第96話 前座

 カップスは終盤にきて、大介の手によって負傷した選手たちが復帰したあたりから、相当に若手が出てきていた。

 その若手とベテランとのバランスが完全に合致してからは、かなりの勝率になっているのだ。

 遅すぎた、とはよく言われる。

 だが来年が楽しみだ、とも言われている。

 カップスは広島の復興の象徴であり、関西人にとってのライガース以上の感覚を持っていたりする。

 もちろん例外はいるが。

 市民の寄付で球団の存続を果たしたなどというチームは、さすがにここぐらいであろう。


 このカップス二連戦も含めて、残りの四試合全てに勝つ。

 完全に総力戦で、アドバンテージを取りにいくのだ。

 冷静に考えれば直史を抜きにしても、おそらくファイナルステージで戦うライガースを相手にして、レックスは互角に近い勝敗となっている。

 しかしポストシーズンでの大介の成績は、レギュラーシーズンとは全く違う。

 ピッチャーが重要と言われるポストシーズンだが、それでもライガースの爆発力は恐ろしい。


 あるいはあの、直史がパーフェクトで抑えてくれた試合が、優勝への分岐点であったのかもしれない。

 これはセイバーであればよく分かったろうが、彼女にしても直史を理解するのには、現場から離れてやっと納得したのだ。

 真に支配的なエースというのが、どれだけ珍しいものであるのか。

 日本一になろうとするなら、直感を働かせなければいけない。

 貞本は無能ではないはずなのだが、それでも直史の影響力については、把握できなかったと言える。


 ライガースとの試合は、終盤までもつれこんだ、厳しいものとなった。

 そのため選手たちは疲れてはいたのだが、それは精神的なものの方が大きい。

 翌日に移動してすぐに試合というのも、不利に働いているのは間違いない。

 これをどうにかするには、精神的な支柱がいる。

 今日も直史は、一応ベンチには入っている。




 クラブハウスにおいて、選手たちが試合前の集中力を高めるルーティンに入っている。

 そこに首脳陣がやってくるわけだが、上手く気分を盛り上げることは出来ない。

 レックスの人間は、それなりの黄金時代を経験した選手がまだいる。

 しかし中心となっていたのは直史ぐらいだ。

 その直史にしても、エースではあるが精神的な支柱などではない。


 ただこの状況で、何かを出来るのが自分だけだとは分かっていた。

「監督、五回の時点でリードしていたら、そこから勝ちパターンのリリーフに入りましょう」

 その提案の真意が分からず、貞本が先を促す。

「九回は俺が投げます」

「いや……」

 直史は国際大会では主に、クローザーを務めることが多かった。

 そしてそこで、クローザーに失敗したことはおろか、点を取られたことすらない。


 MLB時代にも1シーズンだけ、クローザーで30試合投げている。

 その間も一点も取られていない。

 本質的にはクローザー向き、などと言われたりもするのだ。

 確かにその精神力を考えれば、あながち間違いではない。

 つまるところ直史は、先発完投か、クローザーのどちらかがいいのだ。

 中継ぎを任しても平気でこなすだろうが。


 貞本に語る直史は、静かな目をしている。

 あのパーフェクト達成の瞬間は、確かに激情に支配されたように見えた。

 だがそれ以外は、パーフェクトが破れた時も、ノーヒットノーランを達成した時も、変わらずに平静であったのだ。

「心構えだけはしておいてもらおう」

 貞本もようやく、肝の据わったような顔をした。

「だがそれまでに、圧倒的な点差にして終わらせる」

 指揮官が強い熱量を持てば、それは部下にも伝わるものなのだ。




「本気なのか?」

 二人きりになった、トイレで豊田が尋ねてきた。

 おそらくこれだけのために、追ってきたのだろう。

「半分は」

 なるほど半分か、と豊田は納得した。

 確かにあの直史の言葉で、リリーフ陣は反発しながらも奮起しただろうし、首脳陣も上手く追い込んだ。

 そして打線に関しては、リードして終盤に回せば、それで勝てると思わせた。


 実際のところ、豊田は直史の無茶苦茶さを、敵としても味方としてもよく知っている。

 なんでこんなやつが、中学時代は無名だったんだ、と思ったのは一度や二度ではない。

 ただ野球強豪校になど行っても、おそらく逆に埋没していただろうな、とも思うのだ。

 全身を上手く連動させてボールに力を伝えているが、おそらくピッチャーとしては平均以下の出力しか持っていない。

 それでも150km/hは投げるのだが。


 直史はとにかく、勝つのが上手いのだ。

 変な表現になるが、豊田はそう感じている。

 おおよそ周囲に足を引っ張られなければ、どんな試合でも勝ってしまう。

 それこそ本当に実力で負けたものなど、二年の春、悪条件が重なった大阪光陰戦ぐらいであったろう。

 それは大学からNPB、そしてMLBに行っても同じことだ。

 自分を削るようなピッチングをして、そしてもたらす結果は巨大なものである。

 豊田のような、平凡な天才には分からないレベルであるが。

(今日は投げさせるわけにはいかない)

 ブルペンコーチとして、そう強く思ったのだった。




 ペナントレースがここまで面白いのは、いったいいつぶりだろうか。

 ただ単に最後まで競った展開になるのではなく、そのライバルチーム同士に強烈な因縁がある。 

 因縁といっても、この場合は悪いものではないのかもしれないが。

 共にスーパースターを抱え、そして絶大な記録を作り続ける。

 直史と大介、二人の関係性だけで、一冊や二冊の本は書ける。

 もっともそれに関しては、最も近しい人間が書いてしまっているため、他の人間が書くのは難しくなってしまっている。


 瑞希はこの試合はテレビでは見ていない。

 ただこの試合に負ければ、レックスのペナントレース制覇の芽はなくなる。

 ライガースとしては勝って優勝の胴上げをするには、直接対決で勝つしかもう試合はない。

 だが正直なところ、カップスが勝って優勝を決めてほしいな、とは思っている。

 次の試合は、直史が投げてくるだろうからだ。


 他のチームに勝ってほしいとか、そう考える時点で既に負けている。

 それでも直史と対決するのは、勘弁してほしいと考えるのは当然だ。

 負けず嫌いと、負けられない人間が集まる、プロの世界。

 それなのに直史とまともに戦えるのは、本当に大介ぐらいしかいない。

 大介は肉体的に人間をやめていて、直史は精神的に人間でない。

 そんな感じに思われているが、間違いでもないだろう。


 ただその最も身近で見ている瑞希は、直史のことを根本的に、ひどく人間臭い人間だと思っていた。

 もちろんその、人間としての肉体を、最もよく知っていることも、理解へとつながっている。

 人間離れした、などと言われる人間も、実際はただの人間である。

 要するに人間の可能性を過小評価しているだけなのだ。

 直史のピッチングは、身体的な能力によるものではない。

 努力と知能と、人間性の結晶である。




 負ければそこで終わり、というペナントレース。

 もちろん個人成績も重要なので、ここからも全力を尽くしてはいくだろう。

 だがチームにかかっている期待とプレッシャーは、普段とは違う力を与えてくれる。

 逆に普段通りの力が出せないのなら、それはまた一つの問題である。

 とりあえずブルペンでは青砥が、初回から肩を作っている。


 百目鬼の方が各種数値は優れているが、青砥もプロで20年近くやってきた実績がある。

 いざという時に、相手の勢いをどうにか止めるのは、ベテランの経験がものをいうかもしれない。

 なので序盤に百目鬼が崩れれば、すぐに青砥の出番がやってくる。

 こんなことをしても、肩を消耗するだけだ、という考え方もあるだろう。

 だが勝利のためには、万全の準備が必要となる。


 一回の表、レックスは先制することが出来なかった。

 レギュラーシーズンもここまでくると、試合の戦い方はもう、ポストシーズンと変わらない。

 この負けたら終わりという逆境は、逆にレックスの選手を成長させるかもしれない。

 またポストシーズン用の戦い方を、学ぶ機会にはなっている。

 体力的に有利なはずの、ペナントレースを制したチームが下克上を許すことがあるのは、そのあたりに理由があるのだろう。


 一回の裏、レックスのマウンドには百目鬼。

 今年はシーズン途中から先発のローテに定着し、14先発で8勝1敗と素晴らしい戦力になった。

 来年は間違いなく、ローテの中で活躍するだろう。

 次のレックスのエース、にまでなれるかは分からないが。




 経験の少なさが、どう影響するのか、というのは重要な問題であった。

 かえって経験が少ない方が、プレッシャーを感じなかったりする。

 それにローテの中では、五回で五失点した試合以外は、クオリティスタートが多い。

 またハイクオリティスタートも二度ある。

 この試合も、先頭打者に対しては冷静に打たせて取った。

 キャッチャーの迫水もまだ経験は少ないが、彼は社会人まで野球をやったという、また違った経験がある。

 何より直史と、今シーズンのほとんどを組んでいる。


 二番以降も上手くストレートのコントロールが利いている。

 これは調子がいいとも思うが、そういう状況で下手に勢いに任せると、あっさりとホームランを打たれるのがプロの世界である。

 迫水の冷静なリードに、百目鬼も従っている。

 球数を使ってでも、確実にアウトを取っていくのが正解なのだ。


 こちらも無失点でスタート。

 あるいは投手戦になるか、という空気も漂っている。

 カップスも調子がいいと言っても、長打を連発するようなチームではない。

 レックスと同じく、チャンスを見逃さずに点を取っていく。

 そういうチームであるのだ。


 先制すればするほど、それは有利となる。

 ただしビハインド展開でも、レックスは勝ちパターンのリリーフまで使っていくしかない。

 その意味ではこの試合、レックスは本当に本気を出せる。

 カップスの場合は、故障するかもしれないほどには、本気を出してはいけない。

 追い詰められているがゆえに、レックスは最高の力を出していくのだ。

 ピッチャーのある程度無茶な運用も、この状況なら許される。

 直史の言葉からも、首脳陣はそれを悟っていた。




 投手戦とも言えるが、バックの守備が盛り上げる試合とも言えた。

 レックスのショートの左右田は、この試合でもしっかりと活躍している。

 社会人からとは言え、本当に一年目からスタメンを張る選手が二人も出たことが、レックスの今年の躍進の大きな理由の一つであろう。

 しかもそのポジションが、ショートとキャッチャーである。

 そう簡単には埋まらない二つのポジション。

 そこに平均以上の守備力と、平均よりもかなり上の打力を持つ二人が入ったこと。

 これは直史の復帰以上に、他の試合におけるレックスの底力を上げたと言えるであろう。


 緊張感のあるいい試合だ。

 追い詰められているレックスにも、必要以上のプレッシャーはかかっていない。

 必要なのは、とりあえず一点でもリードを奪うこと。

 そのチャンスは三回の表、ワンナウトから左右田の打球が、三塁線を抜けていったことから発生する。

 ツーベースとなってこれで得点圏。

 次の緒方に求められるのは、最低でもランナーを三塁に進めること。

 ツーアウトからでも三塁にランナーがいれば、一つのミスで確実にホームに帰ることが出来る。


 ここで小技を使うのが緒方である。

 初球からセーフティバント。しかしラインを割って失敗。

 しかし守備をやや前進させることには成功した。

 そして次に、叩きつけるようにスイングをする。

 これがまた、前進した内野の頭を越えていく。

 完全に計算されたプレイによって、一気に左右田はホームに帰ってきた。

 緒方のタイムリーによって、まずが一点を先取である。


 先制してから無難に試合を運んでいく。

 ソロホームランの一発なども出たが、基本的には長打に頼り過ぎない。

 そのあたりがライガースとの決定的な差であろうか。

 カップスはそれなりに、四番には長打を期待している。

(だがいい流れだな)

 直史はそう感じている。




 百目鬼はこれが、レギュラーシーズン最後の試合となる予定である。

 もっともスクランブル登板などの可能性は、最後まで残っているが。

 ポストシーズンの進出自体は決まっているので、そこでもまだ出番があるかもしれない。

 今日は青砥と二人でどうにかする予定であるが、一人で六回を投げられるなら、それにこしたことはない。

(短いイニングならなんとかなる)

 球数を多く使っても、相手を抑えることが最優先。

 流してもいいレギュラーシーズンの期間ではない。


 プロ入りはこちらの方が早くても、年齢は向こうが上という迫水とのバッテリーは、成績だけを見ても悪い相性ではない。

 それでも全く打たれないというわけではなく、連打で普通に一点を返される。

 ここを一点だけに抑えるのが、こういった試合では重要なことなのだ。

 迫水はそのあたり、社会人野球をやっているため、トーナメントの試合には慣れている。

 プロのポストシーズンよりも、厳しい面は確かにある。


 キャッチャーはフィールド内のもう一人の監督、とも言われる。

 経歴は長いとはいえ、プロ一年目の新人が、よりベターな判断をしていく。

 大介に高めをホームランに打たれてからは、リスクとリターンを本当に比較している。

 そもそも三点に抑えたならば、普通は勝っていてもおかしくないのだ。

 あれが直史であったら、と考えないこともない。

 しかし直史であれば、自分でサインを出していただろうな、とも思うのだ。




 六回までを一失点に、百目鬼は抑えた。

 充分すぎるピッチングであるが、球数は相当に使った。

 3-1でまだ、ワンチャンスで逆転する可能性はある。

 安定感に優れたレックスのリリーフ陣であるが、それでもまだ二点差。

 安心していい点差などでは、断じてない。


 それでも残り3イニングを、一失点までに抑えたら勝てる。

 レックスの基本的な思考はこうである。

 ただ気づけばベンチから直史が消えている。

「あれ?」

「ブルペンに行ったぞ」

 そんな会話がなされて、あれは本気であったのかと驚かされる。

 確かに直史なら、中一日でリリーフも出来るのであろうが。

 非常識な考えだとは、もう誰も思わない。


 ライガース戦には、はっきり言って直史以外は考えられない。

 点差が大きくついたらリリーフを使うことも考えられるが、先発は間違いなく直史である。

 一回の表でレックスが点を取れたらいいのだが、一回の裏にはあの甲子園で、ライガースの攻撃を受けることになる。

 おそらくまた、大介を一番に持ってくるだろう。


 プロとしてこう思ってしまうのは情けないが、ライガースというか大介とは対戦したくない。

 それがほぼ全てのピッチャーの正直な感想であろう。

 全てでないのは、ピッチャーの中にはどうしようもない、自信過剰な人間がいるからだ。

 対戦したくないと言うなら、直史だって対戦などはしたくない。

 だがそれでもやらなければいけないときというのは、必ずやってくるものなのだ。

 ブルペンにやってきた直史を見て、リリーフ陣は緊張する。

 それを見ながらも直史は、まずは試合の様子を見続けている。

 本気でマウンドに行くわけないよな、とブルペンの空気は張り詰めたものになっていた。




 レックスにスリーランホームランが飛び出した。

 これで6-1と点差は広がる。

 ベンチとしてもブルペンとしても、これで勝ちパターンのピッチャーを休ませることが出来る。

 昨日はビハインド展開でありながら、投入せざるをえなかったのだ。

 三連投は基本的に、禁止になっているのがレックスのリリーフのルール。

 だが優勝がかかっていては、そんな原則も守ってはいられない。

 チームとしては確かに選手に故障してもらっては困る。

 しかしチームとしては勝利を、優勝を目指さないわけにはいかない。


 ピッチャーがどこまでやれば壊れるかなど、やってみないと分からないのだ。

 シーズン終盤であれば、こういった賭けに出なければいけない展開は必ずある。

 三連投は許容範囲内であるが、それが上手く点差がついてくれた。

 今日は勝ちパターンのリリーフを使わず、最後まで逃げ切れるだろう。

 そう考えた首脳陣は、温存していた青砥をクローザー代わりに出す。

 

 レックスのオースティンは、今季も二度しかセーブ失敗がない。

 だからこそここは、温存したい場面である。

 青砥が普段通りのピッチングをしてくれれば、充分に逃げ切れる。

 そしてこういう場面では、やはりベテランの安定感がものをいうのだ。

 残り2イニングで、青砥は投げる。

 そしてご愛嬌のようにソロホームランを打たれたが、失点はそれだけ。

 6-2でレックスは、まず第一戦目を制した。


 一つでも負ければペナントレースを制することは出来ない。

 そのまず一試合目を、レックスは勝つことが出来た。

 ただその夜、直史がテレビで確認したのは、また別のことである。

 他の球場ではスターズが負けていた。

 まだスターズも二試合を残していて、両方に勝てば確実に三位が確定という厳しい状況である。

 つまりクライマックスシリーズに進出するには、レックスとの試合でも勝たなければいけないのだ。

(う~ん……)

 これはちょっと、上杉が投げてきそうである。

 直史は前日のライガース戦で投げるため、さすがに投げるわけにはいかない。



 

 全てのチームメイトも首脳陣も、その他のスタッフも現状を理解している。

 残りの全ての試合に勝たなければ、ペナントレースを制することは出来ない。

 半年も戦ってくれば、どこかしら体にはガタがくるものである。

 だがここで踏ん張らなければ、半年の苦労が全て、ただの興行で終わってしまう。


 翌日のレックスの先発はオーガス。

 直史もライガース戦から中二日なので、リリーフとして投げられなくはないかもしれない。

 だが次の試合はライガース戦で、しかも中四日しかないのだ。

 ここで無茶をすれば、そもそもペナントレースを制しても、その先がないかもしれない。

 そのあたりのピッチャーのリソースをどうかけるかは、ギャンブルにならざるをえない。


 首脳陣は直史に、無理をさせるつもりはない。

 それぐらいならむしろ、ここで負けても明後日のライガース戦に出さないことで、消耗を抑えていく方がいい。

 アドバンテージが向こうにある、クライマックスシリーズで戦うのは厳しい。

 常識的な範囲では、直史が投げるのは二試合が限度だ。

 非常識な直史であるが、それでも六連戦なのだ。

 万全の調子でなかったとしても、せいぜい三試合を投げるのが精一杯。

 他の二つは別のピッチャーで勝つ必要がある。


 とりあえずは目の前の試合だ。

 カップスはこれが最終戦であり、もしもレックスを倒したら、ライガースの優勝が決まる。

 かといってライガースのために戦う、などという意識はもちろんない。

 ただひたすら、勝つことを目指してチームがまとまっているのだ。




 オーガスはレックスの中では、やはりチーム成績よりも自分の成績を重視している。

 レックスをどうでもいいとまでは思っていないが、やはり元はアメリカで育った男。

 MLBへの復帰も目指しているが、年齢的にそれは難しい。

 ならばNPBでどれだけ稼げるか、ということが重要になってくる。

 金のために仕事をする人間は強い。

 特にプロ野球などは、成績がそのまま年俸に反映されるのだ。


 ここまで17勝5敗と、直史と上杉がいなければ、本当に沢村賞の候補に入っていたかもしれない。

 ただ彼は完投が一試合もないという、極めてアメリカ的な先発ピッチャーだ。

 ハイクオリティスタートが9試合もあるので、そこがアピールポイントではあるだろう。

 レックスはライガースと違って、打線の援護はそれほど強烈ではない。

 その中でこれほどの数字を残しているのだから、確かにローテーションピッチャーとしては貴重である。

 来年もいい契約が結べるだろう。


 ただ彼が気にしているのは、直史のことである。

 今年は一軍最低年俸でやっていたが、パーフェクトを含むノーヒッター六回というのは、人間の技ではない。

 これは来年の年俸は、一気に上がるのではないか。

 むしろ上がらない方が、おかしいのだと理解出来る。

 すると年俸が、全体的に緊縮されるのではないか。

 他にも左右田や迫水など、一年目から活躍した選手が多いのが、今年のレックスなのであった。




 モチベーションが金にあるというのは、健全である。

 だいたいアメリカに限らず、格差の大きな社会であると、スポーツやミュージシャンで一発逆転、というのが貧乏人の見る夢になるのだ。

 金のための仕事をするな、などというのは本当の意味での貧しさを体験した人間ではない。

 たとえば直史も、色々なことが制限された範囲で成長したが、野球をやる機会すらないという極貧生活ではなかった。


 アレクなどが話していたことによると、南米では本当に、サッカーで成り上がる以外の手段はまずない、などとも言っていた。

 女性の場合は美貌であれば、また違った選択肢があったとも言うが。

 ただサッカーにしても、昨今では才能のある選手は少年期に、ヨーロッパに連れて行かれてしまう場合が多かったのだとか。

 そんな中で野球を選び、NPBからMLBまでジャパニーズドリームとアメリカンドリームを達成したアレクは、相当の異端者である。

 もっとも直史からするとアレクの成功した理由の一つには、彼が結婚をせず、変な仲間ともつるまなかったから、というのがあると思う。


 子供は一応いるのだが、結婚はしていない。

 本当は日本で、大和撫子的な女性を探していたらしいが、アレクは慎重な女性からは警戒される人間でもあった。

 直史たちぐらい仲がよければ、おおよその内面も分かるのであるが、基本的にアレクは危険に対する直感が鋭かった。

 貧困層とまでは言わないが、明らかに裕福でもなかったアレクは、自身も危険な雰囲気を放っていたため、そこが特定の女性にモテた理由ではあるだろう。

 本音としては、野球部のマネージャーをしてくれるような少女が、結婚の理想の相手であったそうだが、アレクはあまりにもスターになりすぎたので、一般の日本人女性との接点が少なくなったのだ。




 NPBからすると外国人選手などは、しょせん傭兵という捉え方をしている人間は多い。

 昔とか今とかではなく、ずっとある程度の数はいる。

 ただ勘違いしているのは、チームにとっては別に日本人であっても、戦力の一つとして見ているということだ。

 もっとも上杉や大介ぐらいになると、個人としての影響力が大きくなりすぎて、単純に戦力としては数えることは出来なくなるが。

 ちなみに直史は、ここでも自分のことを、ただの一個の戦力として考えている。


 個人事業主は、自分を自分で守らなければいけない。

 チームというのは同じ職場の人間が集まっているだけであって、自分を確実に守ってくれる存在ではないのだ。

 少なくとも一般的な会社の正社員の方が、万一の時の待遇は手厚い。

 直史は割り切っているが、だからこそレックスにはそれなりの損失は与えているな、という意識はある。

 だからこそここで、格安で働いてもいる。


 実際はポスティングをしているので、レックスには損失を与えてはおらず、せいぜいが期待されるほどの利益がでなかった、というものであるのだが。

 ドラフト一位のピッチャーが、二年連続で沢村賞を取って、二年連続で日本一にしてくれたのだから、コスパは間違いなくいい。

 このあたりの野球における自己評価の低さは、直史の不思議な点ではある。

 ただそれは直史が、スポーツなどは虚業と見なして、農業や畜産業に投資をしている、つまり根本的な価値観と無関係ではないだろう。




 そんな直史の見ている前で、試合は展開している。

 オーガスは六回を三失点で降板し、そこからレックスはどんどんとリリーフを投入していく。

 同点の状況であったが、もちろん勝ちパターンのリリーフを投入している。

 そもそも直史からすれば、同点の状況であっても、レギュラーシーズンの中盤あたりからもっと、勝ちパターンのリリーフを使えるシーンは多かったと思うのだ。

 それをリードしている状況でしか使わなかったのは、明らかに思考の硬直化。

 ただ下手に動くよりは、結果的には正解となる場合もある。


 結果だけでしか評価されないというのは、選手よりもむしろ監督の方が、ずっと苦しいのではないだろうか。

 コーチはまだしも、その分野によって明確に評価される。

 だが監督は全てを総括して、チームが勝てなければ駄目なのだ。

 判断は正しくても、結果が正しくないことはよくある。


 直史としては判断がどうであれ、結果は自分の力で捻じ曲げる。

 それがエースとしての役割だと思うし、実際にそれが可能なのだ。

 絶対的なエースであっても、絶対に勝てるとは限らないのが野球。

 その常識を覆したという時点で、直史は本格的な非常識なのだ。


 今年のレックスが、果たしてペナントレースを制覇出来るか。

 それは案外ライガースとの直接対決ではなく、スターズとの最終戦が関わってくるのではないかと思う。

 中四日でライガースと戦って、勝つのは直史の役割である。

 さすがにその翌日、スターズとの試合で登板出来るとは思わない。

 リリーフとして短いイニングなら、可能かもしれない。

 しかし上杉の投げる試合で、レックスのリード出来る場面が、終盤までに出てくるだろうか。

 かなり厳しいだろうな、と直史は思っている。



×××



 次話「甲子園の決戦」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る