第50話 挑戦

 悟に続く三番も三振で打ち取り、一回の表は三者凡退。

 使った球数は10球である。

 せめて15球は投げさせないと話にならない、とタイタンズ首脳陣は考えていた。

 現在ではおおよその球数制限は100球。

 特に直史はその年齢からいっても、無理はしないであろうと予測できる。

 ロースコアゲームに持ち込み、球数を多く投げさせて交代させる。

 そこからリリーフのピッチャーを打ち込むというのが、現実的な勝ち方だと言えるであろう。

 それがたったの10球では、試合の終わりまでに90球しか投げさせられないではないか。


 正直なところタイタンズ首脳陣のみならず、レックス以外のセ・リーグ球団はおおよその共通認識として、直史をどうにかしなければ、レックスの安定した動きを止めることは出来ないと思っている。

 たった一人の先発ピッチャーだが、その試合だけではなく前後に、強く影響を与えている。

 だが球数を投げさせようと思っても、打てそうなところに投げられれば打ってしまう。

 球数が増えても、それが抜いた球であるなら、スタミナも肩肘も削ることは出来ないだろう。


 レックス側は逆に、この直史を最大限に活用すべきなのだ。

 たった一人の選手の存在が、ここまでの働きをするなど、野球というスポーツではなかったはずだ。

 もちろん一試合に限定するなら、先発ピッチャーの力の存在は大きい。

 だが少人数のバスケットボールのような、一人の選手が試合を支配する、というようなことは起こらないはずなのだ。


 野球というスポーツの中で、その重要度が高い先発ピッチャー。

 しかしそれは毎試合など投げられないのが、近代以降の野球である。

 昭和以前のアメリカの野球なら、シーズンに70先発などという例もある。

 だが今のピッチャーは、そんなことをやっていたら必ず壊れる。

 肉体の性能を上手く引き出すということは、全開まで肉体を使うということ。

 それだけ負担も大きいのだ。




 一回の裏、レックスは好調の左右田がフォアボールで塁に出る。

 そして緒方がクリーンヒットを打って、ノーアウト一二塁。

 ここまでに使っているタイタンズピッチャーの球数が、まさに15球である。

 しつこさという点では社会人で野球をやっていた左右田も、今年で38歳になる緒方も、別方向でしつこいものであろう。

 そしてここから確実に一点は取っていくだけの力を、今のレックスは持っている。

 こんなチャンスなら、一気に大量点を狙っても良さそうなものだが。


 レックスの首脳陣の方針は、一言で言ってしまうと堅実となる。

 だがチャンスをさらに拡大していく、という点ではあまり上手くない。

 もっとも冷静に判断して、直史が先発で投げている試合は、まず一点を取りに行くというのは間違いではないだろう。

 進塁打でワンナウト二三塁になって、四番が回ってくる。

 ここで四番に期待されるのは、最低でもタッチアップが可能な外野フライ。

 クリーンヒットならば、得点からさらにチャンスは続く。


 そして四番は、最低以上の役割は果たした。

 レフト前のヒットで、まずは一点を先制。

 ワンナウト一三塁で、チャンスはまだ続く。

 だがここからチャンスが続き過ぎないのが、今年のレックスと言おうか。

 五番の内野ゴロがダブルプレイとなって、結局は一点だけの先制に終わった。




 ベンチに座ったまま、味方の攻撃を見ていた直史。

 随分とスムーズに一点は入ったが、その後がいけない。

 確かに内野ゴロからの併殺打はあるだろうが、この場面ではそれは許されない。

 外野フライでも一点は入っただろうし、ダブルプレイでランナー両者アウトにならなければ、今のはもう一点が入っていた。

 ランナー緒方の判断力は優れているのだから。


 ネクストバッターズサークルで準備していたため、プロテクターを装着するのに時間がかかる迫水。

 直史はそれを待ってから、二回の表のマウンドに登った。

 マウンドの上でゆらゆらと腕を揺らし、遅い球で投球練習をする。

 そしてこの回の先頭の四番から始まる。


 普段は悟が四番なので、五番を打っているバッターだ。

 打率はやや低めでも、長打力が求められるポジション。

 これに対しても直史は、遅い球をメインで組み立てる。

 厳しいコースはカットしてくるが、インハイストレートに空振り三振。

 やはりまだこのストレートは使える。


 球速は147km/hが出ている。

 つい先日までは、同じ性質のストレートを、144km/hでしか投げられなかった。

 シーズン中にローテを守りながらも、しっかりと力を取り戻していっている。

 もっとも高校野球であっても、週末は毎週練習試合を入れているようなチームもあるらしいので、これは不思議ではないのかもしれない。

 もっとも直史の肉体は、高校生のものではない。

 高校野球で無理をして、プロでは大成しなかったというのは、昭和の時代であればそれこそ、いくらでもあったものだ。

 先頭を三振で切って捨てたので、後続はもう少し余裕をもって打たせて取ることが出来る。

 五番は内野ゴロ、そして粘りたがっている六番には、緩急を使ったカーブからのストレートで、また三振を奪った。




 直史の今日のピッチングは、適度な緊張感に満ちている。

 二回の裏、先頭打者の迫水が、ツーベースを打ってから追加点を取ってくれたというのも嬉しい。

 タイタンズ打線の攻撃力は、確かにライガースに次ぐ位置にはいる。

 だが絶対的なバッターというのはいない。

 悟が本来はそうなのだろうが、それは一般的な常識の範囲での話。

 単打までに抑えられれば、問題などはないのだ。


 三回の下位打線をあっさりと終わらせたが、意外と球数は少なくない。

 ここまで33球と、丁度1イニングで11球の割合で投げている。

 待球策に加えて、難しいボールをカットしているというのもある。

 だがそれならそれで、直史はパワーではなくコントロールでストライクカウントを稼ぐのだ。

 緩急を上手く使うことが出来れば、遅い球でも空振りや見逃しの三振を奪うことが出来る。

 またミスショットで内野ゴロやフライになっても、それはそれでいい。


 そして四回の表、タイタンズはもちろん先頭打者が一番バッターである。

 もう打者一巡目はほとんど、直史を攻略出来なくて当たり前と考えてもいいかもしれない。

 その代わりとして、少しでも消耗させようと考えたタイタンズ首脳陣は間違っていない。

 だがそれはこれまで、他の多くの対戦相手も考えていたことなのだ。

 待球策をされれば、力の抜いた球を投げればいい。

 それでもコントロールが良く、そして変化球であれば、普通に打ち取れるのだ。


 基本的にプロというのは、打てる選手しか入ってこない。

 カットの技術などというのは、わざわざ磨くようなのは少数派なのだ。

 なんとか打ちにいって、それで逆に凡打になってしまう。

 そんなバッターの当たり前の本能を利用すれば、追い込むところまでは難しくない。

 そしてそこから、最後に空振りか見逃しを取る。

 カットしていくという意識があるので、見逃しは難しいだろうが。




 四球を使って一番をしとめた。

 遅いシンカーを使った、タイミング的に手の出ないボールで見逃し三振。

 そしてバッターボックスには、悟が入る。

 ここまで直史は、確かに一人のランナーも出していない。

 しかし待球策を破るため、球種はほとんど使ってしまっている。

 

 ほとんど、である。全部ではない。

 またランナーがいない状態であれば、ツーストライクまでに使えるボールがある。

(ここで試しておくかな)

 切り札としていきなり使う、というほどにはまだ安定していない。

 上手く変化してくれるかどうか、そっとサインを出して迫水に覚悟をさせる。


 捕球への姿勢が変わったのが分かる。

 悟がこちらに集中しているからいいが、抜け目のないバッターであればキャッチャーの雰囲気の変化で、何を投げるか予想してくるだろう。

 実際にちゃんと変化するかどうか、投げて見ないと分からない。

(カットボールの意識で)

 インローを意識して投げれば、真ん中あたりから変化していくはずだ。


 初球に持ってきたのは、相手の待球策も計算に入れたから。

 おそらくフルスイングはしてこないので、最悪でも内野の間を抜けていくヒットになる。

 これまでも数度、直史はスルーを投げている。

 しかしその割合が極端に少ないので、安定して投げられないと思われているはずだ。

 実際にそうであるので、パスボールなどがあったとしても、問題がないようにランナーがいないところで投げるのだ。




 セットポジションから、クイック気味に投げて、ストレートにちゃんと力が乗る。

 悟はこの初球を、ストレートと読んでいた。

 待球策は確かに、指示が出ている。

 しかしそれはある程度の柔軟性を持っていて、特に悟は自由に打っていいと言われている。

 もちろん単純な早打ちはしないつもりだったが。


 ストレートだ。

 ただピッチトンネルに入る直前に、その軌道がわずかに違うと感じる。

 チェンジアップのスピードではないと瞬時に判断。

(ムービング)

 スイングの起動を少し遅くする。

 伸びてきたボールは、下方向に沈んだ。


 悟はバットコントロールで、どうにかこれを左方向のファールグラウンドに打ち返す。

 無理にヒットを狙っていたなら、サードゴロあたりになっていただろう。

 ただバウンドが高かったので、上手くサードの頭を越えたかもしれない。

 可能性はどうであれ、まずはスルーに当てることに成功した。

 ただしストライクカウントは一つ増えた。


 上手く投げられたスルーを、簡単に当てられた。

(まあ、コンビネーションの中でなければこんなもんか)

 魔球などと呼ばれているが、本当にそんな都合のいいものなどはない。

 それぞれのボールには、もっとも効果的な使い方というものがある。

 なので直史が一番怖いのは、初球にヤマを張られて、それを打たれることだ。


 まずは初球でストライクカウントを取れた。

 スルーを使ったところから、上手く組み立てていくことが出来る。

 速くて沈むというボールを使った後は、速くて沈まないボールというのが基本的なコンビネーションであろう。

 だが直史は、そんな単純な組み立てはしない。

 迫水もそのあたり、やっと分かってきたようである。




 直史の一番得意な球種はカーブである。

 スピード、コース、角度と好きなように調整出来る。

 速い球の後は遅い球、というコンビネーションをここでは使わない。

 それなりに速度のある、しかし変化量も大きなカーブで、ゾーンに投げ込んできた。

 悟はこれも打っていったが、単純にミートしきれずにファールになる。

(スローカーブじゃないのか)

 そちらならまだ、ミートに徹して外野の前に落とせただろう。


 直史の研究は、ずっとしているつもりである。

 ただどうしても、限界というものがある。

 球種が多すぎるため、パターンを絞ることが出来ない。

 また今のように、普通はそう組み立てないだろうというコンビネーションで、投げ込んでくることもある。

 遅い球の後に、速い球という定番のコンビネーションも使う。

 王道と奇策を硬軟取り混ぜて使ってくる、その思考回路が一番恐ろしい。


 自分の中の、一番得意なボールに対する、下手な信頼など持っていないのだ。

 それでもこのシーズンは復帰直後ということもあって、ストレートを序盤は多用していた。

 だがツーシームを使い出してから、本当の意味でストレートが効果的になってきた気がする。

 いや、球数の減少を考えれば、間違いなく今のスタイルが本来のものに近い。


 フォーシームストレートよりも、ツーシームの方がスピードがある。

 しかしながら空振り三振は、ストレートで取っている。

 ツーシームはファールを打たせてカウントを稼ぐか、もしくは内野ゴロを打たせるための球種。

 これでゴロを打たせることが出来るか、もしくはそれを意識させてストレートでフライを打たせるかで、球数を減らしている。

 そういった分析は出来るのだが、ここからどうすれば打てるかが分からない。




 野球にはトレンドというものがある。

 ムービングファストボールやフライボール革命のような大きなトレンドでなくとも、シーズンごとに使われる球種の割合は変わっていく。

 なんなら同じシーズンの中でも、分析されてスタイルを変えていく必要がある。

 これはトレンドとはまた違ったものであるが。


 直史を分析するなら、初球狙いが一番勝算が高い。

 だがそれが狙われていると分かれば、すぐにまた組み立てを変えてくる。

 変幻自在という言葉がぴったりなので、勘で狙い球を絞るのがまだしも打てる。

 しかしそんな山勘が当たるのは、一試合にいくつあるかどうか。

 そして当たったとしても、確実に打てるとは限らないのである。


 ストレートとカーブ、そしてチェンジアップの組み合わせというのは、かなり分かりやすいものであった。

 それでもヒットはそれなりに打たれたが、失点に至ったのはホームランだけである。

 つまり今季の直史はまだ、連打で点を取られたことがない。

 確率の問題である。

 ビッグイニングさえ作らなければ、野球はおおよそ勝てる。

 それをさらに発展させれば、連打とホームランさえ防げば、ほぼ失点しない。

 あとはフォアボールとエラーであるが、フォアボールに関しては直史には問題はない。

 敬遠をするならば、また話は別だが。


 とりえあえずこれで、カウントはツーナッシングとなった。

 立場としては圧倒的に、ピッチャーが有利である。

 三球勝負をするか、それともボール球を上手く振らせていくか。

 基本的には直史は、遊び球は使わない。

 だがその基本的な情報すらも、相手との対決では活用する。


 投げられたのは、ストレートであった。

 高めいっぱいに入る、と悟は見てとった。

 長打ではなく、確実にミートを狙ったスイング。

 だがボールは芯を食わなかった。

 前で守っていた、レフトが前進してキャッチ。

 二打席連続で、フライを打たされてしまっていた。




 ストレートで空振りが取れず、外野にまで運ばれてしまっている。

 結果的にアウトになっているのでそれはいいのだが、ここから何も考えないのではいずれ打たれるだけである。

 続く三番は内野ゴロを打たせることに成功し、無事にベンチに戻ってきた直史。

 だが最低あと一度は、悟との対決は存在する。


 どうすればいいだろうか、とはもちろん考える。

 また試合の流れ全体も、ある程度は考えている。

 レックスの打線はまた追加点を取ってくれて、ソロホームランの一発なら問題のない点差となる。

 ただ直史が投げる時は、本当に味方のビッグイニングがやってこない。


 スモールベースボールで、まるで高校野球のように一点を狙いにいく。

 そういった試合展開も必要な時はあるのだろうが、もっと派手に点を取ってくれないだろうか。

 レギュラーシーズンの試合なのだから、もっと積極的に打っていくべきではなかろうか。

 直史はそう思うのだが、首脳陣には首脳陣で、ちゃんと違う思惑もある。


 直史の投げる試合は、ほぼ確実に勝つことが出来る。

 ならばそのために、確実に点を取っていくことが重要だ。

 今季これまで、点を取られた試合すらもが二試合だけ。

 二点取ってしまえば、勝利につながるという試合なら、その一点を確実に取っていく。

 既に今の段階から、ポストシーズンの試合を視野に入れているとでも言おうか。

(あと5イニングか)

 パーフェクト中の直史であるが、今日もまたパーフェクトが出来る気がしていなかった。




 ピッチャーはまず、試合に勝つために点を取られないことを考える。

 点を取られないためには、ホームランを打たれないことと、ランナーを出さないことを考える。

 勝つための条件を順番に考えていけば、結局パーフェクトをすれば少なくとも負けることはない、ということになる。

 もっとも直史は、パーフェクトを実質達成しておきながら、参考記録に終わったことが何度もある。

 むしろこちらの方が、珍しい記録なのではないだろうか。


 上杉や真田といった、時代が違えばとんでもない絶対的な存在が、同時代にいた。

 特に真田などは、甲子園で四回優勝していてもおかしくない。

 上杉にしても、パーフェクトを複数回という大記録は永遠に残るものであったろう。

 もっとも武史だけは、マイペースで評価されていたかもしれない。

 直史は活動期間が短いので、下手に競おうとしなければ、その間を除けば実績を残せるのだ。


 過去には何度もパーフェクトを達成していながら、直史としてもパーフェクトを達成するコツなどというものは分かっていない。

 ただアウトを取るのに、確実なアウトの取り方があった方がいいのは確かだ。

 つまり三振をたくさん取っていくということ。

 同じパーフェクトであっても、偶然性の強いパーフェクトと少ないパーフェクトが存在する。

 後者こそがまさに、よりピッチャーの力に依存したものであるのだ。

 あとはフォアボールを出さないというのも基本的なポイントだろう。

 なのでノーラン・ライアンはノーヒットノーランは出来ても、パーフェクトは出来なかったと言える。




 五回の表も、問題なくツーアウトまでは取れている。

 振り回してくるタイプの四番と五番は、緩急を使えば三振が奪えた。

 ここまでの三振の数を考えると、直史の考えるパーフェクトの達成条件に、かなり近づいているようにも思える。

 ただタイタンズの打線はしつこく、早打ちだけはしないようにしている。


 それが悪かったのだろう。

 六番に投げた、初球のカーブを、こてんと打たれてしまった。

 打球はジャストミートというわけでもなかったが、内野の頭は越えている。

 そして前進守備をしていたとはいえ、ある程度の距離が内野と外野の間にはある。

 その空白地帯に、ぽとりと打球は落ちたのだ。

 スタンドからため息がざわめきとなって洩れる。

 意外と言えば意外なところで、パーフェクトは終了した。


 ツーアウトからの出塁であったため、ダブルプレイも成立しない。

 牽制死も警戒している以上、盗塁失敗を望むぐらいしか、もう27人で試合を終わらせる手段はない。

 そして直史も、そこまでは求めていない。

 無意味に27人で終わらせる必要などはない。

 パーフェクトが途切れた時点で、あとはもうどれだけ消耗を減らすか、それだけを考えて投げればいい。


 ツーアウトながらランナーがいる。

 ここから点を取るなら、なんとかまず二塁にまでランナーを進めたい。

 そうタイタンズの首脳陣は考えているだろうが、直史のクイックから走れるなどとはさすがに思わない。

 ランナーはさすがに動かせず、すると長打を期待するのか。

 現実的ではない。

 結果としては空振り三振で、ランナーは残塁に終わった。




「パーフェクトはなかなか、難しいもんだな」

 ベンチでそう呟くと、周囲から「何言ってんだこの人」という視線が集まってくるのが分かった。

 その難しいパーフェクトを、いったい何度達成しているのだ。

 MLB五年間で、100年以上の歴史に残っていた回数よりも、多くの回数を一人で達成している。

 そのあたりの認識が全くないらしい。


 狙ってパーフェクトが出来るのは、佐藤兄弟と上杉ぐらい。

 そうは言われても、本当に何度も平然とパーフェクトを達成しているのは直史だけである。

 上杉は直史の倍以上のキャリアがあるが、それでもパーフェクトなど片手で数えられる程度しかしていない。

 そもそも複数回のパーフェクトを、プロでやっているのが片手で数えられる程度ではあるのだが。


 ただ直史の言葉は本心であった。

 基本的に全ての試合は完封を目指しており、そのためには一人でもランナーを出す隙を作らないと考えて投げている。

 すると自然とパーフェクトは狙っていくものとはなるのだが、それはあくまで結果がそう結実するというだけだ。

 今日はパーフェクトをするか、などとは考えない。

 一点もやらないことのために、一人一人のバッターに対して処理するだけだ。


 それでここまでやってきたのだ。

 高校二年の春ぐらいからは、ほぼ全てのバッターに対応出来るようになっていた。

 そしてプロともなると、むしろ高校野球よりも事前のデータはあるために、封じるのは簡単な場合が多い。

 データが集まれば集まるほど、普通ならばバッター有利になる。

 その意味では直史の場合、この長いブランクによるデータの変化が、むしろ今は有利に働いているのかもしれない。

 どこまで試合を支配することが出来るのか。

 真に支配的なピッチャーの姿というのは、どういったものであるのか。

 直史の考える境地には、まだ遠い。




 パーフェクトが途切れたことで、試合が動き出す。

 正確にはレックスの打線が大きく動き出した。

 これまでは守備への意識が強かったものの、とりあえずエラーをしてもパーフェクトが途切れることはない。 

 そう振り切ってしまえば、バッティングに向き合うことが出来る。

 基本的に野手の評価は、よほどの守備力を誇らない限り、バッティングが基準となってしまうのだ。


 選手は試合に勝つことではなく、自分の成績のみに執着すればいい。

 プロとはそういうものであろうからだ。

 試合の勝敗や、シーズンの成績に責任を持つのは首脳陣である。

 ただキャリアを積んでいくと、自然とチームを動かす力というものがついてくる。

 上杉などは高卒プロ入り初年度から、そんなカリスマを持っていた。

 直史にもカリスマらしきものはあるが、かなり特殊なものである。

 よく言われるのは、カリスマではなく信仰だ、というものだろうか。


 ○○は神、ということはよく言われるし書かれるし呟かれる。

 おそらく歴代のピッチャーでこれが一番多いのは、上杉ではなく直史である。

 それはやっていることが神よりも、むしろ悪魔的であるからであろうか。

 日本流で言うなら祟り神の類になる。

 直史は確かに突出したプレイヤーだ。

 そしてその圧倒的なパフォーマンスにより、バッターをスランプに陥らせることも多い。


 そんな直史であるが、タイタンズの悟はやはり、危険なバッターだという括りに入れることにした。

 MLBの強打者であっても、だいたいは十把ひとからげにしていた直史である。

 直史のピッチングスタイルからして、強打者よりも恐ろしいのは巧打者や好打者だ。

 単なる長距離砲ではなく、アベレージを残せるバッターの方が、ピッチングスタイルにとって相性が悪い。

(MLBに行っていたら、もっと稼いでいたんだろうにな)

 自分の稼ぎにはあまり関心はないが、実力に対して成果が出ていない選手とは言えるだろうな、と直史は評価した。




 レックスが追加点を入れている間に、タイタンズも若手の戦力を試してみたりすることにしたらしい。

 タイタンズに限らずほとんどのチームがそうだが、正捕手を固定することが出来ていない。

 支配的なピッチャー以上に、磐石の正捕手というのはなかなかいないものなのだ。

 下手をしたらバッティングを含めた総合的な評価では、迫水は相当の上位にくるのでは、と思われているのはオールスターのファン投票でそれなりの票が入ったことからも明らかである。


 タイタンズが試合を諦めたとしても、選手たちは自分の成績を諦めるわけにはいかない。

 もう何か一つでも、直史を攻略する鍵を見つけようと、それぞれが必死で粘ってくる。

 正直なところその粘りは、執着につながる。

 下手な執着はプレイの幅を狭めてしまうものである。

 直史は自分のピッチングにこだわりがない。

 点を取られなければそれでいい、というのがこだわりと言えるものであろう。


 数字を求めだすバッターたちからは、凡打と三振を引き出すことが出来る。

 首脳陣が徹底して待球策を指示していた時の方が、よほどやりにくかった。

 ツーシームとカットボールで、上手く内野ゴロを打たせることが出来る。

 その中ではスルーになってしまうカットボールがあり、迫水は上手くそれを、最低でも前に落とすことに成功しだした。


 ここから一つ、言えることがある。 

 スルーを投げるタイミングが分かっていれば、盗塁がしやすい。

 もともとバウンドするようなボールは、カーブであれフォークであれチェンジアップであれ走りやすい。

 スルーの場合はキャッチングが単純に難しい。

 せめてカットボールと投げ分けが出来るなら、どうにか受け止められるだろう。

 しかし今の直史には、まだそれが難しいのだ。




 三打席目の悟は、今度は痛烈な内野ゴロに倒れた。

 セカンド正面で、インローのカットボールを打ったのである。

 ただそれは、スルーの軌道であったならむしろ、ジャストミートしていたかもしれない。

 直史のウイニングショットを、あえて狙ってきている。

 その姿勢はまさに、チームの四番と言えるものだ。


 カーブでもストレートでもない。

 あえて一番、ここから攻略しなければいけないボールを狙っていた。

 打球の速度も速く、セカンドが緒方でなければキャッチングのミスもあったかもしれない。

 このあたりの運の要素も、今は直史の味方だ。

 もっとも試合自体は、既に決まったと言えるだろう。

 また球数もパーフェクトが途切れたあたりからは、むしろ減ってきている。


 ヒットを一本打たれただけ。

 それも変な当たりの、ポテンヒットが一本だけである。

 それなのにパーフェクトは成立しないのだ。

 まさに一問も間違えず、テストで絶対に満点を取ろうという姿勢。

 おおよそはどのテストも、全て満点など求められることはないだろう。

 しかしながらパーフェクトというのは、運の要素までをも含めて、満点が求められるのだ。


(どうにか、ポストシーズンまでには)

 直史の攻略法を見つけないといけない。

 そう考えてネクストバッターズサークルの中にいる悟の前で、最後のバッターが内野フライに倒れる。

 ヒット一本の28人で、試合終了。

 パーフェクトにはまだ届かない。

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