第79話 死線
一回の表裏が終わり、レックスは1-0と先制している。
だが大介がいるのに、このままで終わるはずはないと、甲子園の応援団は確信している。
ライガースの旗がスタンドで翻る。
その中で投げる大原は、だんだんと調子を上げてくる。
ただもう大原も、絶好調であってもそれなりに、相手打線に打たれるぐらいには力は落ちている。
重要なのは、イニングを食うこと。
そしてローテを守り、リリーフの負担を減らすこと。
なんのことはない、直史のやっていることであり、成功しているのが直史で、時々失敗するのが大原だ。
ライガースは打線がとにかく強力なため、そんな大原でも充分に、勝ち星を重ねていけたのだ。
今年の場合は負け星を消してもらえるかわりに、勝ち星も消えてしまったりしているが。
絶対的なリリーフ陣がいないというのは、ポストシーズンではかなり致命的な問題だ。
大原はそれが分かっているが、やはり彼もベテランだけに、そのあたりの首脳陣の思惑は分かってきている。
よく解説者や新聞の言説では、ポストシーズンはライガースが有利というものだ。
ペナントレースを制したら、アドバンテージでレックスにも、他のチームにも勝てるというものだ。
むしろ日本シリーズの方が、どうなるかは分からない。
戦力の比較が、直接対決が少ないためにしにくいのだ。
ペナントレースをレックスが制して、ようやく互角ぐらいではないか。
大原のようなピッチャーから見ると、投手力で上回るレックスの方が、短期決戦では有利にも思える。
ただレックスのピッチャーたちも、かつてのような武史を含む化物たちではなく、大原と同時代のピッチャーよりは落ちていると思う。
ライガースの打線なら、三島やオーガスは充分に打てる。
なのでこちらのピッチャーに問題はあると言えるだろう。
純粋な対戦成績なら、9勝11敗とライガースの方がやや不利である。
しかし直史相手はともかく、三島とオーガス相手なら、それなりに打ち崩している。
そしてクライマックスシリーズであれば、レックス自慢の勝ちパターンのリリーフには、大きな負荷がかかるだろう。
大原の考えとしては、そのあたりの駆け引きで、日本シリーズ進出は決まるのではないか、ということだ。
確かに過去、直史がいた二年間、ライガースは日本シリーズには進出出来なかった。
しかしあの頃は、レックスがペナントレースを制して、アドバンテージが向こうにあったからだ。
また、直史ほどではないが絶対的なピッチャーであった、武史も今はいない。
当事者であった大原は、あの二年間をしっかりと憶えている。
二年目は大介がMLB移籍していたため、真田が12回完封引き分けという意地を見せた以外は、レックスが先に二勝して日本シリーズに進出した。
伝説とも言える試合が続いたのは、一年目のことだ。
佐竹や金原はなんとか攻略したのだが、直史が二勝して武史が一勝。
それでアドバンテージがあったため、レックスが勝ち抜きとなった。
もっともあの年は、日本シリーズで直史が一人で四勝し、一人だけ昭和の野球をしている、などとも言われたものだ。
上杉並の支配力、などとも言われていた。
大原からすればそれ以上、と直接対決した身からは言えたものだ。
二回の表、レックスは追加点を取れない。
ただ比較的、球数を投げさせることには成功している。
大原はイニングイーターであるが、さすがに完投はもう少なくなってきた。
そしてライガースのリリーフ陣は、悪いわけではないのだが、レックスほどの確実性がない。
終盤にそこそこ逆転負けを食らっているのがライガースで、序盤から中盤に試合を諦めるような点差をつけるのが、その必勝パターンである。
つまり直史や上杉のようなピッチャーとは、打線やドクトリンの相性がひどく悪いのである。
二回の裏、直史は逸る心を鎮める。
大介をヒットで塁に出すことは、及第点であると同時に、二打席目の布石にもなった。
なぜならこれで大介は、第二打席をツーアウトで迎えることになるのだ。
もちろんこれは、直史がそこまで他に、誰もランナーとして出さないことを前提としている。
しかし直史は、これを当然のことと考えていた。
相手を甘く見ているわけではないが、意識していないのだ。
外野に打球が飛ぶことはなく、スリーアウトチェンジ。
これで三回の裏は、順調にいけば大介とはツーアウトの状況で対戦することになる。
だがこれは大介からすれば、むしろ望むところである。
ホームラン以外の、何者をも狙わなくてもいい。
ホームランか、それ以外か。
考えることはとてもシンプルになったのだ。
もっともレックスは三回の表に、追加点を加えた。
わずかに一点であるが、この一点は大きい。
一点差であればソロホームランで追いつけるのが、二点差であればまだ一点のリードがある。
直史の心理的には、より広いコンビネーションを使っていける。
どちらが優位であるのか、それは直史であるのは、間違いないはずである。
わずかな揺らぎで、覆る程度の優位ではあった。
ベンチに戻ってきた大原であるが、この回は自分にも打席が回ってくる。
代打はいずれ出されるだろうが、さすがにまだ出ないであろう、と首脳陣の方を確認はしてみた。
三回を二失点なので、まだ崩れたと言うほどではない。
だがこのたったの二失点が、致命的になる可能性が高いのが直史だ。
大原は数少ない、高校時代の直史を知っている人間である。
より正確に言うならば、まだ人間っぽかった直史を知っている。
大介は大原が最初に対戦した時点で、既に人間離れしていた。
しかし直史は、千葉県大会で参考パーフェクトをしながらも、まだあの頃は攻略可能な存在であったのだ。
もっともそれを言うなら、大介もあの決勝ではホームランも打点も記録していない。
高校の三年間で、特に大介は大きく成長した。
今はそれが味方というのが、頼りになるし不思議な感覚でもあるのだが、それでも自分では直史には勝てない。
大原は己の分を知ったからこそ、プロでここまで長くプレイし、200勝という大記録まで達成してしまった。
充分以上に恵まれた野球人生であったと言えるし、これからもこの世界で食っていこうとは思っている。
ライガース一筋でここまで、大きな故障もなくやってきたのだ。
それでも、引退までにあと一回ぐらい、優勝はしてみたい。
あるいは今年こそ、引退への花道となるのではないか。
ただ本当に、大原の目から見ても、直史という存在は異常だ。
上杉や武史といった、そもそもの肉体の出力が違うピッチャーは、まだ納得出来るのだ。
いや理解出来ると言った方が正確か。
ただの化物であり、その範疇に大介も入る。
西郷や真田といった選手は、そこにわずかに及ばない、というレベルだ。
しかし直史だけは理解出来ない。脳が理解することを拒否する。
視線の先で大原の前のバッターが、ストレートを空振りして三振した。
球速は145km/hしか出ていない。
大原もやや球速は落ちているが、それでもどうにか150km/hをこの年齢で維持している。
サウスポーならともかく、右腕であればある程度、投球術が限定されるのだ。
少なくとも大原はそう思っているのだが、直史はこのスピードのストレートで、簡単に空振りを取ってくる。
バッターボックスに立つ大原であるが、ヒットが打てるとは思っていない。
ピッチャーの中では比較的、打撃力のある大原であるが、それはあくまでパワーに頼ったもの。
変化球のちょっと難しいのを混ぜられると、それでもうどうしようもなくなる。
だからここでやるべきは、下手に打って簡単にアウトにはならないこと。
それを見越したように、直史は力の入っていない変化球で、ストライクを取りにくるのだが。
前に対戦した時、簡単なボールを投げてきたら打ってやろう、と考えて打席に入ったことがある。
するとその時は、他のバッターにするように、厳しいボールを投げてきたのだ。
どうもわずかな構えか、あるいは雰囲気から、そういったものを読み取ってしまうらしい。
超能力かよ、などと大原は思うのだが、直史からすればむしろ、どうしてそういったものにまで気を遣わないのか、という考えになる。
カーブを投げられて、スライダーを投げられて、またカーブを投げられる。
せめてカットをするかと三球目はスイングしたのだが、思ったよりも遅くて内野ゴロに倒れてしまった。
元々大原は、バッティングもそれなりに優れていた高校時代、パワーに任せたバッティングしかしていない。
カットなどという技術は持っていないのだ。
こうして、ツーアウトランナーなしという舞台が整った。
ホームランしかいらない場面だ。
ランナーとして出塁しても、直史ならばあっさりと片付けてしまうだろう。
あまりにも分かりやすい状況で、大介は笑みが止められない。
それを映すカメラマンは、その獰猛さに思わず一歩後退していたりしていた。
対する直史は、あくまでも平静を保っている。少なくともそう見せている。
ここでホームランを打たれることは、試合の敗北につながらない。
ただ前の試合でも、最後にはホームランを打たれている。
また第一打席は、センター返しのクリーンヒット。
二人の間では直史の優勢勝ちになっていても、周囲の捉え方はそうではないだろう。
二人にとっては、周囲のことなどどうでもいい、というのも確かではあるだろうが。
初球から狙ってくる。初球から狙っていく。
二人の間で、完全にそれは共通された認識だ。
(ボール球でも振ってくるだろうな)
大介の戦意は、マウンドの上の直史からは、これ以上なくはっきり見える。
まるで何かオーラを発しているような、圧倒する感覚。
護身に徹するなら、ここは勝負を避けるべきなのだろう。
直史はもう逃げないし、避けない。
それは限りなく愚かであるが、同時に魅力的な選択で、誰もが見たがっていたものに違いないのだ。
(けれど、勝つぞ)
直史の投げた初球は、完全に外に外れたツーシーム。
だが大介のバットは伸び、先端でそれを捉え、レフトのファールフェンスに打球は激突していた。
無茶苦茶すぎる。
誰がどう見てもボールの球であるのに、なぜ振っていくのか。
そこに合理的な判断など、全くないように思える。
しかしサードが全く反応出来ない打球を打たれれば、普通のピッチャーならプレッシャーを感じる。
直史は予測していたので、それほどのものは感じなかった。
それでも背筋が凍る思いはあったが。
予測はしていたが外野から戻ってきたボールを受け取って、直史はわずかに動揺した。
ボールの芯のバランスがずれてしまっている。
それはもちろん、大介のパワーによるものだ。直史のツーシームでは、そこまでのパワーは生まれない。
(スタンドに入ってたら、観客に怪我人が出てたんじゃないか?)
第一打席もそうであったが、直史も打球の行方には気をつけないといけないだろう。
ヘルメットを被ってピッチングをしたい気分だ。
これまでに何度も、大介とは対戦してきた。
しかし今日ほど、その圧力を強く感じたことはなかった。
元々枷がある状態で、今年の直史は戦っている。
だが枷があっても、動ける範囲を広げることは出来るのだ。
これまでは枷の基点から、前後左右に動いていた。
今はこれに上下が加わっている、とでも言ったらいいだろうか。
そんな直史の意識の中で、最大限の思考で組み立てるコンビネーション。
大介はそれをひたすら、直感とパワーだけで打ってきている。
読み合いに勝てないなら、読まなくてもいいじゃない。
反射だけで生きている、単純な生物のように、反射だけで野球をやってしまいたい。
これは直史には、どうしても出来ないことである。
タイムをかけてから、審判にボールを交換してもらう。
なぜボール交換が必要なのか、分からないかもしれない。
ただボール交換はプレイの精度を保つ上で必要なことだ。
あたらしいボールをもらって、直史はそのバランスを確認した。
(やっぱり普通じゃないな)
ホームラン以外はこちらの勝ちだと、改めて前提条件を確認した。
外に大きく外した球なのに、関係なかろうとばかりに打ってきた。
打てると思って、実際に届いたし、とんでもない打球は飛んでいった。
やはり大介は、外角が強い。
ただ体格からして、内角が弱いということもありえないし、実際に内角に弱いというデータもない。
むしろデータだけを見るなら、明らかに外角に弱い。
ただ中途半端に外した程度であれば、今のような打球をフェアゾーンに飛ばしてくる。
結局ピッチングはコンビネーションだ。
得意なコースをわずかに外したところに、苦手なコースがあったりするのも確かであって、コントロールのいい直史は、そこを上手く突いていく。
大介にも比較的苦手なコースはあるが、それはホームランを打ちにくいコース、という程度の認識である。
上杉などはストレートの真っ向勝負で、大介と戦えるほぼ唯一のピッチャーであった。
同じパワーピッチャーでも、武史が大介とそれなりの勝負になったのは、樋口のサポートが大きい。
直史としても、球種それぞれの力で大介に勝てるとは思っていない。
実際に前の試合では、魔球と言われるスルーを、完全に捉えられて運ばれた。
だが対戦してきた成績を見れば、ストレートによって打ち取った回数が多いのが分かる。
そしてこの試合の第一打席も、ストレートを使って単打に抑えた。
ヒットを打たれて抑えた判定も奇妙な話だが。
次に内角に投げたのは、カットボールであった。
打たれたスルーではなく、懐に入るボール。
これを鋭くスイングした大介は、ライト側のファールスタンドというか、その上の銀傘にまで激突する打球を飛ばした。
完全に引っ張りすぎであり、バットの根元で打ったというのに、飛距離が出すぎている。
スイングスピードがどれほど出ているのか、想像したくない直史である。
だがこれでツーストライクにはなった。
ここからはボール球も使って、空振りを狙っていく。
そんな考え方をしていると、おそらくは打たれる。
低めでも外でも、大介はボール球を打っていく。
高めならば上手く投げれば、スタンドにまでは入らない打球になりそうであるが。
直史はここで、チェンジアップを使った。
完全にタイミングを崩せるチェンジアップだが、大介は踏み込んだ足をそのままに、バットをしっかりと止めた。
低めに落ちていった変化のあるチェンジアップだが、完全に見極められている。
(なるほど)
大介は今、とんでもないパワーに溢れている。
だがそこに、付け入る隙があると直史には分かった。
ホームランさえ打たれなければ、それは直史の勝利である。
そして直史は、しっかりと布石を打っておいた。
決め球に投げるのはストレート。
しかしまだ、ここで投げてはいけない。
ボール球のカーブと、完全に高めに外れるストレートも投げた。
これでフルカウントという、直史としては珍しい状況を作った。
(打てることは打てるだろうけど)
そしてリリースしたのはストレート。
大介のバットはそれを捉え、完璧なセンター返しの打球が、マウンド上の直史を襲った。
それは死の予感であった。
フィールディングの上手い直史が、グラブを出すことも出来ず、ただ必死でその場に倒れこむ。
頭上を通り過ぎた打球は、そのまま失速らしいものを見せずセンターへ。
そして着地することなく、センターのグラブにそのまま収まった。
センターフライではなく、センターライナー。
無様に転がる直史は、さすがに呼吸を荒くしながら立ち上がる。
あれはボールの形をした、死の塊であった。
迫水が駆け寄ってくるのを目の端に、大介の方を見る。
ちょっとだけ申し訳なさそうに、ヘルメットを取っていた。
それに思わず、直史も苦笑してしまう。
(マジで命がけの野球になってきたな)
あだち路線は断固拒否したい直史である。
だがそういえば、身近で死んだ人間は普通にいるか。
迫水の手を借りて立ち上がり、ユニフォームの土を払っていく。
審判までも近づいてきて、無事を確認してくる。
一応ボールはかすりもしなかったので、回避して転んだ時に、どこかを痛めていないか、というものであった。
そういう点では直史は、体が柔らかいためそうそう怪我はしない。
一応野球は、接触がそこまではないため、死亡者はそこまで多くないスポーツだ。
ただフィクションだけの話ではなく、ごく稀に死亡事故は起こっている。
かつては頭部へのデッドボール、あるいはアマチュアだと、胸部にボールが当たって心室細動での心臓停止はそれなりに聞く。
ただ大介の打球は、純粋に破壊力で、人を殺すことが出来るだろう。
(まさか俺なら大丈夫だと思って、全力で打ってきたということはないよな)
投げ終わった後のピッチャーは、かなり無防備である。
それでも直史は打球を処理してアウトにするが。
今年の大介は既に、その打球をキャッチした野手を数人、骨折や捻挫の故障で戦線離脱させていることは確かだ。
命を救うためには、命を賭けないといけないのか。
なんとなく直史は、そんな感想を頭に浮かべた。
野球は勝負であって殺し合いではない。格闘技でさえないのだ。
しかし昔から野球マンガでは、試合中に死亡するキャラがいたりするものだ。
荒唐無稽すぎて、さすがに昨今はそんなものはなくなってきているが。
直史はベンチやグラウンドの味方、さらにはスタンドからまで心配の視線を受けながら、ベンチに戻る。
そのベンチ前では屈伸などもして、首脳陣からも声をかけられる。
マウンドからほとんど地面に平行な弾道で、センターのミットに収まったのだ。
あんなボールがもし当たっていたら、と思うのは当然である。
直史は問題ないと返す。
問題はここから先なのだ。
(あと二打席、これがあるわけか)
間違っても第五打席など持ってきてはいけない。
今のままなら、二点差があるので充分だが。
(もう一点取ってくれたら、残り二打席をホームラン打たれても、3-2で逃げ切れるな)
確かにライガースの投手陣からなら、あと一点ぐらいは取れてもおかしくない。
リスクとリターンを考える。
直史が今日の大介の対策として考えたのは、ホームランにならない打球を打たせる、というものであった。
第一打席も第二打席も、ホームラン性の打球は打たせなかった。
だがこのボールが自分や、または内野の誰かを負傷させるとしたら。
ホームランを打たせた方がマシとは言わないが、フライ性の打球になるように、ストレートを変えていく必要はあるかもしれない。
死ぬよりはホームランの方がマシなのであるのは間違いない。
あんな打球は見たことがない、とは大介のバッティングにおいてはよく言われることだ。
飛距離は同じであっても、大介は放物線の軌道が低いのだ。
つまり打球の初速が圧倒的に速い。
バックスクリーンのビジョンなどをたびたび破壊するのは、こういった純粋なパワーが理由なのである。
ホームランを打ってもそれを観客が取れず、座席などで跳ね返ってグラウンドに戻ってくることが、それなりにあるのだ。
まさに破壊の神。
上杉はその率いるチーム全体の力を底上げするだけに、軍神などと呼ばれていた。
おそらく地元の英雄である戦国武将、上杉謙信のイメージもあるのだろう。高校時代はまさにあだ名がそうであったらしいし。
それに対して大介は、打神とも呼ばれるがそれ以上に、破壊神と呼ばれる。
これまで色々なものを破壊してきた。それは物質的なものだけではなく、多くの過去の記録であり、つまりレコードブレイカーであったのだ。
その次に多く破壊してきたのは、対戦したピッチャーのプライドであろうか。
ただ大介と対戦した場合、ショックを受けることには慣れて、立ち上がることさえ出来れば、そこから大成しているピッチャーも多いと思われる。
大原などもそうだし、時代がかぶって千葉でプレイした高校生は、他にも多くのプロが生まれているのだ。
刀の刃を鍛えるのは、槌による打撃。
ダイヤモンドを研磨するのは、同じダイヤモンドなのである。
才能や素質を磨くのは、違う才能と切磋琢磨すること。
一人の選手の存在が、その時代のレベル全体を上げていくのは、そういう理屈だ。
投打の極みの才能が、身近にいて影響を与えあったらどうなるのか。
それがこの結果として現れているのかもしれない。
周囲を巻き込んで、よりエキサイティングな展開が導き出す。
野球の神様が、時代に選んだ存在。
もちろんそれぞれ、他の戦う相手も存在した。
結果ではなく内容を見れば、今日の試合はここまで大介の圧勝である。
一打席目は痛烈なヒットで、二打席目も普通ならヒットで長打の可能性も高かった。
運がよくてアウトになっているのだが、運も実力のうちと言うべきか。
ただMLBの評価指標であれば、間違いなく大介の勝利となっていたであろう。
アルプス上の銀傘にまで打球が飛んでいくというのが、そもそも無茶苦茶なのだ。
しかし直史は結果オーライと考えている。
2-0であと二打席。
もう一点取ってくれれば、この試合は勝てる。
(しかしあいつ、普段よりも絶対にスイングスピード上がってるよな)
レギュラーシーズンバージョンではなく、ポストシーズンバージョンに動力と回路を切り替えているというか。
試合用ではなく、戦闘用の本気になっている。
なるほど、と今さら直史は納得する。
山に分け入って、鹿や猪を駆逐している昇馬。
あの狩猟者の血は、ツインズではなく大介の血であるか。
いや、そもそも闘争本能は、大介の血であろう。
ツインズの持っている要素は、相手に対する容赦をしないというものなのだ。
一方的に駆除するというものであり、お互いに全身全霊をもって対決するというのとは、少し違うであろう。
冷静に分析をする直史は、もう完全に打撃を放棄している。
バッターボックスのホームベースから最も遠いところに立ち、さらにとんでもない暴投に備える。
潔すぎるが、自分の役割を把握しているのだ。
実際はフィールディングの反応を見れば、本来はバッティングの才能もそれなりにあるし、高校時代はそこそこ打っていた。
だが大学以降は、完全に案山子であることを表明している。
MLB時代は当然ながら、一切のバッティング練習を行っていない。
復帰してからはセ・リーグなので多少は練習をしているが、バント以外は期待してはいけない。
そもそも高校時代からずっと、ホームランを打っていないのだ。
そして誰も、直史にバッティングは期待していない。
直史は投げるのが仕事で、一点取っておけば勝利をもたらしてくれるというのが普段の彼だ。
だが今日の試合は、そう甘くはないだろう。
前のライガース戦でも、ホームランで一点を失っている。
そしてここまで、点にはつながっていないが大介のバッティング。
いっそのことベンチが、申告敬遠をすればいいのでは、と考える選手もいないわけではない。
確かに今年、大介はもう100回以上の申告敬遠を受けて、NPB最終年に記録した自分の数を既に更新している。
それでもMLBで記録した200回よりははるかにマシなのだ。
だが直史に申告敬遠をさせるなど、首脳陣でも出来るはずがない。
確かにそれはベンチの出来る手段であり、直史が拒否することは出来ない。
ただ暗黙の了解というわけでもなく、それはやってはいけないだろうと誰もが思っているのだ。
ボール球を振らせようとして見逃し、というものは他のピッチャーもそれなりにやっている。
だが上杉と直史がそれをやってしまえば、日本にはもうピッチャーはいないのか、という話になってくる。
作戦の上で有効と分かっていても、やってはいけないというものが、この世にはたくさんある。
直史はベンチで、味方の打線に期待している。
全力で戦えば、確かに大介をあと一打席抑えることは出来るだろう。
だが自分の今出せる全力と、大介の高まっていく集中力が、完全に交じり合っている。
ホームランを打たれても全くおかしくない。むしろ一本は打たれるとさえ考えている。
魂を削って投げるには、まだシーズンが残っているのだ。
いっそのこと申告敬遠をしてくれたらな、と思ったりはするのだ。
だがその最悪の想定は、しなくてもいいようになった。
レックス打線が三点目を取ってくれたのである。
これで残り二打席、大介にホームランを打たれようと、追いつかれることはない。
過去にそんなことを考えていて、ツーランホームランを打たれたことはあったが。
(打順調整を上手くして、確実に勝てる状況を作る)
試合には必ず勝てるようにしてから、あとは大介との勝負にかかればいい。
三打席目、ランナーを出さなければ、大介にはツーアウトから打順が回ってくる。
重要なのは、自分が打たれるかどうかではなく、試合に勝って負け投手にならないこと。
最悪最後の〆は、オースティンに任してもいい。
エースとしてチームを勝利に導くというのは、体のいい言い訳だ。
だが事実ではある。
そして直史は、ランナーの出ないピッチングを続ける。
五回の裏も三人で抑えた。
これで六回にランナーを出さなければ、またツーアウトで大介を迎えることが出来る。
(エラーが出ないといいけどな)
そう考えると、フラグが立ってしまうような気がしないでもない。
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