第101話 覇者
試合の序盤が終わるあたりから、直史は一応のアドバイスをしていた。
上杉に球数を投げさせろ、と。
そもそもカットすることすら難しい、上杉のボール。
だが今日は、大介にしか投げない160km/hオーバーのボールを投げている。
だからこそ球数を投げさせるのは、確かに有効ではあるのだ。
しかし直史は、もうちょっと先を見ていた。
この試合は負けた、と覚悟した上で、次はどうすればいいのかを。
球数を投げさせて、途中で交代してくれたら、まだしも逆転のチャンスはある。
そのまま続投させても、ある程度球威は落ちてくるはずだ。
また重要なことは、ここからクライマックスシリーズのファーストステージまで、中四日となっていることだ。
上杉はここのところ平均中四日登板が続いていたため、疲労はさすがに蓄積しているはずだ。
この試合でもさらに疲労させれば、ファーストステージで対決となっても、万全の状態ではないかもしれない。
つまりこの試合に勝つにしても、負けてクライマックスシリーズで対戦するにしても、上杉を削ることは重要なのだ。
自分も散々に削られてきたため、直史はこれがよく分かっている。
首脳陣もチームメイトも「こいつこんだけ凄いピッチャーなのに、よくそんな作戦を提案するな」とでも言いたげな顔をしている。
ただ直史は実際にそれで負けているし、勝つための努力を考えればそれを思いつくだろうというものだ。
上杉とまともに投げ合って勝つなど、とてつもなく難しい。
今の自分ならおそらく勝てるが、それでもレギュラーシーズンの対戦では、直史の責任ではないが、先発した試合が敗北の結果に終わっている。
強いて言えばコンディションを完璧に出来なかった自分も悪い。
ただそれを抜きにしても、あの時点での上杉との勝負は、勝てるとは確信出来ていない。
今ならおそらく勝てるが。
ここで上杉を少しでも削っておけば、ポストシーズンが少しでも楽になる。
そう、ほんの少しだが、それを積み重ねていけば、大きな結果につながる。
レックスは今シーズン、そのほんの少しの積み重ねが、あちこちで足りなかった。
そのためこうやって、ぎりぎりまで追い詰められている。
もっともライガースはさらに大味だったので、実のところレックス首脳陣を批判するのは、あまり妥当ではないと思っている直史である。
直史の冷徹な作戦は、実に効果的なものである。
ただそこまでやるのか、と考える人間もいる。そしてそれが多数である。
直史としては、現在の戦力で出来る、最大限の努力であると思うのだが。
もしもそれで上杉が交代するなら、カットされない球を投げられない方が悪い。
実際のところ直史は、自分がそういった作戦に、充分に対策を持っているので、そういう提案が出来るというものもある。
確かに勝つためなら、有効であるのかもしれない。
ただプロには、単に勝つだけでは駄目だ、という意識がある。
もちろん興行であることは直史も分かっているが、そのあたりのバランスも分かっているつもりだった。
だがどうやら周囲の反応を見るに、直史のバランスはまだ、勝つために手段を選ばない、という方向に偏っていたらしい。
この試合は負けるな、と直史は考えた。
だがレックスはリリーフ陣が、しっかりと仕事をしている。
スターズに二点目は取られてしまったが、二点差はまだワンチャンス。
なのであちらは上杉を代えることが出来ない。
おそらくリリーフ陣でなんとか出来るだろうが、そのリリーフ陣よりも上杉の方が優れている。
万一を考えれば、まだ代えるタイミングではない。
直史としても相手の考えは分かる。
なんとしてもクライマックスシリーズに行きたいチームで、そして上杉はその役割を誰かに任せるような者ではない。
そこはエース体質であるが、裏返せば上杉の欠点にもなりうる。
もっとも直史は、今のレックスの状況だと、自分も上杉と同じことをしてしまうだろうな、とは思っている。
二点差を維持して、試合を終わらせればそれでいい。
レックスは裏の攻撃なので、当然ながら代打を出していける。
するとスターズも最後まで警戒しないといけないわけだ。
出来れば念のために、クローザーが準備をしていたりすると、ほんの少しだがさらに楽になるのだが。
リリーフ陣はさすがに、ポストシーズンまでに回復するだろう。
レックスもさらなる追加点は許さないために、リリーフ陣は投入していっている。
事前の予想通りではあるが、レックスの全ピッチャーVS上杉という形になってきていた。
これだけのプレッシャーに耐えられるのが、上杉という超人である。
ほぼ同時代に生きながら、直史が上杉とあまり比較されない理由。
それはプロで重なった時期が短いとか、直史のキャリアが短いというのも理由であるが、それ以上に上杉を、直史の下にしたくはなかったからだろう。
だがそれも当然だ。
上杉はこの限界の領域において、完封にレックスを抑えている。
もう体力も限界に近いであろうに。
(回復してくるか?)
直史の計算は、もう先のことに至っている)
上杉が20勝目を勝って、ライガースの優勝が決定した。
自分たちの試合ではないとはいえ、最終戦にまで続くレギュラーシーズンの優勝争い。
一度は負けるか、ということも覚悟したぐらいである。
ただ大介は、最終戦のオーダーが発表された瞬間、99%スターズの勝利を確信していた。
上杉が負ける場面には、格というものがある。
それを覆すならば、やはり同格以上の力をぶつけるしかない。
つまり大介か、直史である。
直史が連投をしてきたなら、勝てるチャンスはまだあった。
ありえないことであるが、昨日は100球も投げていない。
二試合連続で20奪三振以上という、はっきり言ってただのパーフェクトではない数字を残しながらも、二試合目はやや余裕を残してあった。
それはつまり、この最終戦に挑む可能性があったということ。
無茶な話に思えるかもしれないが、それならばレックスは勝てる可能性があった。
実際に今日の試合、何度も上杉はランナーを出していた。
上杉自身はプレッシャーに強いが、そのバックを守る守備陣はどうであったのか。
直史が投げていたら、レックスの勝算はかなりあったと思う。
もっともそこまで無理をしては、直史が壊れる可能性もあった。
いくら直史でも、限界はあるのだ。
結局は過去のことは、確定したからこそ言えるわけである。
そして正しそうな道を選んだとしても、それで良い未来がやってきたとは限らない。
直史が連投、しかもライガースの後に、上杉の投げるスターズ相手に。
この負荷はさすがに、直史の限界を超えるものであるかもしれない。
壊れてしまったら、大介と戦うことが出来ない。
しかし今、現実としてあるのは、壊れていない直史だ。
ペナントレースを制したとはいえ、今年は馬鹿騒ぎをしないライガース。
さすがに昨日パーフェクトをされて、今日騒ぐという気持ちにはなれない。
一部のファンはやはり道頓堀川に飛び込んでいるらしいが、本当にあれはいつまでやるつもりであるのか。
もうずっと昔から危険だと言われているのに。
ただ馬鹿騒ぎをしたいという気持ちだけは、分からないでもない。
一応はビールかけなどは行われたが、戦いはこれからだ。
ポストシーズンを勝ち抜いて、日本シリーズに進出し、そこでも勝って日本一になる。
パ・リーグは一位福岡、二位北海道、三位千葉というのは既に決まっている。
やはり福岡が今年も強いか、とは言われている。
育成にミスがない限り、基本的に福岡は強いのだ。
これからの予定としては、まず今日でレギュラーシーズンが終わったので、全ての成績が確定した。
大介の場合は、昨日の時点で既に決まっていたのだが。
一応は今日で正式に決まった、ということである。
打率0.395 打点166 本塁打69 出塁率0.579 OPS1.541
ついでに盗塁56 で、ここまで打者五冠を制している。
唯一最多安打のみは、かつてと同じように、取れなかったタイトルである。
あと少しでまた、打率が四割に乗るところであった。
NPBのみに限っても、累計本塁打は644本となった。
MLBも合わせてもう、人類の到達できる可能性を突破しているが、単純なNPBの合計だけだとまだまだ上がいる。
ここから何年やれるのか。
大介の歩む道は、既に到達した山の頂に、さらに石を積んでいくようなもの。
その過酷さは、年齢を重ねるごとによりひどくなる。
予想の範囲の試合であった。
これでライガースがペナントレースを制覇し、レックスとスターズの試合の勝者が勝ちあがってくるのを待つ。
有利なのは当然ながらライガース。
しかしそのライガースを相手に、直史は直前に、二試合連続のパーフェクトを達成している。
その直史は、ピッチャーの同時に取れるタイトルを全て取っている。
勝利数26 勝率1 完投23 防御率0.19 奪三振332
ちなみに他の数字としては完封19 イニング数234.1 WHIP0.18
このあたりもトップの数字である。
これだけ投げていて、打たれたヒットは37本しかない。
ただNPBにいた最初の二年よりも、悪化している数値がかなりある。
防御率は一番悪いし、奪三振率も一番低い。
自責点も一番多いし、打たれたホームランも一番多い。
勝利数はそうでもないが、全般的に話せばやはり、三年間の中では今年が、一番成績は悪かったことになる。
本当にふざけた話であるが。
またこれらとは別だが、ノーヒットノーラン五回、パーフェクトゲーム二回。
そしてマダックス18回に、そのうちの三回はサトー。およそ超一流のピッチャーが、キャリア全てを通じても出来ないことを、この一年でやってしまった。
もっともそれもまた、一年目や二年目と変わらない。
直史と大介、果たしてどちらにシーズンMVPを与えるのか。
直接対決を言うのなら、大介は直史から、三本のホームランを打っている。
ただ打率だけをいうなら、16打数の4安打で、直史の方が上と言えなくもない。
なんとも選考が難しそうではあるが、本番はこれからである。
あと一歩届かなかった。
レックスは上杉に対し、自然と終盤は粘りのバッティングになっていた。
直史が序盤に言ったとおりであるが、それしか有効な作戦はなかったからと言えるだろう。
ただ、おかげで二点差のまま、上杉を最後まで投げさせることが出来た。
123球も投げさせたと言うべきか、粘ったのにその程度と言うべきか。
今年の上杉は比較的、100球を超えたあたりで継投することが多かった。
またシーズン前半には、黒星も喫している。
だが直史が調子を戻していくのと同じように、調子を取り戻していった。
なおライガースは、直史と上杉、共に五試合ずつを対戦している。
そしてこの二人相手に、10試合負けている。
単純に言えば直史か上杉が投げれば、ライガースには勝てるのだ。
重要なのは他のピッチャーをどれだけ打つか。
レックスやスターズ側からは、他のピッチャーでどうやって勝つか。
ライガースはスターズ相手には14勝11敗。
そしてレックス相手には11勝14敗となっているのだ。
スターズが勝ち上がってきた方が、ライガースとしてはやりやすい。
そしてレックスとスターズの対決としては、レックスが13勝12敗でわずかに上回っている。
ただこれは、ほぼ互角と言っても全く間違いではない。
共にスーパーエースを抱えている。
直史の数字がおかしいが、上杉も最終的には20勝2敗という成績なのだ。
そしてこの二人が万全の状態で投げ合うという試合は、結局一つもなかった。
クライマックスシリーズまで、登板間隔は四日間。
かつての上杉であれば、平然と投げてくる間隔ではある。
だがここで平然と投げるというのは、ここまでの登板間隔から言っても、また現在の上杉の調子から言っても、かなり苦しい。
まして相手が直史であったら。
敗北を反省する暇などはない。
確定した事実は事実として、次を考えなければいけない。
レックスの首脳陣としては、クライマックスシリーズのファーストステージが、スターズ相手の対戦となったことを考えなくてはいけない。
ここで問題になってくるのは、果たしてスターズは上杉をどう使ってくるかという問題だ。
同時に起こるのが、レックスは直史をどう運用するかという問題である。
直史と上杉を当てたら、おそらく直史が勝ってくれる。
そして上杉での勝ち星がなければ、おおよそレックスの方がスターズよりチーム力は上だ。
現在ではポストシーズンは、クライマックスシリーズの場合は第一戦は試合前前日の15時に発表されて、二戦目以降は前日の試合後に発表されている。
おそらくスターズは、第一戦に上杉を持ってくるだろう。
あのチームはどうも、美学というものを持っていて、その美学の中心に上杉が存在する。
なのでエースは、初戦に出すのだ。
中四日なので、おそらく上杉なら出てくるだろう。
直史は中五日で投げることが出来る。
気になるのはその前は、中四日で投げているということだ。
ただライガース相手の二戦目では、100球も投げていない。
(勝てる、とは思う)
貞本はそう考えている。
(上杉で負ければ、スターズは崩れる)
この読みもほぼ間違いないだろう。
(ファイナルステージをどうするか……)
まだ考えるのは早いと言われるかもしれないが、先のことは出来るだけ早く考えていた方がいいのは確かだ。
スターズがそのスタイルを、どこまで貫けるかが、クライマックスシリーズのポイントだと直史は考えている。
上杉を中心として、上杉に頼りながらも、上杉と共に戦う。
昔ほどスターズは、上杉のワンマンチームではなくなったと言えるだろう。
本人の衰えというのが、この数年にはあった。
また上杉自身の考えも、変わったのかもしれない。
それでも中四日であれば、上杉は先発してくるだろう。
(勝てるはずなんだが……)
上杉はプレッシャーのかかる試合ほど強い。
ただ最終戦の消耗が、四日間で抜けるものなのだろうか。
普段の上杉は、かなり流して投げてるというのが、ここ数年であったろう。
そもそもストレートの上限が、ほぼ160km/hになったと思われた。
しかし大介相手には、それをオーバーするストレートを連発。
それでも打たれてしまうあたり、やはり衰えたと見るべきかもしれない。
そんな力でレックスとの最終戦に挑んだのだ。
普通の中四日とは、違うものだと考えた方がいい。
もっともそれは直史自身にも言える。
ライガースとの二試合、リミッターを切ったピッチングをしていた。
それを見て、誰も勝てないと思った人間は多いであろう。
しかし直史としても、これでどこで壊れるかが分からなくなっている。
スターズ戦はもう一試合、直史以外で勝たなくてはいけない。
さらに先には、ファイナルステージがある。
日程としては二試合連続で勝利しても、中二日で第一戦が始まる。
直史が第一試合に投げるとしたら、中三日であるのだ。
(俺以外のピッチャーでも、ある程度はライガースに勝てるはずだ)
ライガースには、絶対的なエースはいないのだから。
それでも直史が何試合投げられるか。
そこが焦点となるであろう。
優勝が決定した翌日も、普通にニュースでは野球の話題となっている。
まずはファーストステージでどちらが勝つかと、ファイナルステージで勝ち上がってきたチームとライガースが、どのような展開になるか。
あとは各種タイトルの記者会見なども、大介は今日行われる。
しかし直史はそれらを昨日終わらせて、今日は見送りに行っているはずだ。
わずかだが予定が短縮された結果、明史のアメリカ行きは早まっている。
もちろん早く行ったとして、それで手術の順番まで早くなる、というわけではない。
だが日本からのデータをアメリカに送っても、さらに精緻な事前検査などは必要になる。
時間的な余裕は、あればあるほどいいのだ。
瑞希は同行しているが、直史は手術の直前か、シーズンが終わってから向かう。
場合によっては大介も行こうかな、と思っていたりもする。
こういった状態で、直史が果たして、冷静なピッチングが出来るのか。
直史はメンタルに関しては、大介よりも強い。
いや、これを強いと言っていいのかどうかは分からないが。
大介が直史を見るとき、その強さの根底にあるのは、長男とか跡継ぎとか、今では古くてどうしようもないと思われることが多い価値観だ。
ただ責任感がメンタルを作り上げ、それが直史の人格となっているのは確かなのだ。
窮屈そうに見えるが、逆に己の根をしっかりと張っているようにも見える。
もちろんそんな単純な一要素のみで、直史の精神性が成り立っているわけでもないだろう。
ただ直史の保守性というのは、やはりこのあたりからの幼少期の人生が影響していることは間違いない。
直史に勝つということは、単純にフィジカルや頭脳で勝つというのとは、違うものであるのだ。
必死でスタミナを削りまくったら、確かに勝てることは経験で分かっている。
ああいう状況にした時点で、確かに作戦勝ちではあるのだろうが。
翌日は沢村賞の選考と発表であるが、直史はこの時間だけは空港にいた。
明史と瑞希に加えて、医師団に通訳まで同行するという、ある意味贅沢な旅だ。
直史はケチとよく言われるが、単に贅沢をしないというだけで、こういう時には普通に金は使う。
「手術の日には、俺もそちらに行くから」
「お父さんは野球を頑張ってよ」
手術の危険性というのを、明史は下手に賢いがために、理解してしまっている。
こういう時に必要なのは、賢い答えではない。
「お父さんが勝っても、他のピッチャーが負けると勝てないからなあ」
それはそうなのだ。
ペナントレースの制覇に失敗し、レックスはアドバンテージを失った。
六連戦の中で、四試合に勝つ必要がある。
あるいは三試合に勝って、二試合を引き分けるのでもいい。
だがライガースと対戦した場合、引き分けで終わる可能性は低い。
普通なら初戦と最終戦に投げれば、先発としての役割を果たすことになるだろう。
しかし日本シリーズに進むためには、もう一試合ぐらいは勝っておかないと難しいだろう。
息子と妻を見送り、直史は踵を返す。
もうどうでもよくなったことだが、明日は沢村賞の選考と発表だ。
他に候補がいないので、一応は内定すらしていないが、準備はしておかないといけない。
空港まで送ってくれたリムジンは、一台のみが残っている。
そしてその中には、セイバーが待っている。
「それじゃあ、勝算について考えましょうか」
真の意味での作戦会議は、この密室で行われる。
名目上はレックスの関係者でもないセイバーは、公の場では作戦会議に参加するなど出来ない。
もちろんデータスタッフとしてもぐりこむことなどは可能なのだろうが。
直史にとっては、この先のチームの勝利や優勝などは、はっきり言ってどうでもいい。
だが自分の信じている直感が、最善を尽くせと言って来るのだ。
それが自分に課された天命であると。
人間がこの世に生まれてきた意味など、一つもない。
意味は自分で見つけていくものだ。
最初は色々な期待があるだろうが、それに従うか反発するかで、人生は変わっていく。
直史は基本的には従ってきたつもりであるが、他の人間が聞いたら苦笑いしてしまうであろう。
直史ほど、自分の都合で人生を送ってきた人間はいないと。
そして今の直史は、自分の役割について、さすがに割り切って考えている。
ここまで野球というものが、自分を束縛するのなら、逃れるのではなく切り込んでいくべきだ。
自分の力で、自分にしか出来ないことを、この世界に刻み付ける。
その結果がどうなるか、あるいは肩や肘の故障という形で完結するかもしれない。
今のところはそういった自覚は全くないが。
野球が自分に与えてくれたものを考える。
まず最初に、何かに勝ちたいという本能的欲求。
敗北の中でこそ、これは強く育まれた。
そして次の高校時代が、直史の敗北という根から生まれた幹とその先となっている。
多くの栄光は、この時代を中心としている。
全てがここから始まった、と言ってしまってもいいかもしれない。
(終わるのは、神宮か甲子園か)
終焉の地は、果たしてどこになるのだろうか。
まずは対スターズ、というか対上杉である。
直史と上杉の間には、あまり因縁はない。
むしろ二人で協力し、日本の国際大会優勝に貢献したり、対決したとしても二度と達成不可能な記録を残したりと、そういう関係である。
NPBでの直接対決も、MLBでの直接対決も、回数が少なすぎる。
ライバル関係はもちろん、比較されることも少ない。本格派と技巧派という文脈なら、互いに凄いで終わってしまう。
スターズは上杉を第一戦に先発させる、と考えていいだろう。
中四日という間隔は関係なく、第一戦に上杉を投げさせない道理がない。
上杉で駄目なら、誰もが納得する。
負けてもその姿が絵になるのが、上杉というピッチャーなのだ。
直史は負けるのはごめんである。
「今の上杉さんに、まだ完投能力はありますか?」
「それは昨日の試合を見れば明らかだけど……」
結局レックスを完封するあたり、本当に容赦がない。
だからこそ、直史が投げなければいけない。
最終的に一勝一敗一分であると、二位のチームが勝ち抜く。
なので直史は、延長までずっと完封し続ければいい。
無茶な、と思われるかもしれないが、無理ではないのが直史だ。
もっとも今年は、あまり多い球数を投げていないのが心配だが。
引き分けは勝ちにほぼ等しい。
上杉相手にそれが可能なのは直史だけだろう。
ただ上杉も、さすがにもう消耗しているだろうが。
最終回でも160km/hオーバーを投げていたが、165km/hオーバーは投げていない。
そんなところを基準にしていいのか、という疑問は浮かんだりもするが、それはもう仕方がない。上杉なのだから。
「あの人の限界、いったいどこにあるんだか」
「それは私の台詞でもあるけど」
セイバーにとってみれば、むしろフィジカルで劣る直史が、上杉に勝っているという事実の方が驚きだ。
結論から言うと、とにかく直史が上杉に勝てるかどうかが、スターズ戦のポイントとなる。
ピッチャー同士なので、直接対決はないのだが。
もっとも直史はともかく、上杉はそこそこバッティングでもまだ貢献している。
もちろんかつてのように、代打で出してもいいのでは、というほどの数字はもう残していない。
それでも今年、相手のエラーによる出塁しかしていない直史よりは、よほど恐ろしい存在である。
パワーだけなら、今でも充分にホームランは打てる。
あくまでも可能性であって、実際のところ上杉は、おそらくもう動体視力が落ちている。
年齢的に仕方がないが、長打は怖いが打ち取れるバッターだ。
ここが全く打てない直史とは違うところだ。
ただ上杉で勝てなければ、スターズはもう無理だろう。
直史で勝てなくても、レックスはまだどうにかなるか。
引き分ければレックスの勝ちだ。
三試合の最後の試合まで持ち込まれれば、上杉が中一日で投げてくる可能性もある。
その場合直史は投げるのか。
投げられなくはないと思う。
だがそうなると、次のライガース戦での勝算が薄くなる。
六試合であるが、移動がなく甲子園での六連戦。
ここで四勝か、三勝二分しないと日本シリーズには進めない。
直史は最悪、連投までをも見ている。
しかし大介を相手に、そんなピッチングが出来るのか。
直史の目指すものによって、スタイルは変わってくる。
チームの最終的な勝利を考えるなら、直史はとにかく消耗を少なくして、一試合でも多く投げられるようにするべきだ。
それこそプロ一年目は、日本シリーズをほぼ一人で四勝したのであるから。
だがクライマックスシリーズは、登板間隔がさらにタイトだ。
六日連続という日程で、どれだけ投げることが出来るのか。
レギュラーシーズンの結果だけを見るならば、直史以外のピッチャーでもある程度は勝算があるはずである。
それを計算すると、確実に勝ってくれる直史のいる、レックスの方が日本シリーズ進出の可能性は高い。
だが直史は自軍のピッチャーを、あまり信頼していない。
クローザーのオースティンだけは、かろうじてお眼鏡にかなっているが。
傲慢かもしれないが、NPBに入った頃のレックスは、投手王国で有名であったのだ。
そしてセイバーも、この野球という偶然性の高いスポーツでは、レックスが四勝する可能性は低いと思っている。
ただチームに勢いをつける方法なら分かる。
「第一戦でパーフェクト、最低でもノーヒットノーランをすることですかね」
「そんな無茶な」
いや、お前は既にやっている。
「無茶でもまあ、初戦でガツンと士気を折っておくしか勝つ方法はないのでは?」
セイバーにしてはあまりに実現性が低い作戦だが、それこそが状況を示しているということなのだろう。
直史はひたすら、自分のやれることをやるだけだ。
それこそこの右腕が折れたとしても、自分はもう役割を果たした。
生贄にするならば、右腕までで充分だろう。
さすがに命を賭けることなどはないし、そもそも賭け方も分からない。
勝てる試合を、ひたすらに勝つ。
そう、直史はもう、来年のことなど考えていないのだから。
×××
次話「栄光」
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