第53話 最強にして最高の打者

 ツーストライクツーボールで、カウント的には追い込まれた。

 だがおそらく上杉とすれば、今のスプリットを打たせるのが目的だったのだ。

 その前のチェンジアップとの速度差で、スプリットをストレートと思わせる。

 あれをスイングしていたら、おそらく強烈な内野ゴロか、バウンドして内野の頭を越えていくかのどちらかであったろう。

 それはそれでヒットで大介の出塁となるのだが、試合全体を見た場合ここで一点差まで追いつかなければ、ライガースの勝ち目は消えると思った方がいい。


 いや、勝利自体はもう消えていると思った方がいい。

 ここにあるのはあと一球、バッターとピッチャーの対決だけだ。

 今年あと何度スターズとの対戦があり、その中で上杉との対決があるか。

 人生は長い、と言う人がいる。

 大介も若い頃は、時間が無限に残っているようにも感じていた。

 あの頃から直史は、人生を逆算して考えているようなところがあったが。


 しかし今、大介の人間としての人生はともかく、野球選手としてのキャリアは間違いなく、あと数年というところまできている。

 普通の人間からすれば、いや、プロの選ばれた世界でさえ、この年齢でまだほぼ全盛期というのは、限られた人数しかいないだろう。

 ハンク・アーロンはMLBで23年を過ごし、42歳のシーズンで引退した。

 王貞治は22年のキャリアで40歳で引退した。

 もっとも王貞治の場合は、その最終年で打率はともかく、まだホームランは30本打っていたのだが。


 通算打率が三割を切る前に、というのが目途であったと言われる。

 すると大介の場合は、おそらくまだまだ数年は引退の話は出てこないだろう。

 明らかに駄目になるのは、まず目だと言われるが。

(俺のキャリアの最初から、あんたの背中があった)

 その上杉は、明らかに他のバッターに対する時とは別の力で、大介に対してくれている。

 おそらくはその選手生命を削りながら。




 一球、ボール球を投げることは出来る。

 チェンジアップかスプリット、あるいはボール球のカーブなどを投げてから、ストレートで勝負するという選択もあるだろう。

 だが予感がする。

(来るな)

 上杉のストレートが来る。

 なんだかんだと小技を使うのは、最後には全力で投げるため。

 それが上杉というピッチャーだ。


 上杉の動きはゆったりとしている。

 獲物に襲い掛かる虎の動きが、その直前まではゆったりとしているように。

 とても静かに、甲子園のマウンドで上杉の足が上がる。

 何度も対決していながら、それでもこれが最初の一回だと思えるような。

 投げられたストレートに、大介はコンタクトした。


 手に伝わる痺れ。

 それはミスショットを示すものであったが、パワーはスピンに変わって、ボールは高く舞い上がった。

 とてつもなく高く、それこそドームの球場であれば、天井に当たってそれぞれのルールで処理されるように。

 だがここは、屋根のない甲子園という舞台。

 滞空時間の長いフライは、それなりに風に流された。

 だがセンターが少し横に移動して、これをキャッチ。

 スリーアウトでチェンジである。


 あと何回、こういった勝負が出来るのか。

 己の命の燃焼とさえ言える、圧倒的な魂の輝き。

 事実上、ここでこの試合は終了していた。




 大介が打てなかったところから、ライガースのピッチャーも気が抜けてしまったようであった。

 それを大介の責任にするのには、少し無理があるだろうが。

 スターズに追加点がぽんぽんと入って、上杉は七回でお役御免。

 大介との四打席目の対決はならなかった。

 この日は三打数の一安打で、点につながる長打を打ち、盗塁も決めている。

 客観的に見れば大介の勝ちとも言えるであろうが、チームを勝たせた上杉の勝ちと見てもおかしくはない。


 ただ試合におけるパフォーマンスという意味では、第四打席の大介が、一矢報いるかのようなホームランをライトスタンドに叩き込んだ。

 これで四打数二安打となり。一般的な基準からすれば、充分すぎるほどの活躍。

 それでも試合に勝てないのなら、やはりそれは完全な勝利とは言えない。


 実際のところその意味ではやはり、一試合だけに限って言うなら、ピッチャーの方が試合を左右する役割となるだろう。

 大介のような野手は、試合に出続けることに意味がある。

 またスターズのリリーフ陣からホームランを打ったことで、この時点での大介の七月の打撃成績は、またとんでもないことになっていた。

 長打率がとりあえず10割である。

 あるいはまた、打率が四割に到達することもあるのか。


 現時点では0.390を超えているので、まだまだ可能性はある。

 ただフォアボールをもっと選んで、確実に打てるボールだけを打っていくなら、もっとさらに打率は上がるのだ。

 史上最強のスラッガーが、同時に最高の打率を叩き出すバッターでもある。

 これは大介としては、むしろ両立するからこそ可能なことだ、と思っている。

 ただ大介は、バッティングに関しては他の誰とも、競争したという意識はない。

 ホームランを打ちながらも、試合は5-2で決着した。




 大介以外はまともに打てない試合であった。

 上杉から交代後も、大介以外はヒットとフォアボール一つのみと、ライガース打線の厚みが勢い頼みであることを示すような、そんな試合であったと言っていい。

 レギュラーシーズンの中でも、このようにチーム全体がスランプになることはあるのだろうか。

 あったとしてもそこは、大介の爆発力が解決してくれると思う。

 しかしポストシーズンの戦いは違う。

 ポストシーズンこそ、ピッチャーの力が重要になるのだ。


 大介は直史との勝負のために、日本に戻ってきた。

 もちろん自分のキャリアが、もうさほど長くはないだろうという、当たり前の予感もあったが。

 直史との対決こそが主目的であるが、それだけが全てでもない。

 チームが優勝するには、果たしてどうすればいいか。

 それはレギュラーシーズンの優勝と、日本一までは密接につながっていると思っている。


 クライマックスシリーズは、ペナントレースを優勝したチームにアドバンテージがある。

 ライガースは一位通過すれば、勝ち上がってくるのが上杉のスターズでも、直史のレックスでも、そのアドバンテージを活用出来るのだ。

 直史と対戦した、たった一度のクライマックスシリーズ。

 あの時は直史と武史の二人に、三勝されたためライガースは敗北した。

 しかしアドバンテージがなければ、そういった形では負けていなかったはずだ。


 直史が投げて三勝しても、他の試合を勝てばいい。

 それでライガースは、日本シリーズに進出することが出来る。

 今のレックスには、武史はもちろん、金原や佐竹と比べても、三島やオーガスには物足りないものを感じる。

 またリリーフ陣も、あの頃の鉄壁のリリーフ陣ほどの絶対的なものは感じない。


 ペナントレースを制すれば、大介が直史に負けても、ライガースはレックスに勝つ。

 負けるつもりなどはないが、チームとして勝つためにはそれが確実な方法だ。

 今の直史は、さすがに昔ほどの耐久力は、もう持っていない。

 いささかならず情けない話だが、それが大介の、チームに対する貢献である。




 MLBで大介が直史に勝った試合も、同じような戦略であった。

 つまり直史以外のピッチャーから勝って、直史を削る。

 そして万全の状態でない直史を、マウンドに引きずり出す。

 なんとも負け犬の思考かもしれないが、逆に言えば直史のプロ一年目は、レックスにそのアドバンテージがあったのだ。

 ライガースはその前にスターズと対戦して、ピッチャーが消耗していた。

 今度はそれが逆の立場となる。


 さすがの直史も、クライマックスシリーズをファーストステージから投げれば、ファイナルステージで投げられるのは二試合までだろう。

 そういった常識をことごとく覆してきた直史であるが、さすがに今は年齢的な肉体限界が以前よりも感じられる。

 昔であればなかった小さな故障もあったし、完投の数も少し減っている。

 ……ただ、どんどん調子を上げてきているのが、恐ろしいと言えば恐ろしいが。


 直史の最大の武器は、技術、精神、勝利への優先度のつけ方など、様々にある。

 ただ大介から見れば、その柔軟性というかバリエーションの幅が、とんでもないことが恐ろしい。

 状況に応じて、状態に応じて、スタイルを変えてくる。

 そしてどんどんと成長していく。


 高校時代、その成長度合いを、驚異的だと見ていたのは大介だった。

 同じくプロに行った岩崎なども、もちろん三年間で素晴らしい成長を見せている。

 だが直史に比較すると、成長という言葉で素直に頷ける。

 直史はもう成長ではなく進化、あるいは変態とでも呼ぶべき変化を遂げている。

 そしてブランクがあってプロ入りしてからも、毎年のようになんらかの強化がされていった。


 大介が一番打てないと思ったのは、MLBの二年目であろうか。

 だが逆に、その二年目に唯一、大介は直史から試合で勝利している。

 しかしあれは削りまくって、そして勘に頼った勝利である。

 互角の条件で対決し、勝ったとは言えない。




 大介の成績は落ちてきている。

 それでもまだ史上最高レベルであるのだが、自分自身がどう思うかは別である。

 近年の大介は、むしろ試合の勘所で打つことを意識している。

 今年は楽しみな対決が多すぎて、それが麻痺してしまっているが。

 そもそもポストシーズンに入れば、敵も本気になってくるのに対して、大介の成績はさらに上昇するのだ。


 直史のピッチングも、同じようなものだ。

 いや、レギュラーシーズンからポストシーズンまで、直史は変わっていないか。

 とにかく一点もやらないことを、最重視しているのが直史。

 それに対して普通のピッチャーは、ある程度は妥協したピッチングをしている。

 クオリティスタートなどという言葉は、言い訳ではあるが現実的な落としどころだ。

 それを完全に無視するあたり、直史はやはり違う。


 上杉との勝負は、確かにチームとして負けている。

 大介もまた、点を取る機会は作ったが、確実な勝利とは言えない。

 だがプロであるということは、結果を出し続けていくということ。

 もはや限られた回数しかない対決を、一つ一つ大切にする。

 思えばそのあたりの意識が、直史とは違うのかもしれない。




 スターズとの残り二試合は、一勝一敗に終わった。

 上杉の制圧され二戦目も、ライガースの打線の調子は戻らなかったのだ。

 だがこの第二戦は、大介がホームランを二本も打っている。

 このあたりでライガース打線は奮起することを決意したらしい。

 大介のMLB移籍後も、ライガースはおおよそAクラスであることが多かったし、優勝も経験している。

 しかし今年ほどの派手な活躍はしていない。

 

 またライガースは七月に入ってから、相手の得点を少なく抑える試合も出来ている。

 完全な殴り合いで勝つという、派手な試合ではなくなった。

 しかしチームとしての安定感は、やはり失点が少ない方がいい。

 それでいて得点力は落ちたわけではない。

 二桁得点もしていて、明らかにセ・リーグのチームの中では一番の得点力を誇っている。

 その得点力は、主に打撃力によっている。


 派手に打っていくスタイルは、確かにプロ野球の興行としては正しい。

 だが手堅い手段で一点を取っていくというのは、ポストシーズンでの戦い方だ。

 ポストシーズンから本気出す、というのはよく大介の打撃について言われることだ。

 NPB時代もMLB時代も、一つの打席の価値が高くなればなるほど、大介の打撃はその精彩さを増す。

 お祭り男の面目躍如と言えよう。




 ともあれ、これでオールスター前の試合は全て終わった。

 今年は日程が変則的で、オールスターが七月の下旬にある。

 この時点でライガースは、トップを走っている。

 だがレックスとの差は全くなくなっていた。

 消化した試合の数が違うので、単純な比較は出来ない。

 しかしライガースが62勝32敗、レックスが60勝31敗。

 勝率ではライガースが上回っているが、これはレックスが一勝すればひっくり返る数字である。


 ライガースがスターズ相手に負け越したのに対し、レックスはカップスを相手に三連勝。

 これは大介がカップスの主力を故障させてしまったということもあるだろうが、レックスの先発が強いところにきて、三試合連続でクオリティスタートを成功させたということもあるだろう。

 オールスターに出ない直史は、八日間の休みがここに入る。

 もちろん練習はチームとしてはあるのだが、直史は自主錬をする。

 ある程度は迫水と一緒に座学も行う予定であるが。


 大介の成績は、この時点でやはり人間離れしている。

 打率0.394 出塁率0.595 長打率0.970 OPS1.565

 打点108 ホームラン44 盗塁36

 とにかくソロホームランの数が多すぎる。ランナーが二人以上いてのホームランが二つしかないというのがおかしすぎる。


 なお比較的注目されることではないが、フォアボールはヒットの数よりもはるかに多い160個。ほぼ半分が敬遠である。

 ヒットの数は119本で、これでどうして打点がそこまで伸びるのかが、本当に訳が分からない。

 大介のNPBでのフォアボール最多は移籍前の最終年で179個だったのだが、MLBではこれをはるかに上回る数で逃げられている。

 確かに試合数はMLBの方が多いのだが、それでも移籍後二年目の311個というのは不滅の大記録であろう。




 直史も直史で、大介のことを化物だと思いつつも、自分自身もそれに匹敵する数字を残している。

 16登板16先発15勝0敗。12完投10完封。135.1イニングの159奪三振。まだ一つも負け星がない。

 そして防御率は0.13のWHIPが0.21というもの。

 奪三振率も10を超えてきて、段々と日本時代の全盛期に近づいてくる。

 ただこれでも往年の輝きを知っている人間からすると、完投数が少ないな、と思えてしまうものらしい。


 ただ直史の記録は、数字よりも恐ろしいものが他にある。

 既に今年三度のノーヒットノーランを記録し、完封した試合全てがマダックスで、ノーヒットノーランは同時にマダックスを達成している。

 そして81球未満で完封するサトーも一試合あるのだ。

 これだけ完投数が多いのに、球数自体は五回や六回で降りる先発と変わらない。

 もはや投げれば勝つというレベルである。


 ハーラーダービーの二番手は、今季復活の兆しを見せる上杉だが、それでもまだ10勝と直史とは差がある。

 それに上杉は、完投数で圧倒的に直史には負けている。

 ある程度打たせて取るピッチングにもなっているので、奪三振も上回ることがない。

 もはやこの時点で沢村賞は決まってもいいのではとも思えるが、問題はイニング数とそれに伴う登板数である。

 奪三振にしても、ほんの少し物足りない。

 もっともこれは、まだ二か月分が丸々残っている段階なのだが。


 プロ入り後の直史は、まず五試合連続でマダックスを達成している。

 年間で13回の達成と、この時点で既にありえない。

 ただこの回数は、プロの水に慣れるとどんどん増えていって、MLBの二年目が27回のサトーを含むマダックスを達成している。

 最も完璧に近く、最も究極に近いピッチャー。

 この呼び名に相応しい成績を、今年もまた残している。

 残していない年はなかった、と言った方が正解かもしれない。




 直史はこの年、おそらくは高校最後の夏以来の、本当の本気で野球に取り組んでいる。

 大学時代の単純な仕事としてでもなく、一度目のプロ入り後の義務としてでもなく、己の命を本当に削ってでも、この年は投げぬかないといけない。

 それでいて途中で壊れてはいけない、という条件もある。

 全てを最初から最後まで、完全にコントロールしつくす。

 もちろんさすがに、それは不可能であった。


 軽度のものであるが故障もし、一試合に二つもフォアボールのランナーを出した。

 思ったようなボールを投げられないが、だからといって投げないわけにはいかない。

 四肢を縛るのは、別に呪いであるとかプレッシャーでもない。

 単純に肉体的な衰えだ。

 筋肉の瞬発力なども、確かに衰えはある。

 だが元々の持っていた最高球速に、シーズンが進むほどに近づいていってはいる。

 球速だけを求めてはいけないと分かってもいる。


 自分自身を高めていくことと同じぐらいか、それ以上に大切なのが対戦相手の分析である。

 MLBに比べればNPBは、同じリーグのチームと対戦する機会が圧倒的に多い。

 年間に25試合が普通であり、MLBの場合は同じリーグの同じ地区チームとが19試合で、これもまた変化していくと言われていた。

 NPBと違ってMLBは、興行収入を増やすためには色々と、変化することを恐れない。

 そのくせ伝統に対するこだわりも強いのだが。

 

 直史は大介の分析をしている。

 他にも確かに、警戒すべきバッターはいる。

 だが一番警戒し、そして回避すべきバッターであるのだ。

 己の全てを出し尽くしても、まだ届かないかもしれない。

 それが大介なのである。




 大介の今季の成績を並べてみる。

 四月 打率0.389 出塁率0.599 長打率0.895

 五月 打率0.390 出塁率0.595 長打率0.870

 六月 打率0.392 出塁率0.591 長打率1.122

 七月 打率0.411 出塁率0.607 長打率1.035


 ヒットやホームランの数は、試合数が違うので考慮しない。

 これにMLBの指標であるWARなどを計算したものも、セイバーに頼んで提出しってもらっている。

 四月は安定しているが、五月に長打率がやや下がった。

 しかし六月は出塁率が減って打率と長打率が上がっている。

 訳が分からないよ。


 意外と言ってはなんだが、大介はNPB時代は長打率が1を超えたシーズンは移籍前の1シーズンしかない。

 MLB移籍後は、五年目がキャリアハイの1.081となっていて、それ以前もずっと1を超えている。

 この数年は1を下回っていたが、それは当たり前のことであるのだ。

 一番大介に迫っていた時のブリアンでさえも、長打率が0.9を超えたことはないのだから。


 こんな怪物を、よくもまあ自分はある程度抑えているものだ、と直史は感心してしまう。

 だがホームランさえ打たれなければ、あとはどうにか出来る。

 かつて高校時代、紅白戦をやった時の要領だ。

 あの時は敬遠を一試合に何度までと決められていたが、今はそんな制限はない。

 そして敬遠をしなくても、ホームランでさえなければいい。

 前の打者を打さないことと、後ろの打者に打たれないこと。

 それぐらいならば今の直史でも、運が悪くない限りはどうにかなる。




 レジェンドというのは普通、継続的な活躍が必要とされる。

 基本的にMLBは10年以上活躍していなければ、殿堂入りは果たされない。

 ただ直史の場合は、その実績があまりにも隔絶しているがゆえに、選ばざるをえないというのが正直なところだが。

 実は武史の方がよほど、その殿堂入りは文句なしと言われていたりする。サイ・ヤング賞の史上最多受賞という実績と10年以上の実働実績がある。

 ただ過去の例外を見れば、九年間の活躍で突然死した人物がいるので、例外を作れないわけではないのだ。

 

 直史は野球においてそういった栄誉を与えられることに、常に違和感を抱いていた。

 ただ自分のやっていることの、客観的な評価は分かっていた。

 長年の活躍によってその人気に寄与したというのも、一つの選び方ではあるのだろう。

 しかし自分と大介の、ワールドシリーズにおける四度の頂上決戦は、間違いなくスポーツのトレンドを独占していた。

 ファンの若年人口を増やしたということなども、大きな貢献ではあるだろう。

 また直史としては嫌なことだが、アジア系の活躍というのも変に評価されてはいると思う。


 アメリカという社会において生きるにおいて、直史はずっと異邦人であるという意識があった。

 いや、自分があまりにも日本人的であったというべきか。

 大介との勝負がこの日本で行われるということについては、直史は満足している。

 もっとも今の直史には、それを楽しむ余裕はないが。

(今のレックスがライガースと当たった場合、それはクライマックスシリーズのファイナルステージになる可能性が高い)

 そしてそこで勝つために必要なこと。

(ペナントレースで優勝しないと、おそらく日本シリーズには進めない)

 直史もまた、大介と同じことを考えていた。




 直史はこの時期、ブレーンとしてセイバーが傍にいた。

 彼女もまた東京にはいたが、オフィスとしても使うマンションを持っていたため、そことの連絡はネットにおいてなされている。

 セイバーが自分に味方してくれているのは、それだけ大介の方にも味方がいるからである。

 実妹がブレーンとして機能しているのだが、桜は主に千葉にいる。

 そしてレックスの情報をこちらはこちらで分析しているのだ。


 あの二人が大介についているのだから、こちらは自分がいないと不公平だろう、とセイバーなどは思っている。

 もっともツインズからすれば、セイバーがいるのならさらにそこから人のつながりが出てくるので、直史の方が有利になるだろう、とも言える。

 お互いの人脈と言うか、そもそも人生を費やして生きてきた全てが、この一年の対決に結実している。

 ただ大介と違い直史は、自分よりも大切な何かのために、命もそれ以外の全ても賭けるだけの覚悟をしている。


 レックスはオールスター終了後の直後のライガース戦に、直史を出すことを決定している。

 ピッチャーの部門では一位となって選ばれるはずの直史であるが、オールスター欠場についてはずっと前から言っている。

 こういうことをするから、古いプロ野球関係者からは嫌われるのである。

 もっとも共にプレイした選手からは、そのプロのピッチャーとしての姿勢に批判的なことを言われたことはない。


 対決は7月29日の金曜日。

 ただこの試合、直史は負けさえしなければいいと考えている。

 具体的には、自分に負けにつかなければいい。

 ライガースは日程的に、おそらくオールスターにも出る畑ではなく、二番手の津傘を先発させてくると、かなり前の段階から予想している。

 津傘の力量からして、おそらく一点は取れる。

 あとは大介にどう対処するかだ。




「敬遠も一つの選択ではありますね」

「甲子園が舞台なので、一打席目が問題ですね」

 トレーナーとは別の、もっと長期的な戦略を視野に、直史はセイバーと話し合う。

「下手な敬遠をするとファンが暴動を起こしかねませんね」

「まさか……でもないかしら?」

 大介は今シーズン、もう申告敬遠を80回もされている。

 だから普通のピッチャーなら、それをしても文句はない。


 ただランナーがいなかったり、試合の序盤であったりすると、さすがにそれは観客から顰蹙を買う。

 特に舞台が甲子園球場である場合、野球においては世界で一番ライガースファンが、何を起こすか分からない。

 これがサッカーなどであるなら、もっと過激なフーリガンはいるのだが。

 ……南米の試合であると普通に死者が出る。


 直史にはとりあえず、大介との対決になど興味はない。

 最終的な目的を考えれば、まずパーフェクトは大介相手に狙うのは可能性が低い。

 すると沢村賞やシーズンMVPに関わることだけを、考えていけばいい。

 大介を一打席ぐらい敬遠する、あるいは歩かせることについて、変なこだわりはない。

 己の力への信頼や、変なプライドなどよりも重要なことがある。


 セイバーとしても単純にデータだけを見れば、大介は敬遠してしまえばいい。

 OPS上はそれでも勝負した方が得点の期待値というのは下がるのだが、そもそもホームランというのは大きなデータの偏りであるのだ。

 試合に勝つということを、最優先に考えているのが直史である。

 一回の表にレックスが点を取ってくれなければ、大介との第一打席は避ける。

 明確な方針が決定した。




 直史が大介との対決を、明確に避けると決めたのは、一応は初めてのことである。

 これまでは単打ならOKであるとか、ホームランさえ打たれなければいい、というのが対決における方針であった。

 だが直史は勝利の先にある、自分に必要な称号にしか興味がない。

 そして試合にさえ勝てるなら、その後は勝負してもいいのだ。


 大介を相手に、正面から対決して勝てるとは思っていないし、またホームランを確実に避ける方法もまだない。

 高速スライダーやスルー、そしてスルーチェンジまでが復活しているなら、少しは勝負の可能性もあっただろうか。

 だが今の自分は、まだ力を取り戻してはいない。

 その判断だけは間違えない直史である。


 あるいは無理をすれば、抑えることが出来るかもしれない。

 だがここから直史が、沢村賞を逃す唯一の可能性は、故障による離脱である。

 それだけは許容できない直史としては、まだしも敗北の方を選ぶ。

 しかし大介との直接対決は、シーズンMVPにつながる可能性はかなり高い。

 それを思うと安易な敬遠の連発も出来ない。


 元々ピッチャーはバッターに対して、七割の確率では勝てるのだ。

 その中でも、ホームランを打たれる可能性はさらに低い。

 そして直史は、ピッチャーの中でも特殊な存在だ。

 確率的な問題であるなら、むしろ勝負した方がいいのだ、とセイバーはデータ上はそう判断する。

 しかし勝負をしないという選択肢が、ピッチャーには許されている。

 その権利を行使しないというのは、それもまたピッチャーの判断によるものだろう。

 直史は勝負を避けることを恐れない。

 無駄なプライドなどは、どこにも持っていないのだ。

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