第56話 約束の日

 レックスとライガースの14回戦。

 ここでレックスが勝ち越せば、セの首位はついに入れ替わる。

 そしていよいよ、直史と大介の対決が実現する。

 朝から直史は、普段と変わらない様子であった。


 色々と考えてはみたが、結局やるべきことは変わらないのだ。

 心配することは一つ、大介があえて直史を惑わせた、という可能性だろうが、大介はそういった盤外戦術は使わない。

 またこの件に関しては、直史に対してそんなことはしないだろう。

 二人の敵対しながらも存在する信頼関係に、決定的な溝を掘るようなことであるからだ。

 それに直史は、大介がいくら頭で考えていても、体がそれを裏切ってしまうという可能性を考えていた。


 人間として信頼していても、バッターとしての本能がそれを上回るということは充分に考えられる。

 大介はバッターという生き物であるからだ。

 直史もまた、直史という生き物である。

 なので下手な油断などはない、と言い切れたらよかったのだが。

 完璧な人間などいない。

 だからこそ人間は、高みを目指していくのだろう。


 久しぶりの甲子園は、やはり広いと感じた。

 ホームランの出にくいこの球場は、基本的にはピッチャー有利。

 だが直史からすれば、ヒット一本もエラー一つも許されない。

 元々ライガース相手には、パーフェクトなど難しいとは思っていたが。


 試合前のミーティングでも、今日は上手く打たせて取ること、を課題として出されていた。

 ライガースは打撃力と共に走力も高く、そこから得点力も高くなっている。

 レックスに比べると平均で、一点以上も得点力が高い。

 そして失点の平均は、それほどの差がない。

 ただここで言えるのは、ライガースはあまり競った試合がないということもある。

 勝っても負けても、それなりの差がつているのだ。




 ミーティングは首脳陣からして、この試合の重要度を分かっている。

 単純にレギュラーシーズンの一試合というだけではなく、ポストシーズンも見据えた試合になるからだ。

 直史が投げた場合、ライガースでも抑えられるのか。

 それはポストシーズンで対戦した場合、かなり重要な視点となる。

 

 一試合あたりの価値が高くなるポストシーズンは、ピッチャーのシビアな運用が求められる。

 また、ここで勝つことによって、やっと順位が入れ替わる。

 日本シリーズならともかく、クライマックスシリーズのファイナルステージでは、一位のアドバンテージが馬鹿に出来ない。

 直史に二勝してもらって、あとどうにか一勝するのと二勝するのでは、難易度が全く違ってくる。

 素直に言ってしまえば、ペナントレースを制することが出来れば、日本シリーズに進める可能性は残る。

 だが二位でポストシーズン突入であると、ライガース相手に下克上はかなり難しいと思うのが現実的なのだ。


 まだレックスは、50試合以上を残している。

 ものすごいスタートダッシュを切ったライガースだが、五月の勝率はほぼ五割で、そこからさらに調子を上げるというほどの動きはない。

 安定して65%ほどの勝率を誇っているが、その割には失点が多い。

 バッティングのいいチームというのは何かのちょっとした間違いで、一気にその勢いが止まることはある。

 総合的な強さが、プロには求められるのだ。


 ただここで直史が、ライガースに勝つということ。

 それは敵地甲子園であるからこそ、価値があるとも思う。

 直史が最初の奇跡を見せたのは、神宮ではなく甲子園であるので。

 甲子園周辺の人間は、直史に対して複雑な感情を抱いている。




 ミーティングで直史が気にしたのは、ライガースは果たして打順を変えてこないか、ということである。

 一番大介、というのを直史は経験している。MLBだけではなく、準公式戦でもだ。

 今の大介の発言力が、どの程度のものかは分からない。

 しかし本当に勝つためには、それぐらいのことはやってくる。

 もしもそれを自分からやってきたのなら、大介はこの試合に勝つつもりが大きいとも言える。

 もっとも大介が約束したのは、あくまでもパーフェクトが途切れるまで。

 パーフェクトが途切れた瞬間に、真剣勝負が始まる。


 この一番白石大介には、首脳陣も頭を抱えた。

 本当にやってくるかどうかはともかく、やってこられたらどう対応するのか。

 今シーズンの大介は、ホームランの半分以上がソロである。

 ランナーがいる状況ではまず勝負されない。

 なので最初からもう、ホームランだけを狙ってもらうという考えもありかもしれない。


 実際にMLBでは1シーズンそれをやって、だからこそホームラン数も伸びたという事実はある。

「他のバッターの情報は頭に入れてるのか?」

 豊田の質問にも、直史はしっかりと頷いた。

「俺はデータで野球をするからな」

 そのくせ定石をあえて外すことも恐れない。


 他のバッターには、まず打たれないのではないか。

 ライガース打線はリーグナンバー1であるが、対戦する直史もリーグナンバー1のピッチャーだ。

 あとはもう、待球策などを取ってくるのだけを注意すればいい。

 首脳陣の脳をも、直史のピッチングは洗脳してきていた。

 



 ミーティングの後、豊田が一人で直史に話しかけてきた。

「今日はリリーフの準備はいるか?」

 いつだって、直史が投げている試合でも、豊田はその役割を果たしている。

 物事には絶対はないのだから。

 レギュラーシーズンに限って言えば、確かに直史は絶対に負けてない。

 だが途中交代で後ろのピッチャーが、打たれて負けたことは今年もあった。


 今日の試合は、相手が特別だ。

 直史と大介との関係は、全く悪くないものである。なにせ二人は義兄弟でもあるのだ。

 しかし同時に、好敵手と言ってもいい存在でもある。

「試合展開によるかな」

 直史はちゃんとそのあたりを考えている。

「大量点差になったら、後ろに任せるかもしれない」

 もちろんそれは、レックスが勝っていることを前提としているのだろう。

 直史が大量点を取られるなど、豊田には想像も出来ない。


 ライガースも津傘という、勝てるピッチャーを出してきている。

 おそらく終盤になってもロースコアで進むのではないか。

 ただライガースは、ビハインド展開の時のリリーフが弱い。

 勝っている時もそれほど強いわけではないが、それは打線の援護がある。

 レックスの優秀な勝ちパターンのリリーフ相手でも、点差次第では逆転の可能性は充分にある。


 豊田としては確かに、この試合は重要であると思う。

 だが同時に、直史を故障で失いでもしたら、シーズンは終わるとも思っている。

 運よく他のピッチャーでAクラス入りまではしても、日本シリーズには進めない。

 ペナントレースをライガースに制されれば、クライマックスシリーズの下克上は不可能、という認識は共通している。




 試合の前に直史は、甲子園をひとしきり散歩する。

(ここで俺が狂信的なライガースファンにいきなり刺されたりしたら、アメリカのニューシネマみたいだな)

 こうやって馬鹿な想像をしておくことで、フラグを折っておくのだ。

 ニューシネマに対する偏見がひどい。


 甲子園は当然のように、一番記憶にある古い頃からは変わっている。

 もっともその頃の直史は、気軽に中を歩くような立場ではなかったが。

 直史がかろうじて、自分が子供でいられたのは、高校生までであった。

 もちろん意識としてはもっと前から、一人の人間としては自我は独立していた。

 しかし後先を考えず、全力で投げたのは高校時代が最後だ、という自己認識がある。

 客観的に見れば、全国制覇のためにしっかり、力を温存するような登板を自ら考えていたが。


 ライガースの練習が始まると、直史はさりげなくグラウンドに入っていった。

 さすがにさりげなくもクソもないだろうが、内野ノックを見ていれば、大介が軽快にボールを捌いていた。

 この年齢でショートをやっているというのが、まさに脅威である。

 レックスの緒方も今年の途中まではショートをやっていたが、あちらは38歳。

 そして明らかに、瞬発力には衰えが見えていた。

 

 現役選手ではなく、そのコーチ陣の方にこそ見慣れた顔がある。

 真田などはコーチもやっていたらしいが、そこで少しだけ働いて、今ではアマチュアの指導などをしていると聞く。

 大介が言うには西郷なども、なんであと二年早く復帰しなかったのか、などと文句を言っていたそうな。

 引退直前の西郷では、直史の相手にはならなかったと思うが。




 レジェンドというのは顔パスのようなものだが、それでも時と場所による。

 あまり中には踏み込まず待っていれば、自分の練習を終えた大介が、ちょいちょいと手招きをしている。

 自チームのレジェンドと言うか、日本のレジェンド二人が揃っていれば、もう誰にも止められない。

 キャリアの長さで直史に優る者はいるかもしれないが、上杉でさえ直史相手に上から目線では接しない。

 元々上杉が、高圧的な人間ではないということもあるが。

 上杉は自然体でカリスマなのだ。


 シーズン開幕前はロートル扱いされていた二人が、完全に投打の極みとして君臨している。

 さすがにもう通用しない、と直史の方は確かに言われていたが、大介の方もMLBの形式に慣れすぎて、NPBには上手く適応できないという意見もあったのだ。

 節穴、と恥を晒すだけであった。

 ただ直史に関してはブランクがあったので、プロはそんなに甘くはない、という意見に賛同する者も少なくはなかった。

 やはり節穴であるが、どのみち直史はそんな見方をする者は気にしていない。


 二人はグラウンドの片隅で、少し話し合うことにした。

「昨日の話だが、本当にいいんだな?」

「気になって眠れなかったか?」

「いや、考えてみればやることは同じだしな」

 普通に眠っただけである。

 ただ試合に負けても死ぬわけではなし、という気分では投げられない。

 直史は間違いなく、精神的には過去のどのシーズンより疲弊している。


 負けたら死ぬのだ。

 勝利を積み重ねて、栄光を手にしなければいけない。

 バッターのように次の打席で頑張る、と切り替えるわけにもいかない。

「ゴロを打って味方がエラーしたら、それは許せよ」

「ああ」

 誰にも聞こえてないと分かっていても、小声になる二人である。

 これは墓の中まで持っていく秘密にしなければいけない。

 



 二人は戦友であり、好敵手であり、義兄弟である。

 そして今回、新しい呼び名を手に入れた。

 共犯者だ。

 八百長と言うにはどちらかが不当な利益を受けるわけではない。

 それにこれは情状酌量の余地がある、などと充分に判断されるかもしれない。

 もちろんそれは、背景までも全て説明をする必要があるが。


 直史はもちろん、そんなことは説明しない。

 息子に自分の罪を負わせるわけにはいかない。

「他には誰か?」

「いや」

 大介はツインズたちにも言わない。

 だがあの二人なら、ひょっとしたら気づくかもしれない。

 直史は瑞希には伝えようかな、と思っていた。

 だがそれは30年後ぐらい経過して、明史もこういった事情を背負えるだけになっていたらの話であるが。


 綺麗ごとだけではない、ということを後世に伝えることを考えているわけではない。

 ただ事実を伝えることは、必要だろうと考えている。

 当事者全員が死んでしまったあとなら、後はそれを知っている最後の人間に任せる。 

 直史自身は光だけではない影の部分まで、世界には必要だと思うのだ。

 事実が明らかでないと、それは判断出来ない。


 ただこれは、名誉を傷つけるものだ。

 自分はどうでもいいが、大介はどうなのか。

 わざと負けて、その時点で大介は一度評価される。

 この事実で大介の評価が改まるのか、それともさらにバッシングされるのか。 

 そのあたりの判断をするのは、自分ではなく世界だと直史は思う。


 手術が成功したとすれば、最後の当事者は明史になるだろう。

 年齢的な順番で言えば、それは間違いがない。

 まだ子供である明史に、今は伝えることは適当ではない。

 だが事実の裏を何も知らないというのは、人間にはよくないことであると思うのだ。




「固いなあ」

 大介は苦笑する。野球に対して真摯であるはずの彼が、この件に関しては融通を利かせているのは不思議だ。率直に言えば不正であるのに。

 ただ直史には、違和感があったのも確かだ。

「打たないとか言っておいて打つ、という作戦かなとも思った」

「どのみち本当に手抜きのピッチングなんて出来ないだろ?」

 それはそうである。


 プロレスはショーではあるが、真剣なショーでもある。

 二人の対戦というものに、どれだけの価値があるのかは周囲が決める。

 だが当事者二人だけが、理解しているものもあるのだ。

 後から暴露されても、それが嘘だと思われるような対決をしてみせる。

 楽しませることが出来れば、それはそれでありである。

 もちろん本当の真剣勝負だからこそ、観衆を魅了するというのもあるだろう。

 ノンフィクションであるからだ。


 二人のやろうとしていることは、つまりフィクションだ。

 俳優でもなく、これまでそんな気の抜いたことをしたこともない二人が、上手くそんなことが出来るのか。

 直史は自分は出来ると思っている。

 要するにいつもやっていることをやるだけだからだ。

 しかし大介には難しいと思う。気質的なこともあるだろうが、そもそも手を抜くということが苦手な大介だ。

 あるいはこの一試合だけで、何かが根本的に来るってしまうかもしれない。

 大介の安定感は、直史に比べれば低いのだから。


 それら全てを含めた上で、大介は提案したのだ。

 何も言わずに自分一人で手を抜けば良かっただろうに、それはおそらく出来ないのが大介なのだろう。

「まあ形は違っても全力だぜ」

 大介はそう言って、手を差し出す。

 それを握り返す二人の間に、やましいものを感じる者はいないだろう。




 【対決実現】 新生! 佐藤直史総合スレ part243 【神VS神】


106 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 いよいよだぜ

 俺はやるぜ 俺はやるぜ


107 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 全裸待機完了 

 あと二時間か


108 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 試合始まったら実況板行けよ


109 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 あそこ進み速すぎるからなあ


110 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 ツブヤイターのトレンドが既にwww


111 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 人気アニメの神回のノリだな


112 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 ここでパーフェクト達成とかなったらサーバーがやばいかもしれんw


113 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 今ってサーバーなんか? 不具合は起こるかもしれんが


114 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 佐藤直史の不敗神話が終わるやもしれぬ


115 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 一応最後に公式戦での負けはMLBの二年目以来になるのか


116 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 負けるかあ? 負けねーだろ


117 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 どやろなあ

 点は取られるかもしれんけど負けはしないと思うが


118 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 白石さえ避ければ打てるバッターおらんやろ


119 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 そもそも白石との対決で勝負避けたことってあるっけ?


120 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 公式戦ではないんじゃね?

 紅白戦までは知らんけど

 それこそ高校時代とか


121 名前:代打名無し@実況は野球ch板で

 原則論としてピッチャーの勝つ確率の方が、バッターの勝つ確率より高いし




 まだ西の空が明るい時間に、試合は始まる。

 大満員の甲子園球場。

 今年は早々に座席を増設したのだが、それでもチケットを取るのは難しい。

 まして今日は相手が直史である。

 いまだに無敗のピッチャーが、ついに甲子園でライガースと対戦する。

 これには高校野球ファンのおっさんも爺さんも、足を運ばずにはいられない。

 チケットはどのみち取れないのだが。


 高校野球というのは、短期決戦であるがゆえにピッチャーが主役のところがある。

 昨今は体力的問題や球数制限から、二人以上のピッチャーを用意するのが当然となっていて、たった一人のエースで勝つというのは、上杉まで遡らなければいけない。

 その上杉も最後の夏には、弟の正也にかなりの部分を任せた。

 三年の春までの上杉が、最後の絶対的エースと言えるであろう。


 しかしその後も、絶対的なエースとして君臨した存在はいる。

 武史と真田の対決なども、二番手以降のいいピッチャーは揃っていたが、二人の対決という面はあった。

 だがその真田を相手に、夏を投げた直史の存在は、おそらく一番鮮烈である。

 実質パーフェクトであった、15回引き分け。

 前年も準決勝、自分では一人もランナーを出さなかったのだ。


 上杉が悲劇的な伝説であるとしたら、直史はハッピーエンドの伝説と言えるのであろうか。

 最後の一年を、一度も負けずに国体まで全国大会を全て勝利したというのは、過去を見ても片手で数えられるほどしか存在しない。

 上杉が全力の美学、敗者への判官贔屓としたら、直史はそれに対して勝利の栄光を手にしている。

 そんな直史が、やっと甲子園で投げるのだ。

 高校野球とプロ野球は、ファン層が違う。

 だがそれをある程度まとめてしまったのが、上杉であり大介であり、そして直史が最後のピースと言える。

 たったの二年のNPB生活でも、直史の残した伝説は多い。




 ライガースの先発津傘は、二番手とも言えるピッチャーであり、ここまで16先発7勝3敗。

 悪いピッチャーではないが、直史の15勝と比べると見劣りがする。

 例年であれば下手をしなくても、15勝で沢村賞を取ることも珍しくはない。

 少なくとも上杉の登場以前は、それぐらいで取れていたのだ。

 上杉の二年目以降は、20勝が必要になっていたが。


 上杉は15勝以上したシーズンが19シーズン。

 それで沢村賞を取ったのが15回なので、勝ち星の数だけではもう、ピッチャーを評価するのは難しい。

 だが直史は圧倒的に完投数が多く、また奪三振も比例して多い。

 防御率が1を切るどころの騒ぎではないのは、もう冗談としか思えない。

 40歳のピッチャーがこんなことをして、まだ壊れる様子を見せない。

 それどころかシーズンが進むごとに調子を上げてきている。


 直史というピッチャーがいかに非常識であるかは、MLBでの活躍を知っている者でさえ、ここまでとは思わなかっただろう。

 NPB時代よりもむしろ、MLBに行ってからの方が成績がいいというのは、ブランクからNPBの二年間で回復したといったところか。

 あるいは単純に、20代の半ばでまだ成長期であったのか。

 どちらにしろ、今の直史が与える衝撃は大きい。


 プロという世界は当然ながら、誰にとっても厳しいもののはずだ。

 大介にしても奇跡の成績を残しているが、打率はせいぜいが四割なのだ。

 甲子園では八割を打っていたのだから、プロのレベルにおいてはさすがに、周囲のレベルが高くなっている。

 それでもポストシーズンでは数字は上がっているのだが。

 直史は負けていない。

 そのたった一つの事実だけで、プロの興行としてはおかしい、と誰もが思わなくてはいけない。




 七月の甲子園は熱い。

 もうすぐここで、高校野球が始まるのだ。

 おおよその三年生にとっては、最後の対決の舞台となる。

 ほとんどの高校生は、夢にでもわずかに、甲子園を描いたことであろう。

 ライガースに入ればそれが、当然のように試合を行うことになる。


 雨天延期などにもよるが、直史が今年は甲子園で投げるのは、レギュラーシーズンでは今日が最後になるかもしれない。

 クライマックスシリーズでライガースサイドで試合を行えば、おそらく日本シリーズに勝ち進むのは無理になる。

 もっとも直史としては、チームとしてどこまで勝ち進めるかは、どうでもいいとまで思っているが。


 一回の表、レックスの攻撃。

 そろそろ先頭打者としても認められてきた左右田がバッターボックスに入る。

 社会人出身の二人は、下位指名ながら一年目から早速、即戦力となってくれた。

 もっとも社会人出身であれば、即戦力になってもらわなくては困るのだが。


 津傘は今年、既にレックス戦で投げているが、左右田はまだその時期は一軍のスタメンに定着していなかった。

 ここで果たして出塁してくれるかどうか。

 直史はパーフェクトを一応は狙っているが、それよりも重要なのが勝つことだと思っている。

 自分の投げた試合では、もう負けさせることはない。

 相手が上杉でもないのだから。

 その傲慢さを誰かが聞いても、自信過剰だとは思わなかっただろう。




 いよいよ試合が始まった。

 あるいはこれが、甲子園で直史と対決する、最後の機会になるのかもしれない。

 ショートを守りながら大介は、そんなことを考えている。

 おそらく直史は、沢村賞を取るだろう。

 本人はまだ分からない、などということを言っているが、これで直史以外のピッチャーを選んだりすると、50年ぶりにまた選出方法が変わるかもしれない。


 80%ぐらいの力を使って、残りのシーズンを投げる。

 一度ぐらいは何かの間違いで負けるかもしれないが、二番手の位置にいる上杉も、既に負けはついている。

 そしてノーヒットノーランなど、今年は直史が三回もやっている。

 沢村賞の選考事項にはないと言っても、完璧な先発完投型のピッチャーでないと、ノーヒットノーランなどは出来ない。

 上杉でさえもう、この年齢になると完投の数は多くないのだ。


 個人的にはもちろん大介は、直史と勝負したい。

 沢村賞を取ってしまえば、もう直史がプロの世界にいる理由などはなくなってしまうからだ。

 今年の直史がかなり、無茶な生活をしているというのは、大介にも分かっている。

 隠れたブレーン的な存在でもある瑞希も、子供たちのために今は離れて暮らしている。


 ただ、直史の方にはセイバーがついている。

 大介もそれは知らされていた。

 メトロズのオーナーであった彼女は、大介が退団する前にその権利を全て売却していた。

 今年のメトロズは大介がいた頃の、若手の育成が微妙な状態が祟っていて、ポストシーズンの進出が危険視されている。

 当然ながら球団の価値も下がるわけだ。


 彼女は直史と大介の両方に好意的だが、強いて言うなら直史のほうを優先する。

 そうでもしないと直史が、野球の世界から平気で離れていってしまうからだが。

 大介としてはツインズの支援がある時点で、ほぼ互角かとも思うが。

(俺は、あの人には認めてもらいたいみたいだよな)

 セイバーのことは、ずっとそう思っている。

 もちろんこれは恋愛感情に関するものではない。




 そのセイバーもまた、この試合を見ていた。

 相変わらずのVIPルームで。

 ただ彼女からすれば、甲子園での一番のVIPルームと言えるのは、ベンチの中であろうなとも思う。

 実際にそこに座った経験のある、セイバーならではの意見である。

 あそこはとことん暑く、そして熱かった。


 彼女は前夜、直史が大介と会ったところまでも把握している。

 ただそれ以上は知らない。むしろ直史が面倒に巻き込まれないように、とこっそりと対処をしていた側だ。

 あの二人の間には、男と男の間でしか分からない、何かが存在するのだ。

 男と女は違う生き物だな、と感じるセイバーである。

 しかし相互理解が不可能なわけでもない。


 この試合はもちろん、直史の方を応援しているセイバーだ。

 だが同時にどちらが勝ったとしても、それを楽しむことは出来るであろう。

 直史の事情を知っていれば、さすがに応援するのはそちらとなる。

 それでも二人の超人っぷりは、彼女がその時間を使って鑑賞するだけの価値はある。


 若い頃は自分が時間あたりで、どれだけの利益を生み出せるのかが楽しかった。

 だがマネーゲームには勝てるので飽きてしまった。

 そしてMLBという、計算どおりにはなかなかいかない世界を知ってしまった。

 ただそんな偶然性の高い野球という舞台で、直史と大介は異質の活躍をしている。

 この二人以上の異常さを持つプレイヤーは、そうそう出てこないと思う。




 空前絶後。

 これ以前にこれはなく、これ以降もこれはなし。

 セイバーが今、可能性を感じている才能の中で、一番巨大なのは大介の息子である昇馬と、イリヤの残した娘である花音だ。

 ただ花音の才能はまた、特別に歪なものであるとは思うが。

 イリヤが生きていたら、どういう親子になっていたのであろう。

 あるいはツインズが、そして恵美理がそれを託されたのは、賢明であったのかもしれない。


 上杉は全盛期を過ぎ、今は最後の輝きを見せている。

 そして直史もおそらく、今年で目的は達成するだろう。

 大介があと何年、現役を続けられるか。

 海の向こうのMLBでは、まだ武史が頑張っている。

 だが武史も、全盛期を過ぎたというのは同じだ。


 時代が違えば、まさに武史は最強のピッチャーであったろう。

 NPBで100勝、MLBで200勝、日米通算で去年までに382勝。

 上杉の出した記録を、実は抜いてしまう可能性があるのである。

 実際にレックスが優勝できたのは、樋口だけでは足りず、武史も加入してからのことである。


 この20年間ほどの間は、まさに野球にとっての黄金時代であったろう。

 失墜していた人気が回復するどころか、大きく上昇した。

 国際大会への出場国も増え、そこに超一流選手がちゃんと出場した。

 アメリカと日本が二強として、それぞれのエリアの代表のように高々と存在していた。

 それが終わって次に、何がやってくるのか。

 巨大な再建の時期には、それはまたそれに相応しい仕事が出現する。

 セイバーは今度は、それに手を出すのかもしれない。

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