第89話 エースであり、ジョーカーである
多くのトランプのゲームにおいて、最強の札はエースではなくジョーカーである。
なんでも、どんな用途にでも使える、と規定されているゲームが多い。
どんな用途でもと言うか、その型が無形であるという点では、直史はまさにジョーカーなのであろう。
パーフェクトはおろか、ノーヒットノーランですらない。
NPBの公的な記録によれば、ただの完封となるのだろう。
だが見ている観客や対戦している相手は、まさに魔法にかけられた気分になるのは間違いない。
九回を投げて27人ヒット1本。
必要とした球数は74球であり、常軌を逸した少ない球数であった。
それでもプロ生活だけに限ったとして、これより少ない球数で封じた試合がある。
そのあたりがもう、誰にも止められないと言うべきなのだろうか。
バッターは敬遠してしまえばいい。
だがピッチャーの投げる球からは、逃れる手段がない。
レックスの攻撃には少し時間がかかったが、それでも二時間以内に終わったこの試合。
当然ながら直史はヒーローインタビューなどを受けるわけだが、それよりも気にしているのは、同日のライガースの試合がどうなるのか、ということだ。
試合の途中で少しだけ意識はしていたが、基本的には対戦するバッターに集中。
そして結果は、狙っていた感じに上手くまとめることが出来た。
レックスはスターズとの試合を、あと四試合残している。
そこで精神的な優位に立つために、今日の試合は圧勝する必要があった。
スコアは5-0であるが、この0の内容が、圧倒的なものであるのだ。
(上杉さんがいるからには、メンタルは立て直してくるだろうけど)
ほとんど三位のタイタンズとの間に、差がないのがスターズである。
どちらが三位になってくれた方がいいのか、直史としても考えたのだ。
総合力では上回るのはタイタンズ。
ただ短期決戦では、チームの勢いというものも重要になる。
その場合は上杉がいるスターズの方が、メンタル的に有利であるかもしれない。
直史としては結局、自分の負け星にはならなかったものの、自分が先発して唯一勝てなかった、上杉相手の試合に少しこだわりがある。
直史のプロ入り後のベストピッチというのは、ポストシーズンの優勝を決めた試合などではなく、むしろ上杉と投げ合って両者がパーフェクトを達成したがゆえに、逆にどちらもパーフェクトと認められなかったあの試合だ。
今の上杉には、もうあの頃のような力はない。
それでも大介を抑える場面では、今の限界を超えて投げている。
直史と同じように、それでチームの勝利に貢献する。
今さら上杉と勝負して、何か意味があるのか。
直史はそんなことを考える。
年齢的にはもう、引退しても全くおかしくない。
そんな上杉に引導を渡すとしたら、それは自分ではなく大介の役目であろう。
どのみち三位争いよりも、スターズ相手にレックスが勝つことが重要なのだ。
そのために打線を、非常識なまでに徹底的に抑えた。
今頃は敗北感で、さすがに打ちのめされているだろう。
これが三連戦などであれば、レックスとしては嬉しかったのだが。
同じ日の試合では、ライガースも勝利していた。
ここからは一試合ごとの勝敗が、ペナントレースの結果を大きく左右する。
やはり今さらながら、あの一敗が痛い。
せめて次の日、直史の投げる試合が開催されていれば。
残り三戦で直史が二試合に投げるのは、ちょっと日程が厳しい。
無理なわけではないが、少しの無理がクライマックスシリーズに響くかもしれない。
全ての試合を勝てば、レックスは逆転勝ちする。
だがそれは現実的には無理だろう。
ライガースには残り三試合を勝ち越すとして、他の試合はスターズが多い。
スターズと当たるとレックスは、だいたいロースコアのゲームになる。
ここまで11勝10敗と、ほぼ互角の勝負となっている。
ライガース相手には勝ちこしているのに、なんともチームによる相性というのはあるものだ。
もっともライガースは、計算して勝つのが難しい相手であるのは確かだ。
ライガースが残している試合は、カップス戦が二試合に、レックス戦が三試合。
カップス戦を両方勝っても、まだペナントレースの行方は決まらない。
だが直接対決で全てが決まるというわけではなく、レックスは残り試合数が多い。
今年のレックスは最大で七連勝というのもあるが、残るはタイタンズ以外の四球団と対戦が残っている。
ホームゲームが多いが、アウェイへの移動で即座に試合、という日程もある。
不利だな、と考えるのは普通である。
大介はかなり自分たちが有利だな、とは思っている。
だが同時に、全く油断出来ないということも分かっている。
ここまでライガースは、八連勝でペナントレース制覇に近づいてきていた。
さすがに統計的に、そろそろ一回ぐらいは負けるかな、とも思う。
だが日程的に、ピッチャーを休ませながら使うことが出来ている。
有利であると、いくら自分に言い聞かせても、どこか残る不安。
なるほど直史が相手にいると、こういう気分になるものなのだ。
ペナントレース制覇の条件を、レックス首脳陣は改めて確認した。
当然ながら直史も、それはしっかり分かっている。
重要なのは、ライガースとの直接対決の回数だ。
そしてライガースの残り試合数と勝ち試合の数。
今年はお互いに珍しくも、引き分けの試合が一試合もないので、勝率が同じになる可能性がある。
そしてその場合は、直接対決の勝敗が重要となってくる。
ライガースは有利なことは有利だが、他のチームにもある程度はレックスに勝ってもらわなければ、それはそれで困るのだ。
「カップスと二連戦というか、一試合ずつか」
まずは甲子園で試合をし、一日を移動日で使い、次にカップスホームで試合を行う。
これによってカップス戦も全日程を消化。
そしてレックスとの試合となるのだが、レックスがまだ試合が多く残っているため、まず二連戦した後、休みがあってから最後の一試合となる。
いくらなんでもこれは、と思うほどに本当にぎりぎりまで、優勝が分からない。
もちろんそこまでにレックスがポンポンと負ければ、ライガースの優勝が決まるわけであるが。
ライガースが有利なのだと、何度となく繰り返す。
しかしそれでも、確信が持てない。
ライガース首脳陣としては、直史の投げていないレックスであっても、安定して勝つことは難しいだろうと考えている。
出来れば他のチームに負けて、あっさりと優勝を進呈してほしいものだ。
しかしそれは都合のいい話であろう。
まずは目の前のカップス戦、両方を勝ちにいく。
それでもレックスの負けを待たなければ、優勝は確定しない。
ただし勝たなくてはいけないと思う、レックスにプレッシャーをかけることは、充分に可能であろう。
25先発24勝0敗21完投。
216.1イニング 289奪三振 防御率0,21
まだ最低一試合、あるいに二試合を残してはいるが、現時点での直史の沢村賞は決まったと言っていいであろう。
投手五冠を果たしての受賞は、上杉以来である。
父親としての権利と義務は、これで果たしたと言ってもいい。
ならば残るレギュラーシーズン数試合と、ポストシーズンでは何をするか。
それはもう、自分のしたいようにしてしまえばいいのだ。
自分のしたいことは何かと、直史は考える。
だがそこから出てくるのは、欲望ではなく責任だ。
思えばプロ野球の世界には、特にNPBに対しては、ひどく無茶苦茶なことをしてきてしまった。
もちろん全て理由があってのことであるし、直史にとっては完全に、自分の中の優先順位に従っただけである。
だが直史と関わったばかりに、キャリアを狂わされた人間などもいるだろう。
そういったものに対して、直史は何をするべきか。
実力主義の世界の中で、変に罪悪感を抱くことなどはない。
だがここまでやってしまったのだから、最後までやってしまうべきであろう。
肩や肘を壊してでも、自分に出来るピッチングをする。
しかしそうやって勝ったとしても、チームの優勝に結びつくかは微妙であるか。
残りは11試合。
そして直史が、二試合に出たとする。
しかしその他の試合の中では、おそらく上杉が投げるスターズと対戦する日程のものも含まれている。
またライガース戦も、かなり無理をしても直史が三試合に投げられるはずもない。
さらには最終戦になる予定のスターズ戦では、上杉が投げてきてもおかしくはない。
ライガース戦を、どう捉えるべきか。
それだけでも戦略が変わってくる。
ポストシーズンを楽に戦うためには、ペナントレースを制するのは当然のこと。
実際にライガースは、レギュラーシーズンでは主に、投手陣の隙が多かった。
ただここにきて、一気に連勝街道を走っている。
皮肉なことに大介が不調になったあたりから、その連勝は始まっている。
大介頼みであったチームが、いよいよ終盤ということで、一致団結し始めたということであろうか。
プロ野球選手は基本的に、個人事業主である。
なのでチームの成績よりも、個人の成績を優先するのは当然である。
だが同時に、チームが優勝出来そうなのに、優勝などどうでもいい、とまで考えるような選手も、まずいないのである。
坂本や、他に蓮池などは、その傾向があるかもしれない。
ただそれにも限度があるだろう。
直史の場合は、基本的に自分のことを、野球の世界では異邦人だと考えている。
ただ組織に所属する者として、純粋にその最良の結果を求めにいく。
この場合においては、優勝を目指すというものだ。
もっともどうしても、熱量には差がある。
そのためむしろ、大介のような好敵手が、敵に必要になってくるのだ。
もしも大介がNPBに復帰せず、もっと楽な試合が出来たとしたら。
それでも充分なピッチングは出来たと思うが、ここまでのことが出来たであろうか。
相手が強ければ強いほど、己も強くならなければいけない。
ダイヤモンドを磨くのは、ダイヤモンドにしか出来ない。
そしてダイヤモンドを傷つけるのも、ダイヤモンドを使って行う。
二人の決着がどのような形になるのかは分からない。
だがその時は間違いなく、もうそこまで近づいていた。
対フェニックス二連戦。
これで今年のフェニックスとの試合は終わる。
だが第一戦は名古屋ドーム、第二戦は翌日に移動して即神宮と、雨天延期の影響が出ている日程である。
先日のライガース戦もそうだったが、やはり今年は雨に祟られているのだろう。
移動の疲労もあるだろうが、それよりも問題になるのは、リリーフ陣の連投である。
レックスは終盤にリードしている試合展開ならば、確実に勝利する確率が、リーグでは一番高い。
だがそのためのリリーフは、ある程度の余裕をもって使われてきた。
直史がいることで、そこの先発の試合ではほぼ、リリーフを必要としなかったのだ。
しかしこのレギュラーシーズン終盤、リリーフの温存などと言っている余裕はない。
これもまたライガース戦、序盤で三島が打たれたことが響いている。
直史としてはこれまで、プロのシーズンでシーズン終盤にリードされているという展開は、ほぼなかった。
アナハイムでの三年目にしても、優勝が絶望的になったのは、まだ中盤であった。
自分自身の試合で、味方が点を取ってくれるまでは、意地でも点を取られないというピッチングをしていたため、なんにせよ追いかける展開というのに慣れていない。
どれだけ無理をするべきか。
あるいはレギュラーシーズンは二位と諦めて、クライマックスシリーズに向けて調整にかかるべきか。
一試合はまだ先発するにしても、二試合投げるべきか。
もちろん判断するのは首脳陣だが、直史としても自分の意見は持っておくべきであろうことは間違いない。
ただ何をどうしても、自分一人だけの力で勝つのは、もう不可能だ。
それでも対戦相手は考えないといけない。
ライガースとは一試合は間違いなく当たるローテ。
二度目があるかどうか、そもそも必要かどうかが問題だ。
不幸にも二度目の登板までに、ライガースのペナントレース終了が決まってしまえば、あとはもう休養をどれだけ取るかが問題となる。
安全マージンを取りたい直史としては、不本意なことではある。
フェニックスとの試合、レックスの先発は青砥。
ここまでシーズンの終盤になると、試合の緊張感が変わってくる。
そういう時に重要なのが、ベテランの力である。
ただ漫然とこの世界にとどまっていただけではなく、青砥はしっかりと日本一の経験もある。
この状況においては、その経験が重要なのだ。
ただしフェニックスにも、有利な点がある。
それは既にクライマックスシリーズの進出もないため、逆にプレッシャーなくプレイできるということだ。
若手が伸び伸びとプレイする。
勝敗に囚われないだけに、むしろリラックスして戦えるのだ。
直史からすると、このシーズン終盤に出番を与えられている選手は、むしろ少ないチャンスをものにしなければいけないということで、来年のためにもここで、アピールする必要はあるのではないかとも思う。
ただしこの時点で一軍にいるなら、少なくとも来年もまた戦力としては期待されているのだろう。
そのあたり直史は、常に主力であることを求められたため、アピールの必要はなかった。
それだけの実績があった、ということでもあるが。
この試合は青砥が粘り強く投げていって、レックスの有利に展開する。
充分にイニングを食って、そして後続に託す。
打線の援護も、それなりにしっかりとしていた。
直史は前日が完投であったため、さすがに一日の移動のために、チームに帯同していることはない。
それでもテレビを見て、試合を確認はしていた。
レックスではなく、カップスとのライガースの試合をだ。
ライガースもまた、カップス戦が二連戦でありながら、一試合ずつスタジアムを移動するという日程になっていた。
このあたりは全て、雨のせいなので仕方がない。
相当ひどい天気でも、試合を成立させるMLBと、無理はさせないNPB。
NPBの方が人道的に見えるかもしれないが、単純にスケジュールの限界というものがある。
MLBの場合は、専用ジェットで大陸を移動するため、簡単に移動することが出来るわけではないのだ。
またレックスは移動して連戦だが、ライガースは移動に一日をかけられる。
パ・リーグなどもそうであるが、シーズンの終盤に優勝の行方がもつれていると、こういった体力的な問題が出てくる。
やはり圧倒的な勝利を重ねていって、九月に入るあたりには優勝をほぼ確定させておくというのが、チームを運用する上でも楽なのだろう。
回復のために日程が使える、ライガースが有利なのはやはり間違いない。
直史に出来るのは、自分の試合を絶対に、リリーフも使わずに勝つこと。
せめてもう少し早く、ライガースとの試合があれば、と思わないでもない。
そうすればまた、打線陣にトラウマを残すようなピッチングが出来た。
もっともそういったことは、全て後からだから言えるものだ。
ライガースの終盤の連勝なども、ここまでの勢いがあるとは思っていなかった。
(チーム自体の総合的戦力が、やっぱり優勝を決めるんだろうな)
それを覆してきた直史であるが、今回は一番の不利な状況と言えた。
直史の沢村賞は、もう確定したと言っていいだろう。
いくら上杉が引退とかいう話になっても、それに応じるのは沢村賞受賞などではない。
それに成績だけを見るなら、むしろ去年よりもずっと、勝ち星の数が増えているので、まだまだ引退はしないと考える方が普通だろう。
そんなわけでセイバーは、直史に依頼されていたことを果たしにかかる。
過去の手術は時間をかけたので、アメリカのスタッフを日本に呼ぶことが出来た。
しかし今回は日程が確定していなかったので、アメリカでの手術とならざるをえない。
当初予定では日本にゴッドハンドがいるので、そこでやってもらう予定もあったのだが、アメリカに行ってしまっている。
金の力で、順番はごり押しする。
金とコネと伝手こそ、現代の武器である。
権力はこれにくっついてくる。
上回るのは情報ぐらいであろうか。情報こそが金やコネ、伝手に権力を凌駕する。
このあたりを直史は、本当に瑞希とセイバーに任せてしまっている。
だが結局、パーフェクトは出来なかった。
パーフェクトまであと一歩、という試合は何度もあったのだが。
直史は敗北や失点を、誰かのせいにしてはいけないとずっと思っている。
それはピッチャーとしての信念で、だからこそ天候を恨めるならば、天候のせいにはしてしまう。
ただ本気でそんなことを考えていたら、自分の甘さを見逃すことになる。
後悔は誰かのせいにしてさっさと忘れ、次の場面に対応する。
直史はそうやって、点を取られても崩れることがなかった。
おそらくあと一度、上杉が投げてくるスターズ戦では負けるだろう。
直史が投げるにはさすがに、登板間隔が近すぎる。
それに上杉が相手であると、さすがに直史でも負ける可能性がそれなりに高くなる。
他の試合を全て勝つのは、ライガース戦も全部勝つということだ。
そして展開次第ではあるが、スターズ戦ではもう一度、上杉が投げてくるかもしれない。
どうすれば一番、日本シリーズに進める可能性が高いのか、直史は考える。
名古屋ドームでは青砥が、必死で勝ち星を挙げる。
だが同日にはライガースも、カップスを相手に勝利していた。
これでライガースは91勝48敗、レックスは84勝49敗。
直接対決の残りは、三試合。
ただここでレックスは、先発の枚数が足りなくなってくる。
計算できるローテーションピッチャーがいなくなり、首脳陣が選択した判断は、前回の登板で早めにKOされていた、三島を回すこと。
もう先のことなど考えられない、ほぼ自転車操業である。
もっともこれは、悪い判断ではないな、とミーティングに参加した直史は思った。
翌日のスターズとの対戦、ローテーション的には上杉が投げてくるのが分かっている。
本来ならここは、レックスは百目鬼が先発である。
ここ最近はやや息切れ気味だが、今季途中から先発に回って、7勝1敗と勝ち運に恵まれている。
このスターズ戦を捨てる。
捨てる試合の選択をするのは、ただ勝つために頭を使うよりも、よほど神経を使うことだ。
だが現実的に上杉は、今年ここまで17勝2敗という成績を上げているピッチャーなのだ。
負けている試合もあるので、直史のような非常識さはない。
だが直史が登板した試合で、レックスが負けた試合というのは、上杉の投げたあの一戦だけである。
もっともここで一つ落とすのを許容するのは、大きな賭けだ。
ライガースの残っている試合は四試合で、そのうち三試合がレックス戦。
カップス戦にライガースが勝ったのなら、残る直接対決三試合全てを勝った上で、残りのライガース戦以外の試合で、一度しか負けるわけにはいかない。
上杉の投げるスターズに勝つよりも、そちらの方がまだ確率は高いのかもしれない。
だが問題は、最終戦となるスターズ戦でも、上杉が投げてくるローテになるのではないか、という点だ。
このあたりはもう、スターズの思惑によるとしか言いようがない。
スターズも現在、ほぼ互角の三位争いをタイタンズとしており、勝てない試合はしっかり捨てて、他の試合を全力で取りにいくしかならない状態になっている。
レックスとの試合は、四試合も残っている。
ここで一つは上杉で勝ったとして、残り三試合のどこかでも、上杉がまた投げてくるのではないか。
次のスターズ戦を別としても、あと一つは落としてもいいのだ。
ただ確実に勝てる試合など、どれだけ残っているというのか。
打撃力の高いライガースは、ここ数試合で一気に調子を上げてきた。
三試合のうち、直史に二試合は投げてもらっても、一試合は誰かが踏ん張って、勝ち星を上げるしかない。
カップス戦でライガースが負けてくれるなら、少しは楽になるのだが。
一応プロ野球の世界には、こういったほぼ絶望的な状況から、逆転優勝した例がないわけではない。
一つは負けてもいいという時点で、絶望ではないのだろう。
ただもし最後に上杉が投げてくるなら、直前のライガース戦で直史が使えない。
投手のリソースが不足しているのだ。
神宮でのフェニックスとの25回戦。
一応はフェニックスも、最下位争いをしてはいる。
だが故障者が復帰してからのカップスは強かったため、まず最下位はフェニックスと決まったと言っていいだろう。
明日のライガースとカップスの対戦は、ピッチャーの実力を考えるなら、カップスにも充分に勝算がある。
舞台が甲子園から移るので、強烈なライガースのホームのテンションにも、晒されることはないだろう。
前回は大事なライガース戦で、ひどいピッチングをしてしまった三島。
だが首脳陣も諦めるのは、早すぎたのではないか、と直史は思っている。
最終的には9-5というスコアで負けてはいるが、あそこから三島が立ち直っていたら、どうなっていたか。
(いや、三島に致命的なダメージがいくまでに、交代させたのか)
それならば話は分かる。
ベンチに入って、直史は助言を求められることになっている。
試合前の練習では、三島はブルペンで投球練習をしていた。
中三日だが、前に投げたのは56球でしかない。
本人も疲労はなく、雪辱を期している。
かといって変に、入れ込みすぎているということもない。
ここからは本当に一つ負けるだけでもう、地獄へまっさかさまという感覚になるだろう。
もっとも直史としては、最悪ポストシーズンでの下克上を目指せばいいや、とも思っているのだが。
気負いすぎては悪い結果が出る。
そのあたりのメンタルコントロールは、直史が最も傑出したところであるだろう。
鉄壁のような精神力を誇る上杉に、無責任であることが逆にいい結果につながる武史。
そういったピッチャーとは違い、直史はとにかく氷のように冷たく、マシーンのように肉体を動かすのだ。
その直史の目から見て、今日の試合はおそらく勝てるだろう、という感触は得られた。
前の試合の重要性は、分かっていたはずの三島である。
昨年はレックスの勝ち頭として、今年もエースとしての活躍を求められていた。
だが佐藤直史がやってきたことで、レックスのその他大勢となってしまった。
奮起してさらに挑戦する、という気分を失わせるほどのピッチングを、直史はしていた。
ただ40歳の復帰というのは、もう選手生活は短いとも思えたのだ。
そのため残りのわずかな現役期間に、盗めるものは盗もうと思った。
直史は確かに、技術も凄い。
ストレートの投げ分けや、変化球の緩急コントロールを見ていると、対戦するバッターが可哀想になってくる。
ただそのピッチャーとしての傑出したところは、その精神性にあると思った。
この一年、家族のフォローも受けず、都内のホテルで一人過ごしているという。
何か三島が感じられない、人の運命の深淵を見ているような。
とにかく三島にとっても、謎の人間ではあったのだ。
直史が見ていたことを、もちろん三島は気づいていた。
その上で今日の自分を、自分なりに分析する。
フェニックスは今、恐ろしいチームではない。
普段通りのピッチングをすれば、充分に勝てる相手だ。
前の試合の疲労などはなく、戦意は高い。
勝てることは勝てる。だが単純に勝つだけではいけない。
ここからのレックスは、とにかく連戦が多いのだ。
そしてチームの状況も理解している。
連戦の続く状態で重要なのは、リリーフ陣の運用をどうするかだ。
直史という異常なピッチャーがいることによって、今年のレックスのリリーフ陣は、かなり楽に投げられている。
しかしそれでも、他に完投できるピッチャーはほぼいない。
三島も完投したが、とにかく直史一人で、レックスのほとんどの完投をしているのだ。
大量の点差があれば、勝ちパターンのリリーフを休ませることが出来る。
そのためには先発が、奮起しないといけないのだ。
前の登板では、それが空回りしてしまったが。
屈辱を感じながらも、その怒りを冷静にコントロールしている自分を感じる三島。
出来れば今日は、完投してしまいたい。
だがそれにこだわっていては、残りのシリーズに悪影響を残すかもしれない。
重要なのはバランスだ。
残りの試合数とローテの順番を考えれば、三島はまだあと一回、ライガース戦で投げることになるだろう。
ここまで無敗の直史ほどではないが、自分もライガース相手に、絶対的に成績が悪いというわけではないのだ。
いずれは違うステージに進むときがくるとしたら、この時の経験が絶対に役に立つであろう。
気が早いと言われれば、それはそうかもしれないが。
日が没し、神宮での試合が始まる。
フェニックスは若手の起用が多く、データはまだ少ない。
ただその中から、直史が色々と解説はしてくれた。
頭の中ではそんなことを考えているのか、と三島だけならず首脳陣や迫水も驚かせるものではあったが。
ただ多くのピッチャーには、その全てを活用することは出来ないことも、ちゃんと分かってはいるようであった。
まずは一回の表、フェニックスの攻撃を0で封じる。
三者凡退で打ち取った三島は、己が冷静であると自覚している。
ここで負けていたら、もはやレックスが優勝する可能性は、ほぼ0になるであろう。
×××
次話「脇役たちの賛歌」
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