第73話 バッターボックスの中の神

 試合の展開は、ずっとスターズに流れがある。

 大介の一打で、風穴を開けられなかったのが大きい。

 もっとも大介は、自分がホームランを打ったとしても、それで動揺する上杉ではないことは分かっている。

 上杉や直史に封じられても、それはそうだろうなと思うだけだ。

 逆のことが上杉や直史にも言えるだろう。

 結局エースとしての本当の資質は、そのメンタルにあるのかもしれない。

 そういう意味では武史など、完全に先発完投型のピッチャーであるが、エースと言うにはメンタルの軟弱さを感じる。

 MLBでも、最も新しい300勝投手、を期待されているのだが、今のままだとちょっと厳しいだろう。

 NPBの記録を入れていいなら、400勝を狙えるのだが。


 上杉は大介以外にも、それなりに当てられる。

 明らかに他のバッターには手を抜いているのだが、それでも点を取られないのだから文句は言えないだろう。

 完投を意識して投げていると、どうしてもどこかでペース配分を考えないといけない。

 そしてそこでは、打たせて取るピッチングも必要となる。

 運が悪ければ、それが内野の間を抜いていく。

 そこでなぜか抜けないのが、全盛期の直史であり、上杉にはない属性なのであろうが。


 3-0とスターズはリードを広げる。

 上杉の今日の出来は、完璧ではないにしろそれに近い。

 本気を出しているわけではないはずなのに、大介以外のバッターもまるで打てない。

 いや、全力ではないだけで、本気ではあるのか。

 パワーが限られているのだから、テクニックや駆け引きで勝利する。

 それが今の上杉のピッチングスタイルで、実は奪三振率は直史よりも低くなっていたりする。

 ここ最近の直史の、奪三振率は恐ろしい勢いで上がっているので、あまり比較にはならないかもしれないが。


 そして六回の裏、大介の第三打席が回ってくる。

 ワンナウトランナーなしと、ここもまた難しい場面だ。

 塁に出て、後続に託すのか。

 それともあくまで、ホームラン狙いに徹するのか。

 大介はその判断を、完全に任されている。




 第四打席も回ってくるのは間違いない。

 ただ現在の三点差というのは、大介がソロホームランを二本打っても、埋まらない差である。

 一番打者大介というのは、こうなると間違っていたのでは、という結果論が出てくる。

 しかし総合的に見れば、いきなり上杉からヒットを打っているのだ。

 おかげで他のバッターも、萎縮することなくスイングすることが出来た。

 やはり送りバントが失敗だった、と解説者は後から言っているのだろうが。


 結果が全て、などと言っていれば簡単なことだろう。

 しかし分析は、その結果というものをもっと性格に知らなければいけない。

 デグロムが11勝や10勝しかしていないのに、どうしてサイ・ヤング賞を得ることが出来たのか。

 それこそが本当の、結果が全ての分析だ。

 日本の首脳陣の場合、エースはもう勝ち星でしか見ない、などという狂ったことを言った人間もいたそうだが。

 指揮官のゴミ采配で勝ち星を消されたピッチャーにとっては、ショックであり人間不信になってもおかしくない。


 大介はここまで、ヒット性の打球を二つ打っている。

 それでも無得点ならば、文句を言われるのだろうか。

 他のピッチャーからならともかく、上杉から狙ってホームランを打つのは難しい。

 直史が相手でも、決め球が来る前に、どうにか勝負をつけにいったのだ。

 上杉が相手でも、追い込まれる前に勝負をつけるべきか。




 あと二打席も、大介と勝負するのか。

 憂鬱になるような上杉ではないが、疲れるのは確かだ。

 点差が大きく開けば、四打席目はリリーフに任してもいい。

 出来ればここまで五試合連続でホームランを打っている、大介の勢いは止めておきたいところだが。

(大きくなったな)

 自らの衰えも認めたうえで、それでも上杉は大介と勝負する。

 力ではなく駆け引きに持ち込むとしても、逃げることだけはしてはいけないのだ。


 初球のカーブを、いきなり大介は打ってきた。

 引っ張るのではなく、バランスを崩しながらも、逆方向へと打った打球。

 完全にミートはしていたが、かかっていたスピンが悪かったのか、ボールはレフトのポールの向こうへと。

 内心で息を吐く上杉は、やはり大介を脅威には感じている。


 バッターとピッチャーの対決は、常にピッチャー有利である。

 だが大介はポストシーズンともなると、OPSは2を超えているし打率も五割を多くは超えている。

 本当に集中した勝負では、それだけのパフォーマンスが残せるのだ。

 ここまでの上杉との対戦成績でも、他のピッチャーに対するよりずっと、優れた数字を残している。

 他のピッチャーの場合は、歩かせるという選択肢があるからだが。


 勝負してくれるというピッチャー相手には、大介は集中力を高めていく。

 なので上杉は前提として一回り強い大介と勝負しているのだ。

 それで五割を打たれているが、かつてはもっといい勝負が出来ていた。

(ワシはもう、限界だが)

 大介ももう、ほぼ変わらない40歳だ。





 バッターの限界は、動体視力の落ちる40代前半。

 どちらがより長く、プロの舞台にとどまっていられるか。

 それが最後の勝負になるのかもしれない。

 しかし直接対決は、いつ最後になってもおかしくはない。

 あるいはこの打席がそうかもしれない。

 一期一会。

 実はそれは、既に直史がずっと前に、たどり着いた境地であったりする。


 どちらがより、優れた選手であったのか。

 これもまたピッチャーとバッターであるので、比較はしにくい。

 外に出て、日本の野球の価値を示した大介と、中に戻り、日本の野球の価値を保ち続けた上杉。

 バグのような数字を残し続けた直史は、印象は鮮烈だが影響力という点では落ちるだろう。

 それこそここから、50歳まで現役を続けて400勝でもすれば別だが。

 直史は、二人にとっても特別だ。


 二球目、上杉の投げたのは、高速チェンジアップ。

 大介のバットはトップのところでしっかりと止まり、それを完全に見送る。

 初球のカーブでストライクカウントが取れたのが、上杉にとってはラッキーだったのだろう。

 ただここで、遅い球を二つ続けてくるということは。

(速い球を投げるのか)

 それは充分に予想できた。

 ただ決め球となるボールに、何を投げてくるのか。


 三球目、上杉はアウトローにツーシームを投げてきた。

 大介のスイングはわずかにタイミングが合わず、またもレフト方向にファールボールが飛んでいく。

(速いな)

 168km/hがツーシームで出ている。

 完全に全盛期に近いが、ここで今季最速を出してくるということは、決め球には何を投げてくるのか。

 ストレートだと、以前なら信じただろう。だが今の上杉は、芯は同じでも異なる部分を持っている。

 大介は一度、バッターボックスを出た。




 カウントとしてはピッチャー有利。

 だが大介の集中力は、限りなく高まっている。

 完全にゾーンに入っている大介。

 これを打ち取るのは、同じ領域にピッチャーも入っていかなければいけない。

 そして今の上杉には、もうそこまでのパワーはない。


 技術で、あるいは駆け引きで、どうやって打ち取るというのか。

 ここまでのスイングを見ていて、大介がホームランを狙っているというのは、はっきりと分かっている。

 そもそも打てるボールは、全てホームランを狙うというのが大介だ。

 八月に入ってから、大介は単打を打った数より二塁打を打った数が多く、二塁打を打った数よりホームランを打った数の方が多いのだから。


 上杉は逃げない。それは分かっている大介だ。

 ならば自分も、ただ最高の結果のみを求めていくのみ。

 単に塁に出るだけでは、おそらく上杉を打ち砕くことは出来ない。

 第四打席につなげるためにも、ここは打っていくしかない。

 当然ながらホームランを。


 上杉はここは、力で押す。

 力で押すのか、と大介は考えているだろう。だからこそ逆に力で真っ向から押す。

 そもそも他のボールで大介を打ち取る明確な自信などない。

 ならば自分の最大の力のストレートを投げる。

 壊れるならば壊れてしまえ。燃え尽きるぐらいにまでやりきれれば、それはそれで幸せなことなのだ。

(行くぞ)

 上杉の足がゆっくりと上がった。

 そこから体重が移動し、足からの力が全身を加速させていく。

 そして肩から肘、指先へと伝わる。




 上杉の最高のボール。

 それが完全に真っ向勝負のストレートだと、大介には分かった。

 血が沸き立つと同時に、トップの位置からスイングが加速する。

 ドームの天井を貫けと、場外まで飛ばすつもりで、大介も渾身のスイングをした。

 そしてバットとボールが激突する。

 そのわずか一瞬に、大介は全ての力を放っていた。


 ボールはバックスピンがかかって、高く舞い上がる。

 そしてそのまま天井に激突し、フェアゾーンに落ちてくる。

 センターがほぼ定位置でキャッチした。

 そんなセンター馬上は、そういえば大阪ドームの天井激突はどういう分類だったろうか、と自分でも分かっていない。

 大阪ドームではインプレイ。

 つまりセンターフライで、大介は凡退することとなったのであった。


 今の打球は、本当にアウトでよかったのか。

 多くの人間がそう思ったのは、とんでもない速度で天井に当たったからだ。

 だが特別ルールでは、間違いなくフェアグラウンドに落ちてきたのでインプレイ。

 上杉が勝ったというか、大介がアウトになったという現実は変わらない。

 ただ対決した二人は、お互いに戸惑っていた。


 あの打球のスピンからすると、遠くへ飛ぶのではなく、上へ昇っていったのだ。

 センターの定位置より、果たしてどれだけ、飛んでいったことやら。

 飛ばされたことは飛ばされたが、球威に押されて完全なミートにはならなかった。

 しかし他の球場でならばどうなっていたか。

(数字としては、勝ったのは間違いないが)

 上杉としては、大介の心を折ったとは、全く思っていない。

(完全には捉え切れなかった)

 大介もまた、満足はもちろんしていないが、完敗したとまでは思っていない。

 あと一打席、勝負があるのか。

 それは上杉の体力とも関係しているだろう。




 大介と上杉の対決は、どちらかというと上杉の方を消耗させた。

 ツーアウトになったこのイニングはともかく、その次のイニングにヒットと進塁打で、一点を許してしまったのだ。

 だがこの3-1から、スターズはさらに一点を加えてくる。

 4-1となってしまうと、もう大介が残り一打席でどうしようと、彼の力だけではどうにもならない。

 そもそも上杉が、完投するかどうかも微妙なところである。


 上杉を果たして、どこまで打ち崩すことが出来るか。

 とりあえず一点は取れたのだから、間違いなく大介との対決で消耗している。

 しかし下位打線などであれば、八分の力でも抑えてしまうのが上杉だ。

 八回の裏は、まさにその下位打線の七番から。

 一応変則的な打線にはなっているが、それでもランナーとして出て、一番の大介につなぐことは出来なかった。


 今日の試合はライガースの負けだな、という空気はスタジアム全体に充満している。

 それでも帰途に就こうとする観客がいないのは、九回に大介の第四打席が回ってくるからだ。

 先頭打者に大介の第四打席。

 まだ何が起こるか分からないし、もしもホームランでも出るなら、それを見ておきたい。

 しかし三点差であるので、スターズは上杉を降ろしてもおかしくはない。

 ホームランを打たれても、ソロで一点までにしかならない。

 ライガースが二点差を追いつけるか。

 上杉以外のピッチャーに代わっていたら、可能であると思う。


 スターズの判断も難しい。

 上杉には出来るだけ、負担をかけたくないのだ。

 ここからクライマックスシリーズ進出のためのAクラス入りが重要となってくる。

 しかしライガースはここからでも、逆転する力を持っているチームなのだ。

 さらには大介からという打順。

 油断すれば一気に逆転もありうる。




 三度目の大介との勝負、上杉の投げたストレートは、170km/hに達していた。

 このスピードが出たのは、かれこれ六年ぶりである。

 本気のそのまた本気を出した、ということなのだろう。

 それをあれだけ飛ばしてしまう、大介も大介だが。

 もうあの場面で、あれだけの力を出してもらうのは、上杉には酷であろう。

 実際その後に一点は取られたが、それでも最低限の失点にとどめている。


 間違いなくもう限界なのだ。

 それでも九回、上杉はマウンドに登るつもりである。

 ここまで打たれたヒットは、わずかに四本。

 一つをダブルプレイで殺したが、その間に一点を取られた。

 しかし確実に、一点よりも確実なアウトをという場面であった。

 上杉は球威が落ちてきている。


 ブルペンには、リリーフの準備をさせている。

 大介に打たれれば、もう上杉を代えても問題はないだろう。

 もしホームランを打たれれば二点差。

 ライガースは準ホームの大阪ドームであるため、応援の後押しは大きい。

 大介を抑えた後、他のピッチャーで勝てるのかどうか。

 抑えられなくても、もう交代するしかない。


 四度目の対決。

 ここまではなんだかんだと、上杉は点を取られていない。

 ただ三振を奪えてはいないし、どれもしっかりとミートはされているのだ。

 アジャストしていって、最後に痛打を浴びても仕方がない。

 それでも上杉は、マウンドから逃げない。

 大介はベンチの前で、しっかり精神統一をしてから、バッターボックスに向った。

 



 高い位置にあるマウンド。

 まさにピッチャーが特別である、と示す舞台がそこだ。

 ピッチャーが投げて、バッターが打つ。

 野球の一番単純な形がそこにある。

(今日は、これが最後かな)

 ワクワクとしながら、バッターボックスに入る大介。

 自然と洩れる笑みに対して、上杉も攻撃的な笑みを浮かべた。


 これは勝負であるが、同時に遊びの延長だ。

 そもそも原始的に、ボールを投げてそれをバットで打つ。

 最初に成立したのは、間違いなくスポーツではなく遊びとしてだ。

 ならばどこまで楽しめるかで、その上達も決まる。

 楽しみであるからこそ、より上手くなりたい。

 一緒に上手いプレイヤーと、敵と味方に別れてでも遊びたい。


 楽しみすぎて故障する、というのもよくあることだ。

 子供の故障というのは、無理をしているという意識などなく、楽しみのままにやっているからこそ起こったりする。

 限界を考えず、楽しみすぎてしまうのだ。

 ゲームが楽しすぎて、徹夜でやってしまうのと同じことだ。 

 周囲がそれを止めなければいけないが、大介や上杉は肉体的に頑強であるため、止まることなく進み続けた。

 自分の限界を理解していた直史とは、そこが違う。


 限界を突破することは出来るのか。

 限界を設定してしまうのは、その人間の可能性を殺してしまうことではないのか。

 故障させることは絶対悪だが、可能性を先に閉じてしまうのもいけない。

 そういった根本的な部分は、プロの世界で頂点を極めてからも、まだずっと頭の中に残っている。

 自分の限界は、自分で決めてしまってはもったいない。


 この第四打席、どちらがより楽しむか。

 疲労だとか、前の打席までの駆け引きだとか、そういったものもあるだろう。

 だが最後には、楽しめる者が勝つのだ。




 初球から上杉は、ツーシームをゾーンぎりぎりに入れてきた。

 大介のスイングは届いたが、やはり左に切れていく。

 このスピードをスイングして、しっかり飛ばすだけでも、凄いのはたしかなのだ。 

 しかしここで満足するわけにはいかない。

 もっと、さらに楽しんでいく。

 一番楽しいのは、やはり勝つことだろう。


 165km/hのツーシームから入ったが、他のバッターへのボールと比べると、明らかに違う。

 上杉が選手生命を賭けて戦っているのを、大介は感じている。

 42歳の上杉は、途中で一年を棒に振る故障をしている。

 たったの一年で回復した、というのが奇跡と呼ばれるものだ。

 あれがなかったら、500勝も狙えたのではないか。


 勝つことよりも、楽しむことを優先してしまう。

 野球というのは、そういうものであるのだろうか。

 ピッチャーというポジションがあって、それにバッターが向かっていく。

 この明確な一対一の状況は、団体競技としては珍しいものだろう。

 上杉は壊れながらも、楽しんでいた。

 自分の全力をかけても、それでもなお打ち取れない。

 そんなバッターの存在を、ずっと待っていたのだ。


 義務とか責任とか、チームキャプテンだとか、期待だとかそういうものの全てを、肩や背中から下ろしてしまう。

 全力を出すことを自分に許す。全力でなければ勝てない。

 今日は三度の対決で、どれも強烈な打球を打たれている。

 ずっと長い間、自分に勝てるバッターはいなかった。

 それがあの日、甲子園の舞台の前で、一度だけ対戦した小僧が、ここまでの存在になってくるとは。

 対等以上の存在が、今はもう自分の上にいる。

 だからこそ、挑戦していけるのだ。




 打ってもホームランにならないボール球のカーブを、上杉は続けて投げてきた。

 常にスターズが有利に試合を運んできたが、その流れを一撃で破壊するのが、大介のホームランだ。

 もっとも大介自身は、もう上杉との対決を楽しむ以外、頭にはない。

 この試合には負けるかもしれないが、それはそれでいい。

 たとえ負けても、折れなければ次がある。

 自分の可能性を信じて、挑戦し続けるのが人生だ。

 勝つか負けるかというのは、挑戦するかしないかに比べれば、重要なことではない。


 三球目に、何を投げてくるか。

 ストライクカウントを取りたいだろうが、上杉の速球でも大介はほぼ三振しない。

 そもそも今年は、31回しか三振していないのだ。

 それでも全盛期の大介は、MLBでボール球にまで手を出していた頃でも、シーズンに20回ほどしか三振していないのだが。

 ボール球を打たせてストライクカウントを稼ぐというのは、直史でもそれなりに難しいものであった。


 上杉の三球目は、低めに落ちるチェンジアップ。

 これをゴルフスイングで打つことも、いずれは選択肢に入れるべきかもしれない。

 ゾーン内のボールだけを打っていればいいというわけではない。

 正しいのは、打てるボールを打つということだ。

 外れていようがどうであろうが、ホームランになれば関係ない。

 もちろんゴルフスイングでも。


 ボール球が先行。

 次は間違いなく入れてくるだろうというのは予感ではない。

 それは上杉の根本的なスタイルだからだ。

 ストライクをガンガン入れてくるというのは、上杉の根っこにある、動かしてはいけないものなのだ。

 ただそれを安易に速球で入れてくるかどうかは、状況による。

 今は大介が相手をしているのだ。




 上杉の投げたのは、低めへの重いストレート。

 ゾーン内に入っている、大介ならば打てる球。

 危険性は承知の上で、自分の今の力を最大限に出していった。

 それは意地でもなんでもなく、単純な力比べという遊び。

 そしてそれに大介も応える。

 遊びは全力でするからこそ、楽しいものであるのだ。


 バットが折れるようなボールをちょっとでもミスショットすると、手首を捻挫したり、細かい骨が骨折することもある。

 その骨折によっては、バッターとして再起不能になったりもするのだ。

 本当に小さな骨の破壊が、バッターの選手生命を奪う。

 だから普通はバッティンググローブを使うのだが、大介のこだわりはそれを許さない。

 そして大介の肉体は、主人の期待に応えられる。


 全力でもって、ボールを叩く。

 激突の瞬間には、ありえないことだが火花が散った気さえした。

 全身を使った大介のスイングは、上杉のボールを持っていく。

 外野が追いかけるタイミングもない、完全なホームラン。

 バックスクリーンビジョンを、またも破壊する大介であった。


 ソロホームランで、まだ点差はある。

 大介はダイヤモンドを回りながら、手の中に残る感触をとどめていた。

 打った瞬間、バットは間違いなく手の延長となっていた。

 体全体を、ボールにぶつけた感触。

 この感触でボールを打つと、スタンドまで飛んでいくのは分かっている。

 普段は腰からの回転だけで、スタンドまで運んでいくことが多いのだが、本気同士の対決であると、こういう感触が残っているのだ。

(まだ、引退には早いだろ)

 小さなガッツポーズをして、大介はホームベースを踏んだ。




 スタンドのざわめきが止まらない。

 大介のバックスクリーン破壊は、別に珍しいことではないのだが。

 相手が上杉であり、169km/hのストレートを打ったというのが、このざわめきの理由であろう。

 高めに投げられていた方が、おそらく飛距離は出なかった。

 どちらにしろ打てたことは打てただろうが。


 上杉が投げたのは、大介を抑えられる球ではなく、自分が投げられる一番の球であったのだ。

 それを打たれているから、やはりもうパワーでは大介に敵わない。

 衰えを嘆いたり、寂しがったりすることはなく、上杉はさっぱりしていた。

 いや、やはり寂しさはあったのだろうか。

 ベンチから監督が出てくるのを見て、上杉は大きく息を吐いた。

 ホームランは打たれたが、これでランナーはいない状態である。

 それでもこの場面から、リリーフするクローザーは大変であろうが。


 上杉が降板したため、ここからの逆転をライガースファンは期待する。

 だがそれはさすがに都合がいいだろうな、と大介は考える。

 完投数が激減した上杉であるのに、スターズがしっかりと勝っている理由。

 リリーフ陣はそれなりにしっかりしているからだ。

 そんな大介の予想を外さず、スターズのクローザーはランナーこそ出したものの、失点はせずにスリーアウト。

 4-2で試合はスターズの勝利に終わった。


 敗北はしたが、ライガースファンが意気消沈することはない。

 そしてそのファンのムードによって、ライガースの選手も気分を上げられる。

 これで大介は、直史と上杉を打っての、六試合連続ホームラン。

 今年の連続ホームラン記録としては、最も長い連続記録となっている。

 負けたが、いい試合であった。

 プロは勝ってこそ、などと言うが、それは間違っている。

 プロは魅せてこそ、なのであるのだ。




 マンションに戻ってきた大介は、椿からどうでもよさそうな伝達を受けた。

「昇馬が見学先の高校の野球部員と暴力沙汰になったんだって」

「はあ? あいつは弱いものいじめはしないように教えてたはずだけど」

 正確にはもう、事後処理も済んでからの連絡であった。

 事件自体は数日前に終わっていたのだ。


 昇馬のスペックは、野球選手として特別と言うよりは、サバイバルにより適していると言っていい。

 球技だけではなく、現代格闘の技術も少しは学んでいる。

 アメリカでは普通に、未成年ながら平気で荒野で銃なども撃ちまくっている。

 またニューヨークにおいては、富裕な住民の地区に住んではいたが、それでも近くではイリヤが殺されている。


 一般的な日本人男性なら、昇馬は数人同時に相手出来る。

 そしてほぼ一方的に無力化出来るだろう。

「マコちゃんが一緒だったから、念のために強めに痛めつけたんだって」

「あ~、それは相手が悪い」

 ツインズはサイコパス気質であるが、普通の暴力からはまず逃げるように、というように教えている。

 ただ守る対象がいれば、相手を徹底的に潰すように、とも教えてあるのだ。


 女性がいるからいいところを見せるのではなく、女性は逃げるのも遅い。

 だから相手を完全に無力化してから逃げた、ということらしいが。

 相手は脳を揺らされたのと、絞め技で気絶させた二人。

 それなら逃げてもいいのでは、と大介は思うのだが、昇馬の価値観ではそうはいかない。

 アメリカ基準で考えてしまったのだろう。




 幸い相手は、後遺症が残るような怪我はしていなかった。

 また付近に、相手の指紋がついた金属バットがあった、というのも正当防衛を成立させる。

 おそらく何か、文化的な風習の違いで、普通に昇馬が相手を怒らせてしまっただけなのだろうが。

 これは直史にも知らされず、瑞希と桜の二人で後始末をしたらしい。


 相手の怪我も軽傷で、昇馬には無力化の意思しかなく、そして先に金属バットを見せ付けてきたのは向こう。

 なので正当防衛なのであるが、それと実際の印象は違う。

「まあ向こうが見学に来ないかと言っておいて、先輩風吹かせた生意気な小僧がいれば、あいつならボコボコにしてもおかしくはないな」

 昇馬は好戦的な人間ではないが、戦闘を絶対に回避するという平和主義者でもない。

 男なら、戦うべき時はある、と考えるマチョイズムの持ち主だ。


 それが全て解決してから、連絡が来た。

 大介のみならず椿にも、下手に心配させないように、というものだったのだろう。

「それにしても、あいつは白富東に進学するのが決まってたんじゃないのか?」

「スカウトの熱意に負けて、ちょっと見てみる気分になったらしいの」

「それは……スカウトが悪いな」

 昇馬は日本の、主に高校野球より上の、学年絶対主義を全く知らない。

 そもそも大介も、それを高校では味わっていない。


 それにしても、自分が悪くならないように相手への攻撃を控えているというのは、母親たちの教育の賜物であるだろう。

 大介ならば、自分一人ならさっさと逃げ出すのだが。

 これで昇馬の悪評が広がるかもしれないが、その可能性は薄いと瑞希は言っていたらしい。

 そもそも現役の部員が、ただの見学者と暴力沙汰を起こしたとなれば、大問題になるのは向こうの方だ。

 しかし入学前から、色々と話題が尽きない。

「電話でも先に礼を言っておくべきだろうなあ」

 まったく、面白い息子に育ってくれたものである、と苦笑する大介であった。

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