第96話 前座
カップスは終盤にきて、大介の手によって負傷した選手たちが復帰したあたりから、相当に若手が出てきていた。
その若手とベテランとのバランスが完全に合致してからは、かなりの勝率になっているのだ。
遅すぎた、とはよく言われる。
だが来年が楽しみだ、とも言われている。
カップスは広島の復興の象徴であり、関西人にとってのライガース以上の感覚を持っていたりする。
もちろん例外はいるが。
市民の寄付で球団の存続を果たしたなどというチームは、さすがにここぐらいであろう。
このカップス二連戦も含めて、残りの四試合全てに勝つ。
完全に総力戦で、アドバンテージを取りにいくのだ。
冷静に考えれば直史を抜きにしても、おそらくファイナルステージで戦うライガースを相手にして、レックスは互角に近い勝敗となっている。
しかしポストシーズンでの大介の成績は、レギュラーシーズンとは全く違う。
ピッチャーが重要と言われるポストシーズンだが、それでもライガースの爆発力は恐ろしい。
あるいはあの、直史がパーフェクトで抑えてくれた試合が、優勝への分岐点であったのかもしれない。
これはセイバーであればよく分かったろうが、彼女にしても直史を理解するのには、現場から離れてやっと納得したのだ。
真に支配的なエースというのが、どれだけ珍しいものであるのか。
日本一になろうとするなら、直感を働かせなければいけない。
貞本は無能ではないはずなのだが、それでも直史の影響力については、把握できなかったと言える。
ライガースとの試合は、終盤までもつれこんだ、厳しいものとなった。
そのため選手たちは疲れてはいたのだが、それは精神的なものの方が大きい。
翌日に移動してすぐに試合というのも、不利に働いているのは間違いない。
これをどうにかするには、精神的な支柱がいる。
今日も直史は、一応ベンチには入っている。
クラブハウスにおいて、選手たちが試合前の集中力を高めるルーティンに入っている。
そこに首脳陣がやってくるわけだが、上手く気分を盛り上げることは出来ない。
レックスの人間は、それなりの黄金時代を経験した選手がまだいる。
しかし中心となっていたのは直史ぐらいだ。
その直史にしても、エースではあるが精神的な支柱などではない。
ただこの状況で、何かを出来るのが自分だけだとは分かっていた。
「監督、五回の時点でリードしていたら、そこから勝ちパターンのリリーフに入りましょう」
その提案の真意が分からず、貞本が先を促す。
「九回は俺が投げます」
「いや……」
直史は国際大会では主に、クローザーを務めることが多かった。
そしてそこで、クローザーに失敗したことはおろか、点を取られたことすらない。
MLB時代にも1シーズンだけ、クローザーで30試合投げている。
その間も一点も取られていない。
本質的にはクローザー向き、などと言われたりもするのだ。
確かにその精神力を考えれば、あながち間違いではない。
つまるところ直史は、先発完投か、クローザーのどちらかがいいのだ。
中継ぎを任しても平気でこなすだろうが。
貞本に語る直史は、静かな目をしている。
あのパーフェクト達成の瞬間は、確かに激情に支配されたように見えた。
だがそれ以外は、パーフェクトが破れた時も、ノーヒットノーランを達成した時も、変わらずに平静であったのだ。
「心構えだけはしておいてもらおう」
貞本もようやく、肝の据わったような顔をした。
「だがそれまでに、圧倒的な点差にして終わらせる」
指揮官が強い熱量を持てば、それは部下にも伝わるものなのだ。
「本気なのか?」
二人きりになった、トイレで豊田が尋ねてきた。
おそらくこれだけのために、追ってきたのだろう。
「半分は」
なるほど半分か、と豊田は納得した。
確かにあの直史の言葉で、リリーフ陣は反発しながらも奮起しただろうし、首脳陣も上手く追い込んだ。
そして打線に関しては、リードして終盤に回せば、それで勝てると思わせた。
実際のところ、豊田は直史の無茶苦茶さを、敵としても味方としてもよく知っている。
なんでこんなやつが、中学時代は無名だったんだ、と思ったのは一度や二度ではない。
ただ野球強豪校になど行っても、おそらく逆に埋没していただろうな、とも思うのだ。
全身を上手く連動させてボールに力を伝えているが、おそらくピッチャーとしては平均以下の出力しか持っていない。
それでも150km/hは投げるのだが。
直史はとにかく、勝つのが上手いのだ。
変な表現になるが、豊田はそう感じている。
おおよそ周囲に足を引っ張られなければ、どんな試合でも勝ってしまう。
それこそ本当に実力で負けたものなど、二年の春、悪条件が重なった大阪光陰戦ぐらいであったろう。
それは大学からNPB、そしてMLBに行っても同じことだ。
自分を削るようなピッチングをして、そしてもたらす結果は巨大なものである。
豊田のような、平凡な天才には分からないレベルであるが。
(今日は投げさせるわけにはいかない)
ブルペンコーチとして、そう強く思ったのだった。
ペナントレースがここまで面白いのは、いったいいつぶりだろうか。
ただ単に最後まで競った展開になるのではなく、そのライバルチーム同士に強烈な因縁がある。
因縁といっても、この場合は悪いものではないのかもしれないが。
共にスーパースターを抱え、そして絶大な記録を作り続ける。
直史と大介、二人の関係性だけで、一冊や二冊の本は書ける。
もっともそれに関しては、最も近しい人間が書いてしまっているため、他の人間が書くのは難しくなってしまっている。
瑞希はこの試合はテレビでは見ていない。
ただこの試合に負ければ、レックスのペナントレース制覇の芽はなくなる。
ライガースとしては勝って優勝の胴上げをするには、直接対決で勝つしかもう試合はない。
だが正直なところ、カップスが勝って優勝を決めてほしいな、とは思っている。
次の試合は、直史が投げてくるだろうからだ。
他のチームに勝ってほしいとか、そう考える時点で既に負けている。
それでも直史と対決するのは、勘弁してほしいと考えるのは当然だ。
負けず嫌いと、負けられない人間が集まる、プロの世界。
それなのに直史とまともに戦えるのは、本当に大介ぐらいしかいない。
大介は肉体的に人間をやめていて、直史は精神的に人間でない。
そんな感じに思われているが、間違いでもないだろう。
ただその最も身近で見ている瑞希は、直史のことを根本的に、ひどく人間臭い人間だと思っていた。
もちろんその、人間としての肉体を、最もよく知っていることも、理解へとつながっている。
人間離れした、などと言われる人間も、実際はただの人間である。
要するに人間の可能性を過小評価しているだけなのだ。
直史のピッチングは、身体的な能力によるものではない。
努力と知能と、人間性の結晶である。
負ければそこで終わり、というペナントレース。
もちろん個人成績も重要なので、ここからも全力を尽くしてはいくだろう。
だがチームにかかっている期待とプレッシャーは、普段とは違う力を与えてくれる。
逆に普段通りの力が出せないのなら、それはまた一つの問題である。
とりあえずブルペンでは青砥が、初回から肩を作っている。
百目鬼の方が各種数値は優れているが、青砥もプロで20年近くやってきた実績がある。
いざという時に、相手の勢いをどうにか止めるのは、ベテランの経験がものをいうかもしれない。
なので序盤に百目鬼が崩れれば、すぐに青砥の出番がやってくる。
こんなことをしても、肩を消耗するだけだ、という考え方もあるだろう。
だが勝利のためには、万全の準備が必要となる。
一回の表、レックスは先制することが出来なかった。
レギュラーシーズンもここまでくると、試合の戦い方はもう、ポストシーズンと変わらない。
この負けたら終わりという逆境は、逆にレックスの選手を成長させるかもしれない。
またポストシーズン用の戦い方を、学ぶ機会にはなっている。
体力的に有利なはずの、ペナントレースを制したチームが下克上を許すことがあるのは、そのあたりに理由があるのだろう。
一回の裏、レックスのマウンドには百目鬼。
今年はシーズン途中から先発のローテに定着し、14先発で8勝1敗と素晴らしい戦力になった。
来年は間違いなく、ローテの中で活躍するだろう。
次のレックスのエース、にまでなれるかは分からないが。
経験の少なさが、どう影響するのか、というのは重要な問題であった。
かえって経験が少ない方が、プレッシャーを感じなかったりする。
それにローテの中では、五回で五失点した試合以外は、クオリティスタートが多い。
またハイクオリティスタートも二度ある。
この試合も、先頭打者に対しては冷静に打たせて取った。
キャッチャーの迫水もまだ経験は少ないが、彼は社会人まで野球をやったという、また違った経験がある。
何より直史と、今シーズンのほとんどを組んでいる。
二番以降も上手くストレートのコントロールが利いている。
これは調子がいいとも思うが、そういう状況で下手に勢いに任せると、あっさりとホームランを打たれるのがプロの世界である。
迫水の冷静なリードに、百目鬼も従っている。
球数を使ってでも、確実にアウトを取っていくのが正解なのだ。
こちらも無失点でスタート。
あるいは投手戦になるか、という空気も漂っている。
カップスも調子がいいと言っても、長打を連発するようなチームではない。
レックスと同じく、チャンスを見逃さずに点を取っていく。
そういうチームであるのだ。
先制すればするほど、それは有利となる。
ただしビハインド展開でも、レックスは勝ちパターンのリリーフまで使っていくしかない。
その意味ではこの試合、レックスは本当に本気を出せる。
カップスの場合は、故障するかもしれないほどには、本気を出してはいけない。
追い詰められているがゆえに、レックスは最高の力を出していくのだ。
ピッチャーのある程度無茶な運用も、この状況なら許される。
直史の言葉からも、首脳陣はそれを悟っていた。
投手戦とも言えるが、バックの守備が盛り上げる試合とも言えた。
レックスのショートの左右田は、この試合でもしっかりと活躍している。
社会人からとは言え、本当に一年目からスタメンを張る選手が二人も出たことが、レックスの今年の躍進の大きな理由の一つであろう。
しかもそのポジションが、ショートとキャッチャーである。
そう簡単には埋まらない二つのポジション。
そこに平均以上の守備力と、平均よりもかなり上の打力を持つ二人が入ったこと。
これは直史の復帰以上に、他の試合におけるレックスの底力を上げたと言えるであろう。
緊張感のあるいい試合だ。
追い詰められているレックスにも、必要以上のプレッシャーはかかっていない。
必要なのは、とりあえず一点でもリードを奪うこと。
そのチャンスは三回の表、ワンナウトから左右田の打球が、三塁線を抜けていったことから発生する。
ツーベースとなってこれで得点圏。
次の緒方に求められるのは、最低でもランナーを三塁に進めること。
ツーアウトからでも三塁にランナーがいれば、一つのミスで確実にホームに帰ることが出来る。
ここで小技を使うのが緒方である。
初球からセーフティバント。しかしラインを割って失敗。
しかし守備をやや前進させることには成功した。
そして次に、叩きつけるようにスイングをする。
これがまた、前進した内野の頭を越えていく。
完全に計算されたプレイによって、一気に左右田はホームに帰ってきた。
緒方のタイムリーによって、まずが一点を先取である。
先制してから無難に試合を運んでいく。
ソロホームランの一発なども出たが、基本的には長打に頼り過ぎない。
そのあたりがライガースとの決定的な差であろうか。
カップスはそれなりに、四番には長打を期待している。
(だがいい流れだな)
直史はそう感じている。
百目鬼はこれが、レギュラーシーズン最後の試合となる予定である。
もっともスクランブル登板などの可能性は、最後まで残っているが。
ポストシーズンの進出自体は決まっているので、そこでもまだ出番があるかもしれない。
今日は青砥と二人でどうにかする予定であるが、一人で六回を投げられるなら、それにこしたことはない。
(短いイニングならなんとかなる)
球数を多く使っても、相手を抑えることが最優先。
流してもいいレギュラーシーズンの期間ではない。
プロ入りはこちらの方が早くても、年齢は向こうが上という迫水とのバッテリーは、成績だけを見ても悪い相性ではない。
それでも全く打たれないというわけではなく、連打で普通に一点を返される。
ここを一点だけに抑えるのが、こういった試合では重要なことなのだ。
迫水はそのあたり、社会人野球をやっているため、トーナメントの試合には慣れている。
プロのポストシーズンよりも、厳しい面は確かにある。
キャッチャーはフィールド内のもう一人の監督、とも言われる。
経歴は長いとはいえ、プロ一年目の新人が、よりベターな判断をしていく。
大介に高めをホームランに打たれてからは、リスクとリターンを本当に比較している。
そもそも三点に抑えたならば、普通は勝っていてもおかしくないのだ。
あれが直史であったら、と考えないこともない。
しかし直史であれば、自分でサインを出していただろうな、とも思うのだ。
六回までを一失点に、百目鬼は抑えた。
充分すぎるピッチングであるが、球数は相当に使った。
3-1でまだ、ワンチャンスで逆転する可能性はある。
安定感に優れたレックスのリリーフ陣であるが、それでもまだ二点差。
安心していい点差などでは、断じてない。
それでも残り3イニングを、一失点までに抑えたら勝てる。
レックスの基本的な思考はこうである。
ただ気づけばベンチから直史が消えている。
「あれ?」
「ブルペンに行ったぞ」
そんな会話がなされて、あれは本気であったのかと驚かされる。
確かに直史なら、中一日でリリーフも出来るのであろうが。
非常識な考えだとは、もう誰も思わない。
ライガース戦には、はっきり言って直史以外は考えられない。
点差が大きくついたらリリーフを使うことも考えられるが、先発は間違いなく直史である。
一回の表でレックスが点を取れたらいいのだが、一回の裏にはあの甲子園で、ライガースの攻撃を受けることになる。
おそらくまた、大介を一番に持ってくるだろう。
プロとしてこう思ってしまうのは情けないが、ライガースというか大介とは対戦したくない。
それがほぼ全てのピッチャーの正直な感想であろう。
全てでないのは、ピッチャーの中にはどうしようもない、自信過剰な人間がいるからだ。
対戦したくないと言うなら、直史だって対戦などはしたくない。
だがそれでもやらなければいけないときというのは、必ずやってくるものなのだ。
ブルペンにやってきた直史を見て、リリーフ陣は緊張する。
それを見ながらも直史は、まずは試合の様子を見続けている。
本気でマウンドに行くわけないよな、とブルペンの空気は張り詰めたものになっていた。
レックスにスリーランホームランが飛び出した。
これで6-1と点差は広がる。
ベンチとしてもブルペンとしても、これで勝ちパターンのピッチャーを休ませることが出来る。
昨日はビハインド展開でありながら、投入せざるをえなかったのだ。
三連投は基本的に、禁止になっているのがレックスのリリーフのルール。
だが優勝がかかっていては、そんな原則も守ってはいられない。
チームとしては確かに選手に故障してもらっては困る。
しかしチームとしては勝利を、優勝を目指さないわけにはいかない。
ピッチャーがどこまでやれば壊れるかなど、やってみないと分からないのだ。
シーズン終盤であれば、こういった賭けに出なければいけない展開は必ずある。
三連投は許容範囲内であるが、それが上手く点差がついてくれた。
今日は勝ちパターンのリリーフを使わず、最後まで逃げ切れるだろう。
そう考えた首脳陣は、温存していた青砥をクローザー代わりに出す。
レックスのオースティンは、今季も二度しかセーブ失敗がない。
だからこそここは、温存したい場面である。
青砥が普段通りのピッチングをしてくれれば、充分に逃げ切れる。
そしてこういう場面では、やはりベテランの安定感がものをいうのだ。
残り2イニングで、青砥は投げる。
そしてご愛嬌のようにソロホームランを打たれたが、失点はそれだけ。
6-2でレックスは、まず第一戦目を制した。
一つでも負ければペナントレースを制することは出来ない。
そのまず一試合目を、レックスは勝つことが出来た。
ただその夜、直史がテレビで確認したのは、また別のことである。
他の球場ではスターズが負けていた。
まだスターズも二試合を残していて、両方に勝てば確実に三位が確定という厳しい状況である。
つまりクライマックスシリーズに進出するには、レックスとの試合でも勝たなければいけないのだ。
(う~ん……)
これはちょっと、上杉が投げてきそうである。
直史は前日のライガース戦で投げるため、さすがに投げるわけにはいかない。
全てのチームメイトも首脳陣も、その他のスタッフも現状を理解している。
残りの全ての試合に勝たなければ、ペナントレースを制することは出来ない。
半年も戦ってくれば、どこかしら体にはガタがくるものである。
だがここで踏ん張らなければ、半年の苦労が全て、ただの興行で終わってしまう。
翌日のレックスの先発はオーガス。
直史もライガース戦から中二日なので、リリーフとして投げられなくはないかもしれない。
だが次の試合はライガース戦で、しかも中四日しかないのだ。
ここで無茶をすれば、そもそもペナントレースを制しても、その先がないかもしれない。
そのあたりのピッチャーのリソースをどうかけるかは、ギャンブルにならざるをえない。
首脳陣は直史に、無理をさせるつもりはない。
それぐらいならむしろ、ここで負けても明後日のライガース戦に出さないことで、消耗を抑えていく方がいい。
アドバンテージが向こうにある、クライマックスシリーズで戦うのは厳しい。
常識的な範囲では、直史が投げるのは二試合が限度だ。
非常識な直史であるが、それでも六連戦なのだ。
万全の調子でなかったとしても、せいぜい三試合を投げるのが精一杯。
他の二つは別のピッチャーで勝つ必要がある。
とりあえずは目の前の試合だ。
カップスはこれが最終戦であり、もしもレックスを倒したら、ライガースの優勝が決まる。
かといってライガースのために戦う、などという意識はもちろんない。
ただひたすら、勝つことを目指してチームがまとまっているのだ。
オーガスはレックスの中では、やはりチーム成績よりも自分の成績を重視している。
レックスをどうでもいいとまでは思っていないが、やはり元はアメリカで育った男。
MLBへの復帰も目指しているが、年齢的にそれは難しい。
ならばNPBでどれだけ稼げるか、ということが重要になってくる。
金のために仕事をする人間は強い。
特にプロ野球などは、成績がそのまま年俸に反映されるのだ。
ここまで17勝5敗と、直史と上杉がいなければ、本当に沢村賞の候補に入っていたかもしれない。
ただ彼は完投が一試合もないという、極めてアメリカ的な先発ピッチャーだ。
ハイクオリティスタートが9試合もあるので、そこがアピールポイントではあるだろう。
レックスはライガースと違って、打線の援護はそれほど強烈ではない。
その中でこれほどの数字を残しているのだから、確かにローテーションピッチャーとしては貴重である。
来年もいい契約が結べるだろう。
ただ彼が気にしているのは、直史のことである。
今年は一軍最低年俸でやっていたが、パーフェクトを含むノーヒッター六回というのは、人間の技ではない。
これは来年の年俸は、一気に上がるのではないか。
むしろ上がらない方が、おかしいのだと理解出来る。
すると年俸が、全体的に緊縮されるのではないか。
他にも左右田や迫水など、一年目から活躍した選手が多いのが、今年のレックスなのであった。
モチベーションが金にあるというのは、健全である。
だいたいアメリカに限らず、格差の大きな社会であると、スポーツやミュージシャンで一発逆転、というのが貧乏人の見る夢になるのだ。
金のための仕事をするな、などというのは本当の意味での貧しさを体験した人間ではない。
たとえば直史も、色々なことが制限された範囲で成長したが、野球をやる機会すらないという極貧生活ではなかった。
アレクなどが話していたことによると、南米では本当に、サッカーで成り上がる以外の手段はまずない、などとも言っていた。
女性の場合は美貌であれば、また違った選択肢があったとも言うが。
ただサッカーにしても、昨今では才能のある選手は少年期に、ヨーロッパに連れて行かれてしまう場合が多かったのだとか。
そんな中で野球を選び、NPBからMLBまでジャパニーズドリームとアメリカンドリームを達成したアレクは、相当の異端者である。
もっとも直史からするとアレクの成功した理由の一つには、彼が結婚をせず、変な仲間ともつるまなかったから、というのがあると思う。
子供は一応いるのだが、結婚はしていない。
本当は日本で、大和撫子的な女性を探していたらしいが、アレクは慎重な女性からは警戒される人間でもあった。
直史たちぐらい仲がよければ、おおよその内面も分かるのであるが、基本的にアレクは危険に対する直感が鋭かった。
貧困層とまでは言わないが、明らかに裕福でもなかったアレクは、自身も危険な雰囲気を放っていたため、そこが特定の女性にモテた理由ではあるだろう。
本音としては、野球部のマネージャーをしてくれるような少女が、結婚の理想の相手であったそうだが、アレクはあまりにもスターになりすぎたので、一般の日本人女性との接点が少なくなったのだ。
NPBからすると外国人選手などは、しょせん傭兵という捉え方をしている人間は多い。
昔とか今とかではなく、ずっとある程度の数はいる。
ただ勘違いしているのは、チームにとっては別に日本人であっても、戦力の一つとして見ているということだ。
もっとも上杉や大介ぐらいになると、個人としての影響力が大きくなりすぎて、単純に戦力としては数えることは出来なくなるが。
ちなみに直史は、ここでも自分のことを、ただの一個の戦力として考えている。
個人事業主は、自分を自分で守らなければいけない。
チームというのは同じ職場の人間が集まっているだけであって、自分を確実に守ってくれる存在ではないのだ。
少なくとも一般的な会社の正社員の方が、万一の時の待遇は手厚い。
直史は割り切っているが、だからこそレックスにはそれなりの損失は与えているな、という意識はある。
だからこそここで、格安で働いてもいる。
実際はポスティングをしているので、レックスには損失を与えてはおらず、せいぜいが期待されるほどの利益がでなかった、というものであるのだが。
ドラフト一位のピッチャーが、二年連続で沢村賞を取って、二年連続で日本一にしてくれたのだから、コスパは間違いなくいい。
このあたりの野球における自己評価の低さは、直史の不思議な点ではある。
ただそれは直史が、スポーツなどは虚業と見なして、農業や畜産業に投資をしている、つまり根本的な価値観と無関係ではないだろう。
そんな直史の見ている前で、試合は展開している。
オーガスは六回を三失点で降板し、そこからレックスはどんどんとリリーフを投入していく。
同点の状況であったが、もちろん勝ちパターンのリリーフを投入している。
そもそも直史からすれば、同点の状況であっても、レギュラーシーズンの中盤あたりからもっと、勝ちパターンのリリーフを使えるシーンは多かったと思うのだ。
それをリードしている状況でしか使わなかったのは、明らかに思考の硬直化。
ただ下手に動くよりは、結果的には正解となる場合もある。
結果だけでしか評価されないというのは、選手よりもむしろ監督の方が、ずっと苦しいのではないだろうか。
コーチはまだしも、その分野によって明確に評価される。
だが監督は全てを総括して、チームが勝てなければ駄目なのだ。
判断は正しくても、結果が正しくないことはよくある。
直史としては判断がどうであれ、結果は自分の力で捻じ曲げる。
それがエースとしての役割だと思うし、実際にそれが可能なのだ。
絶対的なエースであっても、絶対に勝てるとは限らないのが野球。
その常識を覆したという時点で、直史は本格的な非常識なのだ。
今年のレックスが、果たしてペナントレースを制覇出来るか。
それは案外ライガースとの直接対決ではなく、スターズとの最終戦が関わってくるのではないかと思う。
中四日でライガースと戦って、勝つのは直史の役割である。
さすがにその翌日、スターズとの試合で登板出来るとは思わない。
リリーフとして短いイニングなら、可能かもしれない。
しかし上杉の投げる試合で、レックスのリード出来る場面が、終盤までに出てくるだろうか。
かなり厳しいだろうな、と直史は思っている。
×××
次話「甲子園の決戦」
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