第99話 遠く彼方へ

 選択ではなく結果で判断されることが多い、スポーツの世界である。

 偶然性が多くなければ、それはつまらないことにもなる。

 偶然性が多すぎても、それはそれでつまらないということになる。

 野球は前者の、偶然性が多いスポーツだ。

 ノーヒットノーランやパーフェクトというのは、ほとんど運がなければ達成できない。

 実際にその達成者は、名投手もいるが、特にたいした実績を残していないピッチャーもいる。

 そして統計的に、このピッチャーはパーフェクトが出来る可能性が高い、とされたピッチャーがパーフェクトをしていなかったりする。


 その意味で直史は、神に愛されているというと言えるかもしれない。

 アンチキリストでありアンチコミュニストの直史としては、愛しているといってもそれは、邪神の類であるのだろうな、と思うが。

 日本の神々というのは、基本的に祟るものであるからだ。

 精霊信仰とも言える神々の存在は、むしろ直史は必要なものだと認めている。


 野球の神様も、この世にはいるのだろう。

 そしておそらく、それはピッチャーである。

 神格化されたといってもいい、沢村栄治。

 あのあたりは普通に神様になってもおかしくないのが、日本の八百万の神々である。

 死後は大介も神格化されるのかな、などと直史は考えている。

 自分は対人関係が無機的だから、その心配はいらないだろう。


 神にはならなくていいが、現世利益的に勲章はほしい直史。

 子孫が少しだけ、誇れる先祖であればいい。

 そんなことを考えるのは、時代錯誤ではあるのだろう。

 だがそれこそ自分の価値観の問題であり、誰に文句を言われる必要もない。

 その直史が戦わなくてはいけないのが、この大介である。

 憎くはなく、むしろ親しみと喜びを共にする仲間。

 だが同時に、好敵手でもある。




 マウンドの上に神が立っている。

 大介はそう感じている。

 それはもう、今となってははるか昔の話、上杉との対決にまで遡る。

 野球場に神が降臨するとすれば、それは間違いなくピッチャーの姿をしている。

 そして今はそれが、直史の顔をしている。


 生贄を捧げたわけではないが、直史のリミッターを外してしまった、最後の要因は自分であろうと大介は思っている。

 ホームランを打ったあの試合の後から、直史はノーノーマダックスにサトーと続き、そしていよいよパーフェクトを達成してしまった。

 このペースならこの試合は、マダックスも同時に達成する可能性がある。

(一点取れば同点か……)

 普通ならまず、出塁を目指すのだろう。

 だが直史から、連打で点が取れるとは思わないし、実績でもそれは分かる。


 エラーが絡むか、あるいはホームランの一発。

 直史は今年、ホームラン以外での失点を許していない。

 一発病、などと言うのは間違いで、そもそもこれだけのイニングを投げて、ホームランがこれだけしか打たれていないという方がおかしい。

 そもそもシーズン200イニング以上を投げて五失点というのは、ありえない数字なのだ。

 もっとも若かった一年目などは、自責点が一点だけであったりもするが。


 本気を出してからの直史は、ヒット一本しか打たれていない、という計算にでもなるのだろう。

 ここまでのピッチングを見ていても、絶望的な相手だ。

(ペナントレースを制したとしても、それでもまだこちらが圧倒的に不利なわけじゃない)

 レックスが計算してライガースに勝てるピッチャーは直史ぐらいだ。

 ただそんなことは何も考えず、とにかく勝ちたいという気持ちはある。

 NPBでは直史を相手にして、優勝していないのが大介なのだ。




 初球からある程度狙っていく。

 追い込まれたらストレートかスルーチェンジに的を絞るべきだろうが、普通のスルーを使われても困る。

 ならばそれ以前のボールを、狙っていくべきなのだ。

 そう考えている大介に、最初に投げられたボール。

(スルー!)

 まともに打ったら、せいぜいが内野の頭を越えるバウンドの打球にしかならない。

 なのでここは、右方向に強くカットした。


 ここで少し、大介は考えた。

 わずかに感じたこれはなんであろうか。

 直感ではあるのだろうが、おおよそ直感にはちゃんと理由がある。

 それを辿っていきたいので、バッターボックスを外した。

 ここが今日の最後の大一番になる可能性もある。

 審判も大介をじっくりと見ている。


 初球からスルーというのは、想定の範囲内にあったはずである。

 だがそれを打てなかったのは、スイングの軌道に問題がある。

(アッパースイングにしなければいけなかったけど)

 どうせ詰まらせてアウトになるか。

 基本的にはストレートを狙っていきたいが、カーブが入ってくる可能性も高い。


 直史のカーブの軌道と、そのスピードを考えると、大介もかなり全力でスイングしないと、スタンドにまで持っていくのは難しい。

 そしてカーブに狙いを絞ってしまうと、おそらくストレートで空振り三振となる。

(他のボールはカットしていって、ストレート狙い)

 ただ直史の今のストレートを、ちゃんと捉えられるのかという問題はある。




 二球目を投げる前に、直史は大介の気配を探っている。

(カーブが正解かな)

 直感的にそう感じてから、逆にその意味を理論的に考えていく。

 単純にボールの軌道とスピードから、反発力が低い。

 大介ならフルスイングすれば、それでもスタンドには運べるだろう。

 しかしカーブにタイミングを合わせていれば、速球系への対応が鈍ってくる。

 だからここはカーブなのだ。


 セットポジションからモーションに入っていく。

 高い位置でリリースしたその軌道は、間違いなくスローカーブ。

 その軌道をあっさりと計算した大介は、背中を向けてしまった。

 ゾーンはわずかに通っているが、これは完全にボールと宣告される球。

 実際に審判もボールとしたが、くるりと背中を向けてしまった大介の様子には、観客も驚愕しただろう。

 直史は何も驚かない。


 完全に見切ったのだろうが、その態度は下手をすれば審判を敵にする。

 いや、逆なのだろうか。

 あえて挑発している?

(う~ん……さすがに分からないぞ)

 直史に対するものか、それとも審判の存在を無視したものか。

 そもそも大介は、ゾーンにこだわらずに打てるボールを打ってしまう。

 審判の判定など、いらないのかもしれない。


 三球目に何を投げるか、直史が考えてサインを出し、そこからダミーサインを迫水が出す。

 他のバッターに対してはともかく、大介相手はこれが必要だ。

 そして投げられるのは、クイック気味のモーションからピッチトンネルを通るボール。

 ストレートかと思ったが、スイングの途中で大介は気づいた。

(スルー!)

 膝と腰の力を抜いて、強制的にスイングの軌道を変える。 

 そしてそこから再度、力を入れてスイングに伝えていく。 

 思ったよりも低く変化したボールを、引っ張ってライト方向へのファールとなった。




 ストライクカウントが稼げた。

 ただあの崩れた体勢を、もう一度元に戻す力がある。

 体幹の力が、とにかく超人レベルであるのだ。

(一時期ほどの力はもうないとか言われてるけど)

 確かに本当の全盛期は、大介も過ぎてしまったのかもしれない。

(勝負どころで出す最高出力は、昔のままじゃないのか?)

 むしろ粘り強さなども身につけている気がする。


 どこに投げても打たれる、という感覚に多くのピッチャーはなるのだろう。

 だが直史は、一筋の糸のようなルートを確保している。

 そこにカーブを投げれば、おそらくは空振りか凡打でしとめることが出来る。

 しかしそこは罠である。

 確かにかつて、そこは大介を空振りに取れるコースであったかもしれない。

 直史が見えているのは、さらにその先にある道だ。


 四球目、直史は同じようなピッチトンネルからボールを投げた。

 それは鋭くアウトローを狙ったもので、本来の大介ならばレフトスタンドに放り込んでもおかしくない。

 ただ今の大介にとっては、想定以上のボールになっている。

 スイングしたボールは、大きく曲がってレフトのファールスタンドに飛んでいった。

 カウントは変わらないが、直史は大介の気配を読めてきている。


 今のコースは大介の殺気を基準にすれば、打てるボールであったはずだ。 

 あからさまな危険なゾーンへの気配の広がり。

 そこに152km/hのストレートを投げたら、球威に押し込まれた。

 まさに球威と呼ぶべきもので、直史のストレートには力が入っていたのだ。

(本格派のストレート、とはまた違うんだろうけどな)

 大介にとってさえ、直史のストレートは厄介である。




 追い込んではいるし、ボール球を投げることも出来る。

 だがシンカーなどを投げても、あっさりと見逃されるかカットされるだろう。

 投げられるボールがなくなっていく。

 これまでならここで、スルーチェンジを使っただろう。

 しかし直史の脳裏を支配したのは、明確なコースと球種。

 これで勝てるという確信を抱いて、どうしてそう思ったかを逆に考えていく。


 ああ、なるほどと悟る。

 大介ならそこは、むしろ打てないだろうな、と納得してしまった。

 そしてサインを出すが、迫水もさすがに動揺した。

(なんでそこを)

 あまりにも非常識な配球であるが、確かにそれは予想外である。

 むしろ他のものは全て、予想されていると考えてもおかしくない。


 確信を持ってはいても、そこには巨大な精神力がなければ投げられない。

 甲子園球場を埋めるのは、ほとんどがライガースファン。

 ただ直史としては、この甲子園のマウンドの柔らかさが、理想のピッチングをもたらしてくれると考えている。

 この、最後の一球。

 直史はたっぷりと力をためて、ゆっくりと足を上げた。

 ここで、これを投げる。

 直史らしくないボールを。


 それはストレートであった。

(ど――)

 真ん中に入ってくるストレート。

 確かにそんなものを、よりにもよって大介に、よりにもよって直史が、投げるはずがないというボールであった。

 そしてそこは、大介のバットが届く範囲である。

 振り抜いたバットは、確かにボールを叩いた。

 センター方向への、高い打球が放たれた。

 高く高く、スタンドが沸き上がる。

 高すぎる打球であった。




 多くのライガースファンが望むのは、バックスクリーンへの直撃弾。

 だがセンターは、ややレフトに寄りながらもそれを追いかける。

 そしてフェンスの手前で、それをキャッチした。

 大きな飛球であったが、あと5mほどは必要であったか。

 直史は空振りを取るつもりだったのに、初めてまともに外野にボールが飛んだ。

 もう一度勝負すれば、どうなるかは分からない。

 ただ、ここで勝ったのは直史であったのだ。


 ライガース応援団が意気消沈する。

 これで直史は、パーフェクトが継続する。

 続くバッターも厄介な上位打線であるが、直史としてはこの展開は期待していた通りだ。

 ホームランでなくてもノーアウトで大介がランナーに出ていれば、失点の可能性が極端に上がる。

 その大介の三打席目を抑えたのだ。


 これでおそらく、ライガースの投手陣へも影響を与える。

 レックスほどには磐石ではないリリーフ陣。

 大介が凡退したことによって、ライガースが勝つ確率が薄れていく。

 そもそもここまでまだ、一人もランナーが出ていない。

(さすがに連続でパーフェクトなんかないだろ)

 誰かがそう思ったとしたら、残念、直史はMLB時代に複数回連続パーフェクトを達成しているし、大学の最後のリーグ戦では全ての試合をパーフェクトで終わらせているのだ。


 ただ、一人でも出ればまた、大介に回ってくる。

 それが九回の裏であったりしたなら、逆転サヨナラの可能性すらある。

 さすがに都合よすぎる考えだとしても、まずは一人出塁すること。

 四打席目の大介をバッターボックスに送り込めば、まだ勝負は分からない。

 ライガースの認識はそれで共通している。

 ベンチに座る大介も、珍しく難しそうな顔をしながら、直史のピッチングを見続けている。




 地元甲子園で、地力優勝というのは、この試合で勝つしかないライガースである。

 プロ野球というのは別に今年に限らず、優勝の行方が自分たちの勝利ではなく、対抗するチームの敗北によって決定する場合が少なくない。

 もしも、を考える。

 もしも今日の試合に負けてしまったら、明日の試合でスターズに、勝ってもらうが引き分けにしてもらうしかない。

 もっともスターズの先発は上杉の予定なので、そちらで優勝が運ばれてくる可能性も高いが。


 逆にレックスは、もうひたすらに勝つしかない。

 ここで直史が完封したとしても、明日にクローザーぐらいはしてくるかもしれない。

 だが大介相手に、それなりに球数を使っているのが直史である。

 このレギュラーシーズン終盤、中六日体制を崩してでも、強いチームに直史を当てて勝ってきたのがレックス。

 下手をすれば明日の試合でも、リードしていたら終盤の3イニングぐらいは投げるかもしれない。


 ペナントレースを制覇すれば、次のクライマックスシリーズファイナルステージまでには、一週間以上の間隔が空く。

 直史もこのシーズン終盤、ひたすら投げて体の芯には、そう簡単に取れない疲労が蓄積しているかもしれない。

 だがファーストステージから戦っていったら、もし一試合だけに投げるにしても、疲労を抜くのはさらに難しくなるだろう。


 体力や耐久力、回復力の限界がどこにあるのか、正直直史は分かっていない。

 いくら技術や投球術を磨いても、肉体の限界は明らかに落ちている。

 今年もシーズン途中で、わずかだが離脱している。

 MLBなどはあの過酷なスケジュールでも、なんとかなっていたのにだ。

 そんな直史が、勝つことによって優勝を目指す。

 勝つことを最優先にした時点で、もうおかしくなってはいるのだ。




 大介に四打席目は回したくない。

 ならば三振か内野フライを打たせるのが、一番ランナーの出る可能性は低いだろう。

 おそらくポストシーズンでもまだ、対決はあるのだ。

 もちろんファーストステージで勝つのが、どちらかなどは分からないが、

 それでもおそらく、また対決が待っている。

 

 直史はここまでやっても、自分が大介に完全に勝っているとは言いがたい。

 かつてはポストシーズンで、逆転弾を打たれてしまった。

 それがそのまま試合の勝敗につながったわけで、何をどこまでやれば勝ちというのは、現役である間はずっと付きまとう。

 引退したとしても、周囲は色々とやかましく言ってくるものだが。

 当事者二人の間であっても、認識には差があるのだ。


 だいたい直史と大介の場合、重要な点で打たれてしまったのだから、自分の負けではないか、と考えるのが直史。

 そしてそれ以外の重要な点で、ほぼ完全に抑えられているのだから、負けたのは自分だと思うのが大介。

 どちらも自分の勝ちだ、とは思わないらしい。

 だからこそずっと、まだこの先があると思っている。


 単純にどちらかが勝ったかだの、言えることではない。

 通算的な統計で勝てばいいのか、それとも重要な一戦だけが問題なのか。

 直史の場合は確かに決定的な場面で負けているが、それは逆転できないようなどうしようもない部分なのか。

 一度でも負けたら、それをいつまで引きずればいいのか。

 勝敗を簡単に決めることは出来ない。




 ピッチャーとバッターの勝負は、どういうことになれば決着と言えるのか、直史にはなんとも言えない。

 ただその試合の勝敗だけなら、それは確実だ。

 勝ったピッチャーが、勝たせたピッチャーが良い。

 さらに完封しているなら、ピッチャーの勝ちであろう。

 だが世間では、大介に二本もホームランを打たれていることを、大きく話題になっていた。

 ましてあの、場外ホームラン。

 飛距離が200m以上あるのでは、と推定されていたものだ。


 ピッチャーとバッターの対決の結果が、そのままチームの勝敗に直結しているわけではない。

 集団競技なのだから、それは当たり前のことであろう。

 だがそんなことを言っていたら、全ての勝負が確定していないことになるのか。

 直史が100回抑えていても、一本打たれたら勝敗は定かではない、などと言えるのか。

 もちろんそんなはずはないのだ。

 常識的な基準で考えれば、直史が勝っていることになる。


 傲慢と言うよりは、せめて完璧主義者と言うべきだろう。

 勝つために必要なことを順番にやっていったら、自然とそこに行き着く。

 直史のやっていることは、つまりそういうことだ。

 己に満足しないこと。

 今の自分に満足してしまえば、もう未来の自分を高める意志が弱くなってしまう。

 それ以上を求めるのか、と周囲は呆れるだろうが。


 直史はこのイニングも、残る二人を三振で抑えた。

 ストレートはほぼ常時、150km/hを超えている。

 実際のところストレートの球速が直史よりも上のピッチャーは、NPBでもそれなりにいる。

 だが安定して150km/hを投げるというのは、意外と少ない。

 直史にしてもこの球速は、体格からしてもかなりの負担がかかるのは確かだ。

 筋肉を全て連動させて、無駄な力を全く使わないようにする。

 それによって直史は、150km/hを可能としている。




 空振り三振が二つ続いた。

 これで直史は17個目の三振を奪取ということになる。

 もう一打席回ってくることはないので、ストレートを決め球に使ってしまうことが出来る。

 いや、普通ならあと一打席ぐらいは、回ってきてもおかしくないのだが。

 大介を打ち取ったことによって、余力を残す必要がなくなった。

 そうは言っても、まだ一点差のままであるのだが。

 ここで勝利を確信するのは、本当ならば早すぎる。


 大介のアウトは、それでも外野までボールを運んだ。

 なのでわずかに光明が見えてきたはずだ。

 しかしライガースの士気は、あれで落ちてしまったらしい。

 八回の表、先頭打者の直史はあっさりと三振でアウト。

 一回もスイングしなかったが、それを咎める者などいない。

 ベンチに戻って、裏のピッチングのことを考える。 

 だがレックスは、ここから打線が動き始めた。


 大介を打ち取って、チームの勝利に近づいたかのように見える。

 だが直史が緊張を解いていないというのは、やはり一人ぐらいはランナーが出ることを考えているからか。

 エラーにしろ、内野安打にしろ、今日の直史は奪三振が多いが、それでも全てを三振でアウトにすることは出来ていない。

 わずかな時間、ベンチの中で精神的なスタミナを回復する。

 そして水分や糖分、塩分といったあたりを補給する。


 その間に試合は動いていた。

 左右田と緒方の連続安打で、ワンナウトから一三塁の状況が作り出される。

 緒方が二塁に盗塁を仕掛けて、左右田がホームを狙う、という作戦もあるだろう。

 だがこの状況では、そんな雑念が入った方が、ピッチャーにとってはまずかったのだろう。

 投げたボールはジャストミートされて、右中間を抜ける。

 一気に緒方までが戻ってきて、3-0とスコアは変化した。




 勝ち筋がもう見えている。

 なんなら九回は、クローザーに任せてもいいかもしれない。

 直史がパーフェクトを継続していなければ、だが。

 それに三点差は、ワンチャンスではないが、それでも1イニングで逆転が可能な点差だ。

 満塁ホームランは四点が入るということを、忘れてはいけない。

 八回の裏、長かった表の攻撃が終わり、それでも集中力を切らさなかった直史が、マウンドに戻ってくる。

(静かだな)

 実際は応援の大声援が、大気を震わせるのが伝わってくるのだが。


 直史はここでも、気を抜かないが力を入れすぎもしない。

 基本的には三振でアウトを狙っていくが、そこまでの配球も上手く打たせて取るということを考えている。

 先頭の四番大館を内野ゴロで打ち取ると、後続の二人は連続で三振。

 八回の裏が終了した時点で、83球の19奪三振と、前回のパーフェクトよりもさらに、理想に近い形で進んでいる。


 直史の理想とするところは、どれだけ球数を少なくした上で、点を取られずに勝つかということ。

 だが今の状況では、単に勝つだけでは優勝につながらない。

 味方に力を与えて、おそらくはポストシーズンで争うライガースを絶望させなければいけない。

 しかし向こうの選手の中で、一人元気なのが大介である。

(少しは落ち込んでほしいものだけどな)

 そう考える直史であるが、実際にそうなったら失望するだろうな、とも考えていた。




 九回の表、レックスの攻撃に追加点はない。

 直史の前でスリーアウトとなり、グラブを取りにベンチに戻る。

 このわずかな動きが、なんとも面倒である。

 肌に触れる空気の流れさえ感じられるが、それは逆に脳の処理能力が高すぎるということでもある。

 用意していたペットボトルの水を、頭からかぶる。

 周囲はぎょっとしていたが、これで頭が冷えた。

 タオルで軽く水分は取っておく。


 あと三人である。

 ランナーが一人出て、大介がホームランを打っても、まだ3-2で一点のリードとなる。

 糖分も補給して、マウンドに向かう。

 濡れた髪の直史は、マウンドで帽子を被る。

 見られている視線を、肌がひりひりと感じている。

 バッターボックスに入るライガースのバッター。

 代打が用意されているのも、見てはいないが気づいた。


 勝てるな、と思った。

 どこに投げればアウトになるのか、はっきりと分かる。

 だが自分もかなり無理をしている。

 ようやく体の方も、何がどう負荷がかかっているのか分かってきた。

 それでも故障するほどではない。今のところは。

(まずはこのボールから)

 スローカーブを、相手はスイングする。

 だがボールはファールゾーンに飛んで、ストライクカウントが増える。


 直史は新しいボールをもらって、縫い目をしっかりと確認する。

 そして投げたのがスライダーで、バッターは空振り。

 二球で問題なく追い込むことが出来た。

(最後はこれで打ち取れる)

 投げたのはストレートでこれを打った打球はサードフライ。

 ファールゾーンで問題なくキャッチし、あと二人となった。




 記録がかかっている。

 MLBでは記録したが、NPBではしていないことだ。

 それは二試合連続でのパーフェクト。

 既に一度やっているので、本来なら特に執着もしていないパーフェクト。

 だがこのシーズンの終わりには、やっておくべきことだ。

 明日の直史は、ブルペンに入る。

 いざとなればリリーフで投げると思えば、味方のピッチャーも心強いだろう。


 この試合を勝ったとしても、まだペナントレースが終わらない。

 最後の試合まで分からない、というのは確かにこれまでにもあったことだ。

 だがこの年のレックスとライガースは、ほとんど序盤からずっと、一位と二位をキープしている。

 互いにほぼ同じ力を持っていたが、違うところもはっきりと分かる。

 この終盤は地理的には移動で有利なはずのレックスが、日程で圧倒的に不利になった。

 それなのにどうにか、こうやって最後の試合にまで決着を残すのだ。


 ポストシーズン、クライマックスシリーズのファイナルステージ、おそらく待つ立場かどうかはともかく、戦う相手はライガースになるだろう。

 前の二年間では、受けて立つ立場で圧倒的に有利であった。

 だが今年はチーム力も状況も、かなり不利になることが分かっている。

 何より直史の体力、耐久力、回復力。

 そういったあたりがもう、全く足りていないのだ。

 それでも、自分の出来ることは全てする。


 代打で出てきたバッターに対しては、変化球でファールを打たせて、最後にはストレート。

 空振り三振でツーアウトである。

(最初から壊れることを覚悟で投げてたら、もっと早く達成したかな)

 直史はそうとも思うが、シーズン序盤はまだ勘が鈍っていた。

 それに体の方も、シーズンの中で調整していったという感覚が強い。

 ともかくこれで、あと一人となったのだ。




 甲子園の応援が、とても静かなものになってしまっていた。

 まだ完全な静寂とまでは言わないが、それでも分かっているのだろう。

 目の前で起ころうとしていることは、間違いのない奇跡だ。

 パーフェクトゲーム。

 それも前回は神宮であったが、今回は甲子園。

 二試合連続で、パーフェクトを達成しようとしている。

 直史自身も、もちろん上杉もやっていないことである。


 このあたりの年代のピッチャーは、とにかく傑出した者が多かった。

 しかしバッターも、傑出した者が多かったのだ。

 大介は別格としても、西郷や悟、プロ入り後しばらくは低迷したが実城も一級品であったし、下の年代では後藤などもいたし、打率の高さでは織田やアレクもいる。

 そんな傑出した選手たちは、もうほとんどが引退してしまった。

 MLBで現役の選手はいるにしても、もう全盛期は確実に過ぎている。


 いまだにチームの主力と言えるのは、NPBなら直史に大介、上杉の他には悟は少し年下である。

 MLBでは元気に、まだ武史が日米通算300勝を達成したりしているが。

 それでもほとんどが引退か、スタメンは外れている。

 あの頃のバッターに比べれば、今のバッターは落ちるのか。

 そんなはずはない。そもそもパーフェクトに封じられているライガースは、大介を擁しているのだから。


 ラストバッターに送られてきた代打には、スルーチェンジも使ってみた。

 そしてストレートをアウトローに投げて、スイングもさせない。

 最後に投げるボールは、高めに外れたストレートであった。

 だがこれがやはり、打てるボールに見えてしまったのだろう。

 スイングしたバットは、ボールにかすることもなく三振。

 21個目の三振を奪って、スリーアウト。

 二試合連続のパーフェクトが達成されたが、直史は小さなガッツポーズもせず、淡々とベンチに戻っていったのであった。



×××



 次話「奇跡よ続け」

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