消費されてしまうものだ。

 もっとも直史のピッチングに関しては、まるで将棋の棋譜のように、そのスコアがしっかりと残されて研究されていたりする。

 なぜあれほどまでも、打たれないピッチングになったのか、という重要なテーマをもって。




 直史にはそんなものは興味はない。

 自分のピッチャーのスタイルが、後世のピッチャーに与える影響を、全く意識していない。

 コントロールとインテリジェンス、そしてメンタルがあれば、フィジカル差はある程度覆すことが出来る。

 そんな希望を多くの人間に与えている。

 もっともこの晩年の直史は、むしろ本格派に近くなっていると言えるのだが。

 ストレートでの三振を、軽々と奪っていくその姿。

 今さらそこに至るのか。


 続くバッターも、初球からストライクを奪っていく。

 二球目は変化球でファールを打たせて、そして最後はストレートではなく、ここではスルーを使った。

 落差が大きくなっていて、迫水は前に落とすのが精一杯。

 バランスを崩してスイングしたまま、片膝をついたバッターにタッチする。

(なんでこの変化球、落差が大きくなってるんだ?)

 そんなことも考える。


 スルーはライフル回転することにより、伸びながらもホップ成分が小さく、むしろ沈んでいくボールだ。

 ただライフル回転をいくら与えても、落差が大きくはならないはず。

(ほんの少しだけ回転軸がずれてる?)

 それならもうちょっと、スピードも落ちていておかしくはない。

 実際には今のスルーも、146km/hは出ている。


 シーズンのおおよそを組んでいながら、迫水にはまだ直史のことがさっぱり分からない。

 もっとも直史を理解していたキャッチャーなど、ジンと樋口ぐらいであろう。

 坂本は現実的であるので、理解ではなく事実として認めていただけだ。

 果たして迫水がそこに至ることなど出来るのか。

 キャッチャーは完成に時間がかかるものだ。特に日本の野球の場合は。




 六番バッターは、また二球目を打ってしまい、それがキャッチャーフライとなった。

 一桁の球数で、二回の表を終える。

 ここまで150km/hオーバーのボールは一球だけ。

 単純な球数だけではなく、負荷自体がかからないピッチングをしている。

 だがイニングが終わるたびに、水分と糖分を補給してはいる。

 なんでも脳というのはかなりカロリーを消費するので、こういう補給は絶対に必要なのだ。

 将棋の棋士などが、おやつを食べるのと同じような理由であろう。


 直史の脳内の思考は、間違いなく現在のNPBでも一番のものだろう。

 かつてはいた、外部外付けの増設メモリがないだけ、よりCPUは高速で動くことが求められる。

 元々高校時代の偏差値は、普通に東大にも行けるぐらいのものではあった。

 そういった頭のよさとは、また違った要素も必要ではある。

 つまり直感に、瞬間的な判断力だ。


 10球以内には必ず抑えることを想定して、そこまでの過程で隙があれば、アウトにしてしまう。

 直史の計算というのはそういうものだが、さらにバッターの心理まで見通している。

 ピッチャーとバッターの読み合いというものが、野球においては重要なのだ。

 そしてここに、打たれる覚悟を決めて、投げ込む度胸もなければいけない。

 あくまで冷徹に、無駄な力の入らない度胸である。


 メンタルスポーツと言われるのは、そのあたりにあるのだ。

 どれだけ深く読んでも、そこに正確に投げ込むコントロールも必要になる。

 それを制御するのも、精神力である。




 直史と違って上杉は、今年完封まではしても、ノーヒットノーランなどはしていない。

 なのでまずは、一本ヒットを打つことを目標にすべきだ。

 上杉から連打というのは難しいが、積極的に攻撃して、セットプレイでなんとか一点を取りたい。

 一点取れば、おそらく直史が完封してくれる。

 エース頼りの試合と言えばそうであろうが、そういう存在こそがエースなのだ。

 もっとも普通のエースなら、さすがに一点で勝ってくれ、と期待されることはない。

 直史は特別で、さすがにそれは本人も理解している。


 スターズ打線ならば、おそらく完封出来る。

 直史はそう考えているが、断言できるほどの自信はない。

 上杉が投げている間は、スターズに何が起こってもおかしくないのだ。

 ピッチャーとしてではなく、純粋にカリスマがバフをかけている。

 スターズのチーム力が、本来よりは一回り上がっていると考えた方がいい。


 この二回の裏も、三振を二つ奪われて三者凡退。

 ただ球数は、直史よりも多い。

 もっとも12球しか投げていなければ、ペースを配分している上杉であれば、充分に完投は出来るだろう。

 重要なのはそこからさらに削って、延長戦まで投げきれるかだ。

 延長となれば裏に攻撃のあるレックスが、精神的には有利になる。

 もちろん上杉であれば、そんなプレッシャーには負けないのであろうが。


 グラブを持って直史は、三回の表のマウンドへ向かう。

 スターズの下位打線は、さほど恐ろしいものではない。

 だが一点取られれば、その時点で一方が圧倒的に有利になる。

 そんな状況では直史でも、下位打線にすら何かの希望を与えるわけにはいかない。

(問題は上杉さんか)

 この回は、バッターボックスに上杉を迎えることになるのだ。

 かつてのように、バッターとしても恐ろしい存在ではない。

 だが油断はしない。




 ここまでのコンビネーションは、ある程度共通している。

 まだバッター一巡もしていないが、おそらくスターズは動いてくる。

 レックスの首脳陣に比べると、スターズの首脳陣は短期決戦型の思考をしている。

 それはここぞという時に、勝つための手段を取るのが上手いというものだ。

 ロースコアゲームに強い。

 実は直史のせいで平均値が変わっているが、レックスよりもさらに強いのだ。

 そのスターズを相手に、直史は投げているのだ。


 次あたりにやってくる作戦はおおよそ推測できる。

 あちらも待球策か、もしくはセーフティバントなど。

 迫水がわずかに、ファーストとサードを前進させる。

 下位打線は守備力の高い選手を置いているスターズだが、実は走力は相当にある。

 内野安打などが出る可能性はある。

 とりあえず、ストレートから入る直史。

 それに対して初球から、バットを寝かせてくる。

 だがストレートに対しては、バットを引いていた。


 まずはストレートの軌道を見てきた、ということなのだろう。

 変化球であれば、上手く当ててきそうではある。

 セーフティバントの成功率はそれほど高くない。

 ましてピッチャーの守備範囲なら、直史自身が処理してしまう。

 直史相手にはあまり効果的ではないが、少しでも消耗させる、というのなら有効であるのかもしれない。


 だが二球目の速球には、普通のスイングをしてきた。

 そしてそれを空振りする。

 バントは単純にストレートを引き出すためのものであったのか。

 しかしその引き出したストレートを、空振りしてしまっている。

 最後に投げたのもストレート。

 アウトローを見逃して、三振してしまった。




 三球しか投げずに三振を取る。

 本格派のピッチャーの中でも、理想的なピッチングであろう。

 続く八番も、バントの構えなどを見せて、揺さぶろうとしてくる。

 確かに直史がより長くいたMLBでは、NPBよりバントの数は少ない。なのでバント処理の仕方はやや下手になっているかもしれない。

 得点の確率はむしろ下がると、完全に統計で分かっているからバントへの対処も後回しになる。

 

 だが限定した状況では、MLBでも職人技のバントをしてくるバッターがいる。

 そういうものへの対処は、ピッチャーではどうにもならなかったりする。

 やれるものならやってみればいい。

 レックスは守備力の高いチームなのだ。

 このシーズンを通じて、プレッシャーに対する力も上昇し、エラーの数は圧倒的に減っている。

 直史のバックを緊張して守っていれば、普段の守備では問題なく守れるということであろうか。


 あっさりと三振を奪ってしまった。

(まあ、バントの可能性を感じさせるだけでも、ピッチャーへのプレッシャーは増えるからな)

 単純に技術と戦術のバントではなく、心理的にも相手を追い込んでいく。

 ただスリーバントをしてこないあたり、スターズもまだ振り切った考えができているわけではない。

 そしてこの回のラストバッターになるかもしれないのは、上杉である。


 かつてはピッチャーでありながら、代打として使われたこともある。

 確かに一年目などは、ピッチャーでありながら七本もホームランを打っていた。

 しかしさすがに今は、そこまでの脅威ではないはずだ。




 バッター上杉との対決。

 かつては注意していた直史だが、さすがに上杉ももう、本職に優るようなバッティングは出来なくなっている。

 もちろんパワーなどは維持しているので、下手なピッチングは出来ないが。

(けれど打ってくるかな?)

 万一ランナーに出したとして、ピッチャーがあちこちに走るのか。

 さすがに上杉でも、それは嫌であろうし、スターズベンチもそれを考えているとは思わない。

 すると選択肢は限られる

(ホームラン狙い)

 それならば、ゆっくりと一周するだけでいい。


 ピッチャーである上杉の、インハイに投げた。

 デッドボールを当てれば、確かに楽に勝てるかもしれない。

 だが直史が投げたのは、あくまでもストライクのコース。

 これに上杉は手が出ない。

(佐藤のコントロールなら、これぐらいはしてくるか)

 紳士協定のようなもので、ピッチャーに内角のボール球は投げない、という空気はある。

 もちろん直史は、デッドボールなど当てない。

 キャリア七年で、当てたボールは一つしかないのだ。


 続いて投げたカーブで、空振りをさせてツーストライク。

 最後には逃げるスライダーを振らして三振。

 当たらないコースへと、上手く曲げていった。

(万一にも当たると、事故になる可能性があるからな)

 おそらくスペックだけなら、今も上杉はホームランを打つことが出来る。

 なのでこうやって、ボール球を振らせたのだ。


 これで打者一巡は終わりである。

 直史の球数は27球で、三振は六つ。

 かなりのペースで三振を奪っているが、球数としては全員を三球三振に抑えたのと同じでしかない。

 もちろん偶然ではあるが、球数を抑えること自体は、ずっと前から徹底していた。

 今日もそれと同じことを行うだけである。

 集中力は高まっているが。




 上杉は直史に比べると、かなり粘られている。

 球速はずっと遅いのに、三振の数でも上回られている。

 つまりコンビネーションによって、打てない球を投げているということだ。

 ただ上杉は、分かっていても打てない球を投げられるが、直史の球は分かっていたらそれなりに打てるはずだ。

 そう考えている人間は、まだいるかもしれない。

 球速はさほど問題ではないと、直史以前から多くのピッチャーが証明してきているというのに。


 ただこの三回の裏も、結局ランナーは出ずにツーアウト。

 ラストバッターの直史に回る。

 極端に言ってしまえば、スターズが簡単に勝つためには、ここで直史にデッドボールを当てればいい。

 だがもちろん上杉は、己の美学やスポーツマンシップにのっとって、そんなことはしない。

 当たり前だがあっさりと、直史からは三振を奪う。


 直史としては自分も、ある程度は上杉を削るのに協力はしたいのだ。

 しかしそれでピッチングに影響が出ては本末転倒である。

 この点だけはMLBの方が楽であったな、と思う直史である。

 ただ立っているだけの直史でも、抜けたボールに思わず手が出たり、なぜかストライクが入らずに、全く塁に出ていないわけではないのだ。


 ベンチに戻った直史は、グラブを取ってマウンドに向かう。

「上杉さんの球数は?」

「37球だな」

「……難しいな」

 直史よりも10球多いが、上杉ならば充分に完投ペースである。

 そして結局、一巡目は双方に一人もランナーが出ていない。

 削りあいになる。

 覚悟は決めてある。




 二巡目に入って、スターズも覚悟を決めたらしい。

 即ち消耗戦である。

 ツーストライクまでは直史も、カウントを取るためのピッチングが出来る。

 しかし決め球を、二球連続でカットされる。

 それでもボール球ではなく、カーブを見送らせて三振。

 キャッチング次第では、確かにボール判定もされるのだ。


 二番打者に対しても、変化球を上手く見逃しさせる。

 直史でなければ、ボール判定になったとしてもおかしくない。

 だが審判は直史のコントロールを知っているため、厳しいところはほぼストライクになるのだ。

 だからといって手を出しても、ヒットになるとは限らない、絶妙の配球をしているわけだが。

 問題はこれが、迫水がするのは難しいということだ。

 ツーストライクまでなら、それなりに可能なのだが。


 ここも最後はインコースのストレートを、わずかにかすったがミットの中へ。

 連続して三振としたわけであるが、問題はやはり粘ってくる様子を見せていることだ。

 直史は基本的に、ゾーンの中でしか勝負しない。

 そう思っているとボール球を振らせるので、より性質が悪いのだが。

 バットにわずかに当たったので、直史としてはわずかに警戒心を上げる。

(当ててくるよな)

 コントロールは慎重に行わなければいけない。


 だが次の三番に対して、初球ど真ん中に見せたツーシーム。

 これに手を出してしまって、ボールはサード方向へのファールフライ。

 問題なくキャッチしてくれたので、これでこのイニングはわずか七球で終わらせたことになる。

(九回までをなんとか90球までには抑えたいな)

 そうすれば延長戦になっても、最後まで投げられる計算が立つ。

 12回まで完封することを、とりあえずは目標にしておこう。




 二巡目に入りながらも、スターズはここまでのイニングの中で、最少球数でスリーアウトになってしまった。

 ただ真ん中付近に入ってきたボールを、打たないわけにもいかない。

 コントロールの正確な直史という意識が、この場合はマイナスに働いた。

 まさかと思うから、フルスイング出来ないのだ。

 せめてしっかりと振っていれば、スタンドに入ってファールぐらいにはなっていたであろうに。


 そんな不甲斐ないチームメイトであるが、上杉は責任を自分で全て背負う。

 直史も他人のせいにはしないところはあるが、上杉ほどの責任感と言うか、全て俺に任せろといったカリスマはない。

 だが沈着冷静なその姿は、チームメイトに安心感をもたらす。

 滅多に見せないからこそ、その気迫を見せた時には、チームに浸透していく。

 これもまた間違いない、エースの姿である。


 二巡目には、レックスもここから入る。

 両チームランナーが出ない。

 ロースコアの投手戦になることは、誰もが予想していた。

 しかしここまでの極端な投手戦になれば、古参ファンが騒ぎ出す。

 あの伝説の、両者12回パーフェクト、という記録を思い出すのだ。

 時代に卓越したピッチャーが、二人は必要なあの記録。

 二度と記録されるはずもないと思われていた。


 上杉もなんだかんだ言いながら、相手が強ければより力を発揮するタイプだ。

 もっとも直史は、そういった基準で強者と判断するのが、ちょっと難しいタイプのピッチャーであるが。

 ここでレックスもまた、上位打線から打順が始まる。

 もっともだから打てるのかというと、それはまた別の話となってしまう。

 上杉を打つにはとにかく、速球への対応力と、一発のパンチ力が必要となる。

 



 完全に試合は膠着しつつある。

 こういった場合はスターズもやろうとしたように、奇襲が重要となるのだ。

 上杉は直史に比べれば、フィールディングが上手くない。はっきり言えば平均よりは下なぐらいだ。

 それも全ては、打たれなかったから問題はない、ということでここまできてしまったのだが。

 しかしこの数年は、かなり打たせて取るピッチングに変化してきた。

 フィールディングについては、上杉は体格的に、どうしても素早く動きにくいという部分はある。


 一番の左右田がバッターボックスに入るのを、二番の緒方はずっと見ている。

 上杉の動作などから、何か引き出せるものはないか。

 分かりやすいクセなどは、あったらもう判明しているはずだ。

 しかしこの試合は、これまでの試合とは重要度が違う。

 チームとファンの全てを背負って、なお余裕のある上杉。

 だが今日は投げ合う相手が、直史であるのだ。


 上杉であろうと、さすがに少しは意識しているはず。

 そこから何か、隙のようなものが見えないか。

 そうは思っているのだが、むしろ逆にいつもより、恐ろしいピッチングをしている。

 ただそれならそれで、スタミナの消耗は激しいはずだ。

 左右田もこの打席は、二球粘ることに成功した。

 最後はファールフライでアウトになっているが。


 一打席目には相当に粘った緒方だが、まずはここでもまた粘っていきたい。

 だが同時に、安易にストライクを取りにきたなら、それは狙って打たなければいけない。

 ツーストライクまではフルスイング。

 そう思っていると、全く気を抜いていないストレートが投げられたりする。

(165km/h……)

 これはもう、終盤に勝負をかけた、とんでもない消耗戦になるのかもしれない。




 粘っていこうとした緒方も、緩急差を使って三振で終わった。

 レックスは二番の緒方が器用なバッターであるので、その後ろの三番にも長打力を求めて外国人を入れている。

 しかし上杉のストレートには、助っ人外国人であっても、対応は出来ない。

 それでも昔に比べれば、まだしも打ちやすくはなっているのだが。


 ストレートには、なんとか当てることが出来る。

 だがミートするには、手元で曲がるムービング系が邪魔だ。

 それにかなりの落差がある高速チェンジアップを考えると、それにも対処しなければいけない。

 たまに投げてくるカーブは、さすがに空振りなどはしないが。

 もしも狙えるものなら、このカーブを狙うのが一番であろう。


 結局は当てたものの、サード正面の簡単なゴロ。

 期待しているほどには、上杉の球数は増えていかない。

 それでもここまでで51球と、直史とは球数の差がどんどんとついていく。

 また当初の予想と違い、直史の方が奪三振が多い。

 ただこれは、シーズン終盤の連続パーフェクトで、二試合で43奪三振していることを考えれば、充分にありうるというものである。

 四回までで、六奪三振。

 このペースならば充分に多い。


 味方が粘っていてくれるので、直史は少し体と脳を休めることが出来る。

 そしてまた回復したら、マウンドに登っていく。

 ランナーが全く出ないので、上杉の球数が少しは多いと言っても、それでも試合の展開は早い。

 どうにか味方の打線を援護することは出来ないか。

 直史はそんな変なことも考えるのだが、自分に出来るのは結局、圧倒的に相手の打線を抑えていくことだけである。



×××



 次話「エースの形」

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