第60話 神宮のピッチング

 甲子園から戻ってきて、神宮でのホームゲームが続く。

 しかし最初のフェニックスとのカード、青砥と上谷がそれぞれ、五回まで五失点と最低限の仕事しか出来なかった。

 レックスは先発のピッチャーがそれなりの仕事をしなければ、試合に勝つのは難しいチームだ。

 そのあたり計算して勝つのはともかく、逆転を狙うのが本当に難しい。

 勝ちパターンのリリーフを移動日で一日休ませることが出来たのに、この二日間は出番がなかった。

 せめて六回まで投げたら、ビハインド展開でも使えたかもしれないのだが。


 そして三戦目は心配していた通り、雨にて延期。

 ライガースも連敗があり、またレックスの方が勝率では上回っているが、勝ち星の数は63勝で並んだ。

 残り試合数から勝率はレックスの方が上なのだが、また直接対決があれば、一気にひっくり返るような状況である。

 そんな中で、直史の18度目の先発が回ってくる。

 連敗のストップを、当たり前のように期待されている直史である。


 対戦するのは、前のカードでライガースを相手に勝ち越しているタイタンズ。

 大介が復調しつつあるライガースと、打ち合いで勝っている。

 ただ三戦目では負けているため、勢いは一応止まっている。

 それよりも直史が嫌な予感がするのは、タイタンズの打順を見たからである。

 四番を打っている悟が、二番に位置している。

 これには神宮の観客もざわついたものだ。


 ただ悟は元々、三番を打つことが多かったバッターだ。

 国際大会では二番を打ったこともあるため、全く経験がないというわけでもない。

 しかしタイタンズの首脳陣が、レギュラーシーズンでこういった思い切ったことをしてくるとは。

 レックスとライガースが潰しあい、その後にレックスが連敗したことで、確かに三位のタイタンズとの差は縮まっている。

 それでも圧倒的に二位と三位の間は大きい。




 レックスを叩きにきている。

 大介がホームランを打っていないことで、ライガースもやや調子を落としている。

 ここから甲子園での試合がしばらくないライガースは、立て直すのに時間がかかるかもしれない。

 するとレックスも叩いておけば、ここからの逆転優勝の目もあるということであろうか。

(いや、純粋に勝ちにきてるんだろうな)

 ペナントレースの優勝は、この数年はスターズとライガースが多くを持っていっている。

 悟が移籍してしばらくは良かったのだが、また主力がMLBに移籍して、その分の穴埋めを出来ていない。


 今年はレックスとライガースが全盛期のような輝きを見せているが、それでも戦力的に言えば、昔ほど圧倒的ではない。

 レックスの年間勝率75.5%を抜くことは絶対に出来ないであろう。

 樋口がいて武史がいて、金原に佐竹、豊田、利根、鴨池に星と、バッテリー陣はまさに史上最強であったかもしれない。

 あのチームは樋口が中心であり、直史が抜けた後もレックスは強かった。

 しかし樋口が抜けると、途端に弱くなったのも確かだ。


 今のレックスは明らかに、直史の伝説がチーム全体を支えている。

 その直史が崩れたら、一気にチーム全体の勢いが止まりかねない。

 直史としてもそれは分かっているし、この流れはその、勢いが止まるという展開としか思えない。

(俺へのペナルティは、パーフェクト失敗だけで済んでいるのか?)

 無神論者のはずの直史であるが、バチが当たる、という感性は持っているのだ。

 試合前の調整投球は、しっかりとやっておいた。




 ホームゲームであるが随分久しぶりに感じるのは、オールスターを挟んでいるからであろう。

 そして前回の対戦相手もタイタンズであった。

 しかし神宮球場は満員である。

 これもまた、直史の記録がどこまで続くか、それに期待しているのかもしれない。

 連続マダックス記録。

 そもそも他にそんなことをやっているのが、直史自身しかいない。


 日本では直史のやっていた、五試合連続がこれまでの記録であった。

 それを前の試合で更新したことになる。

 だがアメリカでは、一番長いのが12試合連続というものである。

 三年目の、樋口とターナーが故障して、アナハイムではポストシーズンが絶望的になったシーズン。

 思えばあのシーズンも最後まで先発ローテで投げていれば、どうなっていたのだろう。


 直史のキャリアハイは、翌年のアナハイムに戻った34勝である。

 MLB五年間で、フルで先発で投げた四年間は、全て30勝以上を記録。

 これは武史も超えられていないというか、30勝に一度も到達していない。

 それでもサイ・ヤング賞の獲得数は直史を抜いて、連続記録も通算記録も歴代一位とまでなった。


 偉大すぎる兄と、兄以外と比べれば充分に偉大な弟。

 大サトーと小サトーという呼び方は、ちょっとおかしなものだが正確かもしれない。

 そもそもMLBのキャリア的には、武史は問題なく殿堂入り出来るのだ。

 直史の場合はたったの五年で、しかもNPBで復帰したことなどもあり、選出されるのにまた異論があるだろう。

 とりあえず今はそんなことは関係なく、目の前の試合である。




 悟は初回の表から、いきなりネクストバッターズサークルで待機する自分を、少しおかしく感じていた。

 レックスもライガースも、あの直接対決以来、調子を落としている。

 大介など、七試合ホームランが出ないだけで、スランプ扱いである。

 三試合で三打点を上げているのだが。

(ベテランになればなるほど、不調からの立ち直り方も分かってる)

 そしてそれが上手くいかなくなれば、その時こそが引退の時であるのだろう。

 悟はまだまだ、自分の現役は続くと確信しているが。

(今日の試合、どうにかならないかな)

 直史の調子がどうか、悟は近くから観察していた。

 しかし三球で内野ゴロに打ち取って、悟の出番である。

(まったく、なんなんだこの人は)

 そう思って立ち上がるが、笑みがこぼれそうになるのは、この対決を楽しんでいるからだ。


 楽しそうだな、というのは直史も感じていた。

 大介や悟に共通している雰囲気。それは高校時代から変わらない。

 野球を楽しんでいるということだ。

(俺はどうなんだ?)

 間違いなく、楽しいだけではないのは確かだ。


 プレッシャーに強いのは、直史も同じである。

 むしろ背中に何かを背負っていないと、直史は投げられないと言ってもいいのかもしれない。

 無責任であった中学時代、自分の責任ではないが、一度もピッチャーとして公式戦に勝てなかった。

 高校に入ってからは急速に、周囲からの期待が高まっていったし、あの頃が一番純粋に勝利に飢えていた。

 大学時代は単に作業であったが。


 プロよりもむしろ、国際試合の方が、直史のテンションは高かったかもしれない。

 無敗どころか無失点のおとこであるのだから。

 日の丸を背負って戦うということはそれだけのものである。

 そして今、背負っているのは愛する息子の命である。

(天罰がいくら当たろうが、それでも俺は)

 悪魔に魂を売ってでも、このシーズンを過ごす。そして結果を残す。

 親としての義務として。また責任として。




 マウンドに立つ直史から、異様な雰囲気を感じる。

(これは)

 悟にしてから、武者震いを感じるほどのものだ。

 何か特別なものを感じる。

 前回の試合も、ほぼ完全に抑えられてしまったタイタンズ。

 かろうじてヒット一本は打ったが、それだけであとは14奪三振に終わった。

(将来俺は、この人からホームランを打ったことを、子供や孫に自慢することになるんだろうな)

 40歳にして全盛期。

 それと対決する自分も、全盛期の力がまさに湧いてくる。


 熟練の力が、肉体的な衰えを補う。

 それが30代の後半という年齢なのだと、悟は思っていた。

 だがこのピッチャーは、間違いなく今が全盛期だ。

 球速とか変化球とかではなく、ピッチャーとしての純粋な力量。

 人間としての力が、若さの20代、円熟の30代を超えて、悟りの40代に入っているとでも言うべきか。

 悟ってしまうには、40歳というのはちょっと早すぎる気もするが。


 マウンド上の直史は、自分がどう見られているかなど意識していない。

 そんなことを考えるぐらいなら、この厄介なバッターを打ち取ることを、第一に考えなければいけない。

 二番にわざわざ入っているというのは、あるいは大介を意識しているのか。

 ともかくこの第一打席だ。

 先頭打者になる四番よりは、得点につながりにくい、という可能性もあるかもしれない。

 ただこの打順変更は、確かに奇襲ではあったのだ。




 初球のスローカーブは、外に外していた。

 そうやって気をつけていたはずなのに、悟は上手く合わせてきた。

 無理をせずに、ミートだけに集中したスイング。

 それはレフト前に落ち、いきなりパーフェクトとノーヒットノーランを阻止した。

(なるほど、やるな)

 初球狙いは、確かに厄介であるのだ。

 しかしそれを、本当に見事に果たされてしまった。


 初回から魔法が解けてしまった。

 これは今までにない展開である。

 あるいは大介が本気であったら、こういう攻略をしたのかもしれない。

 いや、それでもホームランを狙っていっただろうか。

 直史を真に攻略するということは、正面からの一点突破か、それとも段階を踏んでいくものなのか。

 そんなものは直史自身にさえ分からない。

 ただ、読み合いで勝負するなら、単打を二本試合の中で打たれても、他に打たれなければ問題はない。

 後続を絶てばいい。


 ワンナウト一塁からなら、なんとかアウトカウントを増やさずにランナーを進めたい。

 ただ直史から盗塁するということはとてつもなく難しい。

 そもそも出るランナーが少ないので、母数から成功率を求めるのも難しいのだが。

(走れるかなあ?)

 スローカーブなら球速にプラスして、捕球体勢から投げるのにタイムラグがある。

 20代の頃なら、間違いなく挑戦していっただろうが。


 ここはとりあえず、パーフェクトを序盤で潰してしまったことで満足とすべきであろう。

 そんな欲のないことで大丈夫なのか、という気もするが。

 重要なのはダブルプレイにならないこと。

 そうすれば四打席目が回ってくる可能性が高まる。

 まるでその考えを読んでいたかのように、直史は三振と内野フライで後続を打ち取った。




 何かが起こる気がしたのは、多くの人間であったろう。

 しかし直史は、それ以上何も起こさせなかった。

 悟は一塁にとどまったまま、得点圏に進むことも出来なかった。

 パーフェクトが破れたからといって、次の目標がないわけではない。

 落ち込んでいる余裕などないのだ。


 あっさりとパーフェクトが途切れた後の、それでも集中を切らさないピッチング。

 目標は何段階にも分けておいた方がいい。

 パーフェクトが途切れたならば、次には何をなすべきか。

 それはもちろん完封である。

 チームに勝利をもたらすこと、それがエースの役目である。

(勝ち星は稼いでおかないとな)

 それに点さえ取られなければ、どんどんと防御率は下がっていく。


 パーフェクトが途切れたとしても、それで試合が終わるわけではない。

 人生と同じように、野球だってそうそう都合がよくはいかないのだ。

 野球に関しては充分以上に、直史には都合がよくいっている気がするが。

 それは比較の問題であり、直史はただひたすら、勝てるピッチャーになりたい。

(上杉さんがまだいるし、これからまた新しい才能がどんどんと出てくる)

 ピッチャーとしては、意識する人間もたくさんいる。

 バッターはそれに比べると、打たれることは少ない。


 しかし直史はひたすら、バッターを凡退に打ち取り続けるのだ。

 機械的に、しかし魂を燃やして。

 温度の高すぎる燃焼は、まるで静止しているように見える。

(先取点はなし、か)

 レックスの打線に、今日は緊張感は薄い。

 既にパーフェクトが途切れているため、エラーへのプレッシャーがいつもよりは少ないのだ。

 もっともそういったプレッシャーこそが、選手を育てる要因の一つではあるのだが。




 二回の表、直史は三者凡退で乗り切る。

 タイタンズの打線はリーグでライガースの次の攻撃力を誇る。

 ただライガースと違い、ランナーが出てからの得点効率が高い。

 爆発力はライガースに劣るが、安定感は高いと言っていいだろう。

 だが安定感では、直史には勝てないのだ。

 一瞬の爆発力で点を取るしか、直史に勝つ方法はない。

 まったく、とんだ無理ゲーである。


 野球を裏切ったしっぺ返しは、大介にはそれなりに返っている。

 だが自分には今のところ、その兆候が見えない。

 なんとなく不思議に思いながらも、そもそも前払いだったのかな、と思わないでもない。

 直史はプロ野球の世界に、自ら入り込んだわけではない。

 二度とも子供たちのことが理由で、むしろ直史は野球に呪縛されている。

 だからこうやって、野球の世界に引きずり込まれていることが、そもそもの罰ではないのだろうか。


 ただそれとは別に、今日は味方の打線が点を取ってくれない。

 二回の裏はランナーが出ず、試合が早いペースで進んでいく。

 直史自身は試合のテンポが早いのは、嫌いではない。

 しかしそれは試合の流れをコントロール出来ている場面での話だ。 

 0-0のまま試合が進めば、エラーや一発で試合が決まることがある。

 それは勘弁してほしい。


 三回の表は、一人でもランナーが出れば、悟に回る。

 打順調整でもしておけば良かっただろうか。

 状況次第では、敬遠も視野に入れておいた方がいい。

 たとえば出たランナーが、二塁にまで進んで一塁が空いていた場合。

 ホームランを打たれて2-0にでもなれば、完投だのどうのと言っている場合ではないだろう。

 だが、結局一人もランナーを出さない。




 目の前で打線が途切れた。

 いきなりヒットを打たれて、それでショックを受けるかと、悟でさえ思ったのだ。

 だが動揺などなく、その後はバッターを掌で転がしている。

 ロースコアゲームにしなければ、直史相手に勝ち目はない。

 だがそれにしても、このまま0-0で進むとはさすがに思わない。

(先制点が大事になってきたぞ)

 悟はショートの守備に就く。


 三回の裏も、レックスは出塁はするものの、ランナーは二塁に進むまでが精一杯。

 圧倒的な直史のピッチングとは違うが、こちらも淡々としっかり投げている。

 思えばレックスに勝つためには、直史から打つのと同時に、レックス打線に打たれないことも重要なのだ。

 守備に集中すると、バッティングに割けるリソースが減る。

 しかしタイタンズは、パーフェクトはもう阻止している。

 点を取って、勝ちにいかないといけない。


 四回の表、タイタンズは二打席目の悟。

 ここは出塁することを考えて、相対するのが普通であろう。

 ノーアウトのランナーを出せば、一気に得点の確率は上がる。

 とにかく一点を取らなければ、直史に勝つことは出来ない。

 もっともそれも難しいであろうが。


 直史は一応、ここまで無失点というわけではない。

 一発狙いで打っていった方が、点を取りやすいのだ。

 直史から連打するというのは、本当に現実的ではない。

 あの超強力と言われたミネソタ打線でさえも、直史からまともに連打など出来なかったのだ。

 これは樋口と一緒に、直史が話し合って到達した、試合に勝つための合理的な思考である。

 当たり前のことだが、点を取られなければ、野球の試合に負けはないのであるから。




 一打席目からいきなり打ってきて、直史の第一目標を失わせてくれた。

 ただこれで、久しぶりに真っ当な勝負をしている気分にはなる。

 全ての試合でパーフェクトを狙うなど、そもそも頭のおかしなことなのだ。

 直史のような、頭のおかしな記録を残している者が言っても、あまりにも説得力はないであろうが。

(感謝した方がいいのかな)

 色々な罪悪感で、意外なほどに頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。


 八百長ではないが、プロレスによる罪と罰。

 それが直史を縛っていたし、大介もまたそうなのだろう。

 何か報いがなければおかしい。

 ただそう思うことすらが、傲慢なことであるのだ。

 もちろん最初から、あんなことを考えなければ良かったというのはある。

 しかし誰かが罰などを与えてはくれない。

 自分の罪は自分だけが知っている。

 己の罪悪感からだけは、逃れることが出来ない。大介もそれに気づいてくれればいいのだが。


 ただこれは、伝えて伝わるものでもないだろう。

 自分で気づかなくては意味がない。

 直史は目の前の悟との対決に全力を尽くす。

 それに相応しい相手だ、と認めてもいいだろう。

 MLBにいた頃の、並外れたパワーを持つクレイジーなフィジカルモンスターたち。

 だが悟もまた違うベクトルで、おかしな性能をしている。


 いきなり打たれてしまった直史は、もうここで下手に抑えることはしない。

 自分の力を抑えないのだ。

 全力で投げれば、壊れるかもしれない。

 だから己の技巧の全てを尽くす。

(スルーを使うぞ) 

 そこまでにしっかりと、組み立てていかなければいけないのも確かだ。




 ツーシームを内角に投げられた。

 ボール球から、ぎりぎりゾーンを掠めそうな。

 当たってもおかしくないというボールだが、悟はそれにさえ手を出してきた。

 一塁線を切っていく、とてもヒットにはならない打球が飛んでいった。

 攻撃的なピッチングだ。

 もちろんこれは、ヒットを打たれた報復などではないだろう。


 二球目、高めのストレート。

 わずかに外れたかに見えたが、これも悟は振っていった。

 バックネットに突き刺さるファールとなって、悟は舌打ちをする。

(思ったよりもホップ成分が強かったぞ)

 だが球速表示では145km/hしか出ておらず、直史の今シーズンMAXには全く届かない。

 もっとも体感速度はもっと出ていた。


 ツーナッシングと、一気に追い込まれてしまった。

 ただムービングの後に高めストレートと、速球系で来ている。

(普通なら緩急をつけてくるんだけど、この人の場合は発想が違うからな)

 ここで遅いボール球を投げたら、その次の速球で打ち取ることが出来る。

 普通なら、そう考えるのだ。

(別に舐めてるつもりでもないんだろうけど)

 そして直史が投げたボールは、ピッチトンネルを通ってきた。

(ストレートじゃない!)

 これはスルーだ。そう感じて速球のタイミングで待っていたスイングを始動する。


 ボールが来ない。

 完全なチェンジアップというわけでもなく、だが途中で減速はしている。

 悟は身を投げ出すようにして、倒れこみながらバットをボールに当てる。

 なんとかカットしたかったのだが、バットの先でボールを打ってしまった。

 ピッチャーゴロでワンナウト。

 スルーチェンジである。




 もちろんブルペンでは、充分に練習はしていた。

 だがこのシーズンで使うのは、初めての球種である。

 直史の持っていた、数々の魔球。

 スルー、数種類のカーブ、フラットストレート、高速ツーシーム、高速スライダーといったところに、最後の魔球が復活した。

(ただのバッター相手になら、使う必要もなかったけどな)

 実戦練習としては、これ以上はない相手なのであった。


 悟が三球で抑えられてしまった。

 最初の打席ではぽんとヒットを打たれた相手に、ボール球を使わずに勝負して勝ってしまうのか。

 ベンチに戻っていく悟は、思わず笑ってしまう。

(あとは球速が出れば、本当に完全復活か)

「チェンジアップだけど見分けがつかない」

 後続のバッターに伝えてベンチにどっかり座った悟は、今の対戦をシミュレートする。


 やはり初球で打つべきであった。

 実際に打っていったのだし、あれをヒットにしないといけないのだ。

(体を開くタイミングが、ほんの少し早かった。いや、体重移動でそこはどうにか出来たか?)

 答え合わせのようにも思えるが、やっておかなければいけないことでもある。

 三打席目は必ずやってくる。

 しかし四打席目がやってくるかどうか。

(いっそのこと一番になってたら良かったかもな)

 無茶なようにも思えるかもしれないが、大介はMLBで一番を打っていたシーズンもあるのだ。

 80本オーバーを打った年である。


 追い込まれた時点で、もう圧倒的な不利になっているのは確かであった。

 だからそこまでに勝負をしなければいけなかったのだ。

 高めのストレートも、打てるボールではあった。

 だがあれをしとめられないのが、今の自分と直史との間の差であるのだろうか。

(あと何回、勝負する機会があるんだ?)

 レギュラーシーズンと、そしてクライマックスシリーズ。

 悟の心は折れていない。




 悟の三打席目は、内野フライで終わった。

 一打席目にはヒットを打ったが、全く点につながるバッティングが出来ていない。

 打率三割と言っても、自慢になる働きではない。

 ただここから内野安打が一本出て、四打席目の機会が回ってきた。

 レックスの打線は本日、あまり調子が良くない。

 ここまでわずか一点であるが、1-0で勝利というのは、直史ならば可能なことである。


 味方のピッチャーに対して申し訳ないとも思う。

 だが直史は負ける試合の時は、案外1-0では負けていないという。

 高校一年の夏、高校二年の春、そしてワールドシリーズ最終戦。

 この中でワールドシリーズ最終戦は、さすがに疲労が残りすぎていたのだろうと言われているが。

 直史としては疲労は確かにあるが、そこからなる支配力の低下が、ああいった結果になったのだろうと思っているのだが。


 九回の表ツーアウトランナーなし。

 ホームランが出たら一打同点で、今度はサヨナラのチャンス。

 ただしここまで直史は、相変わらずの省エネピッチング。

 90球も投げておらず、レックスのベンチが動く様子もない。

 それはそうだろう。ここ最近の直史は、クローザーのオースティンよりも奪三振能力さえ上回っているのであるから。


 さすがにここでホームランが打てるほど、現実は都合よくないと思っている悟である。

 だがどうにかもう一本、ヒットを打っておきたい。

 打てないピッチャーではない、という証明をしっかりと他のバッターにも分かってもらわないといけない。

 全てのチームのバッターが、協力して攻略する。

 それぐらいの意識がないと、直史を打つことは出来ない。

 いや、それでもまだ足りないのか。




 今日はヒットを二本打たれている。

 そしてそのうちの一本は、今シーズンホームランを打たれている悟のものだ。

 悟が思うに、ポストシーズンに勝ち進んだとして、直史の投げる試合では勝つことは難しい。

 ペナントレースを制されて、クライマックスシリーズのファイナルステージのアドバンテージを取られてしまった場合、レックスとライガースのどちらが怖いか。

 それはもちろんレックスである。

 直史が二試合に投げれば、あとは一試合引き分ければ、一位通過のチームは日本シリーズに進むことが出来る。

 極端な話、ライガース戦に力をかけるよりも、レックス戦に力をかけた方がいい。

 直史の投げない試合で勝つべきなのだ。


 このカード、レックスは強い三枚のピッチャーを持ってきた。

 もちろん無理な調整ではなく、自然とこういう順番にはなったのだが。

 レックスとタイタンズとの差はそれなりにあるので、重要なのはライガースとの直接対決。

 そこでレックスは三連勝したため、今はトップに立っている。

 極端に言ってしまえば、目の前の試合に集中するしかない。

 だが先を見据えれば、直史は打っておかないといけない。


 今日はチェンジアップを打たされ、伸びるストレートを捉え切れなかった。

 悟としては狙うのは、使う割合の多いカーブ。

 落差も球速もバラバラで、キャッチャーは大変だろうなと思うカーブ。

 ただ一番速いカーブにタイミングを合わせておけば、他のカーブにはなんとかついていける。

 一球もカーブを投げてこなければ、それで終わりとなってしまうのも間違いない。

 ただストレート系だけで勝負するほど、直史は自分を甘く見てはいないとも思うのだ。




 四打席目が回ってきてしまった。

 ここで注意するべきは、当然ながらホームランを打たれること。

 すると試合が振り出しに戻り、後攻とはいえレックスもあまり有利とは言えない。

 直史が打たれて同点になる、というのはそれぐらいの意味はあるのだ。

 不敗神話を崩壊させてはいけない。


 直史が投げたのは、初球からスルー。

 カットボールに変化してしまっても、インローのボールを打つことは難しい。

 このボールは沈むように伸びるので、かなり意識的にアッパースイングをしないと、ボールの弾道が低くなるのだ。

 内野ゴロにでもなってくれれば儲けもの。

 だがこのボールに悟は手を出さず、まずはワンストライク。

 ストライクからストライクへの変化球であるので、普通なら手が出てしまうものである。


 上手く掬い上げれば、これはスタンドに放り込むことが出来る。

 だが悟もまた、かなりレベルスイングに近いスイングをするのだ。

 打たれても単打までなら問題ない。

 パーフェクトが途切れた直史は、そんな考えをしているのだ。

 もちろん同じバッターに一試合で二本もヒットを打たれるのは、かなり珍しいし悔しいことではある。

 だがそういった展開さえも、直史は伏線にする。


 スルーを見逃したが、バットが全く反応していなかった。

 ならば速球系をツーストライクまでは捨てているのか。

(速い球に合わせているなら、遅い球もヒットにする程度には対応出来る、か)

 アウトローストレートを、ほんのわずかに外す。

 まるで自信をもって見逃したようで、そして審判もボールとコールする。

 上手くすればストライクにもなるのだが。

(やっぱり変化球待ちか)

 ならばたっぷりと遅い球を投げよう。

 直史はゆったりとした動作から、力感を感じさせないように、そしてさらにそれ以上に遅い、スローカーブを投げた。




×××



 本日はパラレルの方も投下しています。

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