六章 終結の季節

第103話 二つの孤影

 間違いなく、歴代最強の技巧派と本格派の対戦である。

 レックスとスターズの第一戦。

 試合は二位通過のレックスの本拠地である神宮で行われる。

 三連戦で、レックスは二勝か一勝一分で通過。スターズは二勝するしかない。

 多くのファンが期待していた、それぞれ逆方向の属性を極めたピッチャーの対決、と昔ならば言えただろう。

 現在では上杉もかなりの技巧派要素を取り入れ、逆に直史は三振を昔と変わらずに奪取し続けるという、訳の分からない存在となっている。


 一応今季、スターズは直史から一点を取っている。

 だが二度、サトーを達成させてしまっている。

 またノーヒットノーランも一度されていて、とても相性がいいとは言えない。

 ただチーム全体としては、レックスが13勝12敗とおおよそ互角なのだ。

 この第一戦は、とてつもない投手戦になるのではないか。

 大満員の観衆は、当然ながらそれを期待している。


 直史としては試合の二時間ほど前から、軽く体を動かし始めた。

 今日の試合は最悪、12回まで投げることを想定している。

(15回まで投げなくていいだけマシか)

 それが直史の感想であるが、上杉の精神がどれだけ、肉体の限界を超えるか。

 中四日で投げるそれ以前にも、中四日で投げるのが多かった九月。

 またクローザー登板までしている。

 さすがの上杉も衰えてはいるのだ。

 ただ今年は、その衰えを精神力でねじ伏せてきた。


 時に精神力によって、肉体はその限界を超える。

 直史も体験していることではある。

 だがその理論上の限界というのは、肉体が安全のためにつけたリミッターであるのだ。

 火事場の馬鹿力を、ある程度は意識的に外してしまう。

 上杉が肩を壊したのは、それが原因である。

 そして直史も、高校一年の夏などは、それで肘を痛めている。




 今年の上杉は、大介との対決やシーズン終盤では、160km/hオーバーを何度も投げている。

 そして直史もライガース戦では、ほぼかつてのような球速と変化を投げている。

 上杉はおそらく、限界を超えてきている。

 だが直史はアクセルを最大まで踏んだだけだ。

 しかしすぐ先に、リミッターを解除した世界が見えている。


 直史の球速は、154km/hがMAXとされている。

 だが意識的な範囲では、152km/hが安全圏だ。

 そしてストレートならばともかく、他の球種ではまた違う。

 スルーを投げる時には、肘に負担がかかる。

 肩は重くなったことはあっても、痛みなどは感じたことはない直史だ。

 しかし肘には故障の危険がある。

 そもそも今は何も問題がないというのも、随分とおかしな話なのだ。

 靭帯というのはなかなか上手く自然治癒しない。

 アメリカなどでは靭帯をやってしまったら、より強力な靭帯を移植してしまう、というのがもう当然なぐらいになっているのだ。


 二人の対決は、どこまで自分の限界を出せるか、というチキンレースになるかもしれない。

 ただ二人とも今年は、延長まで投げた試合というものがない。

 かつては12回まで、双方がパーフェクトという試合があった。

 二人にはそれぞれ伝説があるが、二人が対戦相手として作った伝説は、おおよそそれぐらいであろうか。


 国際大会では、直史はクローザーとして投げることが多かった。

 上杉が負傷してしまった試合では、代役を務めたりもしたが。

 双方に共通しているのは、互いに対する敬意である。

 直史の方は上杉の実力と言うよりは人格とカリスマに、上杉は直史の精神力に。

 思えば直史は、野球において個人を恨んだり敵愾心を抱いたことはあまりない。

 坂本にお返しをしたぐらいであるか。




 試合前には、特に会話することなどはなかった。

 だが直史の方は、これが上杉との最後の対決の機会だと思っている。

 別に恨んでもいないし、敵愾心もない。

 しかしこれもまた、運命の流れなのかな、と考えたりはする。

 舞台は甲子園ではないが、これもまた学生野球の聖地である神宮。

 球場に格があるとすれば、ここはそれに相応しいだろう、などと直史は思っている。


 古い球場で、当たり前のように何度も改修されている。

 だがそれだけに伝統がある。

 大学野球はもちろん、高校の神宮大会もここで行われるのだ。

 直史はそれにも出場し、普通に優勝に貢献している。

 ただやはり、大学時代の記憶が、ここでは一番大きいだろうか。

 プロ入り後の方がずっと、試合の数は多いであろうに。


 直史と上杉の共通点の一つは、世代トップのキャッチャーと組んだ、ということであろう。

 引退してから評価の定まった樋口だが、同時代の日本の選手としては、キャッチャーとしてはトップクラスであり、バッティングと走塁を合わせれば、間違いなくトップというものである。

(あいつもさすがにテレビで見ているのかな)

 仕事は忙しそうだが、この試合を見るのはおそらく、樋口にとっては仕事よりも大切なことだろう。

 高校時代に上杉、大学時代に直史。

 そして国際大会では両方。

 アメリカでは直史と組んで、アナハイムの覇権に貢献したのだから。

 間違いのないレジェンドである。




 その樋口に対しては、試合の解説をしないか、という依頼が実はあったりする。

 経歴を考えたら、その野球知能の高さなどもあって、解説者というのは当然考えられる立場である。

 学歴に頭脳を考えれば、むしろどこかのフロントに入ってもおかしくない。

 だが実際には樋口は、OBとして顔を出すことぐらいはしても、野球の世界からは完全に離れている。

 彼は現在、代議士の秘書をしている。

 そのボスである正也の家で、今日は試合を観戦しているのだが。


 上杉正也はスターズにFA移籍をして、その上杉兄弟時代を築いた。

 だが衰えは兄よりも早く、タイミングのこともあって先に引退している。

 その後は出身地である新潟で、地元の有力者の娘と結婚しているため、ここから選挙に立候補し、余裕で当選したものだ。

「さて、どっちが勝つと思う?」

「難しい質問だな」

「ということは、佐藤だと思ってるんだな」

 正也の見抜いたとおりである。


 全盛期の上杉であれば、おそらくこの試合は双方一点も入らず引き分けで終わる。

 だが九月に入ってからの上杉は、リリーフまでして相当に疲労がたまっているはずだ。

 もっとも上杉は、色々と非常識な存在ではある。

 それ以上に直史が不可思議な存在であるというだけで。

「最高でも引き分けで、勝也さんで勝てなければスターズは負ける」

 その意見には正也も同意である。


 思えばあの二年の夏、春日山が新潟県勢初の優勝旗を手に入れた。

 だが白富東で直史が投げていたら、おそらくは勝てなかった。

 野球に絶対はないが、それに限りなく近いのが直史である。

 準決勝で大阪光陰が粘ってくれたため、優勝できたと言えなくもない。

「兄さんもそろそろ引退かな」

「……今年は復活したし、来年も白石がいるなら、まだ投げるんじゃないかな」

 今年で上杉は、436勝に達した。

 それならもう、サイ・ヤングの世界記録を目指してもいいのではないか。 

 さすがに無理だろうとは、二人も分かっている。

 あの怪我さえなかったら、とも思うが。




 時差のあるニューヨークでは、早朝から日本の野球をネットで視聴することが出来る。

 VIPルームの病室には、当然のようにそういった設備がそろっていた。

 あまり心臓に悪い展開はあってほしくないな、と思いつつも瑞希は明史と共に試合を見守る。

「どんな試合になるかしら」

「お父さんが負けないのは分かってるけど」

 なんだかんだ言って、明史もファザコンであるのだ。

 より子供たちの育児を多く担っている瑞希としては、寂しいところもある。

 だが父親が子供から尊敬されるというのは、家族の関係として悪くないであろう。


 瑞希の予想も、ほぼ同じである。

 ただ相手が上杉なのだ。

 もうパーフェクトも沢村賞受賞も条件を果たした直史が、最後に何をするのか。

「まだまだお父さんの試合は見ていたいけど、最後まで負けないよ」

「それは、そうかもね」

 直史も、負ける時は負ける。

 そもそも瑞希と出会う前には、負ける試合ばかりであったという。


 常勝ではないが不敗。

 それが直史の持つ神話である。

 実際にはオープン戦などでは、それなりに負けていることが多い。 

 そして大介には、削られた末のこととはいえ負けている。

(父親を尊敬するのはいいけど、絶対視しすぎたら困るかな)

 明史は賢いが、頭がいいからといって世の中の関係が全て上手く行くわけではない。

 直史の敗北も、明史の学びにつながるのでは。

 そう考えても瑞希は、普通に直史が勝つだろうとは思っていた。




 果たしてどちらが上であるのか。

 直史と上杉、その最終対決になるかもしれない、この試合。

「10年前に見たかったな……」

 大介は中継で、巨大モニターの試合を見る。

 この日はツインズも揃って、関西にやってきていた。

 子供たちは千葉の実家でお留守番である。


 10年前の時点でも、数字の成績だけを見るなら、直史の方が上である。

 ただあの頃の上杉は、そういった統計などでは量れない、重要な試合で本当の力を発揮する。

 もっとも直史も、普段から安定している数値を、大事な試合ではさらに上げてくるという点では同じだ。

 二人の限界が、どこまでまだ先があるか。

 少なくとも上杉のほうは、もう限界が見えていると大介は考えている。


 なんだかんだ言ってライガースは、今年は上杉相手に全敗である。

 しかし大介自身のみの話をするなら、五試合で四本のホームランを打っている。

 もちろん上杉が降板した試合もあるが。

 上杉は正面から対決してくれるため、逆にそれなりに大介はヒットを打てるのだ。

 これも数字だけを見れば、上杉は大介に負けているように見える。


 だが直史も言っているが、エースの仕事はチームを勝たせることだ。

 直史もライガース相手には、全勝している。

 しかしどれだけ優れたピッチャーも、削られればパフォーマンスは落ちる。

 そこまで含めて考えた場合、削られにくい直史の方が、やはり有利ではあると言えるであろう。

 どちらが勝ち上がっても、面白い試合にはなる。

 だが今年の大介は、レギュラーシーズンの借りを、このポストシーズンで返しておきたかった。




 日本中の野球ファンが注目しているかもしれない。

 直史と上杉の投げ合いを。

 少なくとも完全に無関心、とは誰も言えないであろう。

 もう10年以上も昔で、若いファンにはうろ覚えになっているかもしれない。

 だが今は古参でなくとも、過去の映像に触れることは出来るのだ。


 一人もランナーが出なかったという、あの試合。

 規定上パーフェクトは未達成であったが、事実上は両投手がパーフェクトを達成していた。

 ただ上杉はあの頃に比べると、間違いなく力を落としている。

 直史はブランクがあったにも関わらず、ほぼ全盛期に等しい。

 本人は体力や耐久力に、かなりの不安を持っているが。


 その初回、スターズの攻撃に対して、直史はマウンドに立つ。

 先頭は今年、直史からホームランを打っている末永。

(いくらなんでもホームランを打たれた俺を、完全に意識せずに投げることは出来ないはず)

 その結果逆に、全力でピッチングしてくるかもしれないが。

(上杉さんも疲労はあるけど、向こうもそれなりの間隔で投げている)

 そう、二試合連続でパーフェクトをしているし、三振も大量に奪っている。

 だから疲れているかと言うと、球数自体は少ないのだが。

(球数じゃなくて、投げたボールの質が問題だろう)

 末永の認識としてはそうである。


 直史がそれまで以上に本気で投げた、ということは確かに間違いではない。

 自分自身の体力や耐久力、回復力に懸念を抱いているのもそうだ。

 だがそもそも末永に投げた時は、その限界点のかなり手前で投げていた。

 そしてライガース相手に投げたのは、まだ脳の処理はともかく、肉体の限界には達していない。

 もちろん精神的な、そして最終目標のためのリミッターがあったからだ。

 今の直史ならば、それらを全て外すことが出来る。




 自分に対してなら少しは警戒する。

 その末永の思考は、実は間違いではない。

 直史も末永は注意すべきバッターだな、とは思っている。

 そもそも初回の先頭打者を、出すわけには行かないのだ。

 ただ末永の認識が甘いのは、その後にボコボコに抑えた相手を、必要以上に恐れる必要はないという直史の思考である。


 初球からストレートをど真ん中に投げた。

 明らかなストライクであり、初球でも末永なら振っていく。

 だが思わず見てしまった。

(速い……)

 しかし球速表示は、149km/hでしかなかった。

 何度も対戦しているので、この球速の体感のずれはずっと感じている。

(5km/h以上は速く感じる……)

 9月20日の試合でも、直史は神奈川スタジアムで投げている。

 そこでしっかりと最新のデータは取ってはいるのだ。


 ただその試合、直史は打たせて取ることを考えており、ヒットは一本記録されたものの、9奪三振の74球で試合は終わらせている。

 三振を積極的に奪うというピッチングではなかったのだ。

 直史のピッチングの特徴は、打たせて取るのと奪三振を、同時に出来る幅があるということ。

 150km/hのストレートでも、緩急を活かせばそれ以上に感じるものだ。


 二球目のスローカーブがまさにそれ。

 末永は元々、このカーブを待っていた。

 だが緩急差に泳いでしまって、凡打を打たないように空振りする。

 分かっていたはずなのに、ツーストライクに追い込まれてしまった。

 そして最後にはまたストレート。

 空振り三振で、まずはワンナウトである。




 末永に対して投げた、最後のストレートは147km/hであった。

 初球よりもさらに、球速は落ちている。

 それなのに高めを空振り三振。

 首を傾げながら戻ってくる末永だが、画像解析などで、一応はこの理由は判明しているのだ。

 それは直史が、普通のピッチャーなら壊れることをしているということ。

 フォームのメカニックの微調整である。


 リリースの位置やタイミングに角度と、わずかずつ変えていく。

 軌道が変わったなら当然ながら、前のイメージで打っても当たらない。

 データと言うよりは、前までの経験の蓄積が役に立たないのだ。

 それも一試合ごとではなく一打席、下手をすれば同じ打席の中でも、二種類以上のストレートを投げる。

 一応はこれも、解析データとしては判明している。

 だがフォームからどういうボールが来るか、判断するのは難しい。


 上杉は強力な一人のピッチャーだ。

 対して直史は、一球ごとに投げるピッチャーが代わっているというイメージなのである。

 直史がピッチングに関して、残念に思ったのは一つぐらい。

 それは自分がサウスポーでなかったことぐらいだ。

 正確には両利きで投げられれば良かった。

 単純に守備の問題なら、右利きの方が投げやすい場合は多いので。


 練習では左でも投げるのは、過去からのルーティンの一つであるが、これによって体のバランスがしっかりとするようになったからである。

 甥の昇馬のように、左ではそこそこ器用な本格派、右は剛速球だけという投げ分けは出来ない。

 だがピッチングの幅は、両利きの投手よりもよほど上である。

 スピード以外は無限に近いコンビネーション。

 これを技巧派というなら、確かに直史は技巧派だ。




 三球で終わらせることが出来た。

 ストレートを極めるというのは、直史が引退試合で考えていた、ピッチャーの完成形ではあるのだ。

 事象だけを見れば、ストレートですら正確には変化球。

 ピッチャーの投げるボールで、変化のないボールというのはない。

 強いて言うなら武史の落ちない軌道のストレートが、一番変化しないストレートに近い。


 一時期のMLBでは、球数を減らすために、ストレートを少しだけ変化させて凡退させる、というのが主流となった。

 ムービング系全盛の時代である。

 この代表的なピッチャーがグレッグ・マダックスで、奪三振率は低いながらも、球数の少ない完投試合を多く達成し、マダックスという記録の由来となった。

 ただこの少しだけの変化を、パワーで弾き飛ばすフライボール革命がやってきた。

 その潮流の中では、奪三振がまた重要になってきた。


 直史はムービング系で球数を減らすことも出来るし、緩急で凡打を打たすことも出来るし、そして今は変化球でもストレートでも、三振が取れるようになっている。

 空振り三振が多いが、アウトローの手の出ないところに投げることもある。

 見逃し三振というのはやはり、ピッチャーにとっては計算どおりのもので、バッターの予測を完全に外したもので気持ちがいい。


 上杉のストレートのように、当たるかどうかも分からないが、振らないととにかく当たらない、というほどの圧倒的なストレートではない。

 直史の場合は当たらないストレートではなく、ピッチャーの意図する当てさせないストレートである。

 それでも優れたバッターは、ある程度スイングの軌道を変えて、当ててくることぐらいはあるが。

 末永はそのタイプであったので、ここで三振が取れたのは大きい。




 今日の調子は悪くはない。

 良すぎると、無理がかかるのでこれも避けたい。

 あくまでも普通の状態が、直史にとってはいい状態なのだ。

 続く二番の馬上に対しても、直史は初球でストレートを投げた。

 ストレートの条件に当てはまるボール、というものだが。

 わずかに沈んだようなボールを、馬上は上手くカットした。

 初球から狙っていったのだが、ミート出来るものではなかった。


 直史のストレートを一番正しく分かりやすく表現するなら、クセ球というものであるのだろう。

 ただそのクセを、ピッチャー本人が自由自在に操っている、という点がただのクセ球ピッチャーとは違うところだ。

 また天然のクセ球ピッチャーは、コントロールが悪かったりする。 

 実はこのクセ球ピッチャーというのを意識的にやってきたのが、マダックスであったりもする。

 普段は真ん中あたりに投げて上手く打たせて、必要な時は狙って際どいところに投げ込む。

 結局ピッチャーの投球術も、また時代によって循環するのだ。


 馬上に対しては、大きく変化するカーブを振らせて三振とした。

 二者連続で、上手く三球で三振に出来ている。

 この事態に対して、スターズのベンチは予想はしていたが、外れてほしい予想であった。

 そして三番は藤本。

 シーズン途中までは四番を打っていたが、助っ人外国人のボーナムに、今は打順が変わっている。


 ミートが得意なタイプの長距離打者である。

 この一番から三番まで、打率が高いバッターを置くということ。

 そして四番には足がないというのは、典型的な正統派の打順である。

 直史はその藤本の様子を確認し、投げ込んでいく。

 ストレートで見逃しのストライクとなった。




 直史のストレートの打ちにくさはなんであるのか。

 もちろんこれまで様々に分析されて、上手くタイミングを外されていることは分かっている。

 高速クイックなどといった奇襲もあるが、それだけでもない。

 美しく糸を引くようなストレートが、一直線に投げられる。

 スイングしても、予想を超えて伸びてくる。


 直史は技巧派の変化球投手という印象が強い。

 確かにそれは間違いではなく、球速や変化球の種類を考えれば、少なくとも大学まではそれで通用した。

 しかしプロ入り以降はかなりストレートで勝負を決めることも多くなり、特に一度目の引退試合などは、ストレートをメインで使っていった。

 今年の直史は、シーズン序盤は昔のスタイルであったことは事実であろう。

 だが感覚が戻ってくるに従って、ストレートの割合も増えていっている。


 最終盤にいたっては、かなりストレートでの三振が多い。

 もちろんそれを活かすために、上手く変化球も使っているのだが。

 大介相手にも、ストレートを使って三振を奪ったりしている。

 球速で言うならば、まだ上杉の方が圧倒的であるのに。

 これを不思議と思う人間も多いだろうが、それはもうストレートの個性とでも言うしかない。

 スピン量やスピン軸によって、ストレートは色々と変わるのだ。


 三番の藤本も、ツーストライクへと簡単に追い込んだ。

 そこから粘る気配を感じた直史は、スローカーブを使う。

 タイミングは崩したが、藤本はなんとかカットに成功。

 これは次の、ストレートを活かす布石と見る。

 しかし投げられたのはスルーチェンジ。

 かろうじて当てたボールを直史が処理し、三者凡退でのスタートとなった。




 神宮のマウンドに上杉が登る。

 断絶が二年はあるが、およそ20年に渡ってNPBをリードし続けてきた、もう引退したら国民栄誉賞与えられるだろう、と多くの人間が思う人物。

 単純に選手としての能力や実績だけではなく、その後世や周囲への影響力は、直史や大介よりも巨大である。

 その実績をピッチャーとして挙げるとしたら、単純にデビューから七年連続、累計15回の沢村賞受賞、と言ってしまえば分かりやすい。


 上杉のせいでこの期間、セ・リーグの先発ピッチャーはほとんどのタイトルを取れなかったと言ってもいい。

 18年目までに14回の沢村賞を獲得しているが、上杉以外に取ったのが、直史と武史の二回ずつだけ、というだけでいかにおかしいかが分かる。

 その上杉を上回った佐藤兄弟は、アメリカに行って二人で14回のサイ・ヤング賞を取っているので、怪物ピッチャー三人の被害者は本当に多い。

 ただ沢村賞級のピッチングをして、取れない今年などは上杉も、そういった気持ちが分かるかもしれない。

 個人の成績にこだわる人間ではないが。


 直史が色々と問題があって、なんだか詐欺のように野球殿堂に入ってしまったのに対し、上杉は条件を獲得したら、間違いなく一年目で殿堂入りだろう、と言われている。

 まさに生きた伝説であるが、この二年間はかろうじて二桁勝利。

 さすがに衰えたとは言われたが、それでもチームに対する貢献は巨大である。

 そして今年は復活した。

 最後の輝き、と思っている人間も少なくはないが。


 この上杉に対し、レックスの作戦は決まっている。

 待球策である。

 本気になった上杉は、延長までも完投する可能性はあるが、こちらもミスター完投の直史が投げている。

 そして球数は圧倒的に、直史有利に働くはずなのだ。




 マウンドに仁王立ちする上杉は、感慨深い思いを抱いている。

 もういつ壊れてもおかしくないと、今年は考えて投げてきた。

 そしておそらくスターズは、ここで負ける。

 上杉としては弱気になっているわけではないが、20年以上もプロでやっていると、おおよそ分かってしまうのだ。

 自分が勝ったとしても、スターズはライガースに勝てないだろうと。

 このレックス戦で、おそらく戦力を消耗してしまうからだ。


 その最後の相手が、直史である。

(本望)

 対決するに相応しい。

 いまだにずっと伝説になっている、お互いがパーフェクトに抑えてしまったため、お互いがパーフェクト未達成となってしまった試合。

 今年も一応対決はあったが、直史は故障明けであったので、途中降板してしまった。

(さあ、続きをしようか)

 上杉もまた、直史に対しては憎しみも恨みもない。

 だが投げ合ってみたい相手ではあった。


 10年前であれば、と思ったりはする。

 その頃の自分であれば、まさに本当に続きになっただろう。

 22勝3敗2セーブというのが10年前の上杉の数字だ。

 ただ直史は今年、40歳で26勝0敗。

 現役としてはまだ八年目なので、勤続疲労がないのだという無茶な論説もある。

 だがブランクが完全に五年もあるピッチャーなのだ。


 これは上杉にとって挑戦である。

 もうこの数年、あるいは10年以上も、ずっと自分自身と戦ってきた。

 しかし大介が戻ってきて、直史が復帰した。

 自分が絶対的な存在でない、今のNPB。

 上杉はそれを楽しんでいる。

 ここで燃え尽きてしまっても構わない、と思っているのだ。




 果たして上杉はどういうピッチングをしてくるのか。

 それはレックスも予想出来ていない。

 ただ中四日でレックスは、上杉に完封されたばかり。

 やはり勝つためには、直史の言ったとおりに上杉を削っていくしかない。

 限界が来るのが先か、それとも打たれたりするのか。

 直史と違って上杉は、ちゃんと敗北もしているのだから。


 直史が投げるのだから、一点をまずは考える。

 スターズには怪物的なバッターはいないので、直史が完封出来る可能性は高い。

 ならばせめて一点、この現在進行形の伝説から取ろうではないか。

 そう思ってバッターボックスに入った左右田だが、上杉の投げるマウンドの位置が、妙に高く見える。

(これがプレッシャーか)

 上杉は普段、抜いて投げている。

 かつてはそう言われていたものだ。

 ポストシーズンや、シーズン終盤の大事な試合で、全力で投げるために。


 この試合の上杉は、間違いなく全力である。

 ただ全力でも、単純に全てのボールがフルパワーのストレートというわけもない。

 左右田は立ち上がりを叩くと決めている。

 だが上杉の投げてきたインコースのボールを、スイングすることも出来なかった。

 161km/hは確かに速い。

 だが上杉の最高速には遠い。

 それでもインコースは恐ろしかった。


 腰が引けた左右田は、二球目の外角にも手が出ない。

 そして三球目は、高めに手をだしたがスイングのはるか上をボールが通った。

 最近の上杉には珍しい、空振りを取るタイプのストレート。

 しかしこれでも、まだ161km/hである。

 ストレートだけで三球三振。

 これに対して二番の緒方は、ため息をつきつつネクストバッターズサークルから立ち上がった。

 今日の上杉は、やはり気合が入っている。



×××



 次話「両雄」

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