第60話 神宮のピッチング
甲子園から戻ってきて、神宮でのホームゲームが続く。
しかし最初のフェニックスとのカード、青砥と上谷がそれぞれ、五回まで五失点と最低限の仕事しか出来なかった。
レックスは先発のピッチャーがそれなりの仕事をしなければ、試合に勝つのは難しいチームだ。
そのあたり計算して勝つのはともかく、逆転を狙うのが本当に難しい。
勝ちパターンのリリーフを移動日で一日休ませることが出来たのに、この二日間は出番がなかった。
せめて六回まで投げたら、ビハインド展開でも使えたかもしれないのだが。
そして三戦目は心配していた通り、雨にて延期。
ライガースも連敗があり、またレックスの方が勝率では上回っているが、勝ち星の数は63勝で並んだ。
残り試合数から勝率はレックスの方が上なのだが、また直接対決があれば、一気にひっくり返るような状況である。
そんな中で、直史の18度目の先発が回ってくる。
連敗のストップを、当たり前のように期待されている直史である。
対戦するのは、前のカードでライガースを相手に勝ち越しているタイタンズ。
大介が復調しつつあるライガースと、打ち合いで勝っている。
ただ三戦目では負けているため、勢いは一応止まっている。
それよりも直史が嫌な予感がするのは、タイタンズの打順を見たからである。
四番を打っている悟が、二番に位置している。
これには神宮の観客もざわついたものだ。
ただ悟は元々、三番を打つことが多かったバッターだ。
国際大会では二番を打ったこともあるため、全く経験がないというわけでもない。
しかしタイタンズの首脳陣が、レギュラーシーズンでこういった思い切ったことをしてくるとは。
レックスとライガースが潰しあい、その後にレックスが連敗したことで、確かに三位のタイタンズとの差は縮まっている。
それでも圧倒的に二位と三位の間は大きい。
レックスを叩きにきている。
大介がホームランを打っていないことで、ライガースもやや調子を落としている。
ここから甲子園での試合がしばらくないライガースは、立て直すのに時間がかかるかもしれない。
するとレックスも叩いておけば、ここからの逆転優勝の目もあるということであろうか。
(いや、純粋に勝ちにきてるんだろうな)
ペナントレースの優勝は、この数年はスターズとライガースが多くを持っていっている。
悟が移籍してしばらくは良かったのだが、また主力がMLBに移籍して、その分の穴埋めを出来ていない。
今年はレックスとライガースが全盛期のような輝きを見せているが、それでも戦力的に言えば、昔ほど圧倒的ではない。
レックスの年間勝率75.5%を抜くことは絶対に出来ないであろう。
樋口がいて武史がいて、金原に佐竹、豊田、利根、鴨池に星と、バッテリー陣はまさに史上最強であったかもしれない。
あのチームは樋口が中心であり、直史が抜けた後もレックスは強かった。
しかし樋口が抜けると、途端に弱くなったのも確かだ。
今のレックスは明らかに、直史の伝説がチーム全体を支えている。
その直史が崩れたら、一気にチーム全体の勢いが止まりかねない。
直史としてもそれは分かっているし、この流れはその、勢いが止まるという展開としか思えない。
(俺へのペナルティは、パーフェクト失敗だけで済んでいるのか?)
無神論者のはずの直史であるが、バチが当たる、という感性は持っているのだ。
試合前の調整投球は、しっかりとやっておいた。
ホームゲームであるが随分久しぶりに感じるのは、オールスターを挟んでいるからであろう。
そして前回の対戦相手もタイタンズであった。
しかし神宮球場は満員である。
これもまた、直史の記録がどこまで続くか、それに期待しているのかもしれない。
連続マダックス記録。
そもそも他にそんなことをやっているのが、直史自身しかいない。
日本では直史のやっていた、五試合連続がこれまでの記録であった。
それを前の試合で更新したことになる。
だがアメリカでは、一番長いのが12試合連続というものである。
三年目の、樋口とターナーが故障して、アナハイムではポストシーズンが絶望的になったシーズン。
思えばあのシーズンも最後まで先発ローテで投げていれば、どうなっていたのだろう。
直史のキャリアハイは、翌年のアナハイムに戻った34勝である。
MLB五年間で、フルで先発で投げた四年間は、全て30勝以上を記録。
これは武史も超えられていないというか、30勝に一度も到達していない。
それでもサイ・ヤング賞の獲得数は直史を抜いて、連続記録も通算記録も歴代一位とまでなった。
偉大すぎる兄と、兄以外と比べれば充分に偉大な弟。
大サトーと小サトーという呼び方は、ちょっとおかしなものだが正確かもしれない。
そもそもMLBのキャリア的には、武史は問題なく殿堂入り出来るのだ。
直史の場合はたったの五年で、しかもNPBで復帰したことなどもあり、選出されるのにまた異論があるだろう。
とりあえず今はそんなことは関係なく、目の前の試合である。
悟は初回の表から、いきなりネクストバッターズサークルで待機する自分を、少しおかしく感じていた。
レックスもライガースも、あの直接対決以来、調子を落としている。
大介など、七試合ホームランが出ないだけで、スランプ扱いである。
三試合で三打点を上げているのだが。
(ベテランになればなるほど、不調からの立ち直り方も分かってる)
そしてそれが上手くいかなくなれば、その時こそが引退の時であるのだろう。
悟はまだまだ、自分の現役は続くと確信しているが。
(今日の試合、どうにかならないかな)
直史の調子がどうか、悟は近くから観察していた。
しかし三球で内野ゴロに打ち取って、悟の出番である。
(まったく、なんなんだこの人は)
そう思って立ち上がるが、笑みがこぼれそうになるのは、この対決を楽しんでいるからだ。
楽しそうだな、というのは直史も感じていた。
大介や悟に共通している雰囲気。それは高校時代から変わらない。
野球を楽しんでいるということだ。
(俺はどうなんだ?)
間違いなく、楽しいだけではないのは確かだ。
プレッシャーに強いのは、直史も同じである。
むしろ背中に何かを背負っていないと、直史は投げられないと言ってもいいのかもしれない。
無責任であった中学時代、自分の責任ではないが、一度もピッチャーとして公式戦に勝てなかった。
高校に入ってからは急速に、周囲からの期待が高まっていったし、あの頃が一番純粋に勝利に飢えていた。
大学時代は単に作業であったが。
プロよりもむしろ、国際試合の方が、直史のテンションは高かったかもしれない。
無敗どころか無失点のおとこであるのだから。
日の丸を背負って戦うということはそれだけのものである。
そして今、背負っているのは愛する息子の命である。
(天罰がいくら当たろうが、それでも俺は)
悪魔に魂を売ってでも、このシーズンを過ごす。そして結果を残す。
親としての義務として。また責任として。
マウンドに立つ直史から、異様な雰囲気を感じる。
(これは)
悟にしてから、武者震いを感じるほどのものだ。
何か特別なものを感じる。
前回の試合も、ほぼ完全に抑えられてしまったタイタンズ。
かろうじてヒット一本は打ったが、それだけであとは14奪三振に終わった。
(将来俺は、この人からホームランを打ったことを、子供や孫に自慢することになるんだろうな)
40歳にして全盛期。
それと対決する自分も、全盛期の力がまさに湧いてくる。
熟練の力が、肉体的な衰えを補う。
それが30代の後半という年齢なのだと、悟は思っていた。
だがこのピッチャーは、間違いなく今が全盛期だ。
球速とか変化球とかではなく、ピッチャーとしての純粋な力量。
人間としての力が、若さの20代、円熟の30代を超えて、悟りの40代に入っているとでも言うべきか。
悟ってしまうには、40歳というのはちょっと早すぎる気もするが。
マウンド上の直史は、自分がどう見られているかなど意識していない。
そんなことを考えるぐらいなら、この厄介なバッターを打ち取ることを、第一に考えなければいけない。
二番にわざわざ入っているというのは、あるいは大介を意識しているのか。
ともかくこの第一打席だ。
先頭打者になる四番よりは、得点につながりにくい、という可能性もあるかもしれない。
ただこの打順変更は、確かに奇襲ではあったのだ。
初球のスローカーブは、外に外していた。
そうやって気をつけていたはずなのに、悟は上手く合わせてきた。
無理をせずに、ミートだけに集中したスイング。
それはレフト前に落ち、いきなりパーフェクトとノーヒットノーランを阻止した。
(なるほど、やるな)
初球狙いは、確かに厄介であるのだ。
しかしそれを、本当に見事に果たされてしまった。
初回から魔法が解けてしまった。
これは今までにない展開である。
あるいは大介が本気であったら、こういう攻略をしたのかもしれない。
いや、それでもホームランを狙っていっただろうか。
直史を真に攻略するということは、正面からの一点突破か、それとも段階を踏んでいくものなのか。
そんなものは直史自身にさえ分からない。
ただ、読み合いで勝負するなら、単打を二本試合の中で打たれても、他に打たれなければ問題はない。
後続を絶てばいい。
ワンナウト一塁からなら、なんとかアウトカウントを増やさずにランナーを進めたい。
ただ直史から盗塁するということはとてつもなく難しい。
そもそも出るランナーが少ないので、母数から成功率を求めるのも難しいのだが。
(走れるかなあ?)
スローカーブなら球速にプラスして、捕球体勢から投げるのにタイムラグがある。
20代の頃なら、間違いなく挑戦していっただろうが。
ここはとりあえず、パーフェクトを序盤で潰してしまったことで満足とすべきであろう。
そんな欲のないことで大丈夫なのか、という気もするが。
重要なのはダブルプレイにならないこと。
そうすれば四打席目が回ってくる可能性が高まる。
まるでその考えを読んでいたかのように、直史は三振と内野フライで後続を打ち取った。
何かが起こる気がしたのは、多くの人間であったろう。
しかし直史は、それ以上何も起こさせなかった。
悟は一塁にとどまったまま、得点圏に進むことも出来なかった。
パーフェクトが破れたからといって、次の目標がないわけではない。
落ち込んでいる余裕などないのだ。
あっさりとパーフェクトが途切れた後の、それでも集中を切らさないピッチング。
目標は何段階にも分けておいた方がいい。
パーフェクトが途切れたならば、次には何をなすべきか。
それはもちろん完封である。
チームに勝利をもたらすこと、それがエースの役目である。
(勝ち星は稼いでおかないとな)
それに点さえ取られなければ、どんどんと防御率は下がっていく。
パーフェクトが途切れたとしても、それで試合が終わるわけではない。
人生と同じように、野球だってそうそう都合がよくはいかないのだ。
野球に関しては充分以上に、直史には都合がよくいっている気がするが。
それは比較の問題であり、直史はただひたすら、勝てるピッチャーになりたい。
(上杉さんがまだいるし、これからまた新しい才能がどんどんと出てくる)
ピッチャーとしては、意識する人間もたくさんいる。
バッターはそれに比べると、打たれることは少ない。
しかし直史はひたすら、バッターを凡退に打ち取り続けるのだ。
機械的に、しかし魂を燃やして。
温度の高すぎる燃焼は、まるで静止しているように見える。
(先取点はなし、か)
レックスの打線に、今日は緊張感は薄い。
既にパーフェクトが途切れているため、エラーへのプレッシャーがいつもよりは少ないのだ。
もっともそういったプレッシャーこそが、選手を育てる要因の一つではあるのだが。
二回の表、直史は三者凡退で乗り切る。
タイタンズの打線はリーグでライガースの次の攻撃力を誇る。
ただライガースと違い、ランナーが出てからの得点効率が高い。
爆発力はライガースに劣るが、安定感は高いと言っていいだろう。
だが安定感では、直史には勝てないのだ。
一瞬の爆発力で点を取るしか、直史に勝つ方法はない。
まったく、とんだ無理ゲーである。
野球を裏切ったしっぺ返しは、大介にはそれなりに返っている。
だが自分には今のところ、その兆候が見えない。
なんとなく不思議に思いながらも、そもそも前払いだったのかな、と思わないでもない。
直史はプロ野球の世界に、自ら入り込んだわけではない。
二度とも子供たちのことが理由で、むしろ直史は野球に呪縛されている。
だからこうやって、野球の世界に引きずり込まれていることが、そもそもの罰ではないのだろうか。
ただそれとは別に、今日は味方の打線が点を取ってくれない。
二回の裏はランナーが出ず、試合が早いペースで進んでいく。
直史自身は試合のテンポが早いのは、嫌いではない。
しかしそれは試合の流れをコントロール出来ている場面での話だ。
0-0のまま試合が進めば、エラーや一発で試合が決まることがある。
それは勘弁してほしい。
三回の表は、一人でもランナーが出れば、悟に回る。
打順調整でもしておけば良かっただろうか。
状況次第では、敬遠も視野に入れておいた方がいい。
たとえば出たランナーが、二塁にまで進んで一塁が空いていた場合。
ホームランを打たれて2-0にでもなれば、完投だのどうのと言っている場合ではないだろう。
だが、結局一人もランナーを出さない。
目の前で打線が途切れた。
いきなりヒットを打たれて、それでショックを受けるかと、悟でさえ思ったのだ。
だが動揺などなく、その後はバッターを掌で転がしている。
ロースコアゲームにしなければ、直史相手に勝ち目はない。
だがそれにしても、このまま0-0で進むとはさすがに思わない。
(先制点が大事になってきたぞ)
悟はショートの守備に就く。
三回の裏も、レックスは出塁はするものの、ランナーは二塁に進むまでが精一杯。
圧倒的な直史のピッチングとは違うが、こちらも淡々としっかり投げている。
思えばレックスに勝つためには、直史から打つのと同時に、レックス打線に打たれないことも重要なのだ。
守備に集中すると、バッティングに割けるリソースが減る。
しかしタイタンズは、パーフェクトはもう阻止している。
点を取って、勝ちにいかないといけない。
四回の表、タイタンズは二打席目の悟。
ここは出塁することを考えて、相対するのが普通であろう。
ノーアウトのランナーを出せば、一気に得点の確率は上がる。
とにかく一点を取らなければ、直史に勝つことは出来ない。
もっともそれも難しいであろうが。
直史は一応、ここまで無失点というわけではない。
一発狙いで打っていった方が、点を取りやすいのだ。
直史から連打するというのは、本当に現実的ではない。
あの超強力と言われたミネソタ打線でさえも、直史からまともに連打など出来なかったのだ。
これは樋口と一緒に、直史が話し合って到達した、試合に勝つための合理的な思考である。
当たり前のことだが、点を取られなければ、野球の試合に負けはないのであるから。
一打席目からいきなり打ってきて、直史の第一目標を失わせてくれた。
ただこれで、久しぶりに真っ当な勝負をしている気分にはなる。
全ての試合でパーフェクトを狙うなど、そもそも頭のおかしなことなのだ。
直史のような、頭のおかしな記録を残している者が言っても、あまりにも説得力はないであろうが。
(感謝した方がいいのかな)
色々な罪悪感で、意外なほどに頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
八百長ではないが、プロレスによる罪と罰。
それが直史を縛っていたし、大介もまたそうなのだろう。
何か報いがなければおかしい。
ただそう思うことすらが、傲慢なことであるのだ。
もちろん最初から、あんなことを考えなければ良かったというのはある。
しかし誰かが罰などを与えてはくれない。
自分の罪は自分だけが知っている。
己の罪悪感からだけは、逃れることが出来ない。大介もそれに気づいてくれればいいのだが。
ただこれは、伝えて伝わるものでもないだろう。
自分で気づかなくては意味がない。
直史は目の前の悟との対決に全力を尽くす。
それに相応しい相手だ、と認めてもいいだろう。
MLBにいた頃の、並外れたパワーを持つクレイジーなフィジカルモンスターたち。
だが悟もまた違うベクトルで、おかしな性能をしている。
いきなり打たれてしまった直史は、もうここで下手に抑えることはしない。
自分の力を抑えないのだ。
全力で投げれば、壊れるかもしれない。
だから己の技巧の全てを尽くす。
(スルーを使うぞ)
そこまでにしっかりと、組み立てていかなければいけないのも確かだ。
ツーシームを内角に投げられた。
ボール球から、ぎりぎりゾーンを掠めそうな。
当たってもおかしくないというボールだが、悟はそれにさえ手を出してきた。
一塁線を切っていく、とてもヒットにはならない打球が飛んでいった。
攻撃的なピッチングだ。
もちろんこれは、ヒットを打たれた報復などではないだろう。
二球目、高めのストレート。
わずかに外れたかに見えたが、これも悟は振っていった。
バックネットに突き刺さるファールとなって、悟は舌打ちをする。
(思ったよりもホップ成分が強かったぞ)
だが球速表示では145km/hしか出ておらず、直史の今シーズンMAXには全く届かない。
もっとも体感速度はもっと出ていた。
ツーナッシングと、一気に追い込まれてしまった。
ただムービングの後に高めストレートと、速球系で来ている。
(普通なら緩急をつけてくるんだけど、この人の場合は発想が違うからな)
ここで遅いボール球を投げたら、その次の速球で打ち取ることが出来る。
普通なら、そう考えるのだ。
(別に舐めてるつもりでもないんだろうけど)
そして直史が投げたボールは、ピッチトンネルを通ってきた。
(ストレートじゃない!)
これはスルーだ。そう感じて速球のタイミングで待っていたスイングを始動する。
ボールが来ない。
完全なチェンジアップというわけでもなく、だが途中で減速はしている。
悟は身を投げ出すようにして、倒れこみながらバットをボールに当てる。
なんとかカットしたかったのだが、バットの先でボールを打ってしまった。
ピッチャーゴロでワンナウト。
スルーチェンジである。
もちろんブルペンでは、充分に練習はしていた。
だがこのシーズンで使うのは、初めての球種である。
直史の持っていた、数々の魔球。
スルー、数種類のカーブ、フラットストレート、高速ツーシーム、高速スライダーといったところに、最後の魔球が復活した。
(ただのバッター相手になら、使う必要もなかったけどな)
実戦練習としては、これ以上はない相手なのであった。
悟が三球で抑えられてしまった。
最初の打席ではぽんとヒットを打たれた相手に、ボール球を使わずに勝負して勝ってしまうのか。
ベンチに戻っていく悟は、思わず笑ってしまう。
(あとは球速が出れば、本当に完全復活か)
「チェンジアップだけど見分けがつかない」
後続のバッターに伝えてベンチにどっかり座った悟は、今の対戦をシミュレートする。
やはり初球で打つべきであった。
実際に打っていったのだし、あれをヒットにしないといけないのだ。
(体を開くタイミングが、ほんの少し早かった。いや、体重移動でそこはどうにか出来たか?)
答え合わせのようにも思えるが、やっておかなければいけないことでもある。
三打席目は必ずやってくる。
しかし四打席目がやってくるかどうか。
(いっそのこと一番になってたら良かったかもな)
無茶なようにも思えるかもしれないが、大介はMLBで一番を打っていたシーズンもあるのだ。
80本オーバーを打った年である。
追い込まれた時点で、もう圧倒的な不利になっているのは確かであった。
だからそこまでに勝負をしなければいけなかったのだ。
高めのストレートも、打てるボールではあった。
だがあれをしとめられないのが、今の自分と直史との間の差であるのだろうか。
(あと何回、勝負する機会があるんだ?)
レギュラーシーズンと、そしてクライマックスシリーズ。
悟の心は折れていない。
悟の三打席目は、内野フライで終わった。
一打席目にはヒットを打ったが、全く点につながるバッティングが出来ていない。
打率三割と言っても、自慢になる働きではない。
ただここから内野安打が一本出て、四打席目の機会が回ってきた。
レックスの打線は本日、あまり調子が良くない。
ここまでわずか一点であるが、1-0で勝利というのは、直史ならば可能なことである。
味方のピッチャーに対して申し訳ないとも思う。
だが直史は負ける試合の時は、案外1-0では負けていないという。
高校一年の夏、高校二年の春、そしてワールドシリーズ最終戦。
この中でワールドシリーズ最終戦は、さすがに疲労が残りすぎていたのだろうと言われているが。
直史としては疲労は確かにあるが、そこからなる支配力の低下が、ああいった結果になったのだろうと思っているのだが。
九回の表ツーアウトランナーなし。
ホームランが出たら一打同点で、今度はサヨナラのチャンス。
ただしここまで直史は、相変わらずの省エネピッチング。
90球も投げておらず、レックスのベンチが動く様子もない。
それはそうだろう。ここ最近の直史は、クローザーのオースティンよりも奪三振能力さえ上回っているのであるから。
さすがにここでホームランが打てるほど、現実は都合よくないと思っている悟である。
だがどうにかもう一本、ヒットを打っておきたい。
打てないピッチャーではない、という証明をしっかりと他のバッターにも分かってもらわないといけない。
全てのチームのバッターが、協力して攻略する。
それぐらいの意識がないと、直史を打つことは出来ない。
いや、それでもまだ足りないのか。
今日はヒットを二本打たれている。
そしてそのうちの一本は、今シーズンホームランを打たれている悟のものだ。
悟が思うに、ポストシーズンに勝ち進んだとして、直史の投げる試合では勝つことは難しい。
ペナントレースを制されて、クライマックスシリーズのファイナルステージのアドバンテージを取られてしまった場合、レックスとライガースのどちらが怖いか。
それはもちろんレックスである。
直史が二試合に投げれば、あとは一試合引き分ければ、一位通過のチームは日本シリーズに進むことが出来る。
極端な話、ライガース戦に力をかけるよりも、レックス戦に力をかけた方がいい。
直史の投げない試合で勝つべきなのだ。
このカード、レックスは強い三枚のピッチャーを持ってきた。
もちろん無理な調整ではなく、自然とこういう順番にはなったのだが。
レックスとタイタンズとの差はそれなりにあるので、重要なのはライガースとの直接対決。
そこでレックスは三連勝したため、今はトップに立っている。
極端に言ってしまえば、目の前の試合に集中するしかない。
だが先を見据えれば、直史は打っておかないといけない。
今日はチェンジアップを打たされ、伸びるストレートを捉え切れなかった。
悟としては狙うのは、使う割合の多いカーブ。
落差も球速もバラバラで、キャッチャーは大変だろうなと思うカーブ。
ただ一番速いカーブにタイミングを合わせておけば、他のカーブにはなんとかついていける。
一球もカーブを投げてこなければ、それで終わりとなってしまうのも間違いない。
ただストレート系だけで勝負するほど、直史は自分を甘く見てはいないとも思うのだ。
四打席目が回ってきてしまった。
ここで注意するべきは、当然ながらホームランを打たれること。
すると試合が振り出しに戻り、後攻とはいえレックスもあまり有利とは言えない。
直史が打たれて同点になる、というのはそれぐらいの意味はあるのだ。
不敗神話を崩壊させてはいけない。
直史が投げたのは、初球からスルー。
カットボールに変化してしまっても、インローのボールを打つことは難しい。
このボールは沈むように伸びるので、かなり意識的にアッパースイングをしないと、ボールの弾道が低くなるのだ。
内野ゴロにでもなってくれれば儲けもの。
だがこのボールに悟は手を出さず、まずはワンストライク。
ストライクからストライクへの変化球であるので、普通なら手が出てしまうものである。
上手く掬い上げれば、これはスタンドに放り込むことが出来る。
だが悟もまた、かなりレベルスイングに近いスイングをするのだ。
打たれても単打までなら問題ない。
パーフェクトが途切れた直史は、そんな考えをしているのだ。
もちろん同じバッターに一試合で二本もヒットを打たれるのは、かなり珍しいし悔しいことではある。
だがそういった展開さえも、直史は伏線にする。
スルーを見逃したが、バットが全く反応していなかった。
ならば速球系をツーストライクまでは捨てているのか。
(速い球に合わせているなら、遅い球もヒットにする程度には対応出来る、か)
アウトローストレートを、ほんのわずかに外す。
まるで自信をもって見逃したようで、そして審判もボールとコールする。
上手くすればストライクにもなるのだが。
(やっぱり変化球待ちか)
ならばたっぷりと遅い球を投げよう。
直史はゆったりとした動作から、力感を感じさせないように、そしてさらにそれ以上に遅い、スローカーブを投げた。
×××
本日はパラレルの方も投下しています。
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