五章 九月

第76話 夏の終わりの……

 夏が終わる。

 また今年も、夏が終わってしまう。

 最後に夏の終わりをはっきりと感じたのは、高校三年生の夏。

 それ以来はずっと、夏が終わっても仕事としての野球が続いていた。

 もちろん好きなことを仕事にして、富も栄光も手に入れた。

 だが夏が終わるというのは、そういった現実とは別に、とてつもなく寂しいものであるのだ。


 大介はそんな鬱屈した気持ちを叩き潰すように、八月最後の数試合でホームランを量産した。

 フェニックスとカップス、両方が若手のピッチャーに、勝負のチャンスを与えてしまったというのが、この結果につながっている。

 上杉相手に敗北した、スターズとの第一戦の翌日から、なんと七連勝。

 八月は二試合に一本以上のペースでホームランを量産していた大介は、この時点で59本にまで達していた。


 七月は調子が悪かったと言えるが、その時期に雨天順延や、オールスター休みがあったのは幸運であった。

 八月はついに、月間打率が四割に到達。

 それに伴ってシーズン打率も四割に近づいていく。

 さすがにこの調子を維持するのは、難しいとは思う。

 だが既に、シーズン打率四割は、過去に達成しているのだ。


 若いプロ野球ファンは、もう一度伝説が誕生するのを見たいだろう。

 ただMLBを知っている者や。ちょっと古参のファンであれば、大介の四割というのは珍しいとは感じない。

 それよりは残り20試合で、どれだけ派手なホームランが見られるか、そちらの方に興味がある。

 既にこの時点で、トリプルスリー達成はほぼ確実にしている。むしろここから全部休めば、それで達成である。

 しかしホームラン数が伸びていくのも見たいのだ。




 ライガースは直史に負けた後も、影響を最小限にとどめた。

 そして上杉に負けた後も、やはりすぐに打線が復調した。

 対するレックスは、直史が相変わらず絶対的に君臨してはいるものの、やはり先発のローテが弱くなっている。

 ここまで奇跡的に、一度も負けがついていなかった百目鬼も、さすがに乱れて打たれて負け星がついた。

 あとは、ロースコアゲームが得意なレックスが、それなりに点を取られたというのが痛い。

 ひどい連敗というのはないのだが、それでも勝率が落ちている。


 現時点ではライガースが、80勝43敗で勝率0.650

 それに対してレックスは、72勝47敗で勝率0.605

 およそ勝率は4.5%も違うし、勝敗数で見てもライガースがある程度の差をつけたと言っていいだろう。

 残る直接対決を全てレックスが勝ったとすると、レックスが0.624でライガーースが0.6202と勝率は逆転する。

 しかし現実的に考えて、それはかなり難しい。

 ただ残り試合数がレックスの方が四試合も多いというのも、気になる点ではあるだろう。


 レックスは一度上谷を二軍に落としたのと、青砥がローテを一つ飛ばしたことが、辛いと言えば辛かった。

 ただそれにしても、この勝敗の差は0にまでは近づかない。

 レックスのピッチャーの不調が響き、そしてライガースは打線の不調を最低限に抑えたというのが大きいのだろう。

 直接対決に、何試合直史を持ってこられるか。

 それで大きく、ペナントレースの行方は変わると思う。


 レックスの首脳陣としては、かなり厳しくなってきた。

 アドバンテージがないと、クライマックスシリーズのファイナルステージで、ライガースに勝つことはかなり難しい。

 そのためペナントレースの制覇は、そのまま日本シリーズへの進出にもつながると思っているのだが、チーム力の差が出たということであろうか。

 根本的に、大介を除いたとしても、チームの選手の総年俸が違う。

 もちろん安くて若い選手がいると言うか、左右田と迫水が主に安くしているのだが。




 おおよそセ・リーグの最終順位は予想できてきた。

 残りの試合数で、急激に順位の変動が起こる可能性は、選手の故障などによるだろう。

 それでも主力級でない限りは、ひどいことにはならない。

 もっと怖いのは、ポストシーズン直前での主力の怪我である。

 大介が怪我などで離脱すれば、ライガースの得点力は一気に落ちる。

 OPSが1.5もあるような化物は、取り返しのつく選手ではないのだ。


 直史はここから、何よりも故障に注意して投げていく。

 20勝しているピッチャーは、もうあとは登板数さえ稼げば問題なく沢村賞であろう。

 レックスのチーム全体としても、各個人のタイトルには、色々と期待が出来る。

 おそらく新人王は、迫水が選ばれるだろうと、あちこちで囁かれている。


 直史はカムバック賞でももらえるだろうか。

 一応は故障による引退をしているのだが、そもそもカムバック賞は毎年出るような賞でもないのだ。

 純粋に直史は、ホールドとセーブ以外の、全ての投手タイトルを取るだろう。

 それはチームとしては、やはり来年の興行にも影響するだろうが、そもそも来年も直史がいるのかどうか、現場は知らされていないのである。

 圧倒的に頼れる存在で、問題を起こしたりするわけではないのに問題児。

 直史の評価はそんなところであろう。




 レックスの残り試合は、25試合である。

 首位ライガースに追いつくことは、難しいが不可能ではないというぐらいの数字だ。

 フェニックスやライガースとの試合が多く残っていて、タイタンズとの試合は少ない。

 対戦相手としては、そこそこ恵まれているだろう。

 出来ればライガースには、他のチームにも負けてほしいところだが。

 レックスの先発ローテ陣が、やや疲れている傾向にはある。

 リリーフ陣も、クローザーのオースティンだけは一度の失敗のみで絶好調だが、ビハインド展開や同点の展開からは、それなりに負けてしまっている。


 直史は自分の残りの試合で、どこに投げるかを確認する。

 もっとも一日ぐらいは、勝敗を計算して変わることもあるだろうし、天候は予想できるものではない。

 とりあえず次は、タイタンズ戦の三連戦最後である。

 今年は結局、ほんの序盤を除けば、セ・リーグは三つに分かれた。

 首位争いのレックスとライガース、三位争いのタイタンズとスターズ、そして最下位争いのカップスとフェニックス。

 この中ではレックスが、前年度から一番躍進したことになる。


 やるからには優勝だ、とここまでくれば考える方が普通であろう。

 そして普通ではない直史は、とにかく自分の成績だけを考える。

 順当な試合間隔で投げるなら、タイタンズの後はカップス、フェニックス、スターズ、カップスというのが順当な対戦相手だろう。

 このうち気をつけるところがあるとすれば、スターズが上杉のローテを動かして、直史に当ててくるかもしれないところか。

 ただスターズは、クライマックスシリーズ進出が微妙なところだ。

 上杉は負けるかもしれない直史に、当てては来ないと考えた方がいい。

 出来れば少し上の、タイタンズ戦で使いたいだろう。

 そう常識的な判断をしてくれればいいな、と直史は思う。




 とりあえずまずは、目の前のタイタンズ戦である。

 今年の直史は、ややタイタンズ戦では数字が悪い。

 何よりまず、たった三点の失点のうち一つが、悟によるものだ。

 その後も苦労して、どうにか抑えてはいるが、疲労が残るのは出来るだけ避けたい。

 ただ、それでも意識的に勝負を避けるつもりはない。

 それは受けが悪いだろう、と思っているからだ。


 沢村賞の選考は、ほぼ選考基準で選ばれて、直史に匹敵する成績のピッチャーはパにもいない。

 ただごくわずかにだが、恣意的な選考をする余地はある。

 また登板数とイニング数がまだ、明確に基準には足りていない。

 考えたくはないが、ちょっとした故障でそのあたりが足りなくなる可能性もあると思っておいた方がいい。


 無理に勝とうとして故障するより、むしろ負けてでも登板数とイニング数を稼いだ方がいい、とさえ言えるかもしれない。

 もちろんそれは極端すぎる考えであるが、故障に対しては万全で備えておかないといけないだろう。

 そんなわけでこのタイタンズ戦も、しっかりとキャッチボールから仕上げていく。

 ドームということもあって、レックスが先攻となる。

 先取点を取ってくれれば、直史としてはとてもありがたい。

 また、タイタンズの作戦も少し気になっている。


 直史がここでやってこられると嫌なのは、悟が一番に入ってくることだ。

 以前のライガースがやったように、最強の長距離砲を一番多く当てるというものだ。

 ただそれに関しては、どうやらタイタンズは大胆になりきれないらしい。

 戦力的に見れば、ライガースと互角かそれ以上。

 それなのにレックスより劣るのは、ジョーカー的な選手がいないから、などと言ってくるかもしれない。

 だがトリプルスリーを何度も達成した悟は、いまだにリーグ屈指の強打者で好打者である。

 これを活かしきれていない時点で、首脳陣は無能である。




 直史は好戦的な人間でないと自分では思っているので、敵が無能で弱くなるのは望ましい。

 楽に勝てるのに、こしたことはないのだ。

 直史が楽をすればするほど、レックスのリリーフ陣も楽が出来る。

 直史が楽をするということは、つまり楽に完封をするということなのだから。

 勝利はもはや、大前提である。


 味方と敵の練習の間、試合の前には、人工芝の様子などを確認したりする。

 マウンドの状態も確かめて、自分でしっかりと確認するのだ。

 投球練習と肩を作るのは、ブルペンで行うものだ。

 だが外野なども回って、空気の具合なども確認する。

 東京ドームはホームランが出やすい球場ではある。

 その理由は、空調にあると言われているが。


 フィールドの広さよりも、空調の方がホームランの数には影響する。

 ただそういったスタジアムの歪さは、MLBに比べれば日本はおとなしいものだ。

 野原でやっていた原始野球を求めるMLBは、そういう変なところへのこだわりがあったりする。

 そのくせ競馬などは、どの競馬場もある程度の統一感を持たせているのだ。

 競走馬の能力検定としては、その方が適当であるかららしい。

 なおヨーロッパはこれまた、競馬に関しては独特の競馬場の形をしていたりする。

 日本はそもそも非対称の文化であるのだが、近代においては設計がかなり対称的になっていたりするのだ。

 



 タイタンズはこのカード、ここまでを一勝ずつできている。 

 ただ直史を打てるとは、過去から考えても思っていない。

 どれだけ優れたピッチャーであろうと、敗北する時というのはある。

 それが当たり前であり、直史も一応は例外でないのだが、その敗北する数が圧倒的に少ない。

 プロの七年間で、ポストシーズンに一度負けただけで、レギュラーシーズンの負けは一度もない。

 完封勝ちばかりなので、打線の援護や運とも別のレベルである。

 そもそも大学時代から、公式戦での負けはないのだ。

 唯一の敗北は、試合展開に安心してしまった監督がベンチに下げた試合であり、当然ながら負け星はついていない。


 上杉や真田など、勝てはしなくても引き分けたピッチャーはいる。

 だが二人は200勝投手であり、共に日本を代表するピッチャーで、上杉は日本代表のエース、真田もシニアでは世界一になっている。

 そのレベルでようやく、相手を無得点に抑えて引き分け。

 無理にピッチャーを運用するよりは、普通に負けておいた方が、むしろダメージは少ないのでは、という気さえする。


 ただそういったことを、選手に考えさせるのはどうか。

 打てないから諦めろ、などとは言えるはずもない。

 ピッチャーを温存して、他の試合で勝てばいい。

 プロのシーズンの勝ち方というのは、そういうものなのである。

 シーズンを通して総合的に判断される。

 首脳陣であればチームの成績を見て、選手たちはそのまま個人成績を見る。

 ただその評価基準が、NPBはMLBに比べると、圧倒的に結果主義過ぎて、選手の本当の力を把握していなかったりする。


 日程的には、タイタンズが直史と対決するのは、これが最後。

 とにかく目標は、Aクラス入りしてクライマックスシリーズ進出である。

 短期決戦となれば、レックスは直史で確実に一勝はするだろう。

 だがタイタンズの戦力であれば、それ以外のところで勝つことも可能だろう。

 一勝は確実に出来ても、他に確固たる戦力がいない。

 リードして終盤に持ち込めば、リリーフで勝ちパターンに持ち込めるのだが。




 現在のところ直史にとっては、タイタンズもスターズも、油断していい相手ではない。

 チームとしてはともかく、直史単体から見ると、特にスターズで上杉と投げ合うのは、かなりの苦戦が予想される。

 ピッチャーの力で、負けない試合を作ることは出来る。

 だが勝つ試合を作るのは、他の協力が必須になるのだ。

(ペナントレースを制してアドバンテージを貰わないと、クライマックスシリーズのファイナルステージでは勝てない)

 そのあたり首脳陣がどう思っているのか、直史はあまり関心がない。


 ライガースはエース二枚に、外国人も機能している。

 レギュラーシーズンは殴り合いを派手に行っているが、あの調子をポストシーズンまで続けるとは思わない。

 どのみち直史としては、やることは変わらない。

 ただ完全に他人のために投げるというのは、初めてなだけで。

(本質的には、これも自分のためなんだろうな)

 息子に死んでほしくないから、己の成績にこだわる。

 自分という人間は、周囲の環境によっても構成される。

 人間は社会的な生き物であるから。


 試合前、思っていたよりも、スタンドの客席が満員になるのが遅い。

 どうしてだろうと思ったが、夏休みは昨日で終わりである。

 大学などの休みはまだ続いているだろうが、高校生までの子連れで観戦、というのが難しくなっているのかもしれない。

 ただ観客のことはともかく、直史の投げる試合はそれだけで、他のピッチャーが投げるよりも、視聴率が20%ほども違ったりする。

 普段は野球を見なくても、直史の試合だけは見るというライト層が、相当にいるのだ。


 観客はどうでもいい。

 直史が求めるのは、単純に勝利のみ。

 そしてタイタンズは、直史が恐れていた悟を一番に、などという作戦も使ってこなかった。

 予定調和で終わりそうな試合が、これから始まる。




 レックスは初回から得点していった。

 今年も相変わらず、直史は打線の援護が少ない試合が多い。

 ただこの間のライガースとの試合などは、味方が二点取ってくれていたからこそ、勝てたものである。

 また大量点差もあって、昔ほど無援護が目立つわけではない。

 そもそも無援護の試合は、相手のピッチャーもレベルが高かったわけである。


 今のピッチャーはレベルが低いのか、という話題はよく出てくる。

 昭和のピッチャーなどは、普通に年間30勝していたとか、そういう時代は確かにあったのだ。

 ただ昔のピッチャーと今のピッチャーでは、まず球速が絶対的に違う。

 他に直史の、勝率や防御率は、どの時代にも存在しない。


 間違いなく直史の存在は、歴史におけるバグであり、証拠が残っていなければ何かの間違いだと思われるだけであろう。

 レベルというか、分析がより科学的になっているのだ。

 その中で直史は、単純な分析ではなく、心理学による読みと駆け引きを重要だと考える。

 この思考に対する考えが、直史や樋口の存在の異質さではあるのだろう。




 一点だが先制点を取って、直史は軽い気分で投げられる。

 これが軽くなりすぎると、油断になるのかもしれないが。

 油断していたわけではないが、大介には決め球に至る過程を打たれてしまい、パーフェクトを逃してしまった。

 あそこまでを含めて、不正に対する罰であったのかもしれない。

 しかしここまであと一歩の試合が増えていくと、さすがにもう嫌になってくる。

 本当に嫌になるのは、直史にノーヒットノーランを決められたり、あっさりと完封される他のチームであるのだろうが。


 初回から直史は、変化球を主体に投げていった。

 この間の、変化球を主体と言いながらストレートを投げるのではなく、細かくコントロールした変化球で、本当に凡打を築くのだ。

 それに対してタイタンズ打線が待球策を取れば、アウトローのぎりぎりにコントロールされたボールを、平気で投げ込んでくる。


 ボール球を安易に投げてこないし、ゾーンに甘い球を投げる時は、バッターの心理を洞察して投げてくる。

 完全に心を読んでいるように思えるが、実際は状況や構えなどから、しっかりと見抜いているのだ。直史には超能力など使えない。

 二つのアウトを内野ゴロで取り、そして三番。

 次の悟にはわずかに視線をやったが、ばっちりと視線が合った。

 直史の調子を量っているのだろうが、今日の調子は悪くない。

 つまりまずランナーはでないというわけだ。

 最後は三振でスリーアウトとなり、当たり前のように初回を三人で終わらせた。




 一点を争う試合だということは分かっている。

 だがタイタンズは、その一点を早くも取られてしまった。

 ベンチの動きは緩慢としたものとなる。

 早くもこの試合に、ある程度の見切りをつけているのだ。

 それもまあ、これまでの直史のピッチングを見ていれば、分からないでもない。

 防御率が0.2を切っているのであるから、まず一点も取れないと考えた方がいいのだ。

 そんなピッチャーがいてたまるかと言いたくなるが、目の前にいる。

 なので一点取られた時点で、首脳陣は負け方を考えるのだ。


 ただ二回の裏、マウンドに登った直史は、そんなに気楽な考えではない。

 先頭打者に悟がいるからだ。

 タイタンズの四番を打つということ。

 それは歴史に残る強打者である、ということの証明とも言えるのだ。

 実際のところ直史は、悟の打順は二番が一番だろうな、と思っていたりする。

 ただこれ以上の打率と出塁率、長打率を持つバッターがいないのだ。

 それにタイタンズは、歴代でも特に、外国人を四番に置くことが少ない。


 直史は悟に対しては、ある程度の諦めというものがある。

 ホームランを打たれなければいい、という諦めだ。

 そのくせ多くは、平均よりも打たせない。

 大介との対決でも、MLB時代はブリアンなどの強打者との対決でも、まず逃げることなく勝負して、ほぼ想定の範囲内に抑えている。


 ピッチャーは七回を二失点に抑えれば、その役割を果たしたことになるという基準のハイクオリティスタート。

 直史は今年、二試合だけこれをしておらず、そのうちの一つでチームは敗退した。

 完封しているのに試合が勝てないというのは、打線と首脳陣の責任である。

 MLBだとさらに分析して、正しく優れたピッチャーに、その評価を与えている。

 だから直史も、最後の二年にはとんでもない年俸で契約したわけだ。




 悟が考えているのは、追い込まれる前に打つ、というものである。

 先日の試合を見ていても、直史は追い詰めてからは、空振りが取れるボールを投げている。

 だがその前の段階なら、大介にもホームランを打たれているのだ。

 追い込まれる前、それこそ初球から、狙い球を絞ってそれを打つ。

 これを徹底すれば、もう少しヒットは増えるはずなのだ。

 なにしろ直史は、初球を外すということがほとんどないのだから。


 初球を狙っていく。

 そんな悟の狙いを読んだかのように、直史はその初球のアウトローを外した。

 わずかに逃げていくツーシームで、悟はこれを打ったが、三塁側のフェンスに激突するファールの打球。

 上手く当てていったように思えるが、実際のところはストライクカウントが増えただけである。

(気配を読まれたのかな)

 そう悟は考えたが、実際のところは直史の、バッターに対する精緻な観察による。

 特に他のバッターはともかく、大介と悟には多くの時間をかけている。

 むしろ手の内が分かっている、大介よりも多いかもしれない。

 実際にホームランを打たれたのだから、それは間違っていない。


 そしてここから、直史はスライダーなどをコントロールしていく。

 変化球が多く、悟はこれを読みきれない。

 カットすることでどうにか、球数は増やしていく。

 しかしボールカウントが増えることもなく、最後にはチェンジアップを内野ゴロに引っ掛けて、第一打席は凡退した。

(球数は投げさせたけど、これじゃあな)

 直史にとっては、充分以上の厄介さであったが。


 続く五番と六番は、あっさりと三振と内野フライに倒れた。

 悟が必死で消耗させようとした直史は、まるでこたえていないように見えた。




 今年の日程は、タイタンズ戦はもう少ない。

 これが24回戦となり、あとは一試合が残っているだけである。

 16勝7敗と、タイタンズ相手には分のいいレックスである。

 もっともライガースとスターズとはほぼ互角で、他の3チーム相手には完全に優位ではあるのだ。

 直史一人の影響と考えるのは、内から見ても不思議な感じはする。

 彼は味方の目から見ても、周囲を鼓舞するようなタイプではない。

 それでもあふれるカリスマが、周囲に影響を与えるのか。

 そう考えると、他のチームとの勝敗を見ても、やはり一人の人間が大きな力を持つのか、と思わなくもない。


 スターズには上杉がいて、ライガースには大介がいる。

 間違いなくカリスマのあるチームリーダーと言えるのは、スターズの上杉だけである。

 直史は孤高の存在であり、大介も永遠の野球少年……いや、野球小僧である。

 それでもここまでのことをやれば、周囲の見る視線は変わるのだろう。

 直史は間違いなく、レックスに緊張感をもたらした。

 大介がライガースに勢いをもたらしたように、それぞれ影響力というのは、間違いなく存在するのだ。


 直史はこの試合も、三回に内野安打を許してしまった。

 下位打線にボテボテのゴロを打たれ、それがセーフになってしまうのだから、やはり運が悪いのは間違いない。

 そしてここでは、ダブルプレイでランナーを消すような意図のピッチングはしなかった。

 なぜならこの打順が固定するならば、四番の悟にはツーアウトから打順が回るからだ。

 もちろんさらにランナーを出せば、こんな都合のいい目論見は消えるであろうが。


 直史を相手にする場合は、さすがに一番とは言わなくても、悟ほどの出塁率を誇るなら、二番ぐらいにしておけばいいのだ。

 もちろん例外中の例外ではあるが、相手の状況に応じて、指揮官は動いていくべきなのだ。

 タイタンズはそのあたり、采配が奇抜であったりすると、すぐに批判されるチームではある。




 四回にレックスは、さらに一点を追加していた。

 そしてその裏、ツーアウトから悟の二打席目が回ってくる。

 だがこの打席では、直史が前とは全く違うアグレッシブなピッチングをしてくる。

 ストレート主体で投げて、最後もストレートで内野フライを打たせる。

 ショートが少し後退したが、ポテンと落ちることもなく、キャッチしてスリーアウト。

 悟のタイミングが整わないうちに、アップテンポで投げていた。


 ホームランを打たれてもまだリード、という状況ではあったのだ。

 そしてバッティングというのは、タイミングが重要なものである。

 これまで直史は、悟に対しても繊細なタイミングずらしを仕掛けていた。

 それが逆に、この場面の雑なテンポアップを、効果的なものとしてしまったのだ。

 このあたりの駆け引きは、経験とかではなくもう、人間性の問題であろう。


 直史はやはり、変化球を多く使っている。

 それも球速のあまり出ないカーブを中心に、シンカーとスライダーを使って、逃げる球にしているのだ。

 ただそこにたまにストレートを使ってくると、簡単に空振りが取れる。

 決め球としてだけ使ってくるなら、むしろありがたいのだ。

 しかし途中で、カウントを稼ぐためにも使ってくるのだ。

 ストレートならまだ打てる、という思い込みで凡打に終わることも多い。




 終盤に入ると、またスタイルを変えて投げていく。

 それも一人一人のバッターに対して、完全に別個の対応だ。

 それぞれの思考を読んでいるかのような。

 もちろんさすがにそれは無理で、統計で打たれないピッチングの組み立てをしているだけである。

 その統計をわざとある程度外すところに、統計の真の使い方がある。


 レックスは追加点を入れる。

 たとえ一点ずつでも、これでどんどんと点差は広がり、直史も組み立てのバリエーションを広げていける。

 絶対に打たれないであろうコンビネーションに、ひょっとしたら打たれるかもしれないコンビネーションを混ぜる。

 これが逆に、打てないというか予測出来ない組み立てになっていく。

 悟の第三打席は、主に逃げる球で構成し、内野ゴロを打たせることで終わった。

 ある程度の点差があれば、怖いバッター相手でも勝率が上がるのだ。


 完全にホームラン狙いならば、むしろ危険なのだ。

 ただ悟の場合は、ヒットを狙っていた。

 そのあたりの勝負師としての勘は、大介の方が優れているのだろうか。

 もっと単純な、本能的なものであるとも思えるが。

 ともあれこの試合は、残りは幸運なポテンヒットが一つだけ出ただけであった。

 4-0と悟に四打席目は回らないまま、レックスが勝利したのであった。


 9イニングを投げて97球のヒット二本。

 奪った三振の数は13個で、また奪三振率が上がってきて、平均が12を超えた。

 そして防御率もさらに良化していく。

 マダックス達成はもはや、話題にすらならない。

 ただ直史としては、悟を封じたことが自分の中では大きい。

 クライマックスシリーズに入れば、一発による失点の意味もより大きくなる。

 このままであれば、タイタンズとファイナルステージ進出を賭けて争うこととなる。

 それは嫌で、もっと楽がしたい直史であった。

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