第37話 西へ

 埼玉との第三戦、結局レックスは落とした。

 百目鬼は六回四失点と、そこそこのピッチングをしていたのだが、その時点で点差はわずかに一点リード。

 勝ちパターンのリリーフが追いつかれて、さらに逆転を許してしまったのだ。

 今季のレックスはリードして終盤に入らないと、負けている試合が多い。

 相手の勝ちパターンのリリーフを、崩すだけの攻撃力はあまりないのだ。

 もちろん例外はあるが。


 点の取り合いのシーソーゲームは、序盤から中盤にかけて。

 リリーフは数年調子がいい選手を使うという、それなりに消耗を強いるものだ。

 勝つためのパターン化がなされてしまっていると、そこを外れると負けのムードになってしまう。

 このあたりは「細けえことはいいんだよ」と攻撃的なライガースが、上回っている部分であろう。

 野球はツーアウトからなのだ。


 ここまでの3カードは勝ち越していたレックスであるが、ついにここで負け越しがついた。

 残るは神戸と福岡。

 両方ともアウェイでの試合であり、この2チームは僅差ながらも、現在パ・リーグの上位2チームである。

 直史は福岡戦で投げるが、どちらもアウェイであるので一週間の出張となる。

 ただし東京のホテルは借りっぱなしである。長期宿泊で割引が利いているので。


 レックス軍団総勢で関西へ移動。

「神戸って大阪ドーム使ってるのに、いつまで名前に神戸って使うんでしょうね? ライガースがいるから仕方ないけど」

 若手がそんなことを言っていたりするが、それは直史も昔は思ったものである。

 だが正直に言って、どうでもいいことでもある。

 移動に一日を使って、試合は翌日から。

 だが直史はこの三連戦で出番はない。




 一方その頃、ライガースも当然ながら、同じように試合を消化していた。

 埼玉と北海道を粉砕して、合計八連勝。

 縮まっていたレックスとの差を、また広げにかかっている。

 大介は交流戦12戦でホームラン五本。

 これは普通だな、と思えるぐらい彼の数字は狂っている。

 五月の終わりごろからまた調子を上げて。打率が0.390まで上がった。

 ホームランも六月の序盤で22本、盗塁が21個と、頭がおかしい。


 やはり直接対決で打ち負かすぐらいしか、レックスが逆転するのは難しい。

 首脳陣が考えるに、レックスの投手陣はライガース打線を抑え込めるピッチャーは直史だけが確実である。

 三島やオーガスといったローテ陣でも、確実に勝てるとはとても言えない。

 なのでクライマックスシリーズで勝つには、アドバンテージが絶対に必要になる。

 ペナントレースを制してようやく、ライガースにクライマックスシリーズで勝てる見込みが出来る、と分析しているのだ。


 もっとも直史でさえ、今のライガースに勝てるかというと、とりあえず大介に勝つのが難しい。

 完全に手段を選ばなければ、ライガースに勝つことは出来る。

 しかし大介を抑えなければ、他の試合で爆発されて負ける。

 かつての直史と違い、今の直史は耐久力や回復力で大きく衰えている。

 クライマックスシリーズ、ファイナルステージで投げるのは二度が限界だろう。

 他に勝てるピッチャーが必要になる。


 三島にオーガス、あと勝ちパターンのピッチャーを短いイニングで使っていって、どうにか勝つという手段。

 捨てる試合を完全に捨てるという覚悟があれば、どうにかなるかもしれない。

 それでも直史が一つ負けたら、もうそれで勝てない。

 復帰してから直史は、まだライガースとの対決がない。

 だが予定では、一度は必ず当たる。そこでどのような結果が出るかで、クライマックスシリーズの行方が決まるであろう。




 ライガースはレックスと逆に、先に福岡と当たり、それから神戸と当たって、交流戦が終了となる。

 レックスと同じく、向こうのスタジアムでのアウェイゲームとなる。

 今年のお互いの成績を見てみると、おそらく福岡とは殴り合い、神戸とは比較的ロースコアになるかと思われる。

 ただ福岡はその資金力を活かして育成から選手を育てるので、どんどん選手層が厚くなっていく。


 福岡はその資金力的には、唯一MLBとも対抗できるチームだ、とも言われている。

 もっとも実際にMLBで通用するような選手は、やはりFAなどでMLBに挑戦してしまったりするのだが。

 これに関しては以前のエキシビションマッチで、証明されている。

 NPBとかMLBの基準ではなく、直史がいるかどうかの基準で、チームの強さは決定するのだと。


 大介は福岡との試合、どうなるかの見通しが立っていない。

 ただハイスコアのゲームとなったら、負けても福岡はその勢いをもって、レックスと戦えるかもしれない。

 直史はローテの通りなら、二戦目で福岡に投げるはずである。

 今シーズンの直史の成績は、いまだに負けがない。

 当たり前のように不敗を続けているが、上杉を相手にした試合では勝ち星がつかなかった。

 野球というのはピッチャーが負けないだけでは、勝てないスポーツなのだ。

 バッターが点を取って初めて、そこで勝敗が決するのである。




 直史と大介の対決を、世間では宿命の対決、などと煽ったりする。

 確かに二人は中学時代まで全くの無名で、そしてお互いに無名のチームに入って、投打の主力となった。

 この認識は、前半は合っているが、後半は微妙に間違っている。

 大介はその一年の春から大活躍しているが、直史は夏に参考パーフェクトを県大会でやっているものの、そこまでは注目されていない。

 また甲子園デビューがノーヒットノーランではあったが、球速などはそれほどでもなかったため、その夏に実質的なパーフェクトをするまでは、ある程度の偶然があったものだ、とも思われていた。


 本格的に二人が、両雄とも双璧とも思われるようになったのは、U-18のワールドカップあたりからである。

 パーフェクトリリーフを成し遂げた直史に、ホームランを場外にまで飛ばしまくった大介。

 もっともあのワールドカップは、色々と他の意味でもおかしなものであったが。

 直史の異常さは、大学に入学して以来、ほとんどの試合でパーフェクトに近いピッチングをしたことでより注目されるようになった。

 その時にようやく球速が150km/hを超えるようになったので、ドラフトナンバーワン候補、などとも言われたのだ。

 プロに行く気は全くないと言って、本当に志望届すら出さず、調査書にも返答しなかったため、色々と騒がしくなった。


 現在の大介の認識では、自分は周囲の力を借りて、削りまくってようやく直史に勝てている、というものだ。

 一試合に限るならば、直史に勝ったことなど一度もないと思っている。

 上杉を相手にした時でさえ、もう少し打ててはいるのだ。

 直史は天敵でもなく、親友であり義兄弟ですらあるのだが、どうしても手の届かない存在であると思える。

 だが、それも衰えた。




 打てると思ってしまった。

 これまではずっと、対決するべき相手だと思っていたのに。

 対決して、自分の中の自分への期待を、ずっと上げていく。

 だがそれが今では、もうそこまでの存在とは思わない。

(傲慢なのか自信なのか)

 あのストレートは、引退試合の時に見たものだ。

 そしてカーブにしても、一時期使っていた消えるカーブは、今ではもう使えないだろう。

 あれは寿命を削るぐらいの集中力がいると、当時から言っていたものである。


 消える魔球、というのをリアルで再現してしまったのだ。

 もう使わなくなったのは、消耗が激しいのと大介が攻略法を見つけたから。

 ただ今はもう、使えなくなっているのだと思う。

 あれは本当に、バッターの挙動まで予測して、針の穴を通すようなコントロールが必要になるものであるし。

(とりあえず、打つか)

 福岡との試合に、大介は向かう。


 今年の交流戦は、今のところ雨などで流れた試合がない。

 この調子なら予備日を使わずに、少しだけ休むことが出来るだろう。

 千葉戦がアウェイであったので、あちらにいる子供たちとは少しだけ会うことが出来た。

 今の大介にはそれだけの余裕がある。


 ライガース自体が復調してきたので、レックスとはまたゲーム差が出来る。

 もっともレックスも上り調子なので、四月のような圧倒的な差はつけられていないが。

 このままなら直接対決によって、普通に逆転することが出来る。

 もっともレックスと対戦して、負けると限ったことでもない。

 直史との対戦が、今年はまだないのだ。

 ピッチングの内容は見ているが、実際に対決してみないと、その本質は分からない。

 もっとも打つ自信はある。

 ただ勝負するのでは意味がない。

 本気になった直史と、勝負しなければいけないのだ。




 福岡は移転当初は弱小球団で、あまりの弱さにファンが選手バスに生卵をぶつけるという事件まであった。

 それが常勝軍団へと成長したのは、資金力以外にも色々な要因がある。

 球団のフロントに、現場をしっかりと理解する人間がいること。

 そして韓国や台湾といった、海外のチームとの練習試合も、経験値を増やしていくのには役に立ったのである。


 だがそれも、上杉の時代の頃から、ほとんど日本シリーズで勝てないようになった。

 たった一人の選手が、それに続く怪物をセ・リーグに呼び込んだため、ごくわずかなスーパースターの存在によって、試合の勝敗を左右することになったのだ。

 野球は一人で出来るスポーツではない。

 だが一人の力が、チーム全体を底上げするということはある。

 スターズ、ライガース、レックス。

 おおよそこの順番で覇権チームが出現し、上杉の衰えが顕著になってようやく、スターズの第二次覇権時代も終わりを迎えた。


 しかし、今はまたスーパースターが帰還している。

 大介のバッティングによって、ライガースは平均得点が約1.6点上昇しているという計算もある。

 また直史が一人で奮戦すると、その前後の試合がリリーフ陣に楽をさせる。

 支配的な選手。

 野球少年のまま大人になった男と、自分の目的のためだけにプロに戻った男。

 こんな二人でいながら、チームへの影響力はとんでもなく大きい。

 ただどちらも、他の選手よりもずっと、モチベーションは高いのも間違いないのだ。




 福岡のこの日の先発は、左の磯谷。

 まだ若手ながら、この試合にはかなり期待されている。

 それは磯谷が、スライダーをコントロールして使えるピッチャーだからだ。

 大介の弱点が、背中から入ってくるようなスライダーであることは、衆知の事実である。

 もっともただのスライダーなら、平気で打ってしまう。

 磯谷のスライダーは、分析する限り真田のスライダーとかなり近い。

 もしもこれが通用するなら、日本シリーズでライガースと当たった時、計算できるピッチャーが一人いることになる。


 ライガースがアウェイのため、一回の表からその対決が見られる。

 先頭打者も左であったため、このスライダーで凡打を打たせた。

 それをネクストバッターズサークルから見ていた大介は、単純な攻略法を考える。

 だがまずは、普通に打ってみよう。


 スライダーがカット気味のものと大きく曲がるの、二つがある。

 あとはスプリットあたりで、このあたりの球種の構成は、確かにかなり真田に似ているな、と思う。

 もっともカーブはないらしく、代わりにチェンジアップを投げる。

 バッターボックスから見たマウンド上の姿は、やや緊張して見える。


 この打席の大介は、一打席潰したとしても、そのスライダーを見極めるのが最優先事項だ。

 他のボールを投げられたら、見逃すかカットしていく。

 そして初球から、そのスライダーは投げられた。

 背中側から内角に変化する、性質の悪い変化球。

 下手すればボールとされるかもしれない、大きな変化球であった。




 MLB時代も大介の対策は、相当にされている。

 なのでプレートの端を使って角度を作って、こうやって背中から変化するスライダーは投げるピッチャーがいた。

 対応策も考えてはいる。

 簡単なことで、右打席で打てばいいのだ。

 右打席の大介は、究極で最強のバッターから、球界屈指の強打者にランクが下がる。

 ランナーがいない場面であれば、勝負しても問題ない、というレベルだ。


 一度バッターボックスを外したが、右打席に移るかは考える。

 とりあえずこのままで打っておこう。

 デッドボールになりそうな軌道で内角に入ってくるボールと、ゾーンから遠くに逃げていく球。

 どちらも面倒なボールであるが、向こうも大介と対戦するのは初めてである。

(リリースポイントで判断する)

 これが投げる瞬間の角度まで瞬時に変えられるなら、確かに面倒な相手ではある。


 二球目、これはストレート。

 スライダーの速度を予想していたので、わずかに振り遅れた。

 レフト方向に完全に切れていく打球で、これでツーストライクに追い込まれる。

(面白い相手ならいいんだけどな)

 ここでスライダーを投げてくるかどうか、そのあたりで判断しよう。


 三球目に投げられたのは、ストレート。

 だがそれはリリースの瞬間に、違うと分かっていた。

 チェンジアップが低めに外れる。

 バットを引くまでもなく、リリースの瞬間の手を見ていたら、握りの違いが明らかだったのだ。

(まだ未熟)

 やはり真田のあのサウスポーとしての完成度は、異常であったと言うしかない。


 四球目、投げられたのはスライダー。

 ゾーンの外に逃げていくボールであるが、大介のバットなら届く。

 思いっきり引っ張る感覚で叩いたが、打球はレフトのほぼ正面へ。

 第一打席では、まだ攻略出来なかった。




 磯谷は対左が強いだけではなく、平均と比べても充分に高い能力を持っている。

 でなければ左のワンポイントにしか使えないだろう。

 MLBではワンポイントが禁止になってしまったので、そういったピッチャーの需要はなくなってしまった。

 もちろんNPBであっても、左のワンポイント自体は必要であるが、それに外国人の枠を使うような贅沢なことは出来ない。


 やはり助っ人外国人を雇うなら、ピッチャーならローテかクローザーもしくはセットアッパー、バッターなら主砲というのが定番であるだろう。

 ライガースは現在、ローテに二人、打線に一人がいるが、これが日本人で埋められるものならば、また配置は代えてくるかもしれない。

 ライガースはとにかく、大介の後ろのバッターがほしかった。

 特に長距離砲が後ろにいないと、敬遠が増えていくだけだ。

 現時点で既に、とてつもない敬遠数となってはいるが。


 MLBにおいて大介の敬遠数は、NPB時代の三倍にもなった。

 MLBが延長がどこまでも続くとか、試合数が多いとかを考えても、あまりに多い数である。

 ただ四球の数は、そこまで極端に増えてはいない。

 アメリカらしい合理的な考え方で、どうせ勝負しないのなら申告敬遠をしよう、というのが判断の早いところである。


 もっともこれがポストシーズンになると、敬遠は減ってくる。

 レギュラーシーズンでは合理的な考えのMLBが、ポストシーズンではパワーとパワーのぶつかり合いをよしとするようになるのだ。

 普段は統計で考えるのに、ポストシーズンは真剣勝負。

 このあたりが分かっているので、MLBのコミッショナーやオーナーなどは、ポストシーズンの試合を増やしたがっている。




 第二打席はツーアウトランナー一塁という場面で回ってきた。

 福岡に先制されて、ここでホームランが出れば同点という場面。

 大介はここでも、左打席のまま対決する。

 試合の展開だけを考えるなら、ここで一点ぐらいは返しておきたい。

 右打席に入れば、ホームランはともかく長打までは充分に打てる。

 だがこの試合は長いシーズンの中の、一試合であるに過ぎない。


 今、全ての手の内を明かす必要はない。

 若い頃は目の前の試合に全力を出して、そしてそれで楽しめていた。

 今はチームが優勝することを考える。

 本来は監督が考えることであるのだが、大介は一人で試合を決められる、数少ない選手の一人だ。

 これ以上敬遠をされていては、もうまともに点の取りようがない。

 さすがの大介も、盗塁の塁間速度は、わずかに落ちているのだ。

 それ以上に負荷がかかるので、それがより大きな問題なのだが。


 ホームランを打つのに、必要な筋力というのはある。

 大介はその身長以上に、体重の軽さの方が、ホームランを打つには少なすぎるように思える。

 だが体重を、筋肉を重くすれば確かにパワーは増える。

 しかしそれを支える骨や腱、靭帯などにかかる負荷はより強くなる。

 故障をしないように、筋肉の量は限定する。

 瞬発力の化物となるのだ。


 この打席も、スライダーを叩いた。

 一打席目と同じく、外に逃げていくスライダーを。

 バットの先が当たって、打球は三塁線を破る。

 だが大介は不充分な体勢で倒れこんでしまったため、地面を転がりながら起き上がることとなった。

 一塁ランナーは一気にホームに帰ってこられたが、大介自身は二塁まで。

 コンタクト時に無茶な体勢でなければ、スリーベースになっていたかもしれない。




 大介の後ろには、主軸がいる。

 正確にはライガースは、主軸が三番から五番ではなく、二番から五番であるチームなのだが。

 この打力の幅によって、ライガースは得点力が上がっている。

 ツーアウト二塁からでも、大介の足ならワンヒットでホームに帰って来られる場合が多い。

 この場面で一打点と一得点。

 ライガースは負けていても、そこに悲壮感はないチームである。


 自分たちなら追いつけるという絶対的な自信。

 それは多分に大介の影響であろうが。

 二番打者最強論は、なんだかんだNPBでは通用していない。

 大介がやって初めて、それを証明したといえるだろう。

 間違いなく打点王と本塁打王のペースで大介は打っていく。

 二番打者最強論のドクトリンは、こうやって使うのだと大介は己の成績で証明していく。


 そして第三打席、大介はランナーのいない状態で対峙する。

 ノーアウトなのでとりあえず塁に出れば、一点ぐらいは取れるだろう。

 ここで初めて右打席に入り、磯谷相手に具体的な対処。

 なお大介は右打席に入ったときも打率は三割を超えており、出塁率も五割を超えている。

 元々バッティングでは右腕も左腕も、同じ重要さで使っている。

 素振りは両方しているので、別に違和感はない。


 スイッチバッターとは知っていたが、それでもほとんどの場合は左打席で打つ。

 そんな大介がここで右に入った意味を、福岡のバッテリーやベンチは分かっているだろう。

 この打席、結局大介は歩かされる。

 またも出塁率が上がっていってしまう大介であるが、どうやら200本安打には届きそうもない。




 ライガースが珍しくも接戦を勝利した。

 7-6と相手のリードしているイニングの方が多かったが、三度も歩いた大介が、盗塁は一度だけだが他の機会もピッチャーの集中力を削いだのだ。

 六月に入ってからの大介は、打率が四割を超えたままだ。

 ホームランの固め打ちがないというのが、恐ろしいところと言えるのだろうか。


 この数試合で大介は、打点はなかなか一試合に一点ぐらいしか稼いでいない。

 だが得点、つまりホームベースを踏む回数は、かなり上回っている。

 塁に出た大介を、しっかりとライガースの味方が返しているのだ。

 それはつまり打線に、有機的な結合が生まれていることを意味する。

 自分だけの打席ではなく、ランナーを返すバッティング。

 強打のライガースがそれを出来るようになれば、より得点は上がっていく。


 MLBから戻ってきたロートルは、衰えていても化物である。

 それをようやく認めた、とでも言えるのだろうか。

 ただ大介は、完全にこの試合に満足したわけではない。

 左打席で攻略するのは、難しいスライダーだとは思ったのだ。

 それでもこの試合は、日本シリーズの予想演習になる。

 そう考えたからこそ、大介は色々と試したわけだ。


 磯谷以外のピッチャーは、大介を恐れて歩かせるばかり。

 五打席回ってきたのに、二度しか打つ機会がなかったというのは、最多安打がほしい大介には気の毒すぎる。

 もっとも最多安打は上に何人も選手がいるので、狙うのは本当に現実的ではない。

 とりあえず打撃三冠にプラスして、出塁率や盗塁数も、トップには立っている。

 何より重要なのは、接戦となったこの試合を、しっかりと逆転の動きで制することが出来たことであろう。

 チームとしても、これで八連勝。

 先は長いが、また勢いづいてきているのは間違いない。




 自分がサウスポーだったら、大介との戦いはもっと楽だったろうな、と思ったりもする直史である。

 神戸との大阪ドームでの第一戦は、直史の登板ではない。

 そのためライガースの試合を見ることも可能で、磯谷が大介に対してある程度の効果はあることは分かった。

 ただ真田ほどではないのだな、と思った。


 五打席も回ってきたのに、勝負してもらえたのは二打席。

 そこでヒット一本を打って打点を稼ぎ、塁に出ればまた引っかき回した。

 得点につながらなくても、大介がランナーにいるだけで、ピッチャーにはプレッシャーがかかる。

 それは直史にも見ていただけで分かった。

(どうやったら勝てるんだか)

 球種の減った今の自分では、バリエーションが少なすぎる。

 最初の一打席はどうにかなる気もするが、逆に最初の一打席すらどうにもならないかもしれない。


 つまるところ直史には、大介に対する勝算が、完全に運任せでしか見えないのだ。

 ホームランさえ打たれなければオッケーと考えても、その手段すらはっきりとは分からない。

 もちろん歩かせてしまえば、それでいいものではあるのだが。

 そう、レギュラーシーズン中はそう割り切ってもいい。

 沢村賞の選考はあくまでもレギュラーシーズンの成績が対象であるのだから。

 ただ選考の時期が、ある程度は年によって違いがある。


 今年の場合は日本シリーズの最中に、選考が開催される日程になっている。

 なんでそんな時期に、とは思わないでもない。

 ただこの日程はまずいのだ。

 いくらレギュラーシーズンでいい数字を残したとしても、クライマックスシリーズで打ち込まれれば印象が悪くなる。




 直史は正直なところ、NPBのお偉方には嫌われているという意識がある。

 それはある程度、正確なところでもあるのだ。

 プロには興味がないと、高校時代はともかく大学時代も、その価値を完全に否定した。

 それでも後にレックスに入って、完全にこれは裏で何か交渉があったのだろうな、と思われている。

 NPBにいたのも二年だけで、契約を盾にすぐにMLBに行ってしまった。

 そして野球殿堂入りさせてみれば、そこからの復帰というルートをたどっている。


 もちろん過去の実績を見れば、高校野球から大学野球、そしてその間の国際大会と、日本を何度も優勝に導いている。

 WBCでもクローザーとして、パーフェクトなリリーフをずっと続けている。

 ただ個人の引退試合を東京ドームで行ったりと、その行動を良く思っていない人間がいるのは確かだ。

 それでも沢村賞は二年連続で既に獲得していて、数字としては圧倒的なものを残している。


 記者投票だったらアウトであったのか、しかし今はむしろ選考委員の方に嫌われているというイメージもある。

 それでも今のところ、対抗馬のない完全な成績を残しているが。

 81年の沢村賞のような騒動に、何かきっかけがあればなりかねない。

 直史はかなり悲観的に考えていて、やはり大介との勝負でも下手に逃げず、どうにか勝っておくべきだろうなと思っている。


 ただこれはさすがに考えすぎだと、他の人間なら思うだろう。

 しかし直史にとっては、考えすぎであろうがなんであろうが、もしも本当に取れなければ取り返しがつかないことになるのだ。

 名誉だの栄光だの、そんなものはどうでもいい。

 人の命に比べれば、そんなものは軽いものだ。

 そう言い切ってしまうからこそ、直史はやはりお偉方に嫌われやすいのかもしれないが、実はそういう直史を好きなお偉方もいるのだ。




 大阪ドームでの神戸との対決は、レックスにとって悪いものではない。

 直史のいない三連戦であるが、安定した先発ピッチャーが二人はいるのだ。

 それとドームでの試合がこれから続くので、雨天による予備日の利用はないだろうと思われる。

 あとはオールスターであるが、こちらは現在投票をしている最中だ。

 しかし直史は年齢を理由に、早々に辞退を表明していた。

 もしも出たとしたら、直史と大介が同じチームで戦う、最後の姿を見ることになったかもしれない。

 ちなみに大介の方は、ファン投票で一位を走っている。


 オールスターで1イニングでも投げるというのは、今の直史にとっては調整を難しくさせることだ。

 ピッチャーとそれ以外は、完全に消耗度が違う。

 オールスターは最大でも3イニングまでしか投げないが、その3イニングを投げる肩を作るまでに、ある程度は投げなければいけない。

 その疲労のことを、直史は考えている。


 つくづくファンから愛されない対応をする男である。

 だがファンがつかなくても、信者はつく。

 ファンであるならば自分に対して、微笑みかけてくれるファンサービスを求める者もいるだろう。

 だが直史のファンとも言えるのは、信奉者である。

 かつてアブラハムは唯一神にお前の息子を生贄にと言われて、その通りにしようとしたという。

 神は人間を試す、ろくでもない存在なのである。

 それを考えれば直史は、別にファンには過剰な期待などもしていない。

 その意味では直史は、人々に囁き続ける悪魔のような存在であるのだろう。

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