第97話 甲子園の決戦
僅差の試合は終盤までずっと続いた。
もしも引き分けてしまっても、その時点でライガースの優勝が決まる。
なのでレックスとしては、延長に入っても必死で点を取りにいく。
この試合こそ直史のリリーフが必要かもとも思われたが、裏に攻撃があるアウェイでは、投入するタイミングが難しい。
ここでどう直感的に正しい道を選べるかが、指揮官としての力量なのかもしれない。
だが結局は、動かなかったことが、正しい道であったらしい。
直史は軽くキャッチボールを、ブルペンで行っていた。
今日を投げたとしたら、中一日でライガース戦に投げることになる。
そんな状況になれば、どのみち負けだ、と貞本は開き直っていた。
他のリリーフを投入していき、なんと12回の裏にサヨナラの決勝打が出た。
5-4でレックスは勝利。
これで甲子園での決戦が行われることが決定した。
もっともその後に、スターズとの試合も残っている。
これは無理ではないのか、と直史は冷たく計算する。
(スターズが結局、最後の試合に勝つか引き分けで、クライマックスシリーズ進出か)
当然ながら中四日で上杉が投げてくるだろう。
今年19勝2敗という、例年なら軽く沢村賞レベルの上杉が。
上杉の防御率は2点台だが、抜いたピッチングがあるのは明らかだ。
大介相手の上杉こそが、まさに本当の上杉である。
レックスの打線でも、通常ならば一点か二点は取れるだろう。
しかしクライマックスシリーズ進出を決める試合で、上杉が本気を出さないわけがない。
(それでも抜き方を間違えて、負けてる試合はあるわけだけど)
このシーズン終盤には、全く油断をしていない。
だがここからさらに先のことを考えると、ライガース戦に直史が投げることに、果たして意味はあるのか、などとも考える。
クライマックスシリーズの展開を考える。
スターズとファーストステージで対戦するとする。
初戦はおそらく上杉が中四日で投げてくるだろう。
それと対戦するとしたら、直史は中五日で投げることになる。
ライガース戦を、いっそのこと諦めてはどうか。
そうすれば万全の休みを取って、上杉との投げあいに突入する。
あるいはそうした方が、スターズ相手には勝てるのではないか。
チーム全体の戦力を考えれば、レックスの方がスターズよりも上だ。
それに上杉もシーズン終盤は、かなり無理をして登板している。
だからこそクライマックスシリーズ進出が現実に見えてきた。
しかしながら上杉も、体力や回復力は衰えが顕著だ。
今年は復活したように見えるが、おそらくは精神力でどうにかカバーしているだけであろう。
長くても三試合で決着がつくのだから、それから後のことを考える。
日程を改めて見てみれば、本当にひどいものだ。
ファイナルステージのライガース戦までに、ファーストステージの第一戦で投げたなら、中三日しか休めない。
しかもそこから、さらにアドバンテージで優る相手と戦うことになる。
(以前のクライマックスシリーズは、かなり楽が出来たんだな)
MLBのポストシーズンも、今よりはずっと楽だろう。
やはり目の前のライガース戦は、なんとしてでも勝つ必要がある。
そしてスターズ戦も勝って、ペナントレースを制しないといけない。
難しい二つの試合を、両方勝たなければいけないというもの。
ただライガース戦に関しては、かなりの勝算はある。
(甲子園のマモノが出てこなければいいけど)
ライガースとしては、やはり自力優勝は決めたいであろう。
カップス相手に連勝した翌日、レックスナインは甲子園へ。
ここでペナントレースの覇者が決まるかもしれない。
レックスの先発は直史で、ライガースは津傘。
前回と同じ対戦で、どちらも中四日。
ただし移動などを考えると、直史は回復しきっていないかもしれない、と対戦相手なら願望を抱くかもしれない。
直史自身も、本当に回復しきっているかどうかは疑問である。
移動日が今回は、休養となっている。
カップス戦は移動から即日試合であったため、そこは少し楽である。
直史は体をあちこち動かしてはみたが、基本的にはホテルで休養をする。
最悪明日と明後日、連投も考えてのことだ。
最終戦はホームの神宮となるが、また移動して即日に試合である。
さすがにこの日程は、今の年齢の自分には辛い。
ただスターズ戦も、やはり辛いことは間違いない。
そのスターズ戦に負けてしまえば、アドバンテージもなく、日程も厳しい状況で、ポストシーズンを戦っていくこととなる。
やはりライガースに勝利した上で、スターズにも勝利するしかない。
連投はさすがに無理でも、クローザーなら出来なくもない。
あるいはどこかで、中継ぎで投げてもいい。
勝ち上がってくるのがタイタンズであれば、打線はスターズより強力だ。
しかし上杉のようなスーパーエースがいないので、それだけでも充分に戦いやすい。
なんなら直史は、もう一日休んでから投げてもいい。
タイタンズ相手ならば、それぐらいの余裕はある。
もっともファイナルステージに進めば、やはりライガースとの決戦があるわけだ。
苦しい展開はずっと続く。
どうせ苦しいならば、どこに一番力を入れればいいのか。
それはやはり、ペナントレースであろう。
ここを制することが出来れば、クライマックスシリーズのファイナルステージまでは休むことが出来る。
またアドバンテージもあるため、三勝すればそれで日本シリーズに進める。
そこからも少し、試合間隔がある。
移動日が存在しているだけ、体を休められるというものだ。
ただここで頑張って結果に結びつかなかった場合、へろへろの状態でクライマックスシリーズのファイナルステージ、ライガースと対戦することになる。
移動がないのはいいが、そのかわりに六連戦。
いくら直史が無理をしても、せめて二試合までにしてほしいところだ。
これがかつての、黄金時代のレックスであれば、普通に下克上も可能であったかもしれないが。
翌日の試合のために、直史はゆっくりと眠ることにする。
決戦の舞台はまず甲子園。
そして神宮で最終決定するというあたり、なんとも直史の人生を象徴しているような気さえする。
本人としてはそこまで複雑に考えているわけではないが。
ただ、運命が導いていくのだ。
常人ならとても進むことが出来ない、困難に満ちた運命の道へと。
夢も見ずに、深く眠れた。
体は特に重くはないが、おそらく奥深いところで疲労はたまっている。
これがどこでパンクするかで、直史の選手生命も関わってくると思う。
全力で投げることによって、もういつ壊れてもおかしくはない。
壊れてしまってもいいと考えるから、本気で投げることが出来る。
メンタルのほうも今は、決戦仕様に変わっている。
明日の試合のためにも、今日は自分一人で終わらせなければいけない。
どこで限界が来て、自分の体が壊れてしまうのか。
直史が本当に戦う相手は、自分自身の限界であるのかもしれない。
甲子園に入って、ブルペンで軽く投げる。
肩や肘など、分かりやすいところに故障の兆候はない。
だが前回の試合といい、限界に近づいて投げているという自覚はある。
これだけブランクがあって、肉体の耐久力も落ちている。
柔軟性だけはキープしているが、本当にどこで壊れるか分からない。
だけど、どこで壊れても構わないとも思う。
(あと少しだけ)
明後日には、明史が瑞希に連れられてアメリカに向かう。
そしてしばらく検査などをして、それから手術だ。
皮肉なことに日本シリーズまで勝ち進むと、手術に立ち会えないかもしれない。
だがなんとなく、直史が試合に勝てば、手術も成功するような気がするのだ。
完全に直感と言うよりは、もうジンクスにも思えるが、この流れに乗っていこう。
直史はそう考えて、ライガース戦に挑む。
試合の前に大介と会うかなと思ったが、接触はしてこない。
ライガースとしては、自力優勝はここで勝つしかないのだから、少しでも馴れ合いたくないという気分なのかもしれない。
時間が迫ってくる。
ミーティングも終わって、直史は自分で最終チェックを行う。
ライガースはまたも、大介を一番に持ってきている。
確かにこれは合理的ではあるのだ。
直史は今シーズン、ホームラン以外で失点していない。
だからホームランを打てるバッターを、一番回ってくる打順に置くというものだ。
大介はあの超特大ホームランを打っている。
前の試合では封じられたとはいえ、これを先頭に持ってこない理由はない。
ただ直史としては、いつも通りに片付けるだけである。
確かにカロリーは多く消化するだろうが。
アウェイの甲子園。
今日の試合の結果で、ペナントレースの優勝が決まるかもしれない。
ライガースが勝つか引き分けで、ライガースの優勝。
その瞬間を見るためか、甲子園球場は大満員であった。
巨大な応援旗が振られていて、既に熱気が凄い。
なるほど甲子園の空気だ。
せっかく表の攻撃なのだから、先取点がほしいなと直史は思う。
だがこの空気の中では、そう簡単にいつも通りのプレイは出来ない。
状況も考えて、この試合は圧倒的にレックスが不利の条件が揃っている。
ただしプレッシャーとは無縁のピッチャーが、レックスにはいるのだ。
(懐かしく感じるな)
同じ球場であっても、まったく状況は違うのだが、一つだけ同じことがある。
それは、絶対に負けてはいけないということだけだ。
一点は取ってくれるであろうバッターが、今は敵となっている。
だが大介と一緒の球場で、決戦を行う。
その部分は間違いなく似ている。
(果たして甲子園に愛されているのはどちらなのかな)
柄にもなく、そんな感傷的なことを考える直史。
とりあえずマモノは遠ざけておきたい。
レックスの一回の表は、二番の緒方が出塁はしたものの、無得点に終わった。
緒方もやはり、甲子園での戦い方が分かっている。
そういえば緒方も、悟が出てくるまでは、高校時代に劣化白石と呼ばれたことがある。
古い話ではある。
ただここであっさりと三者凡退にならなかったことは、わずかだが試合の流れに影響を与える。
そしていよいよ、直史はマウンドに登るのであった。
大介はバッターボックスに向かう。
わずかな距離を歩きながら、集中力を高めていく。
直史のわずかな投球練習は、いつも通りの気が抜けたようなストレートであった。
果たして今日の調子はどうなのか、この時点では分からない。
中四日であるので、前回よりはクオリティは落ちていてもおかしくはない。
しかしそんな甘い予想は通じないのが直史だ。
初回ノーアウトからのこの対決に、甲子園が揺れている。
空気の振動によって、ボールの軌道が変わってしまわないだろうか。
直史はそんな、ありえないことまで考える。
ただこの甲子園の揺らぎは、ピッチャーに大きなプレッシャーをかけるだろう。
クライマックスシリーズ、もし甲子園で行われるとなったら、この圧力が通常運転になる。
果たしてそれに耐えられるピッチャーが、他にどれだけいるだろうか。
大介ならば直史からホームランが打てる。
直史ならば大介を三振にしとめることが出来る。
どちらも正しいことであるが、同時に間違ってもいる。
大介は前回の試合で、本気を出せるようになった直史相手に、完敗を喫しているのだ。
(けれど、面白いよな)
野球は敗北したことが、次につながることになる。
とりあえずは初球を狙ってみるか。
初回の先頭バッターであるのなら、普通はボールを見ていくだろう。
だが普通にやっていれば、直史に勝つことは出来ない。
構えた大介に対して、直史は軽く足を上げる。
そしてそこから投じられたのはストレート。
(うおっ!)
ほぼど真ん中から、ほんの少し上。
ここは大介であると、ホームランよりもフェンス直撃になってしまうことが多いのだ。
しかしスイングは、ボールの下を通っていた。
ストレートが究極の形に近づいている。
落ちるのが当たり前のストレートの中で、落ちないストレートを投げる。
それが大介をも空振りさせたのであった。
初球でストライクカウントを奪った。
スイングしてきたので、むしろフライになるかとも思ったのだが。
(151km/h出たのか……)
一球でアウトに出来たら、もちろんそれが一番いい。
どうやら初球からのストレートは、予想の範囲外にあったようだが。
ここからどうアジャストしていくのか。
大介の修正力は、とてつもなく高い。
初球のストレートだから、対応できなかったというのもあるだろう。
展開をどうしていくのか、直史は考える。
選択する中、どれが一番アウトを取りやすいか。
ここまで点はホームラン以外では取られていないと言っても、ノーアウトで大介がランナーに出れば、一点を取られる可能性は高い。
リードもしていない今の状況では、なんとかアウトにしておきたい。
だが優先順位や最低限というのを忘れてはいけない。
試合に勝つのが大前提で、そのためには失点を防ぐ。
ホームランを打たれることが、この状況では一番まずい。
一点だけなら、さすがにレックス打線が返してくれるとは思うが。
しかし直史は、根本的なところで味方を信じていない。
いや、信じてはいるのだが、信じるのと甘えるのは違うであろう。
エースの責任としては、まず無失点に防ぐこと。
この試合には、もう一つの意味がある。
それは明日の最終戦の、前日の試合であるということだ。
勝つにしても、勢いのつく勝ち方がしたい。
上杉が予告登板しているので、かなりの勢いと流れがないと、得点はかなり難しいだろう。
大介を抑えて勝利する。
ここは一点を取られるかどうか、賭けの要素が大きい。
だが賭けに勝ては、二打席目以降はかなり有利に戦えるだろう。
ライガースのピッチャーからなら、レックス打線は二点は取ってくれるだろう。
ただ統計上はそうなっていても、こんな特別な試合では、その統計があまり当てにならなかったりする。
それでも直史は、二球目にまたもストレートを投げた。
ゾーン内のボールを大介はスイングし、打球はバックネットに突き刺さる。
前に飛ばなかった。
ストレートを大介が、二球連続で前に飛ばしていない。
世にも珍しい光景に、スタンドからの応援圧力が、少し弱まった。
まだボールの下を叩いている。
レベルスイングの大介としては、本当なら直史のフラットなストレートとは、相性がいいはずなのだが。
これでわずか二球で、ツーナッシングと追い詰めたことになる。
ツーナッシングからは、ピッチャーの方が圧倒的に有利、という統計がある。
だがその統計を裏切って、ボール球でもぽんぽんとスタンドに運ぶのが大介だ。
実際に前の試合も、明らかなボール球以外はどんどんとカットしていった。
ツーナッシング、あるいはフルカウントから強いのが樋口であった。
だが大介は、どんな状況からでも強い。
三球目に何を投げるか。
直史は色々と考えて、三球目のモーションに入る。
そしてピッチトンネルを抜けるボールを投げてきた。
大介はわずかにそれに反応するが、バットは動かない。
ボールは減速して、ベースの手前で落ちる。
スルーチェンジで間違いなかった。
(緩急を使うのか)
おそらくウイニングショットには、ストレートを使ってくる。
そこまでのルートが、直史を打つチャンスになるのかもしれない。
角度と速度の違う、二種類のカーブ。
大介はそれを、片方は見送って、もう片方はカットした。
ツーツーの並行カウントとなって、さて次に何を投げてくるか。
落ちるボールが続いたので、落ちない速球か、あるいはチェンジアップあたりが有力か、と思われる。
あと一つ、ボール球を投げることが出来る。
普通のピッチャーなら、アウトローで勝負ということもあるだろう。
だが直史は、そんな単純な組み立てはしないと思う。
プレートの位置を変えている。
真っ直ぐに投げるとしたら、一番内角への距離が短い位置に。
ただここから、速球のツーシームや角度のついたスライダーを投げてくる可能性もある。
(インハイぎりぎりを狙ってくるかな?)
そこは確かに、一番ボールの速度を速く感じるコースではあるのだ。
セットポジションから、ゆっくりと足を上げる。
これは速球が来るな、と大介は思うが、それも誘導かもしれない。
左足の踏み込みが、わずかに前だろうか。
右腕の見えてくるのが遅く、タイミングは取りにくい。
いつもの直史のストレート。
そしてリリースする直前まで、手が見えてこない。
元は武史の投げ方であった。
だがそれを取り入れてしまうあたり、直史は本当に変なこだわりがない。
投げられたストレートは、確かにインハイ。
打てるかどうかではなく、まずは当てないといけない。
スイングはわずかに、ボールをこすった。
しかしそのまま、キャッチャーのミットへと納まる。
チップしたがファールにはならなかった。
想像以上のホップ成分があった。
三振という最高の結果で、まず一打席目を乗り切ることに成功した。
一回の裏は、三者三振というスタートを切った直史である。
大介を相手に三振を奪ったので、そのまま集中が切れないように、後ろの二人も追い込んでからは、積極的に三振を狙っていった。
ストレートとチェンジアップで、それぞれスイングはさせたが三振。
ちょっと出来すぎかな、というスタートである。
ライガースとしては前回の試合を思い出すかもしれない。
むしろ思い出してもらうのを、直史は期待しているのだが。
そして同時に、チームに勢いをつけたい。
スターズは上杉が投げてくるのだから、この試合にもしっかり勝って、万全の状態に持っていきたい。
勝つのは大前提で、そこからどう次の試合に活かすか。
それを自然と考えているあたり、直史はやはり采配を取る能力もあるのだ。
もっとも本人がやりたがらないという、致命的な欠点もあるが。
二回の表、甲子園の大応援団に対しても、レックスの緊張は取れたようであった。
直史が最初に、三者三振を奪ったことで、勝てるという自信が湧いてきたからであろうか。
相手の応援のプレッシャーで、守備のミスを嫌った直史であるが、これは副産物と言っていいだろう。
エースの投げる試合は負けない。
そんな絶対的な信念を思い出させる、直史のピッチング。
正確には、大切な試合で必勝の信念を抱かせてくれるのが、エースであるのだろう。
直史は、ひたすら負けないというのが特徴だが。
一回には緒方はフォアボールを選んだが、ここではヒットが出る。
ランナーもある程度進んでいったのだが、まだ点には結びつかない。
ライガースも津傘が先発しているが、いつでも他のピッチャーの準備がいける準備はしている。
球数を使ってでも、とにかく失点を防ぐ。
その間になんとか直史から、一点ぐらいは取ってほしい。
一応は失点している試合もあるし、ライガースには大介がいるのだ。
二回の裏、直史はマウンドに立つ。
そこからまず、四番の大館を三振。
ファールを二つ打たせて、ストレートで空振りという、本格派を思わせる配球であった。
そして五番のフェスに対しては、スローカーブで最後に見逃し三振を奪う。
これで五者連続奪三振である。
前回の対戦においても、確かにライガースは三振が多かった。
また先頭の大介を、三振で打ち取っている。
いつの間にこんなに三振を奪うピッチャーになったのだ、と今さら思う人間は多いだろう。
だが直史は普段、疲れるから球数を減らしているだけであって、三振を奪えないピッチャーではないのだ。
六番バッターは内野ゴロを打たされて、二球でアウトになっている。
ライガースを絶対的な内容で抑えて、明日のスターズ戦への勢いをつけたい。
だが同時にスターズ戦で負けた時のために、クライマックスシリーズのファーストステージに向けて、体力を温存しておかなければいけない。
両方をこなさなければいけないというのが、なんとも苦しいところである。
それでも直史は狙っていくのだ。
勝つことだけに集中している。
先に点を取ってくれないと、かなり厳しい。
直史としては正直なところだ。
このまま三人で終わらせていくと、四回の裏も先頭は大介となる。
かといって三回にランナーを出すと、ツーアウトからだがランナーがいる状況で、大介と対戦することになる。
無失点、パーフェクトなどという都合のいいことは、考えない直史である。
直史の現在の防御率は、0.2を切っている。
簡単に言うと一試合で0.2点しか取られないという計算で、五試合に投げてようやく、一点を取られるか、ということになる。
ただライガース相手であると、過去に36イニングを投げて、三点を取られている。
一試合に一点は取られないが、それでも他のチームと比べると、はるかに点を取られう可能性は高い。
ただこの三点は全て大介の打点で、全てがソロホームランである。
確率的に考えると、この試合でも一本ぐらいは打たれてもおかしくはない。
なんとか三点を取ろう、と首脳陣は考えている。
だが本拠地甲子園で優勝を決めようと、応援の後押しを受けた津傘は相当に集中している。
ランナーは出るのだが、ホームには帰さないという気迫を感じる。
投手戦なら本来はレックスが有利。まして直史が投げているのだから。
ただし相手がライガース、というか大介である。
わずかな隙からも閃光のようなスイングでホームランを打ってくる。
実際に失点の半分以上が、大介のホームランによるのだ。
おかしな話である。
圧倒的なピッチャーがいて、全く試合に負けていない。
ただ勝てなかった試合はあり、その相手は上杉。
総合的に見れば勝ってはいるが、ホームランを三本も打たれているのは大介。
相手の格によって、やや数字を落としていると言える。
それでも直史の責任の範囲内では、完全にその仕事を果たしている。
なんとかある程度の点を取って、楽に投げさせてやりたい。
そうは思うのだが、ライガースはこれが最終戦であるので、ピッチャーをいくらでも使うことが出来る。
つまりライガースの全バッター&ピッチャーVS直史、ぐらいのイメージになるのか。
もちろんそんなはずはなく、相手のピッチャーを打ち崩すのは打線の仕事である。
三回の表、レックスの攻撃はラストバッターの直史から。
完全にバッティングを放棄して、直史はバッターボックスの端に立つ。
スコアが0-0の間は、バッティングを完全に捨てる覚悟の直史である。
パ・リーグにいたならば、もっと割り切ることが出来たであろう。
その点ではMLBはバッティングを考えなくても良かったので、直史としては楽であった。
もっとも高校時代も二年生ぐらいまでは、それなりに打率を残しているのだが。
同じピッチャーでも、武史などは高校時代や大学時代に、そこそこホームランを打っている。
プロでも打っているので、根本的にパワーが違うのだ。
直史は下手に打つと、大切な手が痺れてしまう。
コントロールが命の直史は、優先順位をはっきりと決めている。
そんな直史が見逃し三振でベンチに戻る。
ライガースファンが野次ることもない。他のピッチャーであればそれなりに野次ることもあるのだが。
しかし、直史を野次るのは怖いのだ。
下手に怒らせてしまうと、何をしてくるかが分からない。
たとえばバッターを野次っても、なんなら敬遠すればいいだけだ。
だが直史は勝負の可否を決められるピッチャー。
怒ったらどうなるか、古参のファンほどその危険性を理解している。
ワンナウトから、二打席目の左右田。
彼も直史によって、ある程度の人生を歪められた人間の一人だ。
社会人のトップショートと思われていながら、その指名順位が下がったのは、直史のせいである。
ただ直史に負けたのは力不足であり、今こうやって優勝争いをしているのは直史のおかげである。
プロ一年目から、スタメンのショートに入っているのだ。長年ショートを務めていた、緒方をセカンドにやってまで。
一つだけ、確実に言えること。
それはこの年、レックスが日本一になれたとしたら、それは直史のおかげ。
そしてなれなかったら、直史以外の誰かの責任である。
左右田としては自身も、直史のバックを守っていて、ミスをしてしまったことはある。
ただおかしな話かもしれないが、直史は自分の責任以外では、今年は失点していない。
つまり誰がエラーをしようと、全ての失点は直史の自責点なのである。
勝つも負けるも自分の責任。
直史の背中から感じるのは、絶対的なエースの自信か。
それもちょっと違うと言うか、直史のようなピッチャーは他にいないので比較が難しい。
幼少期からの、自分にとってのスーパースターであった上杉などとも、直史は全く違う存在感を持っている。
左右田はここで、無茶なスイングをしようとは思っていなかった。
狙っていたのは、ひたすらジャストミート。
そして出来れば長打、というものである。
なので津傘の低めにコントロールされたストレートを、上手く掬えたのは偶然。
またその打球が上手く飛んでいったのも偶然。
スタンドに入ってしまったのも、もちろん偶然である。
シーズン途中からショートに定着した、社会人出身の22歳のショート。
その偶然性の高い一発で、レックスはこの試合において先制する。
ベンチからそれを見ていた直史は、小さなガッツポーズを作る。
ベンチに戻ってきた左右田を、チームメイトたちは盛大にねぎらった。
×××
次話「1-0」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます