第47話 魔法
カットボールの使い方、というのを本日の課題としている直史である。
さすがに試合の早い段階ではカウントを取るのに使うのは厳しいが、右打者相手にはアウトローに投げるのを少し試している。
練習だけでは不足しているので、試合中に練習をする。
カウントが悪くなっていなければ、悪くはない方法である。
試合の中で試していくというのは、実戦に優る練習なしという言葉の通り、悪いものではないだろう。
カウントが早いうちは、ムービングでゴロを打たせる。
これは直史の昔からの、基本戦略である。
ただ相手の狙いを見定めて、カーブからゆっくりと入ることもある。
この日は打者一巡するまで、上手くカットボールかツーシームを使うことが出来ている。
右打者は特に、全く手が出ないという構成だ。
ツーシームを膝元に決められるか、カットボールがわずかに沈むか。
セカンドの緒方が、今日はやけにボールが来るな、とちょっと緊張している。
援護点の方は、四回が終わった時点で、二点が入っていた。
そして試合を練習にしているのに、ここまでパーフェクトが当たり前のように続いている。
ベンチにいる間はボールを持って、難しそうな顔をしている。
ただそれに対して質問することも、またアドバイスすることも難しい。
なにしろ技術的には、直史ほどのコントロールや変化球を使える人間はいない。
相談相手ぐらいにはなれるのかもしれないが、それは相談と言うよりは、ただの愚痴になるのかもしれない。
こんなことをやっていては、さすがにパーフェクトになるわけはない。
五回にワンナウトから打たれた打球が、内野の間を抜けていくヒットになる。
しかしその後に、また内野ゴロでダブルプレイとなって、球数が減っていく。
この時点でパーフェクトはおろかノーヒットノーランさえ消えているのだが、球数は40球という少なさ。
1イニングに9球使っても45球になることを考えると、今日のピッチングの内容の異常さが分かるだろう。
直史のピッチングの特異さは、そのバリエーションの広さにある。
復帰してからはストレートと緩急を利用した、三振を奪っていくスタイル。
これは打たれたとしても、フライになる可能性が高かった。
そしてこの二試合は、明らかに奪三振が増えている。
しかし打たれたボールの性質は、ゴロとなっているものが多いのだ。
ついにこの試合においては、五回まで終えたところで、まだ三振を三つしか奪っていないというスタイル。
スターズのベンチは頭を抱えているし、そしてバッターもフラストレーションを溜めている。
またレックスのベンチの方も、ぽんぽんと試合が早く進んでいくので、何かを考えている暇があまりない。
完全に相手の早打ちに合わせた、ゴロを打たせるスタイル。
するとやはり一本ぐらいは、内野の間を抜けていくこともあるわけだ。
この試合も途中までパーフェクトであったのだから、欲を出してスタイルを広げて、パーフェクトを狙っていっても良かっただろう。
だが合理的精神の塊のような直史が、今日の直感を信じている。
今日はヒットを出してもいい日、と根拠もなく決めている。
実際六回の表にも、味方のエラーによってランナーが出た。
既にヒットは打たれているので、このエラーに怒声が湧き上がることはない。
そして直史が次に投げたボールは、やはり内野ゴロ。
6-4-3でダブルプレイとなって、ランナーが消えてしまう。
面白い記録が出そうである。
ヒットやエラーそしてフォアボールなどによって、ランナーが出たのならば、当然相手をするバッターの数は増えていく。
だが盗塁失敗や牽制死、そしてダブルプレイなどによって、こうやってランナーは消えていくこともあるのだ。
出たはずのランナーが、気づいたら消えている。
いや、もちろんちゃんと、ダブルプレイのせいであるのは分かっているのだが。
(進塁打も打てないのか)
そうスターズベンチは思っているが、ぎりぎり打てそうなスピードというのは、実は一番打ちにくいのかもしれない。
完全試合以外で27人で試合が終わる。
そんな例は実は、以前にも存在している。
当の直史自身も、プロ入り一年目にそれをやっている。
エラーで出たランナーを殺しているのだ。
牽制によって一塁ランナーを殺すことは、直史の得意技である。
元々モーションが小さいため、盗塁もしにくいピッチャーではあるのだ。
今日はそういったものではなく、バッターに上手く打たせて、それをアウトにしている。
その結果として完全試合に似たような数字が出るのだが、それでもパーフェクトでもノーヒットノーランでもない。
ただ本人は完全に無表情を貫いているため、相手だけではなく味方としても、不気味に思えて仕方がない。
やっていることは野球のピッチングと言うよりは、もっと極端に人間離れしたもの。
手品でなければ詐欺のようなものである。
六回が終わった時点で、18人のバッターとしか勝負していない。
そして球数も、48球となっている。
最少球数完投の記録が出るのでは、などと考える観客もいる。
だがそれにはちょっと、球数が多くて無理であったりするのだ。
かつて名付けられた、ある記録を示すMLBにおける用語。
サトーという一試合あたりに81球未満で終わらせる、鬼のようなピッチング内容である。
たとえ全ての打者を三球三振でしとめても、81球は必要になる。
だが究極のピッチングというのは、27球で試合を終わらせてしまうこと。
さすがに直史もこれは、狙おうとすらしない。
MLB時代に記録した、一試合66球での完封試合。
開幕戦であったのに、ひどい虐殺現場と化した相手のスタジアムであった。
やってしまった直史よりも、やられてしまった相手チームの方が、地元のファンからは非難された。
いずれこの記録もまた、更新される日がやってくるのかな、などと思った人間もいたかもしれない。
ただ直史は当時、中四日から中五日で、ローテーションを回していたのだ。
そんな中で100球も投げていれば、疲れが残って大変である。
球数を少なくして投げるということは、プロのピッチャーにとっては重要なことだ。
今では分業制が完全に成立してしまっているが、直史の他にも数人、そういった風潮に喧嘩を売ったピッチャーが、この20年の間には何人もいる。
上杉などは一試合に20個以上の三振を奪うことも少なくはなく、そのため球数はある程度多くなっている。
それでも100球以内で完投した試合は、数多くある。
故障から復帰後は、球質が変わってややバットにボールを当てられることは増えたが、それが逆に内野ゴロになったりなどした。
ただ計算して投げていたわけではないので、さすがに81球以内では試合を終わらせていない。
完璧なピッチャーなどいない。
試合を勝たせるという意味でも、不敗のピッチャーなどはいないのだ。
そもそも野球というスポーツに限らず、ありとあらゆる勝負事は、敗北の中から糧を掴んだ人間が、より高みへと登っていくものなのだ。
最初から最後まで主人公が不敗である物語など、ありうるはずもない。
フィクションの世界であれば時々あるが、それは逆に違う部分で作品の魅力を押し出していく必要がある。
挫折は人間を成長させる。
挫折のない人間というのは、折れた時に脆い。
さっさと挫折して、それは当たり前のことなのだと、人生を思い知る必要がある。
盆暗であっても失敗の数が多くなるほど、それに対応する力は備わってくる。
ただ気を付けないといけないのは、心の芯の部分が折れてしまうことだ。
幼少期の失敗は、出来るだけしておいた方がいい。
周囲も許してくれるし、本人も気づかないものであるからだ。
その意味で直史は、中学時代に負け試合ばかりを経験していたというのは、ある意味良かったのかもしれない。
勝てない試合に良かったはないとも思うが。
一点でも取られたら負ける、というピッチャーとしては野球に対する間違った認識を根底に持ってしまった。
逆に野球は、点を取られることさえなければ、負けるスポーツでもないことを理解した。
直史にとって野球というのは、点を取られないことが重要なスポーツだ。
その技術を延長していったところに、ヒットを打たれないこと、ランナーを出さないこと、と条件が飛躍していっている。
攻撃的なピッチングというものもある。
相手に全く打たせないことで、士気を落とさせるというものだ。
野球はかなりのメンタルスポーツであるので、味方が全く打てないと、ピッチャーの心も折れてくる。
味方が点を取ってくれないのは当たり前、という境地に至っている直史は、ピッチャーの中ではかなりの異端児だ。
スターズは試合も終盤に入ると、勝利をすっぱりと諦めた。
長いシーズンなのだから、こういった勝てない試合というのは必ずある。
あとは選手たちのメンタルケアと、こんな試合でも出場機会がほしい、若手を試すというもの。
ただ調子に乗ったレックス打線は、それなりに追加点を取ってくる。
代打として出したバッターは、ゴロではなく三振で打ち取られた。
今日の実験は終了である。
直感的な予測はやはり当たった。
ただそこからも、直史の実験は続いている。
球数を少なく試合を終わらせることは、体力的な衰えがどうにもならない直史には、絶対に重要なことである。
いくら若いつもりでいても、基礎代謝というものが落ちている。
故障もしやすくなっているのは、地味にショックではあった。
今日の課題はゴロを打たせること。
その傾向に向こうも気づいたあたりから、三振を積極的に奪いにいく。
ストレートで空振り三振というのもあるが、カーブやチェンジアップによる、完全にタイミングを崩した三振も悪くない。
そしてやはり、空振り狙いのコンビネーションの方が、安定してアウトを取れる。
球数を減らすことは、シーズンを通して戦っていく上では重要だ。
一試合に全てを出し切ってしまえば、近いうちに壊れてしまうだろう。
そこでフィジカルを手に入れるよりも、技術を磨くあたりが、本当に直史の直史らしいところであるが。
八回が終わった時点で、スターズは24人の打者しか出ていないのであった。
支配的なピッチング。
相手を蹂躙するのではなく、コントロールするピッチングだ。
今日の試合は内野ゴロでのアウトが一番多く、レックスの内野陣も見せ場が多かった。
そしてフライも上手く打たせて、ちゃんと外野にも仕事を与えている。
ただ三振の数も試合の終盤には増えてくる。
死に掛けた獲物に対して、致命傷をさらに与えていく行為である。
上杉が投げなくてもベンチにいるだけでも、なんらかの影響は味方チームに与えたかもしれない。
だが本日は上がりとなっている彼は、ベンチに入ることもなく家で試合を見ている。
不甲斐ない、とは思わない。
今日の直史のピッチングは、まさに悪魔的な面が強い。
機械のような正確さで、打てそうなボールを投げているのは分かる。
またカウントを見れば、次は何を投げてくるかも、ある程度は予想してしまう。
ボールカウントをわざと先行させ、甘く入ったと見せた球をわずかに変化させる。
基本的な技術の一つではあるが、これを直史は普段はあまりしない。
ゾーン内だけの勝負というのが基本であり、大きく曲がるボールか落ちるボールで空振りを奪う以外は、ボール球を投げることは少ない。
しかしそのデータを逆手にとって、ボール球を振らせたり、変化を大きく見せることはある。
野球はメンタルスポーツであると共に、インテリジェンススポーツでもある。
特に直史は、技巧派で軟投派で頭脳派であった。
むしろ技巧派であるためには、それらの要素が全て必要であったとも言えるが。
「試合が早いな……」
ベンチの中で誰かが呟く。二時間を切りそうな展開である。
九回の表で試合が終われば、確かに時間は短縮される。
いくらなんでも限度というものがあろうが、直史個人も試合は90分程度で終わってくれる方がありがたい。
集中力が持続しないからだ。
パーフェクトはもちろんノーヒットノーランでさえないのに、スターズ陣営の感じている屈辱は絶大なものである。
スターズが直史と当たるのは今季これが二度目であるが、一度目は上杉を相手に五回まで無失点であったが、二度目はホームランの一発を浴びている。
その恨みを晴らすつもりもないのだが、直史のピッチングは嘲弄するような捉えどころのないものである。
この九回の表も、スターズは代打をしっかりと用意している。
ここまで三点の援護をもらっている直史だが、これはグランドスラム一発でひっくり返る点差である。
もちろんそんなことが起こる可能性など、絶無に限りなく近いものとなっている。
現実的ではないというか、人間の起こせる所業ではないだろう。
少しでも粘って、ピッチングのデータを集める。
もうスターズの打線に求められるのはそれぐらいである。
プロ入りしてたったの二年で様々なパフォーマンスを見せてくれたが、その突出具合はむしろMLBに行ってからの方が大きい。
相手のレベルなどは関係なく、それだけの経験が蓄積された、ということなのだろう。
途中でクローザーにチェンジした年を除けば、四年間の全てが30勝以上。
五年間連続20勝以上というこの記録を破るのは、おそらく大きくルール改正でもない限りは、二度と不可能であろう。
ラストイニング、先頭打者は一球粘った。
結局はチェンジアップを空振り三振と、明らかに球速差の緩急についていけていない。
スピードのあるボールを投げるのが正しいという現代の理屈からは、選手も指導者も抜け出せない。
そもそもそれは、根本的には間違っていないのだから。
打ちにくい球を投げるのが正義なのであり、その中には当然スピードボールは含まれる。
しかしスピードだけでは足りないのだ。
最終回は三者三振で、この試合は終わった。
9イニングを投げて76球。
最終的に奪三振は二桁10個にまで増えていた。
ヒットとエラーで一人ずつランナーが出たが、ダブルプレイで消してしまった。
まるで手品のように、あっさりとその姿を塁上から消してしまったのだ。
いやそれはまるで詐欺のような手際であり、さらに悪魔的に言うならまさに、魔法であるのだった。
本拠地神宮でのこのピッチングは、結局ほとんどの観客が途中退場するのを妨げてしまった。
家でリアルタイム視聴する際は、全裸で正座視聴するのが正しいという、サバト的な行動も報告されている。
もちろんそんなものは、直史には何も責任などないことである。
宗教的儀式めいたそれは、悪魔崇拝に近いだろう。
サバトは全裸で行われるものであるらしいし。
試合後のインタビューでも、どうにも質問はしづらいものであったろう。
直史のやったこれは、正しく蹂躙と言うべきものか、それとも奇術と言うべきものか。
人間が、こんなピッチングが出来るのか。
普通のピッチャーが、生涯に一度でも出来ればすごいというようなパフォーマンスを、ほとんど毎試合やってのける。
それはさすがに言いすぎかもしれないが、投げるたびにパーフェクトやノーヒットノーランを期待されるピッチャーなど、一人しかいないであろう。
野球のピッチングとはどこか違うと思われるそのパフォーマンスは、今日も観客や視聴者を満足させたようである。
酷い試合であった。
無惨な試合であった。
とてもプロのチームがやってしまっていい内容ではない。
ただ直史はMLB初先発の試合で72球パーフェクトというデビューをしているので、そちらの記録を含めていいのなら、何度か同じことをしている。
NPBの記録を見てみれば、二年目に交流戦で北海道を相手に77球で三安打完封をしていて、この時もランナーを二人ほど消している。
一応これよりも少ない球数での決着というのは、NPBを見ても存在する。
ただそれはもう記録上だけの出来事で、しかも結局27人としか対決していないとか、ほとんどと言うより完璧に奇跡の演出である。
パーフェクトになっていないのが、逆に怖いと言えるかもしれない。
それにしても直史と対戦するチームは、いったい前世でどれだけひどいことをすれば、こんな目に遭うというのだろう。
もちろんそんなものはない。ただの実力である。
だが同じレジェンド級の存在であっても、本当に直史の存在だけは理解出来ない。
その人生のおおまかなところはほぼノンフィクションの書籍で知れるのだが、中学時代は一度も公式戦で勝ち投手になっていない。
逆に高校時代は、二年の夏以降は一度も負けていない。
甲子園で大活躍した後、プロに行かなかったというのはあの時点での球速などを見れば、それは理解出来る。
だが大学のリーグ戦で無敗の実績を持ちながら、プロの世界には来なかった。
社会人野球に進むでもなく、クラブチームでエンジョイ野球をやって、本気でプロには来ないのだなと思わせたところで、突如としてレックスに入団。
ここから二年連続日本一と、優勝請負人の名前を証明してみせる。
そこから契約時の特別なオプションを行使して、MLBへと移籍。
プロで唯一、優勝できなかったのはそのMLBの二年目であるが、これはポストシーズンの登板間隔を見れば、それは打たれもするだろうと、さすがに思う。
ピッチャーとバッターは性質が違う。
トーナメントで休みがあるならばともかく、プロではほぼ毎日が試合となるため、ピッチャーが一人では回せない。
もっとも19世紀のアメリカなどであると、年間に70試合も投げている先発ピッチャーもいたりする。
おそらく直史のようなピッチャーは、その時代ならさらに活躍したのだろう。
この試合と、前の二試合。
直史は球速こそ戻っていないものの、かなり全盛期に近い力になっている。
大介はそれを録画していた映像からしっかりと感じている。
(待ってたぞ)
正直なところ、シーズン序盤ではまだ、これなら帰ってきた意味はないかな、などとも思っていたのだが。
以前とは全く違うピッチングで、どうにか勝負してくるのでは、という程度には思っていたのだ。
それでもまだ今の段階では、大介の敵ではないと思う。
(スルーを投げる時があるけど、あれまだ安定してないよな)
大介が恐れているのはむしろ、スルーチェンジと高めのストレートのコンビネーションだ。
これにツーシームとカーブを混ぜてこられると、もう読みではなく反射でないと打てなくなってくる。
そういう勝負がしたいのだ。
真正面から戦って、それでも自分を上回ってくる。
MLBの場合は確かに、新しい才能がどんどんと出てくる。
だがおおよそは武史のように、クレバーに大介との勝負を避けてしまう。
それでいいのかMLB、と思ったのはこの数年ずっとであった。
次の直史の登板予定は、いよいよライガースとのものとなる。
舞台はバッター有利の神宮であるが、ホームゲームではある。
前に一度あった対戦の機会は、直史の故障で流れてしまった。
ただあの時点で対決していれば、全く歯が立たなかっただろうとは分かる。
いや、今の時点でも、まだ勝つ算段がついていない。
試合に勝つだけならば簡単である。
チームがリードしていてくれる場面だけでしか対戦しないこと。
ソロホームランまでなら構わないという場面を作り出す。
ランナーとして出しても面倒な相手ではあるが、後ろを完全に封じてしまう方が直史にとっては楽だ。
大介は本当に打ってほしい時には、本当に打ってしまうバッターなのだ。
プロ生活の中で複数本のホームランを打たれたというのは、直史の記憶では大介しかいない。
ブリアンも全盛期は短く、その後に現れた多くのスラッガーたちも、直史はカモにしていた。
長打も打てるが基本はアベレージが高い、というバッターの方が苦手なのだ。
その点では悟が、現在はセ・リーグにいるというのは面倒だ。
三冠王は獲得していないが、毎年のようになんらかの打撃タイトルを、この年齢でも取っていた。
その全てを塗り替えてしまっているのが、もう40歳になる大介なのである。
故障でもしない限り、大介はタイトルを独占するだろう。
思えばNPBでもMLBでも、ずっとそうであった。
同時代に同じリーグにいたバッターにとっては、もはや災厄のようなものではないだろうか。
もっともそれと対戦しなければいけない、同じリーグのピッチャーの方が、大変は大変である。
七月最初の登板で、13勝目を上げた直史。
今年はやや早めのシーズンスタートであったとはいえ、それでも20勝は軽く超えていくペースである。
平成以降のピッチャーを見れば、20勝して沢村賞を取れなかったピッチャーというのはいないわけではないが、これは上杉の全盛期にかかっている。
その上杉も20勝以上して、取れなかった年というのがあるのだが。
……佐藤兄弟が全て悪い。
次の登板はライガースとの三連戦の第二戦となる予定。
試合の勝敗については、それほど悲観はしていない。
相手のローテも見れば、レックス打線でもおそらく数点は取れるというもの。
もっともそう考えていると、その年一番のピッチングをしたりするのも、野球というシーズンスポーツの厄介なところである。
大介には、ホームランさえ打たれなければいい。
あとはツーベースだろうがスリーベースだろうが、三振か内野フライでアウトにしてしまう。
それでも一本ぐらいはホームランを打たれてしまうかもしれないから、そこはなんとか一点を取ってほしい。
そしたらなんとか引き分けぐらいには持ち込めると思うのだ。
今年の大介のデータを見てみると、やはり相変わらず化物である。
去年はMLBでも打率が0.380を下回り、それでも首位打者を取っていた。
しかし今年はここまで0.390をオーバーしている。
直史の価値基準からすると、チームを勝たせるのがいいピッチャーだ。
そしてそのためには、一点も取らせないのが一番である。
もっともその一点も取らせないというのが、大介相手であると非常に難しい。
MLB時代に唯一負けたのも、大介に打たれたからだ。
客観的に見ればあの登板間隔は、打たれても仕方のないほど過酷なものであったが。
直史は既に、イメージトレーニングに入っている。
だがそこで心配になるのが、当日の天気予報だ。
アメリカにいた頃に比べると、本当にNPBは天候が悪いと試合を中止してくれる。
MLBの時はそこそこの雨でも試合中止にはならず、かなり苦労して投げた試合もあった。
特に打者天国のコロラドで投げた時などは、徹底してゴロを打たせるピッチングをしたものだ。
そして登板予定の前後であるが、東京は雨の予想になっている。
三連戦の最初の日だけは、なんとかやれそうか、という予報だが。
前の試合で投げたのが、たったの76球。
中五日で投げられなくはない、という球数であろうか。
だが日々のルーティンを一日でも崩すのは、むしろコンディション不良を招きかねない。
どちらにしろ雨などによる、中途半端な状態での試合は避けたいのだ。
小雨が降る中でやるぐらいなら、素直に中止になってほしい。
MLBは実は、NPBよりもよほど、雨の中での試合が多かったりする。
もちろんドームを必要としないスタジアムがほとんどであるのは、それだけ日本の雨季のようなものがないからではある。
しかし野球などというものは小雨の中でも普通にやるものだ、などという変な意地が向こうにはあったりする。
まったくどうでもいいことに、伝統を感じたりする国民性である。
実際のところ直史は、確かに雨と相性が悪い。
指先の繊細なコントロールが重要なピッチャーは、わずかな湿度の管理を重要と考えている。
それを別にしてもMLBの環境では、今さら投げることなど出来なかった。
体力的な問題と、環境的な問題によるものだ。
NPBの方がタフネスは必要ないと、直史は理解している。
地元でのスターズ戦は、2勝1敗で勝ち越した。
そして次はアウェイゲームであるが、対戦相手がタイタンズなので、移動などをする必要はない。
直史はこの対戦、ベンチに入ることがあった。
もちろん投げるつもりはまったくないのだが、タイタンズとの試合はシーズン終盤、順位に影響を与えるような気がするからだ。
セ・リーグはライガースがずっと、首位を守ったままである。
レックスももうかなり長く、その後を追う二位の立場を崩していない。
問題はクライマックスシリーズ進出のキーとなる、三位までのAクラスだ。
タイタンズがきたら厚い選手層と、スターズがきたら調子のいい上杉と、それぞれ対戦しなくてはいけない。
どちらが嫌かと言われると、上杉の調子がポストシーズンまであの調子であるなら、直史と上杉の対決次第で、ファイナルステージへの勝ち上がりは決まるだろう。
もっともまだ、ライガースとの直接対決で、ペナントレースが入れ替わる可能性は残っているのだが。
このタイタンズ戦は裏ローテ扱いされているが、一勝ぐらいはしておきたい。
直接対決でライガースを叩けても、他のチームに負けてしまえば、それでペナントレースは決定してしまう。
かつて直史がいた頃のように、勝ち星が計算できる先発と、磐石のリリーフ陣というものがいない。
キャッチャーまでいない今のレックスで、どうやってシーズンの優勝を安定して果たすことが出来るのか。
ただ別にチームの優勝はどうでもいいのだ。
直史としてはここまで、一度も負けがついていないということを重視している。
ライガースとの試合だけは、相手のローテも強いこともあり、まったく油断は出来ないものになるのだ。
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