第52話 猛獣
大介は今季、まだ24回しか三振をしていなかった。
七月に限って言えば、まだ一回だけ。
その二回目が、この上杉とのものとなった。
「スプリットだけどフォームが違うんで、見極めは出来る」
しかし157km/hでのスプリットか。
上杉の球速上限を思えば、さらに速いスプリットも投げられるのではないだろうか。
スプリットと大介は言っているし間違いではないのだが、上杉としてはフォークを投げている意識である。
だからこそ大きな落差があって、空振りを取ることが出来る。
「スプリットと言うよりはフォークの意識なんだろうな」
ライガースベンチ内では、そんなことが話されていた。
過去に上杉がスプリットなりフォークなりを試したことは、ほんの数回は記録されている。
だがメインの武器としなかったのは、それが必要なかったからだ。
打たせて取るならムービング系が既にあるし、落ちて緩急が取れる高速チェンジアップもあるのだ。
だがスプリットを、使えないわけではなかったらしい。
腕の振りで見極めることも出来るだろうが、大介以外にそれが可能かどうか。
打てないだろう、とそう思わせるものがあった。
「今まで使ってこなかったんだから、使わなかった理由はあるはずだ」
この数年の上杉の成績を見れば、普通に使えるなら使うべきであったはずだ。
それを大介との勝負のためだけに解禁したのか。
おそらくは肘に負担がかかるのだ。
あの腕の振りはおそらく、肘に負担をかけて、無理やりボールを抜かせているのではなかろうか。
(コースも甘かったし、俺だけに使ってくるのか?)
それは自惚れではないだろう。
大介は完全に他のバッターとは違うと判断している。
史上最強のバッター相手には、使える手段は全て使っていく。
むしろ直史的な思考であろう。
初回と二回、試合は動かなかった。
だが三回の表、わずかに意外ではあるが注意すべき場所から、スターズは先制。
先頭打者を出した後、ラストバッター上杉によるツーランホームランで、まず均衡が崩れた。
「これがあるんだよなあ」
ショートの位置で大介は、上杉がガッツポーズもせずにベースランをするのを見ていた。
プロ入り初年、ピッチャーでいながら三割の打率と、7本のホームランを打った上杉。
専業のピッチャーでいながら、通算記録は二位をトリプルスコアで離しての100本以上のホームランをそのキャリアで打っているのだ。
二刀流だの、肩を壊したときはバッティング転向だの、そんなことも言われていた。
近年は打っていなかったので油断したのかもしれないが、パワーは衰えていなかったというわけだ。
ピッチャーにとってピッチャーに打たれるというのは、大きなショックではある。
ただ畑はそこは上手く切り替えられたらしい。
彼ぐらいの年齢であると、上杉の非常識さを子供の頃からテレビで見ていたはずである。
ともあれこれで、スコアは2-0となった。
今年の上杉の防御率は2を超えているが、それでも負け試合がほとんどない。
それは試合が決まるところまでは、しっかりと投げているからだ。
今日の試合は、二点ではまだ後ろに任せるわけにはいかない。
三回の裏まで、上杉はまだ内野安打一つを許したのみ。
相手のバットをへし折ったボールで、その破片が内野の判断を一瞬遅らせたというものである。
八番から始まるライガース打線を、しっかりと三人で終わらせる。
大介の前にランナーを置かないというのは、対決する上で常識的な注意点だ。
ネクストバッターズサークルから立ち上がった大介は、悠々とベンチに戻る上杉の姿を見つめる。
(42歳でまだホームランが打てるピッチャーって、笑える)
パワーだけは失っていないので、ある程度は分からなくもない。
この二年は打率も二割を下回っているはずだ。
しかしこの点だけは、はるかに直史よりも上である。
上杉の通算打率は確か、0.25に少し届かない程度。
数年前の時点では、歴代一位だったはずだ。
それにしても甲子園の観客は、本当に上杉のことが好きらしい。
相手チームのバッターのホームランに拍手が起こるというのは。
(高校時代は悲劇の名投手で、プロ入り後は実質一年目からチームの中心、故障からの復帰で日本人の好みどストライクなんだよな)
大介との対決は、弁慶と牛若丸、などと呼ばれたこともある。
四回の表、スターズはさらに畑から一点を追加する。
畑の調子が悪いわけではないが、上杉が打ったことが、スターズ全体を乗せてしまっている。
この試合は負け試合だ、という雰囲気が漂い始めた。
チームのベンチだけではなく、スタンドのライガースファンまでもが、これは負けても仕方がないな、と納得してしまっている。
仕方がない、と言えなくもない。
直史と違って上杉は、可愛げがあって頼りがいのあるピッチャーだ。
このあたりライガースファンというのは、なんとも感情的であると言える。
しかし大介はまだ、それに納得していない。
もう一度ひっくり返すことは出来る。
それが出来るとしたら、自分だけであるということを、ごく自然に大介は認識していた。
四回の裏、先頭打者の大介。
試合の展開とはまた別に、甲子園球場が盛り上がる。
既に三点も取られていて、上杉が投げるスターズが相手となれば、ライガースもおそらくは勝てないと分かっている。
だがそれとこれとは別の問題として、大介と上杉の対決は、娯楽の一環として超一級品である。
上杉も内野安打とはいえヒットを打たれているので、ノーヒットノーランの期待などはない。
ただここまで、三振でのアウトの他に、バット破壊を二度行っている。
左バッターに対してはカットボール、右バッターにとってはツーシームが、バットの根元を狙ったものとなるので、へし折りやすいものとなる。
奪三振以上に、バット破壊は上杉の十八番となってきている気がしないでもない。
大介のバットは、重くて丈夫だ。
それでも折ってくるのだから、ミートポイントはしっかりと捉えないといけない。
特注で20本作ってもらったバットは、高校三年生から使っているものだ。
正確には木材を乾燥させるため、当初は他のバットを使っていたのだが。
物干し竿、などと呼ばれたこともある。
普通のバットよりも、およそ10cmほども長いバット。
腕がそれほど長くない大介は、外角を打つためにこのバットを作った。
外角の広いMLBにおいては、このバットが大変に役に立った。
大介の体格で、この重くて長いバットを使うために、実は太さは少し細めになっていて、長距離砲用のバットにはなっている。
単純に重くて長いわけではないし、その後も何度か微調整はしている。
必殺の武器を手に、バッターボックスに入る大介。
やはり上杉は面白い。
負けることもあるし、勝つこともある。
ただ以前は、大介が打たなければ必ず負けていた。
しかし今の上杉の成績は、かつてほどのものではない。
この二年間は10勝どまりで、それでも年齢を考えれば充分に、勝ち越しているだけでもすごいのだ。
だが今年は15勝ほどはしそうなペースである。
少し休みを入れているのに、それだけの数字を出してきている。
人間としての基本性能がおかしいのは、やはり確かである。
(カットボールを使ってきたら、それは打てる)
膝元に入ってきて、バットの根元を狙ってくるボール。
内野ゴロを打たせるはずのボールだが、根元で打つとバットが折れることが多い。
しかし大介のバットの強度なら、普通は折れないはずなのだ。
上杉相手に常識的に考えてはいけない。
衰えたなどと言われたピッチャーが、160km/h台後半を出してくるのだ。
普段は抑えて投げていて、肝心な時にだけは全力を出す。
長いシーズンを戦う上では、確かに重要なことだろう。
まずは初球、何を投げてくるか。
強い踏み込みから投げられた、ストレートは高め。
大介はバットをトップの位置で止めたまま、それを見送った。
ミスショットを狙った高めに浮いた球。
大介なら逆に手を出してくることも可能だとでも思ったのだろうか。
(まずはカウントがこちら有利)
上杉は果たして、カウントが悪くなったら歩かせてくるだろうか。
二球目、今度のボールはアウトローへ。
逃げていくツーシームと見たが、それでも大介はスイングしにいった。
バットのヘッド近くで打って、三塁側ベンチの上に直撃する。
スターズベンチの選手に被害が出るところであった。
当たれば間違いなく怪我人が出るだろう。
なんとももどかしい。
もっと本能のままに、打てそうなボールを全て打っていきたい。
(ナオとの勝負じゃ味わえないんだよな)
あちらも結局は本能に従うのが、正解であったりはするが。
読み合いからの勝負となるので、どうしても雑念が入る。
三球目、上杉が投げたのはスプリット。
低いと思って手を出さなかったが、思ったよりも落ちなかった。
球速表示は160km/hが出ているので、つまりこれは握りこむのを浅くしたというものだろうか。
(浅い握りと深い握りで変化を調整しているのか)
日本流に解釈するなら、スプリットフィンガーファストボールとフォークの違いとでも言うのだろうか。
スプリットとフォークの投げるフォームには違いは見られなかった。
あるいはもう少し経験すれば、分かるのかもしれないが。
ともあれこれで追い込まれたのは確かだ。
そしてここまで、遅いボールは使っていない。
(一応カーブも使ってはいたみたいだけど)
高速チェンジアップの、本当の速球との速度差が怖い。
先頭打者なのだから、長打ではなくとも仕方がない。
大介は常に一撃必殺の戦闘体制ではないのだ。
ただここでヒットを一本打って、果たして次につながるのか。
それを考えるとやはり、アウトになってでも外野までは飛ばした方がいいような気がする。
速いボールがくることを前提にトップを作り、そこから速度差に対応する。
最速のストレートをこの打席では投げていないのが、対応しきれるかどうか微妙なところである。
そう考えていたところに、高めへのストレート。
166km/hのストレートはバットの上にかすかに接触し、バックネットに突き刺さる。
少なくとも振り遅れてはいない。
速球が来ることを前提にタイミングは取っておく。
ムービング系であればカットして、チェンジアップもカットする。
最高の力の乗ったボールを待つ。
それが打てたなら、少しは試合の行方が変わるかもしれない。
(まあホームラン打たれたところで、何か変わるような人でもないか)
そのあたりの不動の精神は、上杉の方が直史よりも上回るところだろう。
直史の場合は八つ当たりにその後を蹂躙してしまうので、まだまだ人間としての器に違いがある。
速いボールばかりを投げている。
明らかに手抜きと分かるカーブを、上杉は今シーズン投げている。
滅多に使わないが、それだけに逆にある程度は効果があったりする。
カーブと言うよりは単に遅い球なのだが、あれを打つ方法はもう分かっている。
おそらく上杉も、大介相手には使ってこない。
投げられるのはおそらく、スプリットか高速チェンジアップのどちらか。
そして先ほどはスプリットを使っているので、今度は高速チェンジアップか。
(速いタイミングで待って、そこからどう粘っていけるか)
そう思っていたところに投げられたのは、スローボール。
カーブなどと言っているが、これは山なりのスローボールだ。
ベースの手前に落ちたので、さすがに振ることもない。
これでおそらくは、緩急をつけるつもりなのだろう。
速い球だな、と大介は結論付けた。
そう思わせておいて、スプリットなどを投げてくる可能性もあるが。
上杉がパワーだけではなく技巧を含めた駆け引きをしなければいけなくなったというのは、ある意味では悲しいことではある。
往年の圧倒的なピッチングは、さすがにもう見られない。
だが手段を選ばなければ、これもまた打てないピッチャーになってくる。
大介に対して投げてきたのは、速いボール。
縫い目が見えないので、フォークではない。
しかしこのスピードは。
(スプリット!)
沈むボールに対して、大介はスイングの軌道を修正する。
打ったボールはセカンドの頭上を越えて、ライトの守備範囲内に。
しかし反応可能な速度ではなく、グラブの先を通り過ぎていった。
やっとまともなヒットらしいヒットが出て、大介は二塁まで進む。
打球の勢いが強いと、フェンスに当たってもすぐに跳ね返ってくることがある。
これがなければ三塁まで行けただろう。
今季の大介はスリーベースが比較的多いが、それは打球にかかったスピンによってボールが、フェンス際を転がっていくことがあるからだ。
今回はそうはいかず、二塁でストップ。
ただ、これでノーアウトのランナーが出た。
試合には負けるかもしれないが、自分は負けたくない。
大介はエゴイスティックになっている。そしてそれはプロのトッププレイヤーとして、こんな状況では正しい。
クイックが得意でない上杉から、初球で三塁盗塁。
これで転がしてくれれば、ホームに突入できるという状況になった。
大介はいまだに年間で30個以上の盗塁を決めているが、足の速さもさることながら、判断力に優れている。
その盗塁成功率は、キャリアを通じて90%近くに達していて、MLB時代には100個以上の盗塁を決めながら、失敗率は10%以下という年もあった。
40歳の今も、そのトップスピード自体は、それほど落ちてはいない。
三塁ベースからは、上杉の様子がよく見える。
いっそのこと、ここでスクイズなどという手段もあるだろうか。
ただそれで一点を返しても、その先が見えてこない。
上杉が途中で交代するなら、点差を縮めておく意味はあるだろう。
だが今日の上杉の球数は少ない。
完投ペースで投げている上杉から、勝ちをもぎ取るのは難しい。
この数年は年間で5敗前後はしているのだが、今季の上杉は復活している。
直史がいなければカムバック賞を受賞してもいいぐらいだ。
昨年二桁勝っている先発が、カムバック扱いされるのはなんだが。
だがここでしっかりと仕事をするぐらいは、ライガースの主軸も力を持っている。
バットを破壊されながらも、内野ゴロを打つ。
これをスターズ野手陣は、無理をせずにファーストでアウトを取った。
一点は返したものの、ランナーがいなくなる。
これでライガースの反撃の芽は、一度途切れてしまった。
軽く投げていっても、上杉からランナーを出すことは至難の業。
さらにここで一点を取ったことで、打順としては大介の三打席目はツーアウトから回ってくる可能性が高くなる。
今の上杉のWHIPは0.5を切っているので、どこかでランナーが出て、大介の前に塁が埋まっているというのが一番望ましい状況ではある。
しかしそんな甘い話はなく、次のイニングもライガースは三人で終わった。
スターズによる追加点はないが、ライガースは先発の畑を無理に引っ張ることはなく、五回でもう交代させた。
球数もそれほどいっていないが、これは休みを一日減らしてでも、どこかで投げさせたいということでもないだろう。
普段ならその意図があるのだろうが、オールスターで四日間の空白がある。
一応は畑もそれに選ばれている、というのもある。
やはり試合の流れは変えられない。
大介にホームランが出ていれば、まだ話は少し違ったのかもしれないが、上杉ならそれでも揺るがなかったであろう。
ライガース首脳陣としても、今年のライガースは打線が爆発しなければ、試合に勝てないチームだと分かっている。
しかしそのスタイルで、ファンの熱狂は大きなものとなっているのも確かだ。
野球は点の取り合いである。
その概念に真っ向から反逆しているピッチャーが一人いるが、基本的にはそうなのである。
その打撃力を抑えられてしまえば、負けるのがどちらかは分かる。
上杉のピッチャーとしての能力は、間違いなく落ちてはいる。
だが調子がいい時には、これぐらいのことはしてくれるのだ。
観客から見てももう、この試合の注目点は、おそらく大介と上杉の対決に絞られてきているだろう。
上杉が最後まで投げたとして、あと二打席。
二人の対決がどうなるのか。
大介の場合は様々な打撃の記録も更新されている。
MLBの分も通算で出しているのであまり意味はないが、一応大介のNPBのみでのホームラン記録は、まだ600本を超えたぐらいであるのだ。
日米通算記録では、もうすぐ1500本に到達する。
通算で1000本に到達したときも騒がれたものだが、あれからずっとトップに立ち続けて1500本。
もはや対抗するには宇宙人でも連れてくるしかないだろう。
1000本の記念の時はアメリカにおいてであったが、1500本が日本であるとなると、また色々と話題にはなる。
そもそも生涯の安打数が、1500本に到達しないプロの方がはるかに多いことを考えれば、ヒットの三割ほどがホームランになっている大介の存在の異常さが分かる。
あまり点差がつきすぎると、上杉がリリーフに継投することも考えられる。
オールスター前の最後の登板であるので、少しぐらいは無理をするかもしれないが、上杉は元々チームファーストの選手だ。
若い頃は己が無茶をすることが、そのままチームの勝利につながっていた。
しかし今は、己のコンディションを調整し、勝つべき試合に勝つことがスターズの成績につながる。
ここ数年もほぼAクラスにスターズがいるのは、間違いなく上杉の存在が大きい。
あと一打席かな、と思いつつ大介は守備に就く。
期待しすぎるのと、妄想するのはいけない。
スターズの中心は首脳陣ではなく上杉であることは間違いないが、その上杉は己のエゴを優先させたりはしないだろう。
大介がことごとく自分のために野球をしているのとは違う。
スターズのバッターの打球を捌き、追加点は許さず。
試合は中盤も過ぎていく。
六回の裏、ここで何もしなくても、大介には打席が回ってくる。
3-1というスコアの今、一点差に出来れば上杉の続投は考えられる。
特に大介の四打席目をどうやって封じるのか、を考えた場合は上杉以外にその役目を託すのは難しいであろう。
ランナーが一人出れば、ホームランで追いつける。
先頭打者に代打を出したライガースであるが、結局は出塁には結びつかず。
ツーアウトランナーなしという状況で、大介に打席が回ってきたのであった。
結局、ここまでたったのヒット二本。
それもまともなヒットは大介が打ったものだけという、まさに上杉に封じられた形の本日のライガース。
上杉は全盛期の輝きを取り戻している、とライガースベンチでは囁かれている。
だがそれは間違っている。
「全盛期はこんなもんじゃなかっただろ」
偉そうなことはあまり言えないとは思いつつも、この年齢での二歳差は大きいな、と大介は考えている。
上杉はおそらく、今年か来年ぐらいで引退するだろう。
それは数字的な予想ではなく、純粋に直感的なものである。
上杉はもう、ピッチャーとしてやれることは全てやりつくした。
エースとして無敗でシーズンを過ごし、クローザーとしてチームを優勝させた。
そして日本一を経験させ、スターズの黄金時代を作り出した。
その後に大介がプロ入りしてからの数年は、まさにライガースとスターズの二強時代であり、日本シリーズも福岡が一度勝っただけで、直史がMLBに移籍するまでずっと、セ・リーグの日本一が続いていたのだ。
上杉が故障した翌年とさらにその次の年も、スターズはリーグで最下位に沈んだ。
しかし復帰したその年には二位となり、翌年は二位からクライマックスシリーズで逆転し、また日本一となっている。
直史の存在が目立つが、実際には上杉、大介、樋口と武史、という順番でセ・リーグは大きく戦力が変化してきていた。
直史はわずか二年しか、NPBにはいなかったのだから。
デビューから七年連続の沢村賞であり、こんなピッチャーは二度と出てこない。
武史でさえキャリアが重なったときは、上杉が怪我をした時しか、沢村賞は取れていないのだ。
上杉と直史の対決が、そのお互いの全盛期において一年しかなかったというのは、この二人を比較した場合、ちょっともったいないものであったろう。
この上杉をまず倒し、そして本丸を狙っていく。
(この打席はホームランしかいらない)
大介は一発を狙っている。
一打席目は上杉の勝利、二打席目は大介の勝利と言えるであろう。
するとバッターとピッチャーの優位を考えれば、ここは上杉が大介を抑えなければいけない。
(簡単なものではないな)
肩を一度、本来なら再起不能レベルで故障した上杉。
最先端医療により、どうにか復帰するレベルにまでは治癒した。
しかしその時、同じチームに少しだけなった大介が、自分に見せた視線。
二人の間には、明らかなライバル関係があった。
チームとして見た場合は大介の方が勝っていると言えるだろう。
だがチーム事情なども含めれば、ほぼ互角であったと言える。
そう、そしてそこに樋口がレックスに入り、武史が入ったことによって、セ・リーグは完全に三国志の歴史に入った。
この三チームでAクラス独占というのが、五年間も続いたのだ。
それが終わったのは、直史がプロ入りしたことによる。
そして上杉がメトロズで、大介とチームメイトになったあの短期間。
それは確かに短い間であったが、確実に大介はもう、上杉のことを脅威とは見ていなかった。
もしもまだライバルだと思っているなら、それこそ上杉が日本で完全復活したと言われていた時にでも、直史は引退したのに合わせて戻ってきてもおかしくはなかっただろう。
だがその時点では、契約などもあったのだろうが、大介はMLBを選んだ。
それを屈辱だとは思わなかった。
ただ悲しみがあった。
まだずっと、上杉は日本最強の投手ではあった。
しかしアメリカには、世界最強の日本人投手としては、直史が引退した後も武史が存在していたのだ。
もっとも彼は大介にとっては、ピッチャーの能力とは全く別の点で、ライバルとは言えないものであったようだが。
大介が戻ってきたのは、間違いなく直史と戦うためにだ。
去年も結局、MLBで三冠王を取っているこの男は、五年もブランクがあり、一度は故障で引退した直史を、ライバルとして認めている。
(だがその前に、引導を渡せるものなら渡してみろ)
マウンドの上から上杉は、大介に対して挑戦する。
初球、どういったボールが来るのか。
大介は考えつつも、本能に従う。
試合の流れだとか、そういうものはもう考えない。
衰えたとかどうとか、チームの精神的な支柱だとか、そういったものはどうでもいい。
今はただ、もう残り少ないこの対戦の機会を、存分に楽しむのだ。
(俺が超えたと思える前に、あんたは壊れたからな)
一応は大介が打って、そして上杉が壊れたという順番なのかもしれないが、どちらかというと勝ち逃げ、というのが大介の中の意識としてはある。
二年前からはもう確実に衰えたと言われる上杉が、大介が戻ってきた今年、確実に復活している。
しかしそれは数字上のもので、大介からすれば上杉は、失われた部分をどうにか、スタイルを変えることで補っているにすぎない。
そんな継ぎ接ぎだらけの上杉に、確実に勝てていないのが、今の自分と言える。
(情けない)
自分が衰える前に、決着はつける。
そして上杉の引退を、用意してやるべきだろう。
その大介への初球、上杉は膝元に投げ込んできた。
危ういコースから、わずかにツーシームでゾーンを掠めるかのように変化。
これはストライクがコールされたが、MLBならボール判定だな、と大介は感じている。
(これは、俺の弱点かもな)
MLBで12年、NPBよりも長く暮らしてしまっていた。
その間に体の常識が、あちら基準になってしまっている。
上杉なら気づいてもおかしくはない。
そしてオフには練習相手になってもらうこともあった直史は、確実に気づいているだろう。
このわずかな違和感。
しかし今、これを攻略の発端と出来るピッチャーなど、片手に数えるほどしかいない。
インローから次は、アウトローへ投げ込む。
同じくツーシームで、外に外れた。
運がよければストライク判定になるかとも思ったが、そこまで甘くはない。
上杉が投げた場合、ボールのスピードが速すぎるので、ゾーンが変化するというのは、昔から言われていたことだ。
三球目、ゾーンからボールに落ちていく高速チェンジアップ。
なんだかんだ言って、効果的に使うのは今日は初めてとなる。
大介のスイングは、ほんのわずかにトップから動いただけで止まった。
ボール球であっても、打てるなら打ってしまう。
大介のバッティング成績はそういうことをやってしまうため、選球眼が悪いと思われてしまう。
しかしすると、打率と出塁率の高さの説明がつかない。
フォアボールの扱いを変えるべきではないか、というのはこの10年ほどはずっと言われてきたことだ。
たった一人の、170cmもないバッターの存在が、世界最高のリーグをも蹂躙した。
それ以前から日本では言われていたことだが。
四球目のボールは、スピードがあった。
しかしわずかな違和感から、大介はここもバットを振らない。
ボールはわずかに沈んで、ゾーンの位置でキャッチされる。
160km/hオーバーの、打たせることが目的のスプリットは、ストライクカウントを一つ増やすだけに終わっていた。
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