第92話 決戦街道
七回まで投げたオーガスは、二失点の好投。
そしてそこから、レックスはリリーフ陣へと継投。
連投ではなかったが、少しでも故障のリスクを減らすため、オースティンをクローザーとしては使わない。
一点は取られてしまったが、最終的なスコアは5-3でレックスが勝利した。
ペナントレース制覇への細い道は、まだ途切れていない。
そしてゴールは近づいている。
翌日はようやく、一日の休息。
もし雨で甲子園の試合が流れていなければ、ここまで10連戦であったはずだ。
その意味では流れてよかったのかもしれないが、あの流れた試合は直史が先発であったため、どうせリリーフ陣は休めたはずでもある。
休養をしっかり取って、ライガースが神宮にやってくる。
疲労は取れているだろうが、三日間の休みの間に、試合勘も鈍っているのではないか。
スターズ三連戦のうち、後ろの二つを勝ったレックスは、勢いに乗っている。
ただの勢いではなく、ちゃんと戦力を温存した勢いだ。
休養と勢い、どちらが重要かというのも、難しい問題だ。
ただレックスも一日は休めている。
そして第一戦は、直史が投げる。
第二戦は完封から中五日の三島であり、こちらもまだ勢いは残っているだろう。
ライガースも津傘と畑の二人が、この連戦では投げる。
さらに言えばライガースはもう、レックスとの三試合で、今年のレギュラーシーズンが終わる。
最後の試合には畑と津傘、二人を使っても構わないのだ。
対するレックスは、ライガース戦以外にカップス戦とスターズ戦が残っている。
リソースを全部、対ライガースだけに注ぐわけにはいかないのだ。
とは言え第一戦、ピッチャーのリソースは減らないだろう。
直史が完投するであろうからだ。
完封まではともかく、完投はほぼ確実に予想できている。
ただ直史がもしも負ければ、そこでレックスは終わるだろう。
一応はまだ、可能性は残っているが。
自分が負けたら終わる。
そんな状態で、直史がどういうピッチングをするか。
それはもちろん、いつもと変わらない。
高校時代から、国際大会でクローザーをしてきたのだ。
WBCなどでも多くは、クローザーとして勝利してきた。
それに直史は、試合前にもっと重要なことを終わらせておく必要があった。
宿泊しているホテルに瑞希と、そしてセイバーがやってきていた。
既に手術の準備は日程まで決定している。
最終的には向こうで、もう一度検査は行うであろう。
だがそこからは最短で手術となる。
金だけでは無理な、コネと伝手により無理を通した。
これにはもう、直史一人でどうにか出来るものではない。
沢村賞の選考も、シーズンが終了した二日後、クライマックスシリーズ前に行われてそのまま発表。
この日程変更にも、セイバーの力が大きく働いている。
正直なところ沢村賞の発表は、よりレックスに勢いを与えるのでは、という意見もあった。
だが現時点で既に、候補者は完全に一人に絞られている。
発表を前倒しにするのに、問題はなかった。
ただ高い料亭を奢って、お土産を持たせただけだ。
セイバーが直史に近しいことは知っていても、選考と発表の前倒しをしたところで何も変わらない。
結局はそれが、最大の理由ではあったのだろう。
ここから先は、もう本当に直史の力の及ぶところではない。
あとは愛する息子の生命力と、執刀する医師に任せるのみだ。
己の及ぶところは、全て行った。
ここからさらに、何か自分が出来るというなら。
それはもう、父としての生き様を見せてやるしかないではないか。
「本当に、感謝します」
「それで、手術には立ち会う? 予定だと日本シリーズに重なっちゃうけど」
「……クライマックスシリーズで負けたら、立ち会えますね」
「まあ、そうね」
思わず笑いが洩れた。
瑞希は共にアメリカに行く。
セイバーもそれに同行してくれる予定だ。
直史はまだこちらにいるが、クライマックスシリーズまではともかく日本シリーズまで勝ち進んでしまったら、現在の予定には間に合わなくなる。
それに関しては、直史も考えていることがある。
ここまで自分が勝ち進んできたのだから、おそらく野球の神はそれに応えたのだ。
だから最後まで、見せ付けてやると。
瑞希としては、この最後になるであろう直史の試合を、直接見られないのは残念だ。
ただ彼女は、息子の命を後回しにしてまで、自分のライフワークを優先しようとはしない。
だが直史の判断も尊重する。
「俺は、俺に出来ることを、明史に見せる」
そう言う直史の表情には、一種の悲壮ささえ湛えられていた。
直史に出来ることは、息子の手を握ってやることではない。
それも出来ることではあるが、明史は言ったのだ。
だから直史は、息子に己の背中を見せる。
一つのチームの勝敗を背負って、世界一のバッターと戦って、チームを優勝に導くことを。
「けれど念のため、負けたときにすぐ来れるよう、飛行機のチケットは手配しておきますね」
「あんまり想像したくないんですけどね」
直史はわずかに苦笑した。
第一次決戦である。
これに勝った上で、さらにもう一度勝たなくてはいけないというのが、レックスにとっては厳しいところだ。
さらには最近元気なカップスなど、残された試合は厳しいものが多い。
だが細くなった道を、しっかりとたどってきた。
そして今日の先発は直史。
不敗神話が今日も期待される。
いやそれは、もう期待というレベルではないのかもしれない。
ほぼ信仰に近いものであろう。
集中していた直史は、普段どおりに起床した。
目覚めると共に、即座に覚醒していく。
肉体の調子は、特に問題を感じない。
前の試合は80球も投げておらず、中六日が空いている。
ただ重要なのは、次の試合になるかもしれない。
ライガースを確実に封じるために、直史は中四日で投げる予定になっている。
だがそれを悠々と受けるほど、もう直史は落ち着いている。
窓のカーテンを開けると、不思議なほどに済み通った光景を眼下に見る。
東京の中でも、こんな明るい朝で始まる日もあるのだ。
(もう全力でいってもいいかな)
もう登板数も25試合に到達したので、全ての項目を満たしたことになる。
途中で壊れてしまっても、直史以外が選ばれることはないだろう。
(いや、どうせなら最後まで楽しむか)
今年の野球は、直史にとって非常に、窮屈なピッチングに終始した。
パーフェクトが達成できなかったのは、結局加減して投げたというのも関係しているのだ。
壊れてもいいかな、という投げやりな感覚は、確かにある。
だが同時にそれは、壊れてでも勝ちたい、という気持ちにつながる。
試合ではいくら勝ったと言っても、打たれたことには変わりはない。
それも永遠に歴史に残るようなホームランを。
(甲子園球場が残る限り、いや、日本に野球が残っている限りは、この記録も消えることはないだろうな)
それは屈辱ではあるのだろうが、これまで一方的に屈辱を強いてきたのが、直史である。
そのあたりの自覚に欠けるあたり、本当に非道の人間である。
【完全無欠】 新生! 佐藤直史総合スレ part389 【不敗神話継続】
641 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
全裸待機完了
642 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
早いな
まだ一時間はあんねんぞ
643 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
確認するぞ~
二試合のうち、両方ライガースが勝ったらペナントレースは終了な
一試合だけなら一応まだレックスの可能性も残ってる
644 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
今のところ引き分けが両チームないから、勝率同じだったらレックスが優勝
645 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
大サトーとそんなに当たってるわけでもないのにレックスの方が有利なんか
646 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
今日はまあレックスの勝ちやろ
一点ぐらいは取られるかもしれんけど
647 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
試合前の落ち着いた雰囲気好き
しかし失点が全てソロホームランて、前例あるんかいな
648 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
あるかもしれんけど一試合とか二試合しか出てないピッチャーやないか
649 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
白石のホームラン、終盤にわずかに失速したな
自分の記録抜かす勢い一時はあったのに
三試合で五本は無理やろ
650 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
今が68本で残り三試合か
無理やな
しかも今日と、最終戦も多分大サトーやろ
打ててあと一本ぐらいかな
651 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
69本でもたいしたもんや
652 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
ここライガースファン混じってないか?
ライガーススレか白石スレ行けや
653 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
お前も関西弁www
654 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
カキコだけは似非関西弁になる人間いるからなあ
655 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
考えてみたんだけど大サトーだけは白石相手でも逃げないから
あるいは三本ぐらいは打たれるかもしれんぞ
656 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
どうなんだろな
結局あれ、試合には勝てるから勝負したって感じだったし
657 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
本当にやばい場面では平然と敬遠しそうというか
さすがに首脳陣が申告敬遠すると思う
658 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
甲子園ならともかく神宮だからその可能性はあるか
659 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
けどここはしっかり抑えないと次の試合に響くと思う
660 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
次は三島か
今年のライガースとの対戦成績どんなもん?
661 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
八試合投げて4章3敗
662 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
早っw しかも字間違えてるw
663 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
案外勝率は悪くないな
でもこの間、早めに崩れてたよな
664 名前:代打名無し@実況は野球ch板で
まあとりあえずはこの試合よ
決戦と言っていいだろう。
ライガースも二枚看板の一方、津傘を持ってきている以上、大量失点は考えにくい。
特にこの数日の休養で、リリーフ陣が万全の状態にある。
明日の先発の畑を除けば、全員を投入可能だ。
なにしろ明日の試合が終われば、また試合は三日間もないのだから。
三試合のうち一つでも勝てば、おそらくは優勝出来るのではないか。
ただレックスが残る試合を全勝したら、レックスの大逆転優勝にもなる。
このあたりは他のチームの事情もあるので、なかなか確定するとは言えない。
一つ勝って、一つ引き分ければ、それでライガースの優勝は決まる。
もっともそんな、都合のいい引き分けが狙えるのは、直史以外のピッチャーからであろうが。
明日の三島の試合は、勝利することが大前提だ。
そんなに甘いものでもない、と世間は言うだろうが。
ライガースは目の前に優勝があるように見えるが、レックスを相手に敗北してしまえば、自力優勝の確率だけはかなり低くなる。
この連戦を含めて、三試合あるのだが。
三つとも負けてしまっても、優勝の可能性は残るかもしれない。
レックスの最終戦は、スターズとの試合なのだ。
スターズもまたクライマックスシリーズ進出は、最終戦までもつれこむ可能性がある。
そこで上杉が無理を押して出てくればどうなるか。
レックスはその前日に、ライガース戦がある。
ここで中四日の直史を使う予定である。
結局は直史をどこで使うかが、重要になってくる。
絶対に勝てるエースなど。過去にどれだけの数がいたであろうか。
もちろん年間に何度は負けるのが、本来の絶対的なエースの意味である。
しかし直史の絶対は、本物の絶対だ。
絶対に負けないと、周囲が信奉している。
確実に勝つ、などというのを計算に入れて、作戦を取るというのは不味いものなのだが、もはやこの状況では仕方がない。
いよいよ試合が始まる。
ライガースは予想通りと言おうか、また大介を一番に持ってきた。
つまりこの神宮においては、一回の表からいきなり、大介の打席というわけである。
必ずリードしていない状況で、大介の打席が回ってくる。
精神的にはこの最初の打席が、一番苦しいかもしれない。
ただこのプレッシャーさえも楽しめた時、ただのピッチャーがエースになる。
直史は楽しんではいないが、魂の燃焼を感じている。
生きているという実感であろうか。
人は肉体の限界で、精神の限界で、己の生きている本当の実感を得る。
直史もまた結局、こういったシーンで己の、人間の肉体が感じる、生命の鼓動を感じる。
レックスナインが守備位置に散り、大介がバッターボックスに入る。
そして向かい合う両者。
審判のプレイの声が聞こえる。
(ここは全力を出させてもらう)
クイックからのスローカーブという、奇襲のようなボールが、先頭の初球として投げられた。
直史が何を投げてくるのか、ある程度は絞らなければ大介も打てない。
この何に絞っているかの情報がない、初球が一番直史としては怖い。
だがクイックでタイミングを外し、さらにそこからスローカーブを二段階で外し、大介はスイングをせずにボールを見送った。
初球でストライクが取れたことは、とても大きい。
ストレートはないだろうな、とは大介も思っていた。
ただこの状況で、クイックからスローカーブだ。
確かに前にも、これは使ったことがある。
だがこの状況で、またも使ってくる。
(全力……に近いか)
構え直し、即座にトップを作る。
直史が次に何を投げてきても、即座に対応出来るように。
覚醒しかけている。
自分でも分かる、この世界に充満している、客観的な全知の視線。
それを通して、この勝負を主観と客観の両方から見ている。
多くの視線を通して、大介の姿を見る。
どこに力が入っているのか、存分に分かる。
二球目、投げたのは外に逃げていくシンカー。
これは余裕で見逃されたが、心理状態まで見えている。
(そこに投げればいいんだな)
糸が一本、空間の中を走っている。
いやこれは糸ではなく、線であろうか。
世界を切り裂くかのように、そこに存在している。
ボールがそこを通過すれば、おそらく大介を打ち取れるのだろう。
だがこんな軌道を投げられるピッチャーが、直史以外にいるのか。
呼吸を整える。それは集中のための手段である。
ほんのわずかなコントロールミス、下に落ちるならいいが、落ちきらなければ持っていかれる。
さらに集中すると、ボールの重心がはっきりと分かる。
そして投げるための、肉体のバランスも。
セットポジションから、今度はむしろゆったりと足を上げる。
そして意思を込めて、全力で投げる。
スピードボールであるが、落ちていくボール。
コントロールされたスルーに、大介のバットが出た。
わずかな接触、打球は直史の横を通り過ぎようとする。
しかしそこに、素早くグラブを出していた。
センター前に抜けることはなく、グラブに収まったボールを、そのままファーストへ。
第一打席は無難なピッチャーゴロに終わった。
大介でも普通に凡退することはある。
事象の表面だけを見れば、そういうことである。
だが実際に打ち取られた本人は、より深くこの打席のことを考えていた。
(スルーが、完全にコントロールされてたな)
147km/hのスルーは、ライフル回転のため失速しにくいため、もっと速く感じる。
実際に大介はそう感じたのだ。
ただ普通のスルーなら、ついていけるはずだった。
それがあそこまで打球の勢いが落ちたピッチャーゴロになるとは。
直史以外のピッチャーであっても、おそらくはある程度捕れる打球であったろう。
しかし大介の感覚としては、思ったよりも落ちた。
速く、そして落ちたために、わずかに差し込まれた。
(どういうことだ?)
何か普通ではないことを、直史はしたのだろうか。
ともあれ大介を打ち取った時点で、一回の表は一気に楽になる。
リーグ一の攻撃力を持つ、ライガース打線。
だが直史は、特に意識などしない。
二番打者以降は、ストライク先行のままカウントを稼ぎ、追い込んだら一気に三振を取りに行く。
それでも当てるぐらいはやってくるのだが、それがフェアグラウンドに飛ぶならむしろ好都合だ。
強力な二遊間が、しっかりと内野ゴロにしてくれる。
最後のバッターに対しては、温存していたストレートを使う。
そしてそこからカットボールを使って、空振り三振。
カットボールではなく、それとスライダーのほぼ中間の変化。
他のピッチャーなら出来ないだろうが、直史ならば出来るのだ。
(この一回の表が、ある意味では一番怖かったな)
大介と対決するなら、なんとかリードした状況で戦いたい。
それがありえないのが、この一回の表であったのだ。
そこを三者凡退。
間違いなくいいスタートである。
ライガースの先発は、二枚看板の一人である津傘。
ここまで24先発12勝4敗。
特に極端な特徴はない、普通のいいピッチャーである。
レックス戦には三度先発し1勝1敗。
ただそのうちの敗北した一試合は、直史を相手に投げたものである。
同じく二枚看板の一人である畑に、今年は少し水をあけられている。
だがそれはあくまでも勝敗だけであって、ピッチングの内容としては悪いものではない。
直史と大介の対決がクローズアップされるレックスとライガースの試合であるが、それも無理はないな、と津傘であっても認めざるをえない。
今年、直史が投げた試合で、チームが負けたのは一試合のみ。
それすらも直史に原因のある負けではない。
そして投げ合った相手は、上杉であった。
累計15回の沢村賞という、レジェンドの中のレジェンド。
昨今の選手、特にピッチャーはすぐにMLBに行ってしまうと言っても、その原因の一つに上杉があったことは間違いないだろう。
セ・リーグにいてもタイトルをろくに取れないのだから。
そんな上杉も、ようやくこの数年は成績を落としてきた。
だが投打の極みが日本球界に復帰したのと合わせて、復活してしまっている。
怪物たちの中で、ただの人間が何を出来るというのか。
もちろん彼らも、一般から見れば、間違いのないスポーツエリートではある。
ただこの三人は、完全に実績が常軌を逸している。
タイプは違うが、人間とは思えないものだ。
直史と投げ合うという時点で、既に運がない。
そう考えている津傘の戦意は、微妙に低い。
出来れば七回ぐらいまでは投げて、負けるにしても防御率を抑えていきたい。
消極的にではあるが、目的はしっかりとしている。
(この新人、なんとかしないとな)
レックスの先頭左右田は、リードオフマン。
同じチームの迫水がおらず、そして一軍のスタメン入りがもう少し早ければ、間違いなく新人王の有力候補であった。
その左右田を、少し球数は使ったが、ちゃんと凡退させる。
面倒な相手を、しっかりと抑えていくのが、最終的な成績の向上につながる。
それは間違いないのだが、そういった理屈では動かない選手もいる。
左右田相手に少し球数を使った津傘。
ならば次は、楽をしたいと思ってしまうのが人間だ。
そんな人間洞察を、高校の時点で仕込まれているのが、大阪光陰の選手である。
緒方の初球打ちは、見事に左中間のスタンドへ。
ソロホームランではあるが、絶対に必要な先取点を、たった一人で獲得したのであった。
ベンチの中で直史は、帰ってきた緒方に左手を出す。
軽く合わせたハイタッチ。
かつてはとてつもなく面倒な相手と思ったのが、味方となって自分のバックを守る。
しかも緒方の場合は、ずっとレックスにいるままである。
実家が神奈川だというのも、在京圏から出なかった理由だそうだが。
まだリードはたったの一点である。
だがこれで勝てるという確信が、緒方の中にはある。
ライガース相手で、前回にはホームランを二本も打った大介がいて、まだ一回の攻防が終わっただけ。
しかしそれでも、緒方は直史が投げる背中を守って、負けた経験がないのだ。
一つだけ懸念があるとすれば、それは直史を下手に温存すること。
それは直史自身が許さないだろうな、とも感じていた。
勝つ、というその意思。
あるいは信念、執着、確信。
なんと言ってもいいものではあるが、直史の背中を守っていると、そこに巨大な壁のようなものを感じる。
だれのどんな打球であっても、それに阻まれ遠くに届かないような。
実際にはホームランも打たれるし、普通に壁の穴を打球が転がっていく。
しかしそれでも、直史こそ「絶対」を感じさせるピッチャーはいない。
(不思議な人だ)
去年、復帰のためにリハビリ登板をしていた、直史と対決していた左右田。
その不甲斐ない試合を見られたせいで、ドラフトの順位は落とされたと世間では言われている。
実際にそうなのだろうが、それでも支配下で契約されて、優勝を狙うチームのスタメンにいる。
故障者が出たことが理由ではあるが、もう完全にスタメンの座はつかめた。
何がよく、何が悪いのか。
それが本当に分かるのは、人生の最後の瞬間であるのかもしれない。
先頭打者の打ったボールは、二遊間。
先に左右田が追いついて、そのまま一塁へスロー。
問題なくアウトとなり、四番はそのままベンチへ。
これをあと23回繰り返せばいい。
いや。直史のことであるから、途中から積極的に三振を奪いにいくのかもしれないが。
最低でもあと二回、大介との対決はある。
まったく先頭打者に大介を置くあたり、ライガースの首脳陣は間違いなく大胆である。
しかしファンは、それについて批難することもない。
この試合を含めて、ライガース戦はあと三試合。
最後の試合が甲子園というのが、対戦する側としては苦しい。
あの日本で一番熱い球場で、最終決戦をするかもしれないのだ。
ただその試合に、直史がおそらくは投げる。
ならば勝てると思ってしまうのは、それだけの実績があるから。
しかしこの背中を見てきたなら、単純な実績ではない、人間の限界を超えたというよりは、人間としての何かを裏切ったような、そんな存在感を覚えてしまっているかもしれない。
二回が終わって、奪三振が四つ。
ペースとしてはいいと言うべきであろうか。
問題は球数であるが、こちらもまだ20球に達していない。
直史が考えるのは、この先のことだ。
つまり二打席目、三打席目の大介との対戦である。
第一打席ほど、簡単に打ち取られてくれるはずがない。
それだけは確実なことである。
出来ればまだまだ、追加点がほしい。
しかし今日の直史は、自分がトランス状態に入っているのを感じる。
それも全力を出すのではなく、必要なだけの力を、必要なだけ出す、というものにだ。
予知めいた感覚で、試合の流れを感じている。
沢村賞が確定的になって、あらゆる準備も整った。
それがリラックスした準備になって、今まで無駄に使っていた力を使わずに済んでいる。
その無駄な力というのは、壊れないように自分を、抑えておくというものだ。
絶対的な成績を収めるか、あるいはパーフェクトを達成しなくてはいけなかった。
だがパーフェクトを達成するほどのピッチングには、どうしても故障の危険があるほどの出力が必要だった。
それを抑えていたのも、また自分の中のコントロール中枢。
今はその力を抑える力を、完全に解放してしまっている。
一歩間違えれば壊れるかもしれない。
しかし、これが直史の全力だ。
三回の表、七番からの打順。
直史はマウンドに立った瞬間、グラウンド内の全てを掌握する。
そしてベンチの中でさえも。
(聞こえるぞ)
バッターボックスに立つ、バッターの心臓の鼓動が。
どのタイミングで投げれば、一番力が入らないか。
空振りして三振しろ!
三回の裏、レックスはもう一点を追加する。
大介との対決を前に、なんともタイミングのいいことである。
これでソロホームランを打たれても、まだレックスのリードという状況になる。
だが今の直史は、グラウンドをたゆたう試合の流れが見える。
そしてそこに、自分がどうやって踏み込んでいけばいいのかさえも。
大介はこれを感じているのか。
直史は味方としての大介を感じるとき、これと似たようなものを感じたことがある。
だが完全に一致するものではない。
守備に散っていく味方の野手陣。
後ろを向かなくても、誰がどこにいるのか、数cm単位で分かってしまう。
それだけ脳がフル回転しているのだろうか。
あまり脳を使いすぎると、エネルギーを大きく消耗する。
それは以前からずっと、直史も分かっていることだ。
だが今日のこれは、今まで他にかけていた力を、演算に使っているというものだ。
結果的にはむしろ、この方が使っているエネルギーは少ないのかもしれない。
最初からこうしていた方が、早くにパーフェクトができていたのだろうか。
ただシーズンの序盤にでもこれをやってしまえば、体への負担が大きくて、すぐに故障してしまっていたかもしれない。
そして今、脳が処理する情報が、最大限に達する。
バッターボックスには、大介が入ってくる。
心臓の鼓動を感じろ。呼吸を読め。
そして共鳴していき、お互いが境地に達したレベルで、対戦が行われる。
(今度は負けないぞ)
直史が思い出すのは、あの二打席連続のホームランなどではない。
あんなどうでもいいものではなく、MLB二年目で打たれた、ワールドチャンピオンを決める一本である。
×××
次話「より高く」
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