第87話 雨の甲子園

 どんな人間にも弱点はある。

 弱点とまでは言えなくても、付け入る隙はどこかにあるものなのだ。

 直史の場合は、それが天候となる。

 ほとんどの者はもう、すっかり忘れているかもしれない。

 だが高校一年生の夏以降、完敗したと言える試合はたった一つ。

 雨による制球ミスやエラーによって、3-0と言い訳のきかない点差で敗北したあのセンバツの試合だ。

 ただ雨の試合が得意、という選手は滅多にいないとも思う。


 フェニックス二連戦でベンチにいながらも、直史が気にしているのは次の先発の予定日である。

 ライガース二連戦の二試合目。

 場所はまたもアウェイの甲子園である。

 前回のホームランの影響というのは、はっきり言って全くない。

 その後のタイタンズ戦でもノーヒットノーランを達成し、その圧倒的な制圧力を示している。

 ただ試合間隔が短いのは気になるし、普通にライガース相手であれば、気を抜くわけにはいかない。


 ただライガースは、強力なピッチャーはそこには持ってくるようには思えない。

 元々そういうローテというのもあるし、いい加減に学習しているだろう。

 直史には勝てないのだと。

 どうしようもない場合は除いて、直史が投げない試合に勝つ。

 これが現実的な、ペナントレースを勝利するための戦略である。

 もちろんポストシーズンも、基本は直史が投げない試合で勝つ。

 NPB一年目の日本シリーズのように、一人で四勝されてしまえば、さすがにもうどうしようもないが。


 高校時代も15回をパーフェクトに抑えた翌日、九回を完封して全国制覇をしている。

 ただ今の直史に、そこまでの体力も耐久力も残っていない。

 普通の選手ならとっくに引退し、大半は完全に全盛期を終えているのが、今の直史の年齢だ。

 ブランクが長くあるのに、どうしてこんなことが出来るのか。

 後の野球史に、奇跡の一年とでも記されそうなシーズンである。

 なお補足文献としては、瑞希の書いた記録が残るであろう。




 レックスはこのような調子であったが、ライガースは調子を取り戻している。

 大介から長打がなくなり、稀に打球の方向でツーベースぐらいは打つが、かなりが単打となってしまっている。

 しかし代わりとばかりに、打率が上がって結果的にヒットの数が増えている。

 それでも200安打は無理であろうというあたり、本当に大介は勝負を避けられている。

 回ってきた打席自体はリーグでもトップ5に入るのに、打数自体の数はかなり少ないのだ。 

 それでホームラン王を確定させているのだから、いかに時代において傑出しているか、分かるというものだ。


 大介はバッター相手には、全く敵愾心がない。

 そもそもバッティングにおいては、大介に及ぶ者は一人もいなかったのだ。

 ブリアンもその全盛期は短く、また安打数以外の数字で大介を上回ったことはない。

 彼以後も優れたバッターはいたが、大介は全く気にしなかった。

 なぜなら安打数以外では、上回ることがなかったからである。

 リーグで二番目のバッターが、せいぜい年間にフォアボールが100個程度。

 しかし大介は、300回もフォアボールか敬遠で逃げられたことが何度かある。


 対決する相手は、常にピッチャーであったのだ。

 打率はほぼ毎年0.38を超えていたのであるから、首位打者を逃すはずはない。 

 そしてソロホームランを量産しホームラン王になり、無理なコースを打って打点を増やしていく。

 同時代に、傑出したピッチャーは数人存在した。

 だが大介並に傑出したバッターは、全盛期のブリアンが数年だけそうだっただけで、それでも大介を上回ることがなかった。




 20年間だ。

 正確にはこのシーズンが22年目。

 その間ずっと、プロの世界でトップに立ち続けた。

 それがどれだけ異常なことかは、過去の歴史を紐解いても分かるだろう。

 ベーブ・ルースは12回のホームラン王を、そのキャリアにおいて達成した。

 だが大介は、12年のMLB生活で12回のホームラン王を記録している。

 間違いなくバッターとしては、歴代最強と評価される。


 ピッチャーよりもバッターの、そしてホームランの価値が高いアメリカとしては、その小さな体でホームランを打つ大介は、奇跡と希望であったのだ。

 ただ途中で直史という存在がいて、わずかに味方になった期間もあったが、おおいにチャンピオンリングを獲得する回数を減らした。

 大介が奇跡と希望であるとしたら、直史は絶望と、やはり奇跡の体現者であった。

 多くの場合直史は、ドラッグのような、などというアメリカ的には恐ろしい言い回しで表現されたが。


 スポーツ選手扱いではない。

 スピードなどが優れているわけではないので、薬物の可能性は低く、わずか数回の検査でも当然、そんなものは検出されていない。

 麻薬的な、あるいは悪魔的なピッチングで、相手の選手だけではなく、観客までをも混乱させる。

 そんな存在であったのが直史で、そのファンには不健全で不安定な人間も多かったものだ。

 本人は完全に素面であったのが、また皮肉である。




 ライガースはレックスの日程が休みであった間も勝っていた。

 この勝利に意義があるのは、大介にホームランが出ていないにも関わらず、違う部分でしっかりと点を取れているからだ。

 特にランナーの大介を、後続がしっかりと帰しているのが大きい。

 上杉にこそ負けたものの、次のスターズ戦で勝利。

 そしてフェニックスには連勝した。


 レックスが直史が大介に打たれながらも勝ったのに対し、ライガースは大介が直史から打っても負けた。

 そして次のスターズ戦でひどい負け方をしたので、そこで勢いが落ちるかとも思われた。

 しかし大介が、自分の出来ることを駆使して、試合に勝つことを最優先にし始めた。

 ここで今年のライガースに一番、欠けていたものが身に付いてきた、と言ってもいいだろう。

 それは粘りであり、しぶとさである。


 淡白で大味な攻撃というものが、大介の執着を見ることによって、大きく変化したのだ。

 次に打てばいいのではなく、この打席は追い込まれたが、せめて出塁はする。

 そんな意識の変化で、相手に投げさせる球数は増えていく。

 選手の意識改革が、丁度いいぐらいの時期に出来てきた、というものである。

 それを20年以上の実働を誇る、メジャーリーガーが必死でやっているのだから、自分ばかりエゴを通すわけにはいかない、と自然と思われてくるのだ。


 大介はいまだに、勝利に飢えている。

 それこそ始めたばかりの、野球小僧のように。

 純粋であり、それだけに強い。

 メジャーリーガーとして完全に、この世界の頂点を極めたバッターである。

 それが今、一つ一つの試合を必死に、勝ち取ろうとしている。

 ホームランが打てなくても、チャンスはしっかりと作り出す。

 そしてランナーが三塁にいれば、外野の前にぽとんと落とすヒットを打つ。

 長打を捨てて、点を取る。

 誰にでも出来ることではない。




 長打が少なくなってきたので、下手に歩かせるよりは、と勝負してくる回数が増えた。

 するとポンポン単打までは打ってしまうため、打率が上がってきて、出塁率とOPSは下がっていく、というおかしなことになっている。

 特にOPSが下がっていくのは、かなり顕著である。

 フォアザチームの精神で、大介は貢献をしている。 

 だがクライマックスシリーズまでには、本当のスイングを取り戻さなければいけないのも間違いない。


 チームメイトを馬鹿にするわけではないが、いくら粘り強くなったとしても、直史を相手にしては消耗させるのが精一杯。

 止めをさせるのは自分だけだ、という自負がある。

 正確に言えばこれば、自分以外に打たれてくれるな、という願望でもある。

 確かに時折、直史でもホームランを打たれたりはする。

 だが、いくら削りまくった末のこととはいえ、直史から決定的な点を取ったのは、自分だけであるのだ。


 自分以外に負けて欲しくない。

 ただ勝つためには、自分の力だけでは無理だ。

 大介はそう考えて、直史のことを分析している。

 ブランクがあっても、どうしてここまで体が動くのか。

 まだ一年だけならともかく、五年も経過しているのに。

 体は動かしていたのだろうが、それにも限度というものがある。

 復帰するだけでも、その時点で凄いのだ。


 考えてみればオープン戦の時点では、まだブランクを感じさせる内容であった。

 色々な選手に打たれていたし、復帰戦の先発も、ホームランまで打たれていた。

 それでも最終的には、勝ってしまうのが直史らしかったが。

(そうなんだよな)

 大介にホームランを二発打たれて、その片方が歴史に残るような場外ホームランであっても、直史には関係ない。

 ただ結果だけを出すのが、直史という人間である。




 レックスが調子を落としているのには気づいていた。

 ライガース戦では勝ったものの、そこから三連敗。

 試合に休みの日があって、中五日で直史が登板して、ようやく連敗はストップした。

 この敗北によって、わずかだがライガースとの勝率に差が開いた。

 それでも直接対決が四回あれば、充分に逆転の範囲内。

 このままの日程であれば、おそらく直史は二回は投げてくる。


 今のところライガースの最終戦は、レックスとの二連戦になる予定である。

 直接対決によって、優勝が決定する。

 そんなマンガのような展開を、今年の日程から逆算したわけではないだろう。

 レックスもライガースも、それなりに雨天での順延があるからだ。

 直接対決二連戦、まさか直史が連投ということはないだろう、と大介は思ったのだが、昔の直史であれば充分に、考えられることではある。


 ただ直史がこのシーズンについて、どう思っているかが気になる。

 裏事情を知っている大介は、今までの直史には枷がついているのを知っている。

 それでも厄介なことをやってくれたが、そこは自分でどうにかする。

 しかし沢村賞がほぼ確定している今、レギュラーシーズンの残りの試合をどうするのか、正直読むのが難しい。

 チームの日本一を、それなりに願っているのか。

 直史なら以前、二年しかレックスにいなかったことを気にして、お返しとして無理をしてもおかしくない。

 その大介の予想は、それなりに正しい。




 レックスがフェニックスと対戦している間、ライガースはタイタンズとの最終戦を迎える。

 このあたりになると直史も思っていた通り、ライガースの方が日程に余裕があり、リリーフ陣の負担が少なくなっていい。

 ただし試合間隔が空いてしまうと、緊張感が保てなくなる人間もいる、という危険性もあるだろう。

 本来は有利なはずのペナントレースを制したチームが、下克上を起こされる原因。

 その一つはやはり、勢いの違いである。


 世間的には劣化白石、などとも呼ばれる悟。

 なお安打数では三年も長く、そして試合数の多いMLBでやっている大介より、いいペースで打っている。

 MLBに行かなかったこそ更新できた、ホームラン、安打、盗塁、打率などの総合記録。

 3000本安打と500本塁打、そして400盗塁が現実的なあたり、歴代でも屈指の選手であることは間違いない。

 直史がNPBで警戒する、大介以外ではほぼ唯一のバッター。

 それだけで脅威度は伝わるだろう。


 ただ直史との関係と違って、大介とは親しい接触などはなかった。

 もちろん高校の後輩であり、甲子園優勝の原動力となったことは知っているが、同じバッター相手には興味を示さないのが大介である。

 自分の成績すらあまり興味がないのに、別に競争相手でもない選手に必要以上の興味を持つ必要はない。

 もちろん守備に就くときは、相手の傾向を読んだ上で、対応しなければいけない。

 それと人間性にまで興味を持つのは、別のことである。


 高校時代のセイバーは、完全に統計を利用していたが、統計に出ない限界の研究もしていた。

 それこそ彼女の求めていた人間性とでも言うべきものだ。

 チャンスの場面で強いのか、プレッシャーのない場面で強いのか。

 その結果として言えるのは、大介が大舞台でとんでもなく強いということ。

 そしてそれ以上に、直史は追い込まれた方が、力を発揮するということだ。




 ライガースはフェニックスとの連戦によって、今年のレギュラーシーズン対フェニックス戦は終了。

 そして次はカップスとの連戦となる。

 このカップスとの二連戦でもライガースは勝利する。

 これでスターズ戦で上杉に抑えられてから、ライガースは五連勝。

 終盤でこの連勝が出来ているのは、チームとしての強さだろう。

 現在まで負け星は、48個。

 同日までのレックスも、48個の負けがある。


 ライガースの方が、残り試合数は少ない。

 つまり勝率では、ライガースの方がかなり有利なのは間違いない。

 ただ負け星でレックスより優位にならないと、自力での優勝というものがなくなる。

 それに五連勝してはいるが、大介は六試合ホームランが出ていない。

 残り9試合で、既に65本のホームラン。

 これが70本ぐらいまで伸びればと思う者もいるかもしれないが、大介が重視するのは、ポストシーズンまで調子を戻すことである。


 最終戦はレックスとの二連戦になる予定。

 ペナントレースの行方次第だが、ここで優勝が決まる可能性は高い。

 直接対決で優勝が決まるというのは、なんともドラマティックである。

 過去の対決においては、そこまで優勝の行方が持ち越されるのは、滅多になかったからだ。

 レックスはさらに、最終戦がスターズとの対戦になる予定でもある。

 もしもスターズが、これまたタイタンズとの三位争いを、ぎりぎりまでしていたら、シーズン終盤までとんでもない試合の連続となる。


 今年のセ・リーグは面白いと、世間からは思われているだろう。

 大介もどちらかというと、こういうぎりぎりの勝負を好むタイプだ。

 だが直史は、絶対に安全マージンを取ってくる人間だとも知っている。

 



 タイタンズ戦もライガースは勝利した。

 これで六連勝となり、よりペナントレース制覇に近づいていく。

 だがレックスが負けないことには、何も油断は出来ない。

 どれだけ勝ってもレックスも勝つのなら、最終的には並んでしまう。

 すると直接対決の勝敗の差から、ライガースではなくレックスの優勝となるのだ。


 また大介はまだホームランが出ない。

 確かに今季も、八試合ホームランの出ない試合はあった。

 だが今の状況は、あれとは違うものだ。

 それにホームランはともかく、ヒットの数は多い。

 打率が四割に近づいているのだ。


 チームとしても、一試合するためだけに東京ドームに来て、その翌日にはレックスとの対戦のために甲子園に戻る。

 休みの日が多いため、移動などのストレスで体力や集中力が落ちることはない。

 ただ一度は緩めた弦を、またすぐに巻き直す。

 これがむしろコンディションの調整を難しくさせる。

 

 過密のスケジュールの中では、休みがほしいと思う。

 ただレギュラーシーズンも終わりが近く、そしてペナントレース制覇も現実的になってきている。

 早く終わらせて、早く逃げ切って、ポストシーズンに備えたい。

 このあたりになると野球も、フィジカルよりもメンタルが重視されてくる。

 大介としては、さすがにもう慣れたものであるが。

 体力だけではなく、精神力をも削っていく、この優勝争い。

 確かに大介は、何度となく経験している。




 大介の感覚では今年のペナントレース終盤は、もう雰囲気がポストシーズンに近い。

 これまでのレギュラーシーズンの試合と違って、一試合あたりの重要度が変化している。

 だからこそホームランなど打たなくても、点を取れるように動いている。

 重要なのは大介がホームランを打つのではなく、チームが試合に勝利すること。

 しかしポストシーズンに入れば、大介の力だけで点を取らなくてはいけない場面も出てくるだろう。

 直史の攻略のためなど。


 NPB時代から大介はずっと、ほぼ毎年優勝争いをするチームにいた。

 さすがにMLB時代は、戦力が整わずに、ポストシーズンを逃したシーズンもある。

 だがメトロズという戦力補強に貪欲なチームは、大介にとっても嬉しい環境であった。

 本当なら対戦相手にこそ、いいピッチャーがいてほしかったが。

 結局MLBでは移籍することもなくずっとメトロズで過ごしてしまった。

 レベルの高い選手としては、かなり珍しいことである。

 まあ待遇が良かったので、知らないチームに行くのが億劫であった、というのが最大の理由であるが。


 今のライガースは、優勝の圏内にいる。

 その味を知らない若手などの中には、緊張している者がいるのも見える。

 だが大介からすると、若手はそんなことを考えなくてもいいのだ。

 ひたすら目の前の結果だけを求める。

 その勢いを上手く誘導するのが、指揮官の力である。


 大介たちのようなベテランも、やはりただの選手に過ぎない。

 なので目の前の自分の成績を、重視するのは当たり前のことだ。

 ただベテランになってくると、ただ自分の成績だけでは満足できなくなってくることもある。

 FAで移籍する選手は、確かに金銭が大きな理由というのはある。

 しかし優勝が狙えるチームに行きたい、と思うのも自然なことなのだ。

 MLBですらなくNBAなどは、選手たちが主体となって、勝てるチームへのトレードをまとめることがある。




 この時期に重要なのは、他に故障者を出さないことだ。

 MLBと違ってNPBでは、シーズン中のトレードというものは少ない。

 そもそもトレードデッドラインを超えているので、戦力強化は自軍のチーム内で回すしかない。

 それもこのシーズン終盤となると、慣れていない選手は使いにくい。

 これが優勝はおろかAクラス入りすら絶望的になったチームなら、若手をどんどん使っていくだろう。

 だがライガースやレックス、またクライマックスシリーズ進出が見えているタイタンズやスターズが、その選択をすることは出来ない。


 いよいよ甲子園でのレックスとの二連戦が始まる。

 だがここで大介も不安になったのは、天気が理由である。

 この日の試合の前に、翌日の予告先発が発表された。

 連戦の第二戦は直史。

 しかし今日の天気も既に曇っているが、明日は雨になるという予報になっている。

 NPBはMLBに比べれば、雨によって試合の延期は多い。

 純粋に梅雨などがあるということもあるが、ある程度は日程に余裕を持たせているからだ。


 

 

 それでもこのシーズン終盤ともなれば、調整が難しくなってくる。

 ある程度の雨の中でも、試合を行うことは考えられる。

 ただそうなった場合、どちらの方が有利であるのか。

 あの雨の日の敗北以降も、特にMLBでは直史が、雨の日に投げるということはなくはなかった。

 コントロールが乱れそうであれば、それも計算に入れたピッチングをしていた。

 そういった経験を考慮しても、やはりコントロールが命の直史の方に、不利に働くのではないか、と思われた。


 だがまずは、今日の第一戦。

 レックスの先発は三島、ライガースは畑という、エースクラス同士の対決である。

 どちらもここのところ、シーズン終盤に向けて調整をしながらも調子は上がってきている。

 ただ三島は前試合、七回を一失点に抑えながらも、リリーフ陣が打たれて勝ち星がつかなかった。

 いくら勝ち星だけがピッチャーの性能ではないと言っても、やはり勝ち星にこだわるのが日本のピッチャーだ。


 三島はここまで14勝3敗と、まさにエースと言うに相応しい数字を残してきている。

 対する畑も、14勝4敗。

 投球内容は三島の方がいいが、例年であれば沢村賞を争うことになってもおかしくはない。

 ただ今年は、セ・リーグのピッチャーにとっては完全に、運が悪かったとしか言いようがない。

 もっとも上杉が故障するまでと、故障してからも復帰してしばらくは、各種タイトルをほぼ独占していたものだが。


 いつ雨になってもおかしくない、そんな天候の中で試合は始まった。

 先攻のレックスであるが、一回の表に先取点はなし。

 そして一回の裏、ライガースは大介の打席が回ってくる。

 ここまで七試合、ホームランから遠ざかっている大介。

 だがその長打力を甘く見ることなど出来るはずもなく、フォアボールなどで出塁したら、かなり積極的に盗塁をしかけてくる。

 ホームランを65本打っているバッターが54個の盗塁を成功させている。

 何かの冗談のようだが、これが現実の大介なのである。




 今年の大介の、一番ホームランを打てない期間が開いたのは、オールスターを挟んだ八試合連続、日にちとしては7月24日から8月5日までである。

 それに比べれば七試合連続というのは、それほどひどくはないと思えるかもしれない。

 バッティングというのは繊細なもので、普通のヒットはそれなりに打っている大介は、完全な絶不調からは立ち直りつつある。

 長打率はもちろん極端に下がっているが、打率はむしろ上がっているのだ。

 その下がった長打率にしても、シーズン平均としては圧倒的なトップに立っている。


 先頭打者の和田の出塁を許した三島は、ここで判断に迷う。

 ランナー一塁で大介というのは、九月に入るまでのライガース戦であれば、半ば敬遠のようなピッチングをしたであろう。

 フォアボールでも仕方なく、無理に打ってきて凡退してくれればラッキー。

 手の着けられないバッターというのは、こういうものをいうのだと、プロに入ってまで思い知らされた三島。

 幸いなことに、この怪物はもう40歳。

 おそらくはあと数年で、この世界からは引退してくれる。


 ただこの怪物を相手に、真っ向勝負してチームを勝たせる、というピッチャーが味方にはいる。

 そしてまた大介は、完全にこの数試合、調子を落としている。

 なので試合前のミーティングでは、大介とは積極的に勝負する、という方針にはなっていた。

 だが実際にこの状況になってしまえば、ゾーンに投げるのには勇気がいる。


 この七試合、長打になったのはライン際に打ったボールで、上手く二塁まで進んだもの一つだけ。

 だからここで、勝負するのは悪い選択ではない。

 もしもフォアボールのランナーにでもしてしまえば、三島のピッチングのリズムが狂ってしまってもおかしくない。

 なのでここは勝負なのだと、レックス首脳陣は考えている。




 直史は100年に一人レベルの例外である。 

 首脳陣はそんな異能生存個体ではなく、常識的なエースを基準に考えなくてはいけない。

 大介は確かに長打が出ていない不調で、年齢も考えればこのまま不調でい続ける可能性すらある。

 明日の試合の延期が濃厚なことを考えると、直史をライガースに当てるのが難しくない。

 だからここは、どうにかして勝っておきたいのだ。


 ベンチに入っている直史としては、明日の試合が延期になる可能性がかなり高いと聞いている。

 するとまたライガースとの最終戦は後回しになるのか。

 どういう日程になるのか分からないが、試合間隔が縮まっていくのは、どんどんとレックスが不利になっていくのではないか。

 そんなことを考えていたから、バッターボックスの打席の大介の様子に気づかなかった。


 調子が戻ってきているのは分かっていた。

 直史が投げるであろう、レックスとの二連戦の二戦目に、バイオリズムの波の頂点がやってくるようにと考えていたのだ。

 それが雨で延期になるだろうと言われて、大介にはある意味、フラストレーションがたまっていた。

 そしてそこに、覚悟の決まっていないストレートが投げられたのだ。


 初球打ち。

 最初に甘いストレートなどが投げられれば、それはもう打つだろう。

 安易にストライクを取りに来たならば、ゾーン内であればどこであろうと打てる。

 低めに投げられていたので、比較的打たれることはない、などと思っていたかもしれない。

 だが大介は己のバットを鞭のように巻き込み、真正面にボールを弾いた。

 打球は完全にライナー性の軌道のまま、失速することもなくセンターは見送り、そしてバックスクリーンを直撃した。

 打神復活の一打であった。




 残りの試合数を考えれば、捨てる試合をどのタイミングで捨てるかということも重要になってくる。

 三島はとりあえず、四回までを三失点で抑えた。

 だが球数がやや嵩んでいるのと、味方の打線の援護がないため、ここで逆転を断念した。

 それは大介が二打席目も、フェンス直撃の長打を打ったことも理由にはあっただろう。


 復活した打神の、点につながる一打。

 前の試合までは単打ばかりであったではないか、などと思ってももう遅い。

 レックスベンチの中では、直史が一人動揺せず、ライガースのベンチや守備に視線をやる。

(昨日の試合あたりから、もう戻ってきてるような気はしたけど)

 確信は持てなかったが、首位攻防のレックス戦までは、死んだ振りをしていたというわけか。


 おそらく本気を出すのは、明日の試合にする予定であったのだろう。

 直史に勝つために重要なのは、奇襲である。

 そろそろ復調してきているのではないか、と直史は感じていたが。

 初球打ちのあの戦術は、直史を相手として想定していたと思うのだ。

 確かに効果的で、三島は調子を戻すことが出来ない。

 このまま投げさせれば、さらなる失点を繰り返すことは想定できた。


 それにしても、そこまでして直史をどうにかしようとしたのか。

 確かにそれは、間違っていない。

 逆に直史も、大介さえどうにかすれば、ライガースの強力打線であっても、どうにかなると考えていたのだから。

 ともあれ、ライガースはこの試合に勝利する。

 そして雨の甲子園、第二戦は延期されたのであった。



×××



 次話「カウントダウン」

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